進撃の巨人 For the past five years 作:灰かぶり
本当はそのままオリキャラで行こうと思いましたが、何となくフーゴさんを使いたくなった……。オリジナル設定も加わり、彼のその後の運命(?)まで変わってしまい、微妙な原作改変となっております…………タグを付けるべきなのだろうか、この場合。
フーゴさんを知らない方は、そのままオリキャラだと思ってお読み下さっても大丈夫です。フーゴさんファンとしては、ちょっぴり悲しいですが……。
フーゴの所属する駐屯兵団の仕事はきつい。
50メートルの壁の上で行う作業は単純ながらに、中々の重労働だった。
壁の補修に強化、大砲の整備、そしてその大砲を使って群がる巨人を撃ち殺す為の一日がかりで行う「ぶっ放し」。
時には50メートルの壁の上と地上を往復する必要もある。上る際にはリフトを使えたら楽だが、立体起動装置でやるとなると地獄だった。高所へと登る際のガスの消費量は通常よりも多くなるので、上司が節約しろとうるさい。おかげでほぼ訓練でやるようなロッククライミングになってしまい、その日の仕事が終わる頃には膝がパンパンになってしまう。
それに加え、シガンシナの住民に時々文句を言われたりする大砲の音は、一番間近で聞いているから耳が馬鹿になるし、壁の外にいる巨人どもは遥か下の地上に居るとはいえ、気持ち悪いから精神的にも病んでしまうことも珍しくなかった。彼はその例には当てはまらなかったが。
とにもかくにも、つまり割に合わない。もう少し給料をもらってもいいんじゃないかとフーゴが常日頃思ってしまうような仕事だった。
もちろん、このような仕事内容はシガンシナ、そしてウォールマリアの行政区に限られる。内地の壁には巨人など居ないのだから、大砲もぶっ放す必要もないし、壁の強化や補修などは適当だ。
だから一番の不幸は結局、このシガンシナに配属されてしまったことだろう。彼にとっては故郷であり、家族も住んでいたので自ら希望した配属先だったので、仕方ないことではあったが。
しかし、そんなきつい仕事内容――壁工事団と子供から揶揄されていたが、彼にとって工事は何よりきつかった――の中にも一つだけ、安らぎの時間がある。
それは、門番。門の警備だ。
門、と言っても、壁外と通じる外門ではなく、ウォールマリア領域に繋がる内門だ。
シガンシナへと入る不審人物を取り締まり、野生の動物が入り込んでしまわないようにする仕事――なのだが、不審人物などこの平和な世界では滅多におらず、危険な野生動物もわざわざ人里には降りてこないので、日がな一日突っ立っているだけでお金が舞い込んでくるという、簡単なお仕事。
それでも一日中ただ立っているだけ、というのは暇だし足も疲れてしまう。よって、そんな疲れもふっ飛ばし、暇をも潰す一石二鳥な大人の嗜みに浸ってしまうのは彼にとって仕方ない選択だった。
要するに、フーゴは今、かなり酔っぱらっていた。
「あー…………気持ちわりぃ」
青空を仰ぎ見てそう呟くさまは、どちらかといえば逆の意味のセリフを連想してしまいそうだったが、正真正銘フーゴは気持ち悪さのどん底だった。
太陽がまだ昇らぬ早朝からほぼノンストップ。門番の任に着いている時間の中で注ぎ込んだアルコールの量に、彼の胃袋のみならず、内臓全てが非難の声を上げていた。「食う前に飲む」という信念の元、空きっ腹のままで酒との楽しい戦いに臨んでしまったのも原因かもしれない。
「さすがに何も食わねぇのはまずかったなぁ……昔は大丈夫だったのに、これが老いってやつか?」
酔っ払いの大きい独り言に、周囲の人間が波のように引いて行く。
気持ちが大きくなっているのか、元々そういう質なのか、フーゴは全く気にすることなく自分の少し出てきた腹のぜい肉を掴んだ。
「腹も出てきたし、頭も段々と後退してきたしなぁ。俺もいよいよ中年ってやつか…………ん? いや、俺もう中年だった!」
一人で落ち込んで一人で笑いだすフーゴに、世間の目は冷たい。迷惑な酔っ払いに何も言えず、ただどこかに行ってくれないかなという視線がフーゴに集まる。
それでも彼は気にもせず、少なくなった黒い髪をオールバックにして、太陽の光を反射している自らの輝く額をペシンと叩いた。
「中年だったらハゲてて腹が出るのも仕方ないか! いや、むしろハゲてなくて腹も出ていなかったら中年じゃないってか!?」
卵が先か、ニワトリが先か。下らない中年の悩みをそんな哲学的なものにして、フーゴは悦に浸り「ガハハハ!」と大口を開けて道の真ん中で笑った。意味が少し違い、何が面白いのか誰も分からなくても、酔っ払いに理解を求めてはいけないということだけは誰もが分かる光景だった。
千鳥足でフーゴが歩を進めるのはシガンシナの商店街。中央の大通りから一つ外れたこの道には、住居の一階部分にあるいくつもの商店が通りに面して開かれている。今は陽が傾き始める前の午後の時間帯であり、夕飯の材料を買いに来た主婦たちで賑わっていた。
フーゴを避けて通りながら、ではあったが。
昼間の活気ある商店街。酔っ払いが居るにはかなり居心地の悪い空間ではあったが、フーゴは全く気にしない。
それは酔っぱらっているからというだけでは無く、新たな任務という大義名分があったからだった。
「しっかし面倒くせぇな。何で俺がやらなきゃいけねーんだよ」
フーゴは笑いを収め、瞳にやや正気の色を取り戻して嘆息する。彼の顔色の青さは体の具合だけでなく、今から行う仕事を思っての事もあった。
彼の新たな仕事。それは、ある事件の調査だった。
始まりは一人の主婦からの通報。何でも、小さな子供が意識不明の男性兵士をひきずってどこかに連れ去ってしまった、と言うのだ。
始まりの通報で、犯人が分かってしまう事件だった。
(んなこと出来るの、あのガキしかいねーもんな……)
フーゴが頭に思い浮かべたのは、医者の息子のエレンといつも一緒に居る、気味の悪い黒髪の少女。一年前にシガンシナへやって来た、無口で無表情な、この界隈では謎で有名なミカサのこと。
突然、医者のイェーガ―家の家族になり、この街で暮らし始める事になった彼女の事情を誰も知らない。巷の噂では親を殺されただの、人を殺しただの、しまいには不治の病だの巨人の子だなんて面白い物もあったりする。
どれも信憑性は無かった。当のイェーガ―家の面々は口を閉ざし、何やらその家族たちと交流のある訳知り顔な同僚もごまかすだけで、ますます噂が独り歩きしている始末だ。
そして、その噂には尾ひれや背びれや巨人のひれ――もしあるのならば、という話だが――がついて回る。
それは、噂と言うものがそういう性質の物だから、というだけでは無かった。
(厄介だよなーあの馬鹿力、一体なんなんだかアイツは)
フーゴは小さな少女の並ではない武力を思い出して身震いする。
ただでさえ急に現れた余所者は珍しいというのに、その少女は子供らしからぬ力を周囲に披露しており、かなり名が知れていた。
近所の子ども同士のケンカならまだマシだったが、フーゴは大量の薪を背負い平気な顔をして歩いているのを見たこともあったので、結構苦手だった。
あれは、ほとんど木に近かった。
結果として、色々な大きいヒレが噂についてまわる事となり、今回の事件も少女の新たなる伝説の一つに名を刻むことになりそうだった。
人間一人をひきずれる子供なんて、あの少女しかいない。
(目撃証言でもあのガキに間違いなさそうだしなぁ……)
第一発見者の主婦の話から、犯行現場は商店街の路地裏という情報を得て、フーゴは聞き込みをしていた。
結果として、1件目であっけなくミカサであるという情報を得られたので、もはや聞き込みでも何でもなかったが。
しかも発見者は皆、見て見ぬ振りをしていたのだ。一瞬だけだったが死体を運んでいるように見えたので怖かった、ということらしい。
(さすがに人殺しなんてしてねーだろうけどな)
あんな子供がそんなこと出来るはずがない。噂もただの噂だ。
少女の真実を何一つ知らぬフーゴは、幼さの先入観だけでそう決め付ける。彼にとってミカサは馬鹿力の子供というだけで、そもそもこんな平和な街中で人殺しなど起こる訳が無いと判断していた。
しかし、問題はそこでは無い。
(それにしても一体、誰が連れて行かれたっつーんだ?)
証言によると、ミカサは兵士を片手で軽々と引きずっていたらしい。
片手で軽々の部分は置いといて。
そんな人物に思い当たる節が無く、フーゴは考え込みながら歩く。聞き込みをしていた商店街はもうとっくに抜けていて、閑静な住宅街が彼を囲んでいた。
兵士というからには同僚の誰かであるはず。
(でも、本部に問い合わせても団服着てる奴らは全員所在がはっきりしてるみたいだし、勤務中に街中うろつく奴なんていねーしな)
そんな兵士がいるとすれば暇な門番ぐらいだったが、報告が来た時点で全員揃っていたのでその可能性は無い。
いくら考えても答えに辿り着くことはなさそうだったので、フーゴは諦めてまだ覚束ない足で歩くことに専念した。酔っぱらった頭で考えても具合が悪くなるだけだ。
(面倒事引き受けちまったなぁ……いくら負け金チャラにしてくれるっつっても、あのガキ関連のことならハンネスに任せとくんだった)
名前と共に浮かぶ、同僚の顔。フーゴの同僚であるハンネスは件の少女と顔見知りのはずだから、自分よりもすんなりこの事件を解決出来たかもしれない。酒を飲みながら行った賭博で、自分が今月の小遣いを全て失わなければ、フーゴは快く彼に押し付けていたのだが。
「あーくそっ! 何で俺がこんなこと!」
自業自得。しかも自分で引き受けていたのだが、酔っ払いの理不尽さを体現するかのようにフーゴは叫んだ。
暇な門番から一人だけ調査に行かせろという命令が無ければこのような事態にはならなかったのかもしれないが、それでも彼に同情の余地は無さそうだった。
フーゴが酔った勢いの波に思考を任せ、このまま逃げ出して家で飲み直すかを考え始めてブツブツ呟き始めた時、彼のその醜態を咎める声がした。
「……道の真ん中で何やってるの? 気持ち悪いわね」
「あん?」
フーゴが声のした方を振り返ると、そこには馴染みの顔があった。
彼が久しぶりに会った彼女の名前を呼ぶ。
「おお、カルラじゃねーか! 医者の旦那は元気か?」
黒い豊かな髪に気の強そうな顔。息子にも遺伝してるそれは、息子の凶悪さよりも幾分、柔らかい印象を受ける物。
フーゴは彼女とは古い付き合いだったので、その裏に隠された苛烈さも知っており、その部分もしっかりと受け継いで息子はあの顔になったのだと思っていたりもした。
そんな柔らかい印象――あくまで息子と比べたら――の顔を歪ませて、カルラは怒りを含むような声を返した。
「おかげさまで元気よ。あと、いつまでも医者の旦那って言うのやめてくれないかしら? 別に先生って呼べとまでは言わないけど、あの人にはグリシャっていう名前があるんだから」
「なんだよ、医者は医者じゃねーか」
「フーゴの呼び方は余所者だって言ってるように聞こえるのよ」
「余所者なのは事実だろ」
「そうね、言っても無駄よね」
嘆息し、カルラが家の中へと引き返そうとする。
「おい待てよ。久しぶりに会ったにしちゃ冷たいじゃねーか」
「アンネは元気?」
呼び止める声に応えてはくれたが、カルラは顔だけしか振り返らず、フーゴの妻であり彼女の友人の調子を端的に聞く。
事ある毎に愚痴っぽく、自分と彼女の旦那である医者を比べる妻をフーゴは思い出しながら、毎回付け足すように言っていた言葉もついでに思い出した。
「おう、お前んとこの大先生なんて用済みになっちまうほど元気だぜ。あと、お前に会いたがってたな。うちのガキもあんまり家に帰らねーから寂しいらしい」
「旦那も飲んだくれだし、仕方ないわよね」
「飲んだくれは関係ねーだろうが……」
つい先ほどまで現在進行形で飲んでいたので、言い訳は出来ないが。
酒で赤くなった顔のままフーゴが罰の悪さを感じて頭を掻いていると、カルラが悲しそうに顔を伏せながら言葉を発した。
「あんたの所の息子、兵士になったんだっけ……」
「おう、まあな。親父みたいな兵士にはならないって息巻いてやがるよ。まだ訓練兵だけど、俺に似て優秀でな! このままいけば憲兵団にもなれそうだってよ!」
「そう……」
「…………おい、そこは突っ込む所だぞ。俺に似たら優秀な訳ねーだろうが」
同僚だったら「別に父親がいるんじゃねーか?」と必ず突っ込んでくれる鉄板ネタをスル―されて、フーゴは少し面白くなかった。
そんな彼を放って、カルラが考え込むようにして腕を組む。フーゴの言っていることはもう届いていないようだった。何だと言うんだ、一体。
「おいカルラ、うちの息子がどうかしたのか? 様子が変だぞお前」
「……別に、何でもないわよ。それじゃアンネに暇ができたら遊びに行くって伝えておいて」
カルラが再び家に戻ろうとする。
「おい、待てよカルラ!」
「今度は何? 世間話には付き合ってあげたでしょ?」
怒りの色が消えて悲しみが滲んでいた彼女の声に、フーゴは首を傾げる思いだったが、ここは詳しく聞かない方がいいかもしれないと判断した。悩みがあっても、自分などはお呼びではないだろう。
では何故、呼び止めてしまったのか。
「えっと……ちょっと待ってくれ! あとちょっと!」
気持ち悪さ以外の物が喉に何か詰まっているように感じて、フーゴは手で喉を抑えたが、何やら比喩的な意味では無いものまで出てきそうだった。
カルラが冷たい視線を向ける。
「主婦ってのは昼間からお酒を飲めるほど暇じゃないのよ。私は家の前で叫んでる酔っ払いを注意しに出てきただけだから、それじゃ」
そう言って、今度こそ完全に家の中へと入ってしまった。
彼女の自宅へ。そう、医者のイェーガ―宅へ。
「――ん? カルラの家は、イェーガー……」
人がいなくて助かったような親父ギャグをフーゴは呟く。もしもカルラが聞いていたら更に冷たい絶対零度の視線を送られただろうし、彼の妻が聞いていたら確実に殴られていたかもしれなかったので、彼は本当に幸運だっただろう。
しかし、親父ギャグは好きだったが、フーゴの呟きは意図的ではなく軽い事故の様なものだった。
「――そういえば俺、何してたんだっけ?」
酔いで掠れてしまう思考を必死に修正する。
引きずり事件。事件の犯人はミカサ。そのミカサは行方知れずで、男性兵士も行方不明。
(だからとりあえず、あのガキの家に……)
事情を知っているかもしれない、親代わりの人物はイェーガ―という医者。医者の妻なカルラも、イェーガ―。
そしてここは、某イェーガ―さん宅。
「――あぁ、俺ここに来たかったんだっけ」
フーゴは目の前にある家を見ながら納得の声をあげた。
いつの間にか着いていた目的地、そして事情を知っているかもしれない目的の人物を目の前にしながらすっかり忘れていたことを、フーゴは特に気にもせず、もう一度カルラに会うために家の玄関へと歩み寄る。これが「老い」というやつなのか、それともただの「酔い」なのかと、下らない親父ギャグを思いついて一人でにやけながら。
「『老い過ぎ』な中年が『酔い過ぎ』ちゃって、オイヨイヨイ――なーんてな!」
口を大きく開けて「ガハハ!」と笑うその姿は、正に彼の言葉通り、ただの酔っぱらい親父で間違いなかった。
うっすらと見える頭皮を隠すようにオールバックにしていた黒髪が、ガリガリと手で崩されて額に落ちてくる。
フーゴは慌てて髪をかき上げ、額の広さを主張している髪型に戻した。彼としては、そっちがばれた方がまだマシという苦渋の決断である。なんだかんだ言って笑いにはするが、実は結構気にしていた。
「それで、目が覚めたらここに居たってわけだな?」
「はい……」
そんな微妙な悩みを持った中年の声に応えるのは、男の声。
イェーガ―宅内に響く声は、家の外で響いていた男女の声ではなく、両方とも男の声だった。
「道に迷っていた所までは覚えているけど、途中からは記憶が無いと」
「何かにぶつかった気はするんですけど」
「『はい』か『いいえ』で答えやがれ」
「はい……」
カルラに事情を伝え、詳しく話を聞かせてほしいと頼んだ所、「あぁ、それなら」と軽く言われて案内された室内に居たのは、ある1人の訓練兵。
その他人に濃い印象を与える少年――見た目だけは青年とも言えるかもしれない――を目にしたフーゴは、全ての謎が解けた。残念ながら、事件解決の喜びは微塵も感じる事は出来なかったが。
「全く人騒がせな奴だ……大体な、ガキにぶつかられたぐらいで気を失ってんじゃねーよ」
「いや、俺そこらへん全く覚えてないんですけど」
「『はい』か『いいえ』以外の言葉を喋るな」
「…………はい」
呆れが怒りに変わり、フーゴは厳しく言い放って事情聴取をしていた少年を委縮させる。
事情聴取とは言っても、カルラにある程度の事情はもう聞いていたので、あまりやる意味は無い。しかし報告のために一応は行わなければいけなかったので、彼は仕方なく少年のついていた席の向かい側に座りながら質問を繰り返していたのだが、もう完全にただの八つ当たりになっていた。
「腹が減って生き倒れって、一体どこの旅人だってんだよ」
「いや、まあそれに近いものがあるというか……」
少年の言いたいことをフーゴは理解した。
数時間前、門番の任に着いていた時、この少年に彼は会っていたのだ。
酔っぱらっていたのであまり覚えていないのだが、事情もうっすらとだが把握している。それに、酔いに任せて絡んだのはハッキリと思い出していた。
つまり、今日のシガンシナには居るはずの無い兵士が一人居た、ということである。そして、事件の被害者――とは言えないかもしれない――は、その本日限りの追加増員だったこの少年。
完全に盲点だった。というよりこの少年の存在をすっかり忘れていたので、余計な遠回りをしてしまった気がするフーゴは、当たり散らすようにして少年の言葉を踏みにじった。
「もう『はい』も『いいえ』も喋るな、お前は」
「それは事情聴取になるんですか?」
「大した事件でも無いのに、ヒヨッコごときが忙しい上官様の手をこれ以上煩わせる気か? 何ならお前の所の教官に報告してやってもいいんだぞ?」
「…………!」
脅しつけるようなフーゴの言葉に少年の顔色が青ざめ、すぐに座ったままで敬礼の姿勢を取った。どうやら効果は抜群のようだ。
「おらヒヨッコ、座ったまま敬礼してんじゃねーよ。やるならビシッと立ってだな――」
「はい、そこまで」
いささか興に乗ってきたフーゴの更なる後輩いじめを止めるのは、言葉と共に机へと叩きつけられたコップ。
中に入っていた水が机に飛び散り、膝にかかる。
「ほら、お水。酔っ払いが子供いじめてるようにしか見えないわよ」
目を細め、非難するような視線と言葉をフーゴへと送るカルラは、運んできた水より冷たく感じ、ちょっと怯んでしまう。
「いや、これはだなカルラ……何と言うか、兵士としての厳しい躾というやつで――」
「この子は悪くないでしょ、うちのバカ息子がぶつかっちゃったんだから。本当にごめんなさいね、怪我させちゃったみたいで。頭はまだ痛む?」
態度を180度変えて、柔らかに少年へと問うカルラ。水を持ってきた方と逆の手には、野菜入りのシチューがあった。
いつの間にか立ち上がって敬礼の態勢を取っていた少年は、姿勢を崩さぬままで首を横に振る。動くはずの視線を、カルラの手元へと固定したまま。
「これ、良かったら食べて。お詫びにはならないだろうし、お昼の残りなんだけど……」
そう言って食器を机に置く彼女の動作を、少年は食い入るように見つめる。
血走った青い瞳。そして喉仏がはっきりとせりあがっており、かなり大量の唾を飲み込んだことがうかがえる。
どれだけ腹が減っていたんだ、こいつは。
「…………フーゴさん」
「あん?」
少年に名を呼ばれ、フーゴは首を傾げた。
「お前、何で俺の名前知ってるんだ?」
フーゴが目の前に置かれた水を飲む。
「この街に入る時に教えてもらったのですが、覚えておりませんか?」
「――あぁ、そういや」
冷たい水が喉を通り、記憶にかかるアルコールの靄を清涼な空気が払う。確か、絡んだ時に自己紹介をした気がする。
目を爛々と輝かせながら、少年が会話を続けた。
「事情聴取中に大変申し訳ないのですが…………これ、食べちゃってもいいですか?」
途中までは我慢して兵士らしくあろうとしていたのに、最後が非常に残念だった。
空腹の食べ盛りな成長期に、今は何を言っても無駄らしい。フーゴは呆れて、空になったコップを置きながら許可を出した。
「ああ、いいぞ。別にもう聞くことなんて無いしな」
「ありがとうございます!」
少年が急いで椅子に座り、カルラへと顔を向ける。
「それじゃ、よく分かんないけど遠慮なく頂きます!」
「はい、どうぞ。誰も取ったりしないからゆっくり食べていいわよ」
「はい!」
涙まで流しそうな少年に、カルラは苦笑いしながらも優しく告げて、フーゴの隣に座った。
フーゴが空のコップを持ち、彼女へ向ける。
「カルラ、もう一杯くれないか?」
「酔っ払いに出す物はもうないわよ。さっさと帰って仕事でもしたら?」
「そういう訳にはいかねーよ。こいつを連れて帰るのも仕事の内だからな」
「? 連れて帰るって……この子は被害者でしょ? 謝るなら私が――」
やや焦った様子で、カルラが椅子から腰を浮かす。
「あぁ、いいっていいって。お前んとこのミカサはこいつ助けただけみたいだし、せがれとぶつかったってのもコイツの自業自得みたいなもんだろ? 別にコイツにも、本部で問いただすなんて真似はしねーよ」
家へと足を踏み入れた時に彼女から聞いた、事件の経緯を思い返す。
どうやら誰が悪いという訳でもなさそうだったし、いちいち事を大きくするのもフーゴは面倒だった。それに上司も大して関心は無いようだったし、見間違えだとでも言っておけば簡単に納得するだろう。
先程の事情聴取は確かに酔っぱらった上での八つ当たりだったなと、フーゴはほどほどに冷めてきた思考で結論を出す。
再び椅子に座りなおしたカルラが落ち着いた様子で尋ねた。
「じゃあ、どうして連れ帰るのよ?」
「こいつ、ここに来るまでの簡単な道にも迷っちまったんだろ? 俺が門まで連れて帰らなきゃまた迷って生き倒れちまいそうだしな」
医者の元へ行きたいという少年に、道を教えたのはフーゴだった。
真っすぐ大通りを歩き、壁沿いに進めば辿り着く簡単な道のり。それに加え、地元の子供にも道を聞いたというのに、それから更に迷ってしまったというこの少年は筋金入りの方向音痴に違いない。
がっつくように食事している目の前の少年へ呆れた視線を送りながら、フーゴは溜息をついた。
「道案内も仕事の内だろ? 先輩兵士としても、この街の駐屯兵団としても」
それに、同じ年頃の息子を持つフーゴとしては、同年代のこの少年を放っておけない気にもなっていた。見た目は全く似ていないが、しばらく顔を合わせていない息子も訓練兵としてこの少年のように頑張っているのだろう。
自分のキャラでは無いので、彼はそのことをカルラには伝えず、心の中だけで付け足した。
「? ここに、来るまで?」
「あん?」
野菜スープにがっつく目の前の少年を見ながら、父親の顔になりかけていたフーゴをただの駄目な中年親父へと戻すカルラの声は、疑問に満ちていた。
「ここに来るまでって、何?」
「あ? 何ってお前。こいつが街に入る時、この家までの道を尋ねられたんだが……」
それ以上答えられずに、フーゴは口を開けたまま固まった。
どこから来たかは覚えているが、どうして行くのかはよく覚えていない。
「こいつ、一体何の用事だったんだ?」
「私が聞いてるんじゃない」
「いや、聞いてないのかお前? この家に用事があったみたいだけど」
「聞くも何も、この子が起きたと同時にアンタが来たんだから、私この子の名前すらまだ知らないわよ。お腹が空いてるらしいのは知ってたけど」
何でそこだけは知っているんだ。
「…………まあとにかく、さっさと済ませて本来の仕事に戻らなきゃな。早く戻らねーと俺の酒が飲み干されちまう」
「――呆れた。珍しく優しい所もあると思ったら……」
「いやいや、せっかく酔いも醒めてきたことだし、飲み直さないと勿体ないだろ?」
「全然勿体なくないわよ」
カルラはそう言って、フーゴから少年へと視線を移した。どうやらこちらの相手をする気はもう無いらしい。
その見限る感じが家に居る妻とどこか重なり、フーゴは苦笑いした。それでも酒は止められないのだから、こればっかりはどうしようもないのだ。
「それで、どういった用事なのかしら――って聞いてないわね」
「…………おい」
少年は呼びかけに応えない。何故なら、犬のように顔を食器に近付けていたから。
自分の家ではないが、他人様の家でなんて食い方してるんだこいつは。
「おい、アダム訓練兵!」
「――はいっ!」
「おお、合ってたか」
昼間の内門警備の時に聞いた気がする名前。かなり記憶が怪しかったが、こうでも言わないと顔を上げそうになかったので、ちょっとした博打に勝った気分だ。
そして、従順な後輩を見たフーゴは、何だか自分が偉くなった気分にもなり始めていた。息子と同じ年頃の訓練兵に対して、些か大人げない気がしないでもなかったが。
普段が少しあれなだけに、若者の尊敬に彼は弱かったりした。
「ちゃんと聞いてたか? 今の話」
「は、はいっ! もちろんであります!」
「よし、じゃあさっさと済ませるように。時間は待ってはくれないぞ」
「はいっ!」
「ちょっと、別に食べ終わってからでもいいわよ」
カルラが困ったように言う。恐らく、少年――アダムの口元に付いていた白い食べ残しが原因だろう。
「いや、兵士とは拙速を尊ぶのだ」
「? どういう意味?」
「わからん」
「何よそれ……」
大昔に上官から聞いたことのある言葉。何やら響きがカッコイイのでいつか使ってみたかったのだ。
中年の夢が叶った瞬間は、かなり情けないものだった。
「とにかく何でも早い方がいいって事だろう? という訳で、おら。きりきり喋れ」
「ちょっと、どこ行ったのよさっきまでの威厳は――?」
カルラの呆れた声が途切れる。
「えっと、どうかしたの? 何か言いにくいこと?」
彼女がうかがうように尋ねる先は、何やら悩んでいるらしき訓練兵。
フーゴが首を傾げる。
「おい、どうした? わざわざ遠くから来たんだろ?」
「え? あ、はい」
「だったらさっさと言えよ」
「アンタ、関係無いのに偉そうね」
確かにカルラの言うことも一理あった。だが、ウォールローゼからわざわざ来たのだから、その苦労には少し感じ入る物があったし、何よりここまで来たら純粋に興味がある。
ただの野次馬根性とも言えるが。
「あの……」
ジト目を向けるカルラへどう言い返そうかフーゴが考えていると、アダムが恐る恐る手を挙げた。
「おう、悪いな。俺の事は気にせずさっさと言え」
「えっと、じゃあ――お願いします」
「…………ん?」
高い声をあげたのはフーゴではなく、カルラ。
お願いされる本人が、内容も聞いていないのにいきなり結論を言われたら、目が点になるのも仕方ない。
「おいおい、何をお願いしたいのか言わないと分かんねーだろうが」
「え? いや、おかわりを……」
「…………ん?」
今度は正真正銘、フーゴの声だった。
目が点になった2人を見て、アダムが戸惑う。戸惑っているのはこっちだ。
「……どうして、そうなった?」
静かに問うフーゴに対して、アダムが恐る恐る答える。
「? いや、食べ終わった後でもいいって言ってたから、おかわりのことかなぁ、なんて――」
「聞いてないならそう言え! このクソガキ!」
「イダッ!!」
フーゴがアダムの頭をはたく。そしてもう一発。
「あとそれはお前の願望だろうが!」
「イデッ!!」
2人が机越しで騒いだ振動が、いつの間にか空となっていた食器に伝わり、渇いた音を立てる。
カルラは静かに「割らないでね、うちの食器」と言うだけで、なおも続く先輩兵士の躾とやらを止める気はさらさら無さそうだった。
後編と言いながら、何だかほぼ中編になってしまった……。でも何とかそろそろ次回から、巨人を出せそうな予感。