吹雪は小さな港町で生まれた。
港町というより漁村といったほうがいいのかもしれない。
実際に住民のほとんどは漁業で生計をたてていたし、住居の数もまばらである。
そこに父と母、歳の離れた兄との四人で吹雪は暮らしていた。
父は村一番の漁師だった。
背は大きく、腕は丸太のように太い。肌は日に焼けていて、立ち上がれば真っ黒い山脈のようだった。
自分の船を持っていて、何人もの仲間と共に海へ出ては、大きな網を魚でいっぱいにして帰ってくる。
町一番の腕前を持つ男だった。
そんな父が、吹雪は大好きだった。
よく港の埠頭で父の帰りを待った。
一番の先っぽで座って水平線を眺めていると、はるか先に小さく、父の船が見えてくる。
はっきりと船体が見えるほど近づくと、吹雪は立ち上がって手を振った。
すると父も汽笛を鳴らして答えてくれる。
やがて船が着岸し、中から漁師たちがぞろぞろと降りてくると、吹雪は真っ先に父に飛びついた。
父は破顔するとグローブのような掌で、吹雪の頭をくしゃくしゃと撫でる。
吹雪はそれが嬉しかった。
ある日のことだ。
いつものように埠頭で父の帰りを待っていた。
何だか肌寒くなってきた気がする。
父は平気だろうか。
そんなことを考えながら吹雪は水平線の先を見つめていた。
そろそろだろう。
間もなく父の船が見えてくるはずだ。
空が紅に染まり、周りが暗くなり始めた。
まだ父の船は見えてこない。
何かあったのだろうか。
前に網がスクリューに引っかかってそれを外すのに手間取って、帰りが遅くなったことがあったが、今日もそうなのだろうか。
日が沈んだ。
あれだけやかましく鳴いていた海鳥の声がやんだ。
蒼い海は闇でどす黒く濁ったように見える。
こんなに遅くなるのは初めてだ。
大丈夫だろうか。
兄が迎えに来た。
手を取って、一緒に帰ろうと言った。
吹雪は立ち上がらなかった。
もう少しだけ待ってみようと思った。
そしたら父の船が見えてくるかもしれない。
折角、遅くまで仕事をしてきたのに、誰も待っていない何て可哀そうだ。
せめて自分だけでもまっていよう。
吹雪はそう心に決め、座り込んだ。
船が帰ってくることは無かった。
その日は深海棲艦が侵攻を開始した日だった。
母が倒れた。
父が帰らなくなってから、一年後の事だった。
過労が原因らしい。
子供を二人育てるのには金が要る。
母は働きに出ねばならなかった。
いなくなった父に代わって、母は子供たちを守ろうと奮戦した。
そして無理が祟ったのだ。
その頃、吹雪の町は様変わりしていた。
元々、漁業しか無かった町だ。
深海棲艦が現れ、海に出ることが出来なくなるとあっという間に廃れていった。
何人もの人たちが町を捨て、別の場所に移住していった。
あんなに活気があった町が嘘のように寂れていく。
あれだけ仲の良かった人たちが、信じられない位素っ気なく、消えていった。
吹雪は誰かがいなくなる度に、身体のどこかが消えてなくなっていくような感覚に襲われた。
耐えられるはずなかった。
父さえ帰ってこれば。
吹雪はそう思った。
あの強い父が死んだなんて、考えられない。
だから吹雪は待った。
人っ子一人いなくなった港で、吹雪は父を待ち続けた。
荒んだ人々にとって、そんな吹雪は鬱陶しく映った。
陰口を叩き、侮蔑した。
同級生たちは特に酷かった。
お前の親父は死んだんだ。
深海なんとかという化け物にやられてしまったんだ。
いくら待ったって無駄さ。
現に乗ってた船すら、見つからないじゃないか。
我を忘れた。
一回りも大きい異性相手に吹雪は飛びかかった。
父を侮辱されるのだけは許されなかった。
鼻は折れ、体中が痣だらけになったが、相手にも傷を負わせた。
騒ぎを聞いて飛んできた兄が止めなければ、そのまま殺し合いになったかもしれない。
兄は激怒した。吹雪の頬を打った。
そんなことをして親父やお袋がどう思うか考えてみろ。
きっと二人は悲しむだろう。
兄の言う事は理解出来た。だが、気に入らなかった。
家を飛び出し、港まで走った。
夜の海はゾッとするほど暗く、静かだった。
まるで迷い込んだ人を引きずり込んで、喰らってしまいそうだ。
言いようのない不安に駆られ、吹雪は海から目を逸らし、町の方を見た。
絶句した。
かつて幾つもの灯りに彩られた町が、嘘のように真っ暗だった。
もはや町に残った人は、半分もいない。
故郷は死んだも同然だったのだ。
はっきりとそれを理解し、泣いて、崩れた。
兄だけが味方だった。
父の生存を信じ、母の看病を行い、吹雪の世話をしてくれる。
いつしか吹雪は兄に依存するようになった。
無限に湧き出る不安と不満を兄にぶつけた。
兄はよく聞いてくれた。
大丈夫だ、心配はいらない。
きっと親父や町の人も戻ってくるさ。
兄は吹雪を精一杯励ました。
彼女の一直線の頑張りを愛してくれた。
ある日、吹雪が学校から帰ってくると、家に見知らぬ人たちがいた。
詳しい事は分からないが、彼らの格式ばった格好を見て、吹雪は偉い人が来ているんだなと感じた。
その時は、何事も無く、その人たちは帰って行った。
それから、数日後。兄に赤紙が送られた。
深海棲艦に対抗できる唯一の存在、艦娘。
彼女らだけが見ることできる存在『妖精さん』。
それらは艦娘の整備や清掃などを一手に引き受けていた。
しかしそれらを見ることは、艦娘にしか出来なかった。
普通の人間に、妖精さんを見られるものなど、一人もいなかった。
妖精さんが見えなければ、艦娘にまともな指示を出せるはずがない。
軍部は妖精さんを見える人間を探した。
そして見つけた。
艦娘と人間を繋げる無二の存在。
それが吹雪の兄だったのだ。
軍部は巧妙に兄を説得した。
今まで普通に生きてきた者では、考えられないような札束が目の前に積まれた。
これで母親の治療費は心配ないし、妹さんの生活費は勿論、学費だって事足りるだろう。
それに軍に入れば毎月、母娘二人で暮らすには十分すぎる給料が支払われる。
何を躊躇する必要があるだろうか。
兄は提督になるべく家を家を出ることになった。
当然、吹雪は泣いて縋った。
父は帰らず、母は床に臥せ、この期に及んで兄まで自分の元を去っていく。
耐えられるはずもなかった。
年甲斐もなく泣きわめく妹に、兄は優しく言った。
――泣くな。
俺はここを去り、提督になる。だがお前を捨てるわけでは無い。
人類の敵、深海戦艦を艦娘と共に駆逐する。
それは世界を守ることであり、お前と母を守ることになる。
だから待っててほしい。
いつか平和になった海を渡って俺と親父は家に帰ってくる。
それまで、母を頼む。
いっぱい泣いて、いっぱい喚いた。
一日中考え、何度も吐きそうになりながら、吹雪は決意した。
笑顔で送り出してあげよう。
提督になって深海棲艦を倒す。
兄はそれを望んでいる。
兄が故郷を去る日、吹雪は泣きそうになるのを堪えながら手を握って笑った。
お兄ちゃん、頑張ってね。
私はお母さんと一緒にここでいつでも待ってるから。
きっと帰ってきてね。
兄は瞳に涙を溜めて頷くと、吹雪の頭を撫でた。
父の手を思い出させるような、大きくて暖かい掌だった。
かつて父の船を迎える時のように手を振って、吹雪は兄を送り出した。
母が心労からくる病で、この世を去ったのはそれから半年後だった。
家族が目の前から全員消え去った。
その頃には町の過疎化はさらに進み、片手で数える程しか住民はいなかった。
もはや家族といえるのは兄だけになってしまった。
そう考えると、吹雪は兄に会いたくなった。
多忙で、母の葬式にも来れなかった兄に、一目でも。
しかし艦娘ましてや提督の情報など、吹雪が知るはずも無かった。
それを知るためには、艦娘にでもならなければ、永遠に分からないだろう。
ならなればいい。
吹雪はそう考え、12歳になった時、艦娘適正検査に臨んだ。
結果は陽性だった。
吹雪は狂喜乱舞し、すぐに艦娘として志願した。
今、兄は提督として艦娘を統率する立場という。
これで会える。
吹雪はそう思い、故郷を後にした。
いつかここに兄と帰ってこよう。
憎い深海棲艦を叩き潰し、ここからまたやり直すんだ。
艦娘と提督。それ以上に兄と妹として、もう一度、ここで暮らしていくんだ。
そう決意し、吹雪は艦娘の穴の門を叩いた。