曙は不機嫌だった。
一ヶ月ほど前から駐屯地の空気が最悪なのだ。
艦憲兵がやってきてから、毎日がそうだった。
傲慢で不遜。鼻つまみ者というのが、曙の彼女らに対する評価であった。
大規模作戦後、鎮守府の古参達は各海域に 散った。
曙は馴染みの第七駆逐隊と共に、この第17泊地に赴任してきた。
駆逐十数名の小さな泊地で、指揮権は漣が持っていた。
少ないながらもここの艦娘たちは仲が良く、それなりに充実した日々を送っていた。
提督に会えないのは少し寂しかったが、それでも大きな不満などなかったのだ。
それが突然、壊れた。
艦娘たちを監視するという名目の元、彼女らはこの泊地に押し入り、厚かましくも居座ってしまったのだ。
艦憲兵はあらゆる事に口を出してきた。
任務や演習、艤装の点検から生活態度まで。
不満が出ないわけ無かった。
日課の演習が終わった後、曙は艤装を手入れして燃料と弾薬を補給して、自室へ帰る。
その合間に売店で酒を買うのが日課になりつつあった。一番小さい250mlの缶ビールだ。
元々、曙は酒を好まない。
漣と潮との付き合いで1、2杯飲むことがあるくらいで、普段自分から飲むことなど無かった。
それが今や毎日空けている。嫌なことを洗い流すためだったが、それで気分が晴れたことなど、一度も無かった。
プルトップを開けると小気味良い音がする。
曙はそれを一気に飲み干すと、口の周りに突いた泡を拭った。
前から数人が歩いてきた。
あのカラス共。曙は内心そう舌打ちする。
艦憲兵は純白が基本の海軍を真っ向から否定するような、漆黒の軍服だった。
それ故、艦娘たちは彼女たちのことを侮蔑を込めて『カラス』と呼んでいる。
先頭を歩く艦憲兵が曙に気が付いたようで、口角を上げた。
この泊地に派遣された艦憲兵を仕切っている上級士官で、階級は少尉だったはずだ。
狐のような細い目と顔に、嫌みっぽく神経質な女で、曙は『キツネ』とそのまま呼んでいた。本名なんて忘れたし、憶えようとも思わなかった。
「お疲れ様です、曙殿。今日も演習ご苦労様です」
「邪魔よ」
「素っ気ないですね。同じ海軍の駐屯地に籍を置く身同士、周りの空気も考えないと」、
曙は唾を吐きかけたい気持ちをぐっと堪えた。
この女は常に人を小馬鹿にしたような喋り方をする。
そして艦娘たちの粗を見つけては、ねちねちと重箱の隅を突くように責め立てるのだ。
気の弱い艦娘などは格好のカモにされた。それを曙達が止め、何度も言い争いになった。
今や相手をするのも虫唾が走る。そんな奴だった。
キツネはまだ何か言おうとしたが、曙は無視して早足でその場を離れた。
気がつけば、自室の前に来ていた。
心配そうな顔で潮が迎える。
中には漣と朧もいた。
ここに来てから曙はこの三人と寝食を共にしている。
史実では僅かしか共にいることの出来なかった第七駆逐隊であるためか、結束力は強かった。
「相変わらず仏頂面ですなぁ、ぼのたんはぁ」
漣がからかうように言った。
「今日もカラスの鳴き声がウザくてね。そろそろ駆除しちゃおうか、悩んでいるところよ。それとぼのたんはやめて」
「あ、曙ちゃん。声が大きいよぅ・・・・・・」
潮がそれを咎める。
昔から気弱で臆病な子だった。
これで艦娘としての技量と胸の大きさは曙より上なのだから、世の中は分からない。
「でも曙の言うコトもわかるよ。あの人達はいくら何でもやり過ぎだ」
朧が珍しく不機嫌そうに言った。
真面目な朧も、相当不満が溜まっているらしかった。
「ご主人様も早くあいつらにガツーンと言ってくれればいいのにナー」
「はん、あのクソ提督がそんなこと出来るタマな訳ないでしょ。それが出来るならとっくの昔に言ってるわ」
ふと、視線が奥の箪笥の上に向いた。
写真が一枚立ててある。まだ鎮守府にいるときに撮影したものだ。
自分たち第七駆逐隊と、司令官が映っている。
誰にも言わなかったが、曙にとっては宝物だった。
何もかも壊してしまいたかった。
艦憲兵は海軍本部から送られてきた別系統の組織。それと表だって対立するのは、分が悪い。漣はそう言ったがどうにも我慢できなかった。
納得できない事は、出来ない。
曙の性分だった。
自分が立ち上がれば他にも艦憲兵に不満を持つ艦娘達が、立ち上がるのではないか。
それが一つ、二つと増えればいずれ海軍をも動かす力になるのではないか。
そうすればまた提督に会うことだって・・・・・・
そこまで考えて曙はそれを打ち消すように首を振った。
クソ提督。
ずっとそう言って罵ってきた。だが心の奥底では慕っていた。素直になれないだけだった。
最後にあったのは鎮守府を発つ時だったはずだ。
それ以来、曙は提督の顔を見ていない。
また会いたい。
曙だけでなく、第七駆逐隊全員が願っていることだった。
潮の横に腰を降ろす。
朧が缶ジュースを二本持ってきた。
曙と同じで、朧も酒は苦手なのだ。
「きっと会えますぞ」
心を見透かしたように漣が言った。
心の底では通じ合っている。
この四人も、そして提督も。
曙はそう信じていた。信じたかった。