時の鐘   作:生崎

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悩んだ結果エイワス戦は負け確イベントだからカットッ‼︎


狙撃都市 ⑩

「まるで野戦病院ですわね」

 

 第七学区、とある病院の病室を廊下からちらりと見つめ白井黒子(しらいくろこ)は呟いた。開かれた扉の奥に見える包帯塗れの五人組。壁に掛けられている血に染まった深緑の軍服。

 

 ラペル=ボロウス。

 ゴッソ=パールマン。

 ハム=レントネン。

 ドライヴィー。

 (シン)=(スゥ)

 

 集中治療室にいるアラン&アルドの二人を除き、血濡れのスイス特殊山岳射撃部隊。『ドラゴン』の情報が黒子も気には掛かったが、それよりも人命が優先だ。ベッドに横たわる五人を眺める黒子の隣に足音が鳴り、目を向けた黒子の隣に立つカエル顔の医者の姿。つるっとした頭を掻きながら、黒子と同じように壁を背にする。

 

「スイスの悪童達も困ったものだね? それは君もだが。肋にヒビが入ったまま動くのはよくない。風紀委員(ジャッジメント)の仕事で慣れてるとはいえ、彼のように痛覚が麻痺している訳ではないんだよ」

 

『彼』と、それだけでカエル顔の医者が誰のことを言っているのか黒子も理解する。この病院の常連とも言える三人。そのうちの一人。「骨の感触が気持ち悪い」などと黒子には言えず、痛み止めを使っていても鈍く痛む肋の上に手を乗せて、包帯の巻かれた頭を軽く振って黒子は僅かに目の端を歪めた。

 

「……貴方は彼らと親しいのですか?」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』には腐れ縁の友人が二人居てね? 呑んだくれの大雑把な男だが頼りにはなる。なに、悪い事にはならないさ。この有様だし、それに残りの二人も一命は取り留めた」

 

 朗報を一つ聞き黒子の肩が少しばかり下がる。第四位に足を穿たれ、目を潰され、頭蓋を砕かれたものの命には穴を穿たず。血だるまを二つ引き摺って来た麦野沈利(むぎのしずり)を見た時は、思わず黒子も手錠に手を伸ばしてしまったが、アラン&アルドを投げ渡され目を瞬いた。

 

 第一位、第二位、第四位、第六位を含めて潮岸を追って行った暗部達。時の鐘を黒子一人に押し付けて目的に進んだ者達がどうなったのか。過剰とも言える戦力に、超能力者(レベル5)をよく知るものであればあるほど肝を冷やすが、結果は黒子の予想を覆した。黒子が少しばかり足を動かし覗くのは時の鐘(ツィットグロッゲ)の病院の隣の病室。超能力者(レベル5)を筆頭に、ベッドに横たわっている暗部達の姿に目を細める。

 

『ドラゴン』とはなんなのか。ほとんど外傷もなく横たわっている者達の中で、第二位、垣根帝督(かきねていとく)だけが大怪我を負い、運ばれて来た中に一方通行(アクセラレータ)の姿はなかった。超能力者(レベル5)が束になっても勝てなかったと見える相手。

 

 一歩くらいは進めたはずだと黒子自身思いはしたが、それでも上には上がいる。積み上げても積み上げても届くか分からぬ強大な力。大き過ぎる力の前では、秩序も正義も悪も関係ないと言うかのような。溢したくなかったものを掬い取れたからといって、それで終わりな訳ではない。超能力者(レベル5)を手で軽くあしらうような者が学園都市には潜んでいる。

 

 それもまた今日動かなければ知り得なかったかもしれない事。学園都市の治安がよくはない事は黒子だって初春飾利(ういはるかざり)だって分かってはいる。分かってはいるが、どれだけまだ知らない脅威が学園都市に隠れているのか分かったものではない。分かったところで、勝負になるような相手なのかも分からない。

 

「汝の欲する所を為せ。それが汝の法とならん」

「なんですって?」

「僕は医者で、今の君は患者だ。必要なものがあれば揃えるよ?」

 

 医者の視線を受け、黒子は僅かに手を握り締めた。

 

 人は結局己の欲求には逆らえない。幾枚の壁が立ち塞がっていようとも、どれだけ遠くに目指す者があろうとも、大覇星祭で御坂美琴(みさかみこと)が暴走した際、心理掌握(メンタルアウト)の記憶を封じられようと、結局第三位を救う為に黒子が動いたように、人を形作るはずの記憶さえ超越した所に己の真の意志は眠っている。

 

 勝てないかもしれない。死ぬかもしれない。多くの負の要素が横たわっていようとも、飛び込まずにはいられない。それこそが、それだけが、見て見ぬ振りは許せない己が決めた己に掛けた呪い。ただ前に進むのを躊躇う事こそ悪であると、黒子も、黒子の慕う者達もそこだけは変わらないし譲らない。

 

『ドラゴン』、学園都市の闇、まだまだ多くの知りたい事が黒子にはあるが、今目指すのはそれではないと、握り締めた拳でノックするように軽く肋を小突いた。

 

「……肋のヒビくらい貴方なら簡単に治せますわよね?」

「行く気かい?」

「スイスの窮地。わたくしは別にスイスに思い入れがある訳でもないですけれど、愛する殿方の危機に駆けつけられないようでは女が廃ってしまいますの」

 

 学園都市にやって来た時の鐘。それを知ろうが知るまいが、法水孫市は必ずスイスへ向かい飛んで行く。他でもない孫市を作り上げた土地だから。どれだけ遠くに離れようとも、必ず帰る母なる家。それが分かってしまうから、飛んで行く弾丸を追うのが手錠の務め。例え隙間を縫うように飛んで行っても、いつか必ず捕まえる為に。

 

 白井黒子として追うのに理由はいらない。ただ相手が法水孫市だから。形ない見えない手錠で繋がっている相手だから。「それに……」と、黒子は小さく零し、パタパタ廊下の奥から聞こえてくる足音、花かんむりを頭に乗せた風紀委員が走ってくるのを見つめながら風紀委員(ジャッジメント)としての言葉を上乗せする。

 

「学園都市で時の鐘(ツィットグロッゲ)が暴れてくれて、学園都市に誰より長く居る時の鐘(ツィットグロッゲ)に調書を取らなければいけませんの。どうやって学園都市に侵入したのか、武器の持ち込みはどうやったのか。あの方は知っていそうですし? 度重なる騒音被害、銃刀法違反、器物破損、殺人未遂に殺人容疑、その他諸々の罪状の審議も確かめませんと。これだけの重犯罪者を国外逃亡させたとあっては学園都市の、延いては風紀委員(ジャッジメント)の名誉に関わりますの。機能していないスイス政府も頼りにできないのなら、此方から向かうしかないですわよね? 遅いですわよ初春」

「そ、そんな事言われても、掘れば掘っただけゴロゴロと法水さんの罪状は増えていきますし、逃げ道作る為の改竄とか大変だったんですよ?」

 

 全く捕まえる気のない罪状を書き綴られた紙束を「重かったぁ」と初春は廊下に落としながら、肩を鳴らして呼吸を整える。タウンページのような罪状録にカエル顔の医者は肩を竦めながら、それは風紀委員(ジャッジメント)の仕事を逸脱しているのではないかと思いながらも口にはしない。何故ならそれが白井黒子の法だから。顔を赤くし早口でまくし立てた風紀委員(ジャッジメント)の姿に口を緩めながらも、ただ気になる点を医者は指摘する。

 

「君が決めたのならそれについて僕から言う事はないけどね? 行く手立てはあるのかい?」

 

 医者の心配する言葉に、「勿論」と黒子は即答し、懐から一枚の封筒を取り出す。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』の総隊長、オーバード=シェリーさんから実はお呼ばれしていまして。どこぞの馬鹿な殿方がスイスに帰らなかったので、使うといいと渡されました」

 

 後方のアックアを迎撃する為にオーバード=シェリーが来た際に、孫市用に取っていた超音速旅客機の利用権。誰も使う者がいないのであれば、決戦用狙撃銃を取りに来る際使うといいと、孫市が入院した際に手渡されていた。その封筒を医者は眺め、そういう事ならと指で頬をちょちょいと掻く。

 

「問題は学園都市を出る際に付けなければならない発信機の類ですけれど、ねえ初春?」

「なんですか? やだなぁ、白井さん、それならもう受けたじゃないですか。同伴者も決まってますし」

 

 飛び立つ当日にはそういう事になっていると初春は告げ、学園都市を飛び出す為の撃鉄は既に起こしていると初春は笑う。これでまだ十三歳と、未来有能過ぎる少女二人の笑みに医者は呆れながらも関心し、「他の患者の事は心配しなくていい」と、小さく背中を押す言葉を口にする。

 

「ただ超音速旅客機はスイスには着陸できないはずだよ? どうするんだい?」

「それは──」

「フランスで降りろ」

 

 黒子の言葉を遮って、人相の悪い顔がカエル顔の医者の背後から伸び黒子は言葉に詰まった。包帯塗れでありながら、煙草を口に咥えて立つゴッソの姿。ラペルからの拷問にアラン&アルドから銛を撃ち込まれ、見た目以上に重症のはずが、全くどこ吹く風といった様子で紫煙を吐く。関心を通り越して呆れしかできず、ゴッソもまた時の鐘であると元国際刑事警察機構(インターポール)の男に孫市の姿を重ね合わせて黒子は目を瞬いた。

 

「英国のクーデターは未遂に終わった。学園都市から英国に飛ぶ分には孫市が上手くやってりゃ問題なく着陸許可が下りるはずだ。フランスは敵対してんだろうし下りるのも容易じゃねえだろうから落下傘で下りることにはなるだろうが、白井黒子、オメェにはいらねえか?」

「能力が問題なく使えるのであれば、ただ何故フランスに? 孫市さんはイギリスでしょう?」

 

 黒子の問いにどこまで話そうか考えながらゴッソは煙草を吸い、煙と共に答えを返す。下手な誤魔化しは不要。オーバード=シェリーと法水孫市のお気に入り、ハムを止めてみせた意志の力に敬意を払う。同じく警察機構に身を置いていた者として。

 

「……スイスは今や要塞だ。下手に上空飛べば撃ち落とされんぜ。山を陸路で越えんのも容易じゃねえ。だがスイスに入国する方法はある。フランスに行けばそれが可能だ。孫市の奴がスイスに行くなら絶対そうすんだろうぜ。オレもそうする。だから孫市はフランスを目指してるはずだ」

「フランスには何があるんですの? スイスに行く方法なんて────まさか」

「気付いたか?」

 

 常盤台などというハイレベルなお嬢様学校に通っているからこそ、スイスに訪れた事がなかろうと気付いてしまう。スイスとフランスを結ぶ一本の道。イギリスとフランスを繋いでいる道と同じ。トンネルだ。スイスには多くの鉄道トンネル、道路トンネルが通っている。スイスだけではなく、他国との流通、交通を担う多くのトンネル。空を通らず山を越えずにスイスに入るにはそれしかない。

 

「検問があるだろうし、スイス側にも軍が控えてるだろうがよ。いくら傭兵国家のスイスでも物資は無限じゃねえ。フランスやイタリアに事前に話をある程度通してんだろ。全部潰されちゃいねえはずだ。イタリアにもフランスにも時の鐘(ツィットグロッゲ)は貸しがある。が、イタリアにはバチカンがあるからな。オメェが着く前になんとかフランスの首脳に話を通しておいてやる」

 

 どれだけ事前に手を回そうと、完璧はありえない。付け入る隙は必ずある。スイスを裏で操ろうと目論むくそったれに紫煙を吹きかけるようにゴッソは息を吐き出し、懐から一本の古びた鍵を取り出すと黒子に向かって放り投げた。

 

「それは時の鐘(ツィットグロッゲ)の武器庫の鍵の一つだ。スイスを出る前に失敬した。その鍵と合う武器庫に時の鐘(ツィットグロッゲ)の決戦用狙撃銃が入ってんぜ。開け方は孫市に聞けや。それ取りに行ったおかげでラペルに捕まっちまったがよ」

「どうしてわたくしに? ……貴方も、シェリーさんも」

 

 手にした古ぼけた鍵に目を落とす黒子に顔は動かさず瞳だけを動かしゴッソは見つめた。身長一八〇を超える男が数多い時の鐘から見れば、ひどく小さな少女の姿。それでも身に詰まった輝きは本物である。警察ではできない事も数多いと、ある種諦めたゴッソからすれば、黒子の輝きは強く眩しい。

 

「……時の鐘(ツィットグロッゲ)も一枚岩じゃねえ、本当はそうでありたいがな。外からの監視者が必要だ。元々は時の鐘(ツィットグロッゲ)内でそれを賄ってたがよ。だから決戦用狙撃銃は二つだったのさ。ボスが一つ、孫市が一つ。だがそれじゃあどうしようもねえ程に世界のバランスは危うい。だから時の鐘(ツィットグロッゲ)じゃねえ誰か、防波堤になれそうな奴を探してたのさ」

 

 ただそれが至難だ。下手に国に関わっている者では、技術がただ漏洩する恐れがあり、力に溺れるような者に与えていいものでもない。自分を縛れる者を自分で決める。それをようやく見つけた。骨の髄まで時の鐘(ツィットグロッゲ)の二人が気に入った小さな正義の味方。

 

「ただ、その役目を押し付けるようなもんだからな。要らねえなら捨てちまってくれてもいいぜ」

時の鐘(ツィットグロッゲ)とは本当に……身勝手な方達ですのね。スイスの悪童ですか」

 

 自分達の思うがまま突き進む癖に、それを止める者を望む。自分の力を戒めるように。信じる想いが悪に染まらぬように。古びた鍵を握り締め、ポイ捨てしようとも思ったが、それは止め黒子は懐へと鍵を収めた。

 

「必要ありませんの。と、言うのは簡単ですけれど、シェリーさんとの約束もあるので貰っておいてあげますわよ」

「ボスと約束だ?」

 

 孫市が入院している最中に、孫市の秘密も含めて色々と聞いたあれこれ。楽しい事も、辛い事も、孫市が話さないような事を数多く。

 

「……本当の意味で孫市さんの楔になれと。わたくしが望むまま。言われなくてもそうするつもりですけれど。初春とわたくしも今回は大分危ない橋を渡りましたからね。奥の手の一つや二つあってもいいでしょう?」

「わ、私もなんですか? しょ、将来に不安が……」

 

 肩を大きく落とす初春を尻目に、黒子は笑みを深めて身を翻す。何を手にしようとも、初春と黒子の在り方は変わらない。

 

「ではわたくしは出立の身支度がありますから失礼しますの。先生、治療の準備をして待っていてくださいな。治り次第立ちます」

「任せてくれ、切断された腕を繋いだり爆破に巻き込まれた傷を縫い合わせるよりは簡単に済むさ」

 

 一礼して去って行く風紀委員(ジャッジメント)二人の背を見つめ、ゴッソは目を細め医者は頬を掻く。その消え行く背の間に伸びた三つの影を目にして。「君達も行くのかい?」と返ってくる答えが分かっていながら聞く医者の言葉に、困ったように肩を竦める影が二つに小さく拳を握る影が一つ。

 

「カミやんも居るかもしれへんし、待ちぼうけにも飽きたわ」

「これ以上友達見過ごしてると義妹に殴られそうだからにゃー。ま、ちょっとした旅行だぜい」

「借りっぱなしは趣味じゃねえ。第六位も法水も力を貸してくれたのに、そいつらが困ってる時に見て見ぬ振りはしたくねえ」

 

 青い髪と金色の髪、茶色い髪の並ぶ姿にゴッソは笑みを深めて病室へと足を向けた。自分が帰らずとも向かってくれる者がいる。軋む体をベッドに腰掛け、今一度傷付いた同僚と元同僚に目を向ける。裏切り者達。だが、命を狙われた者達こそが、命を奪わず場を治めた。それを破っていいのは治めた者のみ。目だけを動かし見つめてくるハムとドライヴィーに悪どい笑みを返しながら、ゴッソは入院生活を再教育の為に使う。

 

 そんな各々が行き先を決める病院を背にし、黒子は小さく息を吐いた。常盤台への狙撃から始まった長い一日。誰に連絡するわけでもなく、初春と二人で裏を駆けた。風紀委員として誰に報告するわけにもいかず、誰に話せる事でもない。ただ唯一秘密を共有できる相手がいる事が救いだ。

 

「……バレたら怒られてしまうでしょうかね?」

「その時はその時でしょう。ここまで来たら死なば諸共ですよ。誰かがやらなければならないとして、私も白井さんも頑固ですから」

「ですわね。なにかを成すには力がいる。でも力を求め過ぎてもいけないとは……人は矛盾から逃れる事はできないのでしょうね」

「白井さんが御坂さんが好きなのに法水さんの事も好きなようにですか?」

「馬鹿みたいに情報処理能力が高いくせに低能力者(レベル1)の誰かさんみたいなものですのよ」

「あー! そういう事言っちゃうんですか! いいですよーだ。今に私も白井さんや法水さんに負けないようなスーパーウーマンに!」

「なられてもそれはそれで困りますわね……」

 

 意外と毒舌で自由奔放な初春が好き勝手やり始めたらどうなってしまう事やら。そうならないだろうとは思いながらも、偉そうにしている初春のシュールさに思わず黒子は小さく笑う。

 

「初春もやってみますか? 幻想御手(レベルアッパー)の戦闘技術の習得。孫市さんと共に見破った貴女なら、相性はいいかもしれませんわよ?」

「そうですねー……私もなにか新しく初めてみようかなぁ」

 

 孫市が進むように、黒子が進むように、置いて行かれはしたくないと、静かに初春は前へと目を向けた。その先で、静かに小さな紫電が舞った。「黒子!」と聞きなれた声が響き、包帯の巻かれた後輩の頭を見ると、御坂は困った後輩に走り寄りその頭を抱え込む。

 

「馬鹿! 風紀委員(ジャッジメント)だからって無茶して! 浮泡(あわつき)さんと湾内(わんない)さんに聞いたわよ時の鐘が来たって! 私に言いなさいよ!」

「お、お姉様」

 

 黒子の頭の中でメーターが振り切れる。柔らかな感触を身に受けて、蠢くツインテールを目に初春が数歩横にずれたのとほとんど同時。わきわきと手を動かし身を包む温かさを堪能しようと伸ばされた黒子の腕が御坂の肩に触れ、小さく身を離した。へたれたツインテールを振って。

 

「……なにをおっしゃるかと思えば、お姉様は一般人ですのよ? そうやってほいほい危険に身を投じようとなされて、わたくしや初春がいる意味を少しは考えて欲しいですわね。それに……大丈夫ですの。もう終わりましたわ」

「アンタはまたそう言う……ほんとに大丈夫な訳?」

「もちろんですの。ただ報告書の作成や細かな調査など仕事が残っていますからしばらく帰りが遅くなりますわ。わたくしが居なくても朝はちゃんと起きて学校に行ってくださいましよ?」

「アンタは私のかーちゃんかってのッ! 狙われたのは黒子なんだから! 黒子の方が気をつけなさいよ!」

「ええお姉様! お姉様の為の体にこれ以上傷は付けませんわ! では……行ってきます」

「はいはい行ってらっしゃい、早く帰って来なさいよね」

 

 愛しのお姉様に大きく手を振り、そのまま黒子は歩き続ける。恐る恐る横に並んで来た初春に顔を覗き込まれ、黒子は不機嫌そうに花を鳴らし、「あれでいいんですか?」と聞いてくる初春を睨み付ける。

 

「いいわけありませんの‼︎ 折角のお姉様の温もりがッ! あぁもったいない! もったいないお化けになってしまいましてよッ! でも……でも」

 

 でも今は足を止める訳にはいかない。一度踏み出した己の決めた道を違える事を黒子は許さない。せめて早く帰って来いと言ってくれた御坂の願いを叶える為に、歩く速度を僅かに上げる。きっと孫市の手を引っ掴み、逸早く御坂の胸に飛び込む為に。

 

「行きますわよ初春! ここまで来たら行けるところまで突き進みますの!」

「しょうがないですねー! 私は白井さんの相棒ですから!」

 

 人知れず初春のパソコンに送られた一通のメール。『電波塔(タワー)』と宛名に書かれたメールの着信には誰も気付かず、留守番する事になる初春の新たな一歩が決まった事はまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「第一位も、第二位も、面白いじゃないかアレイスター。葛藤が己の法を削り出す。他人を認める事を繰り返す程に、自らを研ぎ澄ませる事に繋がると。五十年近い歳月を掛けた甲斐があったのではないかな? ただ気になる点はあるのだが」

 

 携帯電話を耳に、建設中の形半ばのビルの鉄骨の上でエイワスは月を見上げる。アレイスター=クロウリーの掲げる計画が、上手く進んでいないどころか逸れている気さえする状況に。第二位も第四位も未だ健在であり、繋がりを少しずつ深めているような今。仲良き事は美しいなどと、安堵できるようなものでもない。我が強ければ強い程に、寧ろ大きな衝突を生む。それを無理矢理前へと進めるように方向を揃えて衝突を逸らすような。それさえ計画の内とでもいうのか、敢えてただ見ているだけのアレイスターの不可解さ。電話から帰って来ない声を気にせずに、エイワスは静かに言葉を続ける。

 

「一口にヒーローと言っても、様々な分類がある。……誰に教えられなくても、自身の内から湧く感情に従って真っ直ぐに進もうとする者。……過去に大きな過ちを犯し、その罪に苦悩しながらも正しい道を歩もうとする者。……誰にも選ばれず、資質らしいものを何一つ持っていなくても、たった一人の大切な者のためにヒーローになれる者。そのいずれもが、何度叩きのめされても自分の足で立ち上がるような者達だ。だが分かるだろう、彼らは誰かの為に動くが故にヒーローと呼ばれる。だがしかし、彼は決してヒーローではない。その誰かが欠けているからだ。結果誰かの為に見えているだけで、己の為にしか動いていない。ある種最も己の法に従っていはするがね。なぜ見過ごす? ある意味最も邪魔なイレギュラーだろう?」

「──友人との馬鹿げた賭けだ」

 

 小さな笑いと共にアレイスター=クロウリーの口からぽつりと零された言葉。意味のない事だと言うような己を嘲笑する笑み。ただ技術を磨く、己を磨く、不思議ではなく誰もが持ち得る技を研ぐ。世界の基盤を覆う神話の多くを、知識として覚えはしても決して信仰せず、神にも天使にも悪魔にさえも祈る事はない。祈るのはただ己にのみ。できるできないを投げ捨てて、ただやり切る為に足を動かす。

 

「友人か……、『軍楽隊(トランペッター)』、タロットカードに記された『審判(ジャッジメント)』のモチーフ。一つの時代が切り替わるごとに、時代ごとの最後の審判が下され、また新たな時代が始まって新たなものの見方が示される。時代の終わりを示す者が幻想殺し(イマジンブレイカー)とするなら、アレは見届け人だとでも? 友人同士似たような事をして、類は友を呼ぶとでも言うのかな? いや、そもそも考え方は異なるか。神から最も遠くにいる存在を『悪の根源(サタン)』と呼ぶのだったか。 悪魔というのは悪が人格化したものだそうだな、ならその逆も然り。わざわざ恨みを向けられるような立場に立ちながら、神の恩恵を投げ捨て己としての理のみで動く。契約によって力を振るいな。君は天使を作り、そしてアレは」

「……エイワス」

「方法は違えど目指す先は同じか。ただ、悪魔と最も関わる位置にいた天使である力天使や能天使の多くが堕天したと伝承にある通り、特に気に留めてもいなかった風紀委員(ジャッジメント)二人の剥離も目に付く。私としては悪魔などとさっさと潰しておいた方が」

「エイワス」

 

 つまらなそうにガラス容器の中で逆さに浮かぶ男のささやかな唯一の娯楽なのか。友人との些細なお遊びに水を差されるのを嫌うような人間性の滲んだ声音に、エイワスは薄く微笑んだ。

 

「私はせいぜい高みの見物をさせて貰おう。君達の遊戯(ゲーム)を」

 

 切れた通信に目を細め、アレイスター=クロウリーは変わらず容器の中身動ぐ事もなく浮かぶ。スイスの一件が何を生み出すのか。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』を作った友人の完成品が世に落ちるのか。使える物は全て使う。

 

 

 

 




狙撃都市編、終わり。ここまで読んでいただきありがとうございます。

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