リーザとの特訓から一日を挟んでの月曜日———ブリュンヒルデ教室は学園祭に向けて、本格的に動き出した。
とは言っても金曜日の放課後に申請した資料はまだ届いていないので、衣装の製作には入れない。
そのため、まずは料理の練習をすることになったのだが———。
「き、切るよ? 切っちゃっていいんだよね?」
イリスが危なっかしい手つきで包丁を構え、皆を監督する深月に
「ああっ、待ってください! 添える指は、丸めて猫の手にするように言ったじゃないですか!」
深月が血相を変えて、イリスを注意した。
「ティア、ワカメ入れるの!」
「ストップ! 量が多過ぎます! お湯に入れると一気に増えますから、少しで十分です!」
さらに今度は鍋に大量のワカメを入れようとするティアの動きを深月が止める。
何と言うか、見ていると不安になってくる。
四時限目のホームルームを練習時間に当て、家庭科室に集まった俺たちは、簡単な和食メニューに挑戦していた。具材や足りない器具は、深月の宿舎から持ってきたものだ。
日本食をまともに作れるのは深月だけなので、先ほどからずっと皆の間を
しかも料理経験が豊富なのは、深月と亮の他にアリエラだけらしく、あとは料理初心者ばかり。
亮は和菓子や洋菓子しか作ったことがないらしく、他の料理を作るのは初めてのようだ。
俺はニブルのサバイバル訓練で現地調達の
「物部くん……切るの速いね」
「ん」
黙々と具材を刻んでいると、俺の両サイドで作業をしていたフィリルとレンが感心の眼差しを向けてくる。
「まあ刃物は扱い慣れてるからな。ただ味付けに関しては全然分からないから、深月任せだ」
サバイバル料理の味付けは、香辛料で臭みをごまかすとか、かなり大雑把なものだったので、繊細な和食への応用は利かない。
「こっちの作業は終わったよー」
向かいの調理台で作業をしていたアリエラが俺たちに言う。
「ふう……疲れましたわ。まさかオオシマ・リョウも料理経験が豊富だとは知りませんでしたわ」
「まあ、スイーツしか作ったことがないから僕も少し疲れたよ」
アリエラと亮にサポートされながら仕事を終えたリーザが、額の汗を
そうして何とか四限終了までに調理を終え、昼休み開始のチャイムと共に食事が始まる。
メニューは白いご飯と
「モノノベ! お味噌汁に入ってる大根はあたしが切ったんだよ!」
「ティアはお味噌とかワカメを入れたの!」
イリスとティアが、味噌汁を手にした俺にキラキラした眼差しを向けてくる。
「———いただきます」
俺は二人に促され、まず味噌汁に口を付けた。
だがその途端、予想外の甘さに思わずむせる。
「けほっ、けほっ……な、何だこの甘ったるい味噌汁は……」
俺の言葉を聞いたイリスは、不思議そうに首を
「あれ? もしかして最後に入れたお砂糖が多過ぎたのかな?」
「い、イリスさん、私はそんな指示を出していませんよ!」
深月が慌てた様子で味を確かめ、イリスに詰め寄る。
「何だかちょっと塩辛かったから、砂糖で調整しようと思って」
「そういう時は水を足して薄めればいいんですよ……」
イリスの返事を聞いた深月は、額を押さえて溜息を吐いた。
「もう、イリス! 勝手なことをしちゃダメなの!」
「ご、ごめん……」
ティアにも怒られ、イリスはしゅんと肩を落とす。
「はは……」
俺が彼女たちのやり取り苦笑していると、横からとんとんと肩を叩かれた。
「物部くん、口直しに……私の、食べて?」
そちらを見ると、フィリルが一口サイズに切った卵焼きを差し出している。
「お、おい———あむ」
俺が返事を返事をする間もなく迫ってきた卵焼きが、俺の口に放り込まれた。
最初は普通の卵の味がしたが、一口
「……苦い」
俺が正直に感想を述べると、フィリルはきょとんとした表情を浮かべる。
「あれ? 焦げ目が付いていた方が美味しいって聞いたから、片面をじっくり焼いてみたんだけど……」
「焼き過ぎだって。ほら、内側がもう真っ黒だろ?」
フィリルの皿に残る卵焼きを指差した。焦げた面を内側にして巻いてあるので、一見すると普通だが、その断面からは炭化した部分が覗いていた。
「料理って奥が深いね……あ、苦い」
フィリルも自分で一口食べて、渋い顔をする。
「大島クンが焼いてくれた魚は美味しいよ」
「ん〜、初めての割には良いかもしれんけど、焦げ目が付き過ぎたな」
アリエラが
そうして初めての料理練習は、色々と課題を残して終了した。
(次の練習では、俺もちゃんと皆の様子に気を配ろう)
甘い味噌汁と苦い卵焼きを何とか完食した俺は、心にそう誓ったのだった。
◇
放課後、第八世界に来ていた。この世界を管理する"世界神"パトリックさんと共に歪みの調査に来ていた。
この世界に来てから三つの歪みを修正し、最後は
「ここ二日は普通通りですね」
「そのようだな。だが警戒だけはしろ。何者かがこの近くにいるという情報を出ている」
実は今回の任務は歪みの修正だけでなく、この世界で不審な動きをする人間がいるという情報を掴んだのだ。
「もし今回の件について嗅ぎ回ってる
杖の先端にある球体をライトにしたパトリックが呟く。
「しかしその
「それを調べるのがオレたちの任務だ。あともう少しで着くぞ。油断するな」
「了解」
僕たちは
「そういえば気付いてたか?」
パトリックさんが僕に聞いてきた。
「何がですか?」
「八重ちゃんが髪飾りをしているのを」
「え!? あ、ああ……そのことですか」
僕はドキッとして顔を逸らす。実は一週間前、エルリア公国から帰還した日の夜、"神界"に行き、全王さまや神官王、先輩たちにお土産を渡した。
八重さんにもエルリア名物の饅頭を上げたが、その後に八重さんと
他の神たちに見られると色々とからかわれるので、
その時、八重さんは余程嬉しかったようで、抱きついて僕の頬にキスをしたのだ。
あの時は心臓が高鳴り、気絶しかけた。それ以降は距離を置いているが、今でもあの髪飾りをしてくれている。
「もしかして亮がプレゼントしたとか」
「そ、そんなわけないですよ。自分で買ったんじゃないんですか?」
この神はからかうのが大好きなので、そのことを知られたくない。
「ふ〜ん、そうなんだ」
パトリックさんが微笑みながら僕の方に視線を向ける。やっぱりさっきの反応で勘付いたようだ。
「あ、もうすぐ出口ですよ。警戒してた方が良いと思いますよ?」
進んでいる道の奥を見ると、広場みたいになっているのが分かり、指差さて伝える。
「へえ〜……まあ、この件は"神界"に戻ってからにするか」
「遠慮しておきます」
そんな会話をしているが、僕とパトリックさんは気を緩めてはいない。いつ何が起きても対処できるように周りを警戒している。
広場にはまだ人の気配がある。こちらには気付いていないのか、ザクザクと音が聞こえ、"気"も最初に感じた時のまま変化しない。
僕たちが広場に出ると、一人の人間がスコップで穴を掘っていた。どうやらこの
「どうやら他の人間は休憩しているようだな」
「パトリックさん、あそこに歪みがありますよ」
穴を掘っている人間の近くに空間の歪みを見つける。
「よし、気付かれないように修正してくれ」
「分かりました」
そう言って僕は歪みのある方に右手を向けて"神の気"を注ぐ。
歪みは徐々に消えていき、人間に気付かれずに任務は完了した。
「じゃあ戻るか」
「そうですね。問題はないようですし、戻って仕事しましょう」
そう言って僕たちは来た道を戻っていった。
◇
「———一昨日に言った通り、できる限りユグドラシルのことを調べてきましたわ。未確定情報を含めて、気になるものは全部ピックアップしました」
放課後、今日の活動報告書を
彼女の指先には
彼女は画面にユグドラシルの情報を表示させる。
まず目に飛び込んでくるのは、
「これ、ユグドラシルの写真か?」
俺はリーザに確認する。
「ええ、最近撮影された中では一番鮮明なものですわ。見ての通り、ユグドラシルは樹木に酷似した外見をしています。ただし普通の植物とは違い、根のような足で移動が可能。一年でおよそ二十メートルずつ成長しており、現在の体長は五百メートル近くあります」
頷き、彼女は説明をしながらユグドラシルに関する情報を映し出す。
「最初の出現地点はノルウェーの山岳地帯。そこからゆっくりと南下し、現在はデンマークとドイツの国境付近で動きを止めています。あとユグドラシルがドラゴンだと認定されたのは二十年前ですが、実際に現れたのはヴリトラが姿を消した直後だという話も聞きました。まあ正確な記録はないため、本当かどうかは分かりませんが」
「ヴリトラが消えた直後って……"D"の生まれる前になるよな。そんな話は初耳だ」
俺は驚きながら言う。
「話の真偽は別として、そのように主張する方がいることは確かですわ。当初は"突然現れた大きな木"と地元民の間で
二十五年前に黒のヴリトラが出現し、その後人間の中に"D"が生まれ始め、それに呼応するかのように他のドラゴンたちが現れた……。この順番なら、ドラゴンが"D"を
けれど"D"が生まれる以前に出現していたとなれば、ユグドラシルの目的は"D"をつがいとすることではないと考えるのが自然だ。
「あなたの話ですと、ユグドラシルは他のドラゴンの
「ああ、ユグドラシルは確かにそう言っていた」
「だとするなら、出現時期についての話にも少し
リーザは端末画面を切り替え、調べた情報を説明する。
「ユグドラシルに対してはこれまで三度、大規模な攻撃が実行されましたが———そのどれもが
「兵器の不調? 攻撃が効かなかったとか、防御されたとか、そういうことじゃなくてか?」
「はい。ユグドラシルに近づいた戦車や航空機は例外なく異常をきたし、遠距離から放たれたミサイルも明後日の方向に飛んで行く有様だったそうです」
俺はリーザの説明を聞いて腕を組む。
「これはわたくしの仮説ですが、ユグドラシルは電気に関する能力を持っているのかもしれません。異常をきたしたのはコンピュータ制御の兵器だけでなく、電気を動力とする全てのものだったという話ですから。つまり、あなたから兵器データを受け取る際に脳が記憶できる情報は
どうやらリーザも俺と同じことを考えていたらしい。
「そうだな。その可能性は高いと思う」
俺はリーザの言葉に同意して頷く。すると彼女は、心配そうに俺を見つめる。
「一つ……確認したいのですが、あなたは普段からユグドラシルと繋がっているんですの?」
慎重な口ぶりで問いかけてくるリーザ。もしかしたら電気信号で体を乗っ取られることを心配しているのかもしれない。
「いや、心の中で呼びかければ反応するが、
「そうでしたの。それなら安心しましたわ。彼にもユグドラシルについて話しておきますので、今後はユグドラシルの電気的な干渉を受けたと仮定して、記憶を取り戻す方法を探ってみます」
「ああ。ありがとう、リーザ」
俺はリーザに礼を言い、今日の実行委員の仕事を終わらせた。
しかしその二週間後———"緑"のユグドラシルと"青"のヘカトンケイルが接触し、地上から二体のドラゴンが
何とか仕上がりました。次もお楽しみください。