夜明け前の町を、俺はフィリルと二人で歩く。
空気はとても冷たいが、防寒対策はしっかりしてきたので問題ない。フィリルは暖かそうなコートともこもこした生地の帽子を
目的地は
俺たちは王宮から徒歩で、大瀑布へと向かっていた。
「……仕掛けてくるかな」
フィリルが白い息を吐き出し、抑えた声で問いかけてくる。
「
俺はポケットに手を入れ、雲の多い空を見上げながら答える。神である亮は人の気配を広範囲に察知できるため、アイツが見られていたと言うなら本当だろう。
「もし何も起こらなかったら、これ……ただのデートだね」
フィリルが俺の方を見て呟く。
「それならそれで、悪くないだろ」
「……うん、そうかも」
くすりと小さく笑い、頷くフィリル。
「ねえ、物部くん?」
「何だ?」
「デートなら……手、
フィリルはコートのポケットから手を入れ、そんなことを言い出す。
「え? い、いや、それは……」
俺は焦りながら周囲を見回した。
自身もニブルに狙われているキーリだけは王宮に居残りだが、他の皆は離れた場所から俺たちを監視している。戦闘になった場合は俺の援護はせず、フィリルを遠距離から守るよう頼んであった。
その中には当然イリスもいるので、彼女の目を気にしてしまう。
「ダメ?」
けれどフィリルの瞳が心細そうに揺れているのを見て、俺は諦めの息を吐く。
「ダメじゃないが———手、冷えるぞ?」
「じゃ、こうする」
フィリルは俺のポケットに手を突っ込み、指を絡める。
「お、おい」
「……これなら、あったかい」
微かに頬を染め、彼女は笑う。
「う……」
どうしようもなく照れ臭くなって、俺は視線を
もし亮にバレたらからかうだろう。
東の
「私、男の子とデートするの、初めて」
「まあ、お姫様だもんな。俺も初めてだ」
もしかしたら覚えてないだけで、小さい頃にしたのかもしれない。
「そうなんだ……一緒だね。そんな私を誘ったんだから、物部くんは……王子様になる覚悟、あるんだよね?」
首を傾げ、
「な———お、王子様?」
俺は予想外の言葉を聞き、動揺する。
「ないの?」
ポケットの中でぎゅっと手を握り、体を寄せてくるフィリル。柔らかな胸が腕に触れた。
「フィ、フィリル……」
彼女がどこまで本気か分からず、俺は戸惑う。
「これが最後かもしれないから、今だけ王子様になってくれると……嬉しいな」
俺の肩に頭を預け、フィリルは震える声で
それを聞いて俺は、彼女がただ不安で、
「最後じゃない。俺が絶対に何とかする。だからそんな諦めたようなことを言うな」
彼女の手を握り返し、俺は強い口調で宣言した。
「うん……そうだね、ごめん。物部くんに励まされると、本当に何とかなる気がしてくる。でも……」
フィリルは表情を
「今の物部くん、お
「同じ顔?」
俺が聞き返すと、フィリルはこくんと頷く。
「守るって、決めた顔。守ってくれるって、信じられる顔。でも———すごく一方通行な感じがする、そんな顔」
俺の顔から目を離さず、フィリルは言葉を防いだ。
「…………」
心の内を見透かされた俺は、視線を逸らした口を
「物部くんは、私のために何をしようとしているの?」
フィリルは心配そうな表情で問いかけてくる。
「———大したことじゃない。ただ、やれることをやるだけだ」
「そう、やっぱり私の言葉は届かないんだね。お爺様の時と、同じ」
悲しそうに呟いたフィリルは、白い吐息を風に流す。
「…………」
再び沈黙を返した。何と言えばいいのか、分からない。
「いいよ、分かった。今は物部くんに、一方的に守ってもらう。でも、今日を人間のままで生き延びられたら……やり返すね」
「え?」
思いがけぬ言葉に驚き、フィリルの方を見ると、強い眼差しに射抜かれる。
「一方的に、やり返すから……覚悟、してて」
強気な笑みを浮かべて告げるフィリル。
冷や汗が頬を伝うが、彼女が明日のことを考えてくれるのは———悪くない。
たとえそれが俺にとって、苦難の日々だとしても。
「ああ、お手柔らかに頼む」
フィリルの瞳を見つめながら微笑み返す。
「うん、そうする」
彼女は表情を変えぬまま、こくんと頷く。
———チリッ。
その時、首筋が微かに
まるで針のような、鋭く細い殺気。
俺は瞬時に意識を切り替える。自我を深く沈め、代わりに無意識の怪物———俺の内に眠る"
殺意の線は、俺ではなくフィリルに向かって伸びていた。
対物装甲———ダマスカス09P。
ギィィィン!
フィリルの眉間を狙って放たれた弾丸を、小さな装甲板で弾き飛ばす。
「え!?」
目の前で散った火花に、驚くフィリル。
「心配ない。すぐに終わらせる」
俺はフィリルを安心させるために、優しく微笑みかけた。
「あ……う、うん」
微かに頬を染め、フィリルは頷く。
そして俺は一歩前に出て、銃弾が放たれた方向へ視線を向けた。
———ガチャン。
一つ先の角から"彼"が現れた。
コートの下に銀色の装甲服を
昨夜、俺は彼に圧倒された。けれど今は、
俺の中に、もう
それはきっと、俺がこれからとても大切なものを失おうとしているからだろう。
忘れることが怖い。どうしようもなく恐ろしい。俺の中にはまだ、恐怖の感情がこんなにも残っている。
この恐怖に———失うことに比べれば、変わることなど恐れるに値しない。
かつてないほどに、意識が鋭く澄み渡る。
背後にいるフィリルの息遣いと、彼女を包む風の流れ。複数の場所から向けられている鋭い視線。
第六感も含めたあらゆる感覚が拡大し、まるで世界を支配しているかのような全能感に満たされる。
すると体から力が
何かを纏っているような感覚だ。
「俺がいる限り、フィリルには指一本触れさせない。向かってくるなら、殺して止める」
俺は静かに宣言した。フレイズマルは、殺気をもって俺に応える。
昨夜の焼き直しのように、コートの内側からノーモーションで放たれるナイフ。
だが今の俺には、彼の行動が手に取るように予測できる。彼を
俺は身を
対甲兵器———エンリル。
そして空いた右手に対装甲兵用の銃を生成。エンリルを構えると、フレイズマルが次に動く行動が分かる。
俺は振動弾をを撃ち放つ。いつものように撃っても、見切られると感じた俺は少し軌道を晒して数発放つ。
するとフレイズマルは銃弾を
フレイズマルは膝を突き、俺を睨む。
どうやら全ての振動弾を喰らったようだ。
常人なら一発目が命中した時点で
何故か彼が動きが理解できる。どう攻撃すれば相手に有効なのかが手に取るように分かる。
左腕を見ると、微かに蒼い光が包み込んでいた。体を確かめるとどうやら蒼い光を
まるで亮が変身した状態の様な気がする。もしかしたら、"
そう思っていると、フレイズマルが立ち上がり、コートの内側からナイフを取り出し俺に向けて
それに気付き、銃を構えて引き金を引く。
銃声と同時に、耳障りな金属音が響き渡る。
銃弾と激突したナイフが、くるくると空高く舞い上がる。
続いての二射目———フレイズマルと俺の発砲音が重なる。
彼の放った弾丸を、今度は振動弾で
二連続する激突音。一つ目は振動弾が弾丸を弾いた音で、二つ目はそのまま直進した振動弾が彼の銃に命中した音。
フレイズマルの持つ銃が明後日の方向に吹き飛び、伝わった振動が彼の姿勢を崩す。
俺はその隙を見逃さず、エンリルの残弾全てを至近距離から撃ち込んだ。
乾いた発砲音が何度も鳴り響く。
命中した振動弾はコートを千切り飛ばし、彼の体を大きくのけぞる。
しかし彼は再び踏み止まる。さすがにそれだけで倒すのは難しいが、ノーダメージではない。
それだけで、十分。彼は今、俺の前に命を晒していた。人殺しの"悪竜"はそよ隙を逃すことなく喰らいつき、牙を突き立てる。
対物兵装———イシュタル。
俺はエンリルを手放し、本来狙撃に用いる対物ライフルを物質変換しで作り出す。
(じゃあな、フレイズマル)
俺は胸の内で別れを告げた。
彼の本当の名も、顔も、声も、俺は知らない。けれど魅入ってしまうほどに強かった男のことを、俺が初めて殺すことになる人間の姿を心に刻む。
俺は長大な銃身をフレイズマルの左胸に突き立て、
重い銃声が
———ボンッ!
装甲服の内側から、蒸気のような白い煙が凄まじい勢いで吹き出した。
「くっ!?」
視線を煙で覆われた俺は、イシュタルを手放してフレイズマルから距離を取る。もしかしたら忍ばせていた煙幕弾を撃ち抜いてしまったのかもしれない。
今の一撃には確かな手ごたえを感じていたが、俺は彼の反撃に備えて間合いを保ち、煙が晴れるのを待った。
静まり帰った
地面に横たわり、ぴくりとも動かない。
装甲の前面は先ほどの爆発のせいか、大きく内側から割れていた。
「……?」
違和感を覚え、慎重に彼に近づく。そして———俺は装甲服の中が既に空っぽなのを目をした。
「逃げた……のか?」
俺はその光景を見て呟く。煙の中から誰かが去る気配など感じられなかった。装甲の裂け口から見ても、中から出るのは少し難しいように思える。
けれど———それ以外には考えられない。まさか
フレイズマルから俺に悟られることなく、撤退することができてもおかしくない。深手を負わせたのは間違いないので、撃退したと考えていいはずだ。
「ふぅ……」
結果的にではあるが、人を殺さずに済んで微かに
あと、残る問題は———。
「スレイプニル! お前たちがいるのは分かっている!」
気配を殺して見ているようだが、亮の察知能力のようにどこで見ているのかが手に取るように分かる。
彼らの役割は監視と事後処理。だからここまでは手を出してこなかったが、フレイズマルが敗れた場合にどんな行動を指示されているかは分からない。
「見ての通り、フレイズマルは倒した! お前たちはさっさとこれを片付けて撤退しろ!」
俺は腕でフレイズマルの装甲服を示し、言葉を続けた。
「もしお前たちもフィリルを狙うと言うなら、容赦しない。死にたい奴だけ、掛かってこい」
そう言い捨て、俺はフィリルの元へ戻る。
「物部くん。守ってくれて、ありがとう。その……カッコよかった」
フィリルはどこかぼうっとした顔で俺を見つめ、感謝の言葉を告げた。
「礼を言うのは、まだ早い。本番はこれからだ」
俺はそう言ってフィリルと共に、目的地である
スレイプニルが攻撃して転じることなく監視を続けた場合でも、俺は彼らを無力化するつもりでいた。
ふと体を見ると、まだ蒼い光が俺を纏っていたが、フィリルは俺の状態に何の疑問もない表情を浮かべていた。
どうやら俺の状態に気付いてないかもしれない。亮なら何か知ってるかもしれないと思い、戻ったら聞こうと思う。
しかし今はフレスベルグ戦に集中するため、不安要素はここで全て取り除いておかなければならない。
気を緩めることなく、足を進める。
しばらく進んでから振り向くと———フレイズマルの装甲服はなくなっており、スレイプニルの気配も消えていた。
どうやら、
これでやるべきことは、あと一つ。
俺の全てを懸けて———"黄"のフレスベルグを倒すことだけだ。
国語も苦手ですので、文法も間違っていたら指摘してください。