放課後、僕は"神界"で悠とリーザさんの様子を見ていた。
原作では第五巻で、リーザさんがメインの物語である。今回悠は彼女にユグドラシルとの契約を話す筈だ。
リーザさんはハイウォーカー・グループという多数の企業を傘下に収める大財閥の令嬢である。
ミッドガルの大口スポンサーでもあり、グループ傘下にはニブルの兵器を生産している企業もある。
彼女は将来を約束された人間で、原作と同じで両親から婚約者を決めるように言われているようで、しかも
大財閥の娘として生まれた時点での宿命らしく、リーザさんは婚約者の選択を少しでも先延ばしにしたいようだ。
彼女も悩んでいるようで、悠の悩みを解決する代わりに恋人の"振り"をしてほしいと頼むようで、最終的に悠は同意する。
ここで悠はリーザさんにユグドラシルとの契約を話すのだ。難しい難題ではあるが、彼女は悠のために引き受けてくれる。
しかし彼女が何故悠に頼むかは知っている。今は気付いてはいないが、彼に好意を抱いているからだ。
悠が入学してから厳しく接していたが、徐々に悠を仲間として受け入れ、今では恋心を抱くようになっていた。
本人はツンデレなため、認めようとはしなかったが、
本当は覗くつもりはなかった。本来、原作ではイリスさんの見舞いに行った時に、誰かに協力を依頼するようにイリスさんから言われるが、そんな展開は起こらなかったので、原作通りに動いているか心配になっていた。
しかし、そんな心配は無駄だった。僕は杖の先端にある球体を画面にして悠たちの様子を映し出して見ていたので、電源を切って書類仕事を始める。
最近、歪みが全ての世界で再び出現するようになったが、突然消えるという現象が起こっていた。
調査に向かっていた第十一世界の"世界神"小早川恵さんは、神の仕業だと推測している。
実際、そんなことができるのは"世界神"だけであるが、僕を含めた先輩たちはここ最近歪みを修正していない。
誰の仕業か分からないので、僕たちは他の世界に行って調査をしなければならない。
今のところ、僕が担当する第十二世界はまだ歪みが起こっていない。
悠とリーザさんのやり取りを見る前にも確認したが、出現してなかった。
僕は書類仕事をしながら今回の件を考える。
「亮さん、そろそろ行きますよ」
第五世界の"世界神"生駒八代さんが近づいてきた。
「すぐに終わらせますので先に行ってください」
僕は手を休めずに八代さんに伝える。
「では私も手伝いますので書類を分けてください」
八代さんは自分の仕事をすぐに終わらせてから、他の神の仕事を手伝ってくれる優しい神様だ。しかし生真面目すぎるのがたまに傷だが。
しかし、頼りになるので見習いの頃から色々とお世話になっている。
最近は同じ世界を担当している"山の神"レベッカさんに好意を寄せているようで、仕事を終わらせた後は
もちろん誘っているのは八代さんで、生真面目さは少し治ってきている。
「亮さん、そちらの世界では歪みは未だに発生していないようですね」
書類を作成しながら八代さんが今回の件について話しかけてきた。
「そうですね……原因を突き止めてますが、まだ分かってはいません」
「自然現象ですから原因は私たちでも分かりませんよ」
「そうですが、第五世界では大量発生していると聞きますよ。何かあるのではないかと僕は思います」
八代さんが担当する第五世界では、十二の世界の中で歪みがたくさん発生しているようだ。
今のところ僕と八代さんが担当している世界では、突如歪みが消えるという現象は起こっていない。
八代さんはこの機会に原因を突き止めるつもりで僕を誘ってくれたのだ。
「本当にすみません。書類仕事を手伝わせてしまって」
「お気になさらず。困った時はお互い様ですよ」
やはり八代さんは優しい。自分には厳しいが、他人には優しい神様で、皆も頼りにしている。
「これで終わりました。すぐに行きましょう」
「はい」
書類仕事を終わらせた僕たちは、第五世界へ向かった。
◇
翌日の昼休み、購買でパンと飲み物を買った俺とイリスは、屋内のベンチで昼食を共にしていた。
日差しの強い屋外で食事をする生徒は滅多にいないため、屋上はがらんとしている。
昨日の放課後、リーザから両親の前だげ恋人の"振り"をして欲しいとお願いされ、俺は返事をまだしてはいない。
今日中には返事をするつもりだが、イリスにこのことを伝えるため、こうして昼休みに誘ったのだ。
ちなみに亮は色々と忙しそうだったため、まだこのことは話していない。
たぶん神としての仕事があるのだろう。昨日までは普通に過ごしていたが、今日は授業が終わると何かと教室を出ていた。
「恋人の振りって……何で?」
説明不足だったため、まだ半ば
「理由はまだ話してくれなかった。俺はこの話を断るのなら、深入りさせたくないんだろう。ただ、引き受けるとしても俺がするのはあくまで"振り"だし、それでリーザの悩みはきちんと解決するらしい」
「そ、そうなんだ……」
イリスは
「まあでも、恋人を演じることになるわけだから……イリスが嫌だって言うなら断るつもりだ。その時はリーザから何とか事情を聞き出して、別の解決法を探してみる」
「モノノベ……」
ぽろぽろとイリスの瞳から涙が
「なっ———ど、どうしたんだ?」
「あたしのこと……気にしてくれたことが、嬉しくて。最初の話を聞いて、もうモノノベが、あたしのことが好きじゃなくなったんだって……そう思ってたから」
「そんなわけないだろ。さっきは誤解をさせるような話し方をして悪かった」
俺はイリスの頬に右手添え、涙の粒を親指で
「……モノノベの焼きそばパン、半分くれたら許してあげる」
イリスは俺が持ってる焼きそばパンに視線を向けて、小さく笑った。
「了解」
俺はイリスの頬から手を離し、焼きそばパンを半分に割って差し出す。
「うん———じゃあ、許した」
制服の袖で涙を拭き、イリスは俺から受け取った焼きそばパンをもぐもぐと頬張った。
それからしばらくして、彼女はぽつりと言う。
「一日だけなら……いいよ」
「無理してないか?」
先にパンを食べ終わって青い空を見上げていた俺は、イリスの方に視線を向けた。
「うん、だってリーザちゃんが困ってるんだもん。モノノベが力になってあげて」
「……分かった」
「お願いね。あ、でも———」
頷いた俺にイリスは微笑みかけ、顔を寄せてくる。
「い、イリス?」
動揺する俺の頬に、イリスの唇と舌が触れ———離れた。
「ほっぺに青のりが付いてたら、カッコつかないよ?」
赤い顔で言うイリスを見て、俺の顔も熱くなる。
「な……だ、だったら言ってくれればいいだろ」
「そうだけど、今はこうしたかったの」
照れ臭そうにイリスは頬を
「次の時間はホームルームだね。今日も学園祭の話し合いをするんでしょ?」
「ああ、昨日俺とリーザが放課後に話し合った内容を伝えた後、メニューの詳細や今後必要になる作業の役割分担を決める予定だ」
それを聞いたイリスは、首を傾げる。
「役割分担か……料理担当になったら、料理の練習とかあるよね?」
「ああ、たぶんな」
皆の料理指導は深月と亮に頼むことになるだろうなと考えながら、俺は頷く。
「じゃあ、あたしが何か作ったら味見してくれる?」
「もちろんだ」
「ホント!? 約束だからね?」
イリスは嬉しそうに声を弾ませ———いつもの明るい笑顔を見せてくれた。
◇
昨日は八代さんと共に第五世界に向かい、空間の歪みを調査をした。幸い何事も無く、大量発生した歪みを全て修正した僕たちは、そのまま"神界"へと戻り、仕事の報告をしたあとに深月さんの宿舎へと戻った。
その翌日、第一と第五、そして僕が担当する第十二世界以外の各地で歪みが突然発生し、そのまま消えるという現象が起きていた。
それを知ったのは午前五時前。僕はオートメイドに二人分だけの朝食を作るように設定し、食堂に朝食はいらないと書き置きをしてから宿舎を出た。
それから授業が始まる前にはミッドガルに戻り、休み時間の間に"神界"に向かって仕事をするというハードなことをしていた。
下界では昼休みで、"神界"では午後十一時半。つまり夜ということだ。
なんとか仕事を終わらせた僕はそのままミッドガルに戻ろうとしたが、第四世界の"世界神"エドワードさんが止めた。
"神界"での時間と下界の時間の流れは大きく違うので、僕はエドワードさんの家に泊まっていた。
「まさか歪みが大量発生してそのあとすぐに消えるってどういうことだ?」
「僕に聞かないでください。今は神官様たちが原因を突き止めてくれてますので、もう少し待ちましょう」
紅茶の入ったコップを片手に僕とエドワードさんは今回の件について話していた。
「あんた、そろそろ寝なさい。明日も仕事でしょ? 亮くんも休みなさい」
キッチンから出てきたのはエドワードさんの奥さんで第四世界の"海の神"という地位に座っているカリーナさんが僕たちそう言った。
「ええ〜、いいじゃないか? 俺っちはまだ起きてたいよ」
エドワードがそう言うと、カリーナさんは手から水を生み出し、エドワードさんに向けて掛けようと構える。
「あんた? そういえば夜中までゲームしてたね。それに酒を自分のクローゼットに隠していて見つからないようにコソコソ飲んでたんじゃなかったかしら?」
「「っ!?」」
カリーナさんはエドワードさんに微笑むがその笑顔が怖い。十二の世界にいる"海の神"をまとめ上げるカリーナさんは全王様を除いて神の中で怒らせたらやばいと言われている。
そんなカリーナさんを怒らせれば、"世界神"以上の潜在能力を解放するという噂もある。あれは本当かもしれない。
「わ、分かった! もう寝るからそんなに怒らないでくれ。さあ、亮。今日は俺っちの部屋で寝ような?」
「そ、そうですね。では"お
僕たちがカリーナさんに挨拶をすると、生成した水を消し、満遍の笑みを浮かべる。
「ええ、おやすみなさい。風邪引かないようにね。神様になっても風邪やインフルエンザはなるからね。亮くんもお腹出して寝ないようにね」
「はい、気を付けます」
そう言って僕はエドワードに続いて彼の部屋へと向かった。
本当に怖かった。神様にとっての人生の墓場とは、このことだろうと実感する。
◇
昨日の放課後、学園祭の実行委員としてリーザと共に教室で書類作成をしていた。
リーザも結構重い悩みを持っていたようで、俺はリーザの両親の前で恋人の振りをすることになった。
そのため、俺たちは恋人を演じるためにリーザがおすすめするスポットで、恋人として自然に振る舞う練習をしていた。
深月に着替えて海に浮かぶのが彼女の楽しみ方のようで、俺もその気持ちが分かった。
リーザが持ってきた昼食を食べ終え、俺はリーザに秘密を打ち明ける。
俺が三年前、故郷へ侵攻してきたヘカトンケイルを撃破するためにユグドラシルと取引を行い、対竜兵装を始めとする旧文明の兵器データを手に入れたこと。
だがその代わりに、記憶の一部をなってしまったこと。
取引を行うたびに体に負担が掛かり、亮が和らげてくれたこと。
そしてリヴァイアサン戦とフレスベルグ戦でも同様に新たな力を求め、また記憶を
順を追って、俺は話していく。
リーザは最初顔を青くして何度も質問してきたが、話が進むに従って何も言わなくなった。
怒っているような、悲しんでいるような———どちらとも取れない表情でじっと見つめながら、黙って俺の話を聞いている。
「———そういうわけで、今の俺は三年前より昔のことを何も思い出せない状態なんだよ」
俺は現状を伝え、続けて今の気持ちを口にした。
「最初は力を得るために必要な対価だったんだと、記憶のことは諦めてた。けど、このことを知っているイリスと亮が俺の記憶を絶対に取り戻すって言ってくれて……俺もやれることをやることにしたんだ。ただ———」
「わたくしに相談を持ちかけた、というわけですか」
俺の言葉尻を引き取って、リーザが言う。
その
俺は一瞬、自分が
「ああ」
———パン!
左頰に衝撃が走った。リーザが俺の頬を平手で打ったのだ。
普段の俺なら反射的に避けていたかもしれない。
けれどリーザの瞳に涙が
「とりあえず———こうすることが恋人としても、クラスメイトとしても、適切な行動だと判断しました」
リーザは俺を叩いた手をぎゅっと胸元に抱き、静かに告げる。
「……そうだな。たぶん間違っていないと思う」
左頰がひりひりと痛むのを感じながら、俺は頷いた。
「色々と一人で抱え込む深月さんにも困っていましたが———あなたは彼女に輪を掛けてひどいですわ! 勝手に代償を支払って、勝手にわたくしたちを守って、勝手に苦しんで……自分勝手にも程があります!」
リーザは激しい口調で俺を責めるが、その瞳からは涙が
「———すまない」
「謝るぐらいなら、もっと早くに相談してください! せめてフレスベルグとの決戦前に打ち明けてくれていたら、やれることがあったはずです!」
悔しげな表情を浮かべ、リーザは肩を震わせる。
「悪い。リーザを信用していなかったわけじゃないんだ。ただ、深月だけには知られたくなくて……軽々しく口に出さなかった」
俺はもう一度彼女に謝る。
「深月さんがこのことを知れば、わたくし以上に怒って悲しんで———深く傷つくでしょうからね。けど、それでも彼女は、あなたが全てを打ち明けることを望むはずですわ」
苦々しい声でリーザは言い、俺を睨んだ。
「———リーザは、深月にも話すべきだと思うのか?」
「もしもわたくしが、あなたのクラスメイトとして相談を受けていたら、そう主張したかもしれません。けれど今のわたくしは、あなたの恋人のつもりでいますから……あなたの望みを尊重しましょう」
納得しているというわけではなさそうだったが、リーザはそう言ってくれる。
「ありがとう、リーザ」
「お礼を言うのは早いですわよ。わたくしはあなたの相談に対して、まだ何のアドバイスもできていません。正直ここまでの難問だと思っていませんでした」
リーザは
「いや———リーザがそんな風に泣いてくれただけで、何だか気持ちは楽になった。だから礼は言わせてくれ」
目を少し赤くしたリーザに俺は心から感謝の言葉を告げる。
「全く……その程度で満足してもらっては困りますわ。わたくしを頼ったのですから、もっと高望みしてください。今すぐには無理ですが、手を尽くして何かあなたの記憶を取り戻す糸口を見つけてみせます」
リーザはそう宣言した後、おもむろに体育座りから正座へと体勢を変えた。
「だから———とりあえずは、わたくしに膝枕されなさい」
「へ? な、何でそうなるんだ?」
急な申し出に俺は戸惑い、リーザの白い太ももと彼女の顔を交互に見つめる。
「先ほどは恋人のつもりであなたを叱りました。ですから次は、慰めて差し上げます。ほら、早く横になってください」
リーザに肩を引っ張られ、俺は彼女の膝を枕にして寝転がった。
柔らかな太ももの感触と、素肌から香る彼女の匂いに心臓がどくんと高鳴る。
見上げた視界では、水着に少し圧迫された彼女の双丘が大きな面積を占めていた。
「えっと……り、リーザ?」
焦りながら彼女の名を呼ぶと、額にそっと温かな手が置かれる。
「大切なものを犠牲にしてまで、わたくしたちを守ってくれて———本当にありがとうございます。やり方は決して正しいとは言えませんけど……あなたがいなければ、わたくしは大切な家族を失っていたでしょう」
リーザは俺の頭を
「とても……
「あ……」
彼女の言葉がじわりと胸の奥へ染み込み、心の底にへばりついていた焦燥感が消えていくのを感じた。
頭を撫でるリーザの手が気持ちよくて、俺は目を閉じる。
「寝ても構いませんわよ。今のわたくしは、世界中の誰よりあなたをたいせに
子守唄にも似た、リーザの柔らかな言葉に導かれ、自然と眠りに落ちていく。
そうして俺は、彼女の膝枕で眠り———目覚めた時には夕方になってしまっていたのだった。