高遠遙一は、地獄の傀儡師となりえるのか   作:wisterina

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第十六話『その傍に立つまで』

 桜の花がすべて地面に落ちきった時期、新入生も新たな学校生活に慣れて先生たちが一息をつける頃合いに事件が起きた。

 

「本当に辞めるか高遠。まだ二年なんだし考えても」

「考えた上の答えです」

 

 職員室にいる先生たちが一様に、高遠と担任の動向に注目している。にも拘わらず、高遠には余裕があるようにも見える様子で担任に向き直っていた。一方で狼狽えているのは担任の方だ。難関高校と評される秀央高校の入試をトップの成績で入学し、事件があった後もひたむきに学年トップを維持し続けた生徒が突如として中途退学申請を出してきたのだから、そのクラスを担当する人としては生きた心地がしないのは明白だ。

 

「なあ高遠、海外に行くとしてもお前の学力なら奨学金で大学に留学できるだろ。わざわざ身一つで行かなくても、学校の伝手があるのだからその方が有利になるぞ」

「学校では、マジックの勉強は教えられますか?」

 

 ぴしゃりと高遠が遮り、担任はうっと言葉を詰まらせた。

 

 遺品にあった日記帳、それは高遠の心境に大きな変化をもたらすというわけではなかった。いや、既に察していたのもある。本人は「ああ、やっぱりか」と乏しい反応をしたのがその証拠である。むしろあれが自分の父親でないということや家という呪縛から解き放たれたことに安心したのだ。

 もう己の道を阻むくびきがなくなったことで、実の母である近宮玲子と同じステージに立つために、本格的なマジック修行に出る決断をした。秀央高校に入学したのは、もともと父の思惑で半ば強制的に入れさせられたためで、一つを除いて秀央高校に思入れや愛校心もない。 

 

 彼女に会うこと自体は大きな障害はないであろう。DNA鑑定や日記を携えて自分は息子であるとマスコミにリークすればいいこと。あの世界的有名なマジシャン近宮玲子の隠し子ともなれば、ゴシップ記事はニンジンをぶら下げられた馬のように走るマスコミの大好物、再会するなぞ容易いことだ。

 しかしそれは高遠の理想の再会ではない。幼少の頃イギリスで近宮玲子と別れた際に「僕が一流のマジシャンとなったときにまた教えてあげるから」という約束こそがふさわしいと感じた。超一流のマジシャンである彼女の前に立つには、同じステージに立って再会するべきである。それが憧れであるマジシャンとしての恥なき完璧な再会だ。

 

 

 

 長時間の担任との談話は結局、高遠の粘り勝ちで幕を閉じた。高遠はそれに誇ることもなく、職員室から出るときも深々と従順な生徒のように礼をしていた。

 

「どうしてあんな大人しい生徒が退学なんて」

「あの事故が原因だったのでは?」

「でももう一年も前だし、やはり本人の言う通りに」

「これで東大行きの生徒が一人減ったか」

 

 ドアを閉めた時に聞こえてくる先生たちの飛び交う声。憶測と学校の利益のことばかりが折り重なるが高遠は気にも留めなかった。しかし、一つだけ透き通るような濁りのない声が高遠を呼び止める。姫野先生だ。

 

「高遠君」

「姫野先生、今までありがとうございました。音楽室を使用する便宜や、マジック部に入部することとか」

「……私は、高遠君を応援しているわ。君なら絶対世界的なマジシャンになれるわ。あの近宮玲子みたいな」

 

 その人物の名前を言うと、高遠は小さく笑みを見せた。先生と同じように濁り気のない澄み切ったものだった。

 

「私の目指す場所は、そこですよ」

「よかった。じゃあ最後にマジック部のみんなに挨拶に行ってあげて。礼儀は必要よ」

 

 気が進まなかった。かつての居場所を、自分が壊してしまったあの場所に足の親指の先一つでも踏み入れていいのか、しかし姫野先生の柔らかく優しい表情はマジック部の高遠に対しての姿勢を表してるようだ。

 マジック部がある棟へ歩く途上、すれ違う生徒たちが慌ただしくすれ違う。手製の看板に慣れない釘を打ち、教室の机にクロスカーテンがかけられる。ああそうか、五月祭か。何かが変わるときはいつもお祭りが高遠を変える。それは五月祭であり、公園でのショーであり、近宮玲子のマジックショーであった。そして高遠はマジシャンとしての道を歩む。

 ――悪の犯罪者としての素質が。

 ふと、霧島の言葉が蘇った。違う、僕は決して悪の犯罪者としてでなく彼女と同じ舞台に立てる最高のマジシャンとなるべく歩むのだ。

 

 高遠が歩みを止める。その扉の前に『マジック部』と書かれた一枚の貼り紙がテープで留められた部室。かつて居場所だったところだ。自分で壊しておいて居場所に別れを告げるとはなんとも愚かなことか。扉を開くと、部屋の配置やものは変わっていなかった。その代わり、人は相当変わっていた。

 

「久しぶりだね高遠君」

「ええ、約一年ぶりにですね藤枝部長」

 

 ソファーに座って――下級生であろうか部員に指導をしていた藤枝が手を止めて、高遠が現れたのを歓迎した。扉の前にいた丸縁眼鏡をかけたニキビ面の男子は幽霊部員であった部員の登場に驚きを隠せない様子だ。突然現れたのもあるが、一年も顔を出していない部員が特Aクラスの大人しい羊だとは夢にも思うまい。

 

「聞いているわよ。辞めるんでしょウチの高校」

「ええ、ですから最後にあいさつをと。姫野先生に言われまして。黒江先輩は?」

「舞台の調整とか展示とか裏方を回っているわ。去年の勝手を知っているのが私と黒江しかいないからどうしてもね」

 

 そう、今のマジック部には五月祭を経験した部員が三年の二人しかいない。去年はまだ三年生と二年生がいたが、五月祭を経験した二年生陣が今年はいないため、相当な負担が藤枝と黒江に掛かっていることは容易に想像できた。

 

「すみません。こんな時まで手伝うこともせずに」

「うーんじゃあ。代わりにウチの後輩たちを指導してやってくれない?」

「え?」

「正式な退学にはまだ時間があるでしょ。退部届も出ていないから高遠君はまだウチの正式な部員よ」

 

 藤枝の言う通り、退学届は提出済みではあるがマジック部の退部届はまだ出していない。退学となれば秀央高校の生徒でなくなり、自動的にマジック部も退部になるから書いていなかったのだ。時刻はまだ四時過ぎで夜まで十分な練習時間がある。すぐに出発するわけでもないし、遅く帰ることを咎める父もいない。

 最後の最後でうまく丸め込まれたと思いつつ高遠は承諾した。

 

「いいですよ先輩」

「やった。さあみんな高遠君に自分のマジックを見せてもらってね。彼のマジックは部内で一番だから」

 

 藤枝が後輩たちを煽ると、一斉に高遠を取り囲んだ。

 

「あの、失礼だとは思いますが。僕のマジックを見てくれませんか」

「先輩お願いします!」

「ああ、押さないで。ちゃんと順番に見るから」

 

 押し寄せてくるのは公園の子供たちで慣れていたが、年が一つしか変わらない体の大きい後輩に羨望の目で教えを請われるなど高遠には初めての経験だった。後輩に教えるという初めての経験に最初は戸惑いもあったが、すぐにコツをつかみ粗のあった部員たちをことごとく矯正できた。

 後輩に教えるなんて初めてなのに、ちゃんと教えた通りに直している。高遠は昨年、霧島にマジックの指導をしたことがあるが、どう指摘しても直らなかったので指導は苦手なのではと思っていたが、実際はマジックに対して情熱がなかっただけなのではとよぎった。

 完全下校時間のチャイムが鳴ると、藤枝が手を叩いて練習を終える合図を鳴らした。そしてこれが高遠にとって最後のマジック部での活動のチャイムであることを意味していた。

 

「みんなお疲れ。高遠君も指導お疲れ様」

「最後にお役に立ててよかったです。では、僕はこれで」

 

 軽く別れを告げてドアに手をかけると、眼鏡をかけた一年生が呼び止めた。

 

「あの、高遠先輩! 僕、去年の五月祭で行われたマジックショーを見てた時あなたのショーに感激しましてそれでマジック部に入部したんです。ですから、最後に一度だけ、マジックを見せてくれますでしょうか」

 

 遠慮がちにたどたどしい口調で深く、ピシッと九十度に折れた。他の後輩たちも眼鏡の生徒ほどではないが深く礼をして「お願いします」と言った。そして藤枝がウインクしてお願いとアイサインを出すと、高遠は指を鳴らした。

 すると、どこからともなく後輩たちの上空から白いバラが落下傘のようにふわりと落ちて彼らの手の中に入っていった。

 

「これで満足したかい」

「「あ、ありがとうございます! お元気で高遠先輩!」」

 

 後輩たちが一斉にお礼を述べると、そのまま高遠がマジック部から出てゆく。外はいつの間には夕焼けが地平線の向こうに沈んでいた。入る前までは五月祭の準備に勤しんでいた生徒たちの喧騒が響き渡っていたが、驚くほど静寂で扉を閉める音が廊下で響いた。

 だからだろうか、部室からもう一人出てくる音も良く聞こえた。

 

「高遠君、近宮玲子の下へ行くの?」

 

 部室から出てきた藤枝が、高遠の後ろで訊いた。

 

「いえ、僕はまだ彼女と同じ舞台に上がるほどの技術は持っていないですから、イタリアのとある魔術団の下で修業をしてきます。彼女もイタリアでマジックの修行をしていたようですから」

「高遠君、私も。私も追いかけるから、近宮玲子と同じ舞台に上がって」

 

 力強く藤枝が宣言し、高遠は一驚して振り向いた。彼女が近宮玲子の下へ? 確かに彼女はマジックの腕は名実共にある。しかし学校という学業の成績を求められる籠の中ではどこかで頭打ちが起きるはず。高遠はそれを懸念して、マジックの技術育成をする場に身を置くために退学を選んだのだ。しかし、彼女の猫目は自信ありげに高遠を見つめている。

 

「その自信はどこからですか?」

「近宮玲子に似ているから……じゃだめ?」

 

 にこっとわざとらしい笑顔をつくって、自分の顔に指をさした。

 

「いいえ。でも、彼女のステージに上がれるのは僕ですよ。Good Luck 藤枝先輩」

 

 そうして最後の別れを告げて前を向き直る高遠。しかし、その心の内では、静かな炎と自信がたぎっていた。

 先輩、確かにあなたはどこか近宮玲子に似ています。でも失礼ですが、似ているだけです。本物ではありません。近宮玲子の実の息子であるこの僕こそが。似ているのでも、偽物でもない、本物である僕こそが。彼女の下に行けるのです。

 誰よりも早く、絶対に、彼女と同じステージに。

 一流マジシャンとしてふさわしい舞台に。

 


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