日の出前の薄っすら白んできた空を窓辺から見つめ、口から出る吐息が白く濁り風に攫われてゆく様を見送る。久し振りによく眠れ、軽くなった肩を鳴らしながら振り返った先に立つ、未だ眠そうに欠伸をしている
「これがラストチャンスだ、その可能性が高い。時間もないからな、一度しか言わないからよく聞いてくれ」
ベッド脇のチェストに置かれたペンをくれと土御門に向けて手を上げれば、分かっていたように投げてくれる。小さく微笑み頷いてくれる姿が頼もしい。テーブルに広げた図面。自分たちのいる場所と目標の地点にそれぞれ丸を描くのを青髮ピアスが見ると目を薄く開け、ゆっくりテーブルへと寄って来る。
「……これはまた、厳しそうやね」
「だが、今しかない。これを逃したら一生ないかもしれないのだからな」
チャンスというものはそう何度も来てくれない。一度目の前にしたとしてたたらを踏み、次があるだろうなどと安易に期待した結果、大きな魚を逃す羽目になる事が誰であろうと数知れずあるはず。思い立ったが吉日と言うように、目の前にあるのなら迷っている時間などない。不確定要素を書き込んで行く中で壁を背にしていた土御門がテーブルの前へと歩み寄って来ると、図面の丸の内の一つ、目標地点を指で叩いた。
「虎穴に入らずんばって奴かにゃー、入った瞬間が一番の地獄だろうぜい。対策は?」
「青ピの活躍に全てが掛かっていると言っても過言じゃない。俺や土御門でも真正面からは無謀でしかないからな。
「期待してくれるんはええんやけど、問題はどう入るかやろ。馬鹿正直に正面から行くんか?」
目標地点の出入り口は一つ。窓もいくつかあるにはあるが、気付かれずに窓から侵入するのは不可能に近い。音もそうであるし、そもそも気配を相手に気取られぬレベルで断つのは無理だろう。此方がプロでも相手もプロ。それを考えるなら、部屋に回り道をするよりも正面から行った方がまだ希望がある。目標地点を数度指で小突きながら思案し、決めた道のりに線を引いて浜面を見上げた。
「突入してからの勝負は一瞬だ。だが問題はその手前、浜面さんのピッキング能力に頼る時がきた。幸いにも奴さんは電気錠じゃないからな。浜面さんが鍵を開け、おそらく数秒が勝負。やれるか?」
「いや、まあ多分いけるとは思うけどよ。マジで行くのか?」
「勿論だ。迷う理由を探す方が難しい。浜面さん達が居てくれてよかった、俺は前だけ見ていられる」
口元が緩んでしまう俺の肩に土御門と青髮ピアスは力強く手を置いてくれる。持つべきものは友人だ。これはさっさとやる事やって終わらせて、上条の力に俺もなってやらなければ友達甲斐がないというもの。頷き合う俺達三人の前で浜面は腕を組むと目標地点と現在地を見比べて口角を落とす。隣り合う二つの丸の姿を死んだ目で見つめて。
「……フランスに来て早朝にやる事が女部屋の覗きって……俺何しに来たんだっけ?」
「俺は黒子の寝起きが見たい」
「自信満々に言う事じゃねえッ⁉︎ それは今やる事なのかッ⁉︎」
「何を言ってるんだッ! 今しか見れないかもしれないんだぞッ! 今日の夕方には蜂の巣になって転がってるかもしれないんだからなぁッ‼︎」
このタイミングで黒子が来てくれるなんて嬉しい誤算過ぎる。おかげで眠気も吹っ飛んだ。夜から脳内麻薬が分泌し過ぎていて目が冴えて仕方ない。数時間の睡眠でも十分過ぎる。今日を逃せばひょっとすると一生拝む事が出来ないかもしれない好機。これを逃すようなら狙撃手の恥だ。「そんな話は聞きたくねえよッ!」と耳を塞ぐ浜面は放っておき、目標地点である隣の女子部屋を何重にも丸で囲む。
「問題はカレンだ。鬼の風紀委員のようなアイツを近接での武力で無力化するのはほぼ不可能だからな。無駄に鍛えやがって、青ピに上手い具合に押さえ付けて貰うほかない」
「しゃあないなぁ、孫っちの頼みやしなぁ、不可抗力ってやつやね!」
「手足共々頭蓋も砕けるかもしれないが必要経費だ」
「……それ出費やばない? そこまでとは聞いてないんやけども」
あの
「安心していいぜい孫っち、こんな時のために高性能カメラを持って来てるからにゃー」
「流石だ土御門。マジで頼りになるぜ。取れた写真は全部くれ、家宝にする」
なんでそんな物を持っているのか一々聞かない。普段それで何を撮っているかも勿論聞かない。ってか知りたくない。
「法水⁉︎ いいのかお前はそれでッ⁉︎ だいたい相手は
「どうせ罪状で一冊本が作れるぐらいあるんだ! 今更だッ!」
「胸張るところじゃねえッ⁉︎ どうなっても知らねえぞ俺は!」
「浜面さんが協力してくれないなら仕方がない。俺と青ピで壁をぶち破ろう。修繕費は気にしなくていい、金だけはある。どうせ昨夜一度支払ってるんだ」
「ダイナミック過ぎねえかッ⁉︎ 法水少し冷静になれ!」
「分かった……よし、行こう」
「冷静になってねえ!」
何を言うかと思えば。俺は冷静だ。冷静にどうすれば黒子の寝起きが見れるか頭を回している。これ以上ない程に冷静だ。ただまあ浜面の言う通り壁をぶち破っては、何より女子部屋の番人を刺激して黒子の寝起き姿どころじゃなくなる可能性も大いにある。力に訴えるのは最終手段の方がやはりいいか。
「……青ピ、このホテルの従業員に化けられるか? ルームサービス作戦に変更しよう」
「ってかもう姿変えられるなら第六位に
この浜面はいったい何を言っちゃってんの?
「俺が見たいのは外見の話じゃねえんだよッ! ぶっ殺すぞッ‼︎」
「お前が言うと洒落にならねえッ! 必死過ぎだろッ!」
必死? 必死にもなる。正に俺の必死が隣に居るのだから当然だ。外見だけ似せた紛い物を俺の前に置こうなんていい度胸過ぎる。浜面の頭を掴み力を込めれば、鳴り響く頭蓋骨の軋む音。叫ぶ浜面を床にほっぽる俺の肩を土御門が叩き、サングラスを押し上げると部屋の時計を指差した。
「孫っち、なんにせよ時間も有限だぜい。この時間を逃せば朝の寝起きじゃなくなるしな。こうなったら取り敢えず突っ込んで流れに任せた方がいいんじゃないかにゃー?」
「……それもそうだな、どれだけ時間を掛けて考えても
「言うな戦友、困った時はお互い様だぜい。こんな面白そうな──、ごほん、友達の背を押すのは当然だろ?」
「言ってくれるぜ土御門」
そうと決まれば迷っている時間が惜しい。頼もしい友人達と床で沈黙している浜面を見回して、部屋の扉へと手を掛けた。途端に噴き出す冷たい汗。おかしいな、手に力が入らないよ? 扉を開ける事を拒絶するように、手を包む汗が引いてくれない。金色のメッキが施された木製扉の取っ手が手に張り付いたかのように動かない。
「おかしいな、手が震えるんですけども、武者震い? 武者震いだよね?」
うち鳴る取っ手のかちゃかちゃした振動が無理矢理俺の知覚を広げてくる。目に見えないはずなのに、扉の前で立ち長い髪の乙女の姿を俺の脳裏に映し出す。腕を組み不機嫌そうに仁王立ちしている影がなんなのか、付き合いが長いだけに嫌でも誰か脳が正体を弾き出す。振り返れば何もなかったかのように土御門は図面を折り紙代わりに飛行機を折って窓から飛ばしており、匂いで誰か分かるのか青髮ピアスはわざとらしくラジオ体操に勤しんでいた。あれ? 頼もしい友人の気配が消失したんだけども。
「ったくなにやってんだよ、どうせ行くんだったらさっさと──」
「馬鹿待てッ!」
ガチャリ────。
いつの間にか復活している浜面が、身投げするなら勝手にさっさとしろと言うように扉を開ける。開けた扉の取っ手に手を掛けたまま、部屋へと伸びる影に顔を上げた浜面の前に、顳顬に血管浮かべた剣士が一人。寝起きで不機嫌なのか、パジャマ姿で紫陽花色の髪を
「……失礼しました」
────バタンッ。
「……あの感じ、どうやらこのホテルの防音性能はお察しレベルのようで、古いホテルだからかね、仕方がない。……青ピ」
「……やるんか?」
「おうとも! 壁をぶっ壊すぞ! カレンのいない今が好機! 天使の寝顔がそこにはあるッ‼︎ 行くぞぉぉぉッ‼︎」
「行かせる訳ないだろうが馬鹿者共がッ! 朝っぱらから喧しいッ! その軟弱な精神叩き直してやるッ!」
部屋の壁を蹴り壊し星が一つ降ってくる。振られる拳は彗星の如し、避ける事叶わず四つの轟音を響かせて体が床の上に力なく転がる。カレンの寝起き姿とか今更見ても嬉しくもなんともないと言うのに、鼻を鳴らして腕を組むカレンの姿を最後に、強制的に俺も二度寝する羽目になった。この恨みはらさずおくべきか。末代まで祟ってやる。
「フランスの
「……それはいいのですけれど、孫市さん、そのたんこぶはどうしましたの?」
「なにも聞くな……」
朝は気分よく目が覚めたはずなのに、二度寝して起きたら気分が真逆だ。腕を組み不機嫌に鼻を鳴らすカレンを睨んだところで、より鋭い目を返されるだけ。頭にたんこぶを作っている俺たち男四人を馬鹿を見るような目で黒子が見ているあたり、早朝の一悶着が普通にバレている気がしないでもないが、恥ずかしいので聞かないでおこう。
わざわざ食堂に行き朝食を食べるような時間を取るわけもなく、部屋は変わらず俺たち男四人の宿泊部屋。ルームサービスで頼んだサンドイッチとコーヒーを口にしながら、カレンが暴れたままのとっ散らかった部屋中央、地図を広げたテーブルを囲み顔を突き合わせている。
漠然と地図に赤線を引き道のりを示すが、カレンと土御門の二人が小さく頷いてくれるだけで他の反応は微妙である。スイスとその周辺の細かな地理など、学園都市の学生で知ってる方が少ないのだから当然の反応だ。
「ジュネーブはええんか? 人質仰山おるんやろ?」
窓からジュネーブの地を見つめて青髮ピアスが尋ねてくるが、青髮ピアスの顔は見ず、地図だけを見つめて返す。
「ジュネーブは後回しだ、気にしていられる時間はない。最速最短でベルンを目指す。これが基本方針だ」
「……それは人質は見捨てるということですの?」
黒子の言葉に口を引き結ぶ。肯定の言葉が口から出て行ってくれないが、沈黙が答えだ。ジュネーブに纏められている各国の要人達。これは囮であり足枷だ。スイスで唯一フランス領に飛び出ているジュネーブは、手出しし易くもあるが、それはスイス側にいるクーデター軍からしても同じ事。持ち込まれている多量の爆薬を吹き飛ばせば、諸々木っ端微塵でさようならだ。
スイスの事を考慮しない相手なら、逆に空爆でベルン含めた各都市を落とせばいいだけだが、それをさせない為に対空魔術である自然要塞の術式がある。地から攻めるならジュネーブは起爆スイッチと同じ。手を出すメリットがほぼ存在しない。だからこそ、ジュネーブの人質を無事に解放する為にも狙撃手らしく首謀者狩りを決めるしかない。
「そう見られても仕方ない。なんにせよ、スイスを取り戻す為にはジュネーブは気にしていられない」
「……いざ火中に飛び込んだとして、一々ジュネーブを引き合いに出されて止まってなどいられないからだ。無論できれば関係ない市民は助けたくはあるがな」
相手も厄介だが、一番の敵は時間だ。現状有利であろうクーデター側がスイスの実権を掌握し、外に矛先を向ける事こそ一番避けたい事態。そうなってしまえばもう言い訳は効かない。フォローしてくれるカレンの言葉を聞き流しながら、地図に細かな地形の注意点などを書いている横で、土御門が補足をしてくれる。いつも厄介な仕事ばかり告げに来てくれるが、味方だと頼りになる参謀殿だよほんと。
「それにオレ達がジュネーブに行く方がおそらくヤバイ。こっちには
世間体というのは大事ではある。宣戦布告しようと画策した者を『絶対悪』であると人柱にしなければ、事態の沈静化は遅れるだけだ。誰もに分かりやすく敵であると認識させ、認識させたまま討たねば意味がない。誰の責任問題とか、脱線しそうな要素は不要なのだ。そんなゴタゴタは全てが終わった後にすればいい。終わる前に不必要な話の種火を生む必要はない。補足しながら聞いてくれる土御門に頷き、ようやく地図から顔を上げた。
「なによりもだ。黒子、青ピ、土御門、浜面さんが来てくれているというこの好機。それを失うかもしれない可能性を上げたくはない」
「それはこっちもだにゃー、お互いWIN-WINで終わらせたいからな」
「お二人だけで分かり合ってるように話さないでくださいません? お二人の顔を見る限り、単純に戦力の話をしているのではないのでしょう?」
少しムッとした顔をする黒子に微笑み、勿論と言うように指を弾く。学園都市からの救援。戦力もさる事ながら、この意味がとてもありがたい。第三次世界大戦は、学園都市を目の敵として巻き起こっている。単純に科学力という意味での軍事力でなら、諸各国と比べて頭幾つも抜けているのは学園都市。魔術戦なら学園都市と同盟を結んでいる英国がいる。意志がバラけているローマ正教と、そのローマ正教にせっつかれる形で動いているロシアとフランス相手に負ける可能性は高くはないはず。
ここからは全て仮定の話になるが、第三次世界大戦に学園都市が勝利し、俺達のスイス鎮圧も成功した場合、学園都市はスイス鎮圧に力を貸したという結果が、学園都市の立場をより良くする。更に英国のクーデター鎮圧に協力した俺とカレンがいれば、スイスの今後に英国も口添えしてくれるだろう。敗者からの言葉はほとんど意味を持たない。勝てば官軍、全てを手にできる。
ただし負けた場合、要らぬ手を出し被害を大きくしたとして、学園都市はより叩かれ、
「勝てば生き、負ければ死ぬ。肉体的にも社会的にもな。分かりやすくていいだろう?」
「それにこれはオレ達の為でもある。学園都市で追った『ドラゴン』の正体は分からず、相対したらしい垣根は重傷、
「国を救った英雄となれば話は変わる。傭兵は作った貸しをそのままにはしない。スイス奪還に成功すれば、黒子、土御門、青髮ピアス、浜面さんに何かあれば必ずスイスの傭兵達が力を貸す。学園都市だってたかが数人の為に一国を敵に回したくはないだろうさ」
戦争を望まぬスイス人は国を取り戻せ、どんな経緯であろうと『ドラゴン』を追い、レッドカードに近いイエローカードを手にしてしまったかもしれない黒子達は莫大な保険を手にできる。昨日の夜土御門と話して情報の擦り合わせをした時に出した答え。
余計に失敗できなくなったが、失敗できないのは最初から同じ。だったら勝った時に得られるものがより多い方がいい。報酬は多いに越した事はない。土御門と隣り合い口端を緩めて胸ポケットから煙草を取り出し咥えれば、黒子の手が伸び口から煙草を引っ手繰られた。
「……ここは学園都市じゃないんだけども」
「ここにはわたくしがいるのですから関係ないですの。貴方達はまったく……そんな事を夜の間話し合っていたんですの?」
「なあ? やらしいやろこの二人。
「流石だな孫市、友人までろくでなしか?」
「おい土御門おかしいぞ、味方からの目が味方を見る目じゃねえ」
「なんでだろうにゃー、皆目見当つかないぜい」
「麦野とは別の意味で怖えよお前ら……」
戦争巧者とスパイを見る容赦ない目に土御門と二人肩を竦める。こう言ってはあれだが、俺としては土御門が完全に味方である事こそありがたい。悪巧みなどと、知略戦においては俺より土御門の方が一枚上手だ。高性能な頭脳を誇る黒子と青髮ピアスが居たとしても、『参謀』という役割は土御門にこそ任せて間違いない。多重スパイを誰より信じるなどと言ったら土御門にこそ鼻で笑われそうだから言いはしないが。
「まあ、だからこそだ。必要なのは確実に相手の首謀者を討つ事にある。孫っち、相手の見当は付いているのか?」
それこそ一番大事なところ。永世中立を謳うスイスを戦争に傾けた者が必ずいる。スイスの総意なら内紛など起こらない。いい加減さが失せ、サングラスの奥で目を光らせる土御門の言葉に、今度こそ煙草を咥えて火を点け小さく舌を打つ。
「誰かは分からん……ただ心当たりならある」
「なんやそれ?」
青髮ピアスは首を傾げ、俺の口元へと伸ばそうとしていた黒子も手を止めた。スイス政府が決めた総意でないにも関わらず、スイス軍さえ動いている現状、スイス軍から傭兵部隊に至るまで命令権を持つ者が一人だけスイスにはいる。その正体を俺より早くカレンが口にした。
「『
『
英国のクーデターを主導していた第二王女キャーリサさんを叩き英国は鎮圧したように、スイスの内紛もまた、軍部を動かしている最高司令官を叩けば止まるだろう。
「スイスの要塞魔術が使われているあたりその可能性が著しく高い。スイス軍部の最高司令官。これを最短最速で叩く。誰かはスイス軍の高官にでも聞けばいい。この混乱の中、未だ秘匿されているのか、それとももう分かっているかな?」
部屋の入り口に向かい声を掛ければ、いつの間にか部屋に入り壁を背に立っているジャン=デュポンが面白くなさそうに鼻を鳴らし、封筒を一つこちらに投げてきた。中身など聞かずとも分かる。フランスからイタリア行きの特急乗車券。中身を軽く確認し、人数分あるのを見てポケットに突っ込むその先で、「知っている」と苛ついた声でデュポンは答えた。
「誰だッ‼︎ 言え仏国の傭兵!」
「先に言っておくぞ
「ッ⁉︎」
────バゴンッ‼︎
フランスの名無しの権兵衛へのカレンの返事は拳が壁を砕く音。僅かに血を滴らせた拳を強く握り、紫陽花色の髪が波打つ。声にならない吐息を吐き、目を泳がせて後退り壁に背を付けるカレンを口から煙草が落ちたのも気にせず静かに見つめた。
「放せ孫市ッ‼︎
「落ち着けカレン、ジャン=デュポンも言っていただろう。噂だとな。まだ決まった訳じゃない」
「本当だったらどうするッ!」
「……言わなくても分かるだろうが」
殺す。必ず殺す。
『
「出立の準備だ。でき次第イタリアへ立ち今日中にスイスへ入国する。カレン、
カレンの肩から手を退け、装備一式が入っている大きなケースを手に振り返らずに部屋を出る。黒子達もいるのにカレンと二人殺気を振り撒きすぎた。黒子の息を飲む音と青髮ピアスが薄く目を開いた姿に頭を掻きながら廊下へと出れば、隣から響く軍靴の音。眉間のシワを緩めずに隣を歩くデュポンを横目に、小さく動かし横顔を見た瞳を前へと戻せば、仏国の傭兵は小さく息を零した。
「土御門と言う男と、意外にあの浜面と言う男は慣れているようだが、あの青髮と童女は大丈夫なのか? 死に対しての拒絶が見て取れる。無血で済ませられるような状況は既に終わりを見せている。いざという時躊躇するようでは足を引かれるだけだぞ山の傭兵」
「お前が心配してくれるとはね、言いたい事は分かっている。考え方が異なればそこに隙が生まれるという事もな。……ただあの二人はアレでいいんだよ。殺すだけが全てじゃない。お前だって分かるだろう? どっちの道の方が大変かなんてな」
殺す覚悟なんていうツマラナイものを抱えて突き進むより、酸いも甘いも抱え込み、命を零さず進む事の方が難しい。それを決めた二人の方が、絶対的に心が強い。道を進む為に『殺す』事を選択肢に含める事を知り覚えてしまった俺達には選べぬ困難な道を選んだ強者を、足手纏いだなどと切り捨てる方が心が乏しい。だから俺は二人の友人でいたいし、それを失わない為に俺は引き金を引く。俺に人として優しさや慈悲が足りていなかろうとも、あの二人がそれを補ってくれるから。
ジャン=デュポンは不機嫌に鼻を鳴らし、小さく首を傾げた。
「多様性こそが強さと言うか。存外人間臭いな山の傭兵。自分とは全く異なる者が側にいる方が強いと吐くか。だからこそ身内から裏切り者など出たのだろうに。それで勝てるか山の傭兵?」
「勝つのさ、お前が特急券のチケットくれたしな。費用はいいのかそっち持ちで? 銃弾諸々までくれるとは気前がいい」
「分かるだろう? 必要経費だ。英国と睨み合っている今、スイスに背を刺されては堪らない。せいぜい上手くやれ、此度ばかりは貴官らの武運を祈ってやる」
「……俺は祈ってやる事はできそうもないがな、助かるよ」
英国と仏国。英国を出る際には女王や王女達から力を借りれたし、仏国内を動くのにはジャン=デュポンと傾国の女に力を借りている。どちらにも貸しがあるとは言え、どちらが勝つか負けるかなど祈ってはいられない。これからを考えれば英国に勝って貰いたくはあるが、心情的には戦って欲しくないのが本音だ。それを見透かされたようにデュポンに睨まれ、小さく目を背ける。
「礼などいらぬ。貴官が故郷の為に使えるものを使うように、我らにとってはフランスが故郷。そう決めている。礼を言う暇があるなら勝って我らを楽させろ。貴官が認めた者達であるなら弱くはないのだろう?」
「俺より強いさ。まあ多少は安心していろ、だから背中は気にするな」
お互いに正面の相手をこそ気にすればいい。他に目を向けていられる余裕などありはしない。軍靴が前にしか進まないように、弾丸も前にしか進まない。少しの間目配せするも、頷き合う事もなくただデュポンと共に歩く。一時同じ道を歩こうが、すぐにまた別々の道だ。明日には敵か味方が分からないが、同じ傭兵同士、だからこそ信用できるという困った面白さだよまったく。
多くの言葉は必要なく、着替える為に武器の詰め込まれている部屋を前に足を止めれば、最後に聞きたい事でもあるのかデュポンも足を止めた。
「朝の騒ぎのツケは貴官にツケるからな。二度と言わせるなと言ったはずだぞ。奴らの緊張を解す為か知らないが、道化を演じるなど滑稽な事だ」
「いや、俺はただ黒子の寝起きが見たかっただけだ」
「……貴官は真性の阿呆か?」
信じられない程冷たい目を突き刺され、困ったように肩を竦める。見たいものは見たいんだから仕方がない。だいたい、
「デュポンだって傾国の乙女の寝起きだったら見たいだろ」
「ふんっ、馬鹿を言うな山の傭兵、我らは王に仕える者。そんな不敬するはずあるまい」
「じゃあこっち向いて言えよ、そっぽ向くな、目が泳いでるぞ」
「貴官の相手などしていられんな。我らはもう行く、さっさと出て行けフランスから」
この野郎逃げやがった! 振り返らずに歩いて行くデュポンの背を睨むが、振り返る気を欠片も見せない。一定のリズムを崩さずに打ち鳴らされる軍靴の音を耳にしながら、息を吐いて表情を緩め最後に一つ聞きたかった事を俺も仏国の傭兵の背中に聞く。今しか聞けないかもしれないから。
「おいデュポン、折角なんだ、お前の名前教えろよ、ジャン=デュポンは部隊名みたいなもんだろう? 表に出てるお前は誰なんだ?」
「そんなものは必要ないだろう。我らは個にして群だ。ただ次に会う事があったなら、教えてやろう嫌という程我の名を。だからそうならないように、さっさとくたばってくれたまえよ孫市」
「最後に死を願うなよ縁起でもねえわぁ」
小さく笑い見えなくなった背から視線を切って身に纏っていた平服を脱ぎ捨てる。部屋に積まれている弾薬達を目にしながら、ケースから引っ張り出した深緑の軍服に目を落とす。
そして向けられる顔は忘れない。それが傭兵である己に課した数少ないルールの一つ。
英国のクーデターとは違う。既に血に染まった戦場だ。
「孫市さん……その、宜しければ準備の手伝いをしますわよ。わたくしが持っていくものなど多くはないですからもう準備できましたし……ってなんでもう上半身裸なんですの⁉︎」
「黒子……悪いな頼む。一人だと時間が掛かりそうだ」
裸を見られたからと言って、別に恥ずかしがる理由もない。叫ぶ黒子の声に振り返れば、少し顔を赤らめるも顔を背けず立っている黒子が立っており……やっぱり少し恥ずかしいかもしれない。カエル顔の医者のおかげで、学園都市で負った傷の跡はほとんどないが、それ以前の古傷や、大きな傷跡はそのままにしている。綺麗にする理由も必要もないからだったが、黒子に見られていると思うと気恥ずかしい。傷跡を目に口を引き結ぶ黒子に軍服を手渡し、さっさと軍服用のシャツを着て傷跡を隠す。
「そう見つめるな、体の傷なんて見ても楽しくないし」
「……別に傷跡など気にしませんの。ただ、きっとまた増えるのでしょうね。体を削り、それでも貴方は先に進むのでしょう? 止まることなどなく」
「それでも追って来てくれるんだろう? なら止まれないな。黒子が追いやすいように、せいぜい前を突っ走るさ」
「そんな事ですから孫市さんはまったく……ほら袖を通して下さいまし、この軍服重たいのですからもう」
軍服を広げてくれる黒子の手から掬い上げるように時の鐘の軍服に袖を通して身に纏う。少しばかり軽くなった軍服を靡かせ、
「すまない黒子、多分お前に見せたくない俺を見せる事になると思うけど、それでも付いて来てくれるか?」
「本当に今更ですわね、貴方が貴方を脱さない限りは。そしてきっといつか……」
その先を黒子は言わずに口を引き結んだ。首を捻る俺の首元に手を伸ばし、襟のツメとボタンを閉めてくれる黒子を見つめながら、黒子が言おうとした言葉については考えない。その言葉がきっと優しいものであるだろうから、それを考え出すと黒子に甘えてしまいそうだから。俺は黒子の前ではいつまでも先を行く弾丸でいたいから。手に繋がれた見えない手錠を引かれようと、引き摺り進んでしまうような甲斐性のなさに心の中でごめんと返し、少しばかり目を瞑る。黒子が全てのボタンを閉じてくれるまで。
「ま、孫市、鎧を着るのを手伝って貰えるか? その、一人では少しな…………あっ」
そんな俺の目を入り口から聴こえて来た剣士の声が開かせる。鎧を手にそっぽを向いていたカレンと目が合い時が止まる。俺の軍服のボタンに手を掛け固まる黒子と、俺を交互に見てカレンはゆっくり身を揺らすと、一瞬眉を吊り上げるも、すぐに眉尻を下げ身を翻す。
「お待ちを」
そんなカレンを黒子が引き止めた。
「貴女もこちらに来て下さいません? 準備なら二人より三人の方が早いでしょうし、鎧の着付けなどと、わたくしはやった事がないですから上手くできるかは分かりませんけれど」
「い、いや、だがその……」
「ついでに昨夜のようにお二人の話を聞かせて欲しいですわね、わたくしはもっと孫市さんの事が知りたいですから、貴女のことも同じように」
微笑む黒子をしばらく見つめ、カレンは迷うように身動ぐが、渋々部屋の中へと足を進める。なんか俺が思うよりも二人は仲が良くなったようで、仲が悪いよりはいいのだが、なんとも腑に落ちないのはなんなんだろうか。カレンだからか? カレンだからだな。さっさと出てけと手を振れば、カレンに頭を叩かれる。
「すまない黒子、では少し鎧を持っていてくれ」
「それはいいのですけれど、孫市さんの軍服以上に重たいですの……」
「人の祈りが込められているからな、……確かに貴様が好きだろう女子だよ黒子はな。孫市、さっさとフラれてしまえ」
「酷くね? ……それより黒子と昨夜何を話していたんだお前は、簡潔に事実を吐け」
「んー? ……それは秘密だ馬鹿者め」
「ちょっと早くして下さいません! この鎧半端なく重いんですけれど⁉︎」
黒子にせっつかれて鎧を着るカレンに苦い顔を送りながら、弾薬の箱に手を伸ばし掴んだ弾丸を軍服に収める。カレンと黒子の笑い声を聞きながら、この先も、俺とカレンだけではないからこそ大丈夫だと『
「もうすぐ孫市七号も食べ頃だからな、その時には黒子にも振る舞おう」
「ではその時は
「ちょっと待とうかお前ら、少しお話ししようぜマジで」
本当になんの話をしてたのか知らないが、それ牛だって知らない奴が聞いたら超猟奇的な会話だから。全く俺の話を聞いてくれず、ガールズトーク? に華を咲かせる二人の耳には届いていないらしい。がっくりと口端を下げて顔を背ければ、部屋の入り口に立っている三つの影。
口を引攣らせて目を背けている三人の男も手伝いに来てくれたのかなんなのか。「レベル高過ぎてボクゥでもこれはちょっと……」と零された青髮ピアスの呟きと、カメラのシャッターを切る土御門を目に、出立前の準備運動にはこれ幸いと、三人の男に向けて拳を握り飛び掛った。