最初に感じたのは、ほんの些細な違和感だった。
身体に纏わり付くようなねっとりとした感じ。不快であったが、無視した。
第七駆逐隊のことで朝から鎮守府内は慌ただしく動いている。そんな事を気にしている余裕など、なかったのだ。
長門も執務室で大淀とそのための調整を行っていた。
鎮守府にたどり着いた第七駆逐隊は、そのままこの執務室に連行する予定であった。
そこで今回の件を処理する。
執務室はそこまで広くなく、最低限の人数のみでこの事件を終わらせる。
これ以上、鎮守府への不満を広げるわけにはいけなかった。
そのためには厳しい処罰も必要だろう。
辛いことであるが全ての艦隊を円滑に纏めるためには必要なことなのだ。そう自分に言い聞かせた。
報告が入った。
第二・第三水雷戦隊が第七駆逐隊を伴って、帰港したという。
そのままここに連行してくるように彼女たちには命令していた。
第七駆逐隊は古参兵の中に入る。
当然、この鎮守府にも顔馴染みは多い。
既に軽巡や重巡の艦娘達から、七駆の減刑を求める嘆願がいくつも届いていた。
長門も出来ることなら庇ってやりたいというのが本音であった。
だが鎮守府とて軍組織。規律という根本的なものを疎かにすれば、鎮守府という組織そのものが崩れ落ちてしまう。
さらに今はこの鎮守府の隙を突こうと海軍本部や艦憲兵が虎視眈々と狙っているのだ。下手な手は打てない。
解体まではさすがに無いが、かなり厳しい処分を下さねばならないだろう。
ふと風を切る音が聞こえた。思わず窓の外を見る。
艦載機が一機、空を駆けていくのが見えた。
長門は心がざわつくのを感じた。
何故だか分からないが、今まで感じていた小さな違和感が、徐々に膨らんでいくような感覚を覚え始めていた。
不意に音が鳴り、長門は息を呑んだ。
聞き慣れた音。主砲。だが今、この鎮守府で演習をやっている者などいないはずだ。
ひやりとした。違和感が膨れ上がっていく。
足音が廊下から聞こえてきた。
勢いよく債務室の扉が開き、矢矧が入ってくる。その顔には今まで見たことなの無い焦りと不安に満ちた顔色だった。
第七駆逐隊が逃走した。この鎮守府内に内通者がいて、彼らが協力した。人質を取って、現在鎮守府内を移動している。
そんな報告だった。
第七駆逐隊の反抗は予想できた事だった。だが、鎮守府内に協力者がいることは長門も考えていないことだった。
「鎮守府内の様子を調べてすぐに報告しろ。艦娘達には慌てずに持ち場を離れず、現場を守るように言え。大淀、放送を」
大淀は頷くと執務室を飛び出していった。
愚かなことを。長門は内心舌打ちした。
大人しくしていれば罰は免れぬものの、これ以上罪に問われることなど無かった。
だがここまで大事を起こしてはもはや庇いきれない。
しかも第七駆逐隊だけでなく、彼女たちに協力した者ども同じだ。
窓から外を確認する。
煙が上がっていた。
一つではない。
バラバラな場所で次々と白煙が浮かび始めた。
想像以上に大規模な行動だ。暴動と言ってもいい。
七駆だけでこれほどは動けない。きっと前もって準備をしていたのだろう。それを見抜けなかった自分が情けなかった。
この鎮守府に七駆の協力者が何人いるのか。それが分かったとして、何のために動いているのか。
七駆の逃亡を助けるためか、それとも。長門は全身が粟立つのを感じた。
報告は次々と入ってきた。
工廠、波止場、寮……様々な場所から火の手が上がっているようだった。
混乱する鎮守府内を七駆と内通していた夕張・球磨・多摩の三人が、主砲を放ちながら進んでいるらしい。
しかも海の方ではなく、内に向かって。
狙いは何だ。
そう思った時、長門の脳裏に提督の顔が浮かんだ。
「恐らくだが、やつらはここに向かってくる。提督がいる、ここにな」
長門はこの建物にいる新兵達に、守りを固めるように言うと、大淀にここを任せ、動き出した。
こんな時に如月は何をしている。
この騒ぎを止められるのは提督以外では彼女しかいない。
七駆も夕張達も如月を慕っていた。そのはずなのに彼女はどこで何をしている?
赤城と加賀は?
あの二人は近海の監視を命じていた。だがこの異常事態に気づかないはずがない。
なのに何も動いていないのか? そもそも先ほど一機だけ飛んでいた艦載機は誰のモノだ?
如月。赤城。加賀。顔が浮かんだ。漣。曙。潮。朧。第七駆逐隊の顔もだ。夕張。球磨。多摩。七駆と行動を共にしているという艦娘達。皆、古参兵だった。全てが繋がる。
「長門!」
蒼龍の声が聞こえた。
相当焦っているのか、滝のように汗を流している。
「赤城さんだ。赤城さんの艦載機が火を付けて廻っている」
「押さえたのか?」
「何機かは。でももう飛んでない。今は赤城さんの行方を捜している」
「加賀も探せ。赤城がこの件に噛んでいるなら奴も怪しい」
「長門さんは?」
「気がかりがある。ここを頼む」
蒼龍はただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、無言で頷いた。
その横をすり抜け、長門は駆けた。
階段を駆け下りながら、艤装を展開する。
この建物を守るために集まってきた新兵達とすれ違いながら、加賀は一目散に駆けた。
大本営を出る。
あちこちから硝煙の香りと轟音がした。
艦娘達の悲鳴が聞こえてくる。混乱を極めているらしい。
長門はそのまま走り出し、途中で道を外れた。
元々、天然の島だ。
舗装されてない場所など、まだまだある。
雑草が繁茂し、木々が立ち並ぶ獣道を転がるように下っていく。
やがて道が開けると、そこにはよく知った顔があった。