進撃の巨人 For the past five years   作:灰かぶり

6 / 15
第4話 彼の笑顔

「ド田舎じゃん」

「オメーはホントいつでも直球だな」

 

 平坦な口調で言いながらヨハンが遠くを見つめる。

 何だか馬鹿にされた気がしたので、正直者なだけだと言い返したかったが、それもさらに馬鹿にして返されそうだったのでやめておいた。

 

「……ていうか、教官ってばそんな遠い所の人とどうやって知り合ったんだろう? もしかして奥さんも兵士とか――」

「たまたま憲兵業務で一度だけシガンシナに行って、一目惚れしたらしい。そのまま連れ帰ったんだとよ。要するに、仕事のついでにナンパしてきた、もしくはナンパついでに仕事してきたってやつだ」

 

 それでいいのか憲兵団。

 

「奥さんもかなり若いらしいぜ。内地の暮らしに釣られてのこのこ付いてったんじゃねーの」

 

 奥さんにもちょっと問題があったのか。というか色々知りすぎだろう。

 何故そこまで詳しいのか怪しみながら見つめていると、エミの視線の意味に気づいたのか、ヨハンは「ネタ元は企業秘密だ」と言っていつものニヤリとした表情を浮かべた。

 やはりこの男は敵に回してはいけない。エミは改めてその恐ろしさを心に刻み付けた。

 

(けど、そっか)

 

 だからこんなに朝が早かったのだ。エミのずっと抱いていた疑問は1つ氷解した。

 ここからトロスト区まで行くのでさえそんなに簡単と言うわけではないのに、さらにその壁を越えて、そのまたもう1つの壁へとたどり着かなければならないとは。徒歩ではないだろうが、昨日行われた行軍訓練よりも遥かに長い時間移動しなければならない。いくらほぼ最短の直線距離とはいえ、ウォールローゼとウォールマリアの二つの壁の間は相当な距離があるはずだ。

 

「しかも消灯時間に遅れたら普通に罰則くらわすんだとよ」

 

 ヨハンがこちらの顔色を察したのか、まるでエミの心を読んだかのようなタイミングで説明を補足してきた。

 

「……うわ、何それ」

 

 エミは顔をしかめながら、思わず体を話し手のヨハンから引いてしまった。

 完全に私用でこき使うくせにその仕打ち。巨人のようなひどさだ。

 だがそれなら、川沿いの町で度々停泊して時間を取られる船便は使えない。馬で最短距離を突っ走るしかないだろう。

 だからただでさえ早朝なのに急いでいたのかと納得した。そして、馬でも休憩などの時間を入れたら間に合いそうに無いなと思い、心の中でアダムへ合掌を送った。

 

「まあそれはさっき教官に言われたらしいけど。いやー、初めてのおつかいにしては難易度高すぎだよなー。頑張って成し遂げろよ、シャルロッテ・アダム君15歳」

「お前人の気持ちも知らないで、よくもまあそんな他人事みたいに馬鹿にできるな……! あとフルネームに年齢を足すそのアホな呼び方はやめろ、このボケ、マヌケ、バカヤロー……!」

 

 アダムがパンを食べ終わるのを見計らっていたのか、これまたタイミング良くヨハンが挑発し、それに対して食事で元気を取り戻したのかアダムが噛み付く。

 ヨハンにとってアダムをからかうことは、きっと生きがいなんだろうなとエミは呆れた。まるで呼吸をするかのような自然さだ。

 

「おー、豊かな語彙力をお持ちで。いろんな単語知ってんだな。だけど残念、バカだけかぶって2回言ってるぞ。このバカ」

「うるせー! バカって言うほうがバカなんだよ! このバカ!」

 

 バカバカうるさい。しかも結局自分がバカになってるではないか。

 エミはそんなバカなやり取りをしているバカ2人をバカにした目で見つめながら、朝から続いてるアダムのいつも以上の機嫌の悪さはそういう事情もあったのだと少し同情した。でもやっぱり、他にも原因がある気がしていたが。自分を除いて。

 

(ん? そういえば……)

 

 エミはもう1つ、ずっと気になっていたことを思い出した。

 何やらまだ言い合い――と言うには色々一方的だが――を続けていた2人に、一旦中止の合図を出すかのように問いかける。

 

「ねぇねぇ」

「ん?」

「なんだよ、邪魔するんじゃね――」

「罰ゲームって何のこと?」

 

 確かヨハンがチラッとそんなことを言っていたはず。

 食堂に移動している時もそのようなことを言ってアダムをからかっていたのだが、エミは何か用事に関係することだと予想し、何の用事か聞けばその疑問も解決すると思っていた。だけど、今まで聞いた話だとあまり関係ない気がする。

 

「あぁ、そりゃ――」

「さて飯も食ったことだしそろそろ準備を始めなきゃな。ヨハンも朝練そろそろ始める時間だろう? さっさと行こうぜ」

 

 ヨハンの答えを遮るようにアダムが立ち上がり、態度を180度変えてやや早口でまくし立てる。

 どうやらあまり触れられたくないことらしい。

 ここまで来て謎を残したまま終わるのも気持ち悪かったので、エミはその胃袋にきっとまだ硬いまま収まっている黒パンごと吐き出させるつもりで、アダムに切り札を出すことにした。

 

「言わなきゃ1年前の女子風呂覗き未遂事件を、教官と女の子たちにばらす」

「! おい待て! 何度も言ったがあれはヨハンにだまされてだな……」

「ばらす」

「そもそもあれは、お前が俺をしばらく訓練出来ないほどボコボコにしてチャラになったはずじゃ……」

「脚色してばらす」

「するなよ! 分かったよ畜生!」

 

 アダムはその場で立ち上がり、もう一度そのまま腰を下ろすこととなった。

 こういう動きのオモチャを昔持ってた気がする。腰を下ろすくだりはかなり勢いづいていたが。

 

「それで、罰ゲームって何?」

「知らねーよ」

「そんなにばらされたいの?」

「まだ決まってないって意味です」

 

 素直でよろしい。

 とっておきの刃をちらつかせ、アダムを服従させる。

 だが返ってきた言葉の意味がよく分からなかった。おつかいとはやはり関係ないのだろうか。

 少し首を傾げると、やはり人のことを見透かしているのだろう、よく理解できてないエミにヨハンがきっちりと説明してくれた。

 

「どんな命令にも絶対服従って内容の罰で、何をやらせっかは今オレが考え中ってこと」

「あ、そゆこと」

 

 非常に分かりやすい。こういう頭の良いところはアダムも見習うべきだ。他の部分はおすすめしないが。

 

「でも、なんでそんなことになったの? おつかいとは関係ないよね?」

「あーっと、一応昨日どっちがそのおつかいに行くか勝負をしてな。用件を聞いた時に『2人のどちらかでもかまわん』って教官に言われたから」

 

 なるほど、だからヨハンはあんなに詳しかったのか。エミは心の中で頷いた。

 

「それで昨日、一応決着はつけたんだけど、朝こいつが駄々をこねだしちまってな」

「おい、人を子供みたいに言うな」

「アダムはちょっと黙ってて」

「さっき喋れって言ってなかったかお前!?」

 

 アダムが机を叩きまた立ち上がる。

 うるさかったのでエミはもう一度目で「ばらすぞ」と伝える。どうやらうまく相互理解を得られたようで、「またこのパターンか……」としょんぼりしながらおとなしくアダムは席に着いた。

 こういう素直さをヨハンにも欲しいところである。足して割ってあげればちょうどいいかしれない。

 エミはやや思考が脱線しかけたが、とりあえず今は置いておく事にした。

 

「それで? 駄々こねてどうなったの?」

「そんでもう一回勝負しろっつうから、その罰を追加して勝負してやって、見事オレの勝利」

 

 ヨハンがアダムへ勝ち誇った笑みを送る。

 

「あれは絶対イカサマだ」

 

 どうやら黙るのを我慢できないほどのポイントだったらしい。視線を横へそらしながらもアダムはつぶやいた。

 もう一度エミが視線だけで会話しようと試みたが、アダムはやや怯みながらも「イ、イカサマだ」と突っぱねるように抗う。

 本当に初めてのおつかいに行く子供のようだ。仕方ないので、エミはアダムの言葉を喋る権利を認めることにした。

 エミは一旦仕切り直すため、上目遣いで睨んでいたせいで顔を隠してしまっていた髪の毛を耳の後ろにかけて、話を進める。

 

「それで、イカサマって言ってるけど、どんな勝負したの?」

「……ジャンケンだ」

「……なんでそんな深刻そうなのよ」

 

 エミは聞かなきゃよかったと思いながら大きなため息をついた。

 とっておきの切り札を出したにしては得られたものが下らなすぎる。今度また使うことにしよう。

 損した気分になったエミは、切り札を通常武器として今後使うことを密かに決意した。

 

「というか何でジャンケン? こういう時はコインで決めるでしょ普通」

 

 ジャンケンはそれ自体が完結した遊びであり、一般的にこのような場合コインの表裏で決めるもののはずだ。

 

「……コイントスじゃあ一回も勝ったことない」

「じゃあジャンケンならあるの?」

「……そういえばジャンケンでもない」

「そっか、いつか勝てるといいね。じゃあ行ってらっしゃいアダム」

「待て! 俺の話を聞け! あれはイカサマだきっと!」

 

 アダムが右手の平を突き出して必死に食い下がる。

 少し面倒くさくなりそうな兆しを感じたので、なるべく優しげに励まして話を切り上げようとしたのだが、中々にしつこい。

 エミは自分に言われても困る気がしていたが、ちょっとアダムが必死だったので、改めて座りなおし話を聞いてあげることにした。

 

「それで、イカサマって? たかがジャンケンでどんなイカサマされるっていうのよ」

「内容は分からないけど、イカサマだ」

「それはイイガカリってやつだと思う」

「グッ……! だけど、1回も勝てないっておかしいだろ!?」

 

 相手がヨハンならありえそうな気がする。

 エミがそんなうすら寒さを感じていると、当の張本人がこちらを手招きして呼び寄せてきた。

 

「エミ、ちょっと耳貸せ」

「? 何?」

「いいからいいから、あのな――――――――――」

「…………えぇー? それホント?」

「マジだって。ちょっとやってみ」

 

 エミは耳打されたその情報にやや不信げな声をあげた。確信を持ってるヨハンがちょっと信じられない。

 アダムはこちらの密談に不審な様子を感じたのか、机を挟んだ向かい側から少し眉をひそめてこちらを見つめている。

 エミはとりあえず、ヨハンに言われたとおり実行してみることにした。

 

「なんだよ、2人でこそこそしやがって」

「…………ねぇアダム。私ともジャンケンしよっか?」

「は? なんで?」

「まあまあ、いいからいいから」

 

 こちらの少し強引な様子にアダムは、「まあ別にいいけど」と渋々ながら承諾して右手を出す。

 

「それじゃっ……あ、井戸はどうする?」

 

 井戸。それは石、鋏、紙の三すくみの関係を利用したジャンケンの勝負に加えられる、ちょっと反則に近い特別ゲスト。親指を人差し指と中指に合わせ、手に井戸の穴を模した形で勝負の場に出される。

 井戸はその穴に石と鋏を沈めて勝ち、紙にはその穴を塞がれて負ける。あいこを除けば、3分の2で勝てるということだ。

 これを加えると、両者で繰り広げられる心理戦はより複雑なものとなり、いきなり出されたりするとちょっと反則に近いものがあるので、事前に井戸を入れるかどうかの確認は一応必要なのだ。

 

「ん? あー、そうだな……」

 

 アダムが視線を逸らす。――今だ。

 言葉を思い浮かべる前にエミの体は反応していた。

 

「じゃあ無しね、ジャンケン――」

「え? あ、」

「ポン!」

 

 五指を揃えた手の平をアダムに見せる。アダムは慌てて握りこぶしを出していた。

 こちらの勝ちだ。

 

「はい私の勝ちー」

「待て! 今のは卑怯だぞ!」

「何でよ、ちゃんと確認もしたじゃない」

「俺は同意してない! 今度は俺が決めるぞ!」

「どーぞご勝手に」

 

 ジャンケンは基本3回勝負で行われる。まずは1勝。

 余裕の笑みを浮かべてアダムを見るが、何やら顔をしかめて黙りこんでしまった。考えすぎてる。

 どうやらヨハンの言った通りのようだ。

 

「…………よし! 次は有りだ!」

「分かった。じゃあ行くよ? ジャン――」

「ケン――!」

『ポン!!』

 

 先ほどと同じく、五指を揃えた手の平。アダムも同じく握りこぶし。ただ、そこに込められた力は先ほどよりも強い意思が感じられた。

 こちらの完全勝利だ。

 

「おお、ホントに勝っちゃった」

 

 ヨハンに『パーだけ出しときゃ勝てる』と言われた時はちょっと半信半疑だったのだが。

 

「……おい、ヨハンに何吹き込まれた」

「ネタ元は企業秘密よ」

「ネタ元は分かってるんだよ畜生!」

 

 アダムは「俺はタネが知りたいんだよ!」と両手で机をバンバン叩きだした。

 机がかわいそうだからやめてあげるべきだ。

 

「あーあ、また負けちまったなおい」

 

 全ては俺の思うがままだ、と言わんばかりの余裕の態度。ヨハンは頬杖をついて足を組み、笑みを浮かべている。

 エミは『最初は井戸の確認とってタイミングずらせ』と『2回目は勝手にやらせろ』とヨハンから言われたが、不意をつかれてグーを出してしまうのは分かるけど、2回目も絶対にグーを出してしまうものだろうかと疑問を感じていた。『あせって考えすぎたらあいつグーしか出せなくなるから』とは言ってたがまさかと思っていた。

 結果は案の定だった。

 

「くそっ! 何なんだ一体!?」

 

 アダムは本気で分からないらしく未だに机を叩いている。しかしヨハンの様子と戦績だと、本当に毎回グーを出しているようだ。

 ヨハンはアダム自身以上に彼のことを理解しているらしい。悪い方向にしか利用してないみたいだが。

 

「さて、それじゃエミも考えとけよ。例の罰ゲーム何やらせっか」

「……ん?」

「……あ?」

 

 アダムと全く同じタイミングで出た声。違いは口が開いてたかどうかだけ。

 ヨハンが何を言っているか分からなかったが、エミはとりあえずアダムを陥れた時の会心の表情をしていることだけは分かった。

 

「おい、何言ってんだお前は」

「何って、今までの話の流れだとそーゆーことになんだろ?」

「え、今のおつかい行きがかかってたの!?」

 

 聞いていない。そんな大事なことは言っておいて欲しい。

 

「おい、本人もこう言ってるぞ」

「けどエミ、『私ともジャンケンしよっか』って言ったよな?」

「う、うん」

 

 反射的に頷いたものの、エミはあまりその場の展開に付いて行けてなかった。

 エミのその動作を注目させるかのように、ヨハンがこちらへ右手を向ける。

 

「ほらな、『同じ条件で私ともしよう』ってちゃんと言ってんじゃねーか」

「! なんでそうなる! こじつけもいいとこだろ!」

「オメーの朝のこじつけよりマシだ」

「あれはこじつけじゃ――! ……無い、と、思う」

「ちょっとでも自覚があったみてーで何よりだ」

 

 一体何のことだろう。もしかして駄々をこねた辺りの件のことだろうか。

 エミは置いてけぼりにされている気がして、少し寂しかったりした。

 

「という訳で、目には目を、歯には歯を、こじつけにはこじつけを。罰ゲーム決定な」

 

 会心の笑顔。今日一番のニヤリだ。

 ヨハンはまるで敗北を告げるようにアダムへ指を突きつけた。

 何も言い返せず肩を落とし意気消沈しているアダムを見ながら、エミは状況を整理するため勝者の雰囲気を出しているヨハンにお伺いを立てることにした。

 

「えっと……ヨハン? ちょっと聞いてもいいかな?」

「おう、何でも聞いていいぞ」

「つまり、どーなったの?」

「なんで分かってねーんだよオメーは」

 

 体がガクッとなり、座学の時間の教官のようなセリフを言うヨハン。

 馬鹿にされては無いが、とりあえず呆れられていることだけはエミにも分かった。何故かは分かっていなかったが。

 

「とりあえずオメーの勝ちってことだ」

 

 余裕を取り戻したヨハンがこちらにウインクをする。

 中々にその仕種が似合っていた。背の小ささと外見の幼さで完全に悪ガキのようだ。

 

「えーっと、じゃあ、とりあえずおつかいは代わりに行かなくてもいいんだよね?」

「……そこからかよ。勝ったんだから当たり前だろうが」

 

 良かった。折角の休みが台無しになるところだった。

 エミはホッと胸を撫で下ろした。

 

「しかも特典付きだ。どんな恥ずかしいことやらせるか今のうちにじっくり考えとけよ」

 

 言葉が弾んでいる。楽しくてしょうがないらしい。

 

「特典……。あ、そうか」

 

 勝った方は何でも1つだけ命令することが出来る。

 アダムのイカサマ話になる前の話の流れをエミはやっと思い出し、有頂天になった。

 

「やった! 私ずっとアダムにお願いしたいことがあったんだよね!」

「嫌な予感しかしないな、その笑顔は……」

「だいじょうぶ! きっとヨハンの罰ゲームに比べたら全然マシだよ!」

「全く希望的な材料になってないよな、それ……」

 

 アダムがうつむき加減でこちらを盗み見る。どうやら状況を受け入れることに決めたようだ。かなり無茶苦茶だと思うのだが、何も言い返せなくなっている。

 そんな状態の彼を見てエミは、朝に一体どんなこじつけでヨハンに対抗したのか気になったが、結局ヨハンの掌の上で踊らされているようなのでこれ以上の詮索はやめておいた。

 確かにかわいそうだが、権利を放棄するつもりはさらさら無い。

 

「それで、お願いってなんだよ?」

「なるべくじっくり真綿で首を苦しめて、ギリギリで死ねないようなやつで頼むぜ」

「お前には聞いてないんだよ! というかそれはただの拷問だ!」

 

 今度はドンッと殴られる机。いい加減、机の方がかわいそうになってきた。

 エミが木製の机を心配し、ひびでも入ってたら教官にアダムがやったと密告してやろうと思っていた時、2人が静かにこちらを注目していることに気づいた。いつものやり取りへ移行せず、こちらの答えを待っているようだ。

 少しだけ、言うのが恥ずかしくなってきた。

 

「あーっと、えっと……内緒で!」

「実行させる本人に内緒にしてどうするんだよ」

 

 アダムが目を細てこちらを見つめる。その青い瞳は「面倒だからさっさと済ませろ」と言っていた。

 

「えーっと……じゃあ、アダムがおつかいから帰ってきてから言うことにする……」

「なに恥ずかしがってるんだ? 気持ちわり――」

「気持ち悪いとか言うな!」

「――いヂィッッ!!」

 

 アダムの脳天に乙女の手刀を喰らわせる。顔はやめておいたのだが、どうやらまた舌を噛んだようだ。

 その一撃には怒りも込められていたが、恥ずかしさをごまかすためでもあった。

 

 

――――アダムとは奇妙な因縁がある。とは言っても、別に前世とか先祖代々のものとか大仰なものではない。

 単純に、出会い方が最悪だった。

 今は大分ヨハンの影響を受けてしまっているが、アダムは入団時かなりの田舎者で、純粋で朴訥とした少年だった。少し老けていたけど。

 田舎者過ぎて何も知らず、自分の「シャルロッテ」という名前の違和感に気付いてなかった。周りがその名前を笑っているのも分かってない様子だった。

 そんな彼を、キョトンとした顔で周りが何故笑っているか聞いてくる彼を、エミは爆笑してしまったのだ。丁寧には説明してあげたのだが。

 その後も、彼の「何故誰もあだ名を呼ばなくなったのか」という質問に、「気持ち悪い」だの「巨人に名前を呼んでるみたい」という素直な感想を吐いてしまったことがあったりした。

 そんな出会いを経たからか、アダムには何となく苦手意識を持たれていた。殴ったり、蹴ったり、手刀を喰らわしたりしてるのも原因があるだろうが、それはほんの些細なことだ、とエミは思っている。

 だが不思議なことに、アダムとの関係は3年という訓練期間の中で同期の誰よりも深まった。周囲にはヨハンも含めた3人で1セット扱いされる。たまに迷惑な時があるほど。

 顔を合わせる度に「げっ」と言われたり、よくケンカ――外からは一方的な暴力に見えるらしい――もしていたが、なんだかんだ言っていつも行動を共にすることが多かった。

 険悪になってもおかしくないのに、本当に人との縁とは謎だらけだ。

 エミは偶に2人といる時にそんな風に思ったりする。けれど、付き合っていくうちに知った彼のぶっきらぼうな優しさや、3人でいる時の馬鹿なやり取りをする楽しさ。そういったものに非常に居心地のよさを感じ、エミの心の中ではヨハンを含めて2人とも、親友のようなものだとも思っていた。

 だからこそ、エミには常々納得できないことがあった。

 

 

「――――! …………!!」

「おい、イテーのは分かったから少し落ち着けよ。あと死ぬならオレの罰ゲームやってからにしろよ」

「……! …………」

「…………? あれ? おいシャル、大丈夫か。 ……おい、返事しろシャル!」

 

 それはズバリこれ、「シャル」という呼び名だ。

 正確に言うとヨハンには「シャル」と呼ばせるのに、自分には決して許さないという点だ。

 一度だけさりげなく呼んでみたのだが、「また馬鹿にしてるんだろ!」とすごい剣幕で怒られた。どうやら名前に関して色々とまずいことを言ってしまったのをずっと根に持っていたらしい。

 本当に納得いかない。散々謝ったというのに。

 実際は謝ったといっても、最終的に肉体言語で訴えてしまったところがあり、それがなおさら恨みを加速させていた。アダムには不思議とすぐに手が出てしまうエミだった。

 

「シャル……死んじまったか。じゃあ罰ゲームはオメーの亡骸でやることにするぜ」

「ヒンデヘーヨ! アホホヘハヤメホ!」

「なんて言ってっか全く分かんねーよ」

 

 アダムが蘇り奇声をあげる。全面的にヨハンの言うとおりだ。

 2人に聞かれたら馬鹿にされそうな気もするが、エミとしてはそんなところに少し仲間外れな気分を味わったりしていたので、良い機会だから自分にも「シャル」と呼ぶのを許すようにお願いするつもりだった。

 けれど、何だか急に照れ臭くなってしまった。

 いまさら何を言ってるのかと思われそうだし、ヨハンにはからかわれそうだったので、とりあえずその場をごまかすための手刀だったのだが、どうやらやりすぎたみたいだ。

 エミは少し申し訳なくなり、おずおずとハンカチを差し出した。お気に入りだが仕方ない。

 

「ご、ごめんねアダム。まさか舌を切り落とすことになるなんて思ってなくて……」

「まだ繋がってるよ! というかさすがに死ぬぞそんなんなったら!」

 

 アダムがハンカチを奪い取る。ちゃんとしゃべったらまだ痛いのか思いっきり顔をしかめていた。

 でも、心配してたほどではないようだ。よかった。

 エミはそれなら少しハンカチがもったいなかったかな、という気がしていた。

 

「それにしてもシャル、お前そんなのんびりしてていいのか? そろそろ出発したほうがいいんじゃねーの」

 

 ヨハンが窓を親指で指し示す。

 意外と時間が経っていた。太陽は完全に顔を出しており、皆もそろそろ食堂に顔を出す頃だろう。

 

「別にのんびりしてたわけじゃないんだけどな、俺は……。一体誰のせいだと……」

 

 アダムが口元の血を拭きながらゆっくり立ち上がる。かなりお疲れだ。

 

「あ、そのハンカチ――」

「気に入ってるやつなんだろ? 悪いな、帰ってきたらちゃんと洗って返してやるよ。そんときにお願いとやらも聞いてやる」

 

 別に洗わなくても良い、と言おうとしたのだがアダムに先回りされた。

 自分がさせた怪我で付いた血なのだから、そこまでさせるつもりは無かったのだが。

 けれどエミは興味が無さそうにしながらも、ちゃんとこちらのことを慮ってくれるその優しさが少し嬉しくて、素直にアダムに甘えることにした。

 

「うん、分かった。お願いするね。ありがとうアダム」

「へいへい」

 

 アダムがこちらに背を向けながらヒラヒラと手を振る。

 そのまま食堂の出口へと向かって行く彼の背中に、エミも手を振りながら声を掛けた。

 

「行ってらっしゃーい、気を付けてね」

「分かってるよ」

 

 アダムは振り返りもせず、またも興味無さそうに返す。

 こちらを向いて「行ってきます」と言わない彼に少し不満を抱きながら、エミは何ならここで「シャル」と呼んでやれば驚いて振り返るかもと思ったが、後の楽しみが減ってしまう気がしたのでやめておいた。

 ヨハンも朝練へと向かうのだろう、こちらに「じゃ、またな」と言いながらアダムを追いかけて、彼の背中を叩く。

 エミはその後また何か言い合いながら食堂を出て行く2人をジッと見つめた。どうやら行き先が違うようで、外に出たと同時に2人は別れていた。

 

(うーん、何か気に入らないなぁ)

 

 エミはアダムへ振った手をそのまま机に下ろし、頬杖をつきながら消化不良な気持ちを心の中でこぼす。

 せっかくこちらが心配してあげたのに。「行ってきます」は無くてもせめて「ありがとう」ぐらい言うべきではないだろうか。

 そんなことをぼんやり考えて、そういえばあの硬い黒パンを持ってきたお礼も結局もらってない、ということに気付き少しだけムッとしてアダムの消えていったほうを睨み付けた。

 でも、まあ仕方ない。エミの知る限り、アダムのあんな態度はいつものことなので、いまさら目くじらを立てても無駄なことだ。

 エミは目元に込めた力を抜き、その険しい表情を自然な表情に変えため息をつく。そして気持ちを切り替えて、とりあえずもうすぐ朝食の当番が来るはずなので、そのまま食堂で朝食を待つことにした。

 今日は休日。もしかしたら朝食の時から白パンが食べられるかもしれない。

 エミはそんな期待に、あまり大きくない胸を膨らませながら、つい白パンのやわらかな食感を思い出してこぼれてしまったよだれを拭いた。誰もいなくて良かった。

 あまり期待しすぎるのも良くないと考え直し、エミは1人で頷きながら自分を戒めた。後で来るガッカリ感が大きくなってしまう。

 休日だからといって朝食は豪華にならない。中には外出許可をもらって、アダムのように朝食も食べず朝から出かける者もいるので、余ってもいいような保存のきくありあわせで済ませられることがほとんどだった。

 しかしその代わり、全員が揃う休日の夕食は明日からの訓練の英気を養うために、いつもよりも少しだけ豪華になる。たとえ朝食には白パンが出なくても、夕食ならば確実に出るのだ。

 エミはとにかく白パンが好きだったので、先ほど戒めた朝食への期待は忘れ、確実に白パンが出る夕飯へと心を移す。

 再びこぼれだしたよだれを拭きながらも、顔がほころんでしまうのは止められなかった。

 

(ん? 白パン――――――! そうだ!)

 

 いいことを思いついた。

 ガタッと音を立てて席から立ち上がり、エミは子供のような無邪気で明るい表情をたたえ、素早く食堂の出口へと向かった。

 

(アダムは――――いた!)

 

 急いで外に飛び出したエミはすぐにアダムが去った方角へと目を向け、少し遠くにいるその後ろ姿を見つけた。短めに整えられた黒髪を風がなびかせ、人よりも少し太陽に近いその頭の熱を冷ましてあげている。

 

「おーい! アダムー!」

 

 その大きな歩幅で早く行ってしまったのか、それとも少し急いでいたのか分からないが、思ったよりも遠くに見えるその背中へ呼びかける。見間違えようの無い、人よりも頭1つ分ほど背の高い、背筋がきれいに伸びているその見慣れた後姿へ。

 エミの基地全体に響きそうな大声が届いたのだろう、アダムは先ほどと違いこちらを振り返る。

 何とか表情も分かる位置だったので、アダムが迷惑そうな顔をしているのがエミには分かった。うるさいとでも思っているのだろう。

 ならば、その表情を喜びに変えてやる。そしてお礼を言わせてやる。エミは心の中でほくそ笑んだ。

 

「エミ、うるせーぞー。まだなんか用かー?」

 

 案の定、アダムが迷惑そうな声をあげる。

 食堂の出口付近で立ち止まっているエミに聞こえるぐらいの声量。声の調子も合わせて、大分エミと温度差があるようだった。

 それに構わずエミは先ほどと同じ、どこまでも響きそうな元気の良い声をあげた。

 

「あのねー、1つ良いこと思いついたのー!」

「だから、用があるならさっさと言えー」

 

 アダムは体全体をこちらへ向け、両手を腰に当てる。迷惑そうにしながらも、ちゃんとこちらの話に耳を傾けてくれていた。

 

「今日は夕飯に白パン出るけど、夕飯の時間にはアダム戻れそうに無いでしょー?」

「なんだ、わざわざ嫌味言いにきたのかー?」

「だから、アダムの白パン取っといてあげるよー! 消灯時間までに帰ってこれたら渡してあげるー!」

 

 どうだ、嬉しいだろう。エミは自信満々にアダムを見据えた。

 だが想像と違い、アダムは少しキョトンとしている。あまり嬉しくないのだろうか。確かに、元々彼の物だからそこまでお得感は無いかもしれない。

 欲張りな奴め。

 エミは仕方なく、身を切る思いで用意していた第2案をアダムへ告げた。

 

「それと、私の分の白パンもおまけで付けてあげるー! 罰ゲームのお礼にー! だから、頑張って行っておいでー!」

 

 これで文句無いはずだ。

 エミは自信満々だったが、今日の楽しみが1つ減ってしまったことを少しだけ嘆いてもいた。でも、自分が言い出したことなのだから仕方ない。

 それに、これで少しは楽しみながらおつかいを頑張れるだろう。せっかくの休日なのだから、嫌な気分で出かけるのはもったいない。

 しかも、何といっても白パンだ。

 白パンさえあれば世界も救えると言わんばかりの自信。真実はともかく、エミにとって白パンは絶対だった。

 そんな自分の白パンを差し出したのだから相手も喜んで釣られるだろうと確信し、どんな嬉しそうな顔をしているか確認してやろうとアダムへ目を凝らそうとした時、後ろからヨハンの声がエミを追い抜いていった。

 

「おいシャルー! おまけのおまけで、オレの白パンも付けてやるよー! だからさっさと済ませてこいよなー!」

 

 ヨハンもまだそんなに遠くへは行ってなかったらしい。彼の声がアダムに届いたのを確認して、エミは愕然とした。

 真似された。

 アダムにお礼と出発の挨拶を言わせたかった下心もあったが、自分の善意から生まれた計画をそっくりそのまま実行されたことが悔しくて、エミは後ろを振り返りヨハンにジト目を向けた。ただでさえ小さい上に遠くにいるから豆粒みたいになってるくせに、その赤みがかった髪が遠目からだとより赤く映え、その笑顔と一緒に強く自己主張している。余計に憎たらしい。

 と、ヨハンに意識を傾けていた時、風と一緒に届いた穏やかな声がエミの思考をさらった。

 

「罰ゲームにお礼したら、罰にならないだろ。バーカ」

 

 それはあまりにも小さくて、きっと本当は届かない、風の気まぐれが運んできた声。

 思わずエミは振り向いた。その優しい音に耳を奪われて。

 そして、振り向いた先にあった穏やかな微笑みに、目も奪われてしまった。

 口元は、笑顔がこぼれてしまわないように、そっと静かにその想いをかみ締めている。目元を和らげた彼の青い瞳が、まるで慈しむように、ゆっくりとこちらへ投げかけられている。遠くにいるはずなのに、その表情は何よりも自分の心に近づいていた。

 その微笑みを、エミは何度か見たことがあった。

 彼が自らの母を思い出す時に浮かべる顔。大切にしまっている想いを、失くさないように少しだけ箱から取り出して見つめる。そして、もったいないとでも言うように、箱にすぐしまう。そんな、刹那に見せる表情。

 きっと彼の母も、そんな表情で彼のことを見守っていたのだろう。そんなことさえ分かってしまう穏やかな微笑。

 そして、失ってしまった人だけに向けられていたそれが、今、自分に向けられていた。

 

 ドクンッ。

 

 心臓が大きく波打つ。

 時間の感覚を失いながらも、アダムがまたこちらに背を向けた時にエミはやっと自分を取り戻せた。どうやら一瞬のことだったようだ。

 それからエミは、憎憎しく思いながらゆっくりと今の状況を浸透させた。これしきのことでフリーズしてしまう、自分のポンコツな頭へと。

 

(ずるい、ずるすぎる!)

 

 不意打ちとはあまりにも卑怯だ。しかも全然言っている内容と言い方が合ってない。詐欺だ。

 復旧したばかりの頭で、最終的にアダムが全部悪いという結論を出す。顔が赤いのもきっと彼への怒りのせいだということにして。

 血が上りすぎて熱くなってきた顔面を何とか冷やそうとして、エミが両手で顔を必死にあおぎ始めた時、すでに後姿となっていたアダムがそのままで声を掛けてきた。

 

「自分で言い出したんだから、絶対にちゃんと取っとけよ! それじゃー…………行ってきます」

 

 不思議な間を空け、最後はギリギリでこちらに聞こえる程度の声。耳もかなり赤い。

 アダムは何故か恥ずかしがっていた。

 ただの「行ってきます」がなんでそんなに恥ずかしいのだろうと疑問を覚えたが、そんないつもの少し抜けているところがあるアダムを見て、先ほどの卑怯な不意打ちの溜飲が下がったのでエミは意外と満足していた。それに、目的の半分も達成されたこともある。

 もう1つのお礼の「ありがとう」は白パンを渡す時にでも言わせてやろうと自分を納得させ、エミは遠ざかっていくアダムへ最後にもう一度見送りの言葉を送った。

 

「行ってらっしゃーい! 気をつけてねー!」

 

 エミの大声が届いても、相変わらずこちらに背を向けたまま手をヒラヒラさせるだけで去っていくアダム。

 いつの間にかヨハンも消えていた。おそらく朝練に向かったのだろう。再び1人取り残されたエミだったが、先ほどと違ってその心は晴れ渡っていた。

 きっと今日は良い日になるに違いない。そんな期待混じりの予感に身をゆだね、エミは軽い足取りで食堂へと戻る。そして、例のお願いを変えようか少し悩んでいた。

 もう一度、あの笑顔を見せてくれと頼んだら、彼はどんな顔をするのだろうか。

 きっと不機嫌になるに違いない。エミはそう思いながら、馬鹿なことを考えた自分に呆れて頬を掻く。

 その頬は、彼女の心に刻まれた彼の微笑で、少しだけまだ赤かった。

 

 

 

 

 

 

 

『―――-この時の私は、知らなかった。もう二度と、彼のあの穏やかな微笑を、見ることは出来ないのだということを』

 

 




長くなってしまいました。グダグダですみません……
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。