時の鐘   作:生崎

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狙撃都市 ④

 ビルの屋上で白井黒子(しらいくろこ)はふぅと小さく吐息を吐く。

 

 夜に向けて肌寒くなって来た学園都市を一人見下ろし、耳に取り付けられたインカムを小突いた。狙撃を警戒するのなら、本来開けた場所に居るのは悪手であるのだが、黒子に限って言えば別である。そもそもビルの上が悪手なのは、見晴らしはいいが相手側からも見つかる可能性が高い事が一つ、もう一つは一度上ってしまえば、普段より移動に時間が掛かってしまうからだ。

 

 敵に見つかってしまった場合、ビルを下りている間に相手はそれだけ動く時間を得ることができるから。ただ、黒子にとっては関係ない。ビルの上から上へと時間掛からず移動をし、必要とあらば空さえ跳べる。人の形をした銃弾。

 

 狙撃手が狙いを定める時のように一定のリズムで呼吸を繰り返し狙いを絞る。そんな黒子の耳に聞き慣れた相棒の声が届く。

 

「白井さんの言う通りでした。十数人近い深緑の軍服の影を防犯カメラの映像で確認できましたよ。法水さんと違ってライトちゃんが味方しているわけではないですからね、学園都市のカメラ網から逃れる事なんて出来ませんよー」

「それで?」

「あー……学園都市外周部の壁を命綱なしで素手で上ってた人が一人居たんですよ、時の鐘(ツィットグロッゲ)の侵入者みたいなんですけど、いやぁ、びっくりですね!」

「……初春、居場所が分からないなら分からないと言ってくださりません?」

 

 下手な誤魔化し方をするんじゃないと顳顬を押さえて黒子は大きなため息を吐いた。お互いの居場所が分からなくなって大分時間が経ったが、分かった事があるとすれば、ぞろぞろ時の鐘が学園都市に侵入したらしい事実が分かっただけ。孫市が一人の時は防犯カメラの死角を好んで動くのと同じ。本気で隠密行動に移ったプロの傭兵を追うのは至難だ。

 

 難しい事は分かっていても、学園都市の街の中をただ無闇に動いても、逆に黒子が動く的になってしまう可能性が高いだけ。電波塔(タワー)初春飾利(ういはるかざり)。学園都市が誇る最高の観測者達に頼る以外に手はない。苛立たしげな黒子の吐息をインカム越しに聞き、初春はキーボードを叩く手は止めず、心配そうな声を絞り出した。

 

「ですけど白井さん。本当に時の鐘が敵になったのなら、一人で追うのは危険過ぎます。法水さん然り時の鐘は本物の戦争人ですよ? 能力があったから無事だっただけで、もし能力が使えないような状況になったら」

「……分かってますの。学園都市の中でなら誰よりも」

 

 黒子達が能力者として日々能力を鍛えているように、日々戦う為の粗野な技術を鍛えているのが時の鐘。平時の時は毎日数十キロをフリーランニングで走り、敵を効率よく撲殺するために技を研ぎ、刺殺するためにナイフを研ぎ、射殺するために引き金を引く。能力者にとっての最大の強みが超能力にあるのなら、時の鐘の最大の強みは研鑽した暴力にこそある。

 

 だからこそ、当たり前に誰もが覚えようと努力すれば覚えられる技から外れた魔術や超能力こそが時の鐘への銀の弾丸(シルバーブレッド)に成り得るが、それは能力者達にとっても同じこと。能力者だって完璧ではない。そもそも能力の強さ自体に大きな振れ幅があり、AIMジャマーやキャパシティダウンという対能力者用の機材も存在する。

 

 一度その中に放り込まれてしまえば、ただ暴力の渦に飲み込まれるだけだ。「『警備員(アンチスキル)』に報告した方が……」と零す初春の言葉を拾い上げ、「分かっていますでしょ?」と短く黒子は返す。

 

 超能力のない警備員(アンチスキル)時の鐘(ツィットグロッゲ)では、練度の差が逆にはっきり出てしまう。警備員(アンチスキル)も対能力者用の捕縛術などを習いはするが、ほとんど教員によって構成されている組織だ。能力者が相手の事が多いからこそ、強力な武装を持ってはいるが、それは時の鐘も同じ事。それもより戦闘に特化した戦闘が仕事の人間達。殺さぬ者と殺す者。やり合えばどうなるかは明白だ。

 

 何より、今回は常盤台への襲撃。学校内の事件は基本的に『風紀委員(ジャッジメント)』の担当である。命の掛かっているような場面でそんな事を気にする必要があるのかという問題はあるものの、何より相手が時の鐘という事が黒子の中では大きい。『残骸(レムナント)』の時と同じ。黒子にとって大事なものが懸かっている。

 

 並びたい者達がいる。

 

 常盤台の第三位。時の鐘の軍楽隊。

 

 これが己だと吐き笑い、一度決めたら迷わない者達。一人で多くを背負い込み、大事な者に危害が及ばないようにただひた走る。どこぞの傭兵と知り合わなければ、ずっと黒子の知らなかったかもしれない秘密を抱えた御坂美琴が。自分の為と謳いながら、結局は誰かの為に飛んでいく法水孫市が。

 

 そんな者達を守りたいからこそ、白井黒子は風紀委員になったのに。いつもどこか知らないところで大事な者は危険の中に突っ込んで行く。止められない止まらない。だったら自分も迷わず、止まらず、突っ込む以外に道はない。

 

 御坂美琴のように成りたい訳ではない。法水孫市のように成りたい訳でもない。初春飾利のようにも、佐天涙子のようにも、どこぞの類人猿のようにもなりたい訳ではない。

 

 白井黒子は白井黒子として、己の道を突き進み並びたいのだ。御坂美琴からは優しさを、法水孫市からは厳しさを学び、それでも黒子は右腕に巻かれた腕章を外さない。風紀委員でなくたって御坂は己の信じる優しさを持って突き進む。傭兵として死が転がる大地をそれでも笑って孫市は自分を信じて突き進む。

 

 それを知ったからと言って、容易く『風紀委員(ジャッジメント)』の腕章を投げ出すような事はしたくない。黒子だって知っている。たかが腕章一つ、それでも多くの者達が平和を守るために、大事なものを守るために、なんの特別な力も持たない腕章を腕に巻いている事を。自分だってその一人。

 

 傭兵だから? 魔術師だから? 超能力者(レベル5)だから? そんな事は関係ない。誰より速く、大事なものを襲う脅威を掴み大地の上に引き摺り倒す。それが黒子のすべき事。それが今まさに試されている。

 

 新たな世界を知っても尚、御坂も孫市も先にいる。でも今ここに限って言えばどちらも居ない。

 

「分かってますでしょ? 初春、わたくし達は『風紀委員(ジャッジメント)』ですの」

 

 だから重ねて黒子はそう言った。悪を取り締まる立場にいながら、多くの者がその隙間を潜り抜けて、本当に危険な領域に踏み込んでいる。それでは何のために風紀委員はいる? 何のために黒子と初春はいるのか。

 

 小事にだけ手を出して、本当に危なくなったら誰かに任せる為に風紀委員になった訳ではない。その真逆。本当に危ないモノに誰かが巻き込まれない為にこそ、白井黒子も初春飾利も存在する。

 

 僅かにキーボードを叩く手を止めて、初春は一度目を閉じ軽く息を吐き出した。『神の右席』、前方のヴェントが攻めてきた時も、国連からの依頼であると、結局多くを孫市に任せてしまった。暗部達の抗争の時も、結局後で孫市から聞いただけで、初春も特に何かした訳ではない。

 

 言ってしまえば舐められている。所詮表で起こるあれこれを掃除するだけのていのいい偽善者であると。他でもない学園都市で起こっているあれこれに、一番関わるはずの風紀委員をそっちのけで誰も彼もが勝手に命を懸けている。知らないなら幸せだとそれで済んでしまう話かもしれないが、それでよかったとただ安堵の息を吐くだけの存在で居ていいのかと言われれば、それは違うと初春もまた断言する。

 

「まったく……白井さん、私まで熱血に巻き込む気ですか?」

「あらいけませんこと? わたくしにも色々と知り合いは増えましたけど、風紀委員(ジャッジメント)の相棒は他でもない貴女でしょう?」

「ずるいなぁ、そんな言い方ずるいですよ。やる気出ちゃうじゃないですか」

「……一人では、まだあのお二人に並べないかもしれませんけれど、二人なら」

 

 常盤台の『超電磁砲(レールガン)』と『時の鐘(ツィットグロッゲ)』。どちらも尋常ではない強者なのは確か。白井黒子だけでは並べないかもしれない。初春飾利だけでも難しいかもしれない。でも『風紀委員(ジャッジメント)』でなら違う。そう信じる黒子の言葉に、初春は静かに口端を持ち上げた。

 

(法水さんの言う『必死』とは、こういうことなんでしょうかね……)

 

 誰かに任せるなど勿体ない。他でもない自分が握るもの。初春飾利が初春飾利として他でもない白井黒子に力を貸したい。そのための力を持っている。面倒くさいなとは確かに思う。辛いことが待っているだろうと分かってもいる。でも誰かにあげない、自分が握る。他でもない自分の人生(物語)のために。

 

「……好き勝手戦争起こして、好き勝手引き金を引いて、誰も彼も少し自由にやり過ぎですよね、私達が学園都市にはいるのに」

「まったくですの。力が足りない? 届かない? それでしたら、今からでもこれまでを掻き集めて無理矢理届かせ、必要なら今からでも成長するだけでしょう。時の鐘(ツィットグロッゲ)? 結構じゃありませんの。戦場は戦場でもここは学園都市。わたくし達の戦場ですわ。例えそこから外れたとしても、それならそれで塗り替えてしまえばいいだけのこと。命を懸ける? そんなの勝手に懸けられても知りません。わたくし達の目に映ったものは、敵も味方も誰一人死なせるような事なく終わらせて見せますのよ。教えて差し上げましょう初春。誰に喧嘩を売ったのかを」

「……これまでは、私も一学生として線を引いていましたけど、そういう事なら少し頑張っちゃいましょう。私は白井さんの相棒ですから。泥舟に乗るなら一緒にです」

「あら、イヤな旅の道連れですこと」

 

 黒子の皮肉を鼻で笑い、初春は少しキーボードを叩くリズムを変える。とある機構を様々な角度から想像する初春が持つ時の鐘さえ舌を巻く技術。だが、想像とは元となる種がなければ発芽しない。これまで漠然と表以外に眠る薄暗い種の存在に初春も気付いていたが、安全を考えて水を撒こうとは思わなかった。

 

 それでも木山春生から学園都市の闇を聞き、法水孫市から暗部の情報をばら撒かれ、手を出さずともくっきりとこれまで以上に暗い想像の種は見えていた。それに遂に学園都市が誇る魔術師(ウィザード)級のハッカーが水を撒く。初春もまた一線を越える。『貝加爾花独活(最恐の花)』を咲かせるように。ドロドロとした暗部にさえ手を突っ込み、するりと手を抜くように。画面は一つ、手を置くのはキーボード。殴り合う訳でも、撃ち合う訳でも、即座に殺し合う訳でもない初春飾利だけの狭い世界。初春だけの戦場。カチリッ、と強くキーを一度叩き、大粒の汗の滲んだ額を拭って大きく息を吐き出しながら、初春はインカムを指で小突いた。

 

「……第七学区の病院でも襲撃が。第三学区の個室サロンでは大規模な戦闘があったようです。第七学区の病院がなぜ襲われたかは不明ですけれど、襲われた病室は例の病室のようですよ?」

「『アイテム』のですか」

「それに第三学区での戦闘は第一位と第二位が関わっているようです。白井さん、これは想像ですが、狙いは超能力者(レベル5)だと思われます。常盤台を狙ったのも──」

「お姉様と食蜂操祈がいるからですわね」

「それだけでなく法水さんの学校も襲撃を受けたそうです。警備員(アンチスキル)へ報告が来ていました」

 

 第六位の元にも魔の手が伸びている。孫市の知り合いの多くが狙われている状況に、口元に伸ばした人差し指を黒子は軽く噛み、思いの外状況が悪い事を察した。それと同時に黒子が狙われた理由が、やはり御坂美琴への人質らしいと分かり、軽く噛んだ指を強く噛む。

 

「……時の鐘の現在位置は分かります?」

「さて……第三学区で強い電波が観測できましたので、それの元を辿って、指示の出た元を今追っているところです。少し待ってくださいね……出ました。場所は第二学区。統括理事会の一人、潮岸という人物からのようですね」

「貴女統括理事会の回線に割り込みましたの? それはまた……かなり無茶をしたものですわね」

「これからそこへと突っ込む白井さんには言われたくないですね」

「そこへ?」

 

 イバラ道を用意しましたと言うように初春は笑い、追加の情報を並べていく。

 

「統括理事会の一人、親船最中さんによって『同権限者視察制度』が潮岸さんに対して執行されたようです」

 

『同権限者視察制度』

 

 統括理事会正式メンバー十二人は、常に均一の力を持っていなければならないとされている。誰かが突出した力を蓄え、パワーバランスを崩してはならない。組織の腐敗を防ぐため。十二人全員の意見を平等に扱い、極めて民主的に学園都市を動かしていくために必要と建前でもしているからだ。それを確認するための視察の制度。それがこのタイミングで執行された訳は。

 

「潮岸さんは第二学区のシェルターに立て籠もっているようです。この制度の執行によって、政治的な防御機能は無効。統括理事会十二人の力が拮抗しているかどうか視察が入る訳なのですけれど、そのメンバーに第一位と第二位が含まれているようですね。第二十一学区で親船最中さんと居るところをカメラの映像で確認できました」

「……貴女いったいどれだけの回線に潜ったんですの?」

「普段絶対手を出さない回線を数多く。バレただけで首が飛びそうですね! 一応保険も握ってますけど」

「この情報社会で貴女だけは敵に回したくないですわね」

 

 不正な金の流れから、表沙汰になればそれこそ多くの視察が入りかねない情報の数々。それをついでに摘みましたと悪どく笑う初春に、黒子の口端が大きく落ちる。『守護神(ゴールキーパー)』とさえ呼ばれる都市伝説の護り手が、護りの力を攻撃へと使った結果。孫市がこの場に居れば、だからこそ飾利さんは時の鐘に来るべきだと大真面目に吐いただろう。『盗み見る者(あくま)』の笑い声をBGMに、「第二学区ですか」と黒子は小さく呟いた。

 

 第二学区。自動車や爆薬など、とにかく騒音の大きい分野の研究施設が多く並ぶ学区である。逆位相の音波を発する事で騒音を打ち消す機構まで備えられている学区を取り囲んだ防音壁。荒事をやるならこれ程最適な場所はない。第一位に第二位。ただでさえ温和でない二人。平和な交渉などで終わるはずもない。

 

「ただなぜそこに? 面倒事がありそうではありますけれど、時の鐘と関係が?」

「時の鐘は戦争の達者ではありますけど、対能力者戦のプロという訳ではありません。潮岸さんと超能力者(レベル5)が敵対したのなら──」

「潮岸の方に時の鐘は売り込みを掛けると?」

「それだけで対能力者の装備や知識が手に入るならそうすると思いませんか? 法水さんもそうでしたけど、必要なものを揃えられるならそれぐらいすると思いますね。何より相手が同じなら」

「敵の敵は味方ですか……」

「それに加えて、襲撃を掛けるも第一位も第二位も未だ健在。攻めてくると分かっているなら、そこにこそ戦力を集中するでしょうね。私達の情報を時の鐘もある程度握っているとすると」

「わたくしが追っているのも分かっているはず。『アイテム』の者達も健在なら、あの()()()()のこと、絶対追うでしょうし」

 

 追跡が得意な第六位も必ずそこに辿り着く。ちょこちょこちょっかい掛けた後、それで仕留められないと見るや引き、追って来た者を一箇所に纏めて一網打尽を狙う。それも統括理事会の施設なら、装備を整える事も容易。そう考えればなんとも理に適った動きではある。

 

「各個撃破の次は穴熊ですか、わざわざ此方に戦力を整えさせる意味がありますの?」

「全員が狙いなのか、それとも来る中の誰かなのか。乱戦になればそれだけ狙撃手としては望むところでしょう」

「そこに割り込めるとしたら──」

 

 黒子だけ。超能力者(レベル5)でもなく暗部でもないが、だからこそ手首に掛ける手錠を持っている。人の形をした銃弾だけが割り込める。唯一立場の違う正義の味方が。

 

「……白井さん、私は狙いを定められるだけです。視界をよくする事が出来るだけ。暴力という点ではあまり力になれません」

「十分ですの。ここまでが初春の仕事。ここからがわたくしの仕事ですもの」

 

 自分の目では見えないものを見てくれる者がいる。そこへと続く道を目の前に広げてくれたのなら、後は黒子が突き進むだけだ。

 

「初春、申し訳ないですけれど、わたくしもわたくしに出来ることに集中させて貰いますの。ですからわたくしの見えない部分はお任せしても?」

「通信は繋ぎっぱなしでお願いします。私もこの件が終わるまでは張り付きますから。ですから安心して突っ込んでください」

「はいはい、頼もしいことですわね。それと初春? 孫市さんのクセ、感染ってましてよ?」

「あぁッ⁉︎ む、無意識にッ⁉︎ うわーん! 法水さんに汚されちゃいました!」

「ちょっと初春」

 

 インカムを小突いていた手を止めて喚く初春の声に、黒子は眉間にしわを刻み深く大きなため息を零す。ピューっとビルの上に吹く強い風にすぐにその吐息は流されていき、背へと流れるツインテールに指を這わせて黒子は目を鋭く細めた。

 

 自分を研ぎ澄ます者。

 

 時の鐘(ツィットグロッゲ)超能力者(レベル5)も同じだ。

 

 自分にできることは何か。自分は何か。それを並べ見つめて自分を決める。

 

 黒子だけが持つ大事なもの。空間移動(テレポート)風紀委員(ジャッジメント)。誰より速く捕らえる力。御坂美琴のつゆ払い。法水孫市の愛する者。初春飾利の相棒。必要のない要素を削ぎ落とす。鋭い弾丸を削り出すように。そのまだ成長過程の体を丸めて、大事なものは取り零さないように抱えるように。

 

(お姉様も、孫市さんも居ない、わたくしだけ。久しぶりですわねこんなのは。お姉様が居ない時は孫市さんが居てくれて、孫市さんが居ない時はお姉様が居てくれた。でも今はわたくしだけ。わたくしだけですのよ。だからこそ、わたくしも次へと踏み出しませんと。まごついてなんていられませんの。わたくしは空間移動能力者なのですから。これまでを火薬にッ! 今こそッ! それに──)

 

 懐を黒子は一度撫ぜ、第二学区へ向けて顔を上げる。向かうべき場所は決まった。ならば後はすべき事をするだけだ。新たな自分の全てを懸けて。

 

 

 

 

 

 

 溶け落ちた軽機関散弾銃を踏み砕き、綺麗だった服をぼろぼろにした麦野沈利(むぎのしずり)が床に転がるステファニー=ゴージャスパレスを見下ろす。銃弾によって擦り切れた服の上から肌を擦り、蜂の巣となっている病室の中、ゴギリッ! と耳痛い音が響かず壁の穴に飲まれていく。

 

「ぐッ⁉︎ がッ⁉︎ ぁぁぁぁああああッ⁉︎」

「はいはい静かにしてくださいね。まだ両肩が外()ただけでしょう? ついでに肘もいっときましょうか。あぁ我慢しなくていいですか()、だって、できないもの。はい一つ」

 

 ミチリッ、とステファニーの肘の肉の筋に這わされたラペル=ボロウスの指が、マシュマロに沈み込むように食い込み容易く腕を向いてはいけない方向に捻る。それに合わせて歌われる絶叫。それに耳心地良い鼻歌を合わせながら、粘土をこねるようにラペルは人体を壊していく。

 

 トリガーポイント。圧迫や針の刺入によって、関連痛*1を引き起こす体表上の部位のことである。痛みを与えないのではなく、気絶もできない痛みをただ与え続けるラペルの手に、流石の麦野も若干引いた。拷問のお陰でラペルは素早く動く事はできないが、一度でも捕まれば蟻地獄だ。

 

 ステファニーの猛攻を麦野が焼き切った隙を突き、ゆるりと近寄ったラペルがステファニーを掴んだ瞬間勝負が決す。ただ手を掴まれただけで、指が肌に食い込んだだけで、肉が貫かれたような叫びを上げてステファニーは膝をつき、あれよあれよとバラされるのを待つ人形に成り下がる。

 

 ただ『痛み』を与える事だけに特化した女。どこを突けば我慢できないほどに痛むかなど、ラペル自身が身をもって知っている。チャイコフスキー交響曲第5番の鼻歌に混ざる絶叫を聞きながら、偉そうなこと言いつつ全くなんの役にも立たなかったゴッソ=パールマンは強く鼻を鳴らす。

 

「閉所でラペルとやろうってのが自殺行為なんだよ。ラペルを効率よく殺したきゃ遠距離から狙い撃つんだったな。ただやり過ぎて廃人にすんなよラペル。こんな一ドルにもならねえ事に本気出してもしょうがねえ。しかもそいつ全然情報持ってねえし」

「役立たずだったのに人の弱点を喋()とか、どういう了見なのでしょう? そ()にしても我慢弱いわね。孫市は握手した時指を外しても、呻きす()しなかったのだけ()ど」

「いや、アイツは痛覚ほぼ死んでんだろうが。だいたい一度裏切った罰だ罰。弱点知れてオメェらもこれで安心だろう?」

「ぐッ、うッ、あぁぐッ⁉︎ ギィィッ‼︎」

 

 弱点とかそういう問題ではないと、意気揚々と飛び込んできた来襲者の想像以上の惨状に誰もが目を逸らす。さっきからずっとステファニーは叫んでしかいない。足の関節を外され、肩も外され、肘も外され、「さあ次は指ね」と丁寧にバラしていく傷跡だらけの軍人の姿を見たくない。

 

「だいたい仇討ちってのが馬鹿らしいしよぉ。オレだって別に復讐を否定する気はねえが、砂皿緻密は仕事でやられたんだろうが。仕事でやられてその仇討ちって馬鹿か。オメェ傭兵って仕事分かってんのか?」

「ぐッ、うぁ、あなた、に、何が分かるッ!」

「分からねえし分かりたくもねえ。誰かをぶっ殺す仕事しててぶっ殺してた奴をぶっ殺されたから恨みますダァ? 釣り合わねえだろそんなんじゃあよぉ。それが嫌ならこんな仕事してんじゃねえ。一度でも誰かを手に掛けたなら殺される準備くらいしろ」

 

 吐き捨てて、ゴッソは相手もしたくねえとぐるぐる包帯に巻かれた体を揺り起こし、怠そうに歩いて唯一綺麗な滝壺理后(たきつぼりこう)達が縮こまっているベッドへと腰掛ける。ポケットから萎れた煙草を一本取り出し咥えるゴッソへと、浜面仕上(はまづらしあげ)は弱々しく目を向けて、「……アンタは殺されてもいいのかよ?」と小さく問うた。

 

 ステファニーも砂皿も、時の鐘だけではない。『アイテム』もまた誰かを殺して生きてきた暗部である。今でこそ暗部を抜けようと動いているが、殺されても文句を言うなと吐き捨てた戦争人に向けての質問に、答えを待って『アイテム』の目が集中する。暗部であっても、『アイテム』はまだ学生だ。良い事も悪い事も悩みは数多く持っている。どうするのが正解か、一度仲間を手に掛けかけた麦野にだって分からない事は多い。悪としての先達の言葉を待つ生徒に向けて、アホな質問するんじゃない、とゴッソは緩く浜面の頭をノックした。

 

「昔オレの同僚がとんでもねえ殺人鬼を追っててなぁ、最後には殺しちまった時の事だ。そりゃあえれえ殺人鬼でな。殺されても仕方ねえクソ野郎だった。んで、その同僚曰く、殺したら殺したで呆気ねえなってな」

「なにかなそれ、なにが言いたい訳?」

 

 長くなりそうな話に麦野が目を細め、せっかちな奴が多いとゴッソはさっさと結論に移る。

 

「悪たれがするべきはただ一つ生きる事だ。ぶっ殺されそうになっても生き汚く生きること。せいぜい狙われて、脅されて、刃物突き立てられようが、蛆虫みてえに生きるしかねえ。命を粗末に扱うんだからなぁ、それぐらい生き汚く生きて、他の奴の目標になってやるぐらいじゃなきゃ生きてる意味もねえだろうが」

「……それで結局殺されたらどうする訳よ」

「さっぱり死ね。善人殺すような外道なら三途の川を渡る銭もねえんだ。せいぜい彼岸で呆けてろ。ただ、悪だろうが死ぬまでに正しいことができたなら、閻魔ぐらいにゃ会えんだろうぜ。好きだぜ日本の死んでも金がいるって考えはな」

 

 所詮一度手を血に染めたら、一生それは拭えない。それでも悪なら悪のままでしかできない正しい道も存在する。暗部だからこそ暗部の魔の手から誰かを守れる。裏にいるからこそ、危険を誰より知る事ができる。バカと鋏は使いようだ。そこから抜け出せたとしても、積み重ねたものは消えてはくれない。それでもそれを背負ってどう進むかが大事であり、これまでやって来た事をやり返されて嘆き喚くぐらいなら死んだ方がマシだとゴッソは断じた。

 

「暗いところから抜け出してえ、それは分からなくもねえ。だが、自分が暗いところに居たと忘れるような粗末な頭してんなら今のうちに入れ替えとけよ。それとも考えんのが面倒だから脳停止でもするか?」

「だけどよ、それは力があるからそう言えんだろ? 俺は……」

 

 ゴッソに目を向けられて、浜面は小さく手を握り締めた。

 

 第四位を退けた。そんな風にオーバード=シェリーにも言われたが、その時は第六位が居てくれた。他でもない立ち上がると決めたのは浜面だ。だが、軽機関散弾銃を向けられて、麦野のように笑って浜面が立ち向かえるかと言われれば否である。ベッドの隅で縮こまっていたように、浜面にはいざという時振るえるものなどただの拳だけ。しても尊いものではあるのだが、麦野や絹旗に比べればちっぽけな力。

 

 そんな浜面の手を掴み、ゴッソは浜面の手のひらに目を這わせる。

 

「……時の鐘にもオメェと似たような手をしてんのがいる。オメェピッキングとか得意だろ。それに車もそこそこ転がしてんな。どっちも覚えようと思わなきゃ磨けねえ技だ。オメェはオレ達寄りだな。体つきも悪くねえ。それ以外になにがいる?」

「なにってそれは……」

「足りねえものがあんのなら、後は道具で補えばいいだけだ。狙撃手に狙撃銃が必要なようにな。それが人間ってもんだろうが。戦人になりてえならまずはオメェにとっての得物を見つけろ。それまではその手がオメェにとっての狙撃銃だろうがよ。それとも何もねえからってただ殺されんの待つのかオメェは」

 

 そう言われて浜面は背後の滝壺へと小さく目を向けた。例え何を持っていなくても、浜面を信じてくれる子が一人だけでも居てくれる。それなのに、ずっと隅で蹲っているだけなのか? 

 

 それは違う。

 

『アイテム』は崩れなかった。麦野沈利が居て、絹旗最愛(きぬはたさいあい)が居て、フレンダ=セイヴェルンが居て、滝壺理后がいる。浜面仕上が守りたいと思った場所。人使いは荒いし基本優しくはないし、浜面よりよっぽど強い者がいる。それでも浜面は守りたいと思った。そう思い拳を握った。一度握っただけで終わりにするのか、たった一度頑張っただけで満足なのか。超能力者(レベル5)無能力者(レベル0)の拳が突き刺さったように、この世に絶対などということはない。他でもない浜面自身が知っている。

 

(……俺は弱え、今はまだ……それでもッ)

 

 所詮無能力者(レベル0)だと諦めた時もあったが、それでもそのまま前に進み続ける事はできる。弱いと知っているから強くなれる。能力者でなかろうと、強い者が正に目の前に座っている。全ては無理でも守りたいものを守れるように。もう失わないように。

 

(今更時の鐘みたいにとか、能力者みたいにとか俺には無理だ。積み上げてきたものが違ぇ。それにそれは俺が目指したいもんでもねえ。なら、それならそれで俺が積み上げて来たものを積み上げ続けるしかねえじゃねえかッ!)

 

 孫市にもなく、上条当麻にもなく、一方通行にもないもの。学園都市で、能力者の街で能力者と渡り合う為にこそ鍛えた体。よくないものも数多くあるが、学園都市の技術に手を出すことに躊躇いもない。誰かの力を借りてでも、みっともなくても戦えることこそ浜面の力。一度全てを失った。失うものは何もない。なら後は掴んでいくだけだ。

 

 息を吹き返した浜面の顔をゴッソは見ると、他の者達の顔を見回し、震えた携帯を手に取って、さっさとするぞと手を叩く。

 

「『グループ』から連絡が来た。第二学区に集合だ。行くのは全員でいいんだな?」

「ああ、俺達全員揃って『アイテム』だ。誰も置いてきやしねえ。暗部を抜ける為に行くんなら、全員で行かなきゃ意味がねえ。俺にできることなんて、今は全然ねえかもしれねえけど、何があっても滝壺は俺が守ってみせる。だから行くなら全員でだ!」

 

 拳を握る浜面の頭を、麦野は軽くひっ叩く。それでもバチンッ! と痛い音が響き、ベッドに顔を埋めた浜面の頭を撫ぜる滝壺を見て鼻を鳴らし、不機嫌そうに腰に手を当てた。

 

「なんで浜面が仕切ってるのかな? ま、置いてって狙い撃ちされたり、他の暗部に狙われても困るし、一緒の方が寧ろ安全かもしれないけど」

「まあここまで来たらやるしかないですか。狙われたままほっとくのも寝覚めが超よくないですからね」

「ただオレとラペルに期待すんなよ。得物もそこの傭兵崩れから奪えた拳銃一つ、今はオレもラペルも素早く動けねえ。現場に着いたらオメェらの出番だ」

「結局やる事なんていつもと変わらない訳よ。出来るだけ派手にぶっ飛ばしちゃいましょ!」

「今回は遠慮しなくていいでしょ、フレンダも絹旗も好きにやりなさい。私もそうする」

 

 第七学区から一台の救急車が猛スピードで出て行った。サイレンの音より喧しい話し声を撒き散らす救急車を、病室の崩れた壁からカエル顔の医者は見つめ、廊下から聞こえる呻き声を追って身を翻した。

 

 ゴム人形のように伸び切った手足で転がるステファニーの横に立ち、困ったように頭を掻いた。病院内で怪我人を作られる事ほど怠いことはない。

 

「うぅ……砂皿さん……」

「喋る元気があるなら安心だね? 必要なものがあるなら言ってくれ、僕は医者だからね? 生きている限りは必ず救おう」

 

 痛みの中に安堵の息の混じったステファニーから視線を切り、『冥土帰し(へヴンキャンセラー)』はもう一度だけ外を見つめた。なんとか死なずに戻って来い、と古い戦友の仲間と学園都市の戦人に向けて。全てが終わった時こそが、医者にとっての戦場だ。

 

*1
痛みとなる原因が生じた部位と異なる部位に感じる痛みのこと


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