「リーザのご両親を昇降口の近くで見かけて、迷われていた様子だったからそのまま連れて来たの。物部くん……リーザのこと、よろしくね」
フィリルは俺とリーザのいる調理用の空き教室に顔を出し、真剣な顔で言う。
「モノノベ、頑張って!」
「物部クンの成功を祈ってるよ」
「ん」
フィリルと共に戻ってきたイリス、アリエラ、レンも俺を応援してくれた。
そうして、作戦が開始される。
並んでいた生徒からは不満の声が上がったものの、整理券を渡して何とか解散してもらった。
誰かが聞き耳を立てないように教室前で見張りをするのは、イリス、フィリル、アリエラ、レンの四人。
亮は何でもガールフレンドと他クラスの出し物を周って楽しんでいるそうだ。
接客はリーザと深月が行い、俺はティアと調理役をこなしながら出番を待つ。
「———兄さん、他の方々は退室しましたよ」
しばらくすると深月がやってきて、そう報告した。
「リーザはどうしてる?」
深月にリーザの様子を問いかける。
「ご両親と話し込んでいます。婚約がどうこうという言葉が聞こえたので、すぐにでも行くべきでしょう」
深月は答えながら、手際よく急須から緑茶を
「先ほど、お茶のお代わり注文されましたから、兄さんがこれを持って行ってください」
「———分かった」
俺は深月の淹れてくれたお茶をお盆に載せ、大きく頷いた。
「ユウ、ふぁいと!」
「兄さん、頼みましたよ」
ティアと深月の声援を受け、俺はリーザの元へ向かう。
お盆を手に教室へ入ると、テーブルに座る品の良い夫婦がこちらを見た。
(彼らがリーザの両親か)
女性はリーザがそのまま年を重ねた雰囲気で、男性の方はすらっと背が高い———まさに"紳士"といった雰囲気だ。
彼らの
深月が言っていたように、婚約に関する話をしていたのだろう。
「お待たせしました」
俺はリーザの両親に一礼してから、運んできたお茶を彼らの前に置いた。
机には分厚いアルバムが広げられており、開かれたページに男性の写真が見える。恐らくリーザの婚約者候補なのだろう。
「ほう……君が噂に聞く男性の"D"か」
俺が横目でアルバムを眺めていると、リーザの父親が興味深そうに俺へ話しかけてきた。
「はい、物部悠といいます」
「私はマーク・ハイウォーカー。リーザの父だ。いつも娘が世話になっているね」
「いえ、そんなことは……」
フレンドリーに手を差し出され、俺は少し面食らいながらも彼の手を握り返す。
彼は、ニブルとも関係が深い大財閥の総帥だ。本来なら、俺が言葉を交わせるような立場の人間ではない。しかしそんな俺の警戒心を解きほぐしてしまうような大らかさが、彼からは感じられた。
続いてリーザの母親も俺に名乗る。
「私はリンダ・ハイウォーカーです。よろしくお願いします」
柔和な笑みを浮かべ、会釈をするリンダさん。
「は、はい、よろしくお願いします」
俺も慌てて頭を下げた。
「そういえばもう一人男性の"D"がいると聞いている。この五年間で数々のドラゴンと戦った経歴を持っているそうだね。今日は非番かい?」
「はい、りょ……大島亮は友人と他クラスの出し物を楽しんでいるようです」
やはり亮のことも知っているようだ。たった一人でドラゴンを何度も倒しているから噂ぐらいは耳にしていてもおかしくない。
「そうか、では帰る前に彼に挨拶をしよう」
「そうですね、あなた」
そして会話が途切れるタイミングを見計らっていた様子のリーザが、自然な動作で俺に寄り添う。
早速、彼らに切り出すつもりらしい。
「父様、母様、実はわたくし———彼とお付き合いしていますの」
はっきりと両親に向かって告げるリーザ。
「「ええっ!?」」
二人は裏返った声を上げて驚き、マークさんは目を見開く。
「それは……本当なのかい?」
だが彼は落ち着きを失うことなく、慎重にリーザへ問いかけた。
「はい」
リーザは俺の服をぎゅっと握り、首を縦に振る。
覚悟は決まっているのだろうが、それでもリーザの体からは微かな震えが伝わってくる。
俺はリーザの肩に手を回し、ぐっと彼女の体を抱き寄せた。
「あ———」
俺の胸に頭を預けたリーザが、頬を赤くする。
「リーザの言う通り、俺は彼女と付き合っています。もちろんミッドガルのルールを犯すようなことはない、清い交際です」
"D"は二十歳前後になるか、妊娠するかで能力を
だからこそ、そんなミッドガルのルールを破ってはいないことを伝えておく必要があった。
「……そうか」
マークさんは俺の言わんとしていることを正確に
「リーザ、あなたは彼のことを愛しているの?」
リンダさんはまだ動揺した様子で、リーザに
「ええ、わたくしは彼を心から愛しています。ですから……」
リーザは強い口調で断言し、机の上に広げられたアルバムを視線で示す。
「———今は、他の方のことは考えられません」
「そう……」
途方に暮れた様子のリンダさん。
するとマークさんの瞳が
「そうだったのか。それでリーザは婚約のことを……」
マークさんはポケットの中からハンカチを取り出して涙を
「あなた、よかったわね」
「ああ、こんな嬉しい日はない。娘の初恋を祝福するしかない」
マークさんとリンダさんはパチパチと拍手をする。
「え……」
これから
リーザは以前、自分たちが本当の恋人であると示せば、両親は素直に引き下がるだろうと言っていたが———それは本当だったようだ。
けれど、あまりに物分かりが良過ぎて逆に不安を覚える。
俺たちを祝福する彼らに、俺はぎこちない笑みを返すことしかできなかった。
「物部くん……いや、ミスターユウ。どうか娘のことをよろしく頼むよ」
「は、はい……」
マークさんは俺が頷くのを確かめ、テーブルに広げていたアルバムをぱたんと閉じる。
「リーザ、あまり彼を困らせるようなことはするんじゃないぞ?」
「———もちろんですわ」
リーザは緊張が解けた声で答えた。状況が理想的に進んでほっとしたのだろう。
「では、私たちはそろそろお
「そうですね」
マークさんの言葉にリンダさんは頷き、二人は席を立つ。
「あ———ありがとうございました」
退室する両親を追い掛けていくリーザ。
出入口まで彼らを送り、リーザは頭を下げる。俺も「ありがとうございました」と大きな声で言い、彼らを見送った。
◇
「どうやら上手くいったようですね。リーザさんも、兄さんもお疲れ様です」
リーザの両親が去った後、皆が教室へ入ってくる。恐らく、外で耳をすませていたのだろう。
深月は
「作戦成功なの!」
嬉しそうにティアが万歳をする。
「物部くん、リーザを助けてくれて……ありがとう」
フィリルはぺこりと頭を下げた。リーザのことが、本当に心配だったのだろう。
「物部クンなら大丈夫だと、ボクは思ってたよ」
「ん」
アリエラ、レンも作戦の成功を祝福し、イリスも俺たちに笑顔を向ける。
「モノノベ、ご苦労様。リーザちゃん、よかったね!」
「はい———皆さんが協力してくれたおかげですわ」
リーザは笑顔を浮かべて応じる。彼女の表情は心から笑っているように見えた。
「じゃあ、あたしたちは学園祭の見物に戻るね。オオシマにも報告しておくから」
そう言って今日が非番のイリス、フィリル、アリエラ、レンの四人は教室を出て行った。
「私たちの方は今から休憩へ入りましょう。私とティアさんでまかないを作ってきますから、お疲れの兄さんたちはここで待っていてください」
「ティア、頑張るの!」
深月とティアは調理用の空き教室へ行ってしまう。
「……ありがたいですわね。さ、座りましょう」
リーザは俺を促し、先ほどマークさんたちが座っていたテーブルに着いた。
俺もリーザの対面を下ろす。
「なあ、リーザ。本当に
二人きりの教室で、俺は
「っ!? え、ええ……もちろんです」
するとリーザは頬を赤く染めて目を逸らす。
「父様は……精一杯青春を
「それだけか? 俺のことは何か言われなかったか?」
「え、ええ、あなたのことは……な、何も言われませんでしたわ。で、ですからこの話は終わりにしましょう」
さっきより顔を赤くして話を終わらせる。本当は何か言われたのかと疑うが、本当が何もないと言うので俺は無理に聞こうとはしなかった。
「そ、そうか。リーザが言うなら仕方ないな」
何故か気まずい空気になる。リーザがここまで同様するのかは分からないが、少しは彼女の役に立ったようだ。
「そ、それより……お礼がまだでしたわね」
するとリーザは顔を寄せ、俺の頬に口付けた。
「なっ!?」
俺が驚いて頬に手を当てると、リーザは
「今回のお礼———わたくしからの
そして彼女は照れ臭そうに椅子をずらして、俺から距離を取った。
「で、ですが、本来の交換条件を忘れているわけではありませんからね。あなたの記憶を取り戻す方法についても模索中ですわ。まだ適切な方法は見つかっていませんが……とりあえず中間報告と、現状での提案をさせていただきます」
無理やり話を逸らすように、リーザは早口で告げる。
だが俺の頬に残る唇の感触は、そう簡単に消えはしない。
「あのさ、リーザ。さっきのキスは———」
「いいから、黙って聞いてください!」
あの口付けに込められた
これ以上余計なことを言うと、
「わ、分かった。話を聞かせてくれ」
彼女を
「全く……では話しますわ。まず、調べてみて分かったことは、記憶はそう簡単に失われるものではないということです。失われたように見えても、それは単に
「けど、俺の記憶はユグドラシルからダウンロードした兵器データで上書きされたんじゃないかと思うんだ。その場所はやっぱり、記憶は消されてしまっているんじゃないのか?」
俺が疑問を口にすると、リーザは首を横に振る。
「いいえ、その考え方は間違いですわ。そもそも人間の脳は、新しいことを覚えたからといって古い記憶が消し去ったりしません。仮にそんな脳の記憶形式を無視する
「じゃあ、俺の記憶は……本当に残っているのか?」
信じられない思いで俺はリーザに問いかけた。
「既に脳へ定着している長期記憶が、いきなり消えてしまったというのは考えにくいですわ。脳が物理的に破壊されれば別ですが、あなたにそういった障害は確認できませんでした。実を言うと昨日、あなたが気を失った後———綿密に脳を検査してもらったんです」
昨日のアクシデントを逆に利用したリーザに、俺は感心する。
「知らんかった……リーザはやっぱり頼りになるな」
「と、当然ですわ」
照れたように頬を
「なので、そうしたことから考えて———あなたの状態は極めて不自然なんです。単純に莫大なデータを送り込まれただけで、記憶喪失になるとは思えません」
リーザは俺の目を見て、はっきりと断言する。
「仮に何らかの不具合で記憶障害が起きているとしても、過去の記憶から失われることはありえません。まだ定着していない、最近の記憶から忘れてしまうのが自然ですから」
「そ、そうか……」
何故ニブルへ連行される以前の記憶ばかりが失われるのか———その疑問は、俺にもあった。
「ですからわたくしは、ユグドラシルから
「兵器データ、以外?」
俺が唾を呑んで問い返すと、リーザは真剣な表情で頷く。
「例えるなら———コンピューターウイルスのような何か、でしょうか」
「なっ……」
「"情報"として脳に入り込み、明確な意図をもってあなたの記憶を遮断する———そんな電子的ウイルスに近い性質のものが悪さをしているのかもしれないと、わたくしは考えます」
ぞわりと悪寒が背筋を
——————。
「以前お話ししたように、ユグドラシルが電気的な干渉力を持つのなら、不可能ではないはずです。昨日はあなたが気絶していたので十分な脳波検査は行えませんでしたが、後日改めて精密な検査を———」
リーザの声が遠くなり、代わりにどこかから響くノイズ音が大きくなっていった。
———脅威、認識。疑念、
音は声となり、脳内で響き渡る。
———状況、検討。今後、ノイズの確保が困難となる可能性あり。即座に行動を開始するべきと結論。脅威を排除後、
もうリーザの声は聞こえない。この無機質で機械的な声は、まさかユグドラシル……。
頭が
突き刺すような頭痛に襲われ、意識が
「がっ!?」
しかしそれは、俺の口からでた苦鳴ではなかった。
「え———?」
目の前の光景に、
俺の左腕が———
「う……あ……」
苦しげな表情で俺を見つめるリーザ。
「な、何で!? お、俺はこんなこと———」
慌てて左腕を離そうとするが、その意思が伝わらない。感覚はあるのに、腕が思うように動かない。
———圧縮種子、展開。意識侵食を開始。
右腕で自分の左手を引き
「ユグドラシル、なのか? お前が、俺の体を———!」
だが俺の声を無視して左手の指にリーザの喉に食い込んだ。
「くっ……誰か! 誰か来てくれ!!」
俺は大声で教室の外に呼びかけるが、助けは現れない。
休憩中の教室前には客はおらず、隣の空き教室で調理している深月たちにまでは声が届かないのだろう。
最後の手段で
そして生成された上位元素は俺の意思と関係なく、細い木の
植物へと変換……それは普通の"D"には不可能な生体変換の領域だ。
(ユグドラシルがやったのか?)
左腕へ巻き付いた蔓は、外側からも俺の動きを支配する。
リーザの首を絞め上げる力が、いっそう強まる。
もはや声を上げることもできないのか、リーザが苦しげに口を開ける。
「っ……り、リーザっ! 上位元素から爆発物を生成して、俺の腕を吹き飛ばすんだ!」
必死に俺はリーザへ訴えた。
しかしリーザは目尻に涙を浮かべながら、微かに首を横に振る。
苦しくて難しいのか、それともそんなことはできないという意味なのか———。
「くそっ! このままじゃ———お願いだ、誰かいないのか!? 誰でもいい———頼むからリーザを助けてくれっ!!」
もはや叫び続けるしかない。リーザは俺の腕を振り払おうともしていたが、次第に抵抗が弱まってくる。
「何をやっとるか!
けれどその時———ドンッと外から扉を蹴り破り、小柄な人影が飛び込んでくる、
「が、学園長!?」
金色の髪を
「お願いします! 体が言うことを聞かないんです! 俺はどうなってもいいですから、リーザを助けてください!」
もはや彼女以外に
「ちっ———何という有様だ」
学園長は舌打ちすると俺たちの元へ掛けて来て、飛びつくように俺の左腕へ噛み付く。
「何らかに操られているのなら———さらにその上から支配すればいい」
学園長はそう言うと、犬歯をさらに左腕へと深く刺し込んだ。
その途端———まるで麻酔でも投与されたかのように、左腕の感覚が遠くなる。
リーザが絞め上げる指も緩み、彼女は俺の手を振り払って、地面に倒れ込んだ。
「ごほっ、けほっ!」
喉を押さえ、
———他因子、混入。侵食率低下。行動制御、維持困難。緊急事態につき、端末を切り離して離脱する。
頭の中でユグドラシルの声が響き、左腕に巻き付けていた
そのまま窓の外に消える蔓を見て、学園長は「逃したか」と毒づいた。
「シャルロット様、いきなり走りだしてどうしたんですか? と———あら、いったいこれは……」
そこにマイカさんが現れ、
「マイカ、非常事態だ。適当な理由を付けて来賓たちを島外へ退避させよ。それと端末を通して生徒たちへ警戒レベルAを通達。ハルカには
「———は、はい、承知いたしました」
マイカさんは表情を引き締めて一礼し、教室の外へと駆けていく。
「けほっ、けほっ……はぁっ……はぁ……」
静かになった室内に、リーザの咳と荒い呼吸が響いてくる。
「リーザ……すまない」
本当は彼女を助け起こしたかったが、今の自分が近づいていいのか分からず、俺は立ち尽くしたまま謝罪する。
「はぁっ……はぁっ……そんな顔、しないでください。わたくしは……大丈夫ですから」
顔を上げたリーザは、ぎこちない笑みを浮かべて俺に言う。
「あなたの体を動かしたのは、ユグドラシルです。わたくしも
自分の責任でもあると、リーザは首を横に振った。
「リーザの推測は当たってたんだ。俺の頭には、兵器以外のモノが送りこまれていた……また、いつ操られるかも分からない」
リーザの首を絞め上げてしまった自分の左腕を見下ろし、俺は悔しさを
ユグドラシルは滅びていなかった。ずっと———俺の中にいたんだ。
「その心配はない。今のところ、そなたの体は私が支配しているからな」
だが、学園長は確信に満ちた口調でそう断言する。
「支配……?」
そういえば俺の腕に噛み付いた時もそんなことを言っていた。
「そなたと、そなたを侵していたものを一時的に支配下へ置いたことで、大体の状況は把握した。全く———こうなったのは、ユグドラシルとの取引を隠していたそなたの責任だぞ?」
学園長は腰に手を当てて、俺を睨む。
「なっ……どうしてそのことを———」
「支配すれば、分かる。支配とはそういう権能だ」
「権能……? 学園長は———いえ、あなたはいったい、何者なんですか?」
俺は学園長に得体の知れないものを感じ、問いかけた。
「そうだな……こうなってはもう、正体を明かすしかあるまい」
学園長は何故か少し嬉しそうな様子で頷き、大仰に手を
「我こそは人類の監視者、人間種の王! この世界を裏から支配する黒幕だ!」
薄い胸を張って堂々と断言する学園長。
「は、はあ……」
俺は何と反応すればいいのか分からず、
「何だその間抜け面は。信じられぬか?」
「いえ、信じられないというより、何かピンも来ない感じで……」
いきなり世界を支配する黒幕だと言われてもスケールが大き過ぎて亮がこの世界の神だと言われて以来、戸惑ったのは久しい。
「では誤解を受ける覚悟で言い換えよう」
学園長は一呼吸置いて、言葉を続ける。
「私の