全身が粟立つような感覚だった。
今まで何度も行ってきた演習とは違う空気。
これは実戦だ。
吹雪はほぼ直感的にそう感じていた。
相手は敵だ。完全に自分に危害を加えようとしている。
そう思うと、嫌でも気が引き締まった。
練習生108番は正気を失っている。
演習用とはいえ艤装。その攻撃が当たれば只では済まない。
攻撃を躱しながら、相手を鎮圧しなければならない。
一瞬、逃げることも考えたが、吹雪はすぐにその考えを捨てた。
背中を見せれば狙い撃ちされる。
なによりこんな危険な相手を放っておけなかった。
回り込むように移動しながら、徐々に距離を詰めていく。
108番が何度も主砲を放った。
空を切る音と共に地面が爆裂する。
その中を一気に駆け抜ける。
こちらも艤装があれば。そう思った時には、108番が既に目の前まで来ていた。
懐に飛び込んで拳を叩き込む。それで終わるはずだ。
108番が笑った。
背筋に冷たいモノが走る。
咄嗟に身を躱す。主砲ごと、108番が腕を振り下ろした。
怒り狂っているように見えて、意外と冷静だったらしい。
最初からカウンター狙いだったのだ。
思わぬ反撃に吹雪が面食らう。
そこにすかさず、主砲が撃ち込まれた。
躱しきれない。
咄嗟に急所は腕で守ったが、それごと押しつぶすかのような重みが、体に叩きつけられた。
軽い吹雪はそのまま吹っ飛んだ。
受け身を取ることも出来ず、地面に転がる。
立ち上がろうとして、崩れた。
足が言う事をきかない。
頭も打ったのか、世界が歪んで見えた。
「私の勝ちだ」
勝利を確信したのか、108番は口角を上げた。
主砲の先端が吹雪の方に向けられる。
――終わりか。
頭にそんな言葉が過った。
終わるのか。こんな所で。
兄に会うために艦娘になった。
二年間、辛い修行に耐えてようやく掴んだ好機を、こんなことで失うのか。
「嫌だ」
思わず言葉が漏れる。
「絶対に嫌だ。私は、艦娘になるんだ……」
ほとんど執念だけで立ち上がる。
ぼやけた視界の先で、笑う108番の姿が見えた。
「辛そうだな。今、楽にしてやるよ」
音が聞こえた。
砲撃の音だ。
もう躱す体力も残っていない。
せめて、防御だけはしなければ。
吹雪は両腕を前に構え、衝撃に備えた。
少し経った。
砲弾が来ない。
不可思議に思った吹雪が構えを解くと、目の前には信じがたい光景が広がっていた。
「あ。あ……」
目の前に何かが浮いていた。
黒く、大きい。両腕をいっぱい伸ばした位の長さがあって、丸太のように太い。
よく見ればそれは軍艦だった。
小さな軍艦が宙に浮いている。
にわかには信じがたい光景だ。
「な……」
108番も茫然と立ち尽くしていた。
吹雪は目の前に佇むその船が、よく見れば特型駆逐艦・吹雪に酷似していることに気が付いた。
小さな吹雪だ。
薄っすらと光を放つそれは、まるで自分を呼んでいるかのように船体を揺らした。
先程の砲弾はこの吹雪が庇ってくれたのだろうと、理解した。
「もしかして……艤装?」
鎮守府に保管されていると聞く、艦娘・吹雪の艤装。
眼前にあるこの軍艦が、吹雪の艤装なのだろうと、直感で感じ取った。
いずれは自身が纏うはずの艤装。それが何故こんな所にあるのか。
「もしかして……助けに来てくれたの?」
艤装は答えない。
だが肯定するように船体を上下させた。
「……ありがとう」
そうに違いない。
きっと私を助けに来てくれたんだ。
そう思い、艤装に触れた瞬間。吹雪の視界が閃光に覆われた。
何かが染み込んでくる。
これは記憶だ。
特型駆逐艦・吹雪の記憶だ。
国を護るために生まれ、戦い抜き、異国の海に沈んだ吹雪。
戦いを終え、静かに眠っていた。だが深海棲艦という未曽有の危機に、再び国を護るために甦ってきたのだ。
体中に熱いものが流れるようだった。
やがて発光が終わり目を開くと、狼狽する108番の姿が見えた。
随分と長い時間が流れたような気がしたが、どうやら一瞬の出来事だったらしい。
いつの間にか、目の前の軍艦は消えていた。
そして、代わりに眩い輝きを放つ艤装を、吹雪は身に纏っていた。
「これが艤装……」
体の痛みも消えていた。
まるで細胞から生まれ直したような感覚と体の各部を覆う艤装。
特型駆逐艦・吹雪に自分はなったのだということを、実感した。
「一体なぜ……」
108番は顔面蒼白だった。
突然、鎮守府にある艤装が現れ、敵である少女と一つになったのだから当然だろう。
「……諦めて下さい」
吹雪は不意にそう言った。
「何?」
真っ直ぐと相手を見据え、吹雪は静かに言った。
「私は本物の艤装を纏い、艦娘となりました。もう貴方に勝ち目はありません」
その言葉に白かった108番の顔が段々と赤みを帯びてくる。
「武装を解除してください。大人しくしてくれればこれ以上は」
「黙れ」
108番は主砲を構えた。
「それは私のモノだ。返してもらおう!」
声を荒らげると共に砲弾が飛ぶ。
吹雪は避けようともしなかった。
右手で砲弾を弾く。
驚くほど簡単に、演習用の弾は弾け飛んだ。
感覚も腕力も、何もかもが艤装を装着する前とは比べ物にならない位、向上していた。
恐怖から108番は咆哮を上げると主砲を乱射し始める。
吹雪は再び前に出た。
鋼鉄の艤装を身に纏っているのに、いつもより速く、駆けれた。
風を斬る音と共に、吹雪と108番の位置が入れ替わる。
暫し沈黙が流れた。そして。
「がはっ……」
108番が膝を着き、倒れた。
吹雪が拳を叩き込んだのだ。
騒ぎを聞きつけた時雨がそこに到着したのは、正にその時であった。