「よかった———気が付いたんですね。兄さん」
「ここ、は……」
まだはっきりとしない意識で俺は深月に問いかけた。
「保健室ですよ。兄さんが突然気を失ったと聞いて、すごく心配したんですからね? 検査では特に問題ありませんでしたが、もうしばらく休んでいてください」
深月は
「俺は……どのくらい寝てたんだ?」
「大体五時間ほどですね。残念ながら一日目の学園祭は終了してしまいました」
それを聞いて、俺は大事なことを忘れていたことに気付く。
「父さんと母さんは?」
「兄さんの寝ている顔だけ見て、帰りましたよ。全く……安心させるどころか、余計な心配を掛けてどうするんですか?」
深々と嘆息して深月は言う。
学園祭一日目、リーザとティアと共に他クラスの出し物を回っている最中に俺は急に気を失い、目が覚めた時には保健室にいた。
「そっか……もう、帰ったのか」
申し訳なさを感じながらも、俺は少しほっとしてしまった。
三年前より昔の記憶を失った俺は正直両親と会うのが怖かった。
「そういえば、ティアと出し物を全部回る約束をしてたのに———悪い事をしたな」
心に余裕が生まれると、そんな後悔が湧き出てくる。
「大丈夫です、ティアさんも気にしていませんよ。皆、兄さんのことをただただ心配していました」
「今……ティアたちは?」
「教室で今日の後片付けと、明日の仕込みをしています。兄さんは明日の当番ですが、無理はしないでくださいね」
深月は俺を
「いや、大丈夫だ。明日はちゃんと自分の仕事をするよ」
俺はそう言って、体を起こす。
明日は喫茶店の当番だけでなく、リーザの恋人役として振る舞う大事な役目もあるのだ。
決して休むわけにはいかなかった。
ミッドガルにいる間だけでも自由でいたいと願う彼女の望みを、俺は
俺にとってもこの学園は、重い縛鎖から逃れられる楽園のような場所だ。
だからこそ俺は、リーザの思いを理解できるような気がする。
「兄さん」
けれど深月は、そんな俺をとても心配そうに見つめていた。
◇
「来てくれてありがとうございます」
僕は先輩たちに頭を下げた。明日の準備が始まる前に僕は今日来てくれた"世界神"たちにお礼を言う。
僕が"世界神"になって五年と半年が経とうとしていた。それまで先輩たちに勉学と戦い方を教えてもらった師匠のような存在。それまで僕は何一つ恩を返すことができなかった。
そのため僕は今日は先輩たちを学園祭に招待した。僕が顔を上げると皆は腹に手を当てて笑いを堪えていた。
「……何がおかしいんですか?」
「そりゃおかしいよ。亮が頭を下げるなんて……今日は槍が降ってくるんじゃないか」
腹を押さえながら義晴が笑いながら言う。
「僕だって頭ぐらい下げますよ。それのどこがおかしいんですか?」
「神としてのプライドが高いお前がそんな行動することがおかしいって言ってんの」
「ガハハハハハハ、そりゃそうだな。亮、あんまり恩返ししようなんて思うなよ」
「え?」
ルドルフさんの言葉に僕はおかしな声を出す。
「亮さんが元気でいるだけで私たちは十分ですよ。ですからそんな気を回さなくて大丈夫です」
八代さんが呆れながら僕の肩に手を置く。
「そうですよ。今日は亮くんのおかげで楽しめました。感謝してますよ」
「弥生さん……」
僕は改めて先輩たちの凄さを思い知る。
"世界神"は変わり者が多く、正直関わりたくない時もある。しかし彼らは芯だけはしっかりしており、周りを惹きつける力を持っている。僕が気を使っていることを見抜いていたようだ。
「なんだか……すみません」
「謝りすぎだぞ? 義晴なんかお前と同期のくせに偉そうに我々と接しているんだから、ちょっとだけ甘えてもいいんだぞ?」
パトリックさんがそう言うと、先輩たちはうんうんと頷く。
「あまり甘えすぎるとアタイが成敗しますからね」
「レイチェル、あなただって"世界神"になった時からわたくしたちに甘えてたと記憶してますが?」
「し、師匠! それは忘れてくださいよ!」
レイチェルさんが恵さんの背中をポカポカ叩くと皆は笑う。
「そんな訳だ。亮は重い悩むことがあるからな。まあ、まだ子供だから仕方ないか」
「あんたは大人の癖にゲームや漫画が大事だけどね」
エドワードさんにツッコミを入れるグランさん。自分がどうでもいいことに気を配っていたことに呆れてきた。
「それじゃあわたくしたちは帰りますわ。明日はいよいよ
「なっ!?」
恵さんの言葉に僕は驚く。学園祭二日目は第七世界の"世界神"八重さんを招待している。
このことは僕と八重さんしか知らない筈が、何故皆が知っているのか疑問が湧く。
「誰だって知ってますわ。ここにいないと言うことは明日招待している。そういうことですよね?」
僕は見抜かれたことに戸惑う。すると弥生さんが近づいてきて僕の耳元で
「八重さんは楽しみにしてますよ。どうか彼女を……
実は八重さんは第二世界の"世界神"飯島弥生さんの姪で本人はそのことを知らない。
「はい!」
◇
翌日———学園祭二日目。
一日目と同様、早めに登校したブリュンヒルデ教室のメンバーは、打ち合わせを終えてから朝食の準備に移る。
今日の接客と調理を担当するのは、俺、深月、リーザ、ティアの四人。
俺は女子とは別室で着替え、調理を行う空き教室に入った。
女子の着替えはやはり時間が掛かるようで、深月たちは少し遅れて現れる。
「ユウ、お待たせなの!」
薄い桃色の着物に着替えたティアが、元気よく駆け寄ってきた。
「わあ! ユウ、すっごく素敵なの!」
甚平風の和服を着た俺に、彼女はキラキラした眼差しを向ける。
「———ありがとう。ティアも可愛いぞ」
俺は少し照れ臭い気持ちになりながら、ティアの頭を
「えへへ……嬉しいの。昨日のユウは可愛かったけど、やっぱりカッコいい方がティアは好きなの」
「そ、そのことは思い出さないでくれ……」
俺は額を押さえて、溜息を吐く。
「兄さん、もしかしてまだ調子が悪いんですか?」
だがそんな仕草を勘違いして、深月が心配そうに問いかけてきた。
「いや、大丈夫だ。ちょっと昨日の女装を思い出して、気分が暗くなっただけだ」
俺の返事を聞いた深月は、苦笑を浮かべる。
「なら、よかったです。今日訪れるのは兄さんと亮さんの存在を知っている方々です。安心してください」
「ああ———と、それにしても……深月は和服がよく似合うな。かんざしもいい感じだ」
俺はまじまじと着物を
着物の出来も素晴らしいが、それを着る深月自身も細かい部分に気を遣っていた。結い上げた髪に輝くかんざしが、全体の雰囲気を引き締めている。
「あ、ありがとうございます。このかんざしは昨日、父さんと母さんから貰ったんですよ」
頬を染めて、かんざしに手を触れる深月。
「そっか……和風喫茶をやるから、用意してくれたんだな」
結局俺は昨日会えなかったので、両親の顔を思い浮かべることもできない。そのことに対し、罪悪感に近い思いを抱く。
だが俺がそんなことを考えながら深月の着物姿を見ていると、脇から遠慮がちに袖を引かれた。
「も、モノノベ・ユウ。わたくしの着物はどうなんですの?」
少し責めるような声でリーザが問いかけてくる。山吹色の着物を着た彼女はとても新鮮で、魅力的だった。
「リーザ、すごく綺麗だ」
今日は大事な本番。今から気合を入れるために真っ直ぐに瞳を見つめて感想を言う。
「はわっ」
だが俺がそう言った途端にリーザは顔を真っ赤にする。
「……ありがとうございます」
胸を押さえ、リーザは瞳を逸らす。
「兄さん、リーザさん……いったい何をやっているんですか?」
そんな俺たちを見ていた深月が、
「な、何でもありませんわ! さあ、朝食を作りますわよ」
ごまかすようにリーザは作業用のエプロンを身に着けながら言う。
そうして朝食の調理が始まった。
俺はリーザと並んで
「なあ、リーザ。いつ皆に説明するんだ? 結局ミーティングじゃ言えなかったし……」
今日リーザと恋人の振りをすることを、俺たちはまだ皆に伝えていない。
「この後、朝食中に話すつもりですわ。あなたが口を出すと妙な誤解を与えるかもしれませんので、説明は全部わたくしに任せておいてください」
「了解。確かに説明の仕方を間違えると、まずいことになるかもしれんからな……」
恋人役を頼まれたとイリスに説明した時、俺は彼女に
だが、その時の俺は気付いていなかった。
リーザが普段の調子を出せないぐらいに、緊張していたことを。
「あ、あの! 実は今日、わたくしはモノノベ・ユウと恋人になりますの!」
「ちょっ……リーザ、その言い方はまずいだろ!」
口は出すなと言われていたが、俺は黙っていられずに声を上げる。
「あっ———そ、そうですわね」
我に返ったリーザは慌てながら席を立ち、こほんと
「驚かせてしまい、申し訳ありません。少しわたくしの話を聞いてください」
呆然としている皆の注目を集めてから、リーザは改めて説明を始めるが、今度も大事な部分がすっぽ抜けた内容になってしまう。
「わ、わたくしは今日、彼を恋人として両親に紹介します。つ、つきましては、それに関するご協力を———」
「両親にって……リーザ、物部くんと結婚するの?」
フィリルが焦った表情でリーザに問いかける。
それを聞いたティアも血相を変えて、叫んだ。
「い、いくらリーザでもダメなの! ユウはティアの旦那さまになるの!」
そして表情を
「———兄さん、どういうことですか?」
さらにイリスが泣きそうな顔で俺を見つめた。
「も、モノノベ……リーザちゃんと結婚しちゃうの?」
「って、何でイリスまで誤解するんだよ! イリスには事情を説明してあるだろ!?」
俺は
「へえ……二人がそんな関係だったなんて、知らなかった。いつからなんだい?」
驚いた様子のアリエラに
「え、えっと、彼に今回の件をお願いしたのは
「そんな前から二人は付き合ってたんだ……そういえば最近、やけに仲が良かったもんね」
「ん」
うんうんと頷くアリエラに、レンも同意する。
「ち、違いますわ! そういう意味じゃないんです!」
慌てて誤解を解こうとするリーザ。しかし説明しようとすればするほど、話はおかしな方向に解釈されてしまう。
すると今まで一言を発していなかった亮が口を開く。
「つまり二人は今日一日恋人の
「「「「「「「え?」」」」」」」
亮の一言で俺とリーザ以外の皆はおかしな声を上げる。
「は、はい、そうです。両親には恋人役として紹介しますの。ですので、どうかご協力をお願いします」
こうして亮のおかげで誤解を解くことができた。しかし今までの亮ならこの状況で俺やリーザをからかうだろうと思っていた。
そんな疑問を抱きながら皆に恋人の振りについて説明した。
ドラマ見てるとポップコーンが食べたくなります。まあ、テレビ見てたら何故かそうなります。