日が落ち始めたのを確認して、鳳翔は店の暖簾を出した。
艦娘たちの各寮に続く広場の端から少し外れた所に、鳳翔の店はある。
大規模作戦後、前線を退いた鳳翔が趣味で始めた店だったが、訪れる艦娘は少なくなかった。
店には卓が四つと、カウンターがあり、全員入っても20人程度の小さい店だった。
それでも毎晩、席が埋まるのであるから、それなりに盛況ではあるのだろう。奥が調理場で、カウンターの奥には鳳翔が選び抜いた名酒が並んでいる。
店を開けて少しするとすぐに足柄と那智がやってきた。現在鎮守府における酒豪たちだ。
「お疲れ様、鳳翔さん。とりあえず生二つお願いしまーす!」
「簡単な肴もお願いする」
元気よく言う足柄に那智が続いた。頷いて鳳翔は一旦、厨房に入った。しばらくしてビールの入ったジョッキとおしぼり、そしてお通しを持って現れる。
蓮根の入ったきんぴらごぼう、ごま油で和えて仕上げに赤唐辛子を添えている。
二人はおしぼりで手を拭くと、杯を掲げて乾杯した。あっという間にジョッキは空になり、鳳翔は二杯目を持ってきた。
それを二人がお通しと共に舌鼓を打つ間に、鳳翔は料理を始めた。
四方を海に囲まれているという鎮守府の立地上、この店に並ぶのは魚料理が主流だった。
煮物を温め、今日捕れた鰺に包丁を入れる。
二人はいつの間にか愚痴を言い始めていた。
主に現状への不満。次に提督への不満だった
元来、戦闘好きの二人にとって、現在の立場は納得いかないものである。
新兵たちに座学に教えるのは嫌いではなかったが、やはり第一線で戦いたいというのが、二人の意見だった。
特に那智はともかく足柄はなまじ指導力があったために、余計重宝されてしまっているという。
そのことを分かってくれない提督に対しても、二人の不満は凄まじかった。
「二人とも、なめろうと煮物ですよ」
鳳翔が肴を運んでくると、二人は歓声をあげた。
上機嫌になった二人は杯を何杯も重ねた。
呑むだけ呑んで愚痴を吐き尽くすと、二人は出て行った。
二人の後始末を鳳翔がしていると、長門が入ってきた。時刻は既に日付を跨ごうとしている。最近、ずっとこうだった。
「すまない鳳翔さん。何か腹に入るモノをくれ」
それだけ言うと長門は椅子に腰を下ろした。
全身から疲れが滲み出ている。目の下には大きなクマがはっきりと出来ていた。
鳳翔は黙って残りの刺身を茶碗一杯に注いだ白米の上に乗せた。
その上からワサビと刻んだ海苔を降り、沸かしたばかりのお茶をかける。
酒を飲まない長門は刺身や煮物よりも、こういう料理を好んだ。
運ばれたお茶漬けを、長門は無言でかき込んだ。
辛いのは苦手だが、ワサビの味は好きなようだ。
ものの数秒で、茶碗は空になった。
「ごちそうさま。すまないな」
それだけ言うと長門は席を立った。
最近の長門はいつもこうだった。
日を跨ぐか跨がないかの時刻にやってきて、とりあえず腹に何かを詰め込むと帰って行く。
顔はいつも疲れ切っていて、常に気を張っている。提督が姿を現わさなくなってから、ずっとこうだった。
そろそろ暖簾を下げよう。
そう思っていると、扉が開いた。
入ってきたのは如月と一航戦だった。
それを確認した鳳翔の顔付きが変わった。無言で鳳翔は暖簾を下げる。
如月と赤城がカウンターに腰を降ろした。加賀は座らずに入り口を背に預けている。
鳳翔は無言で日本酒の入った御猪口を赤城と如月に差し出した。二人も無言でそれを飲み干した。鳳翔は店の明かりを少し小さくする。
彼女たちは普通のお客ではない。それが如実に現れていた。
「曙ちゃんが捕縛されたというのは、本当?」
如月が口火を切った。
「ええ、翔鶴さんからの報告だから間違いないわ。艦憲兵と諍いがあったそうよ」
「彼女は大丈夫かしら?」
「分からないわ。漣ちゃんとの連絡も取れない状況よ。事と次第によっては、第七駆逐隊が動くかもしれないわね」
「そうなれば計画が狂うかもしれないわ」
「私達から手を出させる、軍部はそう考えて動いている節があるように見えるわ」
二人に二杯目の酒が出された。今度はゆっくり杯を傾ける。
「叢雲ちゃんも初春ちゃんもまだ、動けないわ。今、動くとこれまでの準備が水疱に帰しちゃう」
「今後はこういうことが増えてくるかもしれない。あちこちで不満が噴き出しているわ」
「空母たちでそれを押さえられないかしら?」
「無理ね。あまりにも範囲が広すぎる。戦艦の子たちが協力してくれればいいんだけど・・・・・・」
赤城はそのまま一気に酒を呷った。
「このままじゃ、事を起こす前に鎮守府が、崩壊する。そんな気さえしてくるわ」
「それが一番心配ね」
鳳翔が肴を無言で差し出し、二人は箸を伸ばした。
「第一遊撃部隊の残り三人は動かないの?」
「長月ちゃんと不知火ちゃんは無理ね。提督に不信を抱く、それ自体が二人にとっては提督に対する反抗として映るのだもの。電ちゃんはそもそも半隠居状態だし・・・・・・」
「大した忠臣ね」
「それが私達よ。悲しいけどね」
如月は自嘲気味に笑った。
形は違えど、提督に対する忠誠心は他の艦娘よりも群を抜いて高い。それが第一遊撃部隊だった。
彼女たちは皆、提督のために動いている。それがひたすら忠誠を貫くか、正そうとするかの差だろう。
そして今の提督に不満を抱き、それを正そうとしているのが叢雲・初春・如月の三人だった。
彼女たちは水面下で動き、赤城やその他もろもろ同志を集め、動いている。
赤城たち航空戦隊は外部の情報を集め、それを伝えるのが主な役目だった。
「計画を早める必要があるようね」
「そのことなんだけど・・・・・・赤城さん」
如月の声が重みを増した。
赤城もそれを聞き、箸を置いた。
「数日中に動こうと思っているの?」
「・・・・・・何故? まだ、早い。というのが貴方の意見だったでしょう?」
「そうも言っていられなくなったの」
如月は静かに赤城に顔を向けた。
その脳裏には吹雪の顔が。
涙に濡れる吹雪の顔が浮かび、いつの間にか如月自身の顔に重なっていた。