瑞西革命 ①
十月二十四日。この日は特別な日である。
一九四五年の十月二十四日、国際連合憲章が発効して国際連合が正式に発足した。それ以来この日は国連の目的と成果を世界の人々に知らせ、国連の責務の支持を得ることに捧げる日。それがここまで達成されなかった日は、一九四五年以降今年が初となるだろう。
十月二十三日、午前零時。そんな十月二十四日を明日に控え、フランスのとあるホテルの一室からジュネーブとレマン湖を望む。スイス西部、レマン湖南西岸に位置するジュネーブは、スイスからフランス領へと突き出しており、周りをフランスの領土に囲まれている。
その歴史は古くローマ時代にまで遡り、ハプスブルク家に支配された事も、ナポレオンによってフランスに併合された事もあった。第一次、第二次世界大戦中は、中立国であったスイスのジュネーブには、両陣営の多くの亡命者や外交官が集ったという。
そんなジュネーブには、国際連合欧州本部を筆頭に、十五を超える国際機関の本部や事務局が置かれ、第二次世界大戦前は国際連盟*1の本部があった。
『
国際連合欧州本部である
光の消え失せたジュネーブに呼応するように、レマン湖周辺のフランスの都市も軒並み街明かりを消しており、遥か上空大気圏の外からは、ぽっかり穴が空いているようにでも見えるかもしれない。照明も付けずに月明かりだけに照らされた部屋の中、窓辺に肘を掛けて近くも遠いスイスの景色を見つめ続ける背に、扉の開く音が降り掛かる。
カツリッ。と、床に足を落とした音ではなく、厳格に靴の踵を打ち合う革の音に続く、壁に背を付けた布ズレの音。振り返る事もなく、紫煙を吐き出しながら故郷から目は逸らさない。
「……まるで日本の鎖国時代の出島だな。現状、スイスと唯一安全に接触でき、取引のできる街をジュネーブに選ぶとは。ジュネーブはスイスではないなどとスイス内でさえ言われもするが、それに則しでもしたかよ」
呟きに不機嫌そうな吐息を返され、低い声が部屋の空気を揺らす。
「出島のようだからと、侵入など考えん事だ山の傭兵。言ってやろう、嫌という程。取引と言っても人質交換のだ、スイス内の要人は現状ジュネーブに纏められている。シェンゲン協定*2さえ無視した厳重な検問、レマン湖には船舶部隊が常駐し、湖畔には戦車が首を並べて待っている。ついでにミットホルツの弾薬庫に納められていた爆薬と一緒にな」
「産廃処理も同時にやる訳か。いつ吹き飛ぶかも分からないじゃないか」
第二次世界大戦中、ベルナーオーバーラント地方ミットホルツ、アルプスの地下に建設された旧弾薬庫がある。格納されていた三千五百トン近い弾薬と数百トンに及ぶ爆薬。長年の劣化によって、いつ爆発するか分からないとし、危険の排除と軽減を検討するとスイスの国防省が発布していた。住民からも撤去を訴えられていたそれを、ここでジュネーブに持って来るとは、一般市民へのアピールを欠かさないなんて雀の涙程の努力だ。
時限式でもない、いつ爆発するかも分からない年老いた爆薬を持ってくる意味を考える。そういう事だろう? と言うように紫煙を断続的に吐き出せば、答えるようにジャン=デュポンは踵を鳴らした。苛つきを隠さず、不機嫌そうに。
「爆発した理由など、どうとでもなる。要人が吹き飛ぶ前に払うものを払い回収しろとな。無理に押し入るようであれば──」
「それでも派手な花火が見られる訳か」
陽に晒され、温度上昇による自然爆発。湿度上昇によって、物を落とした衝撃で火花が散り、理由なんて何でもいい。いつ爆発するか分からないという不安定な要素が首を絞める。だから反乱軍もジュネーブに対して大きな動きをする事ができず、仮初めの安全地帯が完成した。
「取引するのは弾薬や物資か?」
「そうだ。資金など、財政界の裏を知っているスイス銀行からすれば、知られたくはない情報の開示を盾に支払わせられるからな。無限ではない物資を補給する為の材料としては有用という事だ。それに隠れ蓑にも使える」
事前にどこかと交わしていた密約。弾薬の受け渡しなどを、人質交換という建前を使って、不自然ではなく引き渡す事ができる。人質か、それともスイスのクーデターが成功し利益を得る何者かがいるのか。なんだっていいが、今重要なのは、スイスの弾薬の類が尽きる事はないだろうという事。
「手際がいいな。奴さんはどれだけ前から準備をしていた?」
「知った事ではないし、気にしている猶予もない。イギリスとフランスは今や極度の緊張状態にある。スイスを気に掛けている余裕などない。ドーバー海峡は火の海となるだろう」
「フィアンマの手のひらの上だと知ってても尚か?」
「確執とはどうしようもないものだ。貴官と我々が力を合わせる事があっても、敵対する事もあるようにな。今はスイスが未だ膠着状態を僅かながらに保っている事に感謝するのがいいさ。理由は言わずとも貴官には分かるだろう?」
そう小さな笑い声と共に押し出されたジャン=デュポンの言葉に肩を落とす。『
下手に頭を出せば穴が空く。
どんな大義を掲げようが、道半ばで死んでは意味がない。クーデターなら尚更。常に暗闇から伸びているであろう銃口を警戒し、最大の危険要因を排除する為に躍起になっているはずだ。誰もが銀の弾丸が誰か分かっているからこそ、気にせずにはいられない。その疑念さえ作れれば、後はボスが動かずとも勝手に相手の行動は小さくなる。
「それより、貴官はいいのか? 学園都市に赴かずとも。時の鐘は──」
「……聞いたよ、
「思ったより冷めているな」
「冷めている?」
窓辺に置いた手が、木製の窓枠を握り潰す。弾けた木片が床を叩く振動を感じながら、燃え尽きかけた煙草を床に吹き踏み潰し、開けた景色に浮かぶ暗い湖を見つめて頭を冷やそうと試みるが、身の内で揺らめく熱を穴のように広がるレマン湖の水面は吸い切ってくれない。
「俺の体がお前のように幾つもあったら、学園都市に向かわないと思うか? 蠱毒のような実験場であったとしても、俺の友人がそこにはいる。それを時の鐘が穿ちに向かった。それも俺のよく知る一番隊にいた奴らが。冷めている? 俺の内側をお前が見ればそんな言葉は出ないだろうさ」
飛んで行きたい気持ちもある。ありはしても、それは既に過去だ。俺がフランスで動いていた間に、既に全ては終わったのだろう。
「
「それを貴官が言うのか? 己の為に動く貴官が。矛盾であるな」
「だが、そうだろう? 影が常に勝ち続けるようなら、そもそも世界は存在しない。俺が私欲で誰かしらを殺すようになったなら、その時こそきっと俺が死ぬべき時だ」
引き止める者など必要なく、怪物に落ちた者は狩られるだけだ。そうなった時には、
そうでなくとも、引き金を引く度に何かが削れ、何かが積み重なってゆく。どれだけ強固に己を律しても限界は存在する。削れない何かが必要だ。己の世界を支える芯が。夢や必死は空気に等しい。生きる為になくてはならないものではあるが、それを吸い込み燃やす為の何かが。
それが絶対的に街を歩く人々と俺達は異なるのだ。想い描いている日常が異なる。
朝起きて、学校に行き、友達と騒ぎ、放課後を消費する。それが学生の日常。
俺が半年ばかり身を浸した非日常。
最初は肌に合わず空気感の違いに戸惑いはしたが、それに合わせる事も出来るようにはなった。だが、それでも異物である事に変わりはない。魔術や能力がなかろうが、既に世界を統べている多くの者とは、違う場所に立っている。
そこから見える景色こそ眩しいから、俺はいつも少し離れた場所に立っている。そこから動く事はないだろう。動かなくても手が届くからこそ、少し離れたところで一人ひた走っていても、それならそれで構わない。そのまま倒れてしまおうと、自分の道の上ならば。
「
部屋に紛れた鈴の音のような声に一瞬身が固まる。それが誰の声であるのか、脳が理解するより速く反射で本能が理解する。声にならない吐息が口から漏れ出、冷たくもない生温い汗が指を湿らす。懐に納まっている
振り向かずとも、心臓の鼓動と吐息による空気の微動。布ズレの感触、部屋を出て行く軍靴の音色。その全てが一人の少女の姿を浮き彫りにする。
フランスに居るはずのない少女、戦場であるスイスを目の前にして。窓から吹き込む夜風にツインテールを靡かせる
なぜ? どうして?
言葉にならず、爆発的に身の内で弾けた感情が、戦場を前にした熱さえ吹き消してしまう。震える指先を握り込み、振り返る事もない俺の背後からゆっくりと足音が近付き横に並んだ。それを見る事もなく暗い湖を眺め続ける。
「オーバード=シェリーさんにお呼ばれしまして、『
部屋の中静かに響く
聞きたい事も数多く、話したい事も数多い、横に並ばれてしまったら、抑えていた何かが泡のように湧き出して止まらない。「静かですわね」と零し暗闇を見つめる黒子の視界を覆うように紫煙を吐いた。
「──レマン湖はな」
ようやっと絞り出て来たのはそんな言葉、「なんです?」と聞き返してくる黒子に向けて、出て来た言葉をそのまま続ける。
「レマン湖はな、紀元前には既に名が付けられていた湖で、氷河期の後に氷河によって削られ作られた湖だそうだ。湖畔に立つモントルーの街並みを臨む城、『シヨン城』。『
一呼吸置いて煙草を咥え直す、黒子の沈黙を耳にしながら、静寂な世界に目を流して、
「遊覧船に乗ればゆっくりそれを一望できる。ジュネーブのバルコニーと呼ばれるサレーブ山や、翠色の宝石を眺めながらな。森を意味するガリア語*3『jor』、フランスとスイスに跨るジュラ山脈の由来だ。夜になると街の輝きがゆっくり湖に落ちて来る。影が伸びるように揺らめき煌めく幻想都市が湖に映し取られるんだ。レマン湖の郷土料理には『
「それは……きっと、とても素敵なのでしょうね」
どこを切り取っても名画のような景色は今はない。夢だったかのように壊れてしまった。今や人工の輝きは、レマン湖の上空をサーチライトの閃光が行き来しているだけで消されてしまった。
暗闇の中でも分かる崩れた建物達のシルエット。目にしていた『いつも』が崩れている景色。
こんな景色を見せたくはなかった。黒子の力の抜けた返答に肩を落とし、咥えていた煙草を砕いた窓辺に押し付け火を消す。
「だから帰れ黒子。スイスは……俺の知る故郷は変わってしまった。こんな景色も、この先の俺も、黒子には見せたくないな」
俺のこれまでを、俺の日常を終ぞ見せる事ができなかった。
生きるという事は大なり小なり変わる事だ。良い変化もあれば、悪い変化もある。この先訪れる変化を学園都市の友人に見せる勇気も必要もない。血が流れないなどという事はなく、道端に転がっているだろうものは、かつて人だった亡骸だ。待っているのは夢の国ではなくただの地獄。
静かになった黒子に何も言わず、ただ静寂に身と心を込めて潜ませる俺の手首に掛かる固い音。
──カリャリッ。
手首を囲む冷たい鉄の感触に目を落とし、掛けられた手錠の鎖が伸びた先でツインテールが柔らかく揺れた。
「法水孫市さん、貴方を逮捕しますの」
「なに?」
「罪状は騒音被害に器物破損、銃刀法違反にその他多数。わたくしに帰れなどと、公務執行妨害も足しておきましょうか。帰れと言われて、『はい分かりました』などと言うくらいなら、そもそもここに来ないと貴方なら分かりそうなものですけれどね」
「それは──」
「
言葉を続ける黒子の声を追い、俺は黒子へ目を向けた。「ようやっと此方を向きましたわね」と口にした黒子の目元には薄っすらと隈があり、その微笑みは弱々しかった。髪の艶もいつもより薄く、寝不足なのだと一目見れば分かる。なぜ寝不足なのか。慣れないフランスの空気に当てられたか、時差ボケか、目にしたものにすぐさま考えを回す不躾な頭を、黒子の言葉が打ち砕く。
「ハム=レントネン、ドライヴィー、アラン&アルド、ラペル=ボロウス、ゴッソ=パールマン、
「 ……生きてるのか?」
「ええちゃんと。ハムさんにはわたくしがお灸を据えましたから安心してくださいな。捕らえたのは
「……ハムに勝ったのか」
「あら? 意外ですの?」
意外ではないと言うと嘘になる。スゥやゴッソまでも学園都市に行っていた事実と、既に終わった結果が頭の内でのたうち回り纏まらない。黒子が捕らえたという事は、他でもなく黒子が相対したという事。そんな中でも、追い続けた中で一番歳近く俺の身近にいた才能の原石を撃ち破ったと黒子は気取らず言う。それが可笑しなものだから、口の端から笑いが漏れ出て仕方ない。
押し殺した俺の笑い声が響く中、黒子は口を閉ざして窓の外へと顔を向けた。その横顔を見つめ、窓を背に煙草を咥えて火を点ける。
「……貴方が全て背負わずとも、わたくしも、初春だって弱くはありませんの。あまり舐めないでいただけます?」
「……飾利さんもか……そうか」
「貴方はきっと、来て欲しくなかったと言うかもしれませんけれど、向かうべき場所はわたくしが決めます。超音速旅客機に揺られ、ゴミのように空にほっぽり出されてただ帰るなど御免ですの。それでも帰れと言いまして?」
「素直に凄いと思うよ、嬉しくもあるさ……でもな、ここは学園都市じゃないんだぜ? ここは俺の戦場だ。そんな場所に」
「貴方の戦場にわたくしも立つと、前に言いましたわよね。場所は関係ありませんの。それに貴方」
「オレ達の戦場にズケズケやって来て、自分の戦場には来るなはないんじゃないかにゃー?」
場違いな茶化した声が新しく部屋の中に落とされる。開かれたドアの先、月明かりを反射するサングラス。逆立つ金色の髪。それに並んだ柔和な表情の青い髪と、茶色い髪の男を目に、窓辺から背を勢いよく離した。
その立ち並びの異様な珍妙さと、フランスに居るはずのない新たな面々の顔を見つめ、勢いよく掴み寄ろうと歩き向かっていた足が、手に嵌められていた手錠に引っ張られて緩む。伸ばした手は虚空を掴む、握り締めた拳は向かう先を失って、静かにその圧を高め、声となって押し出された。
「ば、馬鹿野郎ッ⁉︎ 何でいやがる‼︎ 『シグナル』の仕事って訳でもないだろうがッ! 土御門! お前の義妹は学園都市だろ! 青ピだってここにいる理由などないはずだ! 上条ならロシアに向かった! そっちを追えよ! 浜面さんは……浜面さんは……とにかくッ!」
「おい酷くねッ⁉︎」
「うるせえ! お前ら来るべき場所が違うだろうが! スイスに用事などないだろう‼︎」
フィアンマというローマ正教に身を隠していた黒幕が姿を見せた今、フィアンマがロシアにいるのなら、それこそスイスでの動乱は世界の動きと関係ないと見える。スイスがわざわざ暴れる理由がない。英国のように仏国と敵対していた訳でもなく、
「カミやんはロシア? 行き違いとは困ったもんやねぇ。そりゃ早よ終わらせてカミやん追わなあかんよね」
「これまでカミやんや孫っちに無茶頼んで、いざってところで見て見ぬ振りも限界ですたい。ここらでいっちょ、オレ達の友情ぱわーを見せてやらなきゃダメだにゃー」
「法水だって力を貸してくれたろ? ラペルさんやゴッソさんもだ。なら、次は俺の番だ。役に立つかは分かんねえけどさ」
「例えスイスが崩れようと、貴方の中のスイスの景色は変わらないのでしょう? それを取り戻しに行くのですのよね? わたくしにスイスを案内してくださるのでしょ? わたくしは……やっと、ようやっと追い付きましたわよ貴方に。時の鐘が全てなどと、貴方は学園都市の学生でもあるでしょうが。困った事があったなら、まず
黒子に手錠を引かれ、後ろに伸ばした足が椅子に当たりそのまま腰が落ちる。咥えていた煙草が床に落ち、それを拾いながら四人を見つめる。時の鐘とは違う居場所。此方が勝手に離れても、向こうから勝手にやって来る。遠く離れた極東から。俺の生まれた日の出ずる国から。頭を掻きながら天井を見つめ、体に入っていた力を抜く。
「……子供のようにこっちに来るなと喚けばいいのか、癇癪起こして暴れればいいのか、馬鹿らし過ぎてそんな気も起きない。学生が騒ぐのとは訳が違う。分かってるのかよ」
「よく言いますの。どうせ戦力が増えたなら違う手も取れると頭を回しているのでしょう? 口元が弧を描いてますわよ?」
口元に手を伸ばし、唇に触れて手を落とす。
「……黒子には隠し事ができんなぁ。自分の事を喋り過ぎた」
手錠の掛けられた腕を軽く引き、バランスを崩した黒子を抱えて膝に乗せる。軽く柔らかな少女が一人、学園都市で時の鐘を穿った強い少女の顔を見る。
「ちょ、ちょっと」
「俺は黒子に会いたくなかったよ。会ったら最後、終わる前に色々吐き出してしまいそうでな。黒子の輝きに俺は弱い。灯りに誘われる蛾とそう変わらない」
早まる黒子の鼓動と血流の声を骨で聞き、僅かに身を捩る。便利だが不便だ。透けて見えるような波の世界、黒子の内側と目に見える小さな少女を重ね合わせ、黒子の脇腹に手を添わせる。擽ったそうに身を捻った黒子の細められた目を見つめ返し、額に残った目で見ては分からない傷跡を指で撫ぜる。
「左腕と肋、一度折れたな。綺麗にくっついているのは流石先生だ。土御門の肩の傷…………ドライヴィーにやられたな。クランビットが突き刺さっただろう。アレは毒をよく使う、解毒は上手くいったようで何よりだ。浜面さんの腕のそれは突き刺さったゲルニカM-008の銛を自分で引き抜いたのか? 無茶をやる。アレ痛いだろう、そう聞くぞ、俺には分からんが」
「……孫市さん?」
首を小さく傾げる黒子の前に手を広げ、落ち着かせる為の言葉を探す。
「黒子、脈拍が上がっているぞ、そう緊張しなくてもいい。俺は俺のままで別に変わらない。どうも英国の一件で知覚領域が開けたらしくてな。慣れるのに少々手間取った。慣れると便利ではあるんだが、見ている景色の違う目が一つ増えたと言うか、これまで聞こえなかった音を拾う耳が増えたと言うか、レントゲンが体内にできたというか、感覚のズレはまだいかんせんなんともし難くはあるんだけどもな。人型音叉みたいな? 振動音響解析ソフトを脳に突っ込まれた気分?」
「それは……大丈夫なんですの?」
よく分からんと黒子に訝しがられるが、俺自身もよく分からん。英国出立前に医者にも魔術師にも軽く診てもらったが、特に身体的な異常は見られないとのこと。後天性サヴァン症候群だの言われたが、それもよく分からん。これまでの積み重ねを杭とし、強大な衝撃によって殻を打ち破られた感じだ。
「雨のように降って来た
「バンカ──ッ⁉︎ それ大丈夫じゃないでしょうッ‼︎ なんで生きてるんですの貴方ッ⁉︎」
そんな事は俺が聞きたい。元々英国のクーデターでキャーリサさんには誰も殺す気などなかったとして、五体満足で今も動けているのは俺も不思議だ。あの時は必死過ぎて深くは考えなかった。酷い怪我してないのかと黒子にペタペタ体を触られる感触に笑いながら、黒子の手を差し押さえる。
「それって
「お前は俺を助けにやって来たのか? それとも殺しにやって来たのか? やって来て早々造反者が生まれてんぞおい」
「……この世に元々ある昔からの特殊能力って具合だにゃー。そう言えば時の鐘ってそんな奴らが多くないか? 超人体質に模倣能力、メラニズム、完全記憶能力に音視と来たか。他にもいるのか?
他になどと言われても、時の鐘の一番隊ならそんな者達で溢れている。だから追っても追っても追いつかない。
「ガラ爺ちゃんは若い頃は反射速度がエゲツなかったって聞いたな。キャロ婆ちゃんは乗ってて戦車が不調な時、調べなくてもどこが悪いか分かるって言ってたし、ラペルさんは感覚遮断できたはずだし、クリスさんは平衡感覚が異常だな。スゥは内功の専門家で意味不明な事するし、グレゴリーさんは速度感覚が、ガスパルさんは触覚が凄いな、手先が器用だし目を瞑ってても手の感触だけで材質まで分かるとか、ベルは気配が分かるとか言ってたような……。ボスは空間把握能力が化物だし、
「やっぱり時の鐘ってびっくり人間の宝庫じゃねえかッ⁉︎」
浜面が叫ぶが、そんな事を言われても別に超能力だの魔術だのと違い、古来より存在している人なら誰もが持っているかもしれない能力だ。呪文を唱えただけで竜巻起こしたり、指先から電撃飛ばしたりできる方が異常である。魔術師も学園都市の学生もその辺が少しズレている。浜面だってそんな事を言いながら何かを持っているかもしれないのだから、気付かぬ内が華かもしれない。
「それって昔からそうなのかよ、時の鐘ってのは昔からそんな奴ら集めてたのか法水?」
「いや、ボスが総隊長になってからだな。今の時の鐘はガラ爺ちゃん、ボス、俺の順で古参トップスリーなぐらいだぞ」
「孫っちそんな古株だったん?」
「ふーん」と顎に手を置き唸る土御門の姿に肩を竦めていると、下から黒子の顔が伸びてくる。パチクリ目を瞬いた黒子は、眉間にしわを寄せて困ったように口を開いた。
「……ハムさんと戦った時に不思議な感覚が、想像の弾丸を弾き、その衝突に合わせてこれまでの数倍の距離に
「マジで? 黒子もついに
「
黒子に頬を摘まれ左右に引っ張られる。喋りづらい! 褒めたのに怒られるとかこれいかに。唸っていると、青髮ピアスが調子良さげに指を弾いた。
「孫っちと同じ共感覚の延長なら、ミラータッチに近いんやないか? 見ただけで触った気になるっちゅうやっちゃよ。くぅ、ヤラシイわぁ! ボクゥなら幾らでも見てくれて構わへんよ?」
「黒子、アレはもう一生見なくてもいいぞ」
黒子の顔に手を添えて、青髮ピアスの方を向かないように固定する。肉体能力の頂点だけに、そういう事に詳しいのは頼もしいが、青ピ達といると力が抜ける。「べ、別に見ても触った感触などありませんけど」と言って顔を赤くする黒子の血流の音に指を這わせながら、少しの間を開けて「ありがとうよ」と口から零した。
「悪いな。黒子、土御門、青ピ、浜面さん。本当は、本当は……すっごい嬉しいぜ。スイスに行けば誰が敵で味方かも分からない。そんな中で来てくれて、心強いよ。マジでな」
「……最初からそう言ってくださればいいですのに。わたくしたちは自分で決めてここに来たのですから。強がらなくたって、孫市さんは孫市さんでしょう?」
「好きな女の子の前でくらいカッコつけたいだろう? ……英国では色々あったよ。できればあの輝きを黒子に伝えたい。多くの人々の夜空のような輝きを。スイスでも……同じ景色が見られるかな?」
「きっと。貴方がいて、わたくしもいるのですから」
迷わず即答してくれる黒子に微笑み、額に額をくっつける。黒子の熱も鼓動も全てが今は手に取れる。瞼を閉じても骨で感じる。青髮ピアスの歯軋りの音まで聞こえるのは余計であるが、それもそれで悪くはないと、目を開けた先で扉が砕けた。
「ま、ま、まごまご、孫市貴様ぁッ⁉︎ 自暴自棄になったのか知らないが何をやっているか‼︎ 年端もいかぬ少女をそ、そんなッ⁉︎ ロリータにでも目覚めたのか穢らわしい! 粛清! 粛清だッ‼︎」
「げぇッ⁉︎ カレン⁉︎ 今までどこ行ってたのか知らないが、黒子は十三だ! ロリータとか言ってんな‼︎」
「十三⁉︎ それでか⁉︎ 東洋人は若作り過ぎる! だがだからと言ってか、抱え込んでいい理由にはならんぞ! 貴様が白井黒子か! 目を覚ませ、そいつは悪魔だ! 一緒に居てもろくな目に会わん! 過保護だし、
「孫っちこれぞ神罰や! よっ!
「青ピお前どっちの味方だ⁉︎ 造反者が増えやがった! カレン待て──」
「問答無用ッ!!!!」
──ガッゴンッ‼︎
飛来した拳に殴り飛ばされ、視界が大きく掻き混ざる。ちゃっかり
「騒ぐのは結構だがな山の傭兵。一度しか言わんぞ、ホテルの修繕費は自分で持て。二度と言わせるなよ野蛮人」
野蛮人はあっちとカレンを指差すが、ジャン=デュポンは何が面白いのか鼻で笑うだけで去って行く。仕方がないので指で床にカレンの名を血文字で書き、ダイイングメッセージを刻んでおこう。
後日、黒子に撮られたこの時の写真が飾利さんの元に送られ、法水孫市殺人事件が巻き起こったりは別にしない。