高遠遙一は、地獄の傀儡師となりえるのか 作:wisterina
昨日の帰りのバスよりも少ない人数の人が乗るバスに高遠は乗っていた。まばらにいる乗客のほとんどが秀央高校の生徒であることが制服からうかがい知れる。そしてその全員が全体準備のために駆り出された一年生である。
皆が皆、早朝に起きる羽目になったため空いている座席に座って、足りない睡眠時間をバスの中で補おうとするが、ようやく昇ったばかりの朝の光が座席に座って眠たげな顔をしている乗客たちを、四角の窓に合わせた平たい板のような白い光線で起こそうとする。時折、バスが動くと日の影になる建物が遮っては邪魔をしてくる。
高遠はぱっちりと目を開けて、まだシャッターの開いていない店舗や新聞を住宅のポストに投函する配達員の様子を見つめながら考えていた。
昨日のうちにマジックの準備は整えた。あとは実行に移すだけ。だが、迷いがあった。
霧島が藤枝に対する目論見を邪魔しようとすること計画を完成し終えた時、ふとこれをしてよいのかと自分の中で迷いが生じた。殺すことは悪、そんなこと小学一年生でも知っていることなのに、どうしてか高遠は
例えば、社会では裁けないような悪人に大切な人を殺されでもしたら、きっとその悪人を殺したとしても許されるのではないか? 以前ポワロ最後の事件である『カーテン』を読んだことがあり、そこに出てきた犯人は人が人を殺すことに快楽を見出し、殺人教唆で幾人もの人を殺人犯に仕立て上げた。しかも犯行がいたって日常会話程度の物で殺人教唆には至らないものであった。そこでポアロはその犯人を殺し、最後には自殺した。
もしかしたら藤枝が過去に霧島に対して、あるいは家族や恋人に酷い仕打ちをしたため、その復讐として藤枝を殺そうとしたのではないか? と高遠は藤枝にも疑惑の目を向けていた。
もしそうなら、非は藤枝にある。殺されても仕方がないほどの仕打ち。もしも自分が大切な人を殺されでもしたら、手をかけるかもしれない。今はただ一人しかいないが……
高遠が起こすべきか起こさないべきかで迷う間に、バスは迷うことなく秀央高校前のバス停に停車したことをドアが開く音と駆動音で乗客に知らせる。
全体準備は粛々を行われてた。高遠と霧島が所属する特Aクラスは校門にアーチを設置する仕事が割り振られた。
内容は造花をつけてアーチを持ち上げるだけで終わるので、少人数であることや特Aクラスということもあって優遇された。
クラスの人たちが、眠い目をこすりおしゃべりをしながらアーチの縁に両面テープがついた造花をつけていく。その中には霧島の姿もあり、うつらうつらと船をこいでいるクラスメイトの上に逆立った黒髪を剣山のように造花を添え、それでも起きなければもう一つと頭に造花の園を形成させていく。それを見ている他のクラスメイトは止めることもなく、どこまで植えられるかとクスクスと笑い、期待の目を霧島に向けていた。お調子者霧島のいたずらだとクラスメイトはいつものことであると見ていた。
いたずら気に片頬を上げている霧島の目は、昨日の夕方に部室で見た時と同じだ。よもや、あれが計画的な殺意を隠している顔だとは誰も思わない。
高遠はそれを見ながら造花をアーチに飾り付ける。教室から出ていくときに、下準備はできた。あとは藤枝と霧島を二人っきりにさせることなく、前夜祭のマジックを遂行させて、霧島を騙す。
内容自体に問題はない。ただ、それを起こすべきかを高遠は揺らめいていた。藤枝つばきは、霧島にとって殺さないといけないほどの人物なのか。
誰でも裏の顔があるのは、知っている。自分だってそんな顔があるはず。もちろん藤枝先輩にもある。だが高遠の脳裏には、彼女のもう一つの顔を克明に覚えている、淋しく悲しい顔を。それを知っているからこそ、彼女に後ろめたいようなことがあると高遠は思えなかった。
自分をマジック部という場所に導いてくれた霧島に寄るべきか、共通の人物に憧れてそしてどこか近宮玲子に似ている藤枝を助けるべきか揺れ動いていた。
こくんとすっかり造花に埋もれていたクラスメイトの頭が大きく揺れると、造花がドサッと花が丸ごと落葉する。まるで椿の花のように。
準備も終わると、高遠は音楽室に入った。
漆が塗られたように黒く高遠の顔が映るほど光る鍵盤蓋を開けると白と黒が交互に並ぶ鍵盤が整列している。そして椅子に座り鍵盤に指を置くと、『エリーゼのために』を弾き始める。
イギリスでハウスキーパーをしてくれた女性にピアノやバイオリンなど音楽全般を師事した。その中でもピアノが、特にリストやベートーヴェンといった重く低い音程で彩られる曲が好きだった。マジック部の顧問であり音楽の先生である姫野先生からは明るい音楽を引いたらと言われたが、好みは変えられなかった。
こうして自分で白と黒の細い板を押して、奏でながら聞くピアノの旋律に心が安らぎ、ピアノのことだけに集中できる。煩わしいことも、悩んでいることも、心血を注いでいるマジックのことも皆。
だが日本にある高遠の家にはピアノがないため、昼休みの間に学校で弾くのが日課のようになっていた。姫野先生から高遠がここでピアノを弾くことを黙認しているため大きな問題は起こしていない。僅かな時間であるが、ここも高遠の居場所であった。だからか自然と鍵盤に指を運ぶのが軽やかであった。
「高遠君、もう全体準備終わったの?」
おっとりとした穏やかな声が『エリーゼのために』と不協和音にならずまるで新たな旋律ができたかのように重奏が奏でられた。高遠は指を止めて、演奏を止むと音楽室の扉の所に姫野先生が立っていた。
「すみません。早く終わったもので自由時間になったものですから」
「どうしたの、ちょっと辛そうだったけど」
高遠は姫野先生の言葉に驚き少し目が開いた。そして鍵盤蓋に一瞥して自分の顔を見る。前髪を垂れ下げた下の顔はいつもの冷ややかな表情であった。
「……そんな顔してましたか?」
「ほんのわずかにね。ピアノの旋律も手本の曲よりも重く感じたわ」
さすがは音楽の先生と言ったところかと高遠は彼女の耳の良さに感心した。姫野先生は、高遠がこの学校に入学してから唯一気が置けない先生だった。マジックのことしかり、音楽のことも、時にはそれ以外のことも。
「……先生、もしも友人が犯罪に手を染めようとしたらどうしますか?」
「え?」
姫野先生は、高遠の口からでは物騒な言葉に目を皿のようにして驚いた。先生はどうしてそんなことを聞くのかと否定せずに、目を閉じ手を軽く合わせて真剣に考え始める。
「……私ならする前に止めるわ。だって友達が捕まってしまうのは嫌だもの」
「では友人が犯罪を犯さないといけないほど許せないことでしたら?」
高遠は言葉に出さなかったが、霧島のことを暗に相談した。許されるべきか許されざるべきか、まだ高校一年生の高遠では判断がつかなかった。
「難しいわね。……けど、日本は法治国家である以上犯罪を犯したら法で裁かれるわ。どんなことでも犯罪を犯した人は裁かれなければいけない。そんなことになったら、その人の人生は終わってしまうから」
「………ありがとうございます先生」
そう言うと、高遠は鍵盤蓋を閉じてピアノをしまい椅子から立ち上がる。すると、姫野先生がコツコツと木目の床を艶のあるヒール靴で鳴らしながら高遠に近寄った。
「高遠君、先生嬉しいわ。あなたが友達のために行動するなんて」
「そうですか?」
「そうよ。私、君がクラスメイトに心を開かず孤独でいたことの危うさに心配していたから。心を閉じたままだと孤独なままだけど、心を開いたらあなたを守ってくれる人が自然とくる。もうさっきのことについてはこれ以上触れないでおくけど、大切な人を失わないでね」
姫野先生が幸福そうに微笑む。高遠はそれ以上何も質問もせずに音楽室から立ち去った。