江風が四人ほど率いて最初に出発した。
夜陰に紛れて抜錨したこの五人は、第五泊地に向かっていく。
夜襲である。そう相手に思わせるのが目的だった。
実際に江風は第五泊地を少数で奇襲する。一撃だけ入れて、すぐに反転しそのまま撤退すると見せかけて、リンガには戻らずに霧散するというのが作戦であった。
「皆、ショートランドでまた会おうな」
ニカっと快活に笑って、江風は出撃した。
彼女達がこの近くまで撤退してきたときに、綾波が率いる部隊が抜錨することになっている。
もし追手が迫っているのなら迎撃し、江風の部隊の撤退を助ける。追手が来なければこれ幸いと綾波達も脱出する。
この作戦が夜襲であるといかに相手に思わせるかが重要だった。
もし相手がこれを奇襲の策と深読みすれば、簡単にはリンガに近づいてこないだろう。
その隙に皆が脱出するのが理想であった。
祥鳳は最後まで残ることになっていた。
彼女は最後まで比叡達を引きつけ、最後にリンガを脱出する。
後は各々が祥鳳が事前に用意していた各ルートで、ショートランドに向かうのだ。
綾波も艤装を纏い、海へと出た。
一度だけ振り返ってリンガを見る。
守る場所であり、帰るべき場所でもあった。
戦いが終わったら、必ず帰ってこよう。勿論、祥鳳さんや皆も一緒だ。
そう胸に誓い、綾波は出撃の合図を取った。
暫くして、江風の部隊が戻ってきた。彼女達の後方では幾つか照明弾が上がり、駆逐艦達が追ってきている。
それを確認した綾波は単縦陣で、迎え撃つ。撤退してきた江風とすれ違う。彼女は口角を少しだけ上げ、綾波も頷いた。
「よく狙って・・・・・・てぇぇぇーいっ!」
主砲を放ち、相手が怯んだところで一気に雷撃戦に持ち込む。綾波は夜戦に自信があった。
相手が怯むのを確認すると綾波は突っ込んでいく。
全員で一気に夜陰に紛れて逃亡する。それも出来たはずだった。だが誰もそれを言わなかった。リンガ泊地最後の意地だ。徹底的に暴れてやる。皆がそう胸に誓い、戦いに挑んでいったのだ。
綾波たちの初弾は無事命中したようだ。迫ってきていた機影が大きく揺れた。
「魚雷!」
敷波が叫んだ。
主砲を受けて怯んでいる追手に向かって、一斉に魚雷を放つ。
ここまでだろう。綾波はすぐに後退の指示を出した。反転し、最高速度で後退していく。
すぐにリンガが見えた。
だがあそこはもう、帰る場所じゃない。
泊地のあちこちに光が灯る。同時に轟音が響き、海面が破裂して大きく揺れた。
防衛用の砲台を祥鳳が使ったのだ。撃っているのは妖精さんであるから、正確な狙いは不可能だった。
だがそれでも目くらましにはなる。
綾波はある程度進んで一気に皆を離散させた。
「ショートランドへ」
綾波がそう言った時だった。
爆音と共に、進む先に大きく何かが弾けた。
水飛沫が飛んで夜霧にまみれる中、さらに二弾・三弾と砲撃が加えられる。
戦艦の主砲。はっきりと分かった。
比叡さんが来たのだ。綾波は下唇を噛んだ。
一斉に照明弾が上がり、闇夜が一瞬だけ真昼のように明るくなった。
「散れっ! 散れっ!」
敷波の怒号が飛ぶ。
もうすぐリンガを突っ切る。そうすれば祥鳳もリンガに火を放って、脱出する手筈になっていた。
比叡の砲弾はやがてリンガへと集中し始めた。それを追うように追撃してきた駆逐艦達も、リンガ泊地に攻撃を始める。
自分たちが籠城からせめて一矢報いようと夜襲をかけてきた。そう思ったのだろう。
ならばこちらの思う壺だ。リンガを囮にして、全員でショートランドまで逃げ切る。
祥鳳さんも間もなく脱出するはずだ。
そう思い、綾波が加速したときだった。
今までに無い大きな爆発音が響いた。
思わず振り返る。燃えている。リンガ泊地。あの場所は作戦司令室があった場所のハズだ。
咄嗟に敷波がリンガに戻ろうと反転し、その腕を綾波は取った。
「綾波! 祥鳳さんが! まだ脱出してない!」
分かっている。
だがリンガに戻るのは命令違反である。なにより、今あそこに行けば集中砲火を浴びる。
一人でも多くショートランドへ亡命する。それがこの作戦の目的なのだ。
エンジン音が聞こえる。
艦載機のプロペラの音だ。炎上するリンガから矢の如く、幾つもの艦載機が発進されていく。
炎によって明るくなったからこそ、夜戦では基本的に使えない航空機が使えたらしい。
まだ抵抗するつもりなのか。それともまさかリンガと心中するつもりなのか。
綾波が疑問を覚えたとき、遠目からでもはっきりとした影がリンガの中に浮かび上がった。
祥鳳さんだ。
全ての艦載機を撃ちだしたのか、身を翻して海の方へと向かっている。
よかった。脱出するんだ。
瞬間、爆音と共に炎が燃え上がり、一気にリンガ全体を包んだ。
施設の瓦礫が炎上しながら祥鳳へ降り注ぐ。
燃えさかる炎の渦に巻き込まれる彼女の姿を、綾波達の目はしっかりと捉えた。
「落ち着いて!」
咄嗟に綾波は叫んだ。
そうだ。落ち着くんだ。きっと祥鳳はすぐに瓦礫をどかして出てくるはずだ。
「綾波! 離してっ!」
敷波が叫んだ。だが、その視線の先。炎上するリンガ泊地の方から追手が迫っているのが見えた。
「撤退! 撤退を!」
誰かが必死に叫んでいる。綾波は強引に敷波の腕を取って進み出した。
「綾波! 祥鳳さんが! 祥鳳さんを助けないと!」
「きっと祥鳳さんは大丈夫です! 今は脱出を最優先にしないと!」
「そんな! もし、もしそれで!」
「全員で無事脱出し、ショートランドまで辿り着く。それが祥鳳さんの、リンガ泊地指揮官の命令です!」
もう戦いは皆がどれだけショートランドまでたどり着けるかという段階に変わっていた。
皆、バラバラに逃げていく。集まれば各個撃破されるからだ。
「きっと大丈夫」
自身に言い聞かせるように綾波は敷波に言った。
流れてくる涙を拭い、綾波は水面を進んでいくのだった。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
目が覚めると青空が広がっていた。
ここはどこだろうか。ぼやけた頭を押えながら、祥鳳は起き上がった。
自分はリンガ泊地にいるはずだ。そこでショートランドへの撤退戦を指揮していた・・・・・・それを思いだしたとき、祥鳳は目を見開いて起き上がった。
「皆は!?」
無事に逃げ切れただろうか。
そう思い周りを見渡したとき、祥鳳の眼に人影が一つ、飛び込んできた。
呼吸が止まった。
知っている顔だ。それだけじゃない。ずっと前から知っている。ずっと前から待ち焦がれた顔だった。
「皆は無事に脱出したよ」
その人、白い海軍服に身を包んだ青年は言った。
「て、提督・・・・・・」
祥鳳が一番会いたかった男が、そこにいた。
何故ここに、いや一体今まで何処に。
かけたい言葉が次から次へと脳裏に浮かんでくる。
やがて祥鳳は震える口で言葉を紡いだ。
「提督・・・・・・申し訳ありません」
彼女の口から出たのは謝罪の言葉だった。
「提督に任されたリンガ泊地・・・・・・祥鳳は守るどころか・・・・・・反旗を翻し、最後は破壊して・・・・・・」
提督と鎮守府の現状を変えるために、反乱に加担した。
様々な大義を掲げたが、結局はこの人にもう一度会いたかったのだ。
提督とまた暁の水平線に勝利を刻むために、戦ってきたのだ。
「いいさ、祥鳳。お前は自分の信念を貫いたんだ」
男は優しく笑うと祥鳳の頭を撫でる。
掌の温かい感触が涙が出るほど嬉しかった。
「お前は、俺の誇りだよ。祥鳳」
心の中にある鎖がドロドロと溶けていくような気持ちだった。
祥鳳の瞳からは宝石のような涙が幾つも零れ落ち、提督の胸元に思わず顔を埋めた。
「て、提督・・・・・・私、やりました・・・・・・私、嬉しい・・・・・・」
泣き崩れる祥鳳を提督は優しく抱きしめる。
その腕の温かさが、とても心地よかった。