一刀が私塾へ入学してから、ひと月が経過していた。一刀は李儒の鉄壁防備の元、牛輔と郭汜、そして郭汜の幼馴染である李傕とともに毎日を楽しく過ごしていた。
この李傕という少年は一刀とは同じ年とは思えないほど体が大きく筋骨隆々な軍学科の二年生で、自らの筋肉を育て上げることだけに生きがいを持つ学業の成績最下位を袁紹と競っている猛者である。
「なあ董白よ、聡明なお前ならわかるだろう?三かける七は一体何になるんだ?」
「二十一だよ。」
「…ふむ。なあ董白よ。聡明なお前ならわかるだろう?四かける七は一体何になるんだ?」
「二十八だよ。」
「なるほど。なあ董白よ」
「だ~~~!!!もう、李傕!全部董白に聞いたら宿題の意味がないだろ!董白だって自分のがあるんだぞ!」
ここは寮の談話室。五人で宿題を片付けていたが、九九の七の段を一つずつ聞いている李傕に業を煮やして李儒が叫んだ。
「し、しかし李儒…かけ算なんぞ将来そうそう使うまい!こんなもの覚えるよりも俺は筋肉を作りたいぞ!」
「かけ算はそこそこ使うよ!!…まったく、董白も素直になんでも答えすぎ。たまには自分で考えさせなきゃ。」
「あはは、ごめん。」
一刀は頭をかいた。李傕は教科書を唸りながら睨みつけ、しかし筆は一向に進まないようだ。
牛輔と郭汜の二人はなにやら一緒の本を読みながらニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら談笑している。李儒が念氣で見るまでもなくあの二人がおどろおどろしい色に染まっているのは明白だ。
「…ところでさ、董白。最近休みの日になると姿が見えないけど何かしてるのかい?」
李儒には最近気になることがあった。董白は休みの日になると必ず、朝早くから食堂で余りものをたくさん貰って愛馬の白亜とどこかへ出かけるのだ。
「えっとね、友達に会いに行ってるんだ~」
筆を進めながらそういう一刀だったが、その言葉にすこしソワソワした気持ちになる李儒。
「と、ともだち…。」
「うん!とってもいい子なんだよ~!」
「そ、そう…なんだ…へ、へ~…」
李儒は複雑な感情を禁じえなかった。近頃では董白の周りにはたくさんの人が集まるようになってきていた事もあってそれに拍車をかける。
王学科の授業があってからこちら、上級生の袁紹は頻繁に教室にやってきては愛でるように接しているし、そのとりまきの顔良、文醜、田豊も董白を気に入っているようだ。曹操は事あるごとに董白と意見交換をしているところを見ると、少々の棘を感じるが人となりを認めているらしい。あの曹操が意見交換などと最初はみんなを驚かせていたが今ではお馴染みの光景だった。彼女を慕う一年生の曹仁、曹純姉妹とも親交を深めつつあり…しかし時折、夏侯惇に理不尽な絡み方をされているのは同情したが。いつも凛としている孫権も董白の朗らかさにあてられてか、笑みを零しては気安い関係を築いているようだ。劉備に至っては完全に董白に懐いてしまっていた。
李儒自身も人当たりの悪い方ではないから一人ぼっちというわけではないが、なんだか焦りを感じてついつい横目で気にしてしまう。これは幼馴染の女の子の話を聞いているときも同じだった。
「(なんかモヤモヤするな…)」
李儒の心がこの時すでに少しずつ変化していたのだが、それにはまだ気付いていなかったのだった。
ところ変わって武威の街。普段政務を取り仕切っている一刀の母、夕陽はその日の仕事を片付け家に帰るところだった。仕事もきっちり熟し、いつでも冷静で聡明であり、皆に慕われている夕陽。その背に「お疲れさまでした!」と挨拶を受けて職場を後にする姿は周囲の羨望を集めていた。
商店の前を通れば色々な人が声をかけ、それに丁寧に会釈をして通り過ぎる。
「ほんと、あの人は凛としていて素敵よね~!」
「ほんとよね~!」
なんて会話が聞こえてくるほど、近所で有名な素敵過ぎる奥さん。
だが皆は知らない。その素敵過ぎる奥さんは家に帰ると…
「月ちゃ~ん!ただいま~!」
「へぅ~!お母さん、おかえりなさい!」
トテテと駆けてくる月をギュッと抱きしめて頬ずりする夕陽。
「ん~…!お母さんね、月ちゃんに会いたくて会いたくて仕方なかったの~!月ちゃ~ん、ぎゅ~!!」
「へぅ~?!」
もみくちゃにされて目を白黒させる月だったが、構わず頬ずりをやめない夕陽。
それからしばらくして玄が家に帰って来た。すると今度は大泣きしながら飛びついてくる。
「うわ~ん!あなた~~~~~!!!!」
「どわっ!?な、なんだ…ってまたいつもの発作か?」
半ば過呼吸になりながら泣きついてくる夕陽を撫でながらため息をつく玄。
「一刀ちゃんに会いたいよ~!!私、もうダメなの~!!家に帰ってきて一刀ちゃんが居ないなんて、こんなのヤダヤダヤダ~~~!!!」
「わかったから落ち着け…あ~、月、おつかれさん。」
「へ、へぅ~…」
それまで月に泣きついていたのだろう、疲れ果てて目を回している月に一声かけると夕陽に向き直る玄。
「一刀が私塾に入ってまだひと月しか経ってないだろうが。」
「ひと月“も”なの!!あなたと月ちゃん、それに一刀ちゃんが居ないと私は生きていけないの~~~!!!
ああ…一刀ちゃんもきっとお母さんを想って泣いているわ。そうに違いないもの…!」
そう、その素敵過ぎる奥さんは家に帰ると…こうなのだ。
外ではきっちりしている凄腕政務官も、誰の目もない家族の前だけは超甘えん坊のバカ親に変貌する。
「一刀ちゃん分が足りないと私もう死んじゃう…ぐすっ」
「お前は一刀から何を吸収してたんだよ…。」
その時、玄関の外から「ごめんくださ~い!」という声が響いた。とっさに夕陽は外向きの顔になり「は~い!」と玄関を開ける。外に立っていたのは軽装だが装備を整えた見慣れない青年だった。
「あら?どちらさま?」
「水鏡の街にある商会に配属している護衛の者ですが、董白さんのご家族でお間違いないですか?」
「はい、そうですが…」
唐突に一刀の名前が出てドキッとする夕陽。まさか子に何かあったのだろうか。玄もまた心配して顔を出す。
「実は、武威に来る前にその少年に頼まれて手紙を預かっているんですが…」
「手紙?!一刀ちゃ…こほん、一刀から?!」
差し出された封筒を奪うように取る夕陽。開いて文面を見てみると、間違いなく一刀の字だった。
「一刀!一刀だわ!…ふむふむ…良かった~、楽しくやっているみたいね~!」
「ほう、元気そうで何よりだな。」
「こうしちゃ居られないわ!すぐに返事を書かなきゃ!!すみませんが、明日の朝また来てくれるかしら?それまでに書いておきますから…」
青年に向き直ってそう言う夕陽。
「あの…申し訳ないんですが急ぎの出荷がありまして、今日の夜にはここを発ってしまうんです…」
すると夕陽は笑顔のまま青年の胸倉をつかんだ。
「朝までいるだろ?あ゛ぁ?」
「ひぃぃ?!は、はい!!朝一番でお伺いいたします!!」
「はい、よろしくお願いしますね~!」
「はいぃぃ!そ、それでは失礼いたします!!」
青年は涙目で走り去っていった。それを見届けると夕陽はポンと手を叩いて、
「さ、みんなでお手紙を読んでお返事書きましょ~!」
「お、おう…」
「へぅ…」
そう言うのだった。
因みに、一刀の入塾が一年ずれ込んだのはこの夕陽が原因だった。実は九才の時には水鏡から推薦状が届いていたのだが、御覧の通りの夕陽が「子の将来を思えば私塾にも通わせたいけど、心の準備が出来ていない!」とゴネにゴネたのだ。水鏡の計らいで特別に一年だけ待ってもらい、その一年で玄が懸命に説得し入塾を果たせるようになったのだった。
夕陽が意気揚々と居間に向かおうとしたとき、一枚の紙が落ちていることに玄が気付いた。きっと乱暴に手紙をひったくった時に間から抜け落ちたのだろうと思い拾い上げると、そこには『授業参観』の文字が。よく見てみると、どうやら来月に開催されるようだ。
「お、おい夕陽!これ見てみろ!」
「…まあ!!」
その日から夕陽は枕元に授業参観の用紙をおいては、たまにそれを眺めて「一刀ちゃんに会っえる~♪会っえる~♪」とゴロゴロ。まさにウキウキが止まらないといった様子だった。寝る時も抱きしめて寝るものだから、破れてしまわないように玄が寝付いた夕陽の腕からそっと外すというのが日課となったのだった。
今回もお付き合いくださりありがとうございます!授業参観の前に次回はanotherstoryになります!
それでは皆さんのご感想お待ちしております!