進撃の巨人 For the past five years   作:灰かぶり

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タイトルは適当です。そして、ふざけたタイトルなのに2話分あります……。
ほぼ立体機動装置の説明(勝手な+α付き)。


第10話 迷探偵フーゴ

「俺は――――マザコン、なのかなぁ…………」

「あん?」

 

 妙な言葉が届いた気がしてフーゴは振り返った。移した視線の先に居たのは、先程から微妙な距離を空けて付いてくるアダム。しかも青い斜線を引いたような、どんよりとした空間を纏わせて。

 面倒くさそうだという感想が、フーゴの頭に自然と浮かぶ。

 

「ったく、何だってんださっきから……」

 

 カルラとの長い話がやっと終わったと思いきや、人を散々待たせておいてこの態度。正直言って付き合いきれないが、そう言う訳にもいかなそうだった。

 

「おい坊主、言いたい事があるならちゃんとこっち来い! 人の後ろで辛気臭い空気垂れ流してんじゃねーぞ、うざってー!」

「…………別に、フーゴさんに言ったつもりは無いです」

「それじゃー俺の聞こえない範囲で思う存分、独り言でも泣きべそでもかいてこい!」

 

 遥か遠く――気持ちは壁を越えて――を強く指差したフーゴは、再び元の方向へと歩き出した。

 時間は最良の説教者、とは限らない。

 すっきりした顔でやってきたらすぐに塞ぎこんでしまい、放っておけば治るかなと思ったら段々と考え込んでいってしまったアダムに、フーゴはかなり苛立っていた。時間に責任転嫁した罪は棚に上がっている。

 ピッタリと後ろから付いてくる足音、妙なプレッシャーを与える陰鬱な空気。かまって欲しそうな気配というのは、相手の意向を無視して、嫌でも伝わってくるものらしい。

 アダムが歩調を崩さず、距離を保ちながら呟く。

 

「離れちゃったら、俺が帰れなくなっちゃうじゃないですか……」

「お前、文句みたいに聞こえるけど、これが俺の善意だってこと忘れてないか!?」

 

 再び振り向いたフーゴは、かなりの弾劾を込めた指先をアダムへ突きつける。しかし少年は全く指先を見ようとせず、両手をポケットに入れて肩を落とした。

 先輩兵士の前だということも忘れるほど思い悩んでいるようだったが、ピタッと同時に止まった距離は、保たれていた距離と寸分の狂いもない。

 本格的に面倒くさそうだという感想が、自然と急浮上する。

 

「――まあ、いい。特に言いたい事が無いなら、黙って付いてこい」

 

 フーゴはそう言い捨てて再び前を向き、内門へと続く大通りを真っすぐ歩き始めた。怖さよりも面倒臭さを醸し出す背後霊を、もう置いて行ってもいいんじゃないかという彼の気持ちが若干、その歩く速度に表れていた。

 まばらな通行人達よりも少しだけ早い、その歩調。

 それでもピッタリ後を付いてくる、ヒタヒタとでも聞こえてきそうな足音。

 

(……これは、気にしたら負けだな)

 

 子供の悩みなんて、女の悩みを聞くよりも守備範囲外だ。

 子育てになど碌に関わった事の無いお気楽中年としては、至極真っ当な判断だった。

 

「――はぁ……」

「…………」

 

 雑踏に紛れてフーゴへと届いた音は、大きい。

 気にしたら負けだ。

 

「――ふぅ……」

「…………!」

 

 深さも増し、フーゴの背中に確かな重さが伝わってきて、少し苛立つ。

 それでも、気にしたら負けだ。

 

「――――はぁぁぁ……」

(よし分かった――置いて行こう!)

 

 こらえ性が無いのかどうか、微妙な境界線上での決断だった。

 

「おい、坊主。もうここを真っすぐ行けば内門に着くから、ここからは一人で大丈夫だろ」

 

 再三と、ではないが、再びが2回目。フーゴはこれが最後だという気持ちで振り返り、なるべく冷静さを心掛けてアダムへ告げた。

 仕事の引き継ぎや報告。調査の為に歩き回る事を予測し、重いし面倒くさいから外した装備も置き去りにしたまま。

 だから、本当は自分も内門へと帰らなければいけない。しかし、面倒臭い空気を逃れた後に待ち受けるのが面倒臭い仕事とはやってられない。

 引き継ぎは同僚が、そして報告は後日、装備も誰かが代わりに返却してくれるのを願い、自分の楽しみと少年兵の世話というオマケ付きの仕事を天秤にかけたフーゴは、悩みなく傾いた方へと流される事に決めた。

 このまま酒場にでもばっくれよう。

 

「そんな……最後まで連れて行って下さいよ」

 

 見捨てられた子犬のような悲鳴をあげて、アダムが少し距離を詰める。

 フーゴは立ち止ったまま、親指で後ろを差した。

 

「最後までってお前、ここまで来れば十分だろうが。もうあそこに見えてんだから」

 

 顎の動作も付けて示した方角の先には、シガンシナ区の内門。もう肉眼でも見える距離にあり、真っすぐに進めばいいだけの道のり。

 尻を引っ叩けば、馬でも辿り着ける。

 

「俺、迷う自信があるんですけど」

「そんなもんに自信を持つな。大体な、迷いようがねーだろうが。真っすぐ行けばいいだけだろ?」

「なんか珍しいものが多くて、つい寄り道しちゃいそうなんですよね……」

 

 どうやら馬以下だったようだ。

 むしろ後から鹿が付いて来て、馬以上とも言えるかもしれない。

 

「迷う以前の問題だろうがそれは……。そもそも家が建ってるだけで、他に何が珍しいってんだ?」

「だ、だから、こんなに家がある景色が珍しいなーって……」

「お前はどこの田舎者だ!」

 

 ご丁寧に出身地を言ってきたら殴ってやろうと思い、フーゴは固く拳を握った。こいつならば言いかねない。

 さすがにそこまでは無かったらしく、皮肉が通じたらしいアダムが頭を掻きながら視線を下げる。

 

「すいません。故郷と基地しか知らないもんで、俺……」

「ぐ……っ」

 

 ションボリした様子の少年に、湧いてくるのは罪悪感。

 アダムの態度は説教していく内に段々と生意気になっていたので、てっきり何か言い返してくると予想していたのだが、思わぬ反撃にフーゴは面食らった。泣いてはいないが、泣き落としに近い。

 だからガキは嫌なんだと思いながらフーゴは後ろへと下がり、アダムから一歩分だけ距離を置いた。

 

「とにかく、ここでお別れだ。あとはどこへでも好きな所に行きやがれ。俺はもう知らんっ」

 

 吐き捨てると同時に向かった先は、通りを外れる横道。酒場までは遠回りだったが、一刻も早く少年の視界から消えたかったので仕方ない。

 面倒事は、全面的に放棄するのがポリシーだ。

 

(そういや、こうやって家からも逃げ出してたっけな)

 

 幼い息子の世話を全て妻に押し付けて酒場へと出向き、酔っぱらって帰った数えきれない思い出に浸りながら、フーゴは人通りが少ない道の真ん中を歩く。手をかけた記憶も無いのに、手のかからない年齢になったなぁとしみじみ息子を想う彼のそんな所が、妻から折檻を受け、息子からあまり尊敬されない大きな要因だった。

 

(泣きそうな顔しながら、俺の後を付いてきやがったこともあったよなぁ……。追っ払おうとしたら本当にワンワン泣き出しやがって、あん時ほどガキが生まれた事を後悔した日は――――?)

 

 妙な気配を感じ、フーゴは立ち止った。

 誰かに、付けられてる。彼がそう思ったのは、自分と同時に立ち止った足音があったからだった。

 

「…………」

 

 後ろに注意を置きながら再び歩き出すと、後ろの足音もピッタリ付いてきた。

 特徴的でも無いのに聞き覚えのある足音は、さっきまで思い出していた息子のものではなく、それよりもつい最近の出来事。というか、秒単位の過去。

 フーゴは立ち止り、顔をしかめながら振り返った。

 

「……おい、何で付いてきてんだ」

 

 予想通り。という言葉すら、悲しくなる現実。

 建物の陰になっている暗い道に、色黒の少年が暗い雰囲気を放ちながら、先程と全く同じ距離を保ち佇んでいた。軽いデジャブだが、大通りには無かった影という黒色が加えられ、更に面倒臭そうな気配。本日根こそぎ持ち金をすってしまった賭博で例えるなら、ストレートフラッシュの頭にロイヤルが付いてきている。

 そんな、面倒臭さにおいて最強の手札に例えられた不名誉な少年が、ハッと何かに気付いたように顔を上げた。

 

「……あれ? 何でフーゴさん、まだ居るんですか?」

 

 よし、殴ろう。意味不明な言葉の理解よりも感情を優先したフーゴは、準備ではなく即実行する為に拳を固く握った。

 

「ちょ、ちょっと! 何でそんなに怒ってるんですか!?」

「これは怒ってるんじゃない……俺の優しさだ。思いっきり殴ったら少しは人の話を聞けるようになるだろーよ……!」

「意味分かりませんよ! とりあえずグーはやめてください!」

「意味分かんねーのはお前だ! いいから、そこを動くな……!」

「動きますってそりゃ!」

 

 アダムが両手を突き出してジリジリと後ずさる。

 金縛りの念を送るような手の動き。しかしおとぎ話ではない現実はただ空しく、フーゴは隙を窺いながらゆっくりと距離を詰めていった。

 

「とりあえず落ち着きましょうフーゴさん! 目がマジになってて怖いんですけど!」

「俺はいつだって真剣だ……!」

「門番してた時に酒飲んでたのはどこの誰ですか!?」

 

 興味や見栄だけで飲む子供へと、大人は酒を飲む時いかに真剣なのかをフーゴは語ってやろうとしたが、人通りが少ないとはいえ騒ぎ過ぎだったらしく、周りから怪訝な目で見られ始めていたので止めておくことにした。

 一応、兵士としての面目もあるので、イェーガ―家前での二の舞は御免だ。

 

「……んんっ――げほっ。まあ、今回は勘弁してやる」

 

 咳払いのつもりが喉に痰が絡まり、本気の咳を出すフーゴ。年齢には勝てないらしい。

 一方で、若いはずのアダムが疲れ果てた中年のように、体ごと両手をダランと下ろす。

 

「当り前ですよ。何でいきなり殴られなきゃいけないんですか」

「殴られるような事をやるのもそうだが、それに無自覚って所がまた一段と力を込めてしまう原因だろうな、お前の場合」

「俺が何したって言うんですか?」

「……喋らず、黙って、周りを見ろ」

 

 惚けた顔をしている目の前の少年に、またもや拳を固めてしまいそうになるが、フーゴは何とかこらえた。引き換えに、声と体全体が震える。

 人目が無かったら思いっきり殴ってやるのに。

 

「周りって…………?」

 

 アダムがキョロキョロと辺りを見回す。

 

「…………ここ、どこですか?」

 

 本気でこちらに聞いている様子の少年に、フーゴは大きくため息をついた。

 自分の妻に良く言われていた「怒りを通り越して呆れる」という言葉は真実だったという事を、身を持って実感する。出来ればこんな所で知りたくなかった。

 

「真っすぐ行けばいいだけなのに、なんで付いてきやがったんだお前は……」

 

 目頭は熱くならずとも、フーゴはちょっと泣きそうだった。

 

「いや、真っすぐ行ってたつもりなんですけど……」

「お前の言う真っすぐは、他の奴にとっての曲がるって事なんだろうな」

「…………考え事、してたから。つい癖が出ちゃったみたいです」

「癖だぁ?」

 

 真っすぐ歩けない癖。もう病の域にでも達しそうな想像をして、フーゴは怪訝な目つきで睨んだが、意に介していないのか慣れてしまったのか、怯えることなく照れたようにアダムは頭を掻いた。

 

「知らない道を歩く時は、必ず知り合いの後ろを付いていく事にしてるんです」

 

 微かな幼さを感じさせる苦笑い。

 その顔を見て、フーゴは最初に見た生き物の後をついて行くという、ヒヨコの刷り込みを連想した。ヒヨコにしては、黒いしでかいし、可愛げがない。

 フーゴはやる気なく、追い払うようにして手を振った。

 

「もうどうでもいいから、さっさと引き返せ」

「え?」

 

 よく状況がつかめてないらしいアダムに対し、フーゴは彼の背後を指した。

 アダムが振り返る。

 

「そこの通りに出たらさっきの道だ。どっちに内門があるかちゃんと確認しろよ」

「あ……はい」

 

 返事はしたが、少年は動かない。

 顔を伏せて肩を落とす、暗い雰囲気が蘇る。勘弁してくれ。

 

「おい、またボーっと考え事しながら歩くんじゃねーぞ」

 

 フーゴは通りとは逆の方を振り返り、聞こえるか聞こえないかのか細い返事を背中で受け止めて、その場を立ち去ろうとした。何だか随分と疲れた気がして、早く酒でも飲みたいと思う気持ちが足を前へと動かす。

 その時、どこかから聞こえてきた子供の泣き声が、彼の足を止めた。

 

「――?」

 

 振り返った故は、音では無くただの無意識。

 捉えた視界の中には、トボトボと歩き出したアダムの背中があるだけで、そこに子供の姿は無く、それらしい気配も見当たらない。

 気のせいにしてはやけに聞き覚えのある泣き声に、フーゴは首を傾げて通りへと出ていく少年の後ろ姿を見つめた。

 その光景に、どこか違和感を覚える。何かおかしい。

 あの時は、後ろ姿じゃなくて――

 

「――あ」

 

 間抜けな顔を晒した彼の目には、激しい感情を曝け出し、ワンワンと泣いている子供の姿が映っていた。

 それは、伝えたい事があり付いてきたのだろう息子が、上手く伝えられずに泣いてしまった姿。

 分かりたくても分からなかった、当時の自分が味わった苦さが甦る。

 

(そういえば、あいつを泣かせちまったのも、この場所だったな……)

 

 運命など信じない。神なんて、信じる以前の問題だ。

 それでも、息子を邪険に扱って泣かせてしまった罪滅ぼしを促されているように感じるのは、おあつらえ向きに同じ場所で、同じ事を繰り返してしまったからだろうか。息子ではなく、しかも随分と大きな子供が対象では大した免罪符にはならないだろうと思ったが、妙な罰の悪さが彼を責め立てていた。

 もしも神様が居るのなら「俺に気分良く酒を飲ませろ!」とでも文句を言ってやりたい。

 

「――って、あの馬鹿!」

 

 通りへと曲がって消えていくアダムを見て、フーゴは叫んだ。

 内門の方角を見事にスルーし、元の来た道を引き返している。病気を越えて呪われているんじゃないだろうか、あいつは。

 

「…………あー、ったく――クソガキがっ!」

 

 フーゴは迷う気持ちを道端に吐き捨て、足で土を蹴りあげる。殴る為に固めた拳よりも込めたその力が、彼の通り過ぎた道に土煙を上げた。

 

「なんで俺がこんな事……!」

 

 迷いなく走っていたのに文句を言ってしまうのは、どう足掻いても面倒臭さは消えないからだった。

 それとこれとは、別問題らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして問題なく――真っ直ぐ行けばいいだけだから、初めから問題など有るはずが無い――内門へと大きな迷子を連行したのだが、もう一つの問題は依然として残っていた。

 

「……おい坊主。いい加減、ため息つくのやめたらどうだ?」

 

 家路の時、人影の無いシガンシナ区の内門の外側。門と連なる夕陽に染められた高き壁に寄りかかり、相も変わらず重い空気を吐き出していた唯一の人影――至近距離でもそう見える――へとフーゴが苛立つのすら疲れたような声をかけた。

 溜め息をつくと、幸せが逃げる。

 迷信など普段なら鼻で笑ってしまうフーゴだが、さすがにそろそろ逃げ出している幸せが形として見えてきそうだった。

 

「今のため息は、フーゴさんに殴られた後頭部が痛いなぁって思ったため息ですから、気にして下さい」

「そこは普通『気にしないで下さい』だろうが、クソガキ」

「…………間違えました。後頭部が痛いなんて思ってませんから、気にしないで下さい」

「フォローになってないぞ、コラ」

 

 虹の様な角度を描いている撫で肩を見て、皮肉を言っている訳ではないとフーゴは思い、軽く文句を言うだけに留めた。馬鹿だから思った事を頭へと運べず、そのまま口から出してしまうのだろう。

 それに、殴ってはいない。馬鹿を治す為、後ろから追いついた時に平手で叩いてやっただけだ。やり切れない苛立ちが指先まで行き渡っていた気はするが。

 

「大体、文句を言うのは筋違いってもんだろ。先ずはここまで連れて来てやったことに感謝しろ」

 

 フーゴはそう言いながら、両手に抱えていた小さな樽と重量感のある2組の箱を、雑草が生え放題の土の上へと乱暴に置いた。

 小さな樽には、胴周りの半分ほどしかない金属製のベルトのようなものが樽を横にした形で連結されており、その先に銃を連想させる形をした装置のような物が取り付けられている。

 2組の箱には上部に同じ長さのボンベ、前面部に細長い4つの穴。見た目は大きくて重そうだが、フーゴの腕には外見から想像できる程の重量はかかっていなかった。

 それらは、この訓練兵の持ち物であり、兵士としての標準装備として知られている物。

 

「連れて来てくれた事なら、さっきもうお礼は言ったじゃないですか――って、ちょっと! 乱暴に扱わないで下さいよ俺の装備! 壊れたらどうするんですか!?」

「そんな簡単に壊れねーから安心しろよ」

「気持ちの問題ですよ、気持ちの!」

 

 張られた弦を弾くようにアダムが撫で肩を跳ね上げ、そのままの勢いで足元にある自らの装備の側に片膝をつき肩を落とす。

 壊れていないか確認するように手に取って見ていたが、大まかな仕組みすら――細かい構造は機密事項とされているので仕方ないとしても――分かって無さそうなので、どこかに傷でも付いたか心配しているだけじゃないだろうかとフーゴは思った。

 

「ほら、ここ! 傷が付いてるじゃないですか!」

 

 当たりだ。しかも彼が指した小さな樽の先には他にもいくつか細かい傷があり、今出来たかどうか見分けがつかない。

 難癖をつけてくるとは、大した度胸と言うべきか、生意気と言うべきか。

 

「お前のは元々傷だらけだっただろうが。預かった時も、ちゃんと整備してんのか不安になったぞ?」

「ちゃんとしてますよ! 小さな傷はカッコイイから消してないだけです!」

「…………そう、か」

 

 思春期のきらめく瞳を見て、フーゴは両目を手の平で覆い、ゆっくりと顔を上へ向けた。呆れているのか痛々しくて見てられないのかは微妙なところだ。

 

「カッコイイかはともかく、新しい傷がついて良かったな、坊主……」

「落とされて付いた傷に愛着なんて湧きませんよ! この立体起動装置は俺の愛機なんですから!」

 

 片膝立ちのまま「全くもう……」と遣る方なく憤り、アダムが小さな樽を腰裏へと持っていく。

 妙なこだわりと共に口に出した単語は、その小さな樽を含めた装備の名称。

 立体起動装置。

 それはフーゴが壁を登る時に使う道具、ではない。正確に言うとフーゴにとってはそれぐらいの認識しかないという意味だが、それの本来の目的はただ一つ。

 人間が、巨人を殺すこと。

 本体はアダムが腰裏に取り付けている小さな樽――のように見えるだけ――であり、そこにはワイヤーが収納されている。そのワイヤーを腰の裏側全体を囲む金属製の細いアームを通して、腰脇に設置する銃を象った2つのアンカー射出装置から、ガス圧を利用して射出、そして巻き上げる。

 ボンベに入っているガスは氷爆石と言う特殊な石を原料としており、そのガスを動力源とした強力かつ高速なワイヤーの巻き上げ昇降能力によって、アンカーを打ちこんだ箇所へと使用者を引き寄せ、それを多角利用する事により人間の3次元における高速移動――対巨人戦における、立体機動術を実現する。

 それにより、その身の丈に合わない巨人の素早さに負けず、飛び回る事で巨人の魔の手から逃れ、弱点のうなじに辿りつけるのだ。

 残念ながら、フーゴは壁の上ぐらいにしか辿り着いた事は無かったが。

 彼だけではない。調査兵団という少数精鋭の兵士以外、壁の中を任務とする兵士の全ては、巨人のうなじへと辿り着いた経験など無い。

 巨人の居ない壁の中。100年の平和。

 未だ巨人の影に怯えていた時代で生まれた立体機動装置という希望の発明品は、恐怖が人類の意識の奥へと眠るようになった時代の変遷により、ただの便利な道具になっていた。

 だが、たとえ本来の目的を忘れてしまった道具だとしても、フーゴは仕事で立体起動装置を使って壁を登る機会が多いので、アダムの愛着とやらも少しだけ理解できた。

 

(確かに長年使ってると、どの傷がどの時付いたものか、たまに思い出したりするからなぁ……)

 

 それでも、さすがに消せる傷まで残すなんて奇特な真似はした事がない。

 

「あ、フーゴさん。俺の馬はどこですか?」

 

 腰裏から手を離し、今度は射出装置をベルトの腰脇へと取り付けながらアダムが尋ねた。

 金具が多く付いているベルトは腰だけでなく、下半身を中心として彼の体に巻きついている。実はそれも、立体機動装置の一つであった。

 装置と言っても機構的なものは無く、基本的には立体機動の高負荷に耐えうる為の体の補強を目的としている。その他にも、空中で体が引っ張られている際に、足裏で巻かれたベルトに重心を乗せることによって態勢を整えたり、また乗せた重心をずらすことによって3次元の高速移動に複雑な変化をもたらす、いわば応力制御技術を行使する為のものでもあった。

 そしてそのベルトには立体機動装置の各部品を取り付けるための金具があり、腰脇の他にも太腿の外側と腰裏の箇所に備えられている。

 腰裏の金具には本体を取り付けるのだが、どうやらもう完了したらしい。射出装置も取り付け終わり、角度を微調整しているアダムを見ながら、フーゴはその意外な手際の良さに感心した。

 優秀な癖に自分の馬の居場所も知らないのか、とは呆れない。

 

「あぁ、馬な」

「そうですよ。装備と一緒に持ってきてくれると思ったのに」

 

 アダムが左の腰脇、もう片方の射出装置を取り付け始めながら漏らした言葉は、やや不満そうだった。

 いくら兵士といえども、正式な許可なく馬に乗ったまま街の中へ入ることは禁止されている。そしてそれには装備品も含まれており、フーゴは門番の任に着いていた時に街へと入るアダムから馬と装備一式を預かっていた。

 だから先程、門番の駐在所から装備だけは返却する為に持ってきたのだが、

 

「すまん。お前の馬、逃げちまった」

「…………え゛」

「――ってのは冗談で、」

 

 フーゴはわざとらしく、腰脇の金具へ引っ掛けるのを失敗していた射出装置を指差した。

 

「お前の装備で両手が塞がっちまったから、他の奴に連れてくるよう頼んだ。そろそろ来るんじゃねーか?」

「…………一瞬、心臓、止まったんですけど」

「そうかそうか、じゃあ本当に逃げ出してたら確実に死ねるな。俺は馬小屋まで行ってねーから……案外、嘘が真になってるかもしれねーぞ?」

「面白くないから止めろ――てもらえますかその冗談!」

 

 礼儀のギリギリ、崖っぷち。

 何とか踏みとどまったアダムは憤然としながら、再び射出装置を固定し始めた。頭に来た怒りが手にも伝わっているらしく、何やら悪戦苦闘している。

 ガチャガチャ音を立てるアダムを腕組みしながら眺め、ほくそ笑むフーゴ。

 随分と振り回されている気がしたので彼としては意趣返しのつもりだったのだが、予想以上の効果を得られて、心のうっ憤がかなり晴れていたのだった。

 アダムが彼の仕返しに近い意図に気付いていたら、もう十分、体に刻んだじゃないかと恨んだことだろう。

 

「おいおい、もうすぐ訓練期間も終わるんだろ? そんなのに手間取ってるようじゃ先が思いやられるな」

「べ、別に手間取ってませんよ! こんなの楽勝です…………ホラ!」

 

 アダムがジャケットを広げながら、固定された射出装置を見せびらかす。兵士が着るジャケットは発射されるアンカーを邪魔しないように裾が短くなっているので、そこまでアピールしなくてもよく見えるのだが、余程悔しかったらしい。

 ドヤ顔が鼻につくが、まあ許してやろう。フーゴはどんよりした空気を放たれるよりも、生意気な言葉と態度をしてくる方がまだマシかなと思い、アダムに拍手を送った。

 生意気というより、最初の頃より幼児退行化が進んでいる気もしていたが、そこには目を瞑る。

 

「はいはい、良く出来ました。えらいえらい」

「ちゃんと褒めて下さいよ!」

 

 アダムが子供のように素直な態度で、子供のような癇癪を起こす。

 褒めたつもりだったのだが、そんなことより。

 

「……何か、気持ち悪いぞ、お前」

「…………俺も、言ってから、思いました」

 

 何事も、やり過ぎは駄目らしい。

 からかった加害者と被害者が押し黙る妙に気まずい空気の中で、あそこで止めておけば良かったと思うのは賭け事も人間関係でも一緒だな、とフーゴは反省した。

 嫌な沈黙に縛られながら、アダムがいそいそとボンベが載せられていた重そうな箱を左太腿の外側に取り付け始めた。ボンベが上になるように、また、支える重心をやや前になるように箱が吊るされる。

 箱の上に乗せられているボンベもベルトのような金具でしっかりと固定されていて、これにより立体機動を行ってもボンベは落ちることなく、そしてガスが切れた時に簡単に取り外して交換が行えるのだ。

 不備な点は見当たらない――ように思えるが、フーゴはこの変な空気を追い払うためにも、アダムの装備の点で一つだけ気になっていた事を聞いてみる事にした。

 

「おい、坊主」

「何ですか?」

 

 アダムが片膝立ちのまま足だけ入れ替え、土に膝を付けた右足の太腿へと残ったもう1つの箱を取り付け始める。楽勝と言うだけの事はあり、やはり早い。

 

「お前、何でそこ空っぽなんだ? 途中で落としちまったのか?」

 

 フーゴは疑問点である、箱の前面部にある細長い4つの穴を指しながら尋ねた。

 アダムが「あー……」と上の空で呟き、土の上に生えている雑草へと手を伸ばす。どうやらもう装備は完了したらしく、仕上げに入るようだ。

 

「最初から、持ってきてないです」

 

 単純な事実報告と共に、アダムが手を持ち上げる。

 言葉に何の色味も無いのは、彼が握り締めている筈の物に、逆に意識を捕らえられてしまったからだろう。

 それは草――のような緑ではなく、金属の鈍色と持ち手の間からは光沢のあるブラウンを覗かせる、刀身の無い剣にも見えて、銃身の無い銃にも見える物。

 草ではなく、アダムの陰に隠れていたそれを見ても、フーゴは驚かない。彼が持ってきたからというのもあるが、何故ならそれは、立体機動装置において無くてはならない物だったからだ。

 アダムが上下に付いている2つの引金の内、下の引金に指をかける。

 

 

 プシュッ。

 

 

 気の抜けるような音。

 引金を一瞬だけ引いた瞬間に生じたその音は、気合いを失ってしまいそうな音であると同時に、空気が排出される音だった。

 風の囁きよりも静かで間抜けなその音は、アダムの腰裏、立体機動装置の本体の内部でファンが回転し、使用された微かなガスを排出口から外へと逃がした証拠。

 どうやら、正常に作動したらしい。

 

「よし、オッケー」

 

 アダムが引金から指を外し、サーベルに付いている護拳――小指側は空いており、枠にも半円状にもなっていない――らしき箇所に4本の指をかけて引く。すると、握りを保護する為の護拳がレバーのように動いた。

 想像していた手応えが感じられなかったのか、彼は首を傾げながら何度も引いたが、やがて「まぁいっか」と言いながら撃鉄を起こし、脇にあるホルダーへとそれを仕舞った。

 いや、よくないだろ。とフーゴが思ったそれは、装備の効果の発動、制御を行う操作装置。

 2つの引金は銃弾を撃ち込む為ではなく、アンカーの発射とワイヤーの巻き取りを行う為のスイッチであり、護拳の形をしているレバーはその工程を停止させるブレーキの役割を担う。

 人間で例えるなら、脳の部分。どんな動作をするか肉体へと命令するとても重要な役割を持つものだ。

 だからこそ、正常に作動するかの最終確認は兵士にとって必須だった。

 その最終確認の為にアダムが行ったのは、完全にワイヤーが収納されている状態での巻き取り操作。それ以上はワイヤーを巻き取れないので装備の効果は発動せず、ただガスの空ぶかしが起こるだけだが、その排出された空気音からガスが使用された事、つまり、正常に作動した事を確認する作業――までは、良い。

 だが結局、最後をまぁいっかで済ませてしまったら、何の為の最終確認だという事になってしまう。

 

「お前、そんなんで大丈夫なのか?」

「元々このぐらいの固さだった気がするし、多分大丈夫でしょ。それに俺、あんまりブレーキ使わないんで」

 

 フーゴは装備品でなく、その大雑把さ加減を心配したのだが、アダムのずれた返答が余計に彼の心配を増大させる。

 全くもって、柄じゃない。

 

「お前と居るとなんか疲れるわ……」

「? 何か言いました?」

 

 アダムが左手に先程仕舞ったのと同じ操作装置を再び持ちながら、こちらに顔を向ける。

 左右の両腰脇から発射されるワイヤーを、左右の手でそれぞれ操作する為に最初から2つあった話なだけで、わざわざ仕舞った物をもう一度出すという間抜けな事をした訳では決してない。

 ただ、フーゴには聞き返してくるその顔が、間抜けに見えてしょうがなかった。

 

「何も言ってねーから気にするな」

「…………ため息つきながら言われると、なんか感じ悪いんですけど」

 

 巨人を上回る二大天敵、女心に子供心。

 再び引金を引き、最終確認を繰り返すアダムのふてくされた顔を見て、フーゴの頬が自然と引きつる。小刻みに引かれる引金と連続して聞こえてくる気の抜けた音から、かなりの拗ね具合が伝わってきた。

 フーゴは関わりたくない気持ち満載だったが、さすがにガスの使い過ぎだと思い、アダムに注意を促す。

 

「最終確認でガス欠する気か、この馬鹿」

「! やべっ!」

 

 素早い動作でボンベに耳を寄せ、指でノックするアダム。音の反響でガスの残量を調べているのはフーゴにも分かったが、何度も叩き慎重に確認するその少年の顔は、瞳の色に負けぬような青。

 真っ青、だった。

 

「…………?」

 

 そこまで大袈裟なほど消費したとは思えないのにかなり慌てているアダムの様子を見て、フーゴは何か不審なものを感じた。

 おかしい。いや、怪しい。

 その訝しがる感情は、彼にいくつかの心当たりを脳裏に浮かばせ、覚束ない線で繋げていく。

 確かな絵が見えないのは、その先にある真実を信じたくないからだ。

 

「…………おい、坊主」

「何ですか?」

 

 巻き戻せない時間に諦めがついたのか、アダムがボンベを叩くのを止め、ブレーキレバーを引く。やってしまったという顔色を残し、返事も投げやりだった。

 ブレーキの手応えに納得し頷いても、顔色はそのまま。

 そして、ガチッという音と共に、撃鉄を起こす。

 

「お前、刃はどうした?」

 

 引金を引いても、撃鉄は落ちない。銃身も弾倉も無いその装置に付いている撃鉄を落とすのは、刃。

 ホルダーへ操作装置を仕舞おうとしていたアダムの手が止まる。

 

「…………刃、ですか? えーっと……ど、どうしたかなぁ?」

 

 口調と同じく、まごつく挙動。

 アダムが左脇のホルダーへ上手く仕舞えず、逆のホルダーへと操作装置を運ぶ。勿論そこは、先ほど既に埋められており、空いていない。

 また左へと戻し、また右へ。交互に行き来する手と一緒に、目も泳ぐ。

 笑える光景だが、フーゴは笑えなかった。

 

「俺はさっきも聞いたよな? 『何でそこ空っぽなんだ?』ってよ」

 

 言葉と一緒に過去をなぞるフーゴの指す先は、アダムの太腿に装備された箱。

 そこにある、4つの細長い穴。

 縦に長く横に薄く、出口が無い事を表すその暗いに穴には、彼の言った刃が――撃鉄を落とす刃が、納められる。

 本来ならば、だ。

 アダムの手がやっと目的地へ落ち着き、操作装置をホルダーへ仕舞う。

 最終確認を含む全ての装着作業工程の完了。それは、どこにも異常なく、無事に終了したことを安堵する場面。

 の、はずだったが、

 

「…………そのようなことが、お聞かれに、なられました、ですっけ?」

 

 紡がれた言葉はぐちゃぐちゃで、動揺をよく表していた。

 

「ちゃんと喋れ」

「……聞かれた、記憶が、ございません」

 

 アダムが視線を下に逸らす。

 フーゴは強張り始めていた顔を柔らかく――意図的に――して言った。

 

「まぁ、そうだよな。大事な装備の点検中、しかも仕上げって時に話しかけられても覚えてないよな、集中してて」

「! そ、そうなんですよ! つい夢中になっちゃって……」

「そうかそうか、大した集中力だ」

 

 そして、使える神経が1つしかないとは、大した馬鹿だ。

 

「いやー、それほどでもありませんよ」

 

 称賛に謙遜を、悪口は甘受して。

 たった1つのセリフで、対極な2つの寸評に見事に対応したアダムが、ゆっくりと立ち上がる。「アハハハ」と空笑いして膝に着いた土を払う彼の手の横に見えるのは、太腿に鞘のようにして吊るされた箱。そしてそれは、刃を納める箱。

 つまりそれは、鞘の箱だった。

 

「それで?」

「え?」

「だから、質問の続きだよ。刃はどうしたんだ?」

「…………えーっと」

「おかしいな、さっきはちゃんと答えてただろ? それともやっぱり、操作装置の作動確認で頭が一杯だったか?」

「あー……はい、そんな感じです」

 

 アダムが嘘の表情で空笑うが、言葉はきっと嘘ではない。

 単純な事実報告。それは、隠さなければいけない真実だった。

 馬鹿だから使える神経が一つしかなく、今のようにごまかせなかったのだろうと当たりをつけながら、フーゴは足を一歩前へ踏み出した。

 

「でも、問題無いよな」

「?」

「だってそうだろ? もう一回教えてくれればいいだけなんだからよ」

「う……」

 

 アダムが後ずさるが、フーゴはなおも距離を詰める。

 そして、嘘を混ぜた真偽の問いを、動揺する少年へ放った。

 

「おいおい、お前さっき『刃は途中で落とした』って言ってたじゃねーか。すぐに答えられないって事は、その言葉は嘘だったのか?」

 

 巨人を殺す為には立体機動術だけでは足りず、巨人の弱点であるうなじ、縦1メートル横10センチの範囲を正確に削ぎ落す斬撃術が必要。その2つを両立させる為、両手に持つ操作装置には、銃弾ではなく刃を込める機構がある。それが、撃鉄の部分だ。

 4本の刃が納められる穴の外には柄の代わりに、中央がへこむ形の刃がそのまま飛び出る。角張っていて研がれておらず、小さな丸い穴が4つあるその箇所に操作装置を剣の柄のようにして繋げると、刃が操作装置の中で綺麗にはまり、撃鉄が落ちてその2つを離さないように固定する。

 そして、操作装置を握り締め刃を引き抜いた時に生まれるのが、巨人のうなじを削ぎ、巨人を殺す2つの剣。操作装置に刃を装着したその武器は正式にはスナップブレードと呼ばれるが、単に剣と呼ぶ場合が多い。

 刃を込めて、撃鉄を落とし、剣と成す。刃は付け替え式になっており、撃鉄を起こせば刃が外れ、新たな刃が込められるようになっている。その為、操作装置をホルダーへと仕舞う際には必ず撃鉄を起こした状態、いつでも刃が込められるようにしておかなければならない。

 アダムもしっかりとその決まりを守り、撃鉄を起こしていた。肝心の刃を持っていなくても。

 そして、その理由を嘘と交換したフーゴの言葉に、真実を隠す少年が疑いの目を向ける。

 

「俺、そんなこと言いましたっけ?」

「おう、言ってた言ってた。全く、刃を途中で落とすなんて前代未聞だぞ? いくら消耗品だからってタダじゃねーんだ、後で教官に怒られても知らねーからな」

「…………」

「なんだ? やっぱり嘘なのか?」

「――! い、いえ、思い出しました! そういえば、そう言いましたよね! いやホント、帰るのが怖いなーアハハハ!」

 

 引っ掛かった。出来れば、引っ掛かって欲しくはなかったが。

 フーゴがわざとらしく、掌を拳でポンと叩く。

 

「あ、悪い。間違えた」

「え?」

「お前、『最初から持ってきてない』って言ったんだった、そういえば」

「!」

 

 空笑いが消えて聞こえてきたのは、動揺する壁が破壊された音。

 正確には、刃を収納する鞘の箱は、装備の発動とは関係無かった。

 腰裏の本体、ガスの入ったボンベ、両腰脇にあるアンカー発射装置と両手に握る操作装置。立体機動という1つの戦闘行動を可能とする為、それらの全ては神経のようにコードで繋がっている。

 だが、両太腿に吊るされた箱にはコードが繋がっていない。外見上、最も目に付きやすい場所と大きさであるのに、装備の発動とは直接的に関係無いのだ。

 それでも、その鞘の箱が立体機動装置の1つとして作られたのは、ボンベを乗せる為だけではなく、4本の刃を収納する為だった。

 立体機動戦闘においてどうしても消耗品になってしまう刃の問題を、予備として携帯する事によって解消する。それが、鞘の箱の重要な存在理由。

 つまり細かく分けると、それは斬撃術に関わる部品。上部に設置されているボンベは別だが、それが無くても立体機動術は行えるのだ。

 だから尚更、最初から刃を持たず、ただのボンベ置場と化していても、飛ぶのには何の問題ない。

 しかし、それは絶対にあり得ない。

 

「…………聞き間違い、とかじゃ、ないですか?」

 

 追いつめられた犯人のような表情を浮かべる少年に、フーゴは首を振った。

 

「いや、お前は確かに言った。『最初から、持ってきてないです』って間抜けな顔しながら」

「間抜けは関係ないでしょ!」

「言った事は否定しないんだな」

「――だって、覚えてませんから」

「さっき思いだしたって言ってたじゃねーか。俺が間違ってたけど、な」

「…………あ゛」

 

 どうやらまた、心臓が止まったらしい。

 フーゴは拳が届く距離まで、アダムに近づいた。

 

「刃を途中で落とすのも前代未聞だが…………最初から持ってきてないってのは前代未聞どころか、兵士としての絶対不文律を犯してるから――あり得ない、よな?」

 

 狭義の立体機動とは、3次元の高速移動を行う立体機動術であり、広義的に捉えると、それは立体機動術と斬撃術を合わせた立体機動戦闘の事になる。

 そして、兵士とは常在戦場の心構えでなければいけない。

 そんな建前の元、自らの立体機動装置を貸し出してもらう際には、必ず刃が支給される。盗難と悪用を避ける為に軍が――訓練兵ならば教官が――直接管理、貸し出しを行っている立体機動装置。決まりでは無いにしても、そこに絶対セットで付いてくる刃が無いというのには、3つの理由が挙げられる。

 巨人との戦闘による消費。4本あることを考慮に入れると可能性は低いが、訓練中における消費。

 そして――

 

「――お前、勝手に持ち出したな?」

「!」

「やっぱりかっ!」

「! ほっ!」

 

 大当たりだ。図星なことを表情で伝えてくるアダムを見て、即座にフーゴはその顔へ手刀を打ち下ろしたが、見事に白刃取りされた。

 頭の位置は高いので、力が込められないと思い顔を狙ったが、遠慮せず拳でいけばよかった。

 

「ま、また……いきなりですね……! 何で、怒ってるんですか……!」

「また、って言いたいのは……俺の方だ……! お前、何したか……分かってんの、か……!」

「まだ俺、何も……ぐっ! 言ってない、ですけど……!」

「言ってる、ような、もんだろが……!」

 

 白熱する攻防。傍から見たら首を傾げてしまうじゃれ合いを続けながら、言い合う2人。

 空いている左手で腹でも殴ればいいのに、フーゴは防がれた事が悔しく、何とか顔に喰らわせようと意地になっていた。

 が、押し込む力を利用され、受け流される。

 両手で挟んでいた手刀ごと後ろへと投げる形で体を避けたアダムが、「うおっ! っとっと……」とよろけるフーゴに向かって叫んだ。

 

「何ですかホント! 俺は別に、建て付けの悪い窓から侵入して、装備と一緒に緊急用として置かれていたガス満タンのボンベを拝借したけど、刃は別に要らないかなと思って盗らなかった、なんて言ってないじゃないですか!」

「事細かに白状したなおい!」

「…………あれっ!?」

 

 驚いたのはこっちだ。まさか、緊急用のボンベまで持ち出していた――否、盗んでいた、とは。

 しかも、ここまで馬鹿だったとは。

 ガスの残量を調べていた時、街で捕まえた事のある泥棒の表情と重なったのはこのせいか、とフーゴは心の中で納得した。

 ばれた――正しくはばらしただ――事を悟ったのか、アダムがポケットに手を突っ込み、開き直った態度を見せる。

 

「後でちゃんと、満タンにして返しますよ……」

「問題はそこじゃねーだろうが!」

「…………装備は、別に、俺のだし」

「だから、そういう問題じゃねーって……! お前分かってんのか!? 下手したら懲罰だけじゃ済まねーぞ!」

 

 立体機動装置本体に内蔵されているブラックボックス。その内部機構は完全に秘匿とされており、兵士にもその詳細は明かされない。

 それが悪人の手に渡り、解析されれば――たとえ出来なくても、立体機動装置を悪用されるだけでも大問題なので、装備の管理は厳重だ。

 そんな物を、例えば兵士が無許可で持ち出したら、懲罰、解雇。

 最悪の場合は、牢屋行き。

 

「分かってますよ、それぐらい」

 

 アダムが顔を背ける。

 罪悪感ではなく、さも面倒臭そうなその仕種と言い種が、フーゴをさらに苛立たせた。

 

「全然分かってねーだろ……! あー、クソっ! さすがにそこまで馬鹿じゃないと信じた俺が馬鹿だった!」

 

 信じたくなかった真実の絵。はっきりと輪郭が浮かび上がったそれは、やはり悲しくなるほどに予想通りの現実だった。

 

「そんな、人を救いようが無いみたいに……そこまで馬鹿じゃないですよ」

「馬鹿はみんな、馬鹿なことに気付かないから馬鹿なんだよ!」

「なっ! ふ、フーゴさんこそ知らないんですか!? 馬鹿って言う方が馬鹿なんですよ!」

 

 子供が良く言うセリフを聞き、馬鹿な子ほど可愛いというが、幼いだけの馬鹿は愛せないとフーゴは思った。

 

「それに、なんでそんなに怒ってるんですか?」

「あぁ!?」

 

 ここまで来てそれを聞くか。怒りを抑えられないフーゴは、ふてくされている少年へとぶつけるような視線と声を送った。

 腕を前に出し、怯みながらもアダムが言葉を継ぐ。

 

「だ、だって、俺がどうなろうと、フーゴさんには別に関係無いじゃないですか。トロスト区を通る時だって、別に何も言われなかったのに……」

「それは――――っ!」

 

 呼吸が止まり、瞳孔が開く。

 

「…………今、なんて言った?」

「え? だから、トロスト区を通る時は、別に何もって……。まぁ、教官から貰った通行許可証があったから、怪しまれなかっただけでしょうけど……」

「いや、その前だ」

「? 前って……どこの?」

「やっぱりいい」

 

 静かに会話を打ち切り、フーゴは口元に手を当てた。伸ばしっぱなしの無精ひげが彼の指先を刺すが、気にはならなかった。

 そして、問いたげな少年の顔も無視して考え込むのは、その少年の言葉。

 

『俺がどうなろうと、フーゴさんには別に関係無いじゃないですか』

(…………そうだよ)

 

 関係無い。関係など、したくない。

 面倒臭いのは苦手のはず。

 

(なのに、なんで俺はこんなに怒ってんだ?)

 

 盗んだ、という表現は行き過ぎだ。罪の重さは分からないが、ばれた所でせいぜい懲罰程度だろう。兵士失格の烙印と共に訓練所から追い出される事も考えられるが、さすがに持ち出しただけで牢屋行きにはならないはず。

 落ち着いて考えれば、分かる事。

 

(なのにどうして、取り乱して……なんで――)

 

 予期していた答えから遠回りをして、わざわざ言葉で追いつめたのは、信じたくなかったから。

 信じたくなかったのは、そんな事をしていて欲しくないと思ったから。

 そう思ったのは、心配だったからだ。

 

(――なんで俺は、こいつを心配して、叱ろうとしてんだ?)

「あのー、フーゴさん?」

 

 伺うような声で、我に返る。

 宙に浮かぶ視線を戻した先には、不安げな少年の顔。浅黒い肌と彫りの深い顔立ちは彼を青年のように見せかけるが、フーゴは改めて、そこに確かな幼さを感じた。

 

「どうかしたんですか? 何か、考えてるみたいですけど……」

「……いや、何でもない」

「あ、そうですか……」

 

 ごまかしたのは、認めたくないからであり、良く分からないからだった。知られたくない、というのもある。

 しかし、アダムは納得できず、更に何か言いたげな様子にフーゴには見えた。手と顔、目線が挙動不審だ。

 

「何でもないって言ってんだろ。気にすんな」

「……本当、ですか?」

「あ?」

「い、いやーその、出来れば、大事にはして欲しくないなーなんて……。『今度何かしでかしたら追い出してやる!』って教官から言われてるんですよね、俺…………ハ、ハハ」

 

 微かな疑いと仄かな願い。しかし、少年風に言うと「目がマジ」だ。

 

「はぁ……。安心しろ、一々そんな面倒臭い事しねーよ」

「! マジで――じゃなくて、本当ですか!? いやー、なんか妙に怒ってるし、すっげー変な顔して考え込んでるから俺はてっきり――」

「と思ったが気が変わりそうだな」

「あれっ!?」

 

 ずっこけて「何で!?」と聞き返すアダムに、悪気は見当たらない。自然に失礼なのは、余程安心したからだろうか。

 フーゴはとりあえず、こけて丁度良い位置にある頭を一発叩いておくことにした。

 

「冗談だ馬鹿」

「!」

 

 手応えが無いのに揺れる、少年の短い黒髪。避けられた。

 

「なに避けてんだ……!?」

「避けますよそりゃ。朝からどんだけ殴られてると思ってんですか」

 

 アダムが恨めしげに睨む。今朝の事など知る訳が無いフーゴは、恨まれる筋合いの割合が気になる所だった。

 殴られるほど馬鹿だし、殴りやすいキャラだし、訓練所でも恐らくそんな扱いなのだろう。

 睨むのを止め、アダムが目を細めながら言う。

 

「それに、そんなに叩かれると本当に馬鹿になっちゃいそうなんで遠慮しときます」

「安心しろ、手遅れだ」

「……今日会ったばかりの人に断定されたくないですね」

「俺も出来れば、今日会ったばかりの奴にこんな感想抱きたくないな。教官にそんなこと言われるぐらいだ、どうせ成績も最下位でギリギリ兵士になれるかどうか、ってとこだろ?」

「なっ……!」

 

 見開かれた青い瞳に灯ったのは、怒りの炎。

 

「失礼な! 言っときますけど俺、立体機動試験の成績、歴代最高記録保持者なんですから!」

「また嘘だろ、どうせ」

「うっ……それは、マジですよ」

 

 熱そうな青い炎は鎮火されたが、真実の色は消えない。

 まさか。

 

「…………本気と、書いてか?」

「真剣とも書きます」

「――そいつは…………すごい、な」

 

 フーゴは感嘆の声を上げる事しか出来なかった。馬鹿とは関係無さそうな分野だが、それが事実ならば、絶句する価値がある。

 褒められて調子に乗ったらしいアダムが、似合わぬ気障な仕種で鼻を鳴らす。

 

「まあ、それほどでもありませんけどね」

「…………いや、それは凄いぞ、本当に。それなら首席だろ? 座学は悪そうだが、装備の取り付けも早かったしな」

「いえ、その時は100番でした」

「やっぱりか。いやまさか、お前がエリートだったとは。それじゃ将来は憲兵団に――」

 

 行けるのは、10番以内。

 

「――行けねーよっ!」

「え? はい、そうですけど?」

 

 当たり前だろ、という顔。しかし、どう考えても当たり前ではない。

 訓練兵の成績を決める項目の内、立体機動は特に重要なものである。対巨人の戦闘能力が優秀な者を王の側に置く、という暗黙の習わしの元、立体機動の成績が最も高い訓練兵が――それも歴代最高の成績ならば、主席として憲兵団になれるのは確実だ。

 天変地異が起こっても100番なんてあり得ないのに、目の前にあるのは100番で当たり前の顔。

 間違っているのが誰かフーゴには分からなくなっていたが、とにかく聞かなければ話が進まないと思い、アダムに尋ねた。

 

「とりあえず、どういう訳だ?」

「? だから、凄いでしょ。あと一人抜いてたら2桁台だったんですよ、2桁台」

「…………」

 

 眠くないのに瞼が重く、目を閉じて考えるのは質問の内容。言葉を選ばなければ、馬鹿との会話は進まないらしい。

 

「……座学の、成績は?」

「まぁ、下から数えた方が早いような……。あ、でも俺より下もいますよ、ちゃんと」

「……対人格闘術は?」

「主席の奴に58勝41敗で勝ち越してますよ。口喧嘩では敵わないんで、腕っ節だけでもと思って鍛えたんです、ほら」

 

 アダムが腕を曲げ、服越しでは分からない力瘤を見せる。

 フーゴは黙殺して、質問を続けた。

 

「……射撃訓練、行軍訓練、普段の生活態度、他の同期とは上手くやってんのか? それに、ちゃんと教官の言う事聞いてんのか?」

「…………なんか、うるさいんですけど」

 

 段々と保護者のようになっていった質問の嵐にアダムが反発する。どこの親子だ、と言いたくなる光景だった。

 しかし、フーゴは気付かない。

 

「うるさいとは何だ。先輩兵士に向かって」

「尋ねる内容、先輩兵士の領分超えてませんか?」

「いいから答えろよ」

「…………特に問題はない、と思いますよ。別に同期とも仲は悪くないし……親友、って呼べる奴も2人ぐらい居ますし。教官には、ちょっと、目を付けられてますけど……」

「何しでかしたんだ?」

「それは、まぁ、色々と――って、さっきからなんなんですか一体? うるさいっていうか、しつこくて気持ち悪いんですけど」

 

 歪んだアダムの顔を見ても、フーゴは気付かない。

 しかし、その代わりに分かった事が彼にはあった。

 それは、先程の答え。

 

「色々か…………まぁ基地を追い出されてないなら、大した事じゃないだろうからそこは聞かないとして、」

「その前に、俺の話、聞いてます?」

「他にどういう問題があって、その成績で100番なんだ? 歴代最高なんて、噂でも聞いた事ない眉唾な言葉が付いてんのによ」

「――無視、ですか……」

「なんなら俺が上官に報告してやってもいいぞ。さすがにお前んとこの訓練所までは遠くて行けないが、そんな不公平が起こってるなら上層部も問題にするはずだ」

「かっこ悪いから止めて下さいよ! そんなんじゃありませんって!」

 

 世界が違えば、世が世なら。そんな仮定、限定の中でなら起こり得たであろう、話題になるほどの社会現象――親の頭に怪物を付けた名称――の勢いで怒鳴りこみそうなフーゴを、アダムが必死に押し止める。だが、あまり効き目はなかった。

 どうして少年を心配してしまうのか。その理由を理解し、そして認めたフーゴには、彼の言い分では納得できなかった。

 

「じゃあ、どんな理由があってお前は納得してんだよ、そんな順位に」

「納得も何も、当たり前じゃないですか。その前は圏外だったんですから」

「……圏外ってなんだ?」

「だから、その記録を出す前は順位が付けられないほど下だったんですよ」

「そういう事じゃなくて――――待て、意味が分からん。なんでそうなる?」

「なんでってそりゃー……立体機動で落ちてたから、ですね」

「は?」

 

 他人を、そして家族すら放任主義な所のある面倒くさがりの自分が、どうして心配などしてしまうのか。

 それは、

 

「俺、墜落回数でも、歴代最高記録保持者なんですよ」

 

 こいつは単に、人を心配させるツボを心得ているのだ。

 

「お前は何で、さっきと同じぐらい自慢げなんだよ……」

「まあ不名誉な称号とは分かってるんですけど、その頃付けられたあだ名がカッコよくて。『墜落王』って呼ばれてましたから」

「やるんじゃなくて、やられる側の王様になって喜ぶなよ……」

 

 もしかしたら「撃墜王」と勘違いしているのかもしれない。そんな可能性を片隅に浮かべながらも、フーゴの頭は少年への心配で一杯になっていた。

 柄じゃない事は重々承知だ。

 

「いや、変なあだ名を付けられた時期もあったんで、カッコイイあだ名ってなんか憧れてたんですよね。あと落ちても受身が上手いんで『着陸王』とも呼ばれてました」

「『王』が付けば何でもいいのか、お前は……。というか、なんでそんな奴が急に飛べるように――しかも、そんな記録出せたんだよ」

「いやそれが……あまりにも墜落しすぎだって事で、『開拓地送りにしてやる』って教官に言われたんですよ」

 

 「開拓地送り」とは兵士の適性が無いと判断された訓練兵が広い壁内の未開の地で、農地を開墾、森林伐採、水源の確保などに従事し、人類の新たな社会基盤を築く為の労働者になること。

 それを告げられる事は、つまり、訓練兵にとっての最後通告だ。

 

「それで『後が無い!』って思って飛んでみたら、なんか凄いって褒められて……。人間って追い込まれると何でも出来るな、って思いました」

「…………ちなみに、その時は100番だったって事は、まさか――」

「まぁ、マグレだったと言いますか……。でも、最近は落ちなくはなったんですよ。コツを覚えたんです」

「コツ?」

「はい。アンカー打ちこむ箇所を他人と同じにすれば落ちないんですよ。おかげで成績は平凡になったけど、それでも中の上はキープしてると思うんですよね」

「……お前な、それはコツじゃなくて――――おい、どうした?」

 

 視線を外し、急に手で庇を作りながらフーゴの背後を見遣るアダム。「ヒヨコの刷り込みだ」という言葉を飲み込んだフーゴは、怪訝な顔をして振り返った。

 

「来たみたいですね、俺の馬」

「………………あぁ」

 

 返事に時間がかかったのは、まだ遠い位置に居たからだ。同僚が馬を引きつれて歩いて来ているが、まだ顔も確認出来ない距離。

 

「あれ? あの人、門番してた人じゃないですよね?」

「あいつは今日の馬小屋担当班の奴だよ。途中で会ったからついでに頼んだ…………って、お前この距離でよく分かったな」

「目は良いんですよ、俺」

「頭は悪いのにな」

「放っといて下さい」

 

 否定はしないので、自覚はあるらしい。「馬鹿」という単語が怒りの境界線なのだろうか。

 ふてくされていた少年の顔が、街の方角に向けられる。

 

「ここともお別れかぁ……」

 

 高く厚い壁。見えない向こう側を見渡したように呟かれた声。

 フーゴは胡散臭げに声をかけた。

 

「薬を貰いに来ただけだろうが。滞在期間が数時間の旅行者が、何をそんな故郷を離れるみたいな空気出してんだ、馬鹿」

「…………台無しだ」

「あ?」

「ちょっと黙っててもらえます? 居た時間は短くても色々あったんですよ、俺にとって」

 

 その言葉に、フーゴは非常に納得した。

 最初は借りてきた猫みたいに怯えていたくせに、短い時間でここまで生意気になるとは。

 

(もしかして舐められてんのか?)

 

 かなり腹が立つ予想をしながらも、フーゴは不思議と悪い気がしなかった。

 自分の大事な故郷。そこを訪れた他人が、離れることを惜しんでくれている。それはきっと良い事で、だからこんな気持ちを抱くのだろう。

 頭では分からぬ心の感傷に、適当に当たりを付けた彼は気付かない。

 

「まぁあれだ、二度と来るなよ」

「そこは普通『また来いよ』じゃないんですか?」

「さぁな」

「…………ちぇっ」

 

 幼い舌うちに、フーゴは笑った。「また顔を見せに来い」なんて言おうとしていた事に、彼は気付かなかった。

 馬が近づく。もうすぐ、少年は行く。

 

「ところでよ、お前なんで立体機動装置を持ち出したんだ? むしろ荷物になって大変だったんじゃねーか?」

「まあそうですけど、もしトロスト区の門が閉められたら壁登って帰ろうかなぁと思って……ま、最終手段ですけどね。立体機動使ったらばれないように戻すの大変だし」

「……壁の外に馬を置き去りにして行く時点でばれるだろ」

「…………あ゛」

「よく心臓が止まる奴だな、お前は」

 

 彼は笑う。その感情が、息子に与えられなかった愛しさに、少し似ている事に気付かないまま。

 気付かないまま、手綱を握る同僚と、少年を乗せて行く馬をフーゴは見つめた。

 そして――

 

 

――ドンッ!!

 

 

「っあ――?」

 

 人と馬が飛び跳ねる光景、それを視界に入れる自分も跳んでいた事に気付かぬまま、世界を跳ね上げた大地へと落ちていく。

 何も、気付けぬまま。

 

 

 




立体機動装置は独自解釈――というか、独自設定混じってます。
なんじゃそりゃという方もいるかもしれませんが、ここでこれ説明しとかないと後が成り立たないんですよね……。
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