時の鐘   作:生崎

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狙撃都市 ⑦

 黒が立っている。

 

 燃えるような夕焼け空の下で、バチリッ、と火花を上げる千切れた駆動鎧(パワードスーツ)の断面と、黒煙を上げる燃える乗用車の狭間に立つように。鋼鉄の爪を二本握り、闇から削り出した風貌が崩れないよう深緑の軍服で包んで。星のように暗闇に浮かぶ眼光が、それが生物であることを教えている。

 

 一度目を逸らせば影に溶けてしまうような、そんな男を瞬きもせずに土御門元春(つちみかどもとはる)藍花悦(青髮ピアス)は静かに見つめる。静寂。夜に足を踏み込む一歩手前、破壊の跡が転がる景色は騒がしさ一色であるはずなのに、呼吸さえ止まってしまったというほど静かだ。

 

 土御門はサングラスの奥で目を細め、青髮ピアスは薄く目を開ける。

 

黒に紛れる者(ドライヴィー)

 

 土御門も青髮ピアスも多少気を抜いていたのは確かだ。それでも、ひたりと首に刃が添わされるまで、感情の色の薄い声を落とされるまで、その気配にすぐ気付かなかった。火薬の匂いに紛れたのか、足音をどう消したのか、何より第六位の感覚器官に紛れた技術に舌を巻く。無音暗殺術(サイレントキリング)の天才。笑みさえ浮かべぬ暗殺者は、気を張る土御門と青髮ピアスとは対照的に明後日の方へ視線を外し、手の中の爪をくるりと回す。

 

「もとはる、えつ、おまえ達がおれの死神か? それともおれがおまえ達の死神なのか?」

 

 拙く日本語の名前をひとりごとのように口遊み、夕日を見上げるドライヴィーの姿からは戦意の類を感じられない。言葉に出さずとも、ドライヴィーの問いの意味が分からないと瞳に浮かべる二人の意を吸い込む穴のように、ドライヴィーは闇のように黒い肌をしならせ緩やかに揺れる。

 

 影のように。吹けば飛んでしまいそうなボロ布のように。ゆらりゆらりと両手を振って、ナイフを指に引っ掛けたまま煙草を取り出すと、口に咥え火を点ける。口から漏れ出る紫煙がドライヴィーの黒い輪郭をなぞり、確かに立つ影が人であることを教えていた。

 

「死とはいつも隣にある。手を伸ばさなくても、見ようとしなくてもそこにある。ただ不思議とそれは選べる。人だけが」

 

 自ら進んだ命を絶つ生き物は人間しかおらず、弱肉強食、生きる為の目的以外で同族を殺すのも人間のみ。そんな人間だけが『死』という形に多くの形を与えた。

 

 自然死、衰弱死、病死、餓死、焼死、溺死、出血死、ショック死、感電死、孤独死、憤死、爆死、圧死、縊死、落下死、轢死、横死、骨折死、衝撃死、震死、窒息死、頓死、腹上死、斃死、刎死、煙死、老死。

 

 上げればキリがない。

 

 人間だけが『死』という誰にでもあるなんでもないものに多くの言葉と意味を与えている。それはなぜか? 

 

「なんや、キミ死にたいん?」

「別にそういうことじゃねぇ、分からんか?」

 

 死というおよそ人生の中でたった一度しか訪れないであろうビッグイベントに、人だけが大きな意味を見出している。生き死にの生命の循環の中で、無数にある死を好きなように選ぶ事ができるのだ。だからドライヴィーは選んだ。ずっと前から。海で生まれた魚が焼き魚となって食卓を彩る度に、野ウサギがシチューとなって目の前に置かれる度にいつも思っていた。

 

「戦場で生まれたおれは死ぬなら戦場でこそ」

 

 始まりと終わりは鏡合わせのようだ。家族に見守られこの世に生まれ、家族に見守られあの世へ旅に出るのが自然なら、戦場で生まれたならば、戦場で朽ちる事こそ自然である。戦場に立つ者というのは、半ばそれを選んだ者だ。だから隣立つ誰かが死んだところで、さして気にする必要などない。それは自分で死に場所を選んだからだ。別に死にたい訳ではない。ただ、それこそが人に許された業なのだ。

 

「おまえ達もそうだろう?」

 

 咥えていた煙草を摘み、ピンッ、と指で宙に弾く。空に瞬く赤い光源に土御門と青髮ピアスが目を向けたのは一瞬。その一瞬で、光から生まれた影へと沈んだかのようにドライヴィーの姿が消えた。

 

 土御門は小さく舌を打ち、青髮ピアスの名を軽く零す。多くは語らず向けられる背に、青髮ピアスも向けるは背中。死角を潰し、背後からの一撃を消し去る為の背中合わせ。一八〇を超える長身、森のように鮮やかな深い緑の軍服。目に付くはずだ。そのはずなのに。

 

「……アイソレーションや」

 

 青髮ピアスの呟きに、土御門は僅かに目を見開く。

 

 アイソレーション。意味は分離、独立、絶縁。

 

 体の各部位を単独で動かすトレーニング。パントマイムやストリートダンスの人間離れした動きの基礎がこれだ。人は体の一部分だけを動かしているつもりでも、無意識のうちにできるだけ楽に動かそうと、他の部位もつられて動いている。

 

 だからこそ、それを分離する。

 

 顔、首、肩、腕、手、指、胸、腰、脚、足。

 

 それだけを完全に別個で動かせるように。これを訓練し続ければ、空間上の固定された部分、空間固定点を作り出すことができる。これを応用することによって、パントマイマーは見えない壁を作り出し、武の達人は残像を作り、忍者は分身する。

 

 空間への身体の固定。その点滅を高速で繰り返す。ただでさえ夜に近づき、空とグラデーション掛かって見えるドライヴィーのメラニズムの肌と暗色の軍服。音もなくアイソレーションを繰り返し、空間に固定した虚像でミスディレクションを起こし、その間に移動。同じことを繰り返す。この明暗をよりくっきりと表出させたものが所謂忍びの使う分身の術。あえてそれを緩やかにし無理矢理死角を作り出し、姿を潜ませた技が正体。

 

(足音が完全にないわけやない、心音なんかは消したくても消せんしな。ただ……わざとブラフで音を立てて誤魔化しとるね。匂いは、香水? いや、薬草やな……鼻腔が痺れよる。嗅覚鋭いボク用にしつらえよったね。戦闘の天才か……)

 

 ほんの少しだけ青髮ピアスは強張っている肩から力を抜き、細く息を吐き出した。

 

 第四位と浜面仕上(はまづらしあげ)と繰り広げた闘争は、戦闘行為は戦闘行為であっても、青髮ピアス自身が口にしたように形式は最も喧嘩に近い。相手は同じ能力者、同じ学生。相手が変わるだけで戦闘の形式もまた変わる。

 

 科学者や無能力者(レベル0)が相手なら、その多くは青髮ピアスにとってはほとんど蹂躙だ。能力者が相手でも多くはそうだろう。これが相手に立ち向かう意志があった場合、喧嘩にまで引き上げられる。別に手を抜いているわけでも慢心している訳でもない。上限でそれなのだ。相手の命を取ろうとまでは思わない。

 

 ただ相手は違う。第四位のように、意図せずとも振るえば結果的に命を絶つのとも異なる。遊びで嬲っておしまいではなく、きっちり最後まで命を取り立てにやってくる。戦闘の天才が、その才能を潰すことなく、ひたりひたりと足音を立てて。

 

 それをよりよく知っているのは、青髮ピアスよりも土御門。

 

 暗部を知っている、悲劇を知っている、薄暗い闇を、血の滴る戦場を知っている。だが、ただ知識で知っているのと、相対した事があるでは、まるで異なる。

 

 前者は青髮ピアス、後者が土御門だ。

 

 一線を越えているというのは、他でもなくその一線を目の前にした事があるからこそ。青髮ピアスもその傍に立った事はあるかもしれない。だが、それに爪先が付くかもしれない壮絶に出会った事は数少ない。

 

 直近で最も近かったのは、フランス、アビニョンでのジャン=デュポン。自らの命を投げ銭のように放り捨て、前進を止めぬ王の剣にして盾であり、目で耳である『不死身の部隊(サン=スイス)』。ハム=レントネンと法水孫市が戸惑う事なく、迫る死に死を返したからこそ拮抗した。

 

 なら今は誰が迫る死に死を返す? 

 

 サングラスの奥で土御門はほんの一瞬目を瞑り、拳銃を抜き放ち前方に構えた。ずるりと空間から飛び出したような、深緑の軍服に身を包んだ影に向けて。

 

 死角にしか動かないなら、逆にある程度動きは読める。陰陽博士、風水を得意とする土御門だからこそ、位置取りや流れには人一倍鋭敏なアンテナを持っているが故。動きに目が追いつかなかろうと、位置とタイミングは察する事ができる。後はそこに相手よりも速く一撃を『置く』事が出来さえすれば、相手の方が身体能力で勝っていようが、結果土御門の方が速い。

 

 裏切り者でも友人の友人。その事実を目を閉じた間に一瞬で切り捨て、土御門は引き金に掛けていた指を躊躇せず押し込む。

 

 撃鉄が落ち銃口が火を噴く。

 

 

 ──ヂンッ! 

 

 

 爆ぜる大地。コツリと銃に乗せられた爪に引っ掛かれ、照準が斜め下へとズラされた。同じく死角に立ち入る事を生業とする者。位置とタイミングでそれを計る土御門とはまた違う、死の気配と経験でドライヴィーはそこへと潜り込む。

 

 弾かれた銃に釣られて銃を握る土御門の右腕が横へと逸れた。右腕が退き生まれた隙間を抉るように放たれた傭兵の二撃目。

 

 顔の横へとずるりと伸ばされる黒い腕を顔を捻る事で避けながら、銃を引っ掻き開いた傭兵の鳩尾に向けて、土御門もまた身を落とし足を蹴り出した。

 

「……そうするよなぁ」

 

 腹に蹴りをめり込ませながら、表情も変えずにそのままドライヴィーは身に降りかかる衝撃を受け入れる。抵抗する事なく背後に向けて吹っ飛ぶように。その違和感に誰より速く気づいたのは他でもない土御門。背筋に冷たい汗が一筋伝う。

 

「青ピッ⁉︎」

 

 土御門の顔の横を通り過ぎ伸ばされていた腕。

 

 ドライヴィーの狙いはそもそも土御門ではない。背中合わせ。信頼の証のそれが、逆に背への警戒を緩ませる。信頼しているからこそのたわみ。土御門を越えて伸ばされた鋼鉄の爪を、他でもなく蹴り出したのは土御門自身。身を落とした土御門には当たらなかったとして、背後を戦友に任せて立っていた男にとっては違う。

 

 蹴りの威力を傭兵の爪に上乗せし、青髪ピアスの首を狩る。

 

 そのはずだった。

 

 目を僅かに見開いた青髪ピアスが振り返る。土御門の隣に並び立つ青い髪の少年が、大きく切り裂かれた右腕を振りながら。背後の警戒を怠っていたとして、視界の端から伸びて来た鋼鉄の爪を一瞬でも捉えられれば、間に腕を一本滑り込ませる事など容易い。

 

 そして、今一度目で捕らえられた者を逃す程甘くもない。

 

 相手の居場所が分かりさえすれば、他でもない第六位の感覚器官と反射神経が誰より速くそれを捉える。第六位の感覚の網に一度でも引っ掛かれば逃げることは簡単ではない。

 

 相手を目にし捉えたならば、後はただ力に任せて突っ込むのみ。

 

 クランビットを両手に握り、枝垂れ柳のように腕を揺らす暗殺者に向けて、悪魔の膂力を絞り出す。

 

 ずるり、と。

 

 そうして青髪ピアスの右腕は崩れ落ちた。

 

「なん──ッ⁉︎」

 

 驚愕する青髪ピアスに、ドライヴィーの表情のない顔が滑り込む。「ドクイトグモ」と、答えを隠さず口を動かし、青髪ピアスの左足を引っ掻きながら。その答えに青髮ピアスと土御門は顔を歪めた。

 

 壊死。自己融解によって、細胞が部分的に死んでいく様を言う。

 

 自己融解が開始した組織では、タンパク質、脂質、糖質などが分解され軟らかくなり、その構造は不明瞭となり消失に向かうのだ。壊死の要因は数多くあれど、地球上にはその壊死を引き起こす特殊な毒を持つ生物が実際に存在する。

 

 その生物こそ『ドクイトグモ』。

 

 北アメリカ南部に生息するこの蜘蛛は、滅多に人を咬むことがないが、ドクイトグモに咬まれた傷は、確実に壊死へと進行する。

 

 そう、確実に。

 

 肌はずり落ち、骨や肉が腐るとまで言われる特殊な猛毒。

 

 東京でも目撃情報さえないが、それでも危険として注意を促される程の危険生物。その蜘蛛の『ヒアルロニダーゼ』と『スフィンゴミエリナーゼD』によって作られる凝縮した毒を滴らせた鋼鉄の爪。それがドライヴィーの握る刃の正体。この毒に解毒剤は存在せず、ただ毒が外部に放出されるのを待つしか道はない。

 

「ただおまえは違うのだろう?」

 

 初期症状が出るまで遅くともおよそ二時間。ただそれは一般的な人間の場合。普通の人間の最大で数十倍は血の巡りが速く、細胞の再生も速いだろう青髪ピアスの肉体は、より速く壊死が進み、結果解毒もできずその部位は不必要だと判断され、全身に回るより速く勝手に切除された。それが答え。

 

 五体満足でなくても尋常ならざる可動性能を誇るとは言え、抜け落ちた手足を生やすのには否が応でも意識を割かれる。本気で再生に向けて動けば数秒もあれば手足など生やせる。

 

 ただ、その『数秒』が何より致命的だ。

 

 振られる刃を再生し切っていない腕で受け、受けたところで、大きく避けようと人外の膂力を発揮するため血の巡りを上げれば蛸の足が千切れるように、腕の先がぼとりと落ちる。裂かれた左足もずるりと切除され、バランスの崩れた青髮ピアスに向けて再び滑り込む刃。

 

 頭や胸に当たったら? これが首に当たりでもしたら? 

 

 失くなった頭を生やせるのか。そんな事試したこともない青髪ピアスにだって分からない。

 

 冷たい汗を浮かべる青髪ピアスの前へとドライヴィーは身を倒し、待つこともなく足を踏み込む。宙を舞う漆黒の肌。ただし前ではなく後ろに向けて。タンッ! と、ドライヴィーが後ろに跳んだと同時に元居た位置に銃弾が落ちる。

 

 闇に溶けるように、密林を這う黒豹のように地を滑る暗殺者を視界に捉えたまま、拳銃を片手に土御門は青髪ピアスに身を寄せた。不意打ちのつもりが当たらない。傭兵の視野の広さに面倒くさそうに舌を打ちながら。

 

「無事か、青ピ」

「……なんとかな、ただアレえげつないわ。殺す気しかないやん」

「遊びのないプロ程面倒な相手もいない。あれだけぬるぬる動かれちゃ当たるもんも当たらないな」

 

 寝ても覚めても戦場の中。戦場は非日常ではなく日常である。

 

 ドライヴィーにとっては、友人達と馬鹿なことで笑い合うような場こそが非日常の異常事態であり、笑いながらも銃弾を撃つような場こそが日常だ。そもそも住む世界がズレているのだ。ステファニー=ゴージャスパレスのような者の方が、寧ろ時の鐘にとっての日常の住人。硝煙こそが空気であり、血飛沫こそ水、戦場こそ世界だ。ただドライヴィーは『いつも』を繰り返しているだけ。

 

 その『いつも』が他の者にとっては異常である。

 

「学園都市の暗部だって殺す時は殺す。だがそれはそういう事態になった時だ。プロの傭兵って奴らにとってはそういう事態こそが日常だからな。ここはホームのようでアウェーという事だろう」

「はっ、こんな生活しとっても、日常こそを憂うボクらはまだまだ一般人って言いたいん? それならそれでええけどな。こんなん日常なんて嫌や」

 

 吐き捨てる第六位に、黒豹の眼光がゆらりと向いた。その視線の感情の僅かな膨らみに、第六位は目を合わす。怒ったのか? そうではない。ドライヴィーの瞳に灯るのは怒りの色では決してない。それは故郷を覗くような郷愁の色。

 

「それでいい、だからこそ死神足り得る。できればまごいちとこそ殺り合いたかったが、それならそれで釣り合いは取れよう、学園都市の戦友よぅ」

 

 脅威、異物、侵略者。

 

 個人の狭い世界に土足で踏み込んでくる異星人。だからいらない、必要ない。埃を払うように命を払う。故に死神。人間と隣り合う者。気兼ねなく命の蝋燭に灯った火を吹き消す、親愛なる隣人。

 

「誰より隣り合う者が死神なのだ。分かるか?」

 

 普段気にせずとも、死とは最も身近にいる。で、あればこそ、最も身近にいる者こそが死神であろう。

 

 ただ一度しかない人生の終わり。だからそれを自ら最高の形で選ぶべきだ。知り合いの誰もが戦場の中で朽ちていった。良い者も悪い者も例外なく。親しくなった者の殆どが、燃える大地の下に眠っている。そんな中で自分が外れてしまうことこそ不幸である。

 

 ドライヴィーはそう信じる。

 

 だからこそ死は寂しくない。そこに多くの知人が眠っている。

 

 同じ場所で眠るには、戦場でこそ倒れるしかない。そこが始まりで終わりであるヴァルハラなのだ。最後に聞く子守唄(トゥタナナトゥ)は、親友の鐘の音こそ最上であったが、そうでないなら、親友の新たな日常に潰されるならまだ許せる。

 

 親愛なる親友で戦友の狭い世界であればこそ。

 

「……だが、ひとり、戦場に立っていない者がいる。なにしにここに立っている?」

 

 それを望むからこそ、瞳に映る郷愁の色を飲み込んで、死の色がずるりと這い出てくる。ドライヴィーが睨むは青い髪。不必要なモノを切り落とす場である戦場で、不必要なモノをぶら下げているから。近しい者が死神なら、遠い者はなんであろうか。

 

「それボクゥに言っとるん? 怖いわぁ」

「それはおれのセリフだ臆病者。おまえこそ恐ろしい」

 

 勝つ気が薄かろうが勝てるから。ただ圧倒的暴力の前に人は無力だ。台風や地震から逃げるのと同じ。立ち向かうのがそもそも間違っている。そんな者こそ超能力者(レベル5)。戦場を、闘争を喧嘩に引き下げる者。決めた墓地を遠ざける者。ただの一度を消し去る者。超能力者(レベル5)がそう動こうとすれば、だいたいは思い描いた形となり終わる。

 

 ただでさえ、何故かドライヴィーの望む者の影もない場所で、そんな足を引く者が居ては堪らない。引き下げられたなら引き上げるまで。必要のない者は退場しろと言うように、ドライヴィーは一歩を踏む。

 

「チッ!」

 

 他でもない土御門の正面へ。

 

 多対一でも英国の第二王女であるキャーリサが対等に戦えていたように、多対一は決して必ずしも不利とは言えない。毒の影響で万全ではない青髪ピアスの壁となるように、土御門を挟みドライヴィーは足を運ぶ。

 

 黒豹のように体をしならせて、向けられる銃口に臆すこともなく。

 

 一発二発と空を駆ける弾丸を前に行き先も変えず、放たれた銃弾を防弾性の軍服の肩や腿で受けようが止まらずに、土御門の正面に仁王立つ。

 

 拳と拳の届く距離。

 

 この先比べられるのは、武器の性能ではなく暴力対暴力。暴力を売り物とする傭兵の主戦場。

 

 拳銃では弾かれれば一手遅れると、手から拳銃を零し拳を握る土御門を目に、小さくドライヴィーは口端を上げた。殺すことに躊躇のない者。戦場に立つ戦士。土御門の身に滲む薄暗い気配が、ドライヴィーの肌を撫ぜた。

 

 魔術師でも、土御門の格闘能力は低くはない。それはドライヴィーにも分かっている。だが、身一つで戦場に立つ者同士、単純な肉体能力でどちらが上か、それも二人は悲しくも理解できてしまう。それでも拳を握る土御門を目に納め、故にドライヴィーは笑みを深めた。

 

 死への全力への抵抗。それこそ死に対する最大限の礼儀だ。ただ迫る死を甘受するような者は、戦士どころか生物足り得ない。

 

 土御門の振られた拳を目に焼き付けるように視線は離さず、その腕へと引っ掛けるようにドライヴィーはクランビットを横に振るう。

 

「オレだってバカじゃないさ」

 

 バサリ──ッ。

 

 鋼鉄の爪が裂く柔らかな音。

 

 拳を振り切る動きに乗せて、制服を脱ぎ飛び出た袖が斬り払われる。決死の一撃に見せかけたフェイント。反対の拳を振るう動きに合わせて学ランを脱ぎ捨てながら、振り払った学ランの動きに乗って一歩ドライヴィーが前に出る。

 

 その一撃でこそ終わらせるという気概に欠けた気配であったからこそ、二手目に合わせる事に苦労しない。

 

 振り切られる前の肘を掬い上げるようにドライヴィーの肘がかち上げられ、動きの引っ張られた土御門の胸に肩を入れ込む。

 

 トンッ、と、軽く押され硬直した土御門を支点とするようにドライヴィーは体を入れ替えて、迫っていた青い髪の前に身を屈め鋼鉄の爪を緩やかに開いた。

 

「なッ⁉︎ 狙いは──」

「おまえだ。必ず殺すまでやる。それが思い込みだ、えつ。誰よりこの場で死を疎ましく思うおまえなら、見過ごせず突っ込もうが」

 

 脇腹に肩に、獣のように振り切られる毒爪。ズルッと、肉に沈んだ刃が筋繊維を断ち切ってゆく。千切れた血管は爪に滴る毒を啜り、毒の回りを抑えようと身体能力を落とす青髪ピアスを暗殺者は小さく睨んだ。

 

 ドライヴィーは、振り上げた爪でそのまま背後の土御門の肩へと突き刺し、捻ることで相手の体勢を崩す。叫ぶ土御門の腹へと膝を一発。骨に響く重い音。地を転がる金色の髪を目にしながら、後ろ蹴りで青い髪をドライヴィーは蹴り飛ばした。

 

 地に転がる二人へドライヴィーは目を落とし、軍服の表面にめり込み止まっている銃弾を叩き落とす。

 

超能力者(レベル5)のクビなどおれはどうでもいいんだが。まごいちはまだか? 早くおれを殺しに来い。魔術? 超能力? 生温い。砥いだ戦人を殺す技こそ振るって欲しいもんだぁ」

「ッ……なんやキミィ、孫っちに、殺して欲しいんか? くは……はッ、アホやない? 孫っちがキミィを、仲間を、殺すわけないやろ」

「いやぁ、まごいちはやる。裏切り者は必ず殺る。あいつはそういう男だ。あれは本質的におまえ達とは違う。絶対やる。例え学園都市に染まろうが」

 

 だからドライヴィーはここにいる。他でもないオーバード=シェリーさえスイスに張り付いている今だからこそ。どれだけ別の世界に触れようが、変わらない根元が必ずある。法水孫市は時の鐘で傭兵だ。その事実だけは揺らがない。その隣にいるドライヴィーだからこそ断言する。ただ隣り合っているだけだとしてその銃口がドライヴィーに向くことがないとしても、なら向けられる状況に身を置くだけ。普段向かぬ死に対して、ドライヴィーは選んだのだ。

 

「もしも……そうでなかったとしても」

 

 ここで土御門元春と青髪ピアスが黄泉の世界へ旅立てば、必ず死の矛先が向く。始まりと終わりを告げる終末のラッパが必ず鳴る。そのために場を引き上げる。喧嘩だなどと馬鹿らしい。命を懸けた戦場へと。戦場に上がらぬ者に用はないのだ。

 

 宙に走る時の鐘の眼光に、青髪ピアスは一線を見た。

 

 たった一度訪れる生命の一線。

 

 越えるか否か。

 

 その強烈な一線を前に、青髪ピアスは口を引き結ぶ。

 

「……そらぁ、あかんやろ」

 

 その一線は容易く見ていい一線ではない。

 

 普通を謳歌する者こそ垣間見ていいものではない。

 

 超能力者(レベル5)を狙っているわけでもないドライヴィーが、孫市は英国におり学園都市に居ないと知ればどう動くか。呼び寄せるためにどう動く? 

 

 白井黒子(しらいくろこ)に、初春飾利(ういはるかざり)に、佐天涙子(さてんるいこ)に、月詠小萌(つくよみこもえ)に、姫神秋沙(ひめがみあいさ)に、吹寄制理(ふきよせせいり)に、フレンダ=セイヴェルンに、近しい者にその刃が迫るかもしれない。

 

 ただ日常を謳歌する者達に。平和を彩る者達にこそ。

 

 それを止められる機会は今しかない。

 

 だからこそ、ドライヴィーの目の前で生命が弾けた。

 

 ──ズズッ‼︎

 

 膨らみ擦れ合う肉と骨が奏でる肉体の鼓動。

 

 身の内に燻る生命の渦が大きく回る。

 

 壊死する肉体が剥がれ落ちるのも気にせずに、荒れ狂う生命の奔流が、身に潜む毒も、感情さえ全てを押し流す。青髪ピアスの体を破り、無数の腕が空を走る。手足の再生に力を使い、本気の限界可動時間である五分も保たないと分かっていながら、肌で感じる熱を追い、腕の河が暗殺者に迫った。

 

「くはッ、おもれぇ」

 

 空気の変貌を肌で感じ、笑みを深めたドライヴィーが地を滑る。掴む、殴る、そんな事も考えずに伸び追撃してくる腕の嵐。目前に迫る腕を斬り払いながら後退し、止まぬ追撃に舌を打ち、青髪ピアスの指が軍服の端に引っ掛かった。

 

「ッ──‼︎ 」

 

 たかが指一本。だが、その指は悪魔の指先。

 

 たかが指一本に体が大きく引っ張られる。パワーショベルに引き摺られるように。軍服に引っ掛かった指を切り落としても勢いは殺せず、地を転がるドライヴィーを変わらず腕は追う。

 

 腕一つがまるで捕食者。生者を引き摺り落とす亡者の手。

 

 それを横目にドライヴィーは軍服を脱ぎ、敢えて振るい腕に軍服を引っ掛けた。

 

 悪魔の膂力に強引に振り回される反動を使い、服を手放し腕の内へ潜り込む。内に入れば後はもう前しか見ない。前進する事で攻撃を避ける。前に。ただ前に。逃げていては殺せないし死ぬ事もない。そんな劇的でもない幕引きなど、ドライヴィー自身が望まない。

 

 一歩、二歩と距離を縮め、枝分かれして突き出される腕を前進する速度に任せてなんとか躱す。

 

 ほんの一撃、腕の河に隠された青髪ピアスの首さえ裂ければ全て終わる。

 

 地を這うように低く鋭く細やかに。

 

 伸ばされる指に頬を裂かれ、それでも無理を通して前進し、腕の狭間へドライヴィーはその黒い体を滑り込ませた。影が影に潜むように、鋼鉄の爪を強く握り、前へとドライヴィーが顔を持ち上げた先。

 

 ドライヴィーは大きく目を見開く。

 

 青い髪が揺れていた。

 

 ただその手前に金色の髪が。

 

「おまえはッ」

「……死角を選び動けるのはお前だけの特権じゃないってな。お返しだッ」

 

 ドクイトグモの毒は脅威であろうが、すぐさま効果が現れるのは、血流さえ加速させる青髪ピアスの人外の肉体あってこそ。土御門にとっては遅効性の困った毒だ。位置とタイミング。傭兵よりもその点を極めた陰陽師が、逸早く青髪ピアスの背に待ち受ける。

 

 嵐のようにのたうち回る人体の暴風の中で、土御門が目指し進んだ場所。

 

 信頼。青髪ピアスが遠慮なしにその力を振るおうが、生まれてしまう無くしようもない隙にこそ、その男はいつも立っている。

 

 多重スパイ。死線の真っ只中でタップダンスを踏む陰陽師が。『シグナル』の参謀が。あらゆる感情も想いも包み隠し、良いも悪いも悟らせず隠し続ける青髮ピアス達の親友が。

 

 一人では無理でも二人ならできる。

 

 飛び込んで来たドライヴィーと、拳を振るう土御門。どちらが速いかなど言うに及ばず。着地点に握り拳を置くように、ドライヴィーの顔がカチ上げられる。満足に魔術も使えず、能力さえ満足に微々たる力しか持たない土御門に残された握り拳。自らの可能性さえ削り振るわれ続けた二つの拳は軽くはない。

 

「ぐッ⁉︎」

 

 そして、その一瞬があれば十分過ぎる。

 

 超絶の肉体が収束し、最強の拳が落とされた。黒い肌を覆い隠す黒い影。人の身こそ覆い潰す巨大な拳が地に突き立てられ、大地に大きなヒビを生む。

 

 ドゥッ!!!! 

 

 骨を折り、手足を潰し、拳の退いた先に崩れた壊れた人形を目にしながら、青髪ピアスはため息を吐いた。拳に残った感触が逃げないように握り締めながら。

 

「……ボクゥも決めたわ。それはあかん」

 

 強烈な一線。生死の一線。

 

 戦場に立てば嫌でもそれを目にする事がある。越えるか否か選択を迫られる。土御門も、孫市も、一方通行(アクセラレータ)も、垣根帝督(かきねていとく)も、麦野沈利(むぎのしずり)もその一線を越えている。

 

 だからこそ。

 

「ボクはその一線絶対越えん。誰が相手でも絶対や」

「く……は、甘い……そんな力と風貌で」

「見た目は関係ないやろが!」

 

 多くの者が一線を越える。だが、望んで一線を越える者がどれだけいるか。きっと最初は誰もが躊躇う。土御門も、一方通行(アクセラレータ)も、孫市も、越えてしまったからこそ戻れず引き返す事もできないが、もし、できたなら。誰もが羨むその一線を、だからこそ青髪ピアスは死ぬ気で越えない。その強さこそが一方通行(アクセラレータ)や孫市の羨む正義の強さ。

 

 誰かのために、誰かの力になれるなら。たかが名前で背を押す微力な手が、血に濡れていい訳がない。誰かの為にも、背負うその名が道を照らす光のままであるように。

 

「だ、が、ここで終わらせず、誰かが死んだ時……同じ事がおまえは言えるか? ただ一度であるからこそ、穿てる時穿たねばなんとする」

「迷う事なくぶっちぎるなら、ボクも命を懸けてそれを止める。同じやろ」

 

 戦場にいる誰もが一線を越える。それを絶対とは言いたくない。幻想だけを打ち破る右手を持ち、悲劇を殺し走る男。引かれた一線さえ砕くような、そんな男を通り過ぎ一線を越える者の多い事よ。

 

 だから一人くらいいてもいいはずだ。

 

 どんな時でも一線の手前で全力で踏ん張り、そんな親友と並び立つ者が。

 

 死を砕くため生を穿つ『必死』があってもいい。が、どんな生も取り零さぬ『必死』があってもいいはずだ。

 

 甘い、偽善、と罵る言葉があろうとも、それを最後まで貫く事の過酷さは、命を奪う比ではない。それができればどれだけいいか。その強さこさ、本来は誰もが望むもの。

 

「なにをそんな死にたがってるんか知らんけど、死ぬなら子供や孫やひ孫に囲まれて、愛するイヴに看取られてってボクゥはもう決めとるからね。キミィももう少し平穏を知ってからでも遅ないやろ」

 

 知識で知っているのと体感したではまるで異なるのだ。戦場を知っている。地獄を知っている。終わりを知っている。それでも、ドライヴィーもまた、なんでもない日常は知らない。へし折れた黒い腕を伸ばそうとドライヴィーは身動ぐが、砕けた骨が軋むだけで動いてくれない。

 

 平和、日常など対岸の産物だ。今更それを知ってなんとする。

 

 骨は折れようが爪は放さず、瞳の奥に消えぬ炎を灯す暗殺者の顔をサングラスが覗き込み、疲れたように肩を竦めた。

 

「はぁあっ、そうだにゃー、メイドの素晴らしさを知れば価値観が変わるぜい。殺さず済むならそれに越したことはない。孫っちの親友だって聞いてるしな、特別だぞ、受け取るにゃー」

 

 土御門のポケットから取り出された一枚のチケット。あらゆる局面で主人を補佐することの出来るスペシャリスト育成を目指しているメイド養育施設、繚乱家政女学校がどんな相手でも完璧に勤めを果たすための訓練として、ごくたまーに開かれるメイド喫茶への入場券。

 

「本物のメイドを堪能しろ。遠慮はいらねーぜい。ようこそ、果てしなく長いメイド道へ」

「やりおったなシスコン軍曹がッ! なーにがメイド道や! 狭い! 狭いわぁ、そんなんじゃ満足できへんよ! これをキミィに送っとこうか?」

 

 青髪ピアスのポケットから取り出された一枚のチケット。知る人ぞ知る、メイドさん婦警さん巫女さんシスターさん軍人さん秘書さんロリショタツンデレチアガールスチュワーデスウェイトレス白ゴス黒ゴスチャイナドレス、あらゆる衣装、髪型を網羅した完璧なるコスプレ喫茶の入場券。

 

「ここに行けば欲しいものが必ず見つかるはずや。特別やよ?」

「はぁ、これだから節操なしは困るにゃー。なんでも揃ってるなんてのは、要は浅く広くの薄味ですたい。どんだけ種類豊富なビュッフェだろうが、結局専門店には一歩及ばないのと同じだぜい」

「おんなじ味ばっかしやと飽きるって知ってるはずやろうにその自信はどこから来るんやろな? 味覚障害なんやない? 病院行った方がええよ?」

「本当の『愛』って奴を知らないなんて悲しいにゃー。プロポーズでも言うだろう? 毎日オレに味噌汁を作ってくれってな具合の台詞が。同じ味が飽きるなんてのは所詮目移りばかりするヘタレだって事だぜい」

「言いおったなつっちーッ‼︎ このボクの怒りの拳受けてみぃッ! 先に倒れた方がヘタレ決定やッ‼︎」

「上等だにゃー! 今日という今日こそ決着を付けるぜよ! メイドの暖かさを受け取ったこの拳が青ピを倒せと叫んでるぜい!」

 

 ぎゃーすか殴り合う変人二人を目に、ドライヴィーは上げようとしていた腕を落とす。平和な日常。こんなものがそうなのか。いつもはツンツン頭にタレ目が混じり二倍以上騒がしい日常の喧しさには敵わないが、それでも馬鹿らしくなりドライヴィーの体から力が抜ける。

 

「………………あほうだ」

 

 戦場、死とは遠くかけ離れた世界。

 

 近しい者が死神なら、遠い者はなんであろうか。

 

 それをドライヴィーはまだ知らない。

 

 こんなものを守るために孫市も上条も拳を握っているのかと思うと、自然に口の端から笑いが溢れてしまう。そんな想いで、死さえ穿てる理由はなんなのか。

 

「おもれぇ」とドライヴィーは口遊み、少しだけそれを知りたいと思った。

 


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