時の鐘   作:生崎

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瑞西革命 ③

 列車の振動が心地悪い。少し前はそんな事もなかったのだが、振動というものが俺の知覚領域を俺の意思とは関係なく強引に広げてくる。

 

 振動、波、それ自体が俺の新しい器官であると言うように。座席に座っているだけであるのに、身に降りかかる振動が足元で(うごめ)く機械達の動きを頭に叩き込んでくる。その規律正しく躍動する鉄の鳴き声が小煩い。自分の足で歩き生活する分には幾分か慣れたが、後天的に乗り物が苦手になるとは困りものだ。

 

「孫市さん?」

 

 列車の駆動音に混じった、心配そうに(たず)ねてくれる黒子の声を聞けば、僅かばかり気分はよくなる。ただ知りたくもないのに細かな振動が黒子の服の内側、皮膚の裏で肉体を支える骨の形まで伝えて来てどうにも鬱陶しい。学園都市に帰れる事があったなら、一番に木山先生に相談してどうにかして貰おうと心に決めつつ、黒子の姿を視界に収めて目の保養とする。

 

 冬に足を突っ込みだした欧州でスイスに向かうのに学生服では自殺行為。黒子も土御門達も、フランスでジャン=デュポンが揃えてくれた軍用の防寒着に身を包んでいる。形状としてはPコート、見慣れた学生服ではない黒子は新鮮で嬉しくあるが、ただし気になることが一つ。

 

「黒子、スカートで寒くないのか? 言っちゃアレだが見ててこっちが寒いんだけども」

 

 申し訳程度にストッキングを履いてはいるが、膝より高い位置に裾を置いたスカート姿は寒そうだ。タオルケットを手渡しながら、聞いていいのかいけないのか、フランスから出てしばらく経ち、流石にいよいよ気になる。膝が凍って動けませんなどと言われては目も当てられない。ただ俺の心配は杞憂であるらしく、黒子は鼻を鳴らしてタオルケットを受け取った。

 

「これは学園都市製ですから、心配ご無用ですのよ。それにわたくしが能力を使うのに過剰な装飾は邪魔になりますし。なんでしたら触ってみます?」

「黒子って風紀委員(ジャッジメント)の癖に時折一番風紀を乱している気がするんだが」

「そんな事ありませんの! よしんばそうだったとしても、それは風紀委員(ジャッジメント)の特権という奴ですわね」

「職権濫用の間違いじゃないのかそれは……」

 

 主に御坂さんに対してだが、黒子の風紀の乱れは著しい。俺に対して触れるぐらい別に構わないと言ってくれるのは嬉しいのだが、流石に公共の電車の中で女子中学生の足に触れていては痴漢と疑われかねないのでやめておく。だいたいカレンにぶっ飛ばされかねないし。

 

 少し離れた座席に座る空降星(エーデルワイス)を見つめれば、その隣に座る白いドレスが視界にちらつく。

 

 ララ=ペスタロッチ。カレン以外で生き残っている数少ない空降星(エーデルワイス)。フランスからイタリアへ。イタリア内を自由に動くためには、何よりローマ正教内で一定以上慕われている彼女の存在が心強くはあるものの、その本質はカレン同様に空降星(エーデルワイス)だ。スイスの窮地だからこそ力を借りれる。並ぶ騎士達の姿に目を這わせ、後ろの方の座席から聞こえてくる、バニーガールとメイド談義が鼓膜を揺さぶる様に頭を痛めていると、隣に軽い振動を感じ目を向けた。

 

「あの方は大丈夫ですの? カレンさんと少しの間話せましたから危険なだけの組織ではないとは知れましたけど」

 

 対面から横へと移って来た黒子に小声で聞かれるが、絶対などと言い切れる保証はない。ただ少なくとも今は大丈夫。

 

「ララさんにとっては子供こそ神だ。スイスが危険な今、スイスの子供達の事が第一なんだよ彼女にとっては。今だけは学園都市の先生みたいなものだと思えばいいよ」

「孫市さんがそう言うなら信用はしますけれど、それにしても、この座席割りはこれでいいんですの? 座席も少し離れていますし」

 

 俺と黒子、カレンとララさん、土御門と青髮ピアスと浜面の三人。ただただ気を使われた結果だ。俺がカレン達といればスイスについての話しかせず、土御門といれば学園都市や英国、世界情勢の話しかしないため、フランスである程度話せたし今だけでも気を休めておけという事だろう。何よりここはイタリアだ。スイスと隣り合い、隣国のフランスはイギリスと緊張状態。バチカンまで内包しているイタリアで、そこまで神経を尖らせて欲しくはないのだろう。分かってはいる。分かってはいるが、窓の外、イタリアの街並みと山々を見ているとどうしても気が早る。

 

 ドモドッソラ=ミラノ線。イタリアの中で、ドモドッソラ駅にはスイスと結ばれている二路線があるスイス手前の最前線。ドモドッソラよりスイスに近付けば、これより大きな都市はイタリアにはない。ドモドッソラに着いてしまえばシンプロントンネルは目と鼻の先。踏み出せばもう戻れない。おそらくそれが最後の心休まる休息となる。

 

「今はこの時を楽しむしかないさ。本当ならミラノからLugano(ルガーノ)に行ければ良かったんだが、ルガーノ湖と山に囲まれたA(アウトバーン)2*1を通ろうものなら針のむしろだろうからな。仕方ない。ジュネーブより静かで柔らかな湖の街だよ。本当ならな」

「そうですか……でも今から向かうのは薄暗いトンネルと」

「あぁ、ははっ、そうだな、もったいないな本当に」

 

 ルガーノ湖、正式名称はチェレーズィオ湖。一年を通じて遊覧船が運行されているリゾート地。小高い山々には美しい村や町が点在し、チェレーズィオの真珠と呼ばれる、かつてスイスで最も美しい村に選ばれたモルコーテという村もある。それが崩れているだろう景色を見ないで済む事は救いであるのか、ただ目を背けているだけか。ガタリッ、と揺れる列車に舌を打てば、黒子に眉を顰められた。

 

「悪いな、振動に対する知覚が馴染んだ弊害で、目に見えないものも見えて落ち着かないんだ。電車に揺られるのを苦痛に感じる日が来るとは思わなかった」

「それはきっと、わたくしには分からない感覚なのでしょうね。お姉様が見ている世界のように。それもまた自分だけの現実(パーソナルリアリティ)なのでしょうか。貴方だけの、孫市さんだけの世界」

 

 能力者の能力者たる所以。超能力の源。一般的ななんでもない者達から見れば、きっと俺も能力者も今は大差ないのかもしれない。ただ違うと言えるのは、これが技術としてどうしようもなく骨身にこびり付いたものだと分かるところだ。磨いて削って積み上げてまた削りここまで来た。科学的に効果があるなんて保証された訳でもなく、ただ無骨に泥臭く体を動かし続けた結果得た技術。漠然と体に与えられていた世界の振動が形あるものとして掴み取れるようになっただけ。だからこれは手放したくてももう絶対に手放せないものだ。

 

「少しだけ恐ろしいな。魔術師とも能力者とも違う別の生物になったようで。魔術や科学といったルールがある訳じゃない。いや、そもそも」

 

 ルールなんて存在しない。法則などない。目が見え、耳が聞こえ、呼吸をするのと同じように、自分の一部として存在している。可能性に賭けたのではなく、自分で積み上げ掴み取った。人でありながら普通の人とは違う自分だけの狭い世界。本当の意味で時の鐘の者達と並び立った。

 

 見た目は人と同じでも、身の内に潜む他人との違いを自分だけが分かっている。ボスも、ロイ姐さんも、ガラ爺ちゃんも、ハムもドライヴィーもそうだったのだろうか。もしそうなのなら、きっとこれまで俺の方が異物のように目に写っていたのかもしれない。

 

 嬉しいような悲しいような微妙な気分だ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんも同じなのか。魔術でもなく、生まれながらに人とは違う力を持っていた少女。それでも、彼女はイギリス清教の者達から大事にされていた。特別な役目がきっとなくても、ある今でさえ、一人立ち上がりそんな少女を助けるためにイギリス清教でもない男が脅威に向かって行っている。その存在がきっと自分を人で居させてくれる。

 

「わたくしがいますのに怖いなどと、孫市さんは孫市さんでしょう? 宇宙人になった訳でもないのですし、別に変わりませんわね。貴方が貴方を外れた時はわたくしが逮捕しますからそのおつもりで」

 

 そう言って鼻を鳴らしてくれる少女がいるからこそ、俺もまた俺でいられる。 この先何があろうとも、俺は俺でい続けられるそんな気がする。

 

「……黒子がいるから寂しくはないさ。誰かが居てくれるから自分の違いも分かるってものだ。自分だけの現実なんて言ったって、この世に自分一人なら自分だけのにはなり得ないし。ただ世にそこまで出てない力となると練習もままならない。それが少し歯痒くてな。黒子もそうだったりしたか?」

 

 体に感覚が馴染むのとそれを伸ばすのでは勝手が違う。変わった力を鍛えることに掛けては黒子に一日の長があるので聞いてみれば、小さく頷いてくれる。

 

「空間移動能力者は少ないですからね。孫市さんの場合は……音を操る能力者にでも聞けばいいのでしょうかね? でも孫市さんの場合は頭で考え動かしてる訳でもなさそうですし」

「骨だなどちらかと言うと。体全体で波を感じてる。学園都市製の服でも着れば大丈夫だと思うか?」

「さあ?」

 

 首を傾げたまま肩に黒子の頭が掛けられ、全く望む答えを得られなかったが安心はする。骨を伝わる黒子の鼓動を感じながら、緑色をした腕章の付いていない黒子の右腕へと目を落とす。

 

「黒子にとってのルールは風紀委員(ジャッジメント)だろう? いいのか腕章をしなくて」

「時の鐘が機能しなくても貴方は時の鐘の軍服を着ているのでしょうに。大事なものは格好ではないですの。わたくしが風紀委員(ジャッジメント)で貴方が時の鐘(ツィットグロッゲ)であるように」

「黒子……なんか大きくなったか?」

「あら、今頃気付きましたの? 胸も背も絶えず成長していますのよ。わたくしもまだまだ成長期ですからね」

「そういう事を言ってるんじゃないんだが……それに胸は成長してないみたいだぞ」

 

 背は少しばかり伸びたようだけど、と言う前に頭を黒子にぶっ叩かれた。黒子がくっ付いてくれるおかげで分かるからこそ真実を言っただけなのに……俺の膝の上に馬乗りになって胸ぐらを掴むんじゃない! 乗客の目が痛い! 

 

Le gioie più grandi vanno(最大の喜びはいつも、) sempre divise con chi si ama(愛する人と分かち合うものですよ)

 

 うるせえッ! 誰だ今必要ないイタリアの格言を口遊んでる奴は! 俺には聞こえてるんだからな! 別に黒子の胸が成長してないのは最大の喜びじゃねえよ! 俺殴られてるから! 全然分かち合えてない! 

 

「孫市さんには身体検査の趣味でもあるんですの? 測ってもいない癖によくもまあそんな事が言えますわね」

「分かっちゃうんだから仕方ないだろうが! それは怒るところなのかッ⁉︎」

「だ、だいたいわたくしのスリーサイズなんてどうして貴方は知っているんですの!」

「初めて学園都市で黒子に会った時にちょろっと、その、まあね……」

 

 スイス気分が抜けてなかった時だから仕方ない。街の中で急にドロップキックをかましてくるヤバそうな少女の身元を調べちゃったり普通にした。黒子が裏の人間という訳でもなかった為に、その時はまだ使えた国連の力を借りて手を出した。スリーサイズどころか黒子がどこのご令嬢なのかも知ってる。今にして思えば必要なかった事ではあるが、学園都市の監視が仕事だったし、仕事の一番の障害になりそうな相手だったからだ。

 

「孫市さん? 他に言ってない隠し事とかないですわよね? あるのなら今吐いて下さいません? お姉様の事を調べてたりしませんの?」

超能力者(レベル5)の細かい事はあの時じゃ流石に無理……ってか黒子以外に突っかかってくる相手もいなかったし細かく調べたのなんて黒子ぐらいだよ」

「そこはお姉様の事ももう少し調べておいて欲しかったですわねッ!」

 

 そんな事で怒るんじゃないッ! 超能力者(レベル5)の細かなデータなんて外に対しては機密も機密だ。学園都市に入ってそうそうに監視が仕事だったのに虎穴にいきなり腕を突っ込める訳もない。幸い超能力者(レベル5)の中で最もまともな部類に入るが故に名前はすぐ知れたが、御坂さんに対して俺が知ってる事など、知り合う前は表面的な事しかなかった。だいたい俺から御坂さんの情報を聞こうとしてんなッ! 

 

「だいたいその情報本当に正しいんですの? わたくしだけなどと……」

「白井黒子、常盤台中学一年、風紀委員(ジャッジメント)大能力者(レベル4)空間移動能力者(テレポーター)であり、ホワイトスプリングホールディングスの御令嬢と。身長は前に調べた時の152cmから少し伸びたな。髪は元々天然パーマなんだろう? 行きつけの美容室で整えて貰ってるそうで。あぁそれでスリーサイズだったか──」

 

 冷たい目をした黒子に襟首を締められる。俺の情報収集能力を疑うから披露しただけなのに……ライトちゃんが居てくれる今は、簡単な事なら手間が掛からないのだから頼もしい。「これから増量しますのよ!」と黒子は歯軋りするが、そんな事は神のみぞ知るだ。どんな神が知っているのかは知らないが。胸の神様とかいんの? 

 

「お、落ち着け黒子、ボスもロイ姐さんも胸があると銃を構えた時邪魔だしそんなに必要ないと言っていたぞ」

「そんなのは持っている者の余裕ですわね! 孫市さんにはないからそんな事が言えるんですの!」

「俺に胸があったらただただキモいだろうが! 別に黒子の胸が豊かかどうかなんて俺は気にせんぞ」

「わたくしは気にしますの! お姉様を包み込んで差し上げられるようなサイズが夢ですわね、だいたいそんな事を言いながら貴方、ご自分の周りを見てから言って下さいません?」

 

 騒いだせいか眉を顰めて此方を睨んで気にしてくるカレンへとちらっと目を向け、俺の軍服へと目を戻すと黒子は冷めた目をして唇を尖らせた。俺の周りと言われても、確かにボスもロイ姐さんもラペルさんもカレンもスタイルはいいが、それは人種と生活の差と言ってしまえばそれまでのような……、でも俺の寮の部屋には木山先生がいるしな。そう言われるとプロポーションのいい相手の方が多いような気もする。

 

「……時の鐘に入隊すれば大きくなるんじゃね?」

「そんな最低な誘い文句初めて聞きましたの」

 

 言いたくて言ってないわ、言わされたんだよ黒子に。馬鹿みたいに飯を食って馬鹿みたいに動けば出るとこ出て引っ込むところは引っ込むはずだ。ハムだってスタイルは悪くない訳だし。唸る黒子は胸ぐらを放してくれず、どうしたものかと膝の上の小さな正義の味方から列車の天井へと顔を背けていれば、急にハッとしたように黒子は手を叩く。嫌な予感しかしない。

 

「そう言えば──揉まれれば大きくなると聞いた事が」

「いや、それ確か都市伝説みたいなものじゃなかったか?」

「できればお姉様がいいですけれど、ま、まあ仕方ありませんわね」

「黒子は俺をイタリアの刑務所にぶち込みたいのか? 場所と時間とタイミングを考えてくれ!」

 

 何が嬉しくて真っ昼間の列車の座席で黒子の胸を揉まねばならないんだ! 俺だって最低限の線引きはするんだよ! ハニートラップであったなら大成功だ。無意識に伸びそうになる手を握り締めて耐える。普段御坂さん狂いの癖にこういう時に黒子はズルい。しおらしくされるとその儚さに手を添えたくなる。強く輝く黒子にこそ触れたくはあるが、これも惚れた弱みと言うべきか。どんな形であれ、違う顔を覗かせられると惹かれてしまう。

 

「あら、孫市さんはそんなにわたくしの事が好きなんですのね」

「……分かって言ってるだろう、愛してなかったら膝の上に居させやしないさ」

 

 膝の上にいるのが黒子でないなら、間違いなく確実に張っ倒している。

 

「うぐっ、お、おやりになりますわね。流石にスイス人なだけありますの。そういうこと言うのに躊躇いはありませんの孫市さんは」

「黒子だって御坂さんにはよく言ってるじゃないか。生憎自分の目で見て聞いた事しか信じる事は難しいタチだ。黒子の事が好きなんだと気付いた日から、それを口にするのに迷う必要なんてないだろう」

「ぐ、これだから西洋の方は……」

 

 何が気に入らないのか苦い顔をしてそっぽを向く黒子をどうしたものか。早まる黒子の鼓動に当てられて、俺の鼓動まで足を早め出す。黒子の鼓動に混ざるように俺の体が共鳴し、黒子に溶け落ち体が消えるような違和感に身動ぎ膝の上から黒子を掬い上げ退けた。伸びた知覚がまだ見ぬ何かを掴もうとするのを、今だけは拒絶する。

 

「……孫市さん?」

「……新しくなにができるのか。それを確かめるのは今じゃない。下手に手を出すとのめり込みそうだ。何に使えるとしても、今は一つの事に対してでいい」

 

 どう戦いに応用できるか。必要なのはただそれだけ。戦いは非日常ではなく俺にとっては日常だ。新しく何かできるようになったとしても、それで足を引っ張られては堪らない。より深く黒子に手を差し込めたとして、それに溺れている時間はないのだ。息を吸って息を吐く。ただその繰り返しで意識を削る。

 

「黒子、お前がスイスに入りどう動こうと好きにすればいい。お前が相手をした者を殺そうが殺すまいが否定はしない。ただ俺を止めるなよ」

「……今回は止めに来た訳ではありませんからね。肯定こそしませんが、尊重はしますの。貴方はそれで後悔はしないのでしょう? ならわたくしも付いて来た事に後悔はしませんわよ」

 

 風紀委員などやっているからか、年齢にそぐわぬ落ち着きを見せる黒子を見て目を細める。たかが半年。初めて会った日から日を重ねる毎に加速的に強くなる黒子がどうなるのか。自分の成長よりもそれこそ見ていて口が緩む。黒子も現場主義の人間だ。そんなところが似ているからなのか、上条同様に火中でこそこれほど信じたくなる人間も少ない。そんな黒子だからこそボスも任せたのだろうか。

 

「……ベルンに辿り着けさえすれば時の鐘の武器庫がある。幾つかある武器庫のどれかに黒子の狙撃銃があるはずだ。名前は聞いたか?」

 

 背に背負う『白い山(モンブラン)』を親指で差しながら黒子に尋ねれば、迷いなく小さく頷いた。物はなかろうとも学園都市で名前だけはボスから聞いていたらしい。六つある時の鐘の新型決戦用狙撃銃。学園都市の技術とスイスの技術を結集した黒子だけの武器。

 

「『乙女(ユングフラウ)』と」

 

 ユングフラウ。アイガー、メンヒとともに、オーバーラント三山と呼ばれているユングフラウ山地の最高峰。意味は『乙女』『処女』、名前だけを聞けば確かに時の鐘の誰が手に持っても違和感がありそうだ。ボスやロイ姐さん達には似合いそうもない。

 

「それはまた、黒子にぴったりそうじゃないか」

「それはわたくしが乙女チックだと言いたいんですの? どんな狙撃銃なのか知りませんけれど、変なのだったらいりませんわよ?」

「どんな狙撃銃なのかなんて俺だって知らないさ。ただきっとボスの話の中にヒントがあると思うけど」

 

 そう言えば黒子は考えるように顎に手を置き、親指で下唇を軽く撫ぜた。何か思い当たる事でもあるのか、黒子とボスが何を話していたかなど俺は全く知らないし黒子も教えてくれないため分からない。思い悩む黒子の横顔を眺めていると、柔らかな布ズレの音が耳を擽った。

 

「大分物騒な話をしているようですね孫市。貴方でもそんな顔をするのですね。私としては貴方にもあまりスイスには行って欲しくないのですけれどね」

「……ララさん、怪我はもう大丈夫そうですね」

 

 新雪が降り積もったかのように、座席に座る白いドレスの女性が瞼の奥に隠された紅い瞳を覗かせる姿に口を苦くする。味方だと分かっていても、ララさんに見られたと思えば背筋が少し寒くなる。スイスの民であればこそ、スイスに向かうのにララさんと多くを語る事などなく、分かりきっている行く行かないの問答など必要ないと言うようにララさんは紅い瞳を俺から黒子へと移す。

 

「貴女のような幼子にこそ来て欲しくはないのですけれど、カレンから新しい友人だと聞きましたが、貴女も学園都市の子なのでしょう? 空間移動能力者(テレポーター)などと困りましたね。何を削げば禊となるのでしょうか。やはり脳髄?」

「なあ、なんでこのチームすぐに造反者になりそうなのばっかりなの? 隙あらば敵になりそうな事しか言わないんだけど。ララさん、黒子に手を出すなら行進曲でも吹いてやるから次こそあの世に歩いて行ってくださいよ。ララさん一人で」

「一度貴方に負けた身ではありますから貴方に対して強くはもう言いませんよ。貴方には母もいるのですからね。ただ貴方が悪い子だから仕方ないんです。貴方が悪い子から悪人になったその時は──」

「わたくしが逮捕しますから貴女は必要ありませんわね。貴女も気をつけてくださいまし。不法侵入者さん?」

 

 手の中に手錠を浮かべる黒子をしばらく見つめ、ララさんは座席に深く座り直す。ララさんの良い子悪い子の範疇で、学園都市の学生であるという事を除けば黒子がどちらの側にいるのかは考えなくても分かる。御坂さんに突っ込んで行く黒子さえ見せなければ、きっとララさんから丸印でも貰える事だろう。野蛮さを差し引いて多分花マルじゃあないな。俺はアレだ。バッテンだ。

 

「勿体ない事ですね。ですがローマ正教はいつでも貴女を歓迎しますよ。困ったことがあれば私を頼ってくださいな。神とは子供、貴女達は未来なのですから」

「行ったら最後禊と称して頭を開かれるだろうがな」

「あら孫市、貴方の場合はそんな心配要らないのですよ? 諸々切り落とすだけで」

「入信料が半端ないんでローマ正教はお断りします」

 

 神の教えを受ける前に神の元に飛び立っちゃいそうだよ。子供の為というのは素晴らしい。まだ自分の物語(人生)を決めていない者を支えてくれるだろうララさんは俺としても居てくれれば心強くはあるが、ただローマ正教限定なんだよ。腐っても空降星(エーデルワイス)。こんな時でも変わらず何よりだ。

 

「それよりララさん、噂で聞きましたけど、スイスの『将軍(ジェネラル)』がナルシス=ギーガーってのは本当ですか?」

「噂ですよ。教徒から慕われていた彼がそんな事をするとは思いたくありませんね。もしそうなのだとしたらなんと面の皮が厚い……ローマ正教の子らを裏切ったのであるのなら、その厚い面の皮を削がねばならないでしょうね」

「スイスに着いたら──」

「私は孤児院を周ります。スイスに入る時こそ協力はしますけれど、その後は別行動。私と貴方達の目的は違うのですから」

 

 スイスの窮地であればこそ、国の未来よりも目にする子供にこそ手を伸ばす。それこそがララ=ペスタロッチ。臆病者でも、薄情者でも断じて違う。子供を未来であると言い切る彼女だからこそ。

 

「助かりますよ、俺もカレンも気にできないでしょうから」

故郷(スイス)の為に。それだけを見るのなら私も貴方を信頼していますよ孫市。ですからカレンの事は貴方に任せましたよ。幼馴染でしょう? 幼馴染は大事にするものです」

「あれを大事に? ないない。手を差し伸べても折られますもん」

「よく言いますよ、カレンが日本に行った時鎧を剥かれたと言っていましたけど? 私のドレスまで引き剥がしてアニェーゼ=サンクティスも下着を見られたとか」

 

 ちょっと。なんで今そういうこと言うの? 黒子の方に振り向けない。隣に死が座っているのを感じる。全部不可抗力なんですけど。ローマ正教修道女の情報網ってどうなってんの? それじゃあ俺がただの変態みたいじゃないか。

 

「まさか孫っち……ローマ正教の修道女萌えやったんか?」

 

 うるせえな! 聞こえてるんだよ青髮ピアスの地獄耳め! なんだよそのピンポイントな萌え要素は! ないわローマ正教の修道女萌えとか! どこに萌えればいいんだいったい! あの、いや、なんだ? 考えるのも馬鹿らしい……。

 

「俺に手を出されたかったら時の鐘の軍服でも着てくるんですねララさん、白銀のボタンが描くV字ラインが柔らかな膨らみに押し出されてるところとか最高」

「知りませんわよそんな事。孫市さんの超マニアックな性癖とかどうでもいいですけれど、少しお話が必要みたいですわね?」

「お話は必要ありません。仕事だった、それが全て。だから黒子手錠を手首に掛けないで」

「あらあらあら、まあまあまあ、随分と都合のいいお仕事ですのね? 異常性癖者の証拠品として時の鐘の軍服を押収でもしましょうか」

「いやこれオーダーメイドで高いんだけど……」

 

 軍服を押収なんてされたらボスに怒られる。噴き出す汗を止める事ができず、軍服の端を摘み引っ張ってくる黒子から逃げるようとするも、狭い座席の中、すぐに行き止まりとなり逃げ場がなくなる。座席に一人座りこっちを睨んでいるカレンにあっち向いてろと手を振れば、振動に一度身を揺さぶられ、その振動を手繰り寄せるように目を顰めた。逃げ場がなくなったのは座席の中だけという訳でもないか。

 

「……ドモドッソラに着いたか。休息は終わりでもういいだろう? 溜め込むのももう終わりでいいよな? いい加減吐き出したくて辛抱ならないんだよ」

 

 眺め続けているだけでは何も変わらない。引き金に指を掛けたとしても、引き金を引かなければ弾丸は出てくれない。凝った体をほぐすように首の骨を鳴らし立ち上がれば、同じく席を立ったカレンと目が合う。

 

 息を吸って息を吐く。深く息を吸い細く吐き出す。

 

 

 ────ガシャリ。と。

 

 

 ボルトハンドルを引いた音が頭の中で小さく響く。積み上げたものを削り磨き込め終えたなら、後はただ狙ったものに向けて吐き出すだけだ。スイスは、シンプロントンネルはもう目と鼻の先。

 

 さあ、瑞西(スイス)への帰還だ。

*1
北ヨーロッパと南ヨーロッパの最も重要な連絡路の一つ、スイスの高速道路の一路線。


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