食堂に入ってすぐに、僕は雰囲気が普段と違うことに気が付いた。
「何か、あったのでしょうか……」
深月さんも僕と同様に違和感を覚えたようで、辺りを見回す。
空気が張りつめており、妙に静かだ。
「ラウンジの方に、人がいっぱい集まってるよ」
イリスさんが大型テレビが設置されているラウンジを指差す。
原作を読んでいるので、人が集まっている理由を知っている。
「あまりいい予感がしませんが……行ってみましょう」
歩き出したリーザさんの後に、僕たちも続く。そして彼女の言う通りのことが起きていた。
ラウンジを囲む女性たちに近づくと、テレビの音声が聞こえてきた。
『———これについてどう思われますか?』
『そうですね……根本的な問題として、ニブルの強引な活動がこういった事態に繋がったのは間違いないでしょう』
ニブルという単語が入っていることから考えて、僕たちにとって無関係の話題ではなさそうだ。
少し背伸びをしてテレビを視界に収まると、画面にはニュースキャスターとコメンテーターたちが映っており、議論を交わしていた。
僕の横にはティアちゃんを肩車している悠。背の低いティアちゃんのためにしたのだろう。
テレビの方に向き直すと、コメンテーター同士による議論は一段落していた。
『それではもう一度、会見の様子をご覧いただきましょう』
画面が切り替わり、一人の少女が映し出された。
「え———」
ティアちゃんは上擦った声を漏らす。そう、テレビに映っているのは僕だけでなく、悠やティアちゃんの知っている人物がいた。
『大変な時期だというのに、私を受け入れてくださったこの国には、心から感謝しています』
長い黒髪と整った顔立ちの少女。彼女は画面の向こうから
「キーリ……」
ティアちゃんが震える声で彼女の名前を呼ぶ。
そう、彼女はキーリ・スルト・ムスペルヘイム。ドラゴン信奉者団体"ムスペルの子ら"のリーダー。災害指定を受け、ニブルに命を狙われている"D"だ。
およそ一ヶ月前、キーリは立川穂乃花と身分を偽ってミッドガルへ潜入し、ティアちゃんを連れ去ろうとした。
その後、姿をくらましていたキーリが、堂々とテレビに映っている。理由は知っている。
"黒"のヴリトラから自由になり、今は危険に晒されているからだ。そして助かる方法として、ミッドガルに保護を求めた。すなわち、僕たちを来させるためにテレビに映っているのだ。
テロ行為を行うような団体のリーダーが"D"であることは公表されていない。もしそんなことが世界中に知れ渡れば、"D"全体の信用を失うことになるからだ。
ゆえに彼女が犯罪者として報道されているのではなく、一人の"D"としてミッドガルに保護を求めているのだ。
『私、キーリは
そう発言したキーリに『その事情とは?』と記者が訊ねた。
『ニブルが、ミッドガルへの移送に介入してくる可能性が高いからです。ニブルはミッドガルの独立に最後まで反対し、"D"の人権が回復された現在でも私たちのことを化け物扱いしている組織。とても信用できません。皆さんは———彼らが密かにミッドガルへ送る"D"を選別しているという噂……ご存じですか?』
キーリを囲む記者たちにどよめきが走り、フラッシュが連続して
『もちろん本当かどうかは分かりません。けれど消息不明になった"D"がいるという話は、噂の真偽を調べ始めてから何度も聞きました。そのような組織に、私は一時たりとも身を委ねたくありません』
テレビを囲んでいるミッドガルの生徒たちは、ひそひそと
どこかから「やっぱり……」という声が漏れ聞こえてくる。
『けれど
重い声で画面の向こうからキーリが言う。
『かつてアスガルやニブルの要請を
「やっぱりか……」
こうなることを予想していた。僕はフィリルさんの方へ視線を向けると、彼女は呆然と食いつくように映像を見ていた。
『私はアスガルやニブルを介さず、エルリア公国からミッドガルへの直接移送を求めます。直接"D"の方々が迎えに来ていただけるのであれば、私は安心してこの身を委ねるつもりです。どうか———私を助けてください』
キーリは深々と頭を下げ、そこで映像は切り替わる。
スタジオのコメンテーターたちは、再び議論を始めるが、悠は訳が分からない様子だ。
キーリの実力はニブルの兵士たちを圧倒する強さを持っているが、僕はある存在を思い出す。今回の件に奴も来るだろう。
その存在はキーリを殺しかけるほどの手練れだ。危なくなったキーリは当初の目的通りにエルリア公国に保護を求め、僕たちを来させるために報道したのだろう。
だとすると、フィリルさんの両親が危ないと思うが、彼女の目的はあくまで僕たちであるため、心配する必要はない。
たぶん深月さんは教職員たちと会議を始め、明日の朝に対応を決めるだろう。
僕はラウンジを後にして、教室へ戻った。
◇
午後のチャイムが鳴っても深月さんは会議室にいる。五、六時間目の授業には篠宮先生の代理としてシャルロット・B・ロード学園長が現れた。
あの人は若い女性が好みであるため、入ってきた時から楽しそうに
「———ドラゴンに見染められた者のは
今は歴史の授業中なはずなのだが、少し大きめの白衣を羽織った少女は、"D"に関する最新のデータを得々と語り続けていた。黒板の上部に投影された箇所を指し示すのに、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
原作通り、学園長は医師免許を持っているが、本業は研究者のようだ。
「つまり"D"は自らの上位元素で生体変換を行い、ドラゴンへと変貌しているのではないかという仮説だ。しかしここで問題になるのは、人間の脳には生体変換を制御し、処理できるだけのスペックがないこと———」
神である僕は話の内容を聞いていても納得する。科学者の視点と神が推測する視点は大きく違うのでとても為になる。
今でも会議は行われているが、それは学園長の仕事ではなく、篠宮先生の仕事のようだ。つまり、立場的には学園長が上でも、ミッドガルを指揮するのは篠宮先生の役目である。
「足りないものは補うしかない。恐らく、"D"は竜化の際にドラゴンの脳と強くリンクし、膨大な処理能力を得ているのだろう。竜紋の変色時にドラゴンの意思を感じ取れたという証言も、この仮説を裏付けている」
シャルロット学園長はそう言って、イリスさんとティアちゃんに視線を向けた。彼女たちはそれぞれドラゴンに見初められ、その意思を感じ取っている。
「あの……」
そこでリーザさんが手を挙げた。
「うむ、どうした? 何か質問か?」
声を弾ませ、リーザさんに問いかける学園長。
「はい、その仮説にはとても説得力があると思いますが……そうなるとキーリ・スルト・ムスペルヘイムは、どうして生体変換を使用できるのでしょう?」
リーザさんの疑問は当然だ。彼女が生体変換であっという間に傷を治すところを、悠たちは目にしている。
先ほどキーリの姿を見たことで、リーザさんはそのことを思い出したのだろう。
「そうだな———可能性は二つある」
学園長は指を二本立てて言う。
「二つ、ですか?」
「ああ、一つは
どうやら学園長はキーリの正体に一歩近づいたようだ。前者は違うが、後者は合っている。
「人間ではない……? それは彼女が"D"ですらない可能性があるということですか?」
驚きの声を上げるリーザさんだが、シャルロット学園長は平然とした顔で頷く。
「何の補助もなく、そなたら"D"には不可能なことができるとしたら———それは
淡々とした口調で学園長は告げる。
みんなは言葉を失ったようで、静まり返った。そんなことを聞けば誰でも驚くが、僕は彼女の正体を知っているため、学園長と同じで驚きもしない。
すると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「おお、もう刻限か。やはり美しい乙女たちの視線を一身に浴びて授業するのは、とても楽しいものだ。時があっという間に過ぎてしまう」
やはり楽しい理由はそれだったようで、今は残念そうに呟く学園長。
「———名残惜しいが、今日の授業はこれで終わりだ。号令を」
「は、はい———起立」
深月さんがいないため、リーザさんが号令をかける。
「礼」
「ではな」
靴音を響かせて学園長は教室を出ようとするが、扉を開ける直前に動きを止め、僕たちの方を向く。
「物部悠、大島亮、少し用がある。こちらへ来い」
「え?」
「はい、分かりました……」
学園長に呼ばれて僕たちは廊下へ出る。
「物部悠、竜紋を見せてみろ」
そう問われた悠は右手の甲を見せる。
「———特に異常はないですよ」
学園長の目的はドラゴンの能力を受け継いだかどうかだろう。ドラゴンを討伐することで、その能力を手にすることができる。
二年前、深月さんは"紫"のクラーケンを討伐して反物質とミスリルを生成できるようになっている。二ヶ月以上前に"白"のリヴァイアサンを倒したことで、悠は反重力物質を生成することができる。
バジリスク討伐から一週間は経っているのでブリュンヒルデ教室の生徒たちの誰かに受け継がれているかもしれない。
そのため学園長は最初に僕たちを呼び出したのかもしれない。
「ふむ……そのようだな。大島亮はどうだ?」
学園長は僕に聞いてきた。
「僕は創造と破壊を司る神ですよ。その気になれば反重力物質やバジリスクの能力くらいできますよ。それに能力の干渉ができないようにしてるんで僕は大丈夫ですよ」
「……そうだったな。悪かった」
学園長は僕が神であることを忘れていたようで、僕に謝った。
「けど、もしかしたら深月さんたちの誰かが使えるようになってるかもしれないな」
僕はバジリスクの権能を受け継いでいる生徒を知っている。本人は気づいていない。僕はあえて教えなかった。
「そうか……その可能性もあるな。まあ、いずれ分かることだ。二人共、十分に注意してくれ」
「分かりました」
「はいよ」
悠と僕は学園長に返事をした。力の暴走や事故を招く可能性があるため、些細な異常も見逃さないようにしよう。
「よし、では最後に———少し腰を落とせ」
目的は分からないが、僕と悠はしゃがんで姿勢を低くする。
すると学園長は僕たちの頭にポンと手を置いた。
「物部悠、大島亮、よくやった。一人も犠牲を出さずにバジリスクを討てたのは、そなたらの働きあってのことだ」
小さな手で撫でられ、何だか恥ずかしくなってくる。
「ちょっ!? 学園長いきなりなんすか?」
「ん? そなたらを褒めているのだが……これでは不満か?」
「い、いや、それはその……」
「まあ、不満ではないですが……」
「ならばありがたく受け取っておけ。私が男を
学園長は僕と悠の頭をわしゃわしゃと掻き回した後、笑いながら去って行った。
「いったい何だったんだ?」
「僕までされるなんて……ミッドガルでは生徒でも、立場は神だそ?」
僕たちは教室に戻ると、帰りの支度をしていた皆が目を丸くする。
「物部くんと大島くん、髪ぼさぼさ。ふふっ……変なの」
今日一日ずっと暗い顔をしていたフィリルさんがくすりと笑う。
僕はそれを見て、少しだけ学園長に感謝する。
◇
時計塔一階の第一会議室に僕たちブリュンヒルデ教室の面々が集まっていた。
女子寮から少し離れた深月さんの宿舎で悠と食事をしていると、学園から支給された携帯端末から連絡があり、ここに来るように書かれていた。
悠と共に第一会議室へ行くと、もう既にリーザさんたちが勢揃いしており、そこには深月さんや篠宮先生の姿も居た。
深月さんの宿舎は女子寮より遠いため、僕たちが皆を待たせてしまった。
今回召集が掛かったのはたぶんキーリのことだろう。
皆が揃うと篠宮先生が口を開いた。
「———全員集まったようなので、話を始める。レン・ミヤザワ、そろそろ起きろ」
「ん……」
レンちゃんは目を擦りながら、顔を上げた。
「このような時間に呼び出しをかけてすまない。急な話になるが———明朝六時、君たちにはエルリア公国へ出立してもらいたい」
やはり原作通りに事が進んでいる。皆、呆気に取られた表情で篠宮先生を見つめている。
「現在エルリア公国に滞在中のキーリ・スルト・ムスペルヘイムは、ミッドガルの保護を求めている。それも"D"による迎えをだ。そのメンバーとして私は君たちを選んだ」
篠宮先生はそう言って、僕たち一同を順番に見つめた。
「彼女との交戦経験がある物部悠とリーザ・ハイウォーカー、さらに奴が来ることを想定して罠を仕掛けた大島亮。縁の深いティア・ライトニング。
「ちょ、ちょっと待ってください! 篠宮先生は彼女を再びミッドガルに招き入れると
リーザさんが信じられないという様子で声を上げる。
たしかに当然だ。キーリはミッドガルに莫大な被害をもたらした。そんな人物を迎えに行くなど、自殺行為に等しい。
「言いたいことは分かる。だが、あれだけ大々的に彼女のメッセージが世界に発信されてしまった以上、ミッドガルは人道的な対応をせざるを得ないのだ」
「けれど、彼女はテロリストなんですよ!?」
「彼女をテロリストだと暴けば"D"全体の信用失墜を招く。ニブルもこれまでの行いを隠匿するため、災害指定者の存在は公表しないのだろう。つまり———私たちは彼女を犯罪者として扱うことができないのだよ」
「だ、だとしても……この対応が正解だと思えません!」
必死に食い下がるリーザさん。誰よりも仲間を———家族を大切にするリーザさんだからこそ、危険分子を内側に入れることが許容できないのだろう。
「そうだな———確かに正解ではない。しかし表向きは、こう動くしかないのだ。ゆえに調整は後で行う」
「後……?」
「ああ、エルリア公国から彼女を連れ出した後だ。ミッドガルで生活するのならば、多くの自由を制限させてもらうことを告げ、それが受け入れられなければ、———災害指定に関する情報を口外しないことを条件に解放する」
「自由の制限は妥当ですが……交渉が決裂した時、解放してしまっていいのですか?」
眉を寄せリーザさんは訊ねる。確かに解放することには心配になるだろう。
「ミッドガルは"D"を守るための組織だ。たとえ災害指定者であろうと、私たちは彼女を討つ理由も、義務もない。何より君たちに
篠宮先生の返答を聞いたリーザさんは口を
人殺し———その言葉は、それだけで重い。
「他に質問がなければ、話を続けるぞ。"D"がミッドガルの領海外に出ることは禁じられているが、今回は特例として五日間の越境許可が得られた。その間に私たちはエルリア公国に赴き、キーリ・スルト・ムスペルヘイムと接触をする」
五日ということは、たぶん葬儀でもあるのだろう。僕たちも出席するに違いない。
「エルリア公国は明後日から三日間、アルバート王の葬儀が大々的に行われていることになっていてな。彼女は最終的に献花に参加することを、メディアに公言している。だから彼女を移送するのは、葬儀を終わってからだ。君たちはそれまで彼女の護衛を務めて欲しい」
「護衛……ですか?」
これまで黙って聞いていた深月さんが問いかてきた。
「ニブルは恐らく彼女を狙っている。けれどエルリア公国にいる間の彼女は、あくまで助けを求めている一人の"D"だ。少なくとも彼女と交渉を行うまで、殺させるわけにはいかない」
キーリが簡単に殺されることはないだろうが、僕は悠の上官が送り込む刺客が来ることを知っている。
篠宮先生は万が一の事が起きることを想定しているのだろう。
「明日に備えて急いで準備をしなければいけませんね……兄さん、荷造りを手伝って貰えますか?」
「ああ、いいぞ」
深月さんは悠に頼んできた。元々こうなることを知っていたので、準備は万端だ。
(一ヶ月後にな)
キーリがミッドガルから去る前に言ったことを思い出していた。
こうして会議は終わり、深月さんの宿舎へ戻った。