All I Need is Something Real 作:作図
>5/6(日) ー夜ー
世界の命運をかけた戦いが終わり、*1長かったゴールデンウィークも最終日を迎えた。俺はたった今仲間達のいる稲羽を離れ、ほぼ貸切状態になっている帰りの電車で一人、隅っこの座席に腰かけている。
久しぶりに仲間達と会ったにも関わらず、長い戦いのためにあまり話すことは出来なかった。だが、代わりにとても頼りになる、新しい仲間もたくさん出来た。
機械の体を持つラビリス、俺達と同じようにペルソナ能力を持ち、世界の命運を背負って戦った『シャドウワーカー*2』の面々。どの人も個性的な人ばかりだったな…。
足立さんが現れたときは敵ではないかと疑ったが、実は俺達にちゃんと協力してくれていた。その後も彼は、現実のルールに従ってしっかりと自分の罪を償っているようだ。
そして、皆月。
この事件の黒幕を名乗って現れた彼とも、剣や拳、そしてありのままの言葉をぶつけ合うことで、最後には分かり合うことが出来たのだ。彼はその後、忽然と姿を消してしまったが…。きっと元気でやっている事だろう。
色々と辛く厳しい戦いではあったが、俺達はこうして、幸せでかけがえのない日常を守れた。俺の中で迸る安堵と喜びで、まるで風に流される綿のように、軽く穏やかな、そして白く澄み切った曇りのない空に溶けるような微睡んだ気持ちになる。そして俺はそのまま、意識をキッパリ遮断されたような濃密な眠りについた。
* * * * * * * * * * * * * * *
?/? ー?ー
暗闇の中で一人きり。
これは…夢なのか?
360度見渡す限り何も見えない。
床も、何もかも。
ただ困惑したまま、その空間に揺蕩うように浮かんでいると、どこからともかく、頭の中で鳴り響くように声が聞こえてくる。
出ていく前…。エリザベスが私に話したの。世界の果てに、自らを封印のくびきに投じた、一人の少年の魂が眠っている…。命の輝きを見失った人々が世界を破滅に誘うのを、その魂は身を挺して防いでいる…。自分はそれを救いにいくんだって…。
これは…マーガレットか? これはかつて俺達と戦った時に、俺達に話してくれた言葉だ…。
貴方はいつも、たくさんの人に慕われている…。あの人に似ていますね。
これは…そうだ、アイギスの声。
あの時の彼も、そんなふうに思っていたのかもしれないな。
これは桐条さん…。俺が一人で、塔の最上階に向かった時に言った言葉だ…。
そうだ…あの時。
あの時、マーガレットやアイギス、桐条さんが言っていた『彼』とは
一体誰の事だったんだろう?
俺はその答えを、何故だかもう既に知っている気がする。
突然、暗闇の深くから眩い一筋の光が辺りを覆っていく。訳も分からぬままに、その光をもがくように必死に追いかけて…。俺は…。
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>5/7(月) ー昼ー
今日から、いつも通りの日常がまた始まった。クラスでは「ゴールデンウィーク何やったー?」などという会話が至るところで飛び交っている。
俺は稲羽で買ったお土産のビフテキを、クラスの友達に皆に振る舞った。殆どの人からは硬いと文句を言われたが、それでも癖になる味と言われたのは嬉しかった。勿論、奉仕部の面々の分もしっかりと買ってある。
この時の俺は、昨日電車で見た奇妙な夢の事など、すっかりと忘れていたのだ。
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>5/7(月) ー放課後ー
「…という訳で俺はテニス部に入ろうと思うんだがどうだろう?」
「無理ね」
「いや無理って。お前さー」
「無理な物は無理よ」
比企谷の提案を雪ノ下が冷たく突っぱねる。だが今回の比企谷は珍しくも食い下がった。お土産のビフテキを齧りながら、違った角度からの抗弁を持って説得を試みる。
「いや、でもさ、俺を入部させようって言う戸塚の考えも間違っちゃいないとは思うんだよな。要はテニス部の連中を脅かせばいいんだ。一種のカンフル剤として新しく部員が入れば変わるんじゃないか?」
「あなたに集団行動が出来ると思っているの? あなたみたいな生き物、受け入れてもらえるはずがないでしょう? つくづく集団心理が理解できてない人ね。ぼっちの達人は伊達じゃないということかしら」
「お前が言うな。大体お前だって――」
はぁ…またこれだ。見慣れてしまった二人の口論にやや呆れながらも、今聞いた話を頭の中でまとめる。
事の発端は、比企谷が戸塚さんという友達にテニス部の活気を上げる為に、部活に入ってほしいと勧誘されたことから始まった。その戸塚さん曰く、テニス部はあまり強くなく、テニスが上手い比企谷が入れば、皆のいい刺激になると思ったらしい。
しかし新たに部活に入るとなると、今の奉仕部の部長にそれを告げない訳にもいかず、それを雪ノ下に相談したところで今に繋がる…と。
「二人とも落ち着け。その…それは新しい依頼だと捉えてもいいのか?」
「依頼…。なるほどそうっすね。じゃあ戸塚の為に俺がテニス部に入る、そしてその手伝いが依頼…ってことで」
「あなた、話聞いてなかったの? …それにもし、もし仮に比企谷君が新たにテニス部に入ったとしても、あなたという共通の敵を得て一致団結するだけよ。排除するための努力をするだけで、それが自身の向上に向けられる事はないといえるわ。つまり、解決にはならないの。ソースは私」
なるほど。新しく部活に入ると初めのうちは邪険に扱われてしまう…。現実問題としては確かによくあることかもしれない。彼女のソースについてはそっとしておく。
「でも比企谷がそこまでやる気になるなんて珍しいな」
「…確かにそうね。誰かの心配をするような人だったかしら?」
「やーほら、誰かに相談されたのって初めてだったんでついなー」
比企谷は頼られた事が本当に嬉しかったのだろう。本人は気付いてないのだろうが、頬が自然と緩んでいる。それを見て、何故か張り合うように雪ノ下も一言溢す。
「私はよく恋愛相談とかされたけどね」
恋愛相談と聞いて、そういえば俺も友達から相談を受けたなー……なんて思い出した。淡き青春の一ページだ。
俺の受けた恋愛相談は、男子バスケ部に所属している女子マネージャーの海老原から、そこの部長として活躍している一条に好意を抱いていることを、大胆にも打ち明けられた事から始まった。ちなみに俺はその女子の事をエビと呼んでいる。
そこで、色々と彼女と話し合った結果、一条の好きな人を俺が探っていくことになった。作戦通り、体育倉庫にこっそりとエビが隠れ、俺がそこで一条に好きな人を尋ねたまではいいものの、彼は俺の仲間の一人でもある『里中千枝』に、恋慕の情を抱いている事が判明する。
それを聞いて深く落ち込んだエビが、俺をこれまた色々と連れ回して…。そんな様子を見て何か勘違いをした里中が、エビとさんざん揉めに揉めて、それを見ていた相棒の陽介はやたらめったらに盛り上がってて…。
クスクスと俺は自然と頬が緩みそうになる。あぁ、色々とあったが楽しかったな…。授業を抜け出したのもその時が初めてだった。
しかし雪ノ下がされた恋愛相談は、そんな甘酸っぱいものではなかったらしい。ぞろぞろと黒い炎が立ち上り始める。
「といってもそんないいものじゃなかったけれどね。女子の恋愛相談って牽制のために行われるのよね…。自分の好きな人を言えば、周囲は気を使うでしょ? 領有権を主張するようなものよ」
「なんだよそれ…。苦々しいものしか感じねぇよ…。女子って怖ぇ…」
「恋は戦争だからな」
「そうですね。まさに戦争そのもの…。しかも恐ろしい事に、向こうから告白されてきても女子の輪から外されるのよ? なんであそこまで言われなきゃならないのかしら…」
雪ノ下の黒い炎が更に黒さを増していく。下手に同情しても油を注ぐだけなので、ここもそっとしておこう。
「まぁ要するに、何でもかんでも聞いて盲目的に力を貸すのは駄目ってことだろ? その人自身が解決するべき事もあるだろうしな。でも、それでも、その上で助けられる事があるなら、それは俺らの出番じゃないか?」
「まぁその通りっすね。因みに雪ノ下ならどうすんだ? 俺が部活に入るのは駄目なんだろ」
雪ノ下はぱちぱち目を大きく瞬いてから、ちょっと微笑み混じりに答える。
「そうね…。死ぬまで走らせてから死ぬまで素振り、死ぬまで練習、かしら」
今時の体育会系でもそんな事は滅多に言わないと思うが…。比企谷も俺も半ば本気で引いていると、今話題の人物を引き連れてガラッと由比ヶ浜が入ってきた。
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「やっはろー」
由比ヶ浜らしいお気楽な挨拶が聞こえる。俺はこの挨拶が結構気に入っている。ただ、それに「やっはろー」と返すのは今のところ俺だけだ。密かに流行らせたいなんて思ってたり。
その背後に、白い肌をした女の子が、小動物のようにきゅっと由比ヶ浜にくっついていた。部室をきょろきょろと見渡している彼女は、比企谷を見かけた途端、ぱぁっと咲くように笑顔を見せた。
「あ……比企谷くんっ! ここで何してるの?」
「戸塚!? い、いや俺は部活だけど…お前こそ、なんで?」
「今日は依頼人を連れてきてあげたの、ふふん。やー、ならなんてーの? あたしも奉仕部の一員だしね?」
由比ヶ浜が胸を反らして自慢気に言った。自然と目が吸い寄せられてしまう…。いや、今はそんな場合じゃない。由比ヶ浜は依頼人を連れてきたと言った。つまり彼女、戸塚さんは何かしらの依頼があると言うことだ。
「君が比企谷の言っていた戸塚さんなんだな…。となると、依頼はテニス部の事で合ってるか?」
「そ、そうです。テニス部を強くしてほしくて…。でも何でそれを?」
「比企谷から聞いたんだ。彼は戸塚さんの事を随分と心配していたよ」
「そ、そうなんだ…。ありがとうっ! 比企谷くんっ!」
「お、おう。まぁなんだ…うん、当然だ」
比企谷はしどろもどろに告げると、顔を真っ赤にして、戸塚の顔から目を反らした。ほう、これはこれは…。比企谷も罪な男だな…。
「ふぅ…。本人から依頼があった以上、
その言葉に、俺は少しばかりの違和感を覚えながら相槌を打つ。
「は、はい、そうです。ぼ、ぼくがうまくなれば、みんな一緒に頑張ってくれる、そう、思う」
「そうか。まぁ、俺は戸塚の頼みだし手伝うのはやぶさかではないんだが、具体的に何をどうやんだよ?」
「さっき言ったじゃない。覚えてないの? 記憶力に自信がないならメモをとることをお勧めするわ」
「死ぬまで練習、か。本当にそうするのか?」
まぁ確かに上手くなるには努力を重ねるしかない。もちろん効率的な方法で練習を行うことも大切だが、それにしたって、やはり本人の努力が上達への絶対条件だろう。
「ええ、戸塚くんは放課後はテニス部の練習があるのよね? では昼休みに特訓をしましょう。コートで集合でいいかしら?」
雪ノ下は明日からの段取りをてきぱきと決めていく。大丈夫だろうか…雪ノ下さんなら本当に死ぬまでやりかねないが。
でも、もし戸塚さんに過度に負担がかかるようなら、そこで俺が止めに入れば大丈夫だろう。俺が雪ノ下さんの提案に頷くと、話を聞いていた由比ヶ浜と戸塚もこくっと頷く。
「それって、…俺も?」
「当然。どうせお昼休みに予定なんてないのでしょう?」
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>5/8(火) ー昼ー
こうして翌日から、奉仕部による雪ノ下地獄の特訓が幕を開けた。テニスコートにつくと、既に俺以外の全てのメンバーが揃っている。何故か材木座もいるが。
「では、始めましょうか」
「よ、よろしくお願いします」
「まず、戸塚くんに致命的に足りていない筋力を上げていきましょう。上腕二頭筋、三角筋…その他諸々を鍛えるために腕立て伏せ…とりあえず、死ぬ一歩手前ぐらいまでやってみて」
「ゆ、ゆきのんすごい…。え、死ぬ一歩手前?」
あぁ…やっぱり『死ぬまで練習』のスタイルのままいくつもりなんだな…。しかしながら、雪ノ下の言っていることも分からなくはない。実際、筋肉というものは傷めつけた分、より強く筋繊維が結びつき強くなっていくものなのだ。筋肉が不足している戸塚さんには適したメニューだと言えるだろう。
「死ぬ一歩手前までやるのは、超回復と呼ばれる筋肉の働きを起こさせる為なんだ。基礎代謝を上げるためにも妥当な練習なんじゃないか」
「基礎代謝?」
「簡単に言うと、運動に適した身体にしていくということね。基礎代謝が増すとカロリーを消費しやすくなるの」
「…つまり痩せるの?」
「痩せやすくはなると思うけれど」
「そうなんだ…。…よしっ、決めた! さいちゃん、あたしもやるーっ!」
痩せるという言葉の魅力につられて、由比ヶ浜は戸塚に並んでせっせと腕立て伏せを始めた。五月とはいえそれなりの暑さの中、筋トレの辛さを押し殺すように漏れる彼女らの吐息はどことなく扇情的で、俺を何とも奇妙な気持ちにさせる。
比企谷と材木座も同じような気持ちになっていたようで、彼女らをたまにチラチラと覗くように見ていた。くっ! なんでこういう時に限って録画出来るものがないんだ…。過去の失敗をまた繰り返すことになろうとは…。
自身の不甲斐なさに心の中で咽び泣いていると、突然。背中に冷水でもぶっかけられたかのような、強烈な寒気に襲われた。
「あなたたちも運動してその煩悩を振り払ったら?」
「ふ、ふむ。訓練を欠かさぬのは戦士の心得。わ、我もやるとするかー!」
「だ、だな。運動不足は怖いもんな…」
土下座でもするんじゃないかって勢いで腕立て伏せを開始した二人。それをゴミでも見るような目で冷たく見下ろす雪ノ下は真に氷の女王だった。そっとしておこう。
「何つっ立ってるんですか? 先輩もやるんですよ?」
「ですよねー」
結局、今日の昼休みは腕立て伏せをして終わった。
to be continued
タイトル日本語訳
『帰ってきた日常。』