「……ん……」
帝華高校保健室。リオンの手によって運び込まれた黒髪の少女は、程なくして目を覚ました。
血がついたシャツとズボンは着替えさせられており、帝華高校のジャージをとりあえず着させられている。なお、その時の彼女の身体には傷一つ見当たらないため、リオン達から状況を説明されても、保険医が救急車を呼ぶような事はなかった。
ちなみに、帝華高校の保険医は過去大きな病院で一線級の活躍をしていたという。また、保健室の設備も手術室や大掛かりな検査機器がないことを除けば、一流病院のそれと遜色ないレベルであるため、実のところそこまで病院に頼らずとも問題がない。
「あ、目を覚ましたよー! リオ様、リオ様!」
「ひな? あ……良かった、気が付きましたわね」
リオンとひなは、自分たちのピンチを救ってくれた彼女のことを見守っていた。
「あれ……僕は……」
誰にも聞こえない位、小さな呟きを発しながら少女はベッドから上半身を起こした。
少女はうつらうつらしながら左右を見渡す。カーテンで仕切られているものの、清潔感のある白い部屋。特有の匂いも感じる。病院のような場所にいるのだと把握するのには時間が掛からなかった。
「簡潔に説明いたしますね。よろしいですか?」
優しめな声色で、リオンは言う。少女は落ち着いたブラウンの瞳をリオンに向け、こくりとうなずいた。
「貴方は、魔物に襲われそうになっていた私達をすんでのところで助けて下さいました。ですが、その時に突然倒れ込まれて……辺りには魔物の死体が散らばっていて、到底救急車を呼べるような状況でなかったのもあって、ここまでお運びいたしました」
リオンはゆっくりと、丁寧な言葉づかいで経緯を説明する。同年代位とはいえ見ず知らず、しかも窮地を救ってくれた人間だ。自然体で話すのは些か気が引けた。
「あぁ……思い出してきました。そっか、限界だったんだ、僕」
少女はリオンの育ちの良さが溢れ出る丁寧な言葉づかいに、一瞬少し困惑した表情を浮かべた。
一方リオンはと言うと、少女が発する声が、あのときのイメージからかけ離れるくらい高めで透き通ってて可愛らしいもの、俗にいうふわふわ癒し系なアニメ声であったものだから少し驚いて目を軽く見開いた。ひなに至っては思わず、
「か、可愛い……」
と、小声で口走るほどだった。
「まずは、わたくしどもからお礼を申し上げなければなりませんわ」
リオンは一呼吸おいてすぐにきちっと切り替えた。そして、誠に感謝いたします、とリオンは誠意を持って礼をした。ひなもリオンに続き、ありがとうございますー、と相変わらず気の抜けたような声でお礼を言う。
「いえいえ、えっと……こちらこそ、ありがとうございます。その……助けて、いただいて」
ベッドの上の少女はしどろもどろになりながら、軽く会釈をする。堅い口調に明らかに慣れてなさそうだ。
「リオ様ー、ちょっと丁寧過ぎないかな? 多分慣れてない人だよー?」
その様子を見て、ひなが小さな声でリオンに話す。
「そう、かしら」
「あ、あのっ! し、自然体で話してもらって、大丈夫……ですよ? 多分……同じくらいの人、ですし」
少女の緊張度合いが凄まじい。身分の高い人であることを感じ取っているのだろう。
「……じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうわね」
「は、はいっ」
「くすっ、そう緊張しなくてもいいわよ。あなたも私に対して、普通に接してもらって構わないわ?」
かくいうリオン側も空気が弛緩するのを感じ、緊張感がほぐれて少し安堵した。ひなに、ありがとう、とアイコンタクトを取った。ひなはにへっと笑い、サムズアップした。
「う……うん、分かった。あ、名前言わなきゃ」
少女はまだ身体が強張っているようだった。
「僕は、中島はやてって言います。高校2年生、だと思います」
「だと、思う?」
ひながすかさずツッコミを入れる。
「うん、思う。……えっとね、僕……記憶がないんだ」
はやては眉をハの字にして、苦笑しながら言った。
「え、ほんと?」
困惑するひな。
「みたい。……思い出せないんだ、僕。」
はやては、ゆっくりと、言葉を探るようにしながら続ける。
「確かに、あの、えっと何だっけ――そう、狼。狼のような化け物……? それを仕留めたことは、確かに覚えてる。……けど、何で僕がこんなことが出来るのか。そもそもどこから来たのか、どうしてあそこにいたのかまで――探せばキリがないくらい、何もかも、わからない」
そんなこと言っても、信じてもらえなさそうだけど……。はやてはそう、後に付け加えた。
「そうねぇ……よく分からないわね、正直。私とあなた、面識ないし……何より現実味が無さすぎて」
リオンは難しそうな顔を浮かべる。お嬢様として多くの交流を持つ彼女でも、記憶喪失を語る人と対面するのは初めてであった。信じてあげたい気持ちは山々だが――どう、気持ちを持てばいいのか分からない。
「ごめんなさい。困らせちゃう、よね」
申し訳なさそうにうつむくはやて。
「ううん、大丈夫。信じなきゃいけないところなんだろうけどね、私も」
「ひなも……うん、正直なところ、慎重になっちゃうかなー」
リオンとひなは顔を見合わせた。特にひなはある程度の医療知識があることも手伝って、より慎重な姿勢を取っている。
「でーも。ひな、あなたが悪い人だとは思わないよ?」
幾分かリラックスした表情で、ひなは言う。
「無理してまでも、ひな達のこと助けてくれたでしょ? ……あ、ひなは飛鳥ひなって言うんだー」
名前を言ってないことを思い出して、唐突に名前を紹介するひな。マイペースなひなに、はやてはちょっと失笑してしまう。
「あ、飛鳥さん、だね?」
「ひなでいいよー?」
「じゃ、じゃあひなさん」
「仕方ないなー」
ひなはふわりと柔らかく笑った。釣られるように、はやての口角も上がる。
「えっと。あなたの名前も、知りたい」
ひなのおかげで大分落ち着いたはやては、柔らかい表情になってリオンに言う。リオンは親しげに、はやてに対して返す。
「そうね、すっかり言い遅れてしまったわ。私は鷹宮リオン。ひなもそうだけど、あなたと同じ高校2年生よ」
「たかみや、リオン……うん。覚えた」
はやては嬉しそうに、その名前を噛み締めた。記憶を失ったというはやてにとって、知り合いが出来るということは何よりも心強いことだった。
「あっ! そうだ……ナイフ」
しかし、自分の服が着替えさせられていることに気が付き、はやては一気に青ざめた。こんな所で凶器であるナイフが見つかるのは、まずい。
「大丈夫だよー。運ぶ時にちゃんと、ひな達が預かっているから」
ひなは懐から、2本のナイフをこっそり取り出して見せた。真っ白い蛍光灯の色をそのまま写したように輝く、およそひなの顔ぐらいある刀身には、細かな傷一つなくついさっき魔物の喉笛に突き立てていたとは思えないほど美しかった。
ひなは自分で取り出しておきながら、その美しさに若干見とれていた。
「よかった……助かったよ」
はやては胸を撫で下ろした。出ていた冷や汗が引っ込み、白くなりかけていた顔色が元に戻る。
自分の生命線とも言える武器をリオン達が預かるのを確認して、はやては安堵している。そんな彼女の様子を見て、はやては対面して間もない私達のことを完全に信用してくれているんだ、とリオンは感じた。
そして、そのことがきっかけでリオンはある提案をする。
「はやて、と呼んでよかったかしら」
「うん。好きに呼んでいいよ」
「ええ、はやて。……良ければ、帝華高校に通ってみないかしら」
え。はやても目を丸くしたが、一番驚いたのはひなだ。学費が非常に高いこともあるが、帝華学園の系列はその多くが幼稚舎から一貫して通っている者ばかり。途中転入はごくごく稀なことであった。
「そ、それって大丈夫なの、リオ様?」
「何言ってるのよ。お父様のお力があればなんとでもなるわ。身元不明なら、戸籍も作るわよ?」
不可能などないとばかりに、リオンは少し自慢げに言う。窮地を救ってくれたはやてを見捨てるなんてことは、リオンのプライドが許さなかった。
「お父様の、力……?」
はやては浮かんだ疑問点をすかさず突っ込む。
「ええ。私のお父様は政治家なのよ、無理を通せる力があるわ」
「で、でもそんなの悪いよ。僕なんかのために……」
リオンの言葉に、はやては困惑する。その時。
「割り込み失礼するわね?」
カーテンが開かれると、黒縁眼鏡を掛けている、高身長の白衣を着た女性――帝華高校の保険医が顔を覗かせてきた。
「あ、浅田先生? どうされたんです? というか今の話、聞いていたり……」
リオンがやや面を食らった様子で質問するがそれに答えず、浅田先生と呼ばれたその女性はベッドの上にいるはやての瞳を真っ直ぐに見た。まるで吸い込まれそうな感覚をはやては感じた。
「……やはり。君は、今の帝華高校に必要な子よ」
「え……?」
3人はきょとんとして目を見合わせた。
「今から学校長さんに面会をお願いするよう連絡を取るわね。詳細はそこで聞いて頂戴?」
「あ、あの――!」
少し待っててね。はやての言葉を遮るようにそう言って、浅田先生はスマートフォンを取り出しながらカーテンを閉じて姿を消した。
「……何か、思った以上にすごいことになってなーい?」
ぼそりと、ひなが呟いた。
「そうね……でも、この様子なら帝華に通えそうね。ひとまずそれを喜びましょう、はやて?」
リオンはふっと力が抜けた様子で、目を細めてはやてに語りかけた。うん、とはやては頷き、頬を緩めた。
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すっかり回復しきったはやてはリオン達と別れ、浅田先生に連れられ校長室へ向かっていた。
「……こんな所に、僕がいていいのかな……」
ぼそり、とはやては不安を漏らす。校舎内の装飾は絢爛豪華で、まるで貴族の屋敷にでもいるかのよう。時々すれ違う生徒も皆、令嬢や御曹司の風格があり、いかにも『デキそう』なオーラが溢れ出ている。周囲から聞こえる会話も、聞き慣れない言葉や話題がチラホラと。
帝華高校の特異性に、はやては少なからず圧倒されていた。
「そんなに不安がらなくてもいいわ。帝華の生徒たちは皆いい子よ。あなたを歓迎してくれるわ」
浅田先生は眼鏡越しに優しい言葉を掛けた。
「それに、あなたは場違いではない。ここ、帝華高校でも上手くやっていけるだけの力がある。……私はそう感じているのだけれどもね?」
浅田先生の言葉に、はやては何と言えばいいか分からず黙り込んだ。
「ふふ、無理も無いわ。……さて、着いたわよ」
校長室の扉は重々しい木の扉。その隣にインターホンがあり、浅田先生はそのボタンを押す。転入生候補が面会に来たことを知らせると、その扉に手をかけた。
「失礼しますわ。……どうぞ、入って」
はやては浅田先生に促されると、緊張によって少し震えた声で、失礼します、と言って入室する。臙脂色の絨毯が敷かれている校長室は広く、高潔感のある空間だった。
「ごきげんよう。楽にして構いませんわ、転入生くん」
出迎えたのはスーツを着た女性だった。浅田先生よりかは身長が低いもののスタイルは抜群であり、シュッとしたスマートな脚の上にある、美しい曲線を描くボディラインは同性であるはやてでさえドキッとさせる。
見た所30後半にしか見えないが、まさかこの人が校長先生なのだろうか……?
「わたくしが帝華高校の校長を任されている
想像以上に若い校長だ。はやては内心驚きながら、宮咲校長が発する言葉の端々から上品さを感じた。
はやても自分の名前を言い、深々とお辞儀した。
「では、どうぞお掛けになって……浅田先生もどうぞ」
はやては宮咲校長に促され、高級感溢れる黒革のオフィスチェアに座る。座り心地が抜群によく、一度座ると離れられないような感覚をはやては覚えた。
それを見ると、宮咲校長はさらに高級そうな、いかにも校長が座りそうな椅子に座る。浅田先生ははやての隣の椅子に座った。
「まずは、帝華の生徒を助けていただいたこと、誠に感謝するわ。それで、早速あなたを帝華高校に迎え入れたい理由を説明したいのだけど……よろしいかしら?」
はい、とはやては頷く。宮咲校長は柔和な表情で話し始める。
「では。まず、帝華の生徒を助けた恩に報いたいのが一つ。身寄りがないと聞いたものだから、こちらであなたの居場所を作りたいのよ。そしてもう一つなのだけど……」
宮咲校長の表情が真剣なものに変わる。
「ここ最近、帝華高校付近の魔力が不安定なのよ。現在帝華大学の教授達に協力してその原因を調べてもらっているところなのだけど、今の所よく分かってないの」
魔法を知っている者にしか通じない会話。宮咲校長は、はやてのことを完全にその関係者だと見ていた。
「あなたからは、他の生徒にはない『特異性』を感じる、と浅田先生から連絡を受け取ってるわ」
特異性。はやてに心当たりはなかった。何も考えずにナイフでの体術が出来るのも、傷が治療無しで完全に癒えるのも、はやてにはそれが当然のことだと思っているからだ。
「不思議そうな顔をしているわね。なるほど……あなたは、面白いわ」
宮咲校長の口角が上がる。
「あなたは今回の異変の鍵となる可能性を秘めているの。言い方は悪いのだけれど……私達としては、あなたを手元に置いておきたいのよ」
はやては唾を飲み込んだ。頭に喉の音が響く。
「力に、なってくれるかしら」
はやては、はい、と力強く返事をした。これからどうすればいいのか分からない時に手を差し伸べて貰ったのだ。
また、リオンやひながこの学校にいるのも理由の一つとなった。断る理由はどこにも見当たらなかった。
「気持ちのいい返事、ありがとう」
宮咲校長は心からの笑みを浮かべた。