浅瀬に水柱が一つ、立った。
凄まじい轟音と共に水しぶきが上がり、海水が霧状に霧散する中から一人の少女が浮かび上がった。
中学生くらいの容姿。白いセーラー服に身を包み、黒髪を後ろで結んでいる。
「来なさい、吹雪!」
扶桑は彼女のことを『練習生』でなく『吹雪』と呼んだ。
練習生と呼んでいてはいつまでも練習生気分のまま。自分が艦娘になるという自覚を持つために、練習生でなく吹雪とあえて呼ぶ。
それが扶桑の考えだった。
「遅い!」
扶桑の怒声が飛んだ。
瞬間、巨大な砲塔が火を噴き、爆音と共に再び水しぶきがあがる。
振り落ちる海水を払いながら、目を凝らして水平線を見れば、その先に要塞の如き艤装を纏った艦娘が一人立っていた。
一呼吸おいて、吹雪と呼ばれた少女は声のした方向へ一気に加速する。
止まれば的になる。動き続けることが敵の攻撃を避けることに繋がると、吹雪は目の前の相手から言い聞かされていた。
――扶桑の砲弾を避けながら彼女の懐に飛び込む。
扶桑の元に来てから毎日行っている修行だ。
始めた当初は砲弾から逃げ回ることしかできなかった。
練習用の弾とはいえ、その衝撃は実戦並だ。
艦娘の穴に入ったばかりの吹雪には、あまりにも過酷だった。
「何をしているの吹雪。それで艦娘になろうというの? 情けない。吹雪の名が泣いているわよ」
訓練となると扶桑は鬼だった。
何度も死に目にあった。
被弾し、吹き飛び、海中に没する。
そのまま気を失い、扶桑に助けられることなど日常茶飯事だった。
最初は的と同じだった。
艦娘の穴での修業はなんだったのか。そう思えるほど苛烈な訓練だった。
そんな日々が一ヵ月以上続いた後、ようやく弾道が見え始める。
やがてそれに合わせて体を動かせるようになった。
訓練開始から二か月後のことである。
三か月後には、避けることが出来るようになった。
そこで吹雪はようやく海上での動きに慣れたと実感した。
前に出たのはその一ヵ月後だ。
砲撃を紙一重で躱しながらがむしゃらに前進した。
扶桑の懐に飛び込めば、こちらの勝ち。
だが相手は百戦錬磨の艦娘。そう易々とはいかない。
海上を滑る様に移動しながら吹雪との距離を取り、的確に攻めあげる。
距離が縮まれば当然、着弾する時間も早まる。
今まで以上にとっさの判断と機敏さが求められた。
吹雪が扶桑の下で修業を始めてから一年。
初めて吹雪は扶桑の懐に潜りこんだ。
「よくやったわ、吹雪」
そこで初めて扶桑は吹雪を褒めた。
そこでようやく、吹雪は艦娘への一歩を踏み出した気がした。
扶桑の攻撃を全てを躱すことが出来るようになったのは、最近の事だ。
すでに扶桑の元に来てから二年近くの時間が過ぎていた。
気が付くと吹雪は扶桑の懐にいた。
右手の主砲が、扶桑の脇腹に向けられている。
勝負ありだ。
「よく頑張ったわ、吹雪」
練習が終わると、扶桑は柔和な笑顔を見せる。
「明日には山城の所に戻るわ。今日はもう終わりにしましょうか」
訓練時とは別人のような笑顔で、扶桑は吹雪の頭を撫でた。
「はい!」
何だかそれが嬉しくて、吹雪は笑顔で元気よくそう答えるのだった。
艦娘の穴から少し離れた所にある小さな孤島。
そこで扶桑と吹雪は暮らしながら修練に励んだ。
その島は一日で一周できるほど小さい島だったが、不思議と真水が湧き出ている島だった。
島の中心近くに小さな小屋を建て、そこに二人で住みながら修行をしていた。
一日中、二人で撃ち合い、日が暮れると小屋に帰り、眠る。
そんな生活が二年も続いていた。
扶桑の下で修練を積めた自分は幸運である。
吹雪はしみじみとそう感じていた。
この人は本気だ。
本気で自分の全てを伝授する気だ。
それに気が付いた時、吹雪は初めて扶桑と分かり合えたような気がした。
この人は自分に期待している。
ならばそれに応えなければならない。
そう思えたからこそ二年間、耐えることが出来たのだ。
小屋に戻ると、二人で食事の準備をする。
二人で、といっても吹雪が手伝うのは主に簡単な作業だけで、ほとんど扶桑がやってしまう。
扶桑は料理も上手い。
米を炊き、海でとった魚や海藻を調理して出してくれる。
今日の献立は魚の塩焼きと味噌汁だ。
吹雪はそれを無言で平らげた。
動いた後は腹が減るのだ。
「いよいよ明日ね」
食事も終わり、日も完全に落ちた所で扶桑は言った。
「艦娘の穴に帰る。そこで貴方以外の吹雪候補生と戦って、名実ともに艦娘『吹雪』となる」
扶桑はそういうと、吹雪をじっと見据えた。
「貴方が本当の吹雪になれる、最初で最後の機会よ」
「はい。覚悟は出来ています」
そう言って吹雪は笑った。つられて扶桑も笑う。
不安が無い。といえば嘘になるが、自信もあった。
扶桑と共に過ごした二年間が積み重ねとなって、今に至る。
自分はこの凄まじい先輩から教えを受けたのだ。
今や扶桑の教えが染み込むように体を流れている。
そんな気がした。
「ねえ、吹雪」
扶桑がそう言ったのは夜も更け始めた頃だった。
その時吹雪はもう寝る準備を始めている最中だった。
「なんですか、扶桑さん」
「いえ……実はずっと聞きたいことがあったの」
扶桑は恥ずかしげに口火を切った。
「艦娘になりたい理由は、会いたい人がいるからって言ってたわね。一体誰なの?」
勿論、嫌なら言わなくてもいいけど、と扶桑は続けた。
「…………」
吹雪は少しだけ悩んだが、
「はい。扶桑さんになら……」
ゆっくりと話し始めた。