進撃の巨人 For the past five years   作:灰かぶり

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 誤字・脱字・エトセトラトラ……色々訂正しました。投稿する前に読み返すと「よしっ!」って思うのに、投稿した後読み返すと「……何じゃこりゃ」と思う不思議。小説って難しい……。
 文章自体は変わってないです。が、ここまで読んでくださっていた方には読み辛かった点、お詫び申し上げます。何とか今後に反映させていきたいと思います。
 なんかどうすれば良いのか分からず文もフラフラしてスランプ気味ですが……。

 それでも読んでくださっている方のおかげで、そしてお気に入りや感想まで頂けたので、何とか頑張っていけそうです。本当にありがとうございます。

 それでは後半戦、シガンシナ区(アダム)編。張り切って! ……は、いけないかもしれませんが、ドーゾ!




第5話 異端者

 エミが祈りを捧げる前、沈んでいた太陽がまだ人々をその高みから見下ろしていた頃。

 アダムは迷子になっていた。

 

「…………あれ?」

 

 基地から出発して長い時間を馬上の人として過ごし、アダムは何とかシガンシナ区へたどり着いていた。

 途中で休憩を挟みつつも、どんどん悪化していく臀部の痛み。予定より少し遅れてしまっていたので、時間を取らずに我慢した昼食分の空腹。そして馬のご機嫌を取りながら酷使した疲労困憊の体。

 限界だった。道中に何度も『俺なんで見ず知らずの人妻のためにこんな頑張ってるんだろうな』と馬に語りかけるほど、アダムは精神的にも追い詰められた。

 しかしその度に『罰則喰らうよりはマシだから、しょうがないよな』と馬に言い訳しながら頑張り続けた結果、たどり着いた目的地。そしてそのシガンシナの玄関口である門で、酒を飲み酔っ払っていた門兵たちに絡まれながらも、何とか医者の自宅までの道順を聞き、馬を預けての逃亡劇。

 訓練兵のジャケットがまずかったらしく、アダムは散々先輩兵士たちの酒の肴にされてしまっていた。

 そんな苦しい道のりと余計な試練を乗り越えたアダムは、ずっと目指してきた地に足を踏み入れた感動で、何とも言えない達成感に包まれた。ただの折り返し地点だということは忘れて。 

 臀部の痛みからは解放されなかったが、多めにもらった薬代の資金を使い美味い物でも食べようと画策し、気分も良くなり体も軽くなったアダムは意気揚々と街を歩き始めた。

 しかし、それがいけなかったのだろう。

 完全に調子に乗ってしまったアダムは、聞いたはずの道順を外れて、完全に道に迷っていた。

 

「…………えーっと」

 

 どうしよう。時間はあまり無いのに。

 アダムは人気の少ない道のど真ん中で仁王立ちし、ボンヤリと焦りながら空を見上げた。

 太陽はすでに東から西の空へとその身を移していたが、人が生きる地上の法則には縛られないのだろう、その沈んでいく落下速度は目では分からないほど緩やかだ。雲ものんびりと漂い、その広大な青空の中、行く当ての無い旅路をゆっくりと楽しんでいる。雲と戯れるように飛んでいる豆粒サイズの鳥、彼らもきっと長閑に鳴いていることだろう。

 その穏やかな時の流れを感じさせる景色に自分を投影しながら、アダムは現実逃避した。

 実はかなり焦っていたのだが、人間焦りすぎると逆に落ち着いてしまうらしい。

 解決策よりも何故こうなってしまったのかを暢気に考え始めたが、それが「食べ物の匂いにつられてしまった過去の俺」という答えにたどり着き、自分に軽く絶望してしまった。

 大きなため息を吐いて俯いた視界の先には、雑草が生い茂るでこぼこな汚い地面。穏やかな景色から容赦なく変化したその景色は、今は綺麗に舗装されている広い道に居なければならないはずなのに、ということを嫌でも教えてくれる。

 現実とは残酷だ。

 

(でもまあ、何とかなるかな)

 

 とりあえず誰かに道を聞こう。ただでさえ方向音痴を自覚――行軍訓練で迷子になり性悪コンビに笑いものにされて――していたアダムは自力で解決することを早々と諦め、他力本願な目標を定めて周りを見渡した。

 大通りまでたどり着けばいいだけだし、もしかしたら例の医者の自宅まで案内してくれるかもしれない。

 そんな期待とは裏腹に、周囲には全く人の気配が無い。どうやら人を探すところから始めなければならないらしかった。

 

「……何とか、なるのか?」

 

 本格的な焦りからもれたそのつぶやきは、静かな路地裏を空しくさ迷った。

 

 

 

 

 木造の家が立ち並ぶ様は、自分の故郷に近しいものがある。アダムは人を探すために、覚えている限りの来た道を戻っていてたまたま出た通りを見渡しながら思った。

 本当はこんなに立ち並んでないし、家の造りももっとボロボロ、つまり共通点は木造という点だけだったが。心の中で見栄を張っても罰は当たらないだろう。

 そんな納得をして見事な巨人対策を成す、途切れること無く並ぶ高い家々を見上げた。

 

 巨人には弱点がある。それは首のうなじ部分、縦1メートル横10センチの範囲の肉を削ぎ落とすことだ。

 そこさえ削ぎ落とせば巨人は死ぬ。逆を言えば、そこ以外では例え頭を吹き飛ばしても巨人は回復してしまう。

 つまり、巨人と戦うためには何よりも高さがいるということだ。弱点により近づくために。

 そのために兵士は立体機動装置という特殊な装備を操る術を身につけなければならないが、それを生かすためには何よりも十分な高い建物が必要である。

 だからこそ巨人が密集してくる行政区では、他の土地に比べて建物はより高く、足場にするためにより多く作られる。

 

(確かそんな風なこと言ってたよな)

 

 何でトロスト区の建物が高いのかエミに聞いた時に教えてもらった内容を反芻しながら、アダムは改めてその答えが真実であったことを実感していた。

 トロスト区以外の行政区を見たことがなかったし、彼女の答えは半分以上が自らの故郷自慢になっていたのであまり信用していなかったのだが。どうやら謝らなければならないらしい。

 アダムはそんな殊勝な気持ちを一瞬抱いたが、その後何て基本的なことを知らないんだと笑われたことを思い出したので、やっぱりやめておくことにした。

 しかもよりによってヨハンに告げ口するとは。むしろ改めての謝罪が欲しくなってきていた。

 

「ちょっと、そこの若いお兄さん」

 

 ヨハンのにやついた顔、そして『田舎者じゃなくて、ただバカなだけだなそりゃ。むしろ田舎に住んでる人に謝れ』という言葉を思い出しアダムが悔しくて歯軋りしていた時、後ろから肩を叩かれた。

 振り向くとそこには妙齢のご婦人がいた。かなり恰幅のいいオバサン、子供が10人くらいいそうだ。

 

「あんた、こんなところに突っ立って何やってんだい?」

「……え、俺?」

「当たり前だろ? 他に誰が居るのさ」

 

 彼女はその肉付きのいい体を揺らしてため息をついた。無理もない、わざわざ肩を叩いてまで呼びかけた人物がとぼけたことを言い出したのだから。

 しかしアダムは急に現れた彼女に驚いて、頭が真っ白になっていた。いつの間に後ろにいたんだと驚き、まん丸な目をして彼女のまん丸な顔を見つめた。

 

「大丈夫かいアンタ? さっきから呼びかけても反応しないし。ずっとうちの方見てたみたいだけど、なんか用かい?」

 

 アダムが見上げていた先にある家へチラッと視線を移し、改めて目を眇めながらこちらを見つめる。どうやら彼女の家だったらしく、怪しまれているようだった。

 アダムは慌てたが、少しホッとした。

 正面から顔を見られていたら、不審者として躊躇なく通報されていたかもしれない。中々に奇妙な百面相を披露していた自覚はあるし、歯軋りはさすがにまずい。

 

「あ、あの、俺は別に怪しいもんじゃ……」

 

 アダムが頭と両手を同時に振ってアピールする。慌てた分だけ、その速度は増していた。

 

「……怪しい奴は皆そう言うけどね」

 

 どうやら悪化させたらしく、目つきが不審者を見るものになっていた。

 まずい、これは通報されるかもしれない。駐屯兵団に事情聴取されて教官にばれた時のことを考え、アダムは余計慌てた。

 何とかしなければと焦りながら弁明の言葉を探す。

 

「え、と。その……すみませんでした」

 

 謝罪しかなかった。

 これは不審者であることを認めてしまったんじゃないかとアダムは思いながらも、とにかくこの場をしのぐことを優先する。というより、この場から逃げ出したい。

 単純に、自分が人見知りであったことをアダムは思い出していた。

 こちらのか細い様子から、不審者でもこいつなら何とかなりそうだと判断されたのか、彼女は腕組みをしながらその目つきを解いてくれた。

 

「まあ別にいいけどね。どうやら訓練兵さんらしいし。それで?」

「え?」

「? 何かうちに用事でもあったんじゃないのかい? 兵士さんからの用事なんてこれっぽっちも心当たりないけど」

 

 不思議そうに揺れるほほ肉。

 特に彼女へ用事がある訳じゃなかったが、特に誰でも構わない用事ならあることを思い出した。

 これが、渡りに船というやつだろうか。

 壁から壁へと移動したい時に、滅多に出ない船便が都合良く川岸から出発するところだった。そんな事柄から生まれた言葉をアダムは思い浮かべる。

 初めて聞いた時は、結局お金がなければ乗れないではないかと思ったが、今ならその言葉を作った人をほめてやってもいいかもしれない。

 アダムは少し勘違いしている彼女へと便乗することにして、道を尋ねようとした。

 

「あんた、何か言いたいことがあるならさっさと言ったらどうだい? 私はこれでも今忙しいんだけどねぇ」

「いえ、何もありません。お邪魔しました」

 

 人見知りここに極まれり。

 迷惑そうな雰囲気を出しはじめた相手にビビリ、一礼して逃げ出した。背中に「なんだったんだアイツは?」という視線を感じる。

 素早く角を曲がって細い路地裏へと逃げ込み、アダムは頭を抱えた。

 

(何やってんだ俺は畜生!)

 

 久しぶりに思い出した自分の短所に、恥ずかしさと馬鹿らしさで心が抉られる。かなり痛い。

 ずっと3年間、ほとんど基地で顔見知りたちと暮らしていたからすっかり忘れてしまっていた。というよりむしろ治ってると思っていた。

 なるほど、ただ慣れただけだったのか。

 アダムは頭をかきむしりながらその恥ずかしい答えがストンと腑に落ち、それじゃあ人に道を聞けないじゃないか、と当初の計画の達成が実現不可能なことに気付いて、色々諦めながらうずくまった。

 頑張るという選択肢は、頭の中に最初からない。

 手で膝を抱えて丸まりこれは妙に落ち着く体勢だということを発見したアダムが、少し冷静さを取り戻してこれからどうするかを考え始めた時、何かがぶつかってきた。

 

「――ッ! イテッ!」

「あっ!」

 

 衝撃は大したことはなかったが、小さく丸まりすぎていたので上手く受身が取れずに転がされる。砂利の多い地面は思ったより痛くて、つい大きい声をあげてしまった。

 ぶつかってきたものはそのままの勢いで走り去ろうとしていたが、遅れて届いたその声に気付いて立ち止まり、こちらへ駆け寄ってきた。

 

「ご、ごめんなさい! まさか人がいるなんて思わなくて……」

 

 ぶつかってきたのは子供だったようで、幼いながらもこちらを心から案じているような真摯な表情がうかがえる。

 自分と同じ青い瞳。しかし肌の色は反対に白く、サラサラの金髪をボブカットにしている少年。

 

(いや、女の子か?)

 

 その中性的な雰囲気につい見とれて、どっちだろうと疑問を持ったが聞いたら傷つけてしまうかもしれないと思い、アダムは何とか自力で答えを見つけようとその子供をジッと見つめた。

 起き上がることを忘れ、寝そべりながら。

 

「あの……ごめんなさい。そんなに痛かったですか? 本当にごめんなさい、僕急いでて……」

 

 僕、ということはやはり少年だったか。アダムは差し伸べられてきた手も取らずにそんなことを考えていた。

 いや女の子でも僕って言う子もいるしな、とさらなる可能性を検証し始めたが、子供の顔がかなり焦っていることに気付き慌てて起き上がった。情けない状況だったのでその手はさすがに取れなかったが。

 

「悪いな、ついボーっとしちゃって。どこも痛めてないから大丈夫だ」

 

 アダムは懲りずにまだ観察を続けながら澄ました顔を作り、取り繕う。

 

「そうですか、良かった。どこか怪我でもさせてしまったんじゃないかと心配しました」

 

 子供はホッとした表情を浮かべた。その顔つきは先ほどと違い年相応の幼さを見せていたが、言葉遣いや態度は随分大人びていた。

 礼儀正しいということはやっぱり女の子だろうか。

 アダムは偏見な考えを持って下らない検証を続けていたが、子供がまた焦った表情を浮かべたのでちょっとジロジロ見すぎたのかもしれないと反省した。

 しかし、子供はこちらを見ておらず、周囲をキョロキョロしながら軽いパニック状態のようになっている。

 こちらが原因ではなかったようだが、どうも様子がおかしい。アダムは膝を曲げ地面につけて、子供と目線を合わせながら問いかけた。

 

「なあ、どうかしたのか? 俺ならどこも怪我してないぞ?」

「あ、いえ、そうじゃなくて――」

「おい、こっちであの異端者の声がしたぞ!」

 

 異端者。

 誰かをそう呼ぶ嫌な声がして、子供はビクッと大きな反応を見せる。

 が、アダムはそれに気付けなかった。久しぶりに聞いたその言葉に、込められていた侮蔑に、一瞬で意識を絡め取られていたから。

 

「じゃ、じゃあ僕はこれで――」

「待て」

 

 アダムは慌てて走り出す子供の手を掴み、そのまま近くにあった木箱へと引きずった。

 ふたが外れているその箱は中身が無く、子供1人なら何とか入れそうだ。

 

「ここに隠れてろ」

「え、でも……」

「いいから」

 

 少し強めに言うアダムに、どこか戸惑いながらもその子供は大人しく従ってくれた。

 子供が木箱の中に入ったのを確認したアダムは、側に落ちていた大きめの布きれを取り、上に被せて中身が見えないように隠す。

 少しホコリっぽいが我慢してもらおう。

 

「こっちだ、確かにこっちで聞こえた!」

 

 耳障りなわめき声と複数の足音。アダムは木箱にもたれかかりながら腕を組み、音がした方をにらみつける。

 後ろに隠した子供が飛び出してきたのと同じ角、そこからまた同じ年頃と思われる少年が3人ほど飛び出してきた。

 

(なんだ、ガキか)

 

 確かに聞こえてきたのは子供の声だったなとアダムは自分に呆れながらも、その見るからに悪ガキといった3人の少年を視界に捕らえたまま離さなかった。

 

「おい、いねーじゃん!」

「あれ? 確かにこっちで声がしたんだけどな?」

 

 銀髪の少年が批難の声をあげて小太りの少年を責める。どうやら最初の異端者と呼んだ声は彼のようだ。

 小太りの少年を見る目が、無意識に強くなっていた。

 

「なあ、そこの訓練兵の兄ちゃん。ここに誰か来なかったか?」

 

 もう1人のツンツン頭の少年が馴れ馴れしい口調でこちらに問いかけてくる。

 アダムは一瞬だけ、自分のまぶたを強く塞いだ。感情を無理矢理押し戻す。

 

「知らないな」

「でも確かにこっちで声が聞こえたんだけどな」

 

 小太りの少年が首をかしげる。

 

「ちょっと独り言してたんだよ。悪いな」

「……おい、あんた何か隠してないか」

 

 アダムの様子がおかしいことに気付いたのか、銀髪の少年が怪しむように問いかけてくる。

 アダムは俯き、静かにまぶたを閉じた。今にもあふれ出しそうな暗い気持ちを閉じ込める。

 

「何のことだ? 別に何も隠してない」

「ホントかよ、なーんか怪しいな。訓練兵のジャケット着てるってことはあんたも兵士なんだろ? だったら協力するべきだぜ、なんたって俺たちが探してるやつは王政に逆らう異端者で――」

「知らないって、」

 

 閉じ込めたものが、暴れだす。

 

「言ってんだろ……!」

 

 体を支配してしまいそうな感情を、必死に瞳へと全て留める。優しい母からもらった青い瞳に、ただ憎しみだけを湛える。

 開いた視界に少年たちは映らない。

 閉じた闇の中、何も映らない世界で浮かび上がる過去の光景。闇が破れてしまった先でもその光景は続く。

 浮かび上がるのではなく、映し出された幻。

 世界を現在から過去へとすりかえてしまった心は、自身の感情さえも過去のものへとすりかえていた。

 

 

 

 

『異端者の子供め』

――うるさい。

『異端者は出て行け』

――黙れ。

『異端者に関わったんだから、死んで当然だろ?』

――喋るな、口を開くな、息をするな。――お前が、お前らが、

 

 

 

 

「お兄さん!」

 

 尊いはずの命への、深く黒い願い。

 心が沈み染まろうとしていたそれを止める、大きな声。

 

「――――ん?」

 

 今、声が聞こえた気がしたような、気がした。

 

「すみません、お兄さん。もう出てもいいですか?」

 

 お兄さん。その経験の無い呼ばれ方にかなりの気恥ずかしさが沸き起こり、アダムはあせって周りを見渡すが声を出した人物が見当たらない。というか、やけに近くから聞こえたので自分が呼ばれたと思ったが、勘違いだったらさらに恥ずかしい。

 そもそも心当たりが無く、声の人物もいなくてアダムは首を振って混乱していたが、周囲にあまり広がってはいない狭い路地裏の光景が目に入り、今の状況を思い出した。

 

「…………あれ?」

 

 少年たちがいない。

 いつの間に消えたんだとさらに混乱が重なり、首を振る速度がさらに増していたアダムだが、軽く首筋を痛めて「アイタッ!」と叫び手で咄嗟に支えた時、先ほどの状態を思い出した。

 先ほどの、あまりにもひどい自分の状態を。

 

「俺は……なんて、」

 

 なんて――――恥ずかしいことをしてしまったんだ。

 大人気ない、大人気なさ過ぎる、と心で連呼しながらアダムは両目を手で覆い、天を仰いだ。

 

(ただの八つ当たりじゃないか、これじゃ……)

 

 子供同士のケンカを、殺意で仲裁するなんて。逃げ出したであろう少年たちに罪悪感を募らせながら自分に呆れて、アダムは溜め込まれていた空気を大きく吐き出した。

 

「あの、お兄さん……本当に何度もすみませんが、もう出てもいいですか? 少しここホコリっぽくて……」

 

 こういうのがあるから人の多い場所は嫌なんだ、と田舎者根性丸出しの想いをこぼしながら空を見上げた時、小さな声が意識に引っかかった。しかも大きく咳き込んでいる。

 しまった、忘れていた。先ほどからお兄さんと呼びかけていた声の人物のこと、しかも居る場所がかなりホコリを被っていることを思い出し、アダムは慌てて寄りかかっていた木箱の方を振り返る。

 そして、木箱の上に被せられていた布切れを両手で思いっきり引っ張った。

 

「悪い! だ、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

 

 こちらに心配をかけまいと、隠れていた金髪ボブカットの子供は咳き込みながらも笑顔を見せる。

 その健気さに非常に申し訳ない気持ちを抱かせられて、アダムはその綺麗な髪に付いたホコリを手で撫でるように取り払った。

 

「本当に悪かったな。こんな汚いところに無理矢理押し込めちまって」

 

 アダムが差し伸べた手に捕まりながら、子供が木箱から出てくる。

 

「いえ、そんな……むしろお礼を言わなきゃいけないのはこっちです。助けていただいたみたいで、ありがとうございました!」

 

 子供は髪を乱しながら金色の頭をこちらへ向け、深くお辞儀する。

 それを見て、アダムは固まった。頭の中で響く衝撃に目を大きく見開く。

 助けた。誰が、誰を。

 

――俺が、この子を?

 

 その時、アダムは改めて気付いた。

 

『異端者』

 

 その忌まわしい言葉を聞いた時から、意思はなく、ただ感情のままに動いてしまっていたことを。せき止められず、流されてしまったことを。

 ただそれによってもたらされた行動がある程度正しいことであったのに少しだけ安堵し、そしてその感情が決して感謝されるようなものでないことに少しだけ、吐き気がした。

 

「あの……僕、何か間違ってたでしょうか?」

 

 子供がお辞儀の体勢のままこちらを覗き込むように顔を上げる。無言で黙ったまま見下ろす相手を不審に思ったのだろう、その顔には不安と怯えがチラついていた。

 まずい、結構怖い顔をしてしまっていたかもしれない。アダムは焦って何とかごまかすことにした。

 

「いや! 間違ってないぞ! ……とは言えないけど、なんと言うか、その、まあお礼を言われるほどのことじゃないかなって思っただけだから。こっちこそなんか勝手なことしちまって、迷惑じゃなかったか?」

「そんなことないです。確かに急でちょっとビックリしちゃいましたけど、でも助けて頂いたことに変わりはありませんから。感謝こそしても、迷惑だなんて思いませんよ」

 

 体を起こしたその顔には、寄せられていた眉間の変わりに口角が引きあがっているのが見て取れた。良かった、そして良い子だ。

 

「そっか、ならいいんだ。」

 

 言い置いて、まだホコリっぽい子供の服をアダムはパンパンとはたいた。

 

「あの、でも……」

「? 何だ?」

 

 言葉を詰まらせて困った顔をした子供。どうしたのだろう、ホコリを舞わせすぎてしまっただろうか。

 

「どうして、助けてくれたんですか?」

 

 純粋な疑問。その言葉に、心が疼いた。まだ閉じきってない理性のふたがずれる。

 アダムは苦手な笑顔を作り、その隙間を塞ごうとした。

 

「追われてる奴を助けるのは当然だろ」

 

 上手く作れているか、少しだけ不安になる。自分の顔は、ちゃんと自分の言うことを聞いてくれているだろうか。

 そして、今朝に表情筋が大打撃を受けていたことを思い出した。

 右頬はまだパンだけでマシだったが、左頬はヤバイかもしれない。アダムはエミの右ストレートの威力を頭の中で追体験させながらゾッとした。

 上手く作れなかったらエミのせいだな、と元々の苦手分野の責任を全て彼女へ押し付けて、真っ赤な顔をしてこちらに襲い掛かってきた彼女の顔を思い浮かべる。

 と、次に浮かんだのは、今朝の別れ際の顔。

 あまりにも明るく、あるはずの裏さえ見えない、沈むことのない太陽の顔。誰かの幸せを願っているのに、自分がどこまでも嬉しそうな顔。

 彼女の笑顔。

 隙間は、いつの間にか埋まっていた。

 

「――――ん?」

 

 飛んでしまった意識の着地音、本日2回目の「ん」だった。今日はよく飛ぶ。

 

「おい、どうかしたか?」

 

 目の前の子供が唖然としているのに気付き、アダムは中腰になって手を振る。視界に入ってるはずだが、全く反応がない。

 こちらの顔を凝視したまま動かなくなった子供を見てアダムは心配になり、直接その体を揺さぶる。

 

「おい、大丈夫か? 何だよ、持病でもあるのか?」

 

 もしかして白昼夢というやつだろうか。病気かは知らないが。

 

「――あ。は、はい、大丈夫です。ちょっと、コロコロ変わって驚いたというか……」

 

 返事はしたが、子供はまだややボーっとしてアダムの顔から目を離さず、零したかのように言葉を落とす。

 コロコロ変わる。自分の顔のことだろうか。

 

「面白いなぁというか……」

 

 面白い。自分の顔のことではない、ということにはできないだろうか。

 

「それは、なんというか……。楽しんでくれたみたいで、何より、と思うことにしとく……」

 

 アダムはちょっと傷つきながらつぶやいた。こういう時に浮かべるべき表情は、悲しいほどに得意分野だ。

 

「楽しいというか、変化が激しくて興味深いという……か…………! ご、ごめんなさい!」

 

 どうやら目覚めてくれたらしい。手遅れだったが。

 

「いいって、気にするなよ。面白いものは仕方ないさ」

「あ、いや、そういう意味じゃないんです! ああ、本当にごめんなさい! 僕は助けてくれた人になんて失礼なことを……」

「いいよ、慣れてるから」

 

 耐性はヨハン時々エミでバッチリ鍛えられている。

 

「でも、あの……」

「いいんだよ別に。男は顔じゃないってよく言うだろ?」

 

 それでもちょっぴり気にしてしまう男心がばれないように、アダムは右手を子供の金色の頭に乗せてガシガシと掻いた。子供は困った顔をしながら「違うんだけどなぁ本当に……」とつぶやいている。

 少し強すぎただろうか、しかしやっぱりいい手触りだ。アダムは先ほどホコリを払った時の感触を再確認しながら、手に込めていた力を弱める。気に入ったのでもう少し続けさせてもらうことにした。

 

「――――あの、お兄さん、そろそろその辺で……」

 

 残念ながら打ち止めらしい。

 癖になりそうな感覚に後ろ髪を引かれながらも、アダムは再浮上した問題へ取り組むことにして、金色の柔らかな草原から手を離した。

 お兄さん。

 

「そのお兄さんってのやめてくれないか? なんだか呼ばれ慣れてなくて、小っ恥ずかしい」

 

 照れ隠しに自然と手をそのまま自分の頭へと移す。先ほどと違い黒い芝生の感触は硬くて、癖にはなりそうにない。

 

「え? じゃあ……お兄ちゃんですか?」

「悪化してんじゃねーか!」

 

 ちょっと引き気味の子供に、反射的にツッコミをいれる。

 しまった、ついいつもの調子でやってしまった。アダムは相手が子供であることを思い出し怖がらせてしまったかと心配したが、子供は怯みもせず冷静に切り返してきた。意外と強い子だ。

 

「じゃあ名前で呼んだほうがいいんでしょうか?」

「そりゃーそうだろ」

 

 ウンウン、と頷く。

 

「そうでしたか。ごめんなさい、不快にさせてしまったみたいで」

「いや、気にすんなよ。そこまで思ってないから」

 

 難しい言葉を知ってるなと感心しながら、苦笑を返す。

 が、子供は無言でこちらをジッと見つめ、視線だけを返してきた。

 どうしたのだろう。アダムも無言で視線だけを返す。

 変な間が、空いた。

 

「――あ、僕はアルミンって言います。アルミン・アルレルトです」

「そっか、アルミンな」

 

 ということはやっぱり男の子だったか。

 耳に届いた男性名が頭の中へ行き渡り、うずくまり待機していた疑問に至る。アダムの中では大きな問題だったので、解消されたことでちょっと清清しい気分になっていた。

 非常に納得した、とアダムがまたも1人でウンウン頷いていると、またもや無言の視線が返ってきていた。何かを待っているような目だ。

 つづく、変な間。

 

「あの……」

 

 困りきった音色が、変な間に止めを刺す。

 

「どうした?」

「その、名前を……」

「名前?」

 

 今聞いたけど、男らしい良い名前だ。

 

「教えて頂けないと、呼べなくて、その……。ごめんなさい」

 

 人見知りの二次災害。

 初対面における自己紹介の大切さが、アダムにはすっぽり抜けていた。

 

「……なんか、スマン。自分で言い出しておいて……」

「いえ、そんな。気にしないで下さい。ちゃんと聞かなかった僕が悪いんですから」

 

 優しさが痛くて、申し訳ない。

 

「俺は、シャ…………アダムだ。よろしくな」

「シャ?」

「アダムだ」

 

 強めに繰り返す。

 何となく、中性的なのに男らしい名前のアルミンに嫉妬して、「シャルロッテ」という名前をアダムは言えなかった。というより言いたくなかった。

 その場の2人の関係は、どちらが子供か分からなくなってきていた。

 

「は、はい……じゃあ、アダムさんと呼べばいいですか?」

「その方向で頼む」

「方向? ……えーっと、よく分からないけど、分かりました」

 

 戸惑いながらも頷いてくれたアルミン。その顔には苦笑いが浮かんでいたが、アダムは見なかったことにした。

 気を取り直したのか、アルミンは真面目な表情に切り替わり、姿勢を正してこちらをまっすぐ見つめた。

 

「それじゃ改めまして。助けて頂いてありがとうございました、アダムさん」

 

 再びの、その金色を向ける深いお辞儀。

 

「おお、そこに戻るんだな」

「はい、お礼はきちんとしなさいと両親に言われているので。何だか有耶無耶になってしまいましたし」

「別にいいんだけどな、俺としてはそれでも。まあ、ありがたく受け取っとくよ」

「……お礼なのにありがたく受け取るって、なんかおかしいですよね」

 

 アルミンがクスッと小さく笑う。

 名前を教えあって距離感が縮まったのか、先ほどまでの堅苦しい大人な態度から、とても自然な子供らしい雰囲気になっていた。

 単に、アダムよりアルミンの方が精神年齢が上だったのかもしれない。

 

「そうだな、俺も今朝同じようなこと言った気がするよ」

 

 自然に微笑むアダム。無意識の内に、心を開いていた。

 

「そうなんですか」

「そうなんだよ」

 

 2人は顔を見合わせ、おかしくて笑い出した。

 少しだけ、仲良くなれた気がする。アダムは嬉しく思ったが、心の底では過去の自分とアルミンを重ね合わせてしまっているのかもしれないと思い、チクリと胸が痛んだ。

 ちょうど、母を亡くした年頃。そして、異端者。

 

「――あ、ごめんなさいアダムさん。つい長々と引き止めちゃって」

 

 アルミンが笑いを引っ込め、少し焦った様子で謝る。

 どちらかというと、引き止めていたのは自分のような気がする。

 

「こっちこそ悪かったな。なんだか無理矢理名前を聞き出したみたいになっちまって」

「いえ、そんな。全然気にしてないですし、お知り合いになれて嬉しかったです。僕の方こそ、アダムさんの邪魔をしてしまったんじゃないかと……」

「? 何で?」

「え?」

 

 お互いに首を傾げる。

 

「いや、アダムさん訓練兵のジャケット着てるから、訓練場所かどこかへ向かう最中だったんじゃないかと思ったんですが、違いましたか?」

 

 そういえばそうだった。訓練とは全然関係ないが。

 アダムは思い出すと同時に、結構時間を喰ったかもしれないと焦った。

 そして、「訓練兵の人がこんなところに1人で居るなんて珍しいですし」と言って不思議そうな顔をしているアルミンを見て閃く。

 渡りに船が、もう1隻。

 この言葉は流行るかもしれないと思いながら、今度は人見知りで乗り過ごすことはないと安心して、アダムはその金色の小さな船に便乗することにした。

 その船が目的地を知らないという可能性は、アダムの頭の中にはこれっぽっちもなかった。

 

 




原作キャラがやっと登場、でも巨人が出てこない……。
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