気が付くと朝になっていた。
時雨の部屋を出てそのまま扶桑の部屋のベッドに倒れ込んだのだ。
重い体に鞭打ってベッドから降り、部屋に設置された簡易な洗面台で顔を洗う。
よく冷えた真水で顔を濯ぐと、身が引き締まるような感覚だった。
今日はここを旅立ち、兄のいる鎮守府に行く。
そう考えたが、何だか現実感が無かった。
思えば、昨日は色んなことがあり過ぎた。
艦娘の穴への帰還。練習生108番との決闘。そして、吹雪の艤装。
今思えば夢のように儚く映る。
しかしこれは現実だ。
正真正銘、自分が体験したことなのだ。
身なりを整え、部屋を出た。
そのまま正面の山城の部屋に向かう。
ノックすると、返事が返ってきたので吹雪は扉を開けた。
「あら、吹雪。おはよう」
いつもと同じように扶桑は言った。
ベッドの横に座って長い黒髪をといていた彼女は、そのまま立ち上がって頭を撫でる。
細く柔らかい手が髪の上で動いた。
そこで吹雪は今日で扶桑と別れなければならないことを思い出した。
「おはようございます、扶桑先輩」
出来るだけ平静装って言った。
扶桑は微笑み、立ち上がった。
「食事にいきましょうか。ここには食堂があるわ。私の手料理ではないご飯は新鮮でしょう?」
扶桑はそう言うと横で寝ている山城を揺すった。
よほど深酒したのか、山城は千鳥足でベッドから起きた。
三人で食堂に向かう。
そのまま朝食を食べる。
昨日のよるのことは既に広まっているようで、吹雪が食堂に入ると練習生たちの視線が突き刺さった。
ちなみに練習生108番は暫く謹慎だと、時雨が言っていた。
吹雪は味が分からなかった。
この目の前の扶桑と、分かれるということが信じられなかったからだ。
朝食が終わってから少しして、迎えの船が来た。
鎮守府までは距離があり、艦娘の海上移動――それもまだなり立ての吹雪では無茶であるからだ。
かつては深海戦艦の影響で船など動ける状態ではなかったが、今は違う。
こうやって内地近くから鎮守府まで行くくらいには海路は回復しているのだ。
扶桑山城、時雨は勿論、多くの練習生が見送りに波止場に集まった。
不意に吹雪は、足を止めた。
「行きなさい。吹雪。お兄さんに会うのでしょう?」
優しげな扶桑の笑みを見て、吹雪の瞳から涙が溢れはじめた。
いつの間にか扶桑の存在があまりにも大きくなっていた。
別れたくない。
まだこの人から学びたい。
そんな思いが浮かんでいき、吹雪の身体から溢れ出た。
「駄目よ、吹雪」
それを感じたのか、扶桑は言った。
「貴方は兄と会うために。そして兄と一緒に国を護るために艦娘になったのでしょう。そのために、辛く厳しい修行に耐えたのでしょう?」
「はい。しかし」
「だったら泣いては駄目よ。女の子がそんなに簡単に涙を見せちゃいけないわ。それにまた、会えるわ。いくら離れようとも、心で繋がっている。そう信じてるわ」
そう言われればもう何も言えなかった。
別れもまた修行。
これが扶桑から学ぶ最後の修行なのかもしれなかった。
「貴方の過ごした二年間は本当に充実していたわ。貴方ならきっと艦娘として上手くやっていける。そう信じているわ」
船頭が汽笛を鳴らした。
吹雪は船に乗り込んで、涙を拭った。
最後位、笑顔でいよう。
そう思い、無理やり笑顔を作って敬礼した。
扶桑たちに見送られながら、船は出発した。
数時間かけて、鎮守府に向かうのだ。
「扶桑さん、今までありがとうございます。このご恩は一生忘れません。山城さんと時雨先輩もありがとうござます」
そこまで言うのが精いっぱいだった。
これ以上は泣き崩れてしまう。
そう思えばこそ、吹雪は言わなかった。
船が見え無くなるまで、吹雪は手を振った。
やがて船は小さくなり、水平線の彼方に消えた。
「幸せすぎたのかしら」
扶桑の瞳から涙が一筋、零れた。
「この私が弟子を取るなんて、余にも幸せだった。夢だったのかしら」
涙ぐむ扶桑にもらい泣きする山城。
そんな二人の肩を時雨が叩いた。
「そうだったのかもしれないね。でも扶桑は、本当に変わった」
吹雪の中で扶桑は生きている。逆もまた然り。
そんな思いが扶桑の胸の中で息吹き始めていた。
これにて序章完結、と言った感じです。
次からいよいよ鎮守府に行きます。
どうかよろしくお願いします