前話、すっかり沈=四の存在をさっぱり忘れており、病院に突っ込むのを忘れていたという事実。マジごめん。誰からも何も言われなかったし、許されたと信じたい。スゥだし。スゥだしね。大丈夫大丈夫。もう病院に突っ込んだし大丈夫。
以上お詫びでした。
肌を撫ぜる潮風を散らすように、薄っすら湿っているざらついた新聞紙を指で摩る。海の匂いの混じった紫煙を口の中で転がし吐き出しながら、紅葉した紅葉で染めたような建築物達を新聞紙の上端から眺めて折り畳んだ新聞紙をテーブルに放った。着慣れぬただの変哲もない洋服の肌触りに身を捩り、椅子に座りなおして口に咥えていた煙草を灰皿へと突っ込んだ。風に揺られて消えて行く白煙を目で追いながら、口を開けば火が吹き出しそうな程に熱い口内を燻らせる為に取り出した新たな煙草を口へと突っ込む。
ポルト。
英国の第二王女、キャーリサさんが起こしたクーデター事件、通称『ブリテン・ザ・ハロウィン』から早数日。クーデターの混乱に乗じたフィアンマによる禁書目録を遠隔制御する霊装の奪取。スイスの宣戦布告を機に、分裂し紛争状態にあるスイス。たったの一日で表も裏も世界は激変した。明確な敵の出現と、一般人にすら目に見えて分かってしまうような世界の歪み。それに追い打ちをかけるような見出しに、落ち着きたくてもどうしようもなく気が歪む。
「……法水って新聞読むんだな。ってかその新聞英語だろ、読めるのか?」
読めない新聞をわざわざ眺めるような趣味はない。漠然と情勢を知るのに新聞程簡単に手に入り、分かり易い情報源もないのだから。新聞の一面に大きく書かれた見出しに指を這わせて叩きながら、ポルトの景色から目を丸くしている友人、
「……ロシアが宣戦布告した」
ぽつりと返した言葉に、上条は肩を小さく跳ね上げる。英国のクーデター、スイスの宣戦布告擬きを追うように、世界に発せられたロシアの宣戦布告。ポルトの喫茶店内から聞こえてくるスレたラジオの声も、ポルトガル語で頻りに同様の話題を繰り返している。
曰く、全人類を守る戦い。
曰く、各地で起こっている温暖化や海面上昇などの環境破壊、石油やその他の化石燃料などの不足問題は、全て学園都市の特異な科学技術が元凶となっている。
曰く、学園都市は全人類、全生命体の未来のために、速やかに各地で行われているプロジェクトを完全に凍結する必要がある。また、諸処の問題を分析し解決するため、その元凶となった最先端の科学技術を我々に開示しなければならない。
曰く、己の利権のためだけに、この地球に住むあらゆる生命体を危機にさらす邪悪な存在。
学園都市とグレートブリテン、及び北部アイルランド連合王国に叩き付けられた宣戦布告。望む平和の為に戦争を起こす。ただここでロシアの言う望む平和とは、誰にとっての平和であるのか分かったものではない。英国の為に立ち上がった英国全国民の輝きと比べれば、酷く矮小で独善的で利己的だ。
考え方が違うのは仕方ない、望むものが違うのも仕方ない。
だが、早々に見切りを付けてもう殴るしかないと決め付けるというのは、一種の諦めと同義である。あらゆる想いが交錯し、結果殺し合いになるのだとしても、今回の世界情勢の歪みに際して言えば、裏を知っているからこそ行き着いた結果が殺し合いなのではなく、結果を得る為に殺し合いをしていると言える。
それを描いているのは、『神の右席』、右方のフィアンマと、スイスで宣戦布告を扇動したであろう何者か。
たかが数人の思惑に世界が乱されている現状が腹立たしい。なによりもそんな中で、『
頭の中で情報を整理する度に浮かび上がってくる『裏切り』の事実に、勝手に手に力が入ってしまい拳を形成する。海から吹いてくる風に撫でられても冷めやらず、カレン=ハラーにため息を吐かれて小突かれた。
「落ち着け孫市、何を考えているかは分かっている。だが、まだ誰が裏切ったかなど分かる訳でもないのだ。ここ数日貴様から殺気が滲んでいて私も落ち着かないぞ」
「分からない? 馬鹿を言え、誰が裏切ったかなんて予測はつく」
即座に返せば、カレンは僅かに目を見開き、上条も気分悪そうに身動ぎする。
追いつく為に、並ぶ為に、そこまで仲のいい者ばかりでもなく、考え方も違うが、誰より一番隊の仲間達を追っていた自負がある。
だからこそ分かる。
金の為に『
「アラン&アルド、ラペルさん…………それにハムは裏切るだろうさ」
「ハム? ハム=レントネンがか? あれと貴様は仲がよかっただろうが、本気か?」
「本気だ」
ハムほど『
それが分かっているからこそ腹立たしい。歯痒いし思い出があるから、どこかで裏切ってなどいないという儚い幻想に甘えたい。でも、それでも、誰より追っていたから、仲がいいから、狙撃手としての冷徹な部分が、必要な部分だけを撃ち抜き欲しくもない予測を叩き出す。
「だからこそ……スイスでもし相対したら俺が殺す。どこかで誰かになんて事は許さない。他でもない俺が奴らの
一般人を相手にするのとは訳が違う。第三者を、初めて会う敵を相手にするのとは話が異なる。同じ時の鐘だからこそ、仕事も私情も関係ない。これはルールだ。絶対に目を逸らしてはいけない掟なのだ。今こうして俺が椅子に座っている間にも、時の鐘の誰かが関係もない一般市民を殺しているかもしれない。だからこそ、その代償を払わせなければならない。この世はプラマイゼロなのだ。身から出た錆は己で拭う。
「……法水、やりたくないんならやらなくてもいいんじゃないか? だってお前」
「安心しろ上条、俺は冷静だ。冷静に冷徹にそう想っている。俺は『
「……そんなの、後悔しないって言い切れるのか? それがお前の必死なのかよ」
俄かに鋭くなった上条の瞳を真正面から見つめ返す。より良い未来、明るい明日。誰だってそれを求めている。俺だってそうだ。だが、行き着く先が血に塗れた場所だという事を、誰より俺達が理解をしている。引き金を引き、金を貰い生きているのが俺達だ。狙う相手を違えたならば、次に狙われるのは自分自身。後悔などするぐらいなら、引き金など引かなければいい。生憎そんな指は持っていない。
「お前はいい奴だよ上条、底抜けのお人好しだ。『
「……お前を置いて先に行けってのか? 俺だけ見て見ぬ振りしてロシアに行けって? それは──」
「そうだ。俺の為を想ってくれるなら、上条の為にもお前はロシアを目指せ。違えるなよ目指す場所を。スイスには、フィアンマも居なければ、
フィアンマはロシアに行くと言っていた。ならばこそ、上条が目指すのはロシアであるべきで、寄り道などしている場合ではない。それに何より、スイスは傭兵の国である。魔術国家である英国や、超能力者の街である学園都市ではない。飛び交うのは銃弾、弾けるのは砲弾、魔術師でもなければ、能力者でもない、武器と技術を振るう傭兵の戦場に
「……その想いだけで十分だ。スイスは俺に任せておけ。だからお前はロシアに行けよ。頼りになる……かは分からないが通訳も居るんだから困らないだろ」
「一言余計じゃないですかね? ……だいたいなんで尾行に気付けたのやら」
喫茶店のテーブルを囲む四つの椅子。俺、カレン、上条を除いて最後の一つ。その席に座るのは英国の結社予備軍『新たなる光』の一員、長い黒髪を先端だけ三つ編みにし、尻の辺りから尻尾のアクセサリーを伸ばしたジャケット姿の少女、レッサー。本来なら、上条がロシアに辿り着くまで、しれっと人知れず尾行する気満々らしかったが、あえなく御用となった。
「魔術も使わず尾行とか、俺とカレンを何だと思っているんだ? 言っておくが英国から既に気付いてたからな」
「気配を消し過ぎなのだ。一流の技術を一流のまま振るっては、逆に気付いてくださいと言っているのと変わらんな。何より本気で尾行する気ならその尻尾を外せ馬鹿者」
「……何なんですこの二人? スイス製のキラーマシンですか? って言うか気付いてたのに船までスルーだったとか⁉︎」
急に叫ぶなうるさいと、目立ちたくないのでカレンと二人でレッサーを睨み付ければ、へにょりと尻尾が垂れ下がる。ロシアに向かうとこっそり英国女王エリザードさんと、ステイル=マグヌスに伝えていた上条に便乗し、英葡永久同盟を盾に、英国から
「で? なんでレッサーはここに居るわけ?」
英国のクーデターの際は敵同士。何よりクーデターに加担した魔術結社。それがわざわざ英国を離れて付いて来ている訳を話せとせっつく上条に、レッサーさんは唸る。
「んー? 別にイギリス王室から命令を受けているとか、右方のフィアンマとやらに恨みがあるとか、上条勢力の一員に加わりたいとか、そういう意図はないんですけどね。ただ、あなたがここで死んでしまう事が、イギリス全体にとって不利益となるのであれば、我々としてはサポートした方がよいんではないかな、と考えてまして。それに私としては助けていただいた借りもある訳ですし?」
「ならレッサーさんにはスイスに来る理由はないな?」
「まあそうですね」
あっけらかんとしているレッサーさんから答えを貰い、だったら尚更上条のロシア行きは問題なさそうだとカレンと目配せする。スイスの件に多くを関わらせる気など、俺にもカレンにもない。他でもない俺とカレンにはやらなければならない事があるのだから。スイスの紛争を逸早く終息させ、宣戦布告なんてアホみたいな挑戦状を捻り潰さなければならない。
「それにしても、スイスが大変なんて言いながら思ったよりゆっくりしてますけど大丈夫なんですか?」
尾行を引っ捕らえられた憂さ晴らしか、そんな事を聞いて来るレッサーさんの問いを鼻で笑い飛ばす。何より速くスイスに帰りたいのはその通りであるが、猪突猛進とばかりにスイスに突っ込み辿り着けるかと言われるとそれも難しい。スイスは今や要塞なのだ。道は閉ざされ、空も閉ざされている。堅牢な要塞に考えなしに突っ込んだところで、望む結果は得られない。だから胸ポケットのペン型携帯を小突きながら整然と告げる。
「フランスのある場所に特殊な電報を送った。電話じゃどこで盗聴されるか分かったものじゃないからな。その返事待ちだ」
「電報って……モールス信号で? いつの時代の産物ですか」
「魔術師がそういう事言う? ただのモールス信号なんて使うか。送った相手はフランスの首脳にだ。正確にはその側近に。こっちだって形振り構ってないんだよ」
傾国の女の傍に控えるスイス傭兵への電報が返って来た時が動く時だ。ただでさえ情勢不安定なスイスの『
「フランスには『C文書』の件で貸しがある。俺も上条もな。あっちの思惑がどうであれ、フランスの混乱を沈静化させるのに力を貸したのは事実。不必要な借りなんてあっちもさっさと返したいさ。だからジャン=デュポンの手を借りて一気にフランス国内を抜ける」
「その後貴様らはイタリアに抜けろ。ララさんがロシア行きの手を用意してくれている。フランスやイギリスからよりもイタリアからの方が融通が利くはずだ」
「ララさんって……ララ=ペスタロッチ⁉︎ それって大丈夫なんだよな⁉︎ 会った瞬間刺されたくないぞ!」
子供は未来で神である。学園都市の学生を穢れていると包丁を擦り合わせていた
「貴様はこの争いを終結させる為に動くのだろう? ララさんだって想いは同じだ。その点は心配せずともいい……多分」
「多分⁉︎ 今多分って言ったろ!」
「口が滑っただけだ」
「そこは滑らせんな‼︎ 急に不安になって来たんだけどッ!」
上条はそう言いはするが、椅子から立ち上がる事もなく、誤魔化すように口へとコーヒーを注ぎ込む。何より速くロシアに行くには、信じる以外に道はない。馬鹿と鋏は使いよう。狂気だって同じだ。その狂気が向かぬ内は、狂人だとて一般人と変わりはしない。少しばかり上条も気が落ち着いたのか、コーヒーをテーブルに戻して肩を落とし、俺とカレンを再び見つめる。その心配そうな顔が、鬱陶しくも少しばかり気が紛れる。例え戦場に向かおうと、何処かに友人が居るというのは心強い。
「本当に大丈夫なんだよな? 二人でスイスなんて」
「あのな、俺は日本よりもスイスの方が長いんだぞ? 何より相手がスイス軍に傭兵部隊達なら、魔術師や能力者より勝手知ってる」
「スイスの魔術師なら私が詳しい。しかも言っておくがな、スイスの中では私も孫市も上から数えた方がいい位置にいる。ただの傭兵に遅れを取ると思うか? 問題は裏切った時の鐘に、他数人」
「他数人? ヤバイのがいるのか?」
いる。スイスも一枚岩ではない。時の鐘以外の傭兵部隊にも手練れが居るし、何よりスイス軍が動いているのだから、軍の中に潜んでいる強者が暴れているのは確実だ。それも宣戦布告に乗り気なのなら、確実に敵になると言っていい。
「……スイスの宣戦布告を扇動した者がいるはずだ。政府がそんな事をするとは思えないからな。ただ軍が動いているのなら、英国のクーデターがより過激になったとでも思えばいい、いや、寧ろこれが本来のクーデターかな」
「スイスの軍人の多さが裏目に出たな。軍事が反旗を翻せばこうもなる」
カレンの言葉に小さく頷く。スイスは国民の約十パーセントが軍人である。男子には徴兵の義務があり、予備役軍人を三十年務めなければならない。何より銀行などとも密接な繋がりがあり、主要なスイス銀行の頭取は通常スイス軍の高官だ。だからこそ、スイスが宣戦布告し世界が乱れた。そういう意味では、資金においてクーデター側の方が潤沢と言えるかもしれないし、各国に対して強大な手札を持っているとも言える。スイスのプライベートバンクは、『独裁者の金庫番』、『犯罪者の金庫番』と言われる程だ。
「そんなにスイスって軍人が多いのか?」
「約八十五万人が軍人だと思えばいいさ。対して日本はだいたい二十三万人か。ちなみにスイスは総人口およそ八百五十万人。日本は総人口約一億二千万人でだぞ?」
それに加えてスイス軍人は家に小銃を最低でも一つ置いており、予備役兵の弾薬は国が管理し、有事の際に国から配布される。武器庫が地区単位で置かれ、全国民が避難できる十分な数の核シェルターまで存在する。その他でも数多くの戦いに対しての制度や準備がなされており、平和な中で、ここまで戦いに特化した国は他にない。
総人口日本の十分の一以下で、軍人の数は日本の約四倍。予備役軍人を含めての数であり、数で全てが決まる訳ではないが、単純な分かりやすさに上条は息を飲んだ。ただ数だけなら、英国、
「欧州諸国が魔術を磨き、日本は超能力に邁進する中で、スイスは傭兵に武器の排出と戦闘技術を磨く事で財を成してきた国だ。勝手が違うんだよ。魔術や能力に頼る前に銃を取り出すのがスイスだ。笑えるだろう?」
「ただただおっかねえよ。法水も行ったのか?」
「徴兵は十九歳からだ。そもそも『
「そんな戦場に武力以外で魔術も行使される訳だからな。一般人からしたら堪ったものではない。……いや、スイスで一般人などと言ってもほとんど軍人のようなものであるし、描かれるは地獄絵図が正しいか」
下手に戦う術を知っている者が多いだけに、英国のクーデターの際よりも民間人が銃を手に立ち上がっている可能性が高い。そこから予想されるのは、宣戦布告への賛成派と反対派の武力による対立。二極化したスイス内では睨み合いとなって硬直しているだろう。だが、時が経てば経つ程に、クーデターを起こした賛成派が有利になる可能性がある。そもそも反対派が多数なら、既に終息しているだろうし、そもそも宣戦布告などさせないからだ。それを穿つには、外部からの一撃が最も効果的。
「……スイス内部の状況が分からなくはあるが、今安全圏にいる俺とカレンだからこそやれる事もある。隣国のフランスとイタリア。この状況下でフランスがスイスよりイギリスを気にしているのなら、何かしらの密約をフランスとスイスは結んでいると見るべきだろう。フランスがスイスに対して攻勢に出たという話も聞かないしな」
「イタリアからの情報はララさんから聞けるはずだ。まずは外堀を埋めてから飛び込んだ方がいいだろう。この戦いの変わり目はそこだ。首謀者を知る事が出来れば、それを討てば終わる」
「本当に終わるのか? 首謀者を討っただけで。フィアンマもそうだけどさ」
「羊の群れだよ上条。そういう事だ」
ナポレオンの名言にこんな言葉がある。
「
リーダーの良し悪しで、集団の優劣は決まる。という言葉であるが、ここで重要な事はそういう事ではない。羊が一頭走り出せば、他の羊もみんな追従する。羊の群れとはそういうものだ。革命も、クーデターも変わらない。先頭を走る何某か。それが他の者を引っ張っている。扇動者は目的に向かうが、それを追う者は目的を目指しているのではなく、扇動者を追っているのだ。頭を穿てば歩みは遅れる。そこに付け入る隙がある。扇動者に動かされた者にとって、扇動者こそが心の支えなのだ。何より永世中立国の宣戦布告など、やろうと思って思い切れるものでもない。スイスの扇動者もフィアンマもそれは同じ。
「追うモノを己で決めた訳でもない奴に置いていかれる筋合いなどない。そうだろう? 頭を狙えるのは同じように己の道を決めた者だけだ。同じ阿呆なら踊らにゃ損損? よく見れば踊りを煽ってる阿呆がいると気付くさ。そもそも多くが己で宣戦布告を決めたなら、もっとスムーズにスイスの内乱は終わる。そうでないのがその証拠だ」
「神とは己を信じてくれる者だ。それを道具の如く身勝手に使うなど言語道断。僅かな希望などはなから私も孫市も捨てている。スイスに向かい狙うは扇動者。神の敵を斬るだけだ」
「偽りの必死を掲げて連れ立つような者共に輝きなど存在しない。そんな滑稽な
「断頭台のギロチンを自ら落とした白痴にかける慈悲など微塵もない。平和などと、望むものがそれであるなら、己が身以上のものを巻き込むのは間違いだ。スイスの窮地、ならば我らが目指すものは一つなのだ。それを邪魔する者は総じて斬るべき敵である」
「はい、分かりましたから、私は邪魔しませんから、私はスイスと仲良くします」
顔を青くしたレッサーさんが手を掲げて謎の宣誓をし、カレンと二人で首を傾げる。寒いのか知らないが、身を震わせているレッサーさんは風邪でも引いたのか。勝手に尾行して来て具合を悪くするとか意味が分からない。同じように口端を歪めていた上条は、咳払いを一つして、俺に向き直る。
「……法水が止まらないなんてのは俺も嫌ってほど知ってる。けどさ、白井の事はいいのかよ。何度もメールや着信あるのに」
上条の言葉にぽとりと拳に入っていた力が抜けてテーブルの上に落ちる。血の気が引いて身の内の熱が一気に冷めた。
何件も積み重なった着信履歴と、せめて返信が欲しいと綴られたメール達。
出れる訳がない、返せる訳が。
「それで……何て言えばいいんだ? 来て欲しいとでも、待っていてくれと言えばいいのか? それは……どっちも地獄だなぁ」
「そんな、元気でやってるぐらいさ」
「……もし、
「…………そうだな」
寂しげに薄く笑う上条の顔を見て小さく息を零す。出られる訳がない。
それは日常からの
上条にとっての日常の象徴が禁書目録のお嬢さんなのだとしたら、俺にとっての必死が白井黒子だ。俺にできないことをやってのけてしまう、俺が一度諦めたものを諦めない小さな輝き。守れるかも分からない約束などできるはずもなく、感情をひた隠す上面の言葉を掛けるのも戸惑われる。弱々しく指を擦り合わせる横で、カレンは大きく息を吐き出すと目を細める。
「黒子だったか? よく知らないが、連絡せずにこっちに来たらどうするのだ貴様は」
「黒子が? 黒子は
「貴様が居るだろう。来たらどうする?」
どうする? などと考えたくはない問いを突き付けて来るカレンを睨み付けるが、目を伏せて顔を合わせようとしない。カレンがどんな答えを望んでいるのかは分からないが、もし黒子が、黒子が来てしまったら。
「来ないよ」
頭の中で巡る答えが外に出ないように言葉で封をする。答えが出てしまえば、それに期待してしまう。夢に見てしまう。そんな希望を今夢見ている時間はない。だから『来ない』と再度口にして、テーブルを指で数度小突いた。
「だいたい、そんな、会ったらどんな顔をしたらいいかも分からない」
「鏡を見ろ」
短く応えて片眉上げるカレンの顔を見つめて、小さく首を左右に振った。今自分がどんな顔をしているのか。怒っているのか、呆れているのか、知る気もないし知りたくない。この場に鏡などなく、探す気もなく、見る気もない。視線を外した先で、人混みの中オペラ演者のように二角帽子を被った影を見つけてリュックを手に席を立つ。スイス行きの切符は切られた。短い休暇はお終いだ。
次回瑞西革命編。