魔王な嫁が世界を滅ぼす三秒前   作:織葉 黎旺

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痺れを切らす二秒前

 魔王(というか主に私)のこだわりにより、この城の庭園は一流の庭師により綺麗に整えられていて、四季折々の花が楽しめるようになっている。数本の薔薇のアーチを潜ると、バーベキューも楽しめるパーティスペースに出た。そこを通り過ぎると私用に作ってもらった小さなテーブルと椅子がある。

 昼過ぎの庭園には暑い夏には心地良い冷たい風が流れており、快適に読書に没頭出来る。切り株で出来た木の温かみの伝わる椅子に座り、木の良い匂いが薫る大きなテーブルに本を置く。時間も忘れて本を読み耽っているこの時間に平穏と、平和の尊さを感じるのだ。のどかな暮らしバンザイ。正直、あってないような今の立場と嫁の仕事さえなければ、田舎に移住してのんびり農家でも営みたいくらいだ。いや、嫁のスペック的に農家なんかしなくても食っていけそうだけれど。

 

 「──ふう」

 

 そんな下らないことを考えたり考えなかったりしながら数時間。前から少しずつ読んでいたこともあり、分厚い本であったが読了した。いつの間にか空も橙色を帯びてきており、すぐに暗くなりそうだ。そろそろ私の姿が見えないことに嫁がしびれを切らしてそうだし、丁度いいタイミングだろう。

 本を抱えて歩き出すと、向かい側から青年が歩いてくるのが見えた。

 

 「あっ、魔夫様ー!」

 「君はさっきの……?」

 

 喩えるなら小動物だろうか。人懐っこい笑顔でやってきたのは先ほど嫁に殺されかけていた青年。七三分けの蒼髪が印象的である。先程が初対面なはずだが、ぶんぶんと手を振りこちらに走り出した。

 

 「俺、グレラ・アーツパラスって言うっす!先程は助けていただきどうもでしたっ!」

 「いやあ、別に大したことはしてないさ……頭上げなよ。っていうか大丈夫……?」

 

 グレラは半端ない勢いで頭を下げ、そのまま後ろ足で地面を蹴りあげ土の中にダイブした。綺麗に垂直に突き刺さっているが本当に大丈夫だろうか。色々と。

 

 「ぷはっ……ふう、やっぱりここの土は美味しいっすね」

 「え、今の土食ってたの!?」

 

 もぐもぐと口の中に含んだ土を咀嚼して、彼はにんまりと幸せそうに踵を返す。

 

 「美味かったあ……さて、昼寝昼寝ーっと」

 「もう夕方だけどなあ……」

 「はっ、そういえば魔夫様に用事があってきたんだった!」

 

 あっちを見たりこっちを見たりと忙しい青年である。どうにも掴めない男だな、と苦笑する。嫌いじゃないよそういう人。

……しかし、あの"魔夫様"という呼び名はどうにかならないものか。魔王の夫だから魔夫様。字面は悪くないような気がしなくもないが、『まおさま』と発音する為どことなく締まらなくて間抜けに聞こえるし、魔王様に比べて魔夫様は数十倍カッコよくない。

 

 「先程は助けていただきどうもでした!」

 「それさっき言ってたよね?」

 「間違えたっす!魔王様が呼んでましたよ?『旦那!私の旦那は何処!!!』って」

 「それを早く言えよおおおおおお!!!」

 

 愛しの嫁を待たせるわけにはいかないのだ。どんな被害が出るかわかったもんじゃない。不思議そうに首をかしげグレラを尻目に城へと一直線に駆け出した。

 

 

 

 「ごめんお待たせ!!」

 

 息を切らしながらも何とか三分ほどで部屋まで辿り着く。もしや自己新記録じゃないだろうか。頑張ったぞ、頑張ったぞ私。ルシファルは頬杖をつき退屈そうに虚空を見つめていたが、私の存在に気づくとぱあっと途端に明るい表情になった。

 

 「お帰りなさいあなた♡ご飯にする? ご飯にする? それともわ・た・し?」

 「一周回って新しいパターンですね」

 「ちなみにオススメはお風呂ですわ」

 「今の選択肢になかったのに!?」

 

 大して汗をかいているわけではないが、湯船に浸かってのんびりするのは好きなのでそれを選ぶことにする。――しかし、果たして本当にのんびり出来るのか……

 

 「ちなみに大きい方と小さい方、どちらで?」

 「……小さい方で」

 「はーい、今から準備するので少し待っててね」

 「……あの、ルシファルさん」

 「どうしました?」

 「本当に、入らないとダメですか?」

 「ダメです。週に一度は一緒にお風呂に入る、って約束でしょう?」

 

 昔から、私が風呂に入る度に彼女はその中に乗り込んできた。男湯だろうが構わず入ってくるものだから、前は『そういうのは結婚した男女じゃなければいけなくてですね……』なんて出鱈目を言って誤魔化していたのだが、結婚してしまった現在、その言い訳は通じなくなってしまった。しかし本来、風呂は一人でのんびりと疲れを癒し汚れを流すべき場である。それにそういったイベントは、頻繁にやらないからこそ楽しいのだ、とこれまた口から出任せで説得した結果、週に一度だけ入る約束になった。なってしまった。

 

 「それじゃあ準備してきますね」

 「はーい……」

 

 観念して三分ほど待つと、浴室の方からシャワーの音が聞こえてきた。それと同時に「どうぞー」というくぐもった声が聞こえた。ある程度服を脱いで、ゴクリ、と生唾を飲み込み浴室に入る。

 

 「ふふふ……」

 

 プールサイドに置いてありそうな白い椅子に寄り掛かり、足を組んで彼女は待っていた。腰までかかる長い銀髪はゴムでポニーテールに纏められ、身に纏う黒いビキニが、きめ細やかな白い肌とのコントラストでより輝いて見える。

 

 「それにしても、男女が風呂に共に入るというのにお互い水着というのは、なかなかに奇怪な図ではなくて?」

 「健全な浴場の安全な混浴の場合、基本的には水着などで入るはずですし……まあ普通ですよこれくらい! ええ!!」

 「ふうん……?」

 

 にい、と何かを企むような三日月が顔に浮かんだ。「さあ、早くお座りになって?」と彼女の目の前の椅子に勧められ、少し不穏なものを感じつつも、促されるままにそこに座った。とりあえず体を流しておこうと、目の前の蛇口を捻って温いシャワーを浴びる。

 

 「ねえ、あなた?」

 「はい……?」

 

 ニコニコと子供のように無邪気で、さながら天使のような慈愛すら感じさせる綺麗な笑顔。私は知っている。この人がこういう笑顔を浮かべる時、大抵私にとってあまりよくないことが起こると。

 

 「お背中お流ししますわ」

 「えー……」

 「嫌…ですか…?」

 「いやー、嫌じゃないけど……」

 

 嫌じゃないけど、だいたいこの後の展開が読めるから了承したくないのだ。あまり駄々をこねても意味はないので、大人しく受け入れるが。

 

 「それではちょっと失礼するわね……んっ」

 「んんっ!?」

 

 予想通りというかなんというか、背中には人肌の柔らかい感触があった。ごしごしと上下に動きつつ、強くその存在感を私の脳髄へと主張してくる。

 

 「んぅ、はぁ……ん……っ!」

 

 石鹸が泡立つ音に混じり、微かに艶やかな声が聞こえる。…………いや、聞こえない。何も聞こえない。石鹸はよく泡立っている。高くて上質な物を使っているんだな、と思った。

 

 「ふ、ぁ……!ゃ、おっき……あん……っ!」

 「すいませーん!!別に流さなくていいですから!!自分で出来ますからー!!!!」

 

 少し固い突起のようなものが触れた気がした。煩悩をかき消すように大声で叫んだ。

 

 「えー、折角頑張ってたのにぃ……でも大変だったのは確かだし、貴方が望まないなら諦めるわ」

 「それはどうも……って、んん……?」

 

 何か違和感を感じて振り返ると、ルシファルさんの手に泡を帯びた、奇怪な形の物が握られていた。

 

 「……あの、それは?」

 「面白い形よね、ジンが背中を流してあげるならこれが一番ー、っていうから使ってみたのだけれど、洗いにくいし不良品ですわね。後で百二十回くらい殺してきましょう」

 

 百二十回とは言わないが、十回くらいは殺してほしかった。ルシファルさんがブンブンと振り回すソレは、持ち手の先に二つの大きな山のような、そんな物のついた肌色の訳の分からない代物で。二つの山の中心に一つずつ、赤い魔石のようなものが埋め込まれていて。赤の魔石は魔力を流しておけば熱を発し、周りのものを魔力量に応じるだけ温める。

 …何故そこまで、と言える程の無駄に凝った悪戯だなあ………!

 

 「ルシファルさん、ジンの野郎をリストラ出来ませんか?」

 「リストラしたいのは山々なのだけれどね、そうすると今よりも更にめんどくさいことになるでしょうから……」

 「あー……」

 

 奴ならリストラされれば、むしろ喜んで自由にルシファルさんを追い回すだろう。そんなくだらない事に一々構っていられないので、残念ながら放置するしかなさそうだ。

 

 「とりあえず頭を洗わせて頂きますわ」

 「……お願いします」

 

 何だかんだ言いつつも、彼女に身を任せての洗髪はとてつもなく気持ちいいのだ。そのまま暫しの、寝てしまいそうなほどの安心感と幸福感を楽しんだ。

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