時の鐘   作:生崎

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狙撃都市 ⑥

「統括理事会の住処なんて聞いてましたけど、超何にもありませんね?」

 

 絹旗最愛(きぬはたさいあい)の呟きに、賛同するように麦野沈利(むぎのしずり)は肩を竦めた。救急車でサイレンを鳴らし爆走しながら第二学区に突っ込み、特に襲われる事もなく今に至る。遠く戦闘音を響かせ吹っ飛んだドームの戦闘煙を見た時こそ、第一位と第二位がエラく派手に戦いの狼煙を上げたらしいと身構えたが、別のポイントから侵入すると、同じ場所で戦闘が行われているのかと疑問に思う程静かだ。

 

 響くのは自分達の足音だけ。長く重厚な通路を右へ左へ。誰にも会わずに歩きっぱなし。そんな中で一人息を多少荒くさせている滝壺理后(たきつぼりこう)を支えながら、「大丈夫か?」と浜面仕上(はまづらしあげ)は声を掛ければ、拙い笑みを返された。

 

 滝壺も今日が退院。調子が万全かと言われればそうでもない。本当ならどこか安全なところにいるのが一番なのだが、『安全』と言い切れる場所が存在しない。麦野は『時の鐘(ツィットグロッゲ)』に狙われ、連絡係からの依頼さえぶっ千切っての独断行動。どこの暗部が『アイテム』狙いやって来るかも分からず、滝壺を残し、護衛として幾らか戦力を削ぐぐらいなら、一緒に居た方がまだマシだ。

 

 それが『最善』と分かっていても、それを『最善』としかできない現状が歯痒く浜面は拳を軽く握る。暗部にいる者はゆっくりとベッドに横になる事も許されないのか。一度厄介事が起こればこれだ。どれだけ安心を求めたところで絶対の安心などなく、それが気に触ると浜面の口端が歪んだ。

 

「それで、どうする麦野。このまま潮岸のところまで行って他の奴と合流するのか?」

「一番はそれね。上から離反したんだし、ここまで来たら『ドラゴン』の情報を何であろうと手にしないとどうにもならない。ただこれは──」

「だろうぜ」

 

 眉を寄せる麦野にゴッソ=パールマンは賛同の声を上げる。忌々しそうに歩きながら壁を拳で小突き、通路の先へと顔を向けた。

 

「目的地からちょいとズレてやがんな」

 

 迷路のような終わりない通路は、歩いていると分かりづらいが、多少目的地から逸れているようであった。適確に置かれた曲がり角に、真っ直ぐに見えて微妙に弧を描いている通路。頭の中でもっと広く道を思い浮かべる事が出来れば、違和感にはすぐに気付く。それならそれで道に沿って歩き続けるのかと言われればそうもいかず、足を止めて立ち止まった先頭の麦野に揃って足を止め、麦野の横から閃光が伸びた。

 

 道がないなら作るまで。ヒュガッ‼︎ と、息の詰まったような音を上げて焼き切れた壁を見て、フレンダ=セイヴェルンは笑みを引攣らせた。堅牢な要塞も意味を成さない超能力者。味方としてこれほど頼もしい存在も少ない。風穴の空いた壁を気取る事もなく見つめて、「行くわよ」と零された麦野の呟きに数多の顔が頷く。

 

 そんな中で、ピタリと麦野の足が止まった。そんな麦野の背を見つめて他の者の足も止まる。歩いてきた通路へて一番に振り返ったのはラペル。次いで麦野とゴッソ。耳を小突き重低音。

 

 ──ドドドドッ!

 

 鋼鉄の床を勢いよく走るような音が廊下の中を反響し、その音を徐々に高めている。

 

「ちょ、ちょっといったいなんなのよ! 敵襲?」

「そうだった()よかったですね。この音には聞き覚えがあ()わ」

 

 フレンダ=セイヴェルンの叫びを傍らに、眉を顰めたラペル=ボロウスの目の先にすぐに答えは突き付けられる。遠く曲がり角から顔を覗かせる形ない透明な腕。壁にぶち当たり飛沫を上げて通路の中を疾走する。その正体は誰もが知るもの。生き物には欠かせないもの。人体の七割を構成するそれは──。

 

「み、水ぅッ⁉︎ なんでいきなり⁉︎」

「滝壺ッ‼︎」

 

 浜面が慌てて滝壺の腕を掴んだと同時。世界を潤している恵が大口開けて人々を飲み込む。大地を洗い流したノアの大洪水然り、荒れ狂う水に方舟もなければ太刀打ちできない。絹旗も足を踏ん張るが水圧には勝てず、形ない腕に総じて絡め取られる。ぐるりと視界が描き混ざり、体に硬いものがぶつかる衝撃が走る。そんな中でもなんとか掴んだ滝壺を離さないように浜面は手に力を込めるが、透明な腕にずるりと手の中の者が拐われてしまう。

 

 名を叫ぼうにも浜面の口からは水泡しか溢れず、定まらぬ視界の中なんとか手を伸ばし床を蹴り、体を濡らす重い世界から顔を出す。パシャリと跳ねた水面の音もすぐに流れる水に攫われてしまい、潤んだ視界の中に飛び出す見慣れた顔。

 

「麦野! 絹旗! フレンダ!」

 

 口から水を噴きながら顔を出す仲間達の中に、ただ浜面が誰より気にする顔がない。「滝壺!」と名を呼んでも返事はなく、ゴッソもラペルの顔もあるのに、一向に滝壺の顔が上がって来ない。

 

(溺れたのかッ⁉︎ そんな嘘だろ!)

 

 ただでさえ濡れた服では体が重く、流れるプールなどの遊戯でもない水流の中。退院上がりの滝壺にとって、それがどれだけの負荷になるか。銃撃などは寧ろ多少の覚悟をしていた。ただ、そんな中でも麦野や絹旗が居れば大丈夫だとどこか安心していた浜面だったが、水責めはいくらなんでも予想外だ。終わりがあるのかも分からない通路の中を流されながら、浜面は大きく息を吸い込み水中の中に顔を突っ込む。

 

(どこだッ⁉︎)

 

 纏まって流されたためそこまで遠くには行っていないはずだと当たりを付けて見回すが、一度水の中に顔を埋めればより体が水に持っていかれる。だが、早く見つけなければ壁や床に何度も体を強打する羽目になる。歯を食い縛り辺りを見回し、水の中力なく流れに揺られている少女の影を視界の端に捉えた。流されるまま手をなんとか伸ばして指を服に引っ掛けて、なんとか引き寄せようと力を込める。

 

 そんな浜面の歪む視界を銀閃が横切った。目を細めて走り去った銀閃の根元へと浜面が目を向ければ、透明な世界の中優雅に泳ぐ影が二つ。魚のように流れに乗って、手には銀の槍を覗かせる筒を手に持った影の眼光が四つ水中に浮かぶ。驚き口を開けてしまった浜面の首元が急に引っ張られ、水上へと力任せに引き上げられた。

 

 水を吸ったピンク色のセーターを重そうに肌に張り付けた絹旗の横に並ぶぐったりした滝壺の顔。

 

「超世話が焼けますッ!」 と叫ぶ絹旗。

 

 その声に「痛ッ⁉︎」とフレンダの絶叫が混ざった。

 

 絹旗達三人の背後で顔を歪めたフレンダを包むように、水に薄い朱色が混じった。水に流され細長く伸びる朱線の元へフレンダの左腿。水の中。廊下の照明に照らされフレンダの左腿から伸びる銀の棒が歪んだ光を照り返す。痛みを逃すようにそれを掴むフレンダを見て、慌ててラペルは声を荒げる。

 

「抜いてはダメよ! 肉が抉()ます!」

「ハァ⁉︎ そんなの刺さった訳⁉︎ クッソ痛いんだけどッ!」

「刺さったままにしとけクソ餓鬼! 下手に抜けば出血多量でお陀仏だぜ! ゲルニカM-008だ! 時の鐘の水中銃、腐れマーメイド共が来やがっ──ッ‼︎」

 

 叫びながら舌を打ち、滝壺の前へと腕を伸ばしたゴッソとラペルの腕に水面から飛び出して来た銛が突き刺さる。ぶちぶちと筋繊維を突き破るように刺さった細長い銛。エメラルドグリーンとアイスグリーンの目に痛い髪が音もなく水面から伸びて来る。含み笑い、水に流される漂流者を嘲笑うかのように見つめて。

 

「「腐れマーメイドとか失礼しちゃうわ。スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』一番隊所属」」

「アラン」

「アルドよ」

「「海じゃないのが残念だけど藻屑にはなって頂戴ね」」

 

 手にした丸筒に新たな銛を番える二人を見て、大きくゴッソは舌を打った。

 

 ゲルニカM-008。時の鐘の武装の中でも、かなり特殊な武装である。水中で使うという海のないスイスの中ではあまり使われることもない細長い小さめの銛を撃ち出す水中銃。肉に食い込むように突き刺さり、力任せに引き抜けば肉が抉れ、水の中では多くの血が攫われる。水中ではゲルニカM-003が取り回し辛い事から、水中では重宝されるが、使う者は多くはない。そんな中でも時の鐘で最も多くこの武装を使うのがアラン&アルド。ゲルニカM-008に関してのみ言えば、オーバード=シェリーよりもアラン&アルドの方が練度は上。当てられたのは仕方ないが、なら抜かなければいいのかと言うと話は違う。

 

 突き刺さった銛から伸びる細いワイヤー。それを掴むアラン&アルドの手を睨み、ゴッソがラペルの名を呼ぶと同時にナイフがワイヤーへと振り切られるが、チキキッ、と耳障りな音を奏でるだけで千切れない。

 

「「あぁそうラペル、裏切ってた訳? 裏切り者が更に裏切るなんて傑作だわ! 折角その傷痕が消えるかもしれないチャンスを逃すのね」」

 

 化粧をしたところで消しきれないラペルの深い傷跡をアラン&アルドは嘲笑い、ラペルはそれを鼻で笑い飛ばす。自分の傷痕を軽く撫ぜて。他人にトラウマに手を突っ込まれたところで、逆上する理由がラペルにはないから。

 

「消えても(ここほ)に残ったままの傷痕よ()も、もっといいものが手に入()ましたか()

「「あっそ、これから死ぬのに手にしても仕方ないでしょ。裏切り者には死をってね」」

「あなた達鏡見て同じこと言えるのかしら?」

 

 笑みが光に塗り潰され、流れる水より冷たい汗を掻き水の中へとアラン&アルドの姿が失せる。それを追い閃光の槍が水面に落ちた。水飛沫を上げず蒸発させて、一瞬隠れていた床が見えるほどに抉れる水の壁。ラペルの切れなかったワイヤーさえ焼き切った破壊の爪の感触のなさに麦野は舌を打ち、その舌打ちの音を食い破るように麦野の肩の後ろに銛が刺さる。

 

「「私達的には貴女さえ討てればいいんだけど、一つじゃ心許ないしー」」

 

 水流に乗っての容易な加速。麦野の背後へと簡単に回ってみせるアラン&アルドだが、実際にやろうと思えば水中での姿勢制御に加減速、咄嗟でも十全に動けるだけの肺活量。どれをとっても相手が上手。目の前へと浮かべる光球で麦野はワイヤーを焼き切りながら放とうとするが、急に横へと姿を消したアラン&アルドに当たってくれない。曲がり角。水流に押されるまま壁に衝突し、光球が押し付けられた壁に穴が空く。

 

 細めた視界の端で流れてくる仲間の影に舌を打ち、麦野は慌てて能力を消すが、同時に背にぶつかってくる仲間の衝撃と、太腿に突き刺さる銛の感触。二つに挟まれ麦野の視界の奥で火花が散った。

 

「──テッメェらッ! この腐れ双子がッ! そんなに穴開けてえならッ」

 

 蜂の巣にだって穴開きチーズにだって変えられる。そう吐き出そうと開いた口を噛み締めて、身の回りに浮かべようとした光球を消した。隣にいる者を考えなければ、やたらめったら撃ち出し崩す事など容易い。麦野一人なら手間取っても負けはしない。仲間などいなければ能力を使っておしまいだ。自分一人なら──。

 

 だが、それはやめる。楽に勝てる道を自ら捨てる。一度麦野に殺されかけようと、別にいつもの事と言うように許した者達。麦野の力は破壊の力だ。それで誰かを受け止めたり、抱きしめる事は出来ない。ただ、向ける先を選ぶ事は出来る。今一度味方にまで向けるのか否か。向けたところで、また『いつもの事』と許してくれるかもしれないが、それではただ縋っているだけだ。

 

 だからそれをやめる。

 

 学園都市の第四位が、能力に巻き込んでも許してくれるだろうから遠慮なく撃つなどと、甘えて、縋って、そんな姿を自分と言うのか。言う訳ない。ただ強ければいいなどと、そんな事では満足できない。どこぞのお喋り仮面は、スキルアウトを守りながら第四位に勝って見せたのに、他でもない第四位に同じ事ができないなどあり得ない。だから麦野は歯を食い縛り、二本目の銛が肩に刺さった。

 

「「あらあら、第四位は癇癪持ちだって聞いてたのに思ったよりお優しいのね?」」

「ッ、ただのハンデってだけだけど? 素のままだと相手にもならないし」

「「ふーん、いつまで強がっていられるかしらッ!」」

 

 アラン&アルドに強くワイヤーを引っ張られ、刺さった銛が抜けようと軋む。体に力を入れて抜けないように麦野は踏ん張るが、水の中で足場がある訳でもない。忌々しそうに顔を歪めて水中に朱色を混ぜる麦野の姿に、『アイテム』は例外なく目を見開いた。

 

 中でも誰より強く目を見開いた男が一人。

 

「……麦野」

 

 付き合いが長くはなかろうと、浜面仕上も麦野沈利がどういった人間かは知っている。

 

 癇癪持ちで粗暴で見栄っ張りで完璧主義者の超能力者(レベル5)

 

 本当なら今すぐにでも一切合切消し炭にしたいはずだ。

 

 なのにそれをしない。

 

 暗部達の抗争があったあの日から、素っ気なく、ぎこちなくても、麦野は持ち前の潤沢ではない優しさをそこまで隠さなくなった。

 

 麦野も変わろうとしているのか、普段会わないような者とも会い、入院していた滝壺に気も掛けて。

 

 浜面が変わろうとしているように、麦野もまた変わろうとしている。暗い方から明るい方へ。抜け出せなくても、少しでもそこへ近付く為に。

 

「はまづら……」

 

 心配そうな顔の滝壺に肩を引かれ、少女の不安に浜面は奥歯を強く噛んだ。浜面が何より守りたい少女、ただ守りたいのは滝壺だけではない。なんだかんだと浜面に手を貸してくれる絹旗にフレンダ。逃げ出してしまった浜面を受け入れてくれた場所。『アイテム』もまた浜面が守りたいもの。一度全てを手放してしまった浜面だから。多くは無理だ。守りたいものがいくつあったとしても、守れるものなど一握り。

 

 ただでさえ一般人では届かない能力者、無能力者でも浜面が敵わないような相手が多くいる。それでも『滝壺』と『アイテム』、この二つだけは、右手と左手に握り締め守りたい。

 

 ワイヤーを引っ張られ、態勢の崩れた麦野が一人先へと行ってしまう。それを睨み付け、浜面は絹旗の名前を叫ぶ。なんとか体を動かし傍の滝壺を絹旗へと強く押し、背後のゴッソやラペルも少しでも減速するように。

 

「絹旗! 他の奴らのことは任せた! フレンダ! 俺を奴らの方に押してくれ!」

「はあ⁉︎ 浜面超本気ですか! 浜面に何ができるんです!」

「人数少ない方が麦野も動きやすいだろ! だから俺が行くッ‼︎」

 

 浜面は不敵な笑みを浮かべようとするが、どうしても口端が引き攣ってしまい、泣きそうな顔にも見えてしまう。それでも強がりを引っ込めない。「馬鹿なこと言ってないで──」と苦言を溢そうとした絹旗の横で、フレンダはポケットに突っ込んでいた手で浜面の胸元を殴り、咳き込む浜面の背を蹴り出す。

 

「……無能力者(レベル0)が一番イかれてる、ね、行って来なさい浜面! せいぜい麦野の盾になって!」

「ごはッ、お前他に言うことねえのかッ⁉︎ くっそ、任せろッ!」

「フレンダ⁉︎ あぁもう! 任せましたよ浜面!」

 

 フレンダに叩かれた胸元を握り締め、壁に拳を突き立て止まる絹旗を見たのを最後に浜面は身を反転させ、川の流れに任せて加速する。

 

「ぐッ⁉︎」

 

 途中何度も曲がり角で壁に突っ込み、顔を険しくさせながら、それでも麦野達に追いつくために前へ進む足は止めない。フレンダと絹旗が背を押してくれた。ゴッソとラペルが他でもない滝壺を守ってくれた。滝壺はいつも浜面を心配してくれる。そんな者達に浜面だって何か返したい。

 

 二つ三つと流れるまま角を折れ、四つ目の角を曲がったところで濡れそぼった長い茶髪を浜面の目は捉えた。

 

 腕に一つ、足に一つ銛を増やして、麦野が閃光を放とうと光球を浮かべようとすれば、釣り糸に引かれるように無理矢理麦野の態勢が崩される。隙のできた麦野へと新たな銛が差し向けられるのを目に、浜面は大きく叫びながら両腕を目の前にクロスさせ、アラン&アルドに向けて突っ込んだ。後のことなど考えない。今浜面にできるのは、目の前の惨状を失くすこと。

 

「うぉぉぉぉおおおおッ!!!!」

「浜面⁉︎」

 

 麦野の横を通り抜け、それでも前進を止めぬ浜面の腕に一つ二つと銛が突き刺さる。雄叫びの中に絶叫が混じり、どちらを叫んでいるのか浜面本人にさえ分からない。それでも前進を止めずに突っ込む浜面の突進がアランに当たり、そのまま巻き込み少しばかりできた距離に浜面は麦野の名を叫ぶ。

 

「麦野今だッ!」

 

 麦野なら必ずやってくれる。浜面の叫びに笑みを返し、痛み丸めていた体を開き宇宙戦艦が照準を合わせた。

 

「浜面にしては上出来ね! ブっ飛べゴミがッ‼︎」

 

 強大な輝きが水面を裂く。

 

 床さえ穿つ衝撃に押された水壁に跳ねあげられるかのように浜面は押され、ぐちゃぐちゃに掻き混ざった視界の中で、腕に鋭く走った痛みに目を向ける。突き刺さった銛が引かれる。伸びたワイヤーを手繰り寄せ、深海魚のように目を光らせる深緑の軍服を着た者の蹴りが浜面を居抜き、追撃の銛が肩と腹に突き刺さる。

 

 三つのワイヤーを両手で握り、水の流れに乗って身を捻ったアランの動きに体を引かれ、浜面の背が壁に強く叩きつけられた。痛みで開いた浜面の口の中へと水が盛大に流れ込む。ごぼりと溢れる小さな水泡。それを裂き、浜面の口から無理矢理水を吐き出させるかのように、腹に一撃を加えたまま、水上へとアランは浜面を引き摺り上げた。肩に刺さった銛を捻りながら。

 

「ぐッ⁉︎ いぃッ⁉︎」

「貴方達よくもアルドの足をッ!」

 

 アランは無事でも、絶えず意識が繋がっているからすぐに理解した。自分の足は健在でも、なくなってしまった感覚が一つ。頭の中で痛みを噛み潰す兄弟の声が止まずに響く。右足一本。消えた感覚を捩じ切るように浜面の肩の銛へと力を込めるアランへと、痛みに顔を歪めながら浜面は唾を吐き捨てる。

 

「ぐッ⁉︎ 殺しに来といて、足がなんだッ! 人の平穏踏み荒らしといてッ!」

「孫市みたいな事言わないでくれる? 貴方達にだって狙われる理由があるんでしょうが『アイテム』。『ドラゴン』だったかしら? そんな情報追って来て、怪我もせずに帰れると思ったわけ?」

「それはこっちの台詞だ! 何が欲しいのか知らねえが! 仲間を裏切ったクソ野郎に言われたくはねえッ‼︎」

「……ほんとに余計なお世話だわ」

 

 捻りながら突き出した銛が浜面の肩を貫通する。声にもならない叫びを上げる浜面を冷めた目でアランは静かに見つめた。

 

 海のないスイスにも海軍があるという噂がある。

 

 河川での戦闘部隊があるため、陸軍が船艇部隊を保有してはいるがそれとは違う。およそ都市伝説ではあるがそんな話がある。もしもそんな幻の艦の舵を取れたらどれだけいいか。

 

 生まれながらに念話能力(テレパス)の『原石』であるアラン&アルドは、この世で誰より人は誰しも一人ではない事を知っている。アランにはアルドが、アルドにはアランが常に居た。だから孤独を知らないが、だからこそ他の者も特に必要はなかった。

 

 お互いがいればそれでいい。それは昔から変わらない。胎児であった頃より変わらない。母なる水の中で二人、それが世界の始まりだった。

 

 漠然と頭に浮かぶ疑問を、同じように疑問に思ってくれる存在がすぐ側に居る。柔らかく肌を撫ぜる水の中から、なぜわざわざ人間は体の重い地上へと足を落とすのか。水面に揺られている間は最高なのに、地に足を運ばせている間は最低だ。歩く度に肩に重く何かがのし掛かる。

 

 二人だから背負える、二人だから進める。楽しみも苦しみも一人で抱える必要はないと知っているから。ただ、それでも重いものは重い。終わりに手を伸ばす者もいれば、始まりに手を伸ばす者もいる。

 

 二人で完結してるのに、世界には人が多過ぎる。揺られる揺籠が必要だ。船出とは始まり、船出とは未来、船出とは自由。それなのに、未だに船は出てくれない。自分を認めてくれる者はいる、だから己を偽る必要はない。それが二人を世界から弾き出した。包んでくれるものは何もない。

 

 だから揺籠だ。

 

 揺籠が必要なのだ。

 

 水面に浮かぶ自分達だけの揺籠が。

 

 自分達が地に足をつけられる船体(せかい)が。

 

「夢を描いて何が悪い? 欲しいものがあって何が悪いの? 誰にも夢があって欲しいものがあるから生きているのでしょう? 裏切りもなにも、そんなのそこに欲しいものがなかっただけの話だわ。私達は私達だけで完璧なのよ。なのにこの世には人が多過ぎる。そこから抜け出したいと思ってなにが悪いの? いい加減船出がしたいのよ」

「意味、分からねえッ!」

「分からなくて結構だわ。平和に生きる凡人に分かってもらおうなんて思わない」

 

 長く生きて来ても未だ地に足がつかない。世界から浮いたように見られるのはウンザリなのだ。どこに自分達の居場所があるのか、分からないなら始まりを掴む以外にない。その邪魔をするなら礎になれと浜面の肩を貫通した銛を掴み握るアランに、だからこそ浜面は叫びを噛み締め食い縛る。

 

 一度逃げてしまった場所に踵を返して逃げ込もうとは思わない。それなら初めから逃げなければよかったのだ。逃げて逃げて逃げ続け、それに飽いてしまったなら、前に進む以外に道などない。これまでに戻ったとして、嫌になったらまた逃げるのか? そんな情けない自分が嫌だからこそ浜面はここにいる。

 

 振りかぶられる腕が二つ。振り切られる浜面の拳に届かないとアランは高を括るが、目に飛び込んできた鉄の輝きにアランは右目を貫かれ鮮血が舞った。

 

「がァッ⁉︎ 貴方──ッ⁉︎」

 

 浜面の腕から血が噴き出す。肉の抉れた腕の痛みに歯を食い縛りながら、銛を手に握ったまま、右目を抑えるアランの体を強く蹴り出した。

 

「欲しいものがあるのは悪くねえよ。でもアンタらは『アイテム』に手を出した! 他でもねえ俺の大事な世界に! こんな俺でも知ってる事はある。この世に完璧なんてねえ! だから頑張れるんだ! アンタだって知ってるはずだろ!」

 

 自分だけの狭い世界。浜面にとってはスキルアウト。情けなくも逃げ出して、ようやく浜面は大事なものを知った。自分を包む狭い世界は自分を形作る大切なものだ。ただ、新しい何かを知るには、新しい何かを掴むには、どうしても外に出なければならない。

 

 そんな者が時の鐘にも一人居る。

 

 自分の限界を知っているはずなのに、それでは嫌だと世界から這いずり出るように進む男。誰にも彼にも追い付きたいと、自分のまま狭い世界を広げていく。自分の始まりを知ったとしても、突き進む弾丸のように前だけを見て、アラン&アルドの世界にまで足を伸ばすような男が一人。

 

「貴方達は……なんでそうなのッ!」

 

 分かっていたはずだった。

 

 無理だ、無謀だ、才能がない。だから人は他人を見くびる。だが、そんな中でも血と泥に塗れてもそれを食い破って進んでくる馬鹿がいる。己の、又は誰かの為。痛いと分かっていようが、死ぬかもしれないリスクをやすやす背負い、一線を容易く踏み越えて来る者達。

 

 勇者ではなく愚者。

 

 そんな者達は、才能の壁も世界の壁も踏み越えて、いつも意外な結果をその手に握る。

 

「俺は自分が完璧じゃないって死ぬほど知ってる。だから差し出された手は握っちまうよ。それも仲間の手なら絶対もう放さねえ」

「なッ⁉︎」

 

 水面から伸ばされた浜面の手に握られた起爆装置。

 

 フレンダに胸元へと殴りつけられた小さな正三角錐の爆弾と起爆させるための起動装置。

 

 スイッチは浜面の手元に。なら爆弾は? 

 

 浜面の肩に刺さった銛を捻っていた時。それだけ肉薄していれば、どこにあるかは自ずと分かる。慌ててアランはポケットを漁るがもう遅い。

 

 ────ドッ‼︎

 

 水面を突き破り紅蓮が弾け、いくら殺傷能力が低かろうと大きくアランの体が後方に飛ぶ。

 

 音の跳んだ聴覚と、白黒瞬く視界を振って、途切れそうな意識が痛みによって覚醒する。叫ぶ暇も意識を失う暇もない。時の鐘の軍服のおかげで想像より怪我は小さく、距離が離れたならこれ幸いと、水に飲まれて漂う遠くの浜面にトドメを刺そうと手を動かすアランの背に何かが当たった。

 

 アランが振り返ったのと、アルドが振り返ったのはほぼ同時。途切れかけた意識と痛みでお互いの位置を把握しかねた。ただそれだけ。小さな爆風に押されたアランにアルドも押され、二人揃って『原子崩し(メルトダウナー)』の手元へと流されてしまったただそれだけ。

 

 アランの瞳に笑みを深めた麦野の顔が映り、伸ばされた麦野の腕に襟を掴まれアルドごと力任せに引き寄せられた。破壊の閃光に貫かれ終わり。そう思い身構える事もなくうすら笑みを浮かべたアランの前で、麦野は強く拳を握り締めた。

 

「なにもう終わったみたいな顔してる訳? 他人の体に傷付けて、そんな簡単に終わらせてあげる訳ないでしょうが。あなた達を殺すのは私じゃないわ、せいぜい裏切り者らしく仲間の影に怯えなさい。だいたいさぁ、テメェらみてえなオカマ野郎共に能力使うなんて勿体ないだろうが! 能力なんてなくてもテメェらみたいなの余裕なんだよ! 超能力者(レベル5)舐めんなッ‼︎」

 

 振り切られる麦野の本気の拳をアルドは腕を盾に凌ごうとするが、殴られた腕の骨にヒビが入り、そのまま背後の壁にアラン共々顔がめり込む。

 

 ボゴンッ‼︎ と大きな音を上げて揃って壁に埋もれた深緑の軍服に血の筋が垂れるのを見送って、浜面は苦笑し、麦野は大きなため息を吐く。朱に染まった水面に浮かび、ようやく体の力が抜けた。

 

「はっは、流石麦野。やっぱ強えな。俺はもうぼろぼろでヘトヘトだぜ」

「当たり前でしょうが。おしゃべり仮面やくそったれスナイパーや第三位にできて私にできない事なんてないの。あなたも私に一度勝ったって言うなら、もう少し余裕に勝ちなさいよ」

「無茶言うなッ‼︎ ったく────」

 

 弱々しく肩を竦めて差し伸ばされた浜面の拳に、麦野の握り拳がぶつけられる。守りたいものと握った願い。握ったものは取り零さず、それはほんの小さなものかもしれないが、確かに握り締められた。

 

 


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