扶桑が艦娘の穴にやって来たのは、大規模作戦が終わった後であった。
艦娘の養成機関の教官というのは聞こえはいいが、体のよい左遷である。
確かに先の作戦で深海戦艦達の最大拠点は壊滅し、奪われた海域は全て奪還した。
今や深海戦艦たちは各海域にぽつぽつと現れるのみとなり、それを駆逐するのが艦娘たちの仕事となっていた。
そうすると当然、鎮守府内で幾人もの艦娘を待機させる意味も無くなってくる。
提督は鎮守府に所属する12人の戦艦達を秘書艦である長門を残して、各海域の様々な場所に派遣した。
扶桑と山城は後方勤務に飛ばされた形となった。
給料も上がり、自由な時間も増えたが、釈然としなかった。
小規模とはいえ、前線ではま戦闘は続いている。
扶桑と共に戦った艦娘たちも、そこで戦っている。
戦艦たる自分たちがこの場所で、安穏としたままでよいのか。
そう考えぬ日は無かった。
悩みは人を腐らせる。
元々、思慮深く、悪い方へと考えてしまう癖がある扶桑には尚更だ。
そんな時、扶桑は少女に出会った。
彼女は12歳になったばかりだった。
この国では12歳を向かえた全ての少女は、艦娘の適性があるかどうかの検査が義務付けられている。
そこで陽性の反応が出た者から志願者を募り、艦娘の穴にて修行を行い、教官に認められたごく一部の者が艦娘になれるのである。
少女は候補生としてやって来た内の一人であった。
凡庸な少女だった。
大きな瞳に鼻は小ぶりで、その下に桜色の唇がある。
柔らかそうな頬と後ろで纏めた黒髪は純朴で可愛らしくも、どこか垢抜けない。
どこにでもいそうな容姿だ。
物腰は丁寧で、性格は生真面目。
頭はそれなりに良いようだったが、実技がてんで駄目だった。
弾は外す。走れば転ぶ。
艦娘の基本である海上移動も、バランスを崩し海面に突っ伏すことが度々あった。
座学はそれなりだが、運動面では明らかに底辺といえた。
誰もが口を揃え、彼女はすぐに自分からここを去るだろうと言った。
扶桑もそう思っていた。
しかし少女は耐えた。
何度失敗しても喰らいついた。
練習生の中で誰よりも早く起きて自主練を行い、誰よりも遅くまで鍛錬を積んで泥のように眠る。
才能も無いのによくもまあ、続くものだ。同期達は嘲笑った。
このままでは体を壊すのではないか。山城と時雨はそう心配した。
扶桑自身も、ひたむきに歩み続ける少女に、興味を抱き始めていた。
ある日。
偶然、扶桑はランニング中の少女と出会った。
早朝のグランド。二人以外、周りには誰もいない。
「貴方は頑張るわね。どうしてそんなに頑張れるの?」
扶桑はずっと胸に抱き続けた疑問を少女にぶつけた。
少女の水晶のような瞳が、扶桑に向いた。
思わず息を呑む。
少女の瞳の奥には、邪悪なものが一切、感じられなかった。
――会いたい人がいます。
少女は言った。
――その人は鎮守府にいます。艦娘になるしか会える方法はありません。
まっすぐに、少女は言った。
力強く、ひたむきな眼をしている。
――だから私は絶対に艦娘になります。絶対に。
強い決意の炎が、瞳の奥でゆらゆらと揺れていた。
それを目の当たりにした扶桑の胸に、何かが生まれた。
久々に感じる熱い鼓動。
離れて久しい前線の高揚感に似ている。
思えば、鎮守府から離れ、後方に流れて着てから、自身は緩やかに腐っていた。
戦いから外れたこの場所で、日々無意味に過ごしてきた。
霧の中を彷徨うような毎日。だがようやく霧は晴れ、光が挿した様に思えた。
扶桑の名を継いでから優れた司令官の下で戦った。
唯一無二の妹に再会できた。
良き先輩、同僚。後輩にも恵まれた。
だが、一つだけ出会えなかったものがある。
自身の技量。哲学、志。それを受け継ぐ後継者。
「どんなに辛い道を進むことになっても?」
おもむろにそんな問いが口から出た。
悩むことなく、少女は首を縦に振った。
気が付けば扶桑は、彼女を抱き上げていた。
「今日から、貴方は……私が鍛えてあげる」
――ようやく、新しい道を見つけた……