闇を恐れなくなったはいつからだろう。
真夜中の運動場を一人で歩きながら、吹雪はふと考えた。
かつて、夜は恐怖そのものだった。
父の事で故郷の友人たちと喧嘩し、そのことで兄に咎められ、家を飛び出したあの日。吹雪は夜の海とそれと同じように、漆黒に染まった町を見て、絶望した。
それ以来、夜が来る度にその光景が脳裏に浮かんでくる。
夜の闇は海を飲み込み、町を飲み込み、そして吹雪をも飲み込んでしまうのだ。
ぼんやりと夜空に浮かぶ月を眺めた。
故郷の頃には怖くて見れもしなかった夜の空だ。
兄が出ていってからは一層、恐怖を感じた。
艦娘の穴に来てからも同じだった。
それを変えてくれたのは扶桑だ。
夜、布団の中で震える吹雪に気付いて、そっと抱きしめてくれた。
扶桑は何も言わなった。
ただ黙って、吹雪の頭を撫でてくれた。
それで吹雪は救われた。
本当は寂しかっただけのかもしれない。
自分は一人じゃない。そう思いたかっただけなのかもしれない。
気付けば、海の近くまで来ていた。
潮の臭いが鼻につき、波の音が静かに響いている。
明日、兄に会う。
まずは母の事を話そう。
きっと死に目に会えなかったことを、今でも兄は悔いているだろう。
共に悲しみを分かち合い、そして母を送ろう。
その後は、扶桑のことを話そう。
あの人がいたから今の自分はいる。
それを伝えたかった。
不意に寒気を感じた。
最初は夜の冷え込みかと思ったが、まとわりつくような不快感も伴っている。
何かが来る。
ほとんど直感で吹雪は地面を蹴った。
瞬間、つい今しがた吹雪が立っていた場所が爆裂した。
砲撃されたのだ。
弾の飛んできた方向に目を向ける。
暗闇の中で小さな光が二つ浮かんでいる。
目玉だった。酷く充血した瞳は怪しい光を放っており、じっと吹雪を見つめている。
やがて月の光に照らされて浮かび上がってきた砲撃主の姿に、吹雪は息を呑んだ。
練習生108番。
昼間、扶桑に無礼を働き、吹雪によって叩き潰された少女だ。
模擬戦闘で気を失い、そのまま医務室に運ばれたと聞いていた。
そんな彼女が何故ここにいるのか。
しかもよく見れば、演習用の艤装を身につけている。
「避けるなよ……外れてしまったじゃないか」
彼女は完全に正気を失っていた。
息を荒らげ、焦点の合わない瞳で吹雪をじっと睨んでいる。
「どうして……」
そう問いかける吹雪に108番は目を見開いて言った。
「どうしてだと……扶桑先輩に贔屓されて艦娘になったお前から『吹雪』を取り戻す。それだけよ」
再び108番の主砲が火を噴いた。
「な、何を言っているんですか! あの模擬戦で勝負はついたはずです!」
吹雪はそう言うも正気を失った108番には聞こえないようだった。
ゆっくりと歩を進めながら、吹雪に主砲を向け続ける。
「落ち着いてください! こんな戦いに意味はありません!」
「あるとも。真なる吹雪である私が、それを取り戻すのだ」
「候補生同士で争って何になるんですか! 私たちの敵は深海棲艦のはずです!」
「私の敵は……お前だ」
これ以上、話をしても無駄だろう。
そう思った瞬間、吹雪は地面を蹴った。