リンガ泊地の一番奥にある作戦司令室に、祥鳳はいた。
比叡率いる鎮守府の救援部隊は昼夜問わず駆け抜け、予想以上に速く第五泊地へ辿り着いたのだ。
それは当初、祥鳳が進めていた戦略が瓦解したのを意味していた。
ショートランドとリンガ。この二つの駐屯地が電撃的に進軍し、鎮守府を挟み撃ちにする。そのまま一気に鎮守府を制圧し、提督を引きずり出す。クーデターである。
準備は完璧だった。
同志を集め、水面下で装備も資源も用意した。
第五泊地を奇襲し、奪取。返す刀で鎮守府まで進撃する。出来るはずだった。
瑞鳳の脱走で全てが狂った。
第五泊地に籠城の準備をする時間を与えてしまった。結果、すぐに落とせるはずの第五泊地を落とせず、鎮守府の増援が到着してしまったのだ。
優位だった人数が覆された。さらにあちらには戦艦がいるのだ。火力でも大きく差が開いた形になる。
戦いの優勢があっさりとひっくり返った。
圧倒的勢力差で第五泊地に猛攻をかけていたリンガ泊地が、今度は攻撃される側になったのだ。
祥鳳は大幅に作戦の変更を余儀なくされたのである。
自分だって第五泊地を甘く見たわけでは無かった。だが飛鷹たちも決死の覚悟だったのだ。
結局、最後は覚悟の差が勝つ。そう思えた。
「祥鳳さん、入ります」
そう言って綾波が入ってきた。彼女と敷波がリンガの駆逐艦たちを纏めている。
「どうしたの?」
祥鳳が尋ねると、綾波は苦しそうに答えた。
「第五泊地。いえ、鎮守府の連合艦隊から電報が届きました」
「降伏勧告でしょう。無視しましょう」
綾波は無言で頷いた。
連合艦隊の旗艦は比叡だという。よく知った仲だ。彼女の生真面目さと真っ直ぐさもよく知っている。
自分たちが降伏勧告を蹴れば、本気で戦いを挑んでくるだろう。
比叡とはそういう艦娘だった。
「籠城の準備よ! 皆にもそう伝えて頂戴」
綾波は頷くとすぐに司令室を出て行った。
リンガ泊地を守る。本来の自分たちに戻っただけだ。祥鳳は自身にそう言い聞かせ、艤装の準備を行なうのだった。
比叡は戦い方も正攻法だった。
駆逐艦達を護衛にし、自分たち戦艦が降雨劇に集中する。軽空母と駆逐艦しかいないリンガ泊地にとって、戦艦の高威力長距離の砲撃は脅威だった。
泊地内に籠城し、祥鳳が艦載機を飛ばす。近づく敵に駆逐艦が主砲を放つ。第五泊地と同じ戦法を祥鳳は取った。だが相手に戦艦がいるというだけで、状況は大きく変わった。
圧倒的な比叡と榛名の攻撃に、祥鳳達は防戦一方だった。
日が暮れるまで戦闘は続き、太陽が水平線より下に落ちると比叡達は第五泊地へとあっさり引き返していった。
その直後に、もう一度降伏勧告が届いた。
悪いようにはしない。自分たちも提督に口添えする。
そんな内容だった。
比叡はどうにかして互いの被害を抑えて、戦いを終わらせたいのだろう。
だが、比叡にその気が無いのは分かっていたとしても。情けをかけられたと、祥鳳は思った。
夜になった。
祥鳳は作戦会議室に皆を集めるように、綾波に指示した。
駆逐艦たちはすぐに集合した。だがその顔には疲れが滲みだしており、士気も心なしか低く見えた。
自分たちがどれだけ不利な勝負をしているか、分かっているのだ。
第五泊地は鎮守府の援軍が来るという希望があった。援軍さえ間に合えば、逆転できる。その希望があるからこそ、最後まで踏ん張れたのだ。
自分たちには、それがない。
仲間であるショートランドは鎮守府を挟んで、反対側にある。
援軍を出すとしたら、鎮守府近海を大きく迂回する必要がある。
そんな危険なことを叢雲はしないだろう。
そもそも電撃的に鎮守府を挟み撃ちにする作戦だったのだ。
反対側にいる仲間に援軍を送ることなど、最初から計算外である。
そして鎮守府からの援軍が来たという事は、ショートランドも計画通りに進軍できていないのだろう。
「被害の状況はどうなっているの?」
「対空砲台が幾つかやられました。今、妖精さんが修復中です」
敷波が答えた。駆逐達の現場はほぼ彼女が仕切っている。
「明け方までに直せても、次の攻撃に耐えられるかは分からないわね」
祥鳳がそう言うと皆が、渋い顔で頷く。
自分たちがどれだけ不利な勝負をしているか、場数を踏んでいるため理解しているのだ。
「援軍は・・・・・・期待できないわ。どうにかしてここで持ちこたえるしか無い」
祥鳳の言葉にさらに皆の顔は沈んでいく。
もしこれが瑞鳳ならどうしただろうか。皆を叱咤激励して、士気を上げられたのだろうか。
「このリンガ泊地は戦略的に重要な場所。ここを敵に取られるわけにはいかない・・・・・・でもそれは鎮守府の話。敵が深海棲艦の場合の話」
皆が顔を上げた。
祥鳳はそれを確認すると、机に海図を広げていく。
「今回の敵はココにいる」
鎮守府を指差し、その指先をそのままショートランドに滑らせていく。
「私達の同志はショートランドを本拠地にしている。そして上手くいけばこの場所が、艦娘達の新しい鎮守府になる」
新しい鎮守府。それを創り上げる事が、祥鳳の願いだった。
そのために計画に乗り、妹さえ切り捨てたのだ。
「叢雲はきっとこの近海のトラックとパラオを中心とした地域を、新たな勢力圏としたい。この三つの地点が繋がれば、鎮守府は勿論、深海棲艦。そして日本海軍も簡単には手出しできないでしょう」
今は艦娘同士の対立で済んでいるが、この戦いが大きくなればいずれ海軍本部も介入してくるであろう。その時はしっかりとした基盤が必要だろう。
「このリンガは」
祥鳳の細い指先が自分たちが今いるリンガ泊地へと伸びていく。皆の視線もそれに続いていく。
「ショートランドの戦略から外れた位置にある」
息を呑む声が聞こえた。
祥鳳が何を言おうとしているのか、彼女達も理解したようだった。
「このリンガを・・・・・・放棄するという事でしょうか?」
綾波が尋ねた。祥鳳はそれに対し、重く頷いた。
「このリンガを、捨てる。脱出し、ショートランドに合流する」
暫く誰も言葉を発しなかった。
「あたしは、嫌です」
沈黙を破ったのは敷波だった。
「このリンガをずっと守ってきました。それを・・・・・・簡単に捨てたくは無いです」
彼女の言葉に何人かが頷いた。
「私だって悔しいわ。ここを捨てるのは。でもこの反乱が長期戦になればなる程、リンガがショートランドと連携するのは難しくなってくると思う」
このリンガが地理的な戦略から外れた位置にあることは、誰もが理解していた。
救援も望めない状態で籠城を続けても、いずれは各個撃破されてしまうであろうことも。
「・・・・・・このリンガを、放棄しよう」
絞り出すような声で綾波が言った。
「このリンガを守って、私達に利があるなら耐えるべきだと思います。でも今の戦略的に、リンガはあまり意味が無いとも思います」
「綾波の言うとおりだ」
江風が同調した。
敷波も彼女達の言い分を理解しているからか、それ以上反論しなかった。
「辛いのは分かる。その辛さに、耐えて欲しい。でもこれは逃げるんじゃない。勝つために、リンガから離れるの」
皆が頷いた。
夜は益々更けていく。
リンガを守る、提督から賜った命令を自分は守れなかった。
だからこそ、この子達は守り抜こう。
祥鳳はそう胸に誓った。