All I Need is Something Real 作:作図
>4/16(月) ー放課後ー
平塚先生に誘われて、五日ほど前に入ることになった奉仕部。とりわけ人気のない場所にある奉仕部の部室に、慣れた足取りで入ると、既に部活に来ていた二人は、自前の本を熟読していた。そんな二人に軽く挨拶を交わして、俺も鞄の中から一冊の参考書を取りだす。
他愛ない話も交えながら、十分程たった頃か。突然に来訪者のノックの音が響いた。
「どうぞ」
雪ノ下は持っていた本を机の上におくと、扉に向かって声をかけた。
「し、失礼しまーす」
少し上ずった声で返事が返ってくると、少しだけ開いたドアの隙間から一人の女子生徒が入ってくる。ピンクがかった茶髪とお団子頭が特徴的で、活発そうな印象を持った。
「な、なんでヒッキーがここにいんのよ!?」
「……いや、俺ここの部員だし」
「知り合いなのか?」
「いやそれが…、正直誰だか分かんないっす…」
反射的に俺は比企谷に尋ねたが、どうやら彼は由比ヶ浜さんに覚えがないらしい。彼女に一応は配慮してなのか、俺にだけ聞こえるような声で比企谷は囁いた。
「まぁ、とにかく座ったら?」
ここの部長である雪ノ下がそういうと、とっさに比企谷が椅子を引いて、彼女に席を勧める。彼女は戸惑った様子ながらも、勧められるままに雪ノ下の対角の椅子にちょこんと座った。
「由比ヶ浜結衣さん、ね」
「あ、あたしのこと知ってるんだ」
彼女、由比ヶ浜結衣は名前を呼ばれるとぱあっと表情を明るくした。
「お前よく知ってるなぁ…。全校生徒覚えてんじゃねぇの?」
「そんなことはないわ。あなたのことなんて知らなかったもの」
「そうですか…」
「別に落ち込むようなことではないわ。むしろ、これは私のミスだもの。あなたの矮小さに目もくれなかったことが原因だし、何よりあなたの存在からつい目を逸らしたくなってしまった私の心の弱さが悪いのよ」
「ねぇ、お前それで慰めてるつもりなの? 最後、俺が悪いみたいな結論になってるからね?」
…また始まった。喧嘩するほど仲がいいとはいうが、雪ノ下と比企谷の間では、すぐこんな風なやりとりが始まってしまう。雪ノ下の刀のような鋭利な罵倒に、比企谷が耐えながら合わせているような形だ。
「慰めてなんかいないわ。ただの皮肉よ」
「強く生きろ比企谷…」
「先輩…俺もう辛いっす」
そして俺がこのように彼を励ますまでが一連の流れである。このコントのような掛け合いを見た由比ヶ浜は、きょとんとした目で俺達三人を見ていた。
「なんか……楽しそうな部活だね」
それを聞いた比企谷と雪ノ下の両名は、ほぼ同じようなタイミングで由比ヶ浜に視線を向けた。こういうのを見ていると、やっぱり相性自体はそこまで悪くない様に思える。
「…お前、頭の中お花畑なの?」
「別に愉快ではないけれど…。むしろその勘違いがひどく不愉快だわ」
由比ヶ浜はあわあわと慌てて、誤解を解くように両手をぶんぶん振った。
「あ、いやなんていうかすごく自然だなって思っただけだからっ!ほら、ヒッキーもクラスにいるときと全然違うし。ちゃんと喋るんだーとか思って」
「いや、喋るよそりゃ…」
「由比ヶ浜と比企谷は同じクラスなんだな。なんだ、やっぱり知り合いじゃないか」
同じクラスに加えて、親しみのあるようなアダ名で呼ばれているあたり、恐らく知り合いなのだろう。
「え、いや…。ハハハ…」
「…まさかとは思うけど、由比ヶ浜さんの事知らなかったの?同じクラスなのに?」
雪ノ下の問いかけに比企谷は分かりやすくギクっと体を震わした。あー…。
「いや…。し、知ってるよ」
比企谷はそうは言ってはいるものの、由比ヶ浜からは不自然に目を逸らしている。言葉と行動が噛み合っていなかった。
「…なんで目逸らしたし」
「ああ、やっぱり知らなかったんだな」
彼が最初に言ったとおり、本当に由比ヶ浜さんの事を知らなかったらしい。てっきり知り合いだと思っていたが…。
「そんなんだから、ヒッキー、クラスに友達いないんじゃないの?キョドり方、キモいし」
「…このビッチめ」
「はぁ?ビッチって何よっ! あたしはまだ処― な、何でもないっ!」
由比ヶ浜は顔を真っ赤にして、手をブンブン振り回して先程の発言を取り消そうとする。だが、言葉とは羽が生えているもの。撤回なんて基本出来ようもない。それに、別段恥ずかしがることでもないように思うのだが…。この年で処女なんて恥ずかしがることでもないだろう。
「…この年なら別に普通じゃないか?」
俺は思ったとおりに口をすると、雪ノ下もそれに同調する。
「そうよね、別に恥ずかしいことではないでしょう。この年でヴァージ―…」
「わー! ちょっと何言ってんの!?高二でまだとか恥ずかしいよ!」
そ…そういうものなのだろうか?初体験のタイミングなんて人それぞれ違っていいと思うが。
今しがたの由比ヶ浜の発言を聞いて呆れたのか、雪ノ下の冷たさがどことなく増しているように感じる。慌てて俺は由比ヶ浜に本題を話すように促すと、かすかな沈黙の後、彼女はふぅと短いため息をついて、少し不安気に切り出した。
「…あのさ、平塚先生から聞いたんだけど、ここって生徒のお願いを叶えてくれるんだよね?」
「少し違うかしら。あくまで奉仕部は手助けをするだけ。願いが叶うかどうかはあなた次第」
「どう違うの?」
「飢えた人に魚を与えるか、魚の獲り方を教えるかの違いよ。自立を促す、というのが一番近いのかしら」
「な、なんかすごいねっ!」
高尚な雪ノ下の理念に感心したのか、彼女はほえーっと口を半開きにして首を縦に揺らす。見るからに半分も理解してはなさそうだが、そっとしておこう…。
「必ずしもあなたのお願いが叶うわけではないけれど、できる限りの手助けはするわ」
その言葉で本題を思い出したのか、由比ヶ浜はあっと声をあげる。
「あの…、あのね、クッキーを…」
言いかけた彼女は比企谷や俺の表情をちらりと見た。その表情はどこか気難しいそうな、もどかしいような、そんなものが読み取れる。要するに、男子がいると話しにくいという事だろう。女の子同士の方が話しやすいことなんていくらでもあるし、俺達は早々に立ち去ったほうが良いかもしれない。
「悪い、喉が乾いたから比企谷と自販機に行ってくる。二人も何か飲みたいものはないか?遠慮なくいってくれ」
「そうですか。なら私は『野菜生活100いちごヨーグルトミックス』をお願いします」
「あ、あたしは何でも大丈夫です…」
「了解だ」
しっかりと部室の扉を閉め、俺と比企谷はだらだらとした足取りで自販機に向かった。
* * * * * * * * * * * * * * *
自販機で彼女らの分を含めた、四人分のジュースを購入する。俺が四人分奢ろうとしたのだが、比企谷がそういうわけにはいかないと言い、結局四本分の費用を折半した。
「前から思ってましたけど、先輩よくこんな怪しい部活に入りましたね」
俺だったら絶対入らないですけど、と、心底不思議そうに尋ねられた。
「そうか?結構楽しそうな部活だなーと思ったけど」
「いやいや…どこがですか?」
「えっとそうだな…。こんな外れにあるとことか、奉仕部っていう名前とか、あとはしっかりした目的があるところとか…かな。まぁ…その場の雰囲気で入った所もないとは言えないってのが本音だな。でもこうして依頼者も来たし、入って良かったって思ってる」
俺の答えを聞いて彼は怪訝な表情を浮かべる。まじかよこの人とでも言いたげだ。
「前の学校では部活とかは入ってなかったんですか?先輩バリバリの運動部っぽい感じですけど」
「ああ、確かに運動部にも入ってたぞ。バスケ部に入ってた」
「へぇー、まぁそんな感じしますね」
「あとは吹奏楽部もやってたかな」
「あー吹奏楽部。文化部擬きのブラック部活って有名なあれっすね…。え、バスケ部と兼部してたんすか?」
「あ、あぁ。うちのところはそんなブラックでもなかったけど。他にはそうだな…、部活以外だとアルバイトとかもやってたかな。家庭教師とか」
他にも病院の清掃に学童保育、その他諸々と色々なアルバイトをしたおかげで経験は色々と積めたと思う。
「はぁ…。前の学校で先輩どんな高校生活送ってたんすか…」
彼はさっぱりわからないといった表情で、どこか呆れたように言った。そんなに変な事を言っただろうか?
「全然普通の高校生活だと思うけど」
「真顔でボケないで下さい。それが普通とか普通のハードル高すぎるでしょ」
「そういうものか」
「はぁ……。その、バスケとか吹奏楽部を続けるつもりはなかったんですか?」
「あぁ、それももちろん考えたんだけど、バスケも吹奏楽部も、この時期に加入っていうのは流石に遅すぎてなぁ…。だからこうしてまた部活に入るとは思わなかったよ」
「ちゃんちゃらおかしい部活ですけどね」
「そういう比企谷こそ、どうしてこの部活に入ったんだ? いや、何かの罰で強制って事は知ってるけど、何やらかしたんだ?」
「やらかしたのは前提なんすか…」
話の流れで、今度は俺が比企谷に問い質す。彼が強制的にこの部活に入れられたであろうことは知っていたが、その具体的な理由は俺は未だ知らなかった。比企谷はどう答えたらいいものか悩みながらも、言葉を捻り出すようにゆっくりと話しだした。
「えっと…春休みの課題で高校生を振り返ってっていうレポートがあったんすけど、それの内容について呼ばれて。そしたら罰で奉仕活動をする事になって。そんで、気付いたらここに入れさせられてましたね」
「えっと…。その課題の内容が原因って事か。強制入部までさせられる文章って正直想像がつかないな。…まさか白紙で出したとか?」
「いや、むしろクラスの中でも結構上位に食い込む位書いたまであります。他人のレポートと比べた訳じゃないんで分かりませんけど」
「へぇ…意外だな」
「何がですか?」
彼は不思議そうに尋ねた。
「比企谷はそういうレポートの課題とか、適当に無難な内容を書いて終わらせるイメージがあったから」
彼はいつもぼっちが至高だとか、個人主義でニヒルな言動を何かとしていたので、わざわざ教師に目をつけられるような文章で提出したのは本当に意外だったのだ。
「べ、別に。…しっかりと俺の本音を書いたら目をつけられたってだけですよ。むしろちゃんと書いたのにも関わらず、こんな理不尽な罰を与える社会が悪いまである」
「なら、なおさら依頼も頑張らないといけないな。そうすれば、平塚先生の誤解もきっと解けるんじゃないか?」
「誤解は解けませんよ。そもそもその時点で解は出てるじゃないですか」
「なら、その誤解を塗り替えてやればいいさ」
「塗り替える…ですか? なんか先輩ってちょっと変わり者ですね」
「お互い様だ」
>比企谷との間に新たな絆の芽生えを感じる。
>新たな絆を手にいれたことで、"道化師"属性のコミュニティである"比企谷 八幡"コミュを手にいれた!
「そろそろ雪ノ下達の話も終わったと思いますし、先輩、戻りましょう」
「ああ、そうだな」
俺は足早に歩く気だるげな背中を追った。
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「話は終わったのか?」
部室で待っていた彼女達に、自販で買った飲み物を手渡す。もちろん代金は頂かない。それくらいの寛容さは当然に備えている。
「ええ、彼女は手作りクッキーを渡したい人がいるのだそうよ。でも、自信がないから手伝ってほしい、というのが彼女のお願いよ」
なるほど手作りクッキーか。人に料理を教えた事は結構あるから、俺も少しは役にたてそうだ。
「なんで俺達がそんなこと…、それこそ友達に頼めよ」
「う…、そ、それはその…、あんまり知られたくないし、こういうの知られたらたぶん馬鹿にされるし…。こういうの、友達とは合わない、から」
言葉を失って彼女は俯いた。友達とは合わない…か。人間関係で色々と抱えているのだろうか?
「あ、あははー、へ、変だよねー。あたしみたいのが手作りクッキーとか、こういうの流行ってもないしさ」
すっかり萎れてしまった姿に追い討ちをかけるように、雪ノ下は言った。
「…そうね。確かにあなたのような派手に見える女の子がやりそうな事ではないわね」
「だ、だよねー。変だよねー」
たはは、と由比ヶ浜は笑ってみせる。それは、快活なものではなく、誤魔化すような、呑み込もうとする笑みだ。そんな無理したような笑みが、稲羽の仲間達と合う前の自分と重なって見えて、胸が締め付けられる。
だがらだろうか、俺は、彼女の願いに協力したいと思った。それに彼女は、自分のキャラじゃないと分かっていても、こうして手作りクッキーを大切な誰かに渡すために、こんな外れにある部室まで来たのだ。その気持ちはきっと本物だろう。
「…由比ヶ浜は、その人に喜んでほしくて、わざわざ慣れない手伝りクッキーに挑戦しようと思ったんだろ?そういうのって、すごいことなんじゃないか?」
「そ、そうかな…」
彼女はまだ不安そうだ。どこか俺達に遠慮しているようにも見える。
「ああ、一人じゃできなくても、俺達は四人もいる。きっとクッキーも上手くいくよ」
「そうね。私もちゃんと教えるわ。手順通りにしっかりと作れば大丈夫よ」
「俺も、カレーくらいしか作れねーが手伝うよ」
由比ヶ浜は俺達の言葉を聞いて、少し照れくさそうに口を開いた。
「あ…ありがと…。その、ヒッキーも」
「お、おう…」
「よ、よーしっ! やるぞー! その…よろしくお願いしますっ!」
すっかりやる気を出した由比ヶ浜は、最初に入って来たときの、明るく朗らかな調子に戻った。
「私が彼女に教えるから、二人は味見をして感想をくれれば大丈夫よ。家庭科室に許可を取って来るわね。三人は先に家庭科室で待ってて」
「あいよ」
こうして俺達の初の依頼である、由比ヶ浜のクッキー作りが始まった。
to be continued
タイトル日本語訳
『最初の依頼は料理らしい』
少し番長がヒッキーにちょっと踏み込むような話をいれました。番長は比企谷が『レポートの内容で平塚先生に問題児と勘違いされてる』という解釈をもっています。