はやて達は、男が紅の石を割ることで大量に現れた大型の甲冑の魔物達によって完全に包囲された。
これはもう、勝ち目がない。魔力を使い果たし眠りについた海を抱きかかえて、はやては即座に逃げる体勢を取った。
はやてを狙って、魔物達は一斉に剣を振るう。石が割れたことによって発生した紅の霧の中、はやては時折流れる脳内の映像も頼りにしながら、その一閃一閃を的確に避ける。ある時は姿勢を低くし、ある時は上を飛び越え――腕の中にいる海の様子を気にかけながらも、普段の時と比べても決して劣らない速さで出口に向かっていく。
「逃さナイ……!」
しかし、その出口目前だった。地面に充満する紅いオーラから、出口を封鎖するように突如として甲冑の魔物が現れる。それも、絶対に逃さないというスーツの男の意志を顕したかのように、複数の魔物がズラリと壁を形成した。出口からの灰色の光はほぼ完全に遮られた。
「っ……!」
突然の事態に、はやては思わず足がすくむ。魔物の、目の前で。
「シネェェェ!!」
映像は、認識できなかった。
耳をつんざくような男の奇声。すると今までの緩慢さからは想像もつかないような攻撃速度で、魔物は刃渡り2mにも及ぶ大剣を横に薙いだ。
はやては海をかばうようにとっさに背を向けるのが精一杯だった。
「――っ!!」
激痛。背骨が軋む音を聞き、重力の感覚を失う。背中が焼けるように熱い。宙に飛ばされ、天と地が入れ替わり続ける。そのまま天井に頭から激突し、銃で撃ち落とされた鳥のように地面へ落下する。
その最中、乾いた破裂音を聞いた。刹那、左ふくらはぎに痛みが襲う。追い打ちの銃弾が1発脚を貫いたのだ。はやては赤い軌跡を空中に描きながらコンクリートの地面に墜落する。身体からはどす黒い血がどくどくと滲み出てくる。
それでも、海の身体は離さなかった。はやては、海を上側にして地面に落ちた。はやてが血に塗れようと、傷一つ付けなかった。
「シネ、シネ、シネシネシネシネエェェェェ!!」
頭脳が吹っ飛んだかのような狂いようで、男は金切り声を上げ続ける。甲冑の魔物達が地面に落ちたはやて達を囲み、一斉に剣の刃を下向きにして振り上げる。はやては痛む身体を気力で無理やり動かし、海を抱き込んだ。
――その時だった。
上方から衝撃音が響く。瞬間、地面が激しく揺れた。一つの地点から広がる光と爆風が辺りを瞬く間に覆い尽くし、倒れ込んでいるはやて達に群がる甲冑の魔物達だけを吹き飛ばす。
廃倉庫の天井には穴が開き、灰色の光が差し込んだ。衝撃で爆心地付近からコンクリートの煙が巻き起こる。煙越しに見える女性の影はツインテールをたなびかせていた。
それは、まるでヒーローの如く。
煙が消えると、煌々とした白の制服に身を包んだ美少女が一人立っていた。その美貌に、およそ似つかわしくない巨大な鎌を携えて。
そして、少し遅れてもう一人。緑色の羽毛を周囲に舞い散らせながら、小柄で可憐な少女は両手にリボン付きの杖を抱きながらふわりと着地した。
「リオンさま……ひな、ちゃん……?」
おぼろげな意識の中、はやてはその少女達の姿を認識した。微かに動く唇からは、血液の筋が一つ。
「はやて……!?」
「はやてちゃんっ……!」
満身創痍のはやてを見て、リオンとひなは真っ直ぐ駆け寄る。二人が来るのを確認すると、安心したのかはやては、か細い糸一本で繋ぎ止めていた意識をぱっと手放した。
「ひなが今、助ける……!」
「でも、はやてには魔法が……」
「可能性に賭けたいの、リオ様!」
ひなはリオンの制止を聞かず、身長ほどもある杖を両手で持ち、天に掲げる。こういう状況なら、魔法を使っても眠らない。秋葉原の一件で、ひなはそう確信していた。
「煌々と燃ゆる火に我が身を投じ、新たなる生命を宿す――
はやての周囲を優しい炎が包む。本来なら、そのまま炎が身体の傷を癒やすのがこの魔法だ。しかし、炎がはやての身体に触れた瞬間、ぱっと消えてしまった。
「え……」
呆然。最近ひなが使えるようになった渾身の回復魔法。……それさえ、効かなかった。
「……ひな、集中して」
「でも、こんな傷絶対に――」
「いいから集中して!」
リオンはひなに対してものすごい剣幕で怒鳴った。感情のまま暗黒の波動がリオンから発せられ、魔物達をひるませる。
「リオ様……」
「私達まで死んだら何の意味もないの! 分かる!?」
リオンはコマのように回転しながら闇の力をまとった大鎌を振るい、何重もの黒い衝撃波を生み出す。ひなには、リオンの目から光るものが溢れ出てきていることがはっきりと見えた。
「今は目の前の敵を何とかするの!」
リオンが生み出す数多の黒い衝撃波は、甲冑の魔物達の動きを止め続ける。そして、その回転の勢いのまま、まず一体――海と戦い、疲弊していた個体――を横に両断した。
しかし、やっと一体である。絶望的な状況には変わりなかった。リオンは敵の攻撃が届きにくい空中をうまく使い撹乱しつつ、感情に任せた闇魔法の攻撃を加えている。
一方ひなは、地上で奮闘していた。相手の大剣を真正面から受け止めては弾き返し、フルスイングで甲冑を凹ませる。小柄な体格を活かし、懐に潜り込んで痛烈な一撃をお見舞いする。
「忘れてもらっては、困る、ネ!」
スーツの男が放つ銃弾が宙を舞うリオンの左頬をかすめる。
「っ……るさいッ!」
リオンは怒りと悲しみの混ざった感情を増幅させる。空中からありったけの闇の力をまとった大鎌を上に振り抜くと、暗黒の衝撃波が地面を突き進んで一直線上に並んだ魔物達を切り裂いて真っ二つにした。
しかし、リオンはあまりにも冷静さを欠いていた。
「……はぁ、はぁ……っ!?」
「リオ様!?」
後スキを晒したリオンを、攻撃を免れた魔物の大剣が襲う――はずだった。
「リオ様――っ!」
ひなはリオンのピンチを見逃さない。全力のフルスイングを魔物にぶち当て、ひるませる。そして――杖を天高く突き上げ、周囲の紅の霧を吸収し始める。
「リオ様。七星さんを抱えて避難して!」
「ひな……?」
「膨大な魔力を感じるの……このままだと、リオ様も巻き込んじゃうと思う」
ひなの杖にみるみる紅の霧が集まり、妖しい光を放ち始める。ひなの言う通り、リオンはひなに魔力が大量に溜まっていくのを感じ取っていた。
「分かったわ、ひなを信じる……はやても信じよう、どんな魔法も効かないはず」
「リオ様、ありがとう」
リオンは昏睡状態の海だけを抱きかかえて高く飛び上がり、屋根に空いた穴から脱出した。
「何をす、ル、気だ、ネ? 多勢に、ブゼイ、お前はどうあがこう、ト、死ヌ」
「――ひなは、死なない」
声色が変質したひなに、紅のオーラがまとう。緑色の彼女の瞳は紅い輝きを放ち、溢れ出る魔力でひなの周囲に風圧が発生し続ける。
「これは、ひなの怒り。ひなの悲しみ。あなたは、みんなに酷いことをした。だから……その何倍もの痛みを、苦しみを、あなたに味わってもらうね」
倉庫内にて、赤黒い雲が発生しはじめる。そこから赤い雨がぱらぱらと降り始め、やがて滝のような雨となる。
紅の雨は倉庫内全域を覆い、甲冑の魔物を文字通り全て溶かした。
「ウッ……グゥウッ……やめ、ロ……!」
スーツの男も雨に打たれて悶え苦しむ。ひなはひざまずくスーツの男に向かって、ゆっくりと歩いた。
「ヤメ、ロ……ッ!」
「やめないよ。ひなはね、本当に怒ってるから」
ひなが歩を進める度に、ミシミシとコンクリートの床にヒビが入る。魔力がより強くなったのだ。
「あなたは秋葉原で、たくさんの人を苦しめたの。身体だけじゃない、心もだよ? ……それが全部、あなた一人の元に返ってきてるの。今、ね?」
「ヴ、ガ……グ……」
ますます雨は強くなる。スーツの男は四肢を溶かされ、胴体と頭だけになっていた。
「そろそろ、おしまいにしてあげようかな」
紅い雨がぱっと止む。男には抵抗する力どころか、物を言う力さえ残ってなかった。
「サヨナラ」
赤黒い雲から紅の細い雷が一つ、一瞬光って男に刺さる。
「ウッ……ア……ヴアアアァァ――ッ!!」
甲高い断末魔の後、耳をつんざくような鋭い破裂音。男の身体は粉塵となって消し飛んだ。ひながまとっていたオーラも綺麗に消え、いつも通りに戻っていた。
静寂。ついさっきまで起こっていたことが嘘に思えるほどの、静寂。
「はぁ、はぁ……っ……」
赤黒い雲が晴れ、霧もすっかり消えていた。しかし、ひなの気持ちは晴れなかった。これが夢であればいいのに。そう願うように、ひなは自分の手を見つめた。
大丈夫だった。いつもどおりの手だった。軽く身体を動かす。何も問題はなかった、今までと同じ感触だった。
「これは、夢……」
わざとらしくつぶやく。違和感は感じない、自分の声が普通に聞こえる。自分の頬を軽く叩く。何も変わらない、夢から覚められない。
何もかも、現実だった。
――ただ一つを除いて。
「……んぅ……」
後ろの方で物音がするのを聞いて、ひなはその方向に振り返った。
「はやて……ちゃん……?」
ひなは何度も瞬きした。血まみれの服を来ている彼女の名前を、おそるおそる呼ぶ。
「……ん……ひなちゃん……?」
「はやてちゃん……!」
溢れる思いのまま、ひなははやてに向かって駆け出した。