進撃の巨人 For the past five years   作:灰かぶり

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プロローグ ~少年の名は~

「シャル」

 

 

 

 

 自分の名前を呼ばれるのは、嫌いだ――――――

 

 

 

 

「シャル……」

「…………」

 

 

 

 

 今から5年前、自分が10歳の時に亡くなった母は優しく穏やかで、そして頑固な人だった。

 母は昔から女の子が欲しかったらしく、そのお腹に新たな命を身ごもった時に「多分女の子かもしれませんね」と医者にいわれ、大変喜んだそうだ。その場ですぐ名前を呼び始めるほどに。子供の時から何度も読み返していた物語、そのヒロインの名前を。

 

『自分の子供にこの名をつけよう』

 

 それは、母がその物語を初めて読んだときから決めていたことらしい。

 定められた運命には抗えない。そう、例え生まれてくる子供が男であっても。

 顔も覚えていない父はどうやら反対してくれたらしいが、母は「きっととても可愛い子に育ってくれるわ」と優しく微笑んで父を説得して――というより、その有無を言わせぬ微笑みで押し通したのだろう――生まれてきた自分の息子に大変立派な、娘のような名前を与えた。

 

 その話を初めて聞いた時は、ただ母がとても幸せそうに話してくれたので、自分もつられて幸せな気持ちになっただけだった。まだ幼かったのと、山奥の少人数の村、その中でも外れの方で暮らしていたのであまり他人との関わりが無く、そのせいで自分の名前の異質さに気づけなかったのだ。

 

 

 

 

「おいシャル……」

「………………」

 

 

 

 

 初めて自分の名前の異質さに気づいたのは母の死から2年後、年齢が12を迎えて兵士となる道を選び訓練兵となった時だ。

 訓練兵の入団式では毎年「通過儀礼」というものが行われる。

 この「通過儀礼」とは、自分の名前と出身地を述べて、そして教官から将来の夢や目標、これからしたいことなどを聞かれたらそれに答えるという、特に画期的でもないただの自己紹介の場だ。

 ただ、やりとりはすべて大声で、何を聞かれ何を答えても全否定され、時々ただの罵声が飛んでくるので全く自己を紹介できない場である。無意味に叫びあうだけ。絶対そうに違いない。

 ある教官によると、何でも兵士となる為にそれまでの自分を真っ白にする儀式とか何とか。聞いても意味が分からなかったし、人にトラウマを植えつけるぐらいなら廃止して欲しいと切に願ったものだ。

 今でもはっきりと思い出せる……。およそ300人もの訓練兵が理路整然と規律正しく並んでいる光景。どこか厳かな雰囲気を感じさせる空気。それを打ち破り響き渡る教官の叫び声。

 

『貴様は何者だ!』

 

 尋ねているのではない、まるでこちらを叩き潰そうとするかのような声が至近距離から放たれる。

 それに負けじと、よく響く自分の少し低めの声に出身地と名前をのせて、大音量で教官に向けて放つ。もちろん心臓を捧げる兵士の敬礼も忘れずこなす。完璧だ。おかしい所は全く無い。

 あとは大きく浴びせられる教官の質問に対して、建前だろうがなんだろうがテキトーな答えを叫び、そして返ってくる大きな罵声を右から左へ聞き流すだけ。それだけのはずだった。

――――返ってきたのは、完全な静寂。

 空気が凍っていた。むしろ、世界が死んでいた。

 その場にいた人間の誰もが、呼吸を忘れ固まっていた。

 名前を告げた瞬間にポカンとなった教官の顔を見て(あれ、何か間違えたか?)と不安になったが、どうやら周りの様子もおかしいことに気づいた。何とか周囲の状況を探ろうと、顔の向きは教官へ固定したまま、眼球だけを必死に動かす。

 おそらく視界に写る、目が泳ぎ始めた――物凄い高速だったに違いない――訓練兵に気づいたのだろう。呼吸を思い出した教官は一つ咳払いをして、十分な間を取ってからもう一度、今度は名前だけを問いただしてきた。

 もしかして名前の部分だけ気合が足りなかったのかもしれない。

 そう思い、今度は先ほどよりも大きく息を吸い込み、腹の底から声が出るように意識する。そして自分の短い人生の中でも最高だと確信できるような大声で、ただはっきりと自分の名前を告げる。

 同じようなシーンの繰り返し。違ったのは、教官の声がかなり冷静だったこと、すぐに反応が返ってきたこと、そしてさっきよりも自分が――

 

『貴様、ふざけているのか』

 

――すごく真面目だったこと。

 

 

 

 

「おいシャル、ホントは起きてんだろ……」

「……………………」

 

 

 

 

 その後もう一度本当の名前かどうか尋ねられたので、もしや先程の訓練兵とのやりとりが正解なのかと思い、「はっ、自分も豚小屋出身家畜以下であります!」と答えたら怒られた。罰としてその日の消灯時間まで走れといわれた。周りが一斉に笑い出した。ちょっと泣きそうだった。

 そしてこの世界の理不尽さに憤りながら消灯の鐘の音が鳴り響くまで走りぬき、空腹と疲労で死ぬ寸前だった自分を迎えたのはいくつもの嘲笑混じりの労いだった。

 

『おつかれーロッテちゃん』

 

 ロッテちゃん――最初は聞きなれない名だったので何を言われてるのか分からなかったが、どうやら自分の名前の愛称だと後で分かった。むしろ普通の女の子ならロッテという愛称の方を名づけられるのが一般的で、自分の名前はどちらかというと、貴族のような身分の高い女性に与えられる場合が多いらしい。

 その場で倒れた自分を介抱してくれた同期の女の子に聞いたら、とても丁寧に――腹を抱えて笑いながら――説明してくれた。

 母はいつも自分のことを「シャル」と呼んでいたし、他人に名前を呼ばれる経験がそれまでの人生の中でほとんど無かった。だから、自分の名前――「シャルロッテ」という名前に絶望したのはこの時が初めてだった。

 

 死ぬ一歩手前ほどの空腹と疲労による極限状態、トラウマ化するほどの羞恥心による精神的打撃、そして可愛いあだ名と共に訓練兵としての幕は開けた。これからの辛く厳しい訓練生活を予感させるには十分すぎる始まりだった。

 

 

 

 

「シャル、いい加減起きろよ、みんな起こしちまうだろ……」

「…………………………」

 

 

 

 

 そんな最悪な開幕を迎えた訓練兵生活だったが、一つ嬉しくも悲しい誤算が生じた。それは、「ロッテちゃん」呼びが全く定着しなかったことである。

 最初の一ヶ月ほどは全員からよってたかって「ロッテちゃん」と呼ばれた。しかし次第に、誰もその名を口にすることが無くなっていったのだ。不思議に思ったのでその理由を、前も丁寧に説明してくれやがった一人の同期の女の子に聞いてみたら、

 

『自分で呼んでて何だか気持ち悪くなった』

 

 という中々にひどい返しがきた。だがそれに対しての非難の言葉は出てこず、ただ静かに「ああ、なるほど」とつぶやいてしまった。

 適当に短くそろえた黒い髪。意志の強そうな黒い眉と瞳。陽に焼かれたような浅黒い肌。周りから頭一つ分ほど高い身長と、幼さの抜けたやや彫りの深い顔立ちも相まって、結構な威圧感と濃い印象を他人に与える。

 どこからどう見ても男性だった。今はそうでもないが、当時は周りがまだ比較的に幼かったので、その外見が余計に際立っていた。

 そんな人物を明らかに女性である名前で呼ぶのは、遥かな違和感を感じるのだろう。吐き気を催すほどの。

 なるほど、気持ちは理解できる。馬鹿にされなくてすんで嬉しいとも思う。

 だが納得はできない。どうしてもできない。

 呼ばれる側の気持ちを無視して、自分が「面白いから」呼び始め、「気持ち悪いから」呼ぶのをやめる。これほどの身勝手が許されるのならば憲兵はいらない。そしてさらにその気持ち悪さのほどを、

 

『巨人に向かって名前を呼んでる感じ!』

 

 などというふざけた表現もその女は追加した。会心のドヤ顔とともに。きっと同期全員が似たようなことを思っていたに違いない。

 正に家畜、人間のクズ、人の形をした巨人の所業である。…………少しだけ泣いてしまったのは内緒だ。

 

 こうして、非常に不本意な形ではあるが、人の名誉を傷つける精神的な傷害事件は解決――または迷宮入り――されることとなり、訓練兵としての集団生活内における後味の悪い平和を手に入れた……。

 

 

 

 

「…………人間、諦めが肝心だとは思わねーか、なあ――――」

 

 

 

 

 そしてそれから、訓練兵でいられるのも残り3ヶ月を切ろうとしている今現在にいたるまでに、自分を名前で呼ぶものは居なくなった。もともと他人との付き合いという経験が少なかったせいか、あまり友人が多い方ではなかったというのもあるが、何よりも大きかったのが別の呼び名――アダムという呼び方が定着してくれたからだろう。

 

 アダム――それは自分の姓であり、そして父の名だった。

 母は元々王都で暮らすほどの裕福な家系の出身だったらしいが、父と駆け落ちするために実家を飛び出していたから姓を捨ててしまっており、父は元々孤児だったので姓を持っていなかった。だから父は自らの名を、愛する息子への贈り物として、有るはずの無い自分の姓にして継がせてくれたらしい。

 母はそう言って美談にしていたが、おそらく自分の息子が「シャルロッテ」という名前だけではあまりにかわいそうだと思ってくれたのだろう。そのおかげで、一生女の名前で呼ばれるという最悪の事態を避けられたのだから、父には感謝してもしきれない。

 ただどうせなら、母の凶行を止めて欲しかった。

 母いわく、「見かけは少し濃さが足りないけど、中身はお父さんそっくりよ」と評されるほど自分に似ている父が、あの頑固で、微笑むだけで道理すら曲げてしまう母にかなう訳がない。そのことが自分の経験から分かってはいても、そう思わずにはいられないのだ。人の願いはいつだって儚い。

 それでも、母を恨んだことは一度も無かった。母がどれだけ愛してくれていたか、どれほどの愛情を込めてこの名を与えてくれたか、自分は知っていたから。

 きっとすべての元凶は、まだ生まれてもいないのに「女の子かもしれない」と母に言ってしまった医者に違いない。いつか会ったらぶん殴ろうと心に決めている。

 

 だが、例え母を恨んでいなくても、名前で呼ばれるのはやはり嫌だった。それとこれとは話が別なのである。母もきっと許してくれるはずだ。……こんな辛いことがあったなら誰だって、

 

 

 

 

「――――シャルロッテ」

「――――っ!」

「やっぱ起きてんじゃねーか」

 

 

 

 

――――――自分の名前を呼ばれるのが、嫌いになるはずだ。

 




それぞれの年の事件を描いた、6部(それか5部?)構成のオムニバス形式にするつもりですので、一応年毎に話は完結してます。
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