午前六時、朝は"虚無の世界"で修行をするが、今日は外の空気を感じたいため、重りをつけてランニングをしている。
両腕の付けているリストバンドと服と靴に重力を重くすると、さすがに動きが鈍くなる。
ミッドガルに転入してから一ヶ月が経ち、学生生活を謳歌している。
ここでの生活は楽しく、まさに楽園だ。
ついつい怠けたくなるが、神としての仕事が山のようにあるので放課後には"神界"に戻って作業をしている。
最近は仕事も少なくなってきており、"神界"にいる時間が少なくなっている。
そうしていると八重さんから怒られるので出来るだけ居るようにしている。
ミッドガルの周りを三周目に差し掛かっていたとき、前の方から強い"気"を感じた。
その"気"は僕がミッドガルに転入してきた時にも感じた気だ。
確か向こうは女子寮があるので、誰かが出てきたのだろう。
僕は強い気を持つ人を確認するために速度を上げた。
一分もしないうちに後ろ姿が見えた。
茶髪に緑のリボンを付けている少女、クラスメイトのアリエラ・ルーだ。
やはり彼女は只者ではない。動きに無駄がなく、フォームも綺麗だ。
それに今までの訓練での動きを見ていると、軍人の動きにそっくりだ。
彼女のことは原作で知っているため、彼女が何故そんなことができるのか分かっていた。
しかし、改めて彼女の強さを知る。ただのスポーツが得意な少女とは比べ物にならない。
素手での勝負なら実力は悠と互角に渡り合えるほどの強さだが、武器を持てば凌駕するだろう。
そう思うと、一緒に走りたくなってきたので僕は彼女の隣にまで早く走り、追いついた。
「アリエラさん、おはよう」
「おはよう。 やっぱり後ろにいたのは君だったんだね」
僕が挨拶をすると、アリエラさんが返してきた。しかも僕の存在に気づいてたようだ。
「気づいてたんだ。足音を同じテンポにしてなのに」
「まあね、気配が少しあったからね」
アリエラさんは走りながら答えてくれた。
「最初は物部クンだと思ってたけど、気配を殺して近づいてくるからもしかしたらと思ってね」
アリエラさんはやはり只者ではない。気配だけで気付くとは思わなかった。
「転入初日から思ってたけど、本当にすごいな」
「えっ? ボクのことをそう思ってたのかい?」
「まあね、外で修行してると強い気配を感じたから隠れてたんだけど、まさか僕に気付くなんて……」
僕は転入初日の朝に浜辺で修行してたことを口にする。
「やっぱり君だったんだ。でもどうして隠れてたんだい?」
「深月さんからまだ他の生徒と接触を禁止してたからね。もしバレたら反省文を書かせるって言われた」
「なるほど、たしかに深月の反省文はキツイね」
アリエラさんは納得したようで、苦笑を浮かべる。もしかしたら反省文を書いたことがあるかもしれない。
「どうだい? ボクと勝負しない?」
「勝負?」
アリエラさんは僕に勝負を吹っかけてきた。
「女子寮の前までをゴールにして、どちらかが速く付くかで決めようよ」
「いいよ、受けて立つ」
こうして朝はアリエラさんと勝負して、楽しい特訓を過ごした。
◇
二十五年前、日本上空に出現した最初のドラゴン———黒のヴリトラ。
それ以降、人間の中に生まれ始めたヴリトラと同じ力を持つ子供———上位元素生成能力者"D"が集められた南海の孤島。それこそがこのミッドガルだ。
設立当初は隔離施設の側面が強かったミッドガルだが、現在は自治組織として世界に大きな影響力を持つようになった。
任意の物質を上位元素からの変換で作り出せるという能力は、経済的な価値がとても高い。希少な資源の生産依頼を引き受けることで、"D"は社会に貢献している。
だが、ミッドガルには公になっていない、もう一つの役割があった。それは、つがいを求めて襲ってくるドラゴンを迎撃し、倒すこと。
ドラゴンに見初められた"D"は、接触されることで同種のドラゴンに変貌してしまう。そして今まさに狙われているのが、俺の膝に腰かけているティア・ライトニングだ。
彼女を見初めたのはレッド・ドラゴン———赤のバジリスク。現在もティアを求めてアフリカ大陸を横断しているらしい。だが大陸とミッドガルの間には大海が横たわっているので、泳ぐのに適さない肉体構造を持つというバジリスクが、海を越えて来るかはまだ分からなかった。
「はい、あーん」
ちょこんと膝———正確には太ももの上に横向きで座ったティアは、手にしたサンドイッチを俺に差し出してくる。無邪気で、無垢な笑顔を浮かべながら。
まるで悩みなどなさそうな風に見えるが、五日前までは自分のことをドラゴンだと言い、他の"D"たちとの間に大きな壁を作っていた。
しかしクラスメイトたちの優しさに触れ、俺たちと一緒にいることを———人間として生きることを選択し、ティアを迎えに来たドラゴン信奉者団体『ムスペルの子ら』のリーダー、キーリの手を自らの意志で振り払い、ティアは今ここにいる。
場所は食堂棟一階にあるカフェテリア。当然他人の目もあり、こんなことをするのは恥ずかしい。だが下手に遠慮した場合、またティアとイリスが言い争いをし始める可能性がある。
「モノノベ、次はあたしだよっ」
右隣に座るイリスが体を寄せて俺にサンドイッチを近づける。ちなみにティアに食べさせてもらったのはタマゴサンドで、イリスが持っているのはツナサンドだ。
右腕は普通に使えるので、食事まで手伝ってもらうのは心苦しかったのだが、それを言うとイリスに「そんなこと関係ないよ」と返されてしまった。
もしここに亮が居たとしたら間違いなく面白がってくるだろう。
あいつは"D"ではないが、この世界の神である。想像と破壊を司っているようで、その気になれば世界を作ることも破滅させることもできる。
訳あってミッドガルの学生として生活をしているが、他の生徒は特別な力を持った"D"とされているので、正体を隠している。
「……いただきます」
俺は周囲の視線を意識の外に置き、イリスのサンドイッチを頬張る。
「えへへー」
嬉しそうに表情を緩ませるイリス。何だか目を合わせていられなくて、俺は口をもぐもぐと動かしながら視線を彷徨わせる。
「早く早くっ、ティアのも食べて」
それを見ていたティアは待ちきれないといった様子で、再び自分のサンドイッチを差し出してきた。
俺は二人に急かされながら、順番に一口ずつ頬張る。サンドイッチばかり食べていると、さすがに喉が渇いてきた。
けれど間断なく、交互にサンドイッチが口元に向けられるので、それを言い出すタイミングがなかなか掴めない。
「———ティアさん、イリスさん、それはお世話をしているとは言いませんわよ?」
するとそこに呆れ混じりの声が響く。
声の聞こえた方に顔を向けると、透き通った青い瞳と視線が交わる。
「っく……リーザ、おはよう」
俺は口の中にあったサンドイッチを急いで呑み込み、クラスメイトの少女、リーザ・ハイウォーカーに挨拶した。リーザは長い金髪をふぁさっと手で払い、仏頂面で返事をする。
「おはようございます。朝から女の子を侍らせて、いい御身分ですわね」
リーザの皮肉気な口調に俺は慌てる。
「いや、これは侍らせてるとかじゃなくて、二人は怪我してる俺を手伝おうと———」
「ふうん、そうなんですの。ですが本当にあなたは、手伝いを必要としているのですか?」
「それは……」
食事ぐらいなら二人の手を借りなくても可能なので、俺は言葉に詰まる。
「必要ないことをさせているのでしたら、それは侍らせているのと同じ意味ですわ。そしてティアさん、イリスさん———あなたたちもダメダメです」
「ひゃわっ!?」
「……リーザ、怖いの」
厳しい言葉にイリスとティアは肩を竦める。
「必要以上に世話を焼くのは、相手に負担を掛ける場合もあるんですよ?ちゃんと彼の身になって考えて、必要なことだけ手助けすればいいんです」
リーザはそう言うと、テーブルに置かれていた水の入ったグラスを俺に差し出す。
「……喉、渇いてるんでしょう?」
「あ、ああ、ありがとう」
俺は礼を言って、右手でグラスを受け取り、水を飲み干した。
「モノノベ・ユウ、助けを求める時は自分で選びなさい。本当に必要なことでしたら、わたくしも全力で助けてさしあげますから」
リーザはツンと顔を逸らしながらも、そんなことを言ってくれる。
そんなリーザをイリスとティアは呆然と見上げていた。
「リーザちゃん、かっこいい……」
イリスは目をきらきらさせながら呟く。
「リーザはすごいの……」
ティアも尊敬の眼差しをむけていた。
「わ、わたくしは当然のことを言っただけですわ」
照れくさそうに謙遜するリーザを見て、俺も口を開く。
「やっぱりリーザはいい女だな」
よく考えれば、まだ早朝にリーザがいるのは不自然だ。もしかするとリーザも学園生活に復帰する俺を助けるため、早くに登校してくれたのかもしれなかった。
「ま、またそんなことを言って!わたくしをからかって楽しいんですの?!」
途端に顔を赤くして、リーザは俺を睨んだ。
「いや、別にからかってないって。他に言い方が思いつかないんだよ」
「だったらもっと勉強して、語彙を増やして欲しいものですわね」
腕を組み、不機嫌そうに言うリーザ。だが頬はまだ赤いままだ。
そんなリーザの反応はどこか微笑ましく見えて、今度は本当にからかってみたくなってしまう。
けれど俺がリーザをからかう一言を口にする直前、自販機の設置されているラウンジの方から低いどよめきが聞こえてきた。そこに含まれていたただならぬ気配に、皆動きを止める。
「どうしたんだろ?」
イリスが不思議そうに呟く。
俺たちと同じようにカフェテリアで朝食を摂っていた職員も、何事かとラウンジの方を見ていた。ラウンジからは「ねえ、ちょっと来たよ」「どうなってるの、これ……」という声が漏れ聞こえてくる。
「ユウ……何だか、ヤな感じなの」
ティアが不安げな顔で俺の制服をぎゅっと掴んだ。
そういえばラウンジには自販機の他に、衛星放送を流すテレビも設置されていたことを思い出す。
「何があったのか、確かめに行きますわよ」
リーザはそう言って、俺を促した。四人でラウンジに向かうと、そこではたくさんの職員が食い入るようにテレビを見つめていた。画面にはどこかの海岸線らしき風景が上空から映し出されている。
「な……」
俺はそれを見て、言葉を失くした。
世界のどの国であろうと、共通して、最優先に報道されるニュースがある。
それは国境など関係なく、好き勝手に移動するドラゴンたちが発生させる竜災と、その被害予想に関する話題だ。
現在流れている映像も、竜災関連のもの。
だがこんな竜災など、俺はこれまで見たことがなかった。
海が———真っ白に染まっていた。画面の右端に表示された地図によると、現場はアフリカ大陸の赤道近くで、海が凍るはずはない場所だ。
そして実際、画面のテロップも、ニュースキャスターも、海が凍ったとは言っていない。
ニュースはこう伝えていた。
アフリカ大陸を移動し、海岸線に到達したバジリスクが、周辺の海を塩に変えてしまったのだと———。
いかがでしょう?次は悠と深月が口論します。お楽しみに!