幼稚舎から大学まで一貫で通うお金持ち学校である帝華学園への、はやての異例中の異例とも言える無償での編入が決まった日の夕方。身寄りのないはやては、学生寮にて暮らすことになった。
学生寮といえど、ここは帝華高校である。つまり――。
「……すっご」
学生寮を見上げたはやては言葉を失い、足がすくんだ。
オレンジ色の空を背景に漆黒の衣に身を包んだ堂々たる佇まい、まさしく高級マンションそのものである。入り口の屋根には、帝華高校の薔薇のエムブレムが輝いていた。これが本当に学生寮であっていいのか。
バーチャル界でも有数のお金持ち学校である帝華学園グループに通う生徒には、当然ながら両親が地方や海外にいる生徒も少なくない。とはいえ、御曹司や令嬢がそこから生活レベルを下げて一人暮らしをしてまで帝華学園グループに通うだろうか?
そこで、帝華学園グループは広い敷地を確保し、相応の学生寮を用意。最高級の家庭が持つ屋敷の一室にも引けを取らないに快適さや利便性、豪華さを持つにもかかわらず、一人につき一部屋を確保することを実現した。
そんなわけで、帝華学園の学生寮はかなりの人気を博している。学生寮目当てで入学を希望する学生や家庭もいる位だ。
人気があるのにもかかわらず空き部屋があるのはさすが帝華学園といったところだろうか。
「中島さんはこういうところ初めて?」
案内役として付けられた、はやてよりわずかばかり背の小さい少女が聞く。
清潔感溢れる白を基調とした帝華高校の制服に身を包み、深海のような青色のサラサラとした髪を、星が輝いているようなラメの入ったヘアゴムでポニーテールにまとめている。雪のような真っ白い肌の持ち主でもある彼女の名前は、
「そう。……というか、ここに来てから何もかも初めてだらけだよ」
「ふーん。変な、子」
そう言うと、海ははやての手をぎゅっと握って学生寮に入っていった。初対面であるのにもかかわらずその小さめな手でいきなり引っ張られ、はやては内心動揺した。
変なのは七星さんの方じゃ……? そう思いながら、はやては自動ドアを通る。学生寮の自動ドアは、上部のカメラで顔を高精度で認証する。はやてのデータも既に登録済みである。
さらに、海は主導権は自分にあると言わんばかりに、エレベーターがあるのにもかかわらず階段を登り始める。
「な、七星さん? エレベーターじゃダメなの? だって僕、7階だよ?」
「待つのが、苦手」
あまり表情を変えずに返事をする海。何とも面白い子だな、とはやては海に魅力を感じていた。引っ張られるように階段を一緒に登りながら、はやては海に話題を振る。
「七星さん、えっと……ここにいる人達って、大体お金持ちの子だよね」
「うん。みんな親が社長さんだったり政治家だったり、芸能人だったり」
「七星さんの両親って何してる人か、教えて貰えたりするかな」
すると、海の足が止まる。それに少し遅れてはやても足を止め、海の顔を見ると、顔が分かりやすく曇っているのが分かった。
「……あんまり、言いたくない。ナナのコンプレックス、だから」
親がお金持ちということは、子供に課せられるプレッシャーも大きいということでもある。当然親を重荷に思う子もいるであろうことは、あまり考えなくてもすぐに分かることだ。
「そっか、ごめん」
「しつこくなくて嬉しい」
海は無表情で返すと、再び階段を登り始めた。しつこくなくて嬉しい、ということは過去にそういうことがあったんだなとはやては察した。お金持ち学校の定番、親自慢大会みたいなものが存在したらしい。
「七星さんの部屋は、どこ?」
「ナナの部屋は、隣。帰るついでに案内してって、頼まれた」
口数少なく、海は言う。ちょっと嬉しそうな雰囲気もした。
「そっか。七星さんのとこにも、たまに遊びに行きたいかも」
「まだ、早いよ」
言葉と裏腹に、海はまんざらでもなさそうな様子だった。
「えー、なんでさ」
「中島さんが、上品になったら」
「それはちょっと遠そうかなぁ……」
はやては、リオンやひなみたいな気品を身につけた自分を想像した。ごきげんようと言って、穏やかで美しい微笑みをたたえる自分。
……到底なれないなあ、と思わず苦笑いした。
「7……ここ、だね」
階段を上がり切ると、暖かな橙色の照明に照らされた、広々とした開放感のある廊下が広がっていた。はやては特に何事もなく平然としていたが、海は少し息が上がっている様子だった。
「中島さん、疲れてなさそう」
口を少し開き呼吸を整えながら、不思議そうにはやての顔をのぞき見る海。綺麗で透き通った水色の瞳に、はやてのきょとんとした顔が映る。その距離が案外近くて、はやては少し後ずさりしてしまう。
「う、うん、全く……」
「どうなってるの? ちょっと触らせて」
すると海はおもむろにしゃがみ込み、べたべたとジャージ越しにはやてのふくらはぎを触り始める。海の距離感の近さに慣れたのか、はやては受け入れておとなしくしていた。
はやての脚はまるでアスリートのような硬さで、がっちりとしていた。
「……男の子みたい。え? まさか女装?」
「うわわっ!?」
突然、白く可愛らしい手がはやての控えめな胸をむに、と掴んだ。さすがのはやても思わずそれを振り払う。
「ちょ、ちょっと七星さんっ……」
「女の子だ……」
何か言いたげなはやてを意に介さず、海は感銘を受けた様子でぼーっとはやての真後ろで突っ立っていた。軽く頬を紅潮させ、心ここにあらずという感じである。
「……七星さん?」
目の前で手を振るはやて。何も反応がない。
「おーい」
はやてが海の肩をぽんぽんと叩くと、海ははっとして水色の目を見開き、正気に戻った。
「ぁ……ごめん、いこ」
「お、ととと」
海は顔をうつむかせもごもごと言いながらはやての手を引っ張った。海の歩く速度は、さっきよりもだいぶ速くなっている。ほどなくして、海が足を止める。
「着いた。ここが、中島さんの部屋。……じゃあね」
「あ、ちょっと、七星さん、待って――」
はやてが止める間もなく、海は自室のセキュリティを解除し隣の扉へと姿を消した。
「す、すごい子がお隣さんになったな……」
はやては失笑しながら、艶のある黒いドアに『中島 はやて』と上品な明朝体で書かれてある表札カードがあるのを確認した。
そして、その隣にある静脈認証センサーに手のひらを置いた。ガチャリ、と鍵が開く音すら、どこか重みがあって高級感を感じる。
果てしない場違い感の中に、新しい世界に自らの手で足を踏み入れる高揚感をはやては感じていた。
一呼吸おいて、金色のバーハンドルに、恐る恐る両手でドアを握る。ひんやりとした金属の感触。手汗がにじむのを覚える。
カチャ、とドアを引く。ゆっくりと引いていくと、白の自動照明で照らされた玄関がはやてを出迎えた。黒光りした綺麗な石で敷かれている。
「うわ……」
今夜は絶対寝れない。そう確信めいた思いをはやては抱いた。