"神界"から帰ってきた僕は、杖の先端にある丸い球体に映し出されるいろんな国の風景を見ていた。
一ヶ月分先の仕事を終わらせた僕は、エルリア公国には行かずに自分の家に泊まろうと思ったが、第四世界の"世界神"エドワードさんの家が騒がしかった。
エドワードの奥さんとまた喧嘩しているようで、当分は続きそうだったので家には帰らずそのままエルリアの宮殿に戻ってきた。
今は空間の歪みが発生してないかを調べている最中だ。ここ二週間で歪みが起きたのは一回だけ。いつもは一週間に十回以上は必ずある現象だが、ほとんどないのはおかしい。
(……何かあったのか?)
たまにこの現象が減ることはあるが、ほとんどないことは絶対にない。
僕はいろんな国のあらゆる場所を映し出し、歪みが発生しているか探している。
どんなに探しても見つからず、杖を壁に傾けて椅子に腰掛ける。
この件は既に神官様たちが調べているが、原因は未だに分かっていない。天井を見上げて息を吐く。
すると、近くから人の"気"を感じた。悠や深月さんの"気"ではなく、知っている奴の力だった。
携帯端末で時間を見ると、午前六時ちょうどだ。悠たちは時差の関係でまだ眠っている。ということはあの女性で間違いない。
僕は椅子に座ったまま、扉の方を向いた。勝手に入ってくると予想していると、ドアノブがガチャッと音を鳴らし、扉が開く。
扉が開く音が部屋中に響き渡り、入ってきたのは今回の任務の発端となった"D"キーリ・スルト・ムスペルヘイムだ。
「あら、起きてたのね」
キーリは僕が椅子に腰掛けているのを見ると微笑んだ。
「ああ、部屋に来ることは分かっていたからな」
「あら、そうなの?」
「……どこでもいいからとりあえず座ったらどうだ? 紅茶とコーヒー、どっちを飲む?」
「いいの? じゃあ、お言葉に甘えて紅茶をお願いするわ」
そう言ってキーリは僕の近くまで来て、ベッドに座ってきた。
「はいよ、熱いからな」
僕は杖を手にして紅茶の入ったコップを作り、キーリに差し出した。流石のキーリもそれには驚いた。
「びっくりした、
キーリはそう言って僕を珍しい物を見るかのような眼差しを向けている。僕は気にせず自分の分の紅茶とコップを作り、一口飲む。
「やっぱり只者ではないようね。"D"じゃないみたいだし、何者なの?」
どうやらキーリは僕の正体に気付いてないようだ。"黒"のヴリトラから聞いてないのだろうか。
「そんなに気になるのか?」
「当然よ、こんなことができる人間なんて見たことがないわ。逆に気にならない方がおかしいわ」
キーリは当然のことを言ってきた。確かにその通りだ。気にしない方がおかしいが、この世界の人間は"D"だと勘違いするだろう。しかしキーリは僕が上位元素を使用せずに物質を作り出したことに、僕が"D"ではないことを確信する。
「そうだろうな。正体を明かすことは今はできないが、言えることは話すとしようか」
僕はコップをテーブルに置き、僕の力を話した。神であることをバラすといろいろと面倒なことになるので"気"のことだけを話した。
キーリは僕の話に興味深々に聞き、実際にその力を見たいと行ってきたので、"気"を具現化して見せると、さらに興味を持ったようで質問してきた。
人間が発するエネルギーである"気"をいろいろと教えると、キーリも自分の能力を明かしてきた。
話は盛り上がり、あっという間に時間が過ぎてしまった。
「なかなか面白かったわ。人の流れる力をあなたは"気"と言うのね。もっと知りたくなったわ」
「そう言ってもらえると嬉しくなるよ。この話はミッドガルに戻ってからにしよう」
キーリはアスガルやニブルでは災害指定された"D"ではあるが、割といい奴だ。原作を読んでいるので知ってはいたが、実際に話すといろいろと盛り上がる。
「お代わりはいるか?」
僕は杖を手にしてキーリの持っているコップに近づける。
「やめておくわ、もうすぐ朝食だもの。お腹いっぱいになってしまうわ」
キーリは手にしていたコップを僕に返してきた。
「それもそうだな」
コップを受け取り、テーブルに置いてある僕の分も一緒に先端にある球体の中に入れた。
「じゃあ本題に入るのか?」
「そうね、悠も起きてくるからそろそろ聞こうかしら」
そう言ってキーリは真剣な表情で僕の方に目を向けた。
「……どうしてお母様のことを知ってるのかしら? そのことは絶対に知られてないはずよ」
お母様。つまり"黒"のヴリトラのことである。キーリはヴリトラの上位元素によって作られた存在であり、"青"のヘカトンケイルも奴が作り出したのだ。
そのことは本人たちでしか知らないことだが、僕は原作を読んでおり、知識は豊富なため、キーリやヴリトラのことはなんでも知っている。
「どうしてだろうな……ノーコメントだ」
僕はいやらしい笑みを浮かべてキーリを見つめた。キーリは僕の表情を見ると、ハァ〜ッと息を吐いた。
「そう、言えないのね」
「いつか言うよ。でも今は時期が早い。深月さんたちもいずれ知るだろうな。まあ、悠に至ってはすぐに知るかもしれないけど」
「悠が?」
キーリは不思議そうに首を傾けた。僕は手にしていた杖を壁に傾け、再びキーリの方を向いた。
「ああ、それに君は回りくどい言い方をするけど自分の正体を明かすだろ?」
「……そうね、彼になら知ってもらいたいと思うわ」
キーリはほんの僅かに頬を染める。やっぱりこの頃からだろう。本人はこれが感情だと気付いてないみたいだ。
「つまり恋だな」
「えっ!?」
僕の言葉を聞いたキーリは驚き、さらに顔を赤くする。
「だってそうだろ? 異性の相手に自分のことを知ってもらいたいなんて恋以外ないだろ?」
「それは……」
キーリは視線を逸らしながら黙り込む。悠をからかうのは楽しいが、異性をからかうのはヤバイと思ってきた。
このことを第七世界の"世界神"八重さんに知られたら間違いなく説教を受けることになる。
からかうのはその辺にして、杖を仕舞った。
「まあ、そんなことは置いといて、
キーリの竜紋が"黒"のヴリトラによって改造されたことは知っていたので話を切り出すと、キーリはそのことも知っているのかと言う顔で僕を見た。
「何でも知ってる訳じゃないけど、ある程度は知ってるからな」
「そう、じゃあ悠と一緒に守ってくれるかしら?」
竜紋が変化したことで何が起きるのかは知っている。キーリは僕に問いかけてきた。
「まあ、仲間なら構わず助けるがな。でも必要ならいつでも言ってくれ。悠も必死になって君を守るだろう」
僕はそう断言すると、キーリは安心した表情をする。
「嬉しいわ、その時はお願いね」
それからいろいろと話しながら、僕たちは部屋を出て食堂に向かった。
◇
朝食後、僕たちは予定通り観光に向かった。
リムジンでの移動はさすがに目立ちすぎるため、ヘレンさんに手配してもらった大型のバンで王宮を出る。
運転手は篠宮先生で、道案内のためにフィリルさんは助手席に座った。
バン後部の広いスペースには、キーリを含めた九人が対面で腰を下ろしている。深月さんたちは昨日のようなドレス姿ではなく、制服の上に防寒着を羽織った格好だ。
ちなみに僕は制服のままだ。"気"を
車内の空気はお世辞にも和やかとは言えない。その原因はやはりキーリだ。
襲撃者と、キーリ自身を警戒しなければならないため、皆の表情は固い。その中でも特に緊張しているのがティアちゃんで、彼女は悠とリーザさんの間に座って、二人の手をぎゅっと握りしめていた。
僕も立場としてキーリを警戒する側ではあるのだが、朝はいろんな話で盛り上がり、正直仲良くなった。
本当は朝みたいに話したいが、空気を読んで目を閉じている。
「———この国一番の観光スポットはエルリア城だけど、そこは後の式典で行くことになるし、他のところから案内するね」
助手席のフィリルさんが後ろを振り返って言う。
車は湖に掛かる橋を渡り、町の方へと向かっていた。
「まずはどこに連れて行ってくれるんだ?」
張りつめた空気を少しでも緩和させようと、悠が明るい声で問いかけた。
「……エルリアの
ぐっと親指を立てて答えるフィリルさん。自信ありげな様子だ。
橋を渡りきった車は、湖を沿う大通りを走って行く。町は昨日よりも活気に満ちており、歩道はたくさんの人達で
「———ずいぶんと賑わっているわね。あなたたちも怖い顔してないで、もっと楽しみましょう」
窓から景色を眺めていたキーリが、車内に視線を戻して話しかけてくる。
「それはなかなか、難しい注文ですわ。あなた、自分がしたことを忘れたんですの?」
だが、リーザさんは
「そういえば……ティアを連れて行こうとした時に、あなたとは戦ったわね。殺すつもりはなかったけれど、怪我をさせてしまったことは謝るわ」
キーリはリーザさんの方を向いて、申し訳ないように謝る。
「あんな怪我、大したことはありません。謝罪するくらいなら、今度こそわたくしたちを裏切らないと誓ってください。わたくしが一番恐れているのは、仲間の誰かが傷つけられることです」
「いいわよ、約束してあげる。今の私に、あなたたちに危害を加える理由はないもの。でも……こう言ったところで、あなたは安心できる?」
皮肉を交えた言葉でキーリは答える。
「もっと真剣に応じてくれるのであれば、少しは安心できるかもしれませんが……今は無理ですわね」
「そう、残念。私はこれでも真剣なつもりなんだけど、伝わらないものね」
「当然だ、あんだけの事をしたんだ。表面上に誠意を見せても伝わるはずがない」
僕はキーリの言葉に続けて言う。
「あら、あなたも信用してないの?」
「いや、そんなことはない。だが馬鹿な真似はするなよ。僕が黙ってないからな」
「分かっているわ。あなたには信じてもらえてるみたいだし」
キーリは肩を
「ねえ、ティアも信じてくれるかしら? 私はこれまで、あなたのことだけは一度も傷つかなかったでしょう?」
「そうだけど……ティアの大事な人には、いっぱいひどいことをしたの」
その返事を聞いたキーリは、僕たち全員を見回し、呆れ混じりの笑みを
「———あなたたちは皆、自分のことより他人の心配をしているのね」
「他人ではなく、家族ですわ。家族ですから、心配するんです」
リーザさんがキーリの言葉を訂正した。
「仲間意識が強いのね。羨ましいわ。私も頼めば、その輪に加えてくれるのかしら」
「……あなたが本当に、心からそれを望んでいるのなら、考えてあげますわ」
キーリを睨みつけながらも、リーザさんは条件付きで肯定の返事をする。
「お人
僕はキーリの正体を知っているので、その言葉に対して何かを言おうとすると、キーリは溜息を吐きながら、再びティアちゃんへ視線を向けた。
「実を言うと、結構ショックだったのよ? ずっと私のことを信じて、従ってくれていたあなたが、たった数日で心変わりするなんて思ってなかったわ」
「あ……」
ティアちゃんは何かに気付いた様子で目を見開く。
「ティア……キーリのこと、傷つけたの?」
「ふふ———そうね、それなりに寂しかったわね。今思えば……あなたに角を与えたのは、少しでも私に近い存在が欲しいと思ったからかもしれない」
自嘲気味に笑って、キーリは肩を竦める。その言葉は本音だ。ティアちゃんに角を与えた本当の理由は違うが、自分に近い存在が欲しいというのは無意識に思っていたはずだ。
「あ、あの……」
するとそれまで黙っていたイリスさんが、声を上げる。
「あなたは確か———イリスさんだったわね。何かしら?」
「さっきの言い方だと……キーリちゃんも、昔のティアちゃんみたいに自分のことをドラゴンだって思ってるの?」
「キーリちゃん!?」
イリスさんからの呼称に戸惑いを浮かべるキーリだったが、すぐに感情を押し隠して、言葉を続ける。
「……ミッドガルの保護を求めている以上、さすがに自分をドラゴンだとは言わないわ。けど、あなたたちと違うのも事実。私が何者なのかは、彼に聞いてくれない?」
キーリはそう言って悠を示す。
「モノノベに? 何で?」
きょとんとした顔で、イリスさんは首を傾げる。
「ミッドガルを去る時、彼にお願いしたのよ。"私が何者か、決めてくれない"———って」
そういえば原作でもそんなことを言っていたと思い出す。
「キーリ、お前は……」
「その様子だと、まだ答えは貰えないみたいね。まあいいわ———私はいつまでも、待ってるから」
キーリは残念そうに呟き、肩を竦める。
「……どういうこと?」
「あくまで彼女は、本当のことを話すつもりがないのでしょう」
リーザさんが
しかし、キーリは回りくどい言い方をしているだけで、本当のことは言っている。
「そうだ、あなたは私をどう思う?」
すると、キーリは僕の方に視線を向けて話しかけてきた。
「……想像にお任せする」
「あら、つれないわね」
ここで僕が人間だと言っても、彼女はそれを認めようとはしない。ならば好意を抱いている悠が直接言うことで自分が何者かを向き合おうとするだろう。
あと少しで目的地に着くようで、たくさんの人間の"気"を感じていた。
いかがでしょうか? 五日間、家庭の事情によりお休みします。大変申し訳ありません。気長にお待ちください。