矢を一つ、放った。
風を切る音と共に弦がしなり、放たれた矢は一直線に空へと昇っていく。
刹那、矢は姿を艦載機へと変わる。エンジンの音を鳴らしながら、艦載機は1、2回ほど機体を揺らすとそのまま旋回し、彼方へと飛んでいく。
天候は暗いものの、支障をきたす程のモノでも無い。一度、自身の手を離れれば、艦載機は自由に動く。後は、彼ら次第だ。赤城は肩を下ろして、一息ついた。
「乱れているわね」
控えていた加賀がそう言った。
「ええ、慢心しては駄目。そう思っていても、少し体に出てしまうことがあるのかもしれないわね。もっと、気を引き締めないと」
「悩んでるわね」
加賀は飾り無く、本当のことを口にする。
赤城は内心、参ったと感じながらも、嫌な気持ちはしなかった。
「さすがは加賀さんね。仰るとおり、少しね」
「提督の事。それとも」
「外ね」
外。それを聞いた加賀は目を伏せた。
この鎮守府に残っている軽巡や重巡は新兵の教育が主な任務であるが、赤城たち空母組は違った。
主にこの鎮守府の守備。そのため、彼女たちが新兵に教育することは殆ど無かった。
空母組は常に近隣海域を監視し、時には鎮守府を出て遠い駐屯地に出向くことも少なくない。
外から鎮守府を見ることが出来るというのは貴重なことだった。
中からでは分からない事が、嫌でも見えてくる。
しかもそういったものに限って、重要で陰鬱だったりするのだ。
鎮守府内は不満に満ちている。しかし、外に比べればまだマシだった。
提督が表舞台に姿を現わさないようになって以降、海軍本部の介入が露骨になっていた。
艦娘だけの組織では、全体の緩慢に繋がる。そう主張する上部は、駐屯地に監査官を送り込んできた。
最初は一人だった監査官が一人、また一人と増え、徒党を組み出すのに時間はかからなかった。
やがて、監査官は艦娘特設憲兵隊と名前を変え、当初の目的とは全く別の存在になり果ててしまった。
艦憲兵、そう呼ばれ始めたのも最近だ。
艦憲兵は艦娘に配慮し、女性士官のみで構成されている。
それがどうした、と赤城は思った。
艦憲兵の仕事は艦娘への本部からの命令を伝え、それを指揮することだった。しかし次第に艦娘を監視し、行動を制限するような者たちになっていった。
そしてそういう仕事は同性同士の方が、嫌らしくなる。
現に重箱の隅を突くようなことで、何人もの艦娘たちが、罪に問われていった。
だがそれも賄賂でどうにかなってしまうような者が殆どだった。
腐っている。
軍部の悪いところだけが集まって出来たような腫れ物。それが自分たちに頭の上から、何か言ってくる。
不快以外の何物でもなかった。
赤城は航空戦隊。それも誉れある一航戦の旗艦である。
戦歴も十分であるし、実力も高い。
そんな彼女に多くの艦娘が、現状の不満をぶちまけた。
頼られている、ということは悪い気はしなかったが、気負いもする。
現場の不平を聞いた後に、鎮守府に帰るのもよい気分はしなかった。
こういうときにこそ第一遊撃部隊や戦艦たちが出てくればいいのに、赤城はそう考えていた。
しかし戦艦たちは先の大規模作戦後、各地に飛ばされ、ほとんど動けない状態だった。
この鎮守府にも稀に金剛が提督に会うために姿を現わすくらいで、それも会えないまま帰って行くことが多い。
第一遊撃部隊も自由な行動が許されているが、本部や提督に抗っているのは叢雲だけという状態だ。
その叢雲もこれまでの戦果と能力の高さ故に、最重要拠点ショートランド泊地を任され、それに手一杯というのが現状だった。
鎮守府内にいる唯一の第一遊撃部隊・如月が提督の問題でいっぱいいっぱいという中、鎮守府と現場を行き来し、提督や本部にも影響力のある赤城は、現状に不満を持つ艦娘たちからの期待を一身に受けていた。
それが心苦しく、演習にも影響が出始めていた。
「あら?」
加賀の何かに気づいたような声に、赤城は顔を上げた。
空母専用演習場の入り口付近に、人影が三つ。
うち二人は見たことのある顔だった。
確か睦月と夕立だったはずだ。
だが、もう一人は全く知らない。
そういえば、今日から新しく一人、配属されるという話を思い出した。
名も知らぬ少女は、じっとこちらの様子を窺っている。
いい目をしている。澄んだ瞳だ。久々にこんな目を見た気がする。
赤城が見ていることに気がついたのか、少女は息を呑んだようだった。
「誰かしら?」
加賀が一歩、前に出た。
少女も驚いて飛び出してきた。
「あ、あのっ・・・・・・」
緊張しているのか、しどろもどろになっている。
赤城は強張りを解すように、優しく言った。
「初めまして。航空母艦、赤城です」
少女の顔が真っ赤に染まった。
その初々しさに、赤城は久々に笑みを漏らした。