ファフニール VS 神   作:サラザール

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一方的な親子喧嘩

 第七世界。高度な文明と高い技術を持つ人間たちが住んでいる世界。かつて第十二世界にも影響を与えたという噂もある。

 

 高度な文明だけでなく、森や草原などの自然も存在しているため、人類が滅ぶことは万に一つもないと言われている。

 

 この世界を担当している"世界神"は井上八重さん。僕と同い年で神としては先輩である。

 

 計画を立てて行動するのが大好きで、予想外の展開になってもまるで予知していたかのように対処して計画通りに事を進めることから、凛とした女神と呼ばれている。

 

 僕はそんな彼女を心から尊敬している。他の"世界神"にも敬うが、八重さんほど仕事を忠実にこなす(ひと)はいない。

 

 正直"世界神"の中でこの(ひと)と戦うのは非常にやりにくい。ドラゴンボール超に出てくる殺し屋ヒットの時飛ばしと同じ能力を持っている。

 

 時間を数秒先まで飛ばし、人体にだけ影響を与える衝撃波を放つなど特殊な能力を使用する。

 

 しかし、その能力を使わないとしても戦闘力は"世界神"と互角。"世界神"は皆仕事の合間を縫って特訓をしているため、気を抜かなければ互角の勝負になる。

 

 それに加えて時飛ばしを戦闘中に使用すれば"世界神"でも不利な戦いを強いられる。

 

 僕を含めて他の"世界神"は対策をしているが、僕は正直やりたくない。孫悟空ほど戦闘に楽しさを抱いているわけではないため、なんとしてでも避けたいのだ。

 

 もしこんな(ひと)が敵だとしたらゾッとする。

 

 同じ"世界神"で良かったと心からそう思っているほどだ。

 

 僕は今、八重さんと一緒に第七世界で仕事をしていた。その仕事とは———。

 

「フハハハハハ! どうした? "世界神"の力はこの程度か!」

 

「く、まだまだよ! 亮ちゃん、行くわよ!」

 

「はい!」

 

 僕たちは第七世界のマッドサイエンティスト、ドクター・チャンと彼が作り出した機械生命体を相手に戦闘を繰り広げていた。

 

 ドクター・チャン。第七世界に文明を発展させた世界一の科学者で、第七世界の先代"世界神"と交友関係にあった科学者だ。

 

 しかし彼は自分の私欲のためなら世界を滅ぼしても構わないほど身勝手な悪の科学者だ。

 

 そのため、第七世界の先代"世界神"が辞めた後、今日まで機械生命体を作りだして世界を破壊している。

 

 僕と八重さんは五年前から協力して、ドクター・チャンと戦ってきた。そして彼は自身で最高傑作と称している機械生命体を僕たちと戦わせている。

 

 彼が作り出した機械生命体の名はモスコミュール。そう、ドラゴンボール超に出てくる第三宇宙の破壊神ミュールが操縦しているロボット、モスコと同じ外見をしている。

 

 しかもその大きさはモスコの三倍はあり、手や巨大な眼から気功波を繰り出してくる。しかも頑丈で僕や八重さんが協力しても互角に渡り合えるくらい強い。

 

 八重さんの時飛ばしから繰り出させる正拳突きも頑丈な体には通用せず、人体にだけ影響を与える衝撃波も一切効果を発揮しない。

 

 そのため僕たちは苦戦を強いられていた。

 

「フハハハ、私の最高傑作の前では手も足も出ないだろう! さっさとモスコミュールに倒されたらどうだ?」

 

 ドクター・チャンは高笑いしながら問いかけてきた。

 

「私たち"世界神"を舐めないでくれるかしら? 今まではほんの小手調べ。本気になれば手も足も出ないのは貴方たちよ」

 

「ふん、強がりはみっともないのだよ。いい加減降参しろ!」

 

 そう言ってドクター・チャンは右手に持っていた杖を僕たちに向ける。すると杖の先端からレーザービームを放ち、僕たちは回避する。

 

「八重さん、このままでは体力を使い果たしてしまう。早く決着をつけないとまずいぞ?」

 

「ええ、分かってるわ。けどモスコミュールの頑丈な体には私たちでも傷をつけることはできないのよ。どうしよう……」

 

 僕と八重さんはモスコミュールの攻撃を避けながら話し合う。

 

 正直、ここまで苦戦を強いられるとは思わなかった。僕は何とかしてモスコミュールを倒す方法を考えている。

 

 臨機応変な対応ができる八重さんでもお手上げの状態をどうすることもできない。

 

 しかし、僕の脳裏に親友の悠を思い浮かべる。あいつはどんな状況でも諦めない。自分を犠牲にしてまで体を張ったり、ドラゴン相手に突破口を見つけだしてきた。その結果、イリスさんたちを救ってきたのだ。

 

 僕がここで諦めれば悠たちに顔向けができない。なんとしてでもドクター・チャンの野望を阻止したい。

 

 そう決意すると僕はドラゴンボール超のアニメを思い出す。力の大会で悟飯は第六宇宙のナメック星人相手に師匠のピッコロと協力して戦った戦法を思い浮かべる。

 

 (この方法ならいける)

 

 僕はそう思い、モスコミュールの手から放たれる気功波を回避しながら八重さんに近づく。

 

「八重さん、作戦を思い付きました」

 

「えっ!? どんな作戦なの?」

 

「実は……」

 

 僕は悟飯とピッコロが使用した戦法を話すと、八重さんは次第に笑みを浮かべる。

 

「それいいじゃない! やりましょうよ、私があの機械を引き付けるから亮ちゃんは気を貯めてね」

 

「分かった!」

 

 返事をした僕は八重さんから十歩ほど離れ、杖を取り出してドクター・チャンが僕を認識できないように僕の周りに熱を生成する。

 

 キーリが原作に使用した光の屈折と同じことをして、額に右手で人差し指と中指を当て気を集中させる。

 

「っ!? 第十二世界の世界はどこに行った!?」

 

 ドクター・チャンは急に姿を消した僕に驚き、周りを見渡す。その間に気を貯めているため、時間稼ぎにはなる。

 

「はっ!!」

 

 その間に八重さんは両手から気功波を繰り出し、モスコミュールも対抗して眼から気功波を放つ。

 

 両者全くの互角で、誰かが気を抜けば相手の力を押し負けてしまうほど力は拮抗していた。

 

 するとモスコミュールは使っていない右のアームで八重さんを捕まえ、左のアームから気弾を生成する。

 

「フハハハ、これで終わりだ!!」

 

 ドクター・チャンは勝利を確信したのか、高笑いする。モスコミュールは生成した気弾をそのまま放とうとする。

 

 しかし、僕は周りの温度を標準を戻し、人差し指と中指に溜めた気をモスコミュールに差した。

 

「待たせたな、覚悟はいいか? 魔貫光殺砲(まかんこうさっぽう)っ!?」

 

 僕はあの台詞を口にしながらピッコロの技を放った。螺旋を纏ったような高速ビームはモスコミュールの頑丈な体を貫き、機械生命体の動きが止まる。

 

 左のアームから生成された気弾は消えていき、八重さんを拘束していた右のアームは次第に開いてきた。

 

 ドクター・チャンは高速で繰り出されたビームがモスコミュールの体を貫いたことに驚き声を荒げる。

 

「ば、馬鹿な!? 私の作り出した最高傑作が———」

 

「いけ! 八重さん!!」

 

「分かったわ! はあっ!!」

 

 八重さんは力を振り絞ってモスコミュールに放っていた気功波の威力を上げた。

 

 気功波はモスコミュールを飲み込み、爆発と共に姿を消した。ドクター・チャンも八重さんの攻撃を喰らい、気絶していた。

 

「勝った、勝ったよ亮ちゃん!」

 

「なっ!?」

 

 八重さんは勝利を確認した後、僕に勢いよく抱きついてきた。

 

 体に当たる八重さんの豊かな双丘が強く押し付けられ、女の子の甘い香り鼻腔(びこう)をくすぐり、頭の中がぼうっとしてきた。

 

「や、八重さん? あの……」

 

「ありがとう! 亮ちゃんの作戦が上手くいったよ! 本当にありがとう!」

 

 八重さんは感謝の言葉を言いながら顔を僕の体に埋める。

 

 こうして僕たちの日常的にこなす仕事の一つをやり遂げ、ドクター・チャンは拘束して第七世界の刑務所に収容されることになった。

 

 僕たちは神々が住む"神界"に戻り、仕事とプライベートの時間を両立しながら過ごしていき、僕は担当している第十二世界へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝食後、俺とレンは本格的に上位元素(ダークマター)受け渡しの練習を始めた。

 

 最初は上手くいかなったが、リーザが俺たちのコーチ役として同行してくれたことで次第にコツを(つか)んでいき、レンの上位元素を扱えるようになった。

 

 最初は架空武装が五倍ぐらいに膨張したところで限界を迎えていたが、太陽が天頂へ差し掛かる頃には数メートル規模の架空武装を作れるようになっていた。

 

 俺は練習を合間を縫って宮沢健也の研究室へレンを連れて行くことにした。

 

 今の状態でも、昨日より多量の"霊顕粒子(エーテルウインド)"を生成することは可能だ。

 

 それを伝えれば、彼は研究に協力してくれる筈だ。

 

 あれが本当にレンの母親であるレナさんの(ひつぎ)なら、レンに見咎(みとが)められることを避けようとするかもしれないが……断られた場合でも、それはそれで判断材料になる。

 

 俺は覚悟を決めてレンについてきてほしいと伝えると、レンはじっと見つめて小さく頷いてくれた。

 

 その日の夜、夕食後———俺は内線で宮沢健也に連絡を取り、訪問の許可を得た。

 

 そしてレンを部屋まで迎えに行ってから、以前と同様にエレベーターへ乗り込み、地下四階にある研究室へと向かう。

 

「昨日と同じ実験を、レンと一緒にやらせて下さい。今日は昨日より多くの"霊顕粒子"を生成できるはずです」

 

 宮沢健也は研究室の前で待っており、俺は要件を伝える。

 

「もちろんオーケーだ。さあ、こちらへ来てくれ」

 

 彼は快諾(かいだく)し、俺たちを研究室奥こ隔壁前まで先導した。

 

 どうやら彼は、レンにあの棺や女性の魂を見せることを気にしていないようだ。

 

 もしかしたら当てが外れたのかと不安になるが、ここまで来たら後戻りはできない。

 

 重々しい音を立てて開いた隔壁の内側に足を踏み入れ、再び白い棺と対面する。

 

「んぅ……」

 

 レンは室内の冷気き身を震わせていた。

 

「レン、色々と疑問はあるだろうけど……今日の練習通りに上位元素を貸して欲しい」

 

 俺は右手にジークフリートを生成した後、レンへ声を掛ける。

 

 レナさんの魂と会えるかもしれないとは、まだ言えない。もしダメだった時、期待を裏切られたレンはとても傷ついてしまうだろう。

 

「ん。信じる」

 

 レンはこくりと頷き、小さな手を俺の架空武装に添えた。

 

 その途端、ジークフリートは急激に膨張し、五メートル近い大きさとなる。

 

「———レン、ストップだ。これ以上は部屋に収まらなくなる」

 

 俺は何かと架空武装の形を維持しつつ、レンを止めた。部屋の大きさもあるが、今日一日の練習では、まだこの規模が限界。少しでも気を抜けば崩壊してしまうので、長く維持することもできない。

 

 俺はその前に、架空武装の形で留めた上位元素を全て"霊顕粒子"へと変換した。

 

霊顕弾(エーテル・ブリッド)!」

 

 巨大な上位元素の砲弾が放たれ、金色の粒子へと変わる。

 

 棺の周囲どころか、部屋全体が輝く粒子に包まれた。

 

「っ……」

 

 空間を濃い粒子が満たしたことで、身動きが取れなくなる。声も出せない。

 

 これは———フレスベルグに動きを封じられた時と同じ現象だ。

 

 生きている人間が粒子に包まれると、魂が肉体に閉じ込められたような状態となり、体を動かさなくなるのだ。

 

 少し、加減を間違えたかもしれない。レンや宮沢健也も驚いた表情のまま、硬直してしまっている。

 

 そんか高濃度の"霊顕粒子(エーテルウインド)の中、棺の上に女性のシルエットが浮かび上がった。

 

 天描画のように微細な粒子によって(かたど)られた輪郭。

 

 次第に細かな顔の造作や、髪型も見分けられるようになる。だが———。

 

 (違う……)

 

 それは、夕食前にレンから見せてもらった写真の宮沢レナとは別人だった。

 

 肩の辺りで綺麗に切り揃えられた髪の色は分からない。"霊顕粒子"で構成されているため、頭の上からつま先まてま全部が金色だ。しかし日本人的な顔立ちをしていることから、恐らく黒ではないかと推測する。

 

 年は、若い。俺とそう変わらないのではないだろうか。

 

 そしてどこか———違和感を覚えた。誰かに似ている……そんな印象。

 

 具現した少女の魂は無表情で立ち尽くしている。意識がないのか、ぼうっと中空を見つめていた。

 

 声を掛けてみたくても、粒子が濃すぎて体は動かない。

 

 そのまま時間だけが過ぎ、粒子が薄くなるにつれて少女の姿も曖昧になっていった。声が出るようになった頃にはもう少女の姿はなく、溜息(ためいき)吐く。

 

「……レナさんじゃ、なかったのか」

 

 落胆があまりに大きかったため、つい声に出てしまう。

 

 それを聞いた宮沢健也は「ああ、そういうことか」と納得した声を上げた。

 

「物部君は、あれがレナの(ひつぎ)だと思っていたわけだね?」

 

「っ!?」

 

 レンが驚いた顔で俺を見る。

 

「……はい。昨日、あの魂を見た時……あなたはレナと呟いていたので」

 

 今さら誤魔化しても仕方ないだろうと、俺は頷いた。

 

「残念ながら、棺の中にあるのはただの研究サンプルだ。レナの名を口にしたのは、彼女と共に研究していた"霊顕粒子"の性質を確認できたからさ。今回も興味深い現象を見せてもらい、感謝するよ」

 

 義務的に礼を言う宮沢健也から俺は視線を逸らす。彼はレナさんと自分の研究が正しかったと証明されて、喜んでいただけだったのだ。

 

「……悠お兄ちゃん?」

 

 レンが説明を求めるように、俺の服を引っ張る。

 

「ごめんな、レン。俺はもしかしたらレナさんの魂に会わせてあげられるかもしれないと思って、レンをここに連れて来たんだ。けど、当てが外れた」

 

 俺は申し訳ない思いを抱きながら、レンに謝った。

 

 すると宮沢健也は苦笑を浮かべ、話しかけてくる。

 

「君は本当に……レンのことを考えてくれているんだな。ここまで来ると、煩わしい以上に尊敬するよ」

 

 彼の言葉には強い皮肉が込められていたが、それは俺にというより彼自身へ向けられているようにも感じられた。

 

「———たぶん君は、私とレンが普通の父親になることを望んでいるんだろう。けれど、それはもう無理だ。これ以上この問題を放置すると研究にも差し障りそうだから、ここではっきりさせておこう」

 

 嘘っぽい笑みを消し、彼は真面目な表情で言う。

 

「私は、娘ではなく研究を選んだ父親失格の男だ。研究のためなら手段を選ばない最低な人間でもある。こんな私に、もう期待などするな」

 

「っ……」

 

 レンが息を呑み、ぐっと力を込めて俺の服を握りしめた。

 

 そして宮沢健也は目尻に涙を浮かべたレンに向けて、決定的な言葉を口にする。

 

「よく聞くんだ、レン。私は———君を愛せない」

 

 レンがぽかんとした表情で彼を見上げる。

 

「あんたはっ———」

 

 俺は彼を殴り飛ばしたい衝動を懸命に堪えた。

 

 レンを軽率にここへ連れて来たことを後悔する。こんな言葉を聞かせたかったわけじゃないのだ。

 

「……い」

 

 レンが顔を伏せ、小さな声で何かを呟く。

 

「…………らい…………らい……」

 

「レン?」

 

 肩を震わせ、レンは口の中で同じ言葉を繰り返していた。

 

 声は次第に大きくなり、レンは顔を上げて———叫んだ(・・・)

 

「嫌いっ! お父さんなんて、大っ嫌い!!」

 

 初めて聞くレンの怒声が室内に反響し、俺は呆然と(たけ)る彼女の姿を見る。

 

 レンは真正面から父親を睨みつけていた。その強い眼差しを受け、宮沢健也は笑う。

 

 そこには何故か、安堵(あんど)の色が含まれているような気がした。

 

「———それでいい。私を嫌って、私以上の愛を探すんだ。そうすればきっと、レンは幸せになれる」

 

「わたしはもう、幸せだもん! お姉ちゃんも悠お兄ちゃんもいるから———お父さんなんていらない!」

 

 それは、どうしようもないほどの決裂。

 

 けれど俺の目には、初めて二人がぶつかっているようにも見えた。

 

「では、問題ないな。私は遠慮なく研究に没頭するよ」

 

「勝手にして。わたしは、悠お兄ちゃんたちと仲良くするもん」

 

 レンはそう言うと、俺の手を引っ張ってエレベーターの方へと向かう。彼女の表情は何か吹っ切れたような、清々(すがすが)しい顔をしていた。

 

 宮沢健也の方を見ると、彼はもうこちらに背を向けている。

 

「悠お兄ちゃん、ありがとう」

 

 歩きながらレンが礼を口にした。

 

「え? いや、俺は感謝されるようなことなんて何もしてないぞ?」

 

 それどころか何もかもが空振りで、大失敗だったと言っていい。

 

「ううん、お母さんに会わせようとしてくれて、嬉しかった。それにお父さんと喧嘩できて……よかった」

 

 首を横に振って、レンは告げる。

 

「レン……」

 

 俺のせいで———レンをここに連れて来たことが切っ掛けで、二人の関係はどうしようもなく破綻した。

 

 辛くはないはずだ。けれど、レンが泣かずに前を進もうとしているのなら、俺が口にするべきは謝罪ではなく、彼女の背を押す言葉だ。

 

「———よし。レンがあのクソ親父に一言言ってやったことを、アリエラと亮に報告しに行くか」

 

「ん」

 

 俺の言葉にレンは笑顔で頷く。

 

 そして俺たちはエレベーターに乗り込もうとするが、その時———甲高い警報音が研究室に鳴り響いた。

 

「何だ———?」

 

 俺とレンは足を止め、辺りを見回す。

 

「どうした?」

 

 宮沢健也は足早く内線電話を取り、電話の向こうへ問いかける声が微かに聞こえてくる。しばらく様子を(うかが)っていると、彼は電話を置いて、こちらに声を掛けて来た。

 

「———二人とも、緊急事態だ」

 

「何があったんですか?」

 

 俺はレンと共に彼の方へ向かう。

 

 レンは少し気まずそうな顔をしているが、今は気にしている場合ではなさそうだ。

 

「ユグドラシルが急速に枝を伸ばして、周囲への干渉範囲を広げているらしい。数時間後には、この研究所付近にも電気的な障害が発生するだろう」

 

「なっ……何で突然———」

 

「さあね。君たちが準備を整える前に、先手を打ってきたのかもしれないな。ともかく、君たちは一階の正面玄関へ向かってくれ。他の"D"たちにも連絡を入れる。車を回すから、急いでユグドラシルから遠ざかるんだ。干渉範囲に入ってしまうと、君たちは上位元素(ダークマター)を生成できなくなってしまうからね」

 

 こんな状況でも焦りを見せず、彼は淡々と指示を出す。

 

「分かりました。では、行きます」

 

 俺が頷くと、彼は軽い口調で答える。

 

「ああ、私がここで研究を続けられるように精一杯頑張ってくれ」

 

 その言葉に顔を(しか)めたレンは、あかんべーを返して俺の手を引っ張った。

 

「……悠お兄ちゃん、行こ」

 

「おう」

 

 俺は苦笑をしつつ、レンの後に続いてエレベーターに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飛ばしますからシートベルトはちゃんとしてくださいよ?」

 

 そう言って大型のバンを発進させたのは、遊園地に行く時もお世話になった中年の女性運転手だった。

 

 "神界"で仕事を終えた僕は下界に戻り、ユグドラシルが動き出したことを知った。

 

 僕は玄関口で悠とレンちゃん、深月さん、リーザさん、フィリルさん、アリエラさん、ティアちゃん、篠宮先生と合流して、指示通りシートベルトを着用して、緊張した顔を見合わせる。

 

 下界では就寝前の時間だったようで、リーザさんとフィリルさんは髪が()れていた。たぶんちょうどお風呂に入っていて、慌てて支度をしたのだろう。

 

「篠宮先生、完全に予定外の事態ですが———これからどうしますか?」

 

 張りつめた空気の中、深月さんが篠宮先生に訊ねる。

 

「詳しい情報が集まるまでは、東へ逃げてユグドラシルから距離を取る。干渉範囲の拡大速度、および正確な境界線が判明したら攻撃に転じよう」

 

 篠宮先生は膝に置いたノートパソコンを操作しつつ、返事をした。アスガルやニブルから情報を集めているのかもしれない。

 

「そうですわね……際限なく枝を伸ばされれば、何もできなくなってしまいます。範囲外からユグドラシルが伸ばした枝を破壊して、干渉範囲を押し戻さなければ」

 

 リーザさんが頷き、窓の外に目をやる。

 

 時刻は夜の十時。外は闇に沈んでいた。暗い景色の中、外灯や窓の明かりがあっという間に過ぎ去っていく。

 

 電子干渉の影響はまだ付近に及ぼしていないが、湾岸に沿う高速道路へ入ると、西へ向かう道路が大渋滞を起こしていた。恐らく道の先が干渉範囲に入ったせいで、車が動かなくなったのだろう。

 

 東への道も混雑しているが、今は辛うじて車が流れている。

 

「干渉範囲を押し戻して……その後は? 現状維持? それとも……討伐作戦を実行する?」

 

 フィリルさんが先の方針について疑問を口にすると、アリエラさんが応じる。

 

「ここはもう、作戦を実行するしかないよ。たとえ倒し切れなくても、あんなに巨大化したユグドラシルは破壊しておくべきだと思う」

 

 深月さんはアリエラさんの言葉に頷き、皆を見渡す。

 

「私も、同意見です。可能な限り接近してユグドラシル本体を叩きましょう。その後、兄さんは可能であれば"霊顕粒子(エーテルウインド)"を散布し、対竜兵装と亮さんの気功波による精神破壊を狙ってください」

 

「了解」

 

「分かった」

 

 僕と悠は返事をすると、窓から東京の夜景がよく見えてきたが、数えきれないほどの電気の明かりが西側から削られるようにゆっくりと消えていった。

 

「ユグドラシルのテリトリーが、東京都心にまで迫ってきたようですわね。何だか……街が次第に死んでいくようです」

 

 リーザさんは灯火が失われていく街を見つめて呟いた。

 

 しかし悠にとっては感傷に浸る余裕はないようだ。原作のように左腕が勝手に動くことがないように、右手で左腕を押さえていた。

 

「悠お兄ちゃん、平気?」

 

 小さな声でレンちゃんが悠に訊ねる。

 

「———ああ、今はまだ大丈夫だ」

 

 他の皆に聞こえないように会話をしているが、僕には丸聞こえだ。

 

 二人の仲は観覧車から降りた時よりも深まっており、このままいけば原作通り成功するが、何故か嫌な予感がする。

 

 分からないが、何かが起こるようで不安になってきた。しかしやるしかない。どんな状況になっても僕がなんとかするしかない。

 

 そう意気込んでいると、ノートパソコンを操作しながらどこかに電話をしていた篠宮先生は、通話を切って僕たちに告げた。

 

「ニブルの監視衛星からデータを回してもらい、ユグドラシル周辺の電磁波異常区域———つまり奴が電気的な干渉を行っている範囲を、リアルタイムでモニターできるようになった。それによると干渉範囲が広がるスピードは次第に落ち、現在は時速三十キロ程度。既に十分な距離を稼いでいる。逃亡は終わりだ」

 

 そう言うと篠宮先生は運転手に近くへ停めてくれと頼んだ。

 

 運転手は「了解しました」と答え、ちょうど差し掛かったパーキングエリアへハンドルを切る。

 

「上層部のアスガルは日本政府と緊急協議を行い、竜災特別対応の許可を得た。これで手続き上は"D"の戦闘行為も問題ない。ただし住民や街に被害が出るような攻撃は固く禁じる」

 

 篠宮先生が話を続けている間に、車は駐車スペースに停まった。

 

 僕たちは車から降り、ユグドラシルの枝が迫っているはずの夜空を見上げる。

 

「暗いから、枝なんて見えないよ……」

 

 イリスさんが不安そうに呟いた。リーザさんも高速道路から見える景色を眺めて頷く。

 

「それも計算の内かもしれませんわね。昼間は薄らと見えたユグドラシルの本体も、今はどこにあるのかさっぱりですわ」

 

「……ここからだと、ユグドラシルまでかなりの距離があるしね。というか、近づくのにも、すごく時間が掛かりそう」

 

 憂鬱そうにフィリルさんが言葉を零した。

 

「夜だと狙撃できる距離も短くなるし、本体への攻撃は夜明け後にした方がいいんじゃないかな?」

 

 アリエラさんの提案に深月さんは首肯する。

 

「———そうですね。安全圏から枝を攻撃しつつユグドラシルへ距離を詰め、夜明けと同時に本体へ総攻撃というプランでどうでしょうか?」

 

 篠宮先生に意見を求める深月さん。

 

「それが賢明だろうな。しかしそうなるとかなりの長丁場となる。班を分け、交替で休憩を取りつつ進軍しよう。物部深月、フィリル・クレストを一班。アリエラ・ルー、レンミヤザワを二班。リーザ・ハイウォーカーとティア・ライトニング、大島亮を三班とする。飛行技術のない物部悠とイリス・フレイアは待機だ。君たちは攻撃の要ともなる。今の内に十分休息を取っておくように」

 

 悠とイリスさんは篠宮先生の言葉に頷いた。

 

「はい、分かりました」

 

「了解ですっ」

 

 そして篠宮先生は続けて皆へ指示を出す。

 

「各班は、一人が照明を生成し、もう一人が視認できた枝へ攻撃するという役割分担を行うように。残骸が市街地へ落下しないよう、砕く、斬る、という攻撃は控えて欲しい。焼き尽くすか、消し飛ばしてしまうのが最も安全だろう。もし残骸が落下した場合は、照明役の者が即座にフォローしてくれ」

 

「———はい!」

 

 僕たちは声を合わせて答え、最初に深月さんとフィリルさんがバンから降りて作戦を実行した。

 

 その間、悠の様子が少しおかしくなっていることに僕以外気付かなかった。

 

 恐らくユグドラシルが語りかけてくるのだろう。悠は皆に心配されないように平然を装う。

 

 僕は少し仮眠を取ることにしたが、先ほど感じた嫌な予感が的中することに気付くことはできなかった。


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