進撃の巨人 For the past five years   作:灰かぶり

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*注意書き?

 ・かなりの自己解釈によりカルラさん(ちびミカサも?)オリキャラ化
 ・というか最近発覚したカルラさんと違った。喋り方などを修正できずに、断念……
 ・という訳で、カルラさんファンの方は、何卒ご容赦のほどを……
 ・ちなみに、私はカルラさんファンです。決して、アンチではありません
 ・未だ巨人は、姿を見せず……




第7話 母として

「行ってらっしゃい、父さん!」

 

 隣から聞こえる明るい声。父を見送る息子の嬉しそうな様子は、普段ならば微笑ましく感じるはずの光景。

 しかしカルラはその声に対して渋い顔を作り、夫を見送るために振っていた手をゆっくりと下ろした。

 

「……エレン」

「……なに?」

 

 カルラは静かに息子の名を呼ぶ。チラッと足元に目を向けると、元気に父親を見送っていた表情はもう影を潜め、応える声とは裏腹にわざとこちらから視線を逸らしている息子――エレンがいた。

 何を言われるのか、分かっているのだろう。

 

「ダメだからね。調査兵団なんてバカなマネ――」

「は!? バカだって!?」

 

 やっと交わってきた眼差しは強い。いつもの反抗的な目つきなのに、カルラはその目が怖かった。

 そこに、息子を失う未来があるようで。

 

「俺には……家畜でも平気でいられる人間の方が、よっぽどマヌケに見えるね!」

「あっ――――」

 

 遠くへ駆けていくエレンを見送る。幼かったはずの息子がどこかへ行ってしまいそうで怖くなり、届かないと知りながらも伸ばした右手をカルラは胸元でギュッと握り締めた。

 

「…………エレン」

「おばさん……」

 

 足元から聞こえるか細い声。自らが守ると決めた新たな娘、その少女の黒い瞳がこちらに向けられていた。

 垂れ目がちなその瞳を潤す水分が罪悪感と共に揺れている。俗に言う、ウルウルしている状態。きっと自分の発言のせいだと思っているに違いない。

 カルラは優しい言葉をかけてその溢れそうな水を止めようとしたが、思いなおして膝をつき、言い聞かせるように娘の名前を呼んだ。

 

「――ミカサ。あの子は大分危なっかしいから……困った時は2人で助け合うんだよ」

 

 この子にはこっちのほうが効く。一緒に暮らし始めてまだ僅かながら、母親としてこの少女の特徴を心得たカルラの言葉。

 家族を、エレンを守りたいという強い気持ち。失うことの恐怖に覆われるよりも、それはきっと大事で尊い。

 

「! ……うん」

 

 何度言っても外そうとしないブカブカのマフラーに顔を埋めるようにして、少女は大きく頷く。コクンと首を振るその仕種は、美しいその顔つきにそぐわない幼さながらも、違和感を感じさせない可愛さを演出していた。

 自分の息子がこの少女へ送ったマフラー。肌身離さずそれを大切に扱う様子は、この少女が――娘のミカサがどれほど息子を大切に想っているのかが伝わってくる。

 この子に任せれば大丈夫だ。それはカルラにとって、息子を想ってくれている娘への信頼であり、自分の子供たちの未来へ祈る願いだった。

 

「私、エレンを連れ戻してくる」

 

 ミカサの黒い瞳にはもう罪悪感はなく、あるのは強い使命感の輝き。

 そのキリッとした目つきは、娘の幼いながらにして持つその不思議な美貌――東洋人は皆こんなに綺麗なのだろうか――をより際立たせる。

 そんなミカサの美貌を飾る絹のような黒髪へ、カルラは手を伸ばしかけて止まった。

 本当の母親に褒められた、長く綺麗な漆黒の髪の毛。失った母親を想い長く伸ばしているそれは、自分が母親であることを責めたてている様に思える。

 先ほど息子に感じた怯えとは違う。でも、同じところから来ているような胸の痛みに、カルラの手は何かを閉じ込めるように再び硬く握り締められていた。

 

「……ええ、お願いね」

 

 静かな頼みにミカサはもう一度無言で頷き、忠犬のような速度でエレンの後を追っていった。相変わらず足が速い、エレンの倍のスピードはあるんじゃないだろうか。

 もっとわがままを言ってくれてもいいのだけど、とその素直さに何ともいえない寂しさを感じながらミカサを見送り、カルラは残っている洗い物を終わらすため家へと戻った。

 段差を乗り越えドアを開けると、そこに見えたのはいつもの我が家の風景。

 裕福とは言えない木の香りが広がりながらも、貧しくはないと言える広い居間。暖かいはずの暖炉には火が灯っておらず、2人で並んで家事ができる台所も、家族みんなで食事ができる大きい机も、使うべき主が居なくてガランとしている。

 優しい夫も今しがた出張で内地に出かけ、よく言い合い――息子は娘には腕力では敵わないので――をして騒がしい子供たちも居なくなった空間はポッカリと穴が開いたようで、幾ばくかの寂寥感が漂う。

 見慣れたはずの光景にそんなものを見出してしまい、カルラはボーっと玄関で立ち止まっていた。

 

(仕方ない、わよね……)

 

 体をもたれさせた玄関口からのギシッという悲鳴を聞きながら、物憂げに思い出すのは先ほど食事中にエレンが放った言葉。

 娘が明かした秘密から知ってしまった、息子の強い願い。

 

『俺は、外の世界が知りたい』

 

 それは禁じられた願い。願ってはいけないもの。何故ならそれは、この世界ではただの自殺願望だったから。

 エレンが死ぬ。その光景が頭に浮かび、カルラの体はブルッと震えた。

 そんなこと、あってはならない。ボロボロの調査兵団の中に息子が居るというやけに具体的な未来予想図は、なんとしてでも息子に言い聞かせようとする強い決意をカルラに抱かせる。

 生きてくれているだけでいいという僅かな願いは、母親の都合の良い理想の押し付けなんかでは決してないはずだ。

 

(――けど)

 

 カルラは大きなその瞳を細め、エレンがいつも座る席へとうっすら焦点を当てた。

 息子の雑なところを表しているように、椅子はキチンと机には収まっておらず、食べ残したままの遅い昼食の周りにはこぼした汚れ、床にもこぼしているんじゃないかと思えるほど汚い。慌てて父を見送ろうとしたのか、匙も何故そんなところにあるんだと言いたくなる場所に捨て置かれていた。

 まだまだ自分のしつけが必要だと思えるその食事風景は、いつまでもそんな手のかかる自分の子供であって欲しいという希望もまたカルラに抱かせる。

 しかし、子供の成長は早い。いつか綺麗に食事ができるようになる日が、自分の手から離れていってしまう日が来ることも分かっている。その時にはきっと、喜びと寂しさが混ざり合って複雑な気分になるのだろう。

 元気に育ってくれる息子の成長を見守る日々の中で、カルラはそう感じていた。

 

「だから、仕方ない……のよね」

 

 いつまでも自分の幼い息子のままではいてくれない。エレンもきっとこの手を離れて旅立つ日が来る。

 変わらないものなんて、ない。夢を語り、瞳から強い意志の輝きを放つエレンを思い出し、それはきっと成長なのだと自分を無理矢理納得させて、抗い難い寂しさを押さえつけるようにカルラは胸元を握り締める。

 予期できなかったその訪れの早さと、予想だにしないその凄絶な成長の証を拒む感情が、強く握りすぎてできた服のシワに表れていた。

 

「……あの、カルラおばさん」

「――あら?」

 

 聞き覚えのある声に振り返ると、ポツンと佇むミカサがいた。探しに行ったはずのエレンの姿はどこにも無い。

 勢いよく飛び出して行ったにしては早すぎる帰還にカルラは首を傾げた。てっきりエレンを引きずって帰ってくると思っていたのだが。

 

「どうしたのミカサ? 何か忘れ物でもした?」

 

 子供に知られてはいけない母としての感傷を捨て置き、カルラは母としての顔を見せる。

 

「ううん」

 

 横に勢いよく振られる頭。長い黒髪をブンブンと振り乱すその否定の主張は強かったが、言葉が足りない。

 たまにこういうところはあるが、今のミカサは何か違うようにカルラは感じた。

 地面とこちらをチラチラ往復する視線。「言わない」のではなく、「言い辛い」のだろうか。

 カルラは玄関から離れ、ミカサの側で両膝を曲げ、目線を合わせて微笑みかけた。

 

「ミカサ、何かあったの? 何でも言っていいのよ。あなたは私の娘なんだから」

 

 カルラはそのどこか遠慮しているような表情を消したくて、精一杯の愛情を込め、乱れたミカサの髪を撫でるように整える。

 愛する家族を目の前で殺された少女。天涯孤独になってしまったこの少女の母親になると誓ってもう1年。

 最初の頃より大分なついてくれるようになったが、未だに時折垣間見せるその隔たりは「お母さん」とは呼ばないところにも見え隠れしていて、それはカルラに寂しさを寄越し母としての自信を奪うものだった。

 だけど、仕方ない。母と呼ばれるためにこの子を愛しているわけじゃなく、この子の母親になろうと誓ったのは自分自身なのだから。

 母と呼んで欲しいという邪まな想いを見抜いていた黒髪は、母としての純粋な愛情を喜ぶようにカルラの手を受け入れる。

 指の間を流れる滑らかな感触が、カルラには優しく感じられた。

 

「おばさん、くすぐったい……」

「ほら動かないの、少し我慢しなさい。そんなんじゃせっかくの綺麗な髪が台無しでしょ? そんなに急がなくても、夕飯までに帰ってきてくれたらいいんだからね」

 

 それと女の子なのだからヤンチャは控えて欲しい。いつも口に出す言葉は飲み込み、言われたとおりに身動きせず固まり始めたミカサを見つめる。

 大人しい性格とその外見からは想像できない近所のガキ大将的な所があるミカサに、それは言っても聞いてくれないのよね、と諦め半分にカルラはため息をこぼした。

 せめて今日ぐらいその綺麗な肌と服を汚れから守って欲しいが、いつも一緒の息子があの様子では無理そうだ。

 ミカサの髪を整えながら思い出すのは、泥だらけになって「ケンカしてきた」と言い訳する2人の日常。呆れてしまうのに何だか幸せを感じてしまうのは、娘の無表情がほのかに崩れているからか、それともさっきの感傷を癒してくれているからか。

 そのどちらでもあり、そしてどちらでもいいような気がして、カルラは目の前の小さな頭をポンと叩いた。

 

「はい、綺麗になったわ。もう動いてもいいわよ」

「ん。ありがとう、カルラおばさん」

 

 彫像のようにただ前だけをジッと見つめていたミカサが、解き放たれたようにパッと両手を頭に置く。

 形ではなく感触を確かめている、というように自らの頭を撫でるその動作から喜んでくれているのは伝わるのだが、我慢しろと言っただけで石化してしまうほどのその忠実さにちょっと不安を覚えてしまう。

 そのくせ大人しく遊べという言いつけには「エレンがケンカしてたから、助けただけ……」と言い訳して従わないのだから、方向性は違いながらも、この子も息子同様に手が負えない。

 

「全くもう、そんなにピシッと固まらなくてもいいのよ? 息まで止めてるのかと思っちゃったじゃない」

「ん。止めてた」

「……止めてたの?」

「? うん、我慢した」

 

 いい子でしょ、とでも言いたげな大きな頷きに、この子は死ねと言われて本当に死んだりしないだろうかと本気で不安を覚えて、カルラはちょっと青ざめた。

 

「そ、そう。偉いわねミカサは。でも、何事にも限度って言うものがあってね――」

「大丈夫。私は、ほぼ無呼吸でも3分ぐらいなら、全力で闘える」

「――闘える……のね」

 

 言い聞かすつもりが、話を知らない世界の果てまで打ち返されて、用意していた言葉を見失う。なんで闘う話なんだ。

 

「限度も分かってる。ので、追い返せるぐらいの力に抑えて、痛めつける」

 

 指を2本立てて「2割ぐらい」と言うミカサに、いつもの喧嘩のことだとカルラは察した。

 話を聞く限りだと、やられているエレンをいつもミカサが腕力で――または飛び蹴りで――助けに入っているらしいが、それが2割の力とは。息子が情けないのか、この子が強すぎるのか。

 勝利のポーズのようになっている目の前の娘の姿を見て、どうやら後者らしいとカルラは思ったが、どちらにしても母親としては複雑だからやめて欲しかったので、丁寧にその立てられていた2本の指を折り畳んだ。

 

「2割だろうとなんだろうとケンカは駄目。それに、ミカサは女の子なんだから」

「でも、闘わないと勝てない……」

「そんな大袈裟なものじゃないでしょ」

「でも……」

「でも、は禁止」

 

 言葉尻に合わせて、カルラは不満げなミカサの耳を軽く引っ張る。そんなに痛くは無いはずだが、ミカサは小さな悲鳴をあげてオロオロしはじめた。怒られ慣れてないから驚いたのだろう。

 カルラも珍しく慌てている娘が見れたので、表情を和らげながら立ち上がった。手を離した途端に耳をバッと抑えるミカサは、親バカ目線抜きにして可愛いと思う。

 

「まあそれはエレンが一緒の時にもう一度お説教することにして――」

 

 わざと間を空けてチラッと足元を盗み見る。そこでカルラが発見したのは、無表情の中に浮き出ている娘の僅かな絶望感。

 あまりこの子には怒ったことはないのだが、案外有効かもしれない。カルラはそう思い、そして、その表情の機微を見極められるようになってきたことが、無性に嬉しかった。

 

「それで、何かあったの?」

 

 自然と優しげな声音になり、カルラが穏やかに問う。

 その声を聞きミカサはコテンと首を傾げた。表情の無さがその美貌を無機質なものに変えていて、まるで芸術品、とは言い過ぎだろうが、まるでお人形さんのようだ。

 

「何か……呼吸、のこと?」

「そこじゃなくて、もうちょっと前かしらね」

 

 というか、その話題に関しては、かけるべきだった言葉が未だに行方不明だ。

 

「前……髪を撫でてくれて、嬉しかった」

「はいはい、どういたしまして」

 

 照れる娘はやっぱり可愛かったが、どうやら話が進みそうに無い。

 カルラは仕方なく、3度目になる質問を繰り返すことにした。

 

「何かあって戻ってきたんじゃないの? エレンも連れ帰ってきてないみたいだし」

 

 ミカサにとって何よりも大事なエレンを放って置いて優先した事柄なのだから、本当ならばもう少し慌てて聞き出してもいいのだが、カルラは自らの娘のことを信頼していた。

 危険なことに関してミカサの嗅覚は誰よりも鋭い。緊急を要する事態ならばこんな簡単に忘れたり、言いよどんだりはしない。そもそも、何かあっても大抵の事ならミカサは自力で解決できる。

 それは10歳の少女が持つには悲しい力だったが、カルラはその力をそれでも信頼していた。娘と娘が大事に思う人たちを危険から遠ざけてくれる力として。そして、この少女に癒えない傷を与えた憎い神様の、せめてもの贈り物として。

 

「あ……」

「思い出した?」

 

 ミカサが小さく頷く。

 が、それで終わり、言葉は後に付いて来なかった。

 

「? どうしたの? 黙ってちゃ分からないわよ」

 

 カルラは地面に膝をつき、完全に俯いてしまったミカサを覗き込んだ。何やら様子がおかしい。

 大したことではないと決め付けてしまったことに、後悔と不安がカルラの心を過ぎる。

 

「ミカサ、一体何があったの? もしかしてエレンに何かあったんじゃ……」

「ううん。エレンは、大丈夫」

「そう……それじゃ他に何かあったのね? 私には言い辛いこと?」

「それは……」

 

 再び黙り込むミカサ。

 ここはあまり追求しないほうが良さそうだと判断し、ミカサが言い出すのを辛抱強く待っていると、まだ躊躇いを残した黒い瞳がカルラに向けられた。

 

「……拾った」

 

 ポツリと漏らした簡潔な言葉。だがやはり、色々足りない。

 

「拾ったって……何を? お金でも拾った?」

 

 カルラの問いに、ミカサは無言で首を横に振るだけ。

 尚も続く言い辛そうなその様子に、カルラは不思議に思い首を傾げたが、すぐにジッとミカサを観察し始める。

 これは、母親としての意地の見せ所かもしれない。

 言葉がなくても子供を理解できる母親。親子歴の短さからミカサとの間には未だ成し得ていないその目標へ至らんとし、カルラは娘の一挙手一投足を僅かでも見逃さんと眼を開いてジーッと見つめた。

 ミカサがカルラの方を見ていたら、そのちょっと血走り始めた目に怯えていたかもしれない。

 

(何かためらってるみたいだし、私には言い辛い物を拾ってきた、って事よね。それに、チラチラどこを見て――って、あれは……)

 

 ミカサの目線を追いかけた先にいたのは、自宅の横にある路地の角でうつ伏せになっている猫。シガンシナではあまり見かけることのない生き物だ。その猫は真っ黒な毛をしていて、どこかやせ細っているように見える。

 もしかして、拾ってきたというのはあの猫のことか。

 

「……ダメよ、ミカサ。元の場所に捨ててきなさい」

 

 幼い心へとゆっくり染み込ませるようにカルラは告げる。

 ミカサは俯いたままビクッと反応を見せ、カルラの目線の向かう先に気付いたのか、恐る恐るしゃべり始めた。

 

「どうして? お腹が空いてるだけ、みたい」

「それでもダメ。1度食べ物をあげたら、その後も貰いに家に来ちゃうかもしれないでしょ」

 

 猫を飼う余裕なんて家には無い。そもそも、家畜以外の動物を趣味で飼えるのは貴族ぐらいだ。

 ミカサもそれぐらいは承知しているだろうが、それでも放っておくことが出来なくて迷っていたのだろう。カルラは娘の優しさと、初めて見せてくれたその幼いわがままに応えてやりたかったが、心を鬼にしてもう一度ミカサに言い聞かせる。

 

「来るたびに食べ物をあげてたら、きっと勘違いして家に居着いちゃうわ。そしたら困るのは私達だってことは、ミカサにも分かるわよね? かわいそうだけど……元の場所に捨ててきなさい」

 

 厳しい口調で締めくくり、ミカサを真っ直ぐ見つめる。

 ミカサは俯いていてどんな表情をしているのかは分からなかったが、幼い娘の初めてのわがままに何とか対抗できるように、これも我が子のためだと強く自分を奮い立たせてカルラは唇をかみ締めた。

 後で悲しい想いをするのは、この子なのだから。

 

「いいわねミカサ? もし辛いなら、私が捨てて――」

「ううん、いい。ちゃんと、自分で捨ててくる」

 

 カルラの言葉を遮り、ミカサが顔を上げて言う。

 その表情は、いつも通りの無表情ながらも、どこかホッとしていた。

 

(…………ホッと?)

 

 微かに感じる違和感。母としての責任やら色々考えていたカルラの意気込みは肩透かしを喰らい、ガクッとなる。

 

「それに、カルラおばさんだと、多分動かせない」

 

 猫の方へと歩き出し、すれ違いざまに聞こえたミカサの言葉にカルラは首を傾げた。

 あれぐらいの猫、どうってことないのだが。益々大きくなるカルラの違和感を置き去りにして、ミカサが猫へと近づく。

 と、猫の耳がピクッと動いた。

 

 

 シュタタタ――!

 

 

 猫の逃げ去る足音。実際に聞こえたわけではないが、頭の中でついそんな再生をしてしまいそうな速さ。

 ミカサの気配に素早く反応したみたいだが、随分と警戒心の強い猫だ。確かにこのシガンシナでは猫は邪魔者でしかなく、人間に対して良い思いをしていないだろうから、そんな反応にも頷ける。

 その意外に元気な様子と、そして娘に辛い思いをさせずに済んだという安心感と共に猫を見送るカルラ。次に彼女の頭に浮かんだのは、1つの疑問だった。

 どうやって、ミカサはあの猫を拾ってきたのだろう。

 

「――あら? ミカサ?」

 

 視線を戻した先に娘の姿は無い。

 猫に逃げられてショックだったのだろうかと思い、慌てて周囲を見渡し始めたカルラの耳に届いたのは、妙な音。

 

 

 ズザザザ――。

 

 

 先ほどの軽快な音と似てるようで全く真逆の、鈍重な音。そしてさらに違う点は、はっきりと音として存在し、今も尚カルラの耳に確かに届いているという事。

 何か重たいものを引きずるような、いや、確実に何か重たいものを引きずってるその音に気を取られ、カルラはそちらに注目した。

 猫が寝そべっていた向こう側、自宅と隣の家に挟まれた細い路地。そこから聞こえてくる音と共に現れたのは、まだ小さな自分の娘と、娘が片手で引きずる大きな――

 

(――おとこの、ひと?)

 

 短く整えられた黒髪。浅黒い肌。他人にやや濃い印象を与えるであろう風貌。顔つきは整っているように見えるが、意識が無いからか、今はかなりだらしなく見える。うつ伏せで引きずられていたらもっと悲惨なことになっていただろう。

 それに、やや細身だが背も高い。訓練兵のジャケットを着ているので鍛えられた筋肉も多めに付いてるだろうから、かなりの重さが見て取れる。しかも意識を失った状態だから、なおさら重みを感じるはずだ。

 そんな自らの倍以上はありそうな重さの男性を、首の後ろの襟だけ掴んで軽々と引きずっていくミカサを見ながら、やっぱり力持ちねぇ、とか、確かに自分の力じゃ動かせそうに無いわねぇ、などなど、ボンヤリとカルラは考えていた。

 大きな違和感が消えて分かったことは、「よく意味が分からない」ということだった。

 

「それじゃあ、カルラおばさん、エレンを連れ戻すから、行ってきます」

 

 横を通り過ぎようとしていたミカサが立ち止って、何事も無いかのようにお出掛けの挨拶をしている。

 とりあえず、カルラは尋ねた。ほぼ条件反射で。

 

「ミカサ…………猫は?」

「? 猫は、可愛い、と思う」

 

 はにかみながらの感想。

 そんな何故か嬉し恥ずかしの体なミカサを見て、そういえば会話の中に「猫」という単語は一切出てなかった、ということにカルラは頭の片隅でひっそりと気付いた。

 理解は未だ、行方知れずである。

 

「……? カルラおばさん、どうかしたの?」

「え…………そうね、なんでもない、の、かしら」

 

 あまりにも普通に聞かれたので、カルラは自分がどうかしているという気になり始めていた。

 その混乱している様子を何やら勘違いしたらしいミカサは、カルラへ向けていた瞳に自信を漲らせた。

 

「大丈夫。元の場所は覚えてる。ので、ちゃんと捨てられる」

 

 任せて、という頷きと共にそう言い残し、引きずる音と男をその小さな背中に率いて颯爽と立ち去るミカサ。

 その後ろ姿を呆然と見送ったカルラは、今の言葉の意味を考え始めた。

 元の場所。そして、捨てる。

 それはミカサの言葉であり、自分自身が言いつけた命令。

 そう、たとえ愛しい娘が見せてくれた初めてのわがままだとしても、教えるべきを教えることこそ母親の責任というやつだ。だからこそ、ここは心を鬼にして、拾ってきた人間を元の場所に捨てて――

 

「――ってミカサ! それは捨てちゃダメ!!」

 

 まだ色々と理解不能な所はあったが、とりあえず自分の勘違いでかなり間違った方向に娘を導いてしまったことに気付き、カルラは慌ててミカサの後を追った。

 既にその姿を消してしまっていた娘の速さを恨めしく思いながら。

 

 

 

 

 その後何とかミカサに追いついたカルラは、そのまま娘に訓練兵らしき男性を家まで運ばせた。捨てる直前だったので、あと一歩でも遅れていたら途方に暮れていたかもしれない。

 カルラの走るスピードと、人間を引きずって歩くミカサのスピードは一緒だったのだ。ミカサがエレンを探しに走り出していたら、色々大事になるところだった。

 意識の無い男性を居間の長椅子に寝かせて具合を確かめたが、頭に出来ていたコブ意外に目立った外傷もなく呼吸も落ち着いていたのでカルラは一安心し、とりあえずそのまま寝かしておくことにした。

 そして今は、絶賛お説教中である。

 

「何考えてるのミカサ! 人を捨てたりしたらダメでしょ!」

 

 どんなお説教だ、とは思わないでもなかったが、カルラはどこかずれている娘を正すため厳しく言い放つ。

 ミカサは少し及び腰だったが、それでも反論してきた。

 

「……でも、カルラおばさんが捨ててこいって」

「うっ……」

 

 それを言われると痛い。

 だがここで怯んでは駄目だ。カルラは気合を入れ直し、両手を腰に当てながら強い眼差しでミカサを見下ろした。

 

「そうだとしても、何ですぐに言わなかったのこんな大事なこと! 大した怪我は無いみたいだったから良かったものの……」

「最後に『腹減った』って言ってたから、大丈夫だと思った」

「意識の無い人を大丈夫だとは言いません!」

 

 カルラの大声にミカサが怯む。

 いつもはエレンに向けられる激しい叱咤が自分に向けられていて、かなり動揺している様子――のように見えたが、多分それだけではない。

 カルラはミカサの出す雰囲気が、事実を隠そうと嘘をついた今朝のエレンとどこか似ているように感じた。息子のように嘘をついて耳が赤くなるわけじゃないし、先ほどのこともあるので、カルラ自身その感覚に半信半疑ではあったが。

 とりあえずカルラは自分を信じることにし、膝を曲げてミカサの肩を掴みこちらを向かせ、問い詰めるような視線を送った。

 

「ミカサ、正直に言いなさい。この人に何かしたの? すぐに大人を呼ばなきゃいけないことぐらい、あなたになら分かってたはずよね?」

「……でも本当に、『腹減った』って、言ってた」

 

 ミカサは譲らない。娘の様子から、そこは本当かな、とカルラは思った。

 

「じゃあ、どうして助けようとして連れてきたのに、この人のことを言おうとしなかったの? それに、何だか積極的に助けようとしたわけじゃないみたいだし……」

 

 引っかかるのは、ミカサが垣間見せたホッとした顔。

 わざわざエレンの後を追うことまで断念して連れてきた赤の他人を、勘違いしたのは悪かったが、捨てて来いと言われて出るような表情ではないはずだ。

 

「……………………別に、何も無い」

「随分間が空いたわね」

 

 どうやら当たりだったらしい。半信半疑だったカルラの疑いは確信へと変わり、同時にちょっと呆れた。

 この子も息子同様、嘘が下手だ。

 

「ミカサ、本当のことを白状しなさい。じゃないと今度は……本気で怒るわよ」

 

 カルラの脅しを含んだ言葉に、ミカサの顔が青ざめる。いつものエレンが怒られている場面を想像しているのかもしれない。

 有効だとは思ったが、こんなに早く機会が訪れるとは。ミカサの怯える様子を見てカルラはため息をつき、そんなに怒った自分は怖いんだろうかと少し傷つきながら自らの顔に手を当てる。

 怒ったらシワができ易くなるかもという全く関係ない心配へとカルラの思考が逸れ始めた時、観念したようなミカサの声が聞こえた。

 

「……エレンは、悪くない」

「え?」

 

 降伏宣言かと思いきや、ミカサの謎めいた徹底抗戦。

 いきなり出てきた息子の名前とその擁護発言にカルラは戸惑った。

 

「エレンは悪くない、って……エレンがこの人に何かしたの?」

「……!」

 

 ばれた、と聞こえてきそうなミカサの顔。

 普段は無表情なのに、感情的になったら意外と顔に出やすい。

 

「一体何があったのかちゃんと全部言いなさい、ミカサ。エレンは何をしたの?」

「…………怒らない?」

「それは内容によるわ」

「…………じゃあ、言わな――」

「言いなさい」

 

 次は無いわよ、という意味を込めてミカサの肩を強く握る。

 あまり力は効いて無さそうだが、カルラのその迫力だけは伝わったらしく、ミカサはコクコクと頷いた。

 目が点になっている娘は貴重だ。

 

「よし、良い子ねミカサは。それで、あのバカ息子は何をやらかしたの?」

「……ぶつかった」

「? ぶつかったって、この人とエレンがってこと?」

 

 ミカサが大きく頷く。

 

「エレンが走ってたら、この人がフラフラしながら、急に出てきた。そのままぶつかって、2人とも転んだけど、エレンはすぐに起き上がって、そのまま走り去った。私が追いついて、この人の様子を見たら、『腹減った』って言い残して、寝た」

 

 なるほど。とは言い辛いぶつ切りな説明。

 だが、頑張って正直に話してくれた娘に文句は言えないので、カルラは1つずつ整理していくことにした。

 

「えっと……この人にエレンがぶつかっちゃった、ってことね?」

「ううん。この人が、横から急に出てきた。それに、エレンにぶつかられたぐらいで、吹き飛ぶほどこの人は弱っていた。ので、この人が悪い」

「……それで、エレンは意識の無いこの人を放って置いて、謝りもせずどっか行っちゃったのね?」

「ううん。エレンが走り去った時、意識はあったはず。それに、意識を失ったのは、エレンのせいじゃなくて、この人がお腹空いてたからと思う。ので、やっぱりこの人が悪い」

「…………頭に結構大きなコブが出来てたわよ」

「訓練兵のくせに、鍛え方が足りない。ので、どうしてもこの人が悪い」

 

 最後がちょっとおかしかった。どうしても、エレンのせいではないと主張したいらしい。

 だけど、本心は違うはずだ。

 

「この人が悪いと思ってるなら、どうしてミカサはこのことをおばさんに隠そうとしたの?」

「! それは……」

 

 今日何度も見ている、何も言わない、何も言えなくなるミカサ。

 まだ小さな体をさらに縮こませるその姿に重なるのは、ミカサが初めて家に来た頃の姿。

 ビクビク怯えていた、暗い瞳を持つ幼い少女。

 

「エレンが――また、怒られるかもしれない……って思った?」

 

 核心を突くかのような声音に、ミカサの無表情が固まる。

 瞳を陰らす罪悪感。この少女のそれは、きっと悲しく深い。

 

「……ミカサ。まだ、さっきのこと気にしてる?」

 

 カルラの抽象的な物言いに、ミカサは理解を示す反応を見せた。

 その無表情を崩すのは、怯え。

 カルラはミカサの肩を掴んでいた手をそのまま背中へと移し、小さな体を優しく抱きしめた。

 

「――カルラおばさん?」

 

 戸惑う声は聞こえずに、カルラはミカサを抱きしめ続けた。

 頭の中で聞こえていたのは、息子の秘密を明かした娘の言葉。

 

『エレンが、調査兵団に入りたいって』

 

 唐突に呟いたそのセリフに、どれだけの苦悩が含まれていたのか。

 息子の夢。いつから抱いていたかは分からないが、昨日今日のことではないだろう。いつも息子と一緒の娘も、おそらく大分前からその夢を知っていたのだろう。

 死を望むエレンへ、家族を失ったこの子がその未来に怯えていなかった訳がない。自分の言葉が届かないもどかしさに、苦しまなかった筈がない。

 呟かれたセリフの裏にあったのは、きっとこの子の縋るような願い。

 エレンを止めて欲しいという叫び。

 

「ごめんねミカサ……」

 

 無意識だったかもしれない。つい呟いてしまっただけかもしれない。

 それでも出てしまったその言葉によってもたらされたのは、自分と息子の深い亀裂。いつもとは違う、深い溝。

 家族を失った傷がまだ癒えぬ幼い少女が、新たに出来た家族が自分のせいで壊れてしまいそうになるのを見ることで、どれだけの罪と恐怖を感じただろう。

 ついヒステリックと言えるほどエレンへ詰め寄ってしまった自分、そして娘が抱いたその罪悪感を知りながらも息子が死ぬ恐怖で頭が一杯になってしまった自分を、カルラは殴ってやりたかった。

 

「……どうして、カルラおばさんが謝るの?」

「さあ、どうしてかしら? おかしいわね」

 

 震えてしまいそうになる声をごまかすように、カルラは笑い飛ばす。

 強く、そして誰よりも脆いこの娘に、これ以上の弱さは見せられない。

 

「ミカサ? おばさんね、このことでエレンを怒ったりしないって約束する」

「――! ホント?」

「ええ、ホント。もちろんお説教はするけど、さっきみたいに頭ごなしに怒鳴りつけたりはしないわ」

 

 カルラは体を離して、ミカサの顔を確認する。

 微かに崩れる無表情に、もう怯えはない。

 

「だからミカサも、もう気にしなくていいのよ。――エレンが調査兵団に入りたいってこと、教えてくれてありがとう」

「あ……」

 

 なんと言えばいいのか分からない様子で、ミカサが言葉を失う。

 何でもこなせるくせに、不器用な娘。この男性の件にしたって、エレンのことなど素知らぬフリをして自分に伝えれば、そもそも連れて来なければいいだけなのに。それはそれで問題あるが。

 

――けど、いつからだろう。この子のそんな不器用さが、「母親」なんて関係なく、息子と同じぐらいただ愛しいと思うようになったのは。

 

「あなたはあなたが思うままに――エレンの側で生きなさい」

 

 この子にエレンを任せれば大丈夫。それは信頼でありながら、母親としての自分勝手な望み。

 今はただ、この子の望みが叶って欲しい。いっぱい、幸せを感じて欲しい。そして、そこに自分が少しでも居てくれたらと願いながら、カルラは娘の柔らかな頬に右手を添えた。

 

「? 私はいつも、エレンの側にいる」

「ええ、そうね。これからもずっとね」

「うん、もちろん。――――ごめんなさい、よく、分からない」

 

 ミカサが左手をカルラの右手に重ね合わせながら、悲しげに言う。

 願った途端にこれとは。カルラは自分が情けなく感じた。

 

「こっちこそごめんね。急に変なこと言っちゃったわよね。気にしなくていいわよ」

「ん、分かった。…………もう、怒ってない?」

 

 不安げに問うミカサ。それでも離そうとしない娘の手がくすぐったくて、カルラは微笑んだ。

 

「ええ、もちろん。ミカサには怒ってないし、エレンにも怒ってないわよ」

 

 男性を突き飛ばした件に関しては、強めにお説教するつもりだが。

 

「えっと、じゃあ――…………」

「……? まだ何かあるの?」

「……エレンが調査兵団に、入る。ことも、認める?」

 

 認めて欲しいかのように聞こえる尋ね方。言葉と共に表れた不安の色はどこかチグハグで、本当に言葉が足りないと呆れながら、カルラはその表情を潰すように両手でミカサの顔を挟んだ。

 

「それとこれとは話が別。私は絶対に認めないわ。だから、これからゆっくり2人で説得しましょうね」

 

 これもきっと、母親としての自分勝手な望み。

 それでも、ただ生きていて欲しい。そして、この子の側に居てやって欲しい。

 それぐらいの自分勝手は許されてもいいはずだ。

 

「説得……2人で?」

「そう。ミカサと私の2人で。心強いでしょ?」

 

 半疑問系の軽い物言いにミカサは息を呑み、一瞬だけ丸くなった目が流れるように細くなった。

 

「――――うん」

 

 そこには、花が在った。誰かに手折られて、もう蕾すら成さないと思っていた花が突然、時の流れを無視して咲いたように。

 可憐で可愛い小さな花。初めて見た、娘の笑顔。

 カルラの目は釘付けにされて、ミカサの顔を両手で挟んだまま呆然としてしまった。

 しばらくすると、ミカサが不思議そうにキョトンとした表情を浮かべ、花は閉じて蕾となる。

 カルラはもう1度その笑顔が見たくなり、ミカサの両頬を軽く引っ張った。

 

「? カルラおばひゃん? い、いひゃい」

 

 グニグニとこねてみるが、どうやら再現できそうに無い。

 カルラは諦めてミカサの頬を撫でながら、先ほどの娘の笑顔を思い浮かべる。

 何だか妙に勇気付けられた気がする笑顔。本当に心強いのは、実は自分のほうかもしれない。

 

「私が居なくても、ミカサが大きくなってもっと美人になったら、エレンも簡単に言うこと聞くかもしれないわね」

 

 あの笑顔ならば、息子もいちころだ。

 

「……? 美人になると、エレンは言うこと聞くの?」

「エレンだけじゃないわ。きっとミカサなら、どんなお願いも聞いてくれそうな男の子の1人や2人、簡単に作れちゃうわよ」

「どうして?」

「それは…………まあ、大人になったら分かるわ」

「でも、私は大人よりも強い、と思う」

「強さは関係ないの」

 

 ミカサには少し早すぎただろうか。男の子とケンカばかりして女の子らしい遊びはしてないから、まだそういうことに興味が持てないのかもしれない――ということであって欲しい。

 将来美人になるのは間違いないが、娘のずれてる内面を成長と共に正せるか、カルラは心配になった。

 

「まあそこは、息子が上手いことやってくれるのにも期待しようかしら……」

「エレンが、美味い?」

「多分それは違うけど、ただの独り言だから気にしないでいいわよ。それよりも、ミカサはこれからどうするの? エレンはもうアルミンとでも遊んでるんじゃないかしら」

「! そう、だった……私、エレンを連れ戻して来る」

 

 ミカサはマフラーをなびかせながら慌てて玄関へと駆け出す。

 

「あ、ちょっと待ってミカサ!」

「――?」

 

 走る体勢のままピタッと止まり、ミカサは顔だけを向ける。エレンの事となると忙しない子だ。

 

「そんなに急がなくても、夕飯までに2人とも帰ってきてくれたらいいんだからね。どうせすぐ連れ戻してもこっちの話なんて聞かないんだから、あの子」

 

 誰に似たのか頑固なところのあるエレン――自分だと思うがあまり認めたくない――に今すぐ意志を変えさせるなんて無理だ。それならば、まずはエレンの好きなチーズハンバーグでも夕飯に出して、ご機嫌でも取ってやるか。

 エレンという難攻不落の城を落とすため、まずは外堀を埋める、ではないが搦め手で攻めるのは効果的。カルラは対息子用の値段は張るがお手軽な最終兵器を出すことを画策し、そしてそのために必要なのは時間だった。

 

「お腹が空いたらその内帰ってくるだろうから、それまでミカサもエレンと外で遊んでなさい。エレンが帰りたくないって駄々こねても、まあ付き合ってあげて」

 

 息子の我慢の限界まで計算に入れたら、買い物に行く時間も余裕で取れるはずだ。

 

「ん、分かった。それじゃ、行ってきます、カルラおば、…………」

「……? ミカサ?」

 

 緊急停止したミカサに、カルラは首を傾げる。こちらを向いているものの、目の焦点が合ってない。

 

「――おば、か……」

「おバカ?」

「! 違う」

 

 焦りながら髪を振り乱すミカサ。

 名前の後ろに蔑称を付ける呼び方を娘がした訳ではないことに、カルラは大げさなほど胸を撫で下ろす。さすがに立ち直れない、そんな呼び方。

 ミカサは口を「お」の形に開いたまま、また止まってしまう。

 もしかして、

 

「おば、じゃなくて……おか?」

「!」

 

 動きを取り戻したミカサは、次にもじもじしだす。

 視線を合わさず恥らう娘は可愛くて、そしてたまらなく嬉しい。

 だけど――

 

「……無理しなくていいのよ、ミカサ」

 

――それはもう必要じゃない。

 

「あなたの『おかあさん』は、ずっとあなたの側にいるんだから」

 

 頬を赤くしているミカサに近寄り、カルラは母親譲りのその黒髪を撫でる。

 呼んで欲しくないと言えば、嘘になる。だけど、もう大丈夫だ。

 この子を愛することに、「母親」の資格や証明なんて、要らないのだから。

 

「――行ってらっしゃい、ミカサ」

 

 代わりとして側に居るこれからの長い時の中。1度だけでも呼んでくれたら満足だ。

 まだ少し捨てきれない願いを込めて、カルラは優しく娘の名を告げる。

 

「――うん、行ってきます」

 

 ほのかに赤く染まった、小さな花。もう何にも手折られることなく綺麗に大きく咲くように、この手で守り、水を与えよう。

 控えめに手を振って駆けていくミカサを、その姿が見えなくなるまで、カルラは振り返した手を下ろしてもずっと見つめていた。

 遠く離れていく息子。遠く届かない娘。

 2人の子供たちへ手を伸ばそうとし、閉じ込めるように硬く握り締めたはずの彼女の手は、今はもう包み込むように胸元で握りしめられていた。

 

 

 

 

「…………俺のパンを、返せ――」

 

 すっかり忘れられた訓練兵の少年は、どんな夢を見てるのか、苦しげな寝言を呻きながらも未だに起きる気配は無かった。

 

 




要するに、カルラさんとちびミカサを絡ませたかっただけ、かもしれねぇ……。
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