火山島での生活は、始まってみればミッドガルでの日常とさほど変わらなかった。
朝起きて朝食を食べ、ミーティングがある日は会議室へ行き、ない日は座学の授業を受ける。昼食後は島に降りての実習かバジリスク戦に関する現状報告。その後は勉強したり、"神界"に戻って仕事をし、夕食を食べて寝る毎日。
これまでと違うところといえば、女子たちと生活の距離が近いことだ。同じ船の中で生活しているので、食事は一緒に
悠が何か言ってくれたようで、深月さんとリーザさんはどこか前向きな気がした。原作通りなら、まだ解決はしてないが、もうすぐだろう。
昨日、フィリルさんからお礼を言われ、僕は無意識に身構えてしまった。原作を知っているのでこの後お礼をしてくれるが、その日が来たら逃げようと思う。
お礼の内容は刺激が強いので、正直関わりたくない。
そういえば、フィリルさんから"大島くん"と呼ばれるようになった。確か悠のことも"物部くん"と呼んでいた。
たぶんリーザさんたちの件だろうと思う。今までは"あなた"や"彼"と呼ばれていたので正直嬉しい。
バジリスクが侵攻してくるのは二週間ぐらい先なので、僕は誰もいないところで修行をしている。
そんな日常が五日ほど続いた頃のこと。
僕はその日、フィリルさんを避けていた。確か今日がお礼をしてくれる日なのだが、彼女はややズレた感覚を持っているため、ここ最近乗組員の手伝いをしている。
食事は休み時間の間に摂っているので昼は食堂には行かなかった。
杖で彼女の行動を見ていると、悠と接触する場面を見た。
『……物部くん、お礼の準備、できたよ』
『お、お礼って……何だ?』
悠は反射的に身構えてごくりと唾を呑み込み、問いかける。
『はい、これ』
『……え?』
けれどフィリルさんが差し出した小さな紙切れを見て、悠は眉を寄せた。ノートを切り取ったもので、薄い
「やっぱり……」
僕はその様子を見て予想していた通りになってしまった。
『一日温泉チケット……有効期限は本日限り?』
俺がその文字を読み上げると、フィリルさんはこくんと頷く。
『……うん、この島に温泉があるのは知ってる?』
『ああ、冊子に書いてあったな』
悠は戸惑いながら答える。
『私はもう行ったけど、すごくいいところ。でもたぶん物部くんは、まだ行けてないよね?』
『まあな。この船にいるのは俺と亮以外ほとんど女性だし、もし温泉で出くわすことになったらマズイだろ』
そうなってしまうので、僕も行かないようにしていた。正直行きたかったが。
『そう……だからこその、一日チケット。今日は、遠慮なく温泉に行ったらいい』
『それって、俺の貸切って意味なのか?』
『まあ……そんな感じ。大島くんにも伝えるから楽しんできて』
やっぱり僕にもお礼をしてくれるようだ。
フィリルさんはそう言うと悠の手にチケットを握らせた。
『お、おう……ありがとな。こんな気の利いたお礼を貰えるなんて思ってなかつた』
悠はとんでもないお礼を貰ってしまったようだ。
『……ふふ、お礼を言うのは、ちゃんと温泉を
フィリルさんは口元に手を当て、おかしそうに笑った。
やはり原作通りのお礼をするつもりのようだ。避けててよかった。
『ああ、そうするよ。亮にも会ったら伝えておく』
『うん、私も会ったらチケットを渡しておくね』
どうやら悠からも避けなければならなくなった。
(あの野郎……余計なことを)
僕は二人から全力で逃げるため、乗組員の仕事を手伝いに行き、なんとか会わずに済んだ。
◇
その日の夕食後、俺は早速タオルを持って部屋を出た。そういえば今日は亮を見かけなかった。朝食や授業の時には居たが、昼食や夕食、休み時間にはどこか行っていた。
俺は夕食前にも探したが、見つからなかった。諦めた俺はお礼の件をフィリルに任せて温泉に向かった。
船のタラップを降りて火山島に上陸すると、ほんの少しだけ足元がぐらつく。ずっと微かに揺れる船上で生活しているため、動かない地面がむしろ不安定に感じてしまうのだろう。
けれどそんな平衡感覚の狂いはすぐに収まる。俺は固い岩を踏みしめ、温泉に向けて歩き出した。
夜の火山島は暗く、星空を背景に
港から温泉までは、五分足らずだ。等間隔に並ぶ照明を追って進んで行くと、岩場に囲まれた岸辺へ
冊子の説明によると、温泉は入り江の奥から湧き出ているらしい。入り江は海と繋がっているので外周付近は海水だが、奥は岩によって区切られており、塩気はないのだと書かれていた。
近くと硫黄が混じったような、温泉特有の香りが鼻を
念のため周囲を確認する。しかし、俺の他に誰かがいる様子はない。
温泉の
俺は、ほっとして息を吐く。
フィリルが言った通り、本当に今日は俺と亮の貸切らしい。
俺は脱衣所で手早く服を脱ぎ、タオルと桶を手に温泉へ。桶でお湯を
「ふぅー……」
思わず息が漏れた。左肩の傷がピリッとしたものの、痛くはない。それどころが、傷の辺りからじんわりと温かさが染み込み、まだわずかに残る鈍痛を押し流していく。
「いい湯だ……」
入り江の外———岩場の向こうには、
これほどまでに心安らぐ時間は、もう何年もなかったように思う。
(ホント、フィリルには感謝しなくちゃな)
お湯に肩まで浸かり、じっくりと幸せを噛み諦める。
けれどその時、俺はこちらへと近づいてくる気配を感じた。亮が来たのかと思ったが、複数の声が聞こえてくる。
「……え?」
ぼうっと緩んでいた意識が、冷や水を浴びせられたかのように覚醒する。
「皆でお風呂に入るって、何かいいよね!」
あれはイリスの声だ。
「わたくしは正直、ちょっと恥ずかしいですが……」
「ボクも最初は抵抗あったけど、慣れると楽しいよ。こういうの、裸の付き合いって言うんだっけ?」
リーザとアリエラの声まで聞こえてくる。
「はい、日本ではそう言いますね」
「ん」
同意するのは深月とレン。
「ティアはユウも一緒がよかったの」
さらにティアの声まで聞こえてくる。
「……ふふ、物部くんと大島くんもいたら全員集合だったのにね」
(って、フィリルもいるのかよ!)
俺は心の中で叫ぶ。いったいこれはどういうことなのか。
俺が混乱して動けないでいる間に、女子たちは脱衣所へと入ってしまう。
声を掛けるタイミングを逸した俺は焦るが、よく考えれば脱衣所には俺の脱いだ服がある。それを見つければ、皆は俺の存在に気付くだろう。
けれど、脱衣所からは楽しげな声が響いてくるだけで、俺の服を見つけた驚きは伝わってこない。
……変だな。
やはりこちらから存在を
「一番乗りーっ!」
素っ裸で脱衣所から出て来たイリスが、ざぶんと温泉に飛び込んだ。
(っ!?)
俺は慌てて近くの岩陰に身を隠す。天然の温泉だけあって、幸いにも死角になる場所は多い。
「イリスさん、飛び込むなんて行儀が悪いですわよ」
続いてリーザまで現れたらしく、呆れた声でイリスに注意をしている。
こうなってはもう、身動きが取れない。この状況で出て行けば、裸のイリスたちと鉢合わせになってしまう。
(判断の遅れは死に繋がるぞ)
かつての上官であるロキ少佐の声が脳裏を過ぎった。今ではあの人の言葉を信じられる。
「他に誰もいないんだし、固いことはなしにしようよ。実はボクも、飛び込んでみたかったんだ」
アリエラの声と大きな水音が響く。
「んっ!」
さらにざぶんという音が続いた。どうやらレンも飛び込んだらしい。
「珍しくレンさんがはしゃいでますね」
「ティアはオトナだから、普通に入るの」
深月とティアも温泉に入ったようだ。
「……あえて私は、まだ子供だと主張して飛び込んでみる」
最後にバシャンと激しい音を立てて入浴したのはフィリルだろう。これで全員。亮は当然いない。
皆が温泉に入っている隙に、何とか離脱できないだろうか。
俺はそっと岩陰から顔を出し、周囲の様子を確認してみる。
湯煙の向こうに、白い裸身を
(ダメだ。温泉から出ようとしたら絶対に見つかる)
潜って海の方へ行こうとしても、途中で岩場を越える必要があるのだ。そうなれば確実に誰かの目に留まってしまう。
ここに隠れてやり過ごす以外、無事に生還する方法はなさそうだった。
イリスとリーザのあられもない会話が聞こえて来る。
「んー」
「レンさん、気持ちは分かりますがお風呂で泳ぐのはちょっと……」
続いて耳に届くのは、深月がレンを注意している声。
バシャバシャとレンが泳いでいるらしき水音が聞こえて来た。
「あっ、ティアも泳ぐ!」
「も、もう、ティアさんは大人だと言っていたじゃないですか」
「これだけ広いんだから、別にいいんじゃない? ボクも参加させてもらおうかな」
「アリエラさんまで!?」
ティアとアリエラも泳ぎ始めたらしく、深月が途方に暮れている。
「———あ、こんなところにいた」
「っ!?」
俺が隠れていた岩こ向こうから、いきなりそのフィリルが顔を覗かせた。危うく大声をあげそうになった俺は、自分で自分の口を塞ぐ。
「……物部くん、楽しんでる?」
フィリルは岩陰に入ってくると、俺の顔を下から覗き込む。当然ながらフィリルは裸だ。白く大きな双丘がお湯に浮いている。温泉が乳白色なので水面下より下は見えないが、十分以上に刺激的な光景だった。
「ど、どういうことだよフィリル! 話が違うそ。何で皆がいるんだ? 今日は俺と亮の貸切じゃなかったのか?」
できるだけ声を抑えつつ、俺はフィリルに詰問する。
「……そうだよ、今日は物部くんと大島くん、そして私たちの貸切。あなたのために、私が用意した時間」
「用意したって、まさかイリスたちも俺がいることを知っているのか?」
「ううん、皆は知らない。脱衣所の服も、気付かれる前に私の服で隠したから大丈夫。でも、ここに来る前に大島くんを探したけど、見つからなかった」
フィリルは少し残念そうな表情をする。
「俺も探したが、見つからなかった。夕食も俺たちが来る前に済ませたって先生が言ってたからな」
「そっか……残念だけど、大島くんにはまたの機会にしよう。それで物部くん、これでこっそり、女の子の裸が見られるよ。嬉しい?」
首を傾げ、問いかけてくるフィリル。たわわな胸の谷間にお湯が溜まっているのが、妙に扇情的だ。
「う、嬉しいわけないだろ。こんなことされて困るだけだ」
「……ホント? 男の子は、女の子の裸を見ると嬉しくなるんじゃないの? ほら、今もドキドキしてる」
フィリルは俺の左胸に手を当てながら言う。
「それは……当たり前だろ。もし見つかったらタダじゃ済まないんだし、平常心でいられるか」
一番の理由は目の前に裸のフィリルがいることなのだが、さすがにそれをはっきり言うことはできなかった。
「……そうなの? 私、間違ってた? そんなに、迷惑?」
するとフィリルは表情を
「あ……いや、俺は———」
少し言い過ぎたかと、申し訳ない気持ちになる。これはフィリルなりに、一生懸命俺を喜ばせようとしてくれた結果なのかもしれないのだ。
俺は落ち込むフィリルに声を掛けようとするが———その時、お湯の中から突然、何かが飛び出した。
「ぷはっ!」
大きく息を吸い、体を振るって水滴を跳ね飛ばすのは、全裸のティア。
「へ……?」
驚きのあまり、間違の抜けた声が喉から漏れる。
パチパチ
「あ、ユウとフィリルだー。あれ? でもどうしてここにユウがいるの?」
自分の体を隠そうとせず、不思議そうに訊ねてくるティア。目が
まだ幼い肢体は起伏に乏しいが、微かに膨らんだ胸は女性としての
「……静かに。他の皆に気付かれたら、物部くんがすごく困ることになる」
答えられない俺に代わり、フィリルがティアの口をそっと押さえた。
「そうなの? 分かったの。ティアは旦那さまを困らせないの」
ティアは声を潜めて答えると、硬直していた俺に身を寄せてくる。
「……ティ、ティア?」
「ねえ、ユウ———静かにするから、いい子にしてるから、一緒にいていい?」
ぴとりと体をくっつけるティアに俺は慌てる。
「ま、待て。これはマズイ。こ、こういうことはしちゃダメだ」
「どうして? ティアは何か、ユウの嫌なことしてる?」
俺は小さな声で
「い、嫌って訳じゃなくてだな……」
下手に否定すれば、一緒にいたくないという意味になってしまう。ティアを傷つけずに説得する言葉が思い付かず、俺は途方に暮れる。
「……物部くん、そういうのは、嫌じゃないんだ」
だが俺の発言は、さらなる誤解を生んでいた。俺たちの様子を眺めていたフィリルは、ポンと手を叩く。
「うん、やっぱり、ちゃんと喜んでくれることをしないと」
そう呟き、フィリルは俺の後ろに回り込んだ。
「え……? お、おい?」
「……えい」
何をする気かと身構えた俺の背中に、ふにゅんとフィリルの大きな胸が押し付けられる。
有り得ないほど柔らかく、
「な———」
もはや、何も言えない。
「……いーち、にーい、さーん、はい———おしまい」
フィリルは三秒を数えると、俺から体を離す。少しのぼせたのか、フィリルの顔は赤くなっていた。
「……私の心臓、すごくドキドキしてる。好きじゃなくてもこうなるって、知っててよかった」
自分の左胸を押さえ、ほぅと熱い吐息を漏らすフィリル。
「そうじゃないと私、勘違いしてたかも」
上気した顔でフィリルは呟き、俺に問いかける。
「……物部くん、嬉しかった?」
「いや、それは……まあ、どちらかと言えば、そりゃ嬉しいが……」
しどろもどろになりながら頷くと、フィリルは
「……よかった」
その表情にしばし
「旦那さまは、やっぱり胸が大きい方がいいの?」
頬を膨らませ、ティアは俺を上目遣いで睨む。
「別にそんなことは———っていうか、一旦ティアも離れてくれないか? そうじゃないと落ち着いて話もできない」
「や。さっき、ユウはティアがいること忘れてたの。だから、もう忘れられないようにぎゅーってしてるの!」
話しているうちに自然と声が大きくなる。だが、気付いた時にはもう手遅れだった。
「ティアさん? そこにいるんですか?」
岩の向こうから深月の声が響く。
俺とティアは、同時にびくりと肩を震わせた。
「あら、いつの間にかフィリルさんもいませんわね」
リーザもフィリルの不在に気付き、声を上げる。
「……しーっ」
フィリルは口元に指を当て、ジェスチャーで静かにしろと伝えた後、岩陰からゆっくりと出て行った。
「私なら、ここ。ティアさんと少し話してた」
「うん、ティアもいるの!」
ティアは名残惜しそうな表情をしながら俺から離れ、岩の向こうにいる深月に顔を見せる。
「そうですか……何となく兄さんの声も聞こえた気がしたんですけど」
深月の言葉に冷や汗が頬を伝う。
「……物部くんの声? 空耳じゃない?」
フィリルは
「怪しいですね。念のため確認してみましょうか」
バシャバシャと音を立てて近づいてくる深月。
———プルルルルルルルル。
しかし、脱衣所の方から電子音が聞こえて来て、深月の足音は止まった。
「緊急の呼び出しみたいですね」
深月はそう呟くと、脱衣所へと向かっていく。
(た、助かった……)
安堵の息を吐く俺に、戻ってきたティアが目を伏せて謝る。
「ごめんね、ユウ。約束破って、うるさくしちゃった」
「いや、俺の声も聞こえてたみたいだし、ティアのせいじゃないさ」
角の生えたティアの頭を
しかしいったい何の連絡だったのだろう。それが気になって聞き耳を立てていると、脱衣所から深月が戻って来る気配がした。
「———皆さん、重要なお知らせです」
深月はそう前置きして、言葉を続ける。
「ニブルが明朝、独自に準備を進めてきた作戦を決行するようです。その詳細はまだ分かりませんが、ニブルの示した成功予測確率は約九十パーセント。ほぼ確実に———バジリスクを仕留められるとのことでした」
いかがですか?次はニブルがバジリスク討伐に動き出します。お楽しみください。