悠が検査を受けた二日後、正式に今作戦に参加するメンバーが発表された。
総数は二十名。うち九名はブリュンヒルデ教室の生徒だ。幸いその中には僕や悠の名前もあった。
作戦の規模を考えると、思ったよりも人数は少ない。恐らく最悪の事態に備え、リスクをできるだけ減らした結果なのだろう。
発表された日のうちに正式なブリーフィングが行われ、今後の予定が伝えられた。
バジリスクを誘導するため、ブリュンヒルデ教室のメンバーは、先行して無人島へと向かうらしい。
あらかじめ準備を済ませた翌日———僕たちは船上にいた。
「さてと……船の中を見とくか」
僕は船の構造を知るため、杖を使って中を見ていた。ちなみに僕は自分の部屋に居る。
輸送船の甲板はとても広くて、コンテナなどを運ぶためのクレーンが六つも設置されていた。
クレーンの近くで作業を行っている女性の船員を見つける。恐らくミッドガルの職員同様、この船を動かす船員も女性で統一しているのだろう。
船内を見回すと、廊下は道なりになっており、その先には広いラウンジがあった。乗組員用の休憩スペースで、壁紙には自動販売機が並んでいた。今は閉まっているが、セルフサービス形式の食堂もある。
もう少し確認したら修行しようと思い、画面を拡大してみた。
すると、ラウンジの隅っこに、机を突っ伏しているクラスメイト二人の姿があった。
フィリルさんとレンちゃんだ。
フィリルさんは文庫本を片手にぐったりしており、レンちゃんはノートパソコンに手を伸ばした格好で体を震わせていた。
(思い出した。あの二人はそうだった)
僕はそう思い、部屋を出てラウンジに向かった。あの二人は船酔いしている。原作でもそうだった。
数分してラウンジに着くとさっきと全く変わっていなかった。僕は偶然を装って二人に近づいた。
「……どうしたんだ?」
僕の言葉にぴくりと反応したフィリルさんが
「……気持ち悪い」
そして一言、苦しげに現状を述べる。
「……ん」
その様子を見て、僕は察したように答えた。
「……船酔いか?」
それを聞いたフィリルさんとレンちゃんは顔を僕の方に向けたままだ。
「本を読んでたら、何だか目の前がクラクラしてきて……」
「んぅ……」
二人は苦しげな表情で言ってきたので呆れながら見下ろす。
「船に慣れてないのにいきなり本を読んだり、パソコンをいじったりするからだよ? しかも出発してからまだ十分も経ってないし」
二人の自業自得だが、まさかこんなに早く船酔いするとは思わなかった。
「でも……読みたいの」
「……ん」
フィリルさんとレンちゃんは今でも続きを始めようとしていた。このままでは病気になってしまうため、杖を使うことにした。
「……二人とも、みんなには内緒だぞ?」
「「?」」
僕が口に指を当てると、二人は首を傾げた。
杖を取り出し、先端を二人に向けると、白い光が彼女たちを包んだ。
二人は驚いたが、すぐに白い光は消え、二人の顔色が良くなった。
「あれ、苦しくない」
「ん」
フィリルさんとレンちゃんは元気なり、訳が分からずに僕の方を向いた。
「君たちの状態を回復させたんだよ。結構僕の体力を使うけど、無理に止めさせるつもりはないからしばらくは大丈夫のはずだ」
気分が悪い人が一人でもいると、こっちも気になるので、みんなには知られないように能力を使った。
「ありがとう」
「ん」
フィリルはお礼を言ってきて、僕は杖を壁に傾けた。
「気にしなくてもいいよ。でも、体調を回復させただけだからちゃんと休憩してくれ。あとさっきも言ったけど、みんなには内緒ね」
「分かった」
「ん」
僕がお願いすると、二人はこくりと首を上下に振った。
「フィリルさんは大丈夫だと思うけど、レンちゃんはちゃんと休憩も入れるんだぞ?」
そう言って僕はレンちゃんの頭を撫でた。すると、レンちゃんは頬を染め、こくりと頷いた。
「ん」
こうしてるとアンジェリカさんを思い出す。第六世界の"世界神"で最年少である。第六世界では最強の魔術師と崇められており、神々の中では可愛がられてる。ミッドガルに来る前はレンちゃんのように頭を撫でたりしていた。
レンちゃんは小動物のように大人しいが、アンジェリカは子供扱いされたくないらしく、ムキになったりしていた。
なんだか懐かしくなってきた。そう思っていると、レンちゃんが服を引っ張ってきて、端末の画面を見せてきた。
「いつまでやってるんだ……あ、悪い。もうしないよ」
僕は手を離し、壁を傾けた杖を手にそのままラウンジを後にした。
そのまま部屋に戻り、修行をするために杖の中に入った。
◇
「見てモノノベ、ミッドガルがもうあんなに小さいよ!」
遠ざかる島影を指差し、イリスが弾んだ声で言う。
「……あの島を外から見るっていうのは、何だか妙な気分だな」
俺たち"D"の世界は、あんなに小さいんだなと感慨を抱く。
果てを越えて広がる空と海。その狭間にぽつんと浮かんでいるのが、俺たちが先ほどまでいたミッドガル。
竜伐隊に選ばれた二十名のうち、九名であるブリュンヒルデ教室の生徒たちは、本日正午に船へ乗り込み、バジリスクを誘導する無人島へと出航した。この船はミッドガルが物資の運搬などに使っている輸送船で、武装は特にない。
ニブルに依頼すればもっと足の速い軍艦を借りることもできただろうが、それはこちらの作戦に介入される口実を与えかねない。今作戦の指揮官である篠宮先生は、ニブルの横槍をかなり警戒しているようだ。
リヴァイアサン侵攻時、ニブルがミッドガルに部隊を送り込んだことは、両者の間に大きな溝を生んでいたらしい。連携が取れないのは少々不安だが、足を引っ張り合いになるよりはマシだとも思える。
(今回は人間同士で争うことにならなきゃいいな)
水平線の向こうへ消えていくミッドガルをぼうっと眺めながら、そう思う。俺はドラゴンより人間と戦う方が得意だが、それを好んでいるわけではない。
「あっ、モノノベ! あれ、イルカじゃない?」
そんな俺の肩を揺すって、イリスが船の斜め後方を指差す。そこには船を追いかけるようにして泳ぐイルカの群れがいた。背びれで水を切り、時折スピードに乗った見事なジャンプを見せる。綺麗なアーチだ。
けれど俺の目はイルカよりも、はしゃぐイリスの横顔に惹き付けられてしまう。
「……あたしの顔に、何かついてる?」
俺の視線に気付いたイリスが、不思議そうに首を傾げた。
「ああ、いや———その、楽しそうだなって思ってさ」
「うん、楽しいよ! 何だかみんなで旅行するみたいで、ワクワクしてるの」
にこにこと心からそう思っているという表情で、イリスは答える。
「これからバジリスクと戦うのに緊張とかしてないのか?」
イリスの楽しそうな表情を見てると、大丈夫じゃないかと心配する。
「大丈夫だよ! モノノベやミツキちゃん、リーザちゃんやオオシマが付いてるから緊張はしてないよ。むしろティアちゃんを守るために何ができるか考えてるところだよ」
当然のように言われて俺は
「イリスはいつも、俺の想像を軽々と越えてくな」
苦笑を浮かべ、俺は呟く。イリスはドジで、よく失敗するし、自分のことを弱いと嘆いたこともあったが、根っこの部分では俺なんかよりずっと強いのだと思う。
「ふふん、あたしは常識じゃ測れない女の子なんだよ」
自慢げに胸を張るイリス。
「そうだな、何を生成しても爆発させるとか、あまりに謎すぎるからな」
「そ、それはいいじゃない! 謎のままでも、役に立つ方法を見つけたんだし。こうして
「まあな。けど———いつかはその謎も解いてみたい。俺は、イリスのことをもっと知りたいんだ」
何気なく口にしてしまってから、はっと気付く。まるでこれは口説き文句だ。
イリスは最初驚いた表情を見せていたが、その顔が次第に赤くなっていく。
「あ、あの、あたしも……」
イリスは勇気を振り絞るように俺の目を見つめた。
桃色の唇を震わせながらも、上擦った声でイリスは言葉を続ける。
「……モノノベになら、その……知って欲しい、かも」
最後の方は、ほとんど
「な———」
思わぬ展開に、思考がフリーズした。ここからどう会話を
硬直した俺を見て、イリスは少し不安そうに小首を傾げた。
「モノノベ……? もしかして、聞こえなかった……かな?」
「い、いや、ちゃんと聞こえたけど———」
俺がそう答えると、イリスはほっとした様子で息を吐く。
「じゃあ、えっと……今から、教えればいい?」
途切れ途切れに、小さな声で訊ねてくるイリス。
「お、教えるって……何を?」
「それはその……色々だよ。モノノベの知りたいことなら、何でも」
イリスは恥ずかしそうに、もじもじと答える。
「な、何でもって言われると逆に困るな……」
俺が頭を掻きながら言うと、イリスは上目遣いで
「すぐに思い付かないなら、とりあえず……あたしの船室に、来る? ここだと秘密の話とかは、できないし……」
頬を染めて提案するイリスがとても魅力的で、俺はごくりと唾を呑み込んだ。
「まあ、イリスが構わないのなら———」
雰囲気に流されるようにして俺は頷きかけるが、こちらへ近づいてくる軽い足音に気付いて言葉を切った。
「ユウ! 甲板を一周してきたの!」
見ればティアが息を弾ませて駆け寄ってくる。ティアは輸送船に乗りこんだ時から興奮していて、ずっと辺りを走り回っていたのだ。
ミッドガルに移送される際も船には乗ったはずだが、恐らくその時は辺りを見て回る自由はなかったのだろう。
「ねえ、ユウ。次は一緒に船の中を探検しよ?」
「ティア、ちょっと待ってくれ。今はイリスと———」
右腕をティアに引っ張られながら、俺はイリスに「どうする?」という視線を向けた。
「あ、いいよ、ティアちゃんと探検してきて。あたしの用事はその……今じゃなくてもいいから」
はにかみながら俺とティアを送り出すイリス。それはつまり、後で船室に来てくれという意味だろうか。不純異性交遊が厳禁である以上、決して邪なことをする気はないのだが、それでも鼓動が速まっているのを自覚する。
「ユウ、こっちに行ってみるの!」
ティアは俺の右手をぎゅっと掴んで、足早に歩いて行く。途中、フィリルとレンが本を読んだりパソコンをいじったりしてラウンジでぐったりしていた。
話を聞けば、二人は出航してから休憩をせずに作業してたので船酔いしていた。
俺は二人に休むように言ってフィリルの本を取り上げた。レンは抵抗したが、部屋で休んでくれることで承諾してくれた。
フィリルとレンに挨拶し、船内探検を再開する。
一階下は居住用の船室が並ぶフロアだ。乗船して荷物を運びこんだ際に、一度降りている。VIPが乗船することも考慮されているのか、客船でないにも
さらに下層へ降りれば、貨物室や機関室があるはずだ。
上の方へはまだ行っていないがら恐らく階段を上って行けば艦橋に辿り着くだろう。
「どっちへ行く?」
俺がそう訊ねると、ティアはしばらく考えた後、上の方を指差した。
「上がいいの」
「了解」
艦橋まで立ち入ることはできないかもしれないが、行けるところまでティアのぼうけに付き合おう。
俺とティアは白く塗装された鉄製の階段を上っていく。すると——-上方から微かな声が聞こえてきた、段を上るたびに、その声は大きくなる。
内容は聞き取れないが、声の調子からして何かを言い争っているらしい。しかもその声は聞き覚えのあるものだった。
「……リーザと、ミツキの声なの」
ティアが足を速め、俺の手を強く引っ張る。いったい何事かと、俺も足早に階段を上った。
二つ階を上ると、声がはっきり聞こえるようになる。踊り場の壁に設置されたプレートによると、ここは会議室などがあるフロアのようだ。
「———そんなことだから、わたくしはいつまで経っても、あなたを許せないんです!」
「許さなくて構いません。私は、それだけのことをしたんですから!」
リーザと深月の声が角の向こうから耳に届く。そして角には廊下の様子を覗き見ているアリエラの姿があった。
アリエラは俺たちに気付くと、困ったような表情を浮かべる。
「あー、キミたちか。えっと、今は聞いての通り、取り込み中だ。ミツキたちに用事なら、後にした方がいい」
「リーザとミツキ、喧嘩してるの? 止めないの?」
ティアが少し責めるような口調でアリエラに言う。
「止めたいのは山々なんだけどさ。どうやらボクには口出しができない問題みたいなんだ」
溜息を吐き、途方に暮れた様子で肩を竦めるアリエラ。
俺とティアはどういうことか分からず、喧嘩の声に耳を澄ませた。
「———深月さんはあくまで、都さんを手に掛けた罪も、その
「もちろんそのつもりです。自分の責任を他人に押し付ける気はありません!」
「ふん、言葉だけは立派ですわね。けれど、
「わ、私はちゃんと向き合って———」
「わたくしに許されようとも思っていないくせに、軽々しくそのようなことを言わないでください!」
「っ」
リーザの一喝に、深月は続く言葉を呑み込んだ。
そっと角から様子を見てみる。リーザが腕を組んで仁王立ちし、深月はその前で
「リーザ……すっごく怒ってるの」
俺の下から同じく顔を出したティアが、小声で呟く。
ティアの言う通り、リーザはこれまで見たこともないほどの怒気を放っていた。俺もリーザには何度も怒られたことがあるが、今はその比ではない。
喧嘩の原因は、篠宮都のことらしい。アリエラが口を挟まなかったことも分かる。事情をよく知らない者が出て行っても、話をややこしくなるだけだ。
俺が知っていることも少ない。
深月はドラゴン化した親友の都をその手で討った。そしてリーザはそのことを今でも許していない。仕方のないことだったとは分かっているが、納得はできてないのだと、以前リーザは言っていた。
深月もその罪を背負っている。そのため一人で無理をしている。
(何とかしたいな)
俺はそう思い、二人を眺めていた。
いかがですか?次は久しぶりにキーリが登場します。お楽しみください。