時の鐘   作:生崎

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瑞西革命 ④

 列車の揺れに舌を打ち、窓の外を眺める二人の男。手に持つアサルトライフルを手放さず、森のその先、白く化粧された立ち並ぶ山の山頂を望む。人の姿は影もなく、列車の駆動音だけが空間を満たすその中で、緊張の糸を緩めるかのように男の一人は息を吐き出した。どれだけ気を張っても何があるわけでもない。弾薬の詰まった箱をちらりと見つめ、一度大きく列車が揺れたのに合わせてまた一つ、生温い吐息を気分悪そうに男は床へと零す。

 

「……おい、気を抜くな、到着するまでが仕事だぞ」

「そうは言ってもな、誰が襲って来るって言うんだ? スイスでもイタリアでも」

 

 イタリアからスイスへと続く道。いつ外に向けて噴き出すかも分からない戦火を警戒し、スイス近郊の町や村に住む所各国の住民は既に避難をしてしまいもぬけの殻だ。スイス内部に至っても、今や劣勢の反乱軍は時折邪魔に動くだけで大きな動きを見せる事もない。とは言え数が少ないという訳でもなく、個で部隊を穿つような戦力も幾らかまだ身を潜めているだけに油断ならず、スイス軍部も同じく大きく動く事はない。

 

「だいたい誰がこの列車を狙うんだよ。スイスまでノンストップだぞ。今スイスに乗り込もうなんて奴いる訳ないだろ」

 

 イタリア国内からスイスに向かい、ベルンまでこの列車が駅に止まる事はない。何よりドモドッソラを過ぎてしまえば残されているのは田舎町。あるのは多くの木々と山だけだ。スイス内でこそ警戒しなければならないが、スイスに向かう道すがら、列車を襲ったところで得られるものなど高が知れている。

 

 行きも怖いが帰りも怖い。同じスイスの民でさえいつ死んでしまうかも分からないスイス内部に外国人が立ち入ろうものなら、それだけで地獄への片道切符が切られる。事実二人の男には、目にした怪しい相手への射殺命令が下っている。好き好んで死地に向かいたい者などイかれていない限りあり得ない。スイス軍の中でさえスイスの現状について意見が割れ、逃亡者が出ている程だ。外国人なら尚更に。

 

 各国の高官がジュネーブに爆薬と共に纏められているというのに、下手に手を出し死なせてしまっては元も子もない。物資や権利と引き換えに交換するかして助け出した方が、世間の評価もいいというものだ。それとは別に、スイス銀行の豊かな財力を使って買った物資をこうしてスイス内に運び込んでいる。金さえ払えばそれでいいという者も一定数存在するが故。スイスの大火を絶やさない薪は、こうしてくべられ続けている。

 

「この列車を襲ったところで何が変わる訳でもないんだ。自分の首を絞めるような事したい国がいるとも思えないしな。せめてスイスに入るまでは気を張らなくたっていいだろうが」

「気持ちは分かるがな、政治的に膠着している今だからこそだ。立地を考えろよ、スイス統一が済めば周りのドイツ、イタリア、フランスが敵だぜ? 国に雪崩れ込まれたら止めようもない」

「スイスにどう雪崩れ込む? スイスの制空権はよく分からないが取られる心配もないんだろ? 何より兵の数が違うさ。本物の兵の数が」

 

 スイス軍及び各傭兵部隊。戦力を売る事で財を成してきた国であるからこそ、武力でだけは負ける気もない。これまではそれを突き立てる事はなかった。永世中立を謳い、鋭い牙を見せつけて、戦う前に戦う気を失せさせる。それがスイスの防衛戦略。戦争の危機に際して必要な準備や心構えなどについて詳しく解説された三二〇ページに及ぶ冊子を各家庭に政府が配布した程に、戦いに対しては全国民が手を抜かない。

 

 ただそれを使う機会はない。自分達は強いと誇っていたとしても、それを知るには実際に振るわなければ分からない。いざという時の力を貯めに貯めて、研ぎ削り積み上げても、使わなければ錆びていくだけだ。使われない力に対して、手を出さなければ使われる事もないと高を括られ、結局長い時を経て見てみれば、本当に強いのかどうか分からず舐められて終わってしまう。

 

 どうせその程度、張り子の棍棒であると。

 

 それは違う。スイスは隠しているだけだ。雄大な自然と荘厳な山々で鋭い牙や爪を隠しているだけ。それを他でもないスイスの民だけが分かっている。知っている。だがそうであっても、使わなければ口だけと同じ事。その燻りが、そのいいえも知れぬ歯痒さが、第三次世界大戦へと向かう熱を受けていよいよ着火した。

 

「数百年間絶えず戦い続けて来たのが我らが国だ。強いスイスを知らしめたいって気持ち分かるだろ? 俺達は番犬か? 犬は犬でも狩猟犬だろ。『将軍(ジェネラル)』の意見には賛成するさ。金さえ払えば尻尾を振るって舐められてんだ。爪も牙も丸くて鋭さなんてないってな」

「分かっている。だから気を抜くなと言っている。いざという時何もできなかったなら、それこそ口だけと言われて終わりだろう」

「だからそのいざという時がここじゃ────」

 

 

 ────ドッ。

 

 

 重々しい音が列車の後部に勢いよく落ち、車体を軽く()ね上る。(うね)る列車の腹の中で二人の男は床に転び、慌てて立ち上がり窓の外を眺めた。風景は変わらず、車体を走り抜けた重い金属の残響はすぐに消え、声は荒げずに手に持つアサルトライフルに力を込める。砲撃された音でもなく、襲って来たのは不可解な重い衝撃だけ。二人の男は軽く目配せし合い、一人の男が天井へと目を向けた。

 

「……上に飛び乗られたか?」

「馬鹿言え、何キロで走ってると思ってるんだ。橋がある訳でもないんだぞ。そんなの人間技じゃないだろうが。飛び乗れたところで振り落とされて終わりだ。まだ熊にぶつかったとか言われた方が信じられる」

「他の車両にいる奴と連絡してくれ。今の衝撃だ。そのまま天井をぶち抜いて入って来た可能性もあるかも分からない」

「そんな奴が居たら化け物だな。よしんば列車の上に貼り付けたとして、シンプロントンネルに入る手前には狙撃部隊が控えてるんだ。蜂の巣になってお終いだろうさ」

 

 通信機を手に、他の仲間と問題なさそうに会話をしている男を目にし、もう一人の男も小さく息を吐き出した。実際スイスが分裂し内乱状態になってから、何度も物資を運び込んでいるがスイス国外で襲われた事などない。所各国が大英帝国や学園都市と睨み合っている事もあり、スイスを煽るように手を出す事もないからだ。それに男の一人が言ったように、百キロを超える速度の乗った電車に飛び乗り張り付き問題なく動き回れる人間などどれだけいるか。張り付けたところで振動と風圧でろくに動けず、狙撃部隊の餌食になるだけだ。

 

 景色を眺めてシンプロントンネルが近づいて来た事を察し、トンネルに入る前に狙撃部隊と連絡を取っておこうと男が通信機を手に取ったところで、その手が止まる。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 重い音が列車の車体を伝い響いた。男の体から冷たい汗が一気に噴き出す。スイスの軍人、傭兵であるのなら、その音が何の音であるのか知っている。鐘を打ったような銃撃音。目で見えるかどうかも分からない遥か遠方を射抜く、時を壊し終わりを告げる鐘の音。仲間と連絡を取っていたはずの仲間へと男が目を向ければ、同じように身を強張らせ、体の奥底から滲ませたような、脂ぎった重い汗を額から垂らした。

 

 どこか遠くで鳴っているだけでも背筋が凍る。どこから弾丸が飛んで来るのか分かったものではない。だが今は、それが分かるからこそ声にならない。

 

 他でもない()()()()から。

 

 

 ────ゴゥンッ! 

 

 

 二度目の鐘を打つ音が、幻聴の類ではないと無慈悲な現実を叩き落としてくる。列車に張り付いている者が何者であるのか。振り落とされるどころか、何かに向けて狙撃までするような悪魔の狙撃手。スイスが世界に誇る最高の傭兵部隊、二つのうちの一つ。考えなくてもどちらか分かる。普段武力を振るわないスイスが振るう数少ない暴力。武力で中立する事を掲げるスイスの御旗。天に突き立てられる白銀の槍の姿を幻視して、本能が逃亡するように警鐘を鳴らす。

 

(逃げる……? ははっ、何処へだ……)

 

 理性が本能を嘲笑する。その音が聞こえる中に居て、逃げたところで逃げ切れない。白銀の先端を突き付けられれば、後は穴が開くのをただ待つだけ。そうなる事をスイスの軍人であるからこそ知っている。軍事演習の際に何度も見た、同じ人間とも思えない()()()特殊山岳射撃部隊。何より鐘の音を打ち鳴らすのは、その中でも更に削り磨き抜かれた一番隊。

 

 それが分かっても尚、パニックになり取り乱さなかったのは、偏に普段の訓練の賜物だろう。やるしかない。戦う為に技を磨き、それを使う武器も手に持っている。同じ人間、同じ軍人。そうであるとも分かるからこそ、戦わないという選択肢はない。鐘の音が打ち鳴らされ続ける中、シンプロントンネル付近で待機しているはずの狙撃部隊へと通信機で声を掛けるも、返って来るのは乱れた雑音。走る車両の上から数キロ離れた地点への狙撃が成功したらしい事を知り、二人の男から馬鹿らしいと笑いが漏れた。

 

「……味方だと思うか? それともいつのまにか寝てたって落ちか?」

「夢見るなよ……夢みたいな馬鹿らしさだがな」

 

 窓から身を離し、男二人肩を寄せ、右と左に意識を分担し呼吸を鎮める。何故今なのか? どういう思惑か? 湧き出る疑問を押さえつけ、ただ目の前の事に集中する。緩んでいた空気は消失し、ただ緊迫した空気が列車の中に張り巡らされる。列車の中の音が変わり、窓の外でシンプロントンネルの石造りの口が過ぎ去ったところで、一瞬の暗闇が車内を覆った。

 

 その光と影に紛れるように。

 

 コツリッ。

 

 無から浮き上がって来たように、深緑が車内に足を落とす。

 

 手には長い白銀の棒を持つが、スイス軍も見慣れたゲルニカM-003でもない『白い山(モンブラン)』。手元に見えるピストンパルプの所為で、銃と言うより大きな管楽器のようにも見えるそれを手に立つ傭兵は、いったいどこからやって来たのか。窓を破る訳でもなく、車両間の扉を開けた訳でもない。ただ急に現れたかのように首を傾げて佇む男の赤っぽい癖毛の隣で、柔らかくツインテールが空を泳いだ。

 

 少年と少女。幼さの色濃く残る少女の姿が強い違和感となって男達の目に映る。これは本当に夢じゃないのかと、目に飛び込んで来た違和感に男達が目を小さく見開いたのに合わせ、しなった狙撃銃の切っ先が、男達の持つアサルトライフルを弾く。ただそれだけ。強く振られた訳でもない一撃がアサルトライフルを振動させ、男達の手から滑り落とす。

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)ッ!!!!」

 

 空いた手で拳銃を引き抜いた男を目に、ツインテールの少女を己が身に寄せて時の鐘の軍楽隊(トランペッター)はその発砲音に身を乗せる。一つ二つと打ち鳴らされる発砲音に押されるように、一歩二歩と足を出す。それだけで銃弾が男を避けるかのように当たらない。

 

 生物が異なる。身に流れている法則が違う。そう思ってしまうほどに深緑の軍服を身に纏う者との武力の差に笑えてくる。銃が通用しないのなら飛び込むまでと仲間に続けてナイフを引き抜き一歩を踏む男の頬を擦るように銀閃が視界の端を舐め取って、ゴギリッ、と男の背後でなにかがへし折れる音。

 

 突き出される時の鐘の狙撃銃の先端を追うように男が振り返れば、仲間の腹部へと狙撃銃の先端はめり込んでおり、引き抜かれる動きに合わせ百八十度体を折り畳むと仲間の男は床に崩れてしまった。口から胃液と血を垂れ流し、細かく痙攣する肉の塊から男は目を離す。明かりに照らされる極東の色が見える少年の顔を見つめて男は諦めたように笑った。

 

「法水孫市……帰って来たのか」

 

 傭兵という特殊な部隊である事から、小さな頃から時の鐘に紛れてスイスを駆け回っていた姿を男も何度か目にしている。男と二倍近く年が離れているだろうに、どう成長すればそうなるのか。同じスイスで己を磨いていたはずが、一体なにが違うというのか。

 

「俺達に協力する為に帰って来た訳ではないんだろうな」

「当たり前だろうが。お前達とは目指しているものが違う」

 

 強大な異質の者を前に、自分とは違うとただ眺めるだけで終わりとし、己の狭い世界の中で満足するのか。狭い世界を広げようと、己と違かろうが、理解できなかろうが隣り合う為に突き進むかの違い。進む事をやめない頭の悪さこそが不可能を可能に変えている。できる訳がないとできるようになりたいは同じできないでも別物だ。満足すればそこが終点。生きている限り孫市の終点はやって来ない。ただそれだけの事。

 

「今来るか、時の鐘(ツィットグロッゲ)が。お前も十分化け物だ。羨ましい事だな、このスイスで、世界の軍部でお前達のことを知らない者はいない。だがそれはスイスの傭兵だから知られている訳じゃない」

 

 強いから。その通り時の鐘の一番隊でスイス人は両手の指の数より少ない。スイスの部隊であったとしても、世界各国から異質な者を集めた特殊狙撃部隊。もう一つの傭兵部隊にしても、信仰を根本に置き、古めかしい装備に身を固めている理解及ばない集団だ。同じスイスの部隊であって、持ち得るものが全く違ければ、誇るのも難しい。ただその強さは本物であるからこそ。

 

「お前達が初めから協力してくれていたのならどれだけよかったか。結局一番の障害がお前達だ。邪魔をする理由がどこにある? 祖国を憂いてなにが悪い。戦う為に鍛えた技を戦う為に使うのは悪か? 使わないかもしれないものを磨き続ける方が馬鹿らしい。磨き身につけたのなら」

 

 使わなければ勿体ない。その為の舞台がないのなら、自ら作り上げるしかない。戦いを見つめて成長した国であればこそ、その力が本物であると知って欲しい。観光と銀行の国では決してない。傭兵達の要塞こそ瑞西(スイス)であると。かつて数多の国がその強さを欲した瑞西(スイス)傭兵は死んではいない。表では科学が台頭し、裏では魔術が蠢いている。では磨いた人の力の着地点はどこにある? 

 

「俺達はもう無用の産物か? 技も体も磨く必要なんてないって言うのか? 駆動鎧(パワードスーツ)を着れば、能力を身に付ければ、毎日馬鹿みたいに走って筋トレしなくてもいいってのか? なら俺達は何なんだ?」

「……御託はいいから掛かって来るといい。ここは戦場だ。談話室じゃないんだからな。教えてやる『傭兵』って奴を」

 

 『白い山(モンブラン)』を床に放り、時の鐘が磨いた拳を握り込む。男はナイフを握る手に力を込めて、床を叩く狙撃銃の鉄の鳴き声を合図とするように飛び出した。時の鐘は手を出すなと言うように背後の少女へと手を軽く振り、突き出されるナイフには目もくれずに滑るように身を落とした。ズルリ、と刺さるはずだったナイフは深緑の軍服に撫でられるだけで裂くこともなく、突き出し生まれた腹部の隙間を穿つように、床を凹ませ突き出された少年の拳が男の腹へとめり込んだ。

 

 路上で不良同士が喧嘩するのとは訳が違う。たった拳一発で相手を殺す為にこそ磨かれた暴力。体の内側で潰され砕ける肋の音を聞きながら、口から全ての息を吐き出し声にならない悲鳴を男は叫んだ。穴が空いたのではないかと思う程の衝撃を摑み潰すように腹へと手を伸ばし、くの字に体を折り曲げて男は崩れる。

 

 戦力を商品として売る傭兵。それを突き付けられたからこそ理解できる。手足も頭も詰まっているのは戦いの事だけ。どんな障害も問題も暴力で叩き潰す為に磨き抜かれた。暴力の差に得意げな顔でもしているのかと男が(うめ)きながら瞳を持ち上げれば、笑いもせず、呆れもせずにただ戦場を見つめる冷淡な顔が待っているだけ。

 

「隣の芝生は青く見えるよなあ? 超能力は凄いし魔術も凄い、分かってる。分かっているがそれが凄いからって磨くのをやめる理由にはならない。自分の鍛えた体一つで振るう『技術』こそが至高だと信じたのなら、他の凄いものがあっても並べるように積み上げ続けるしかないだろうが。不安になったから癇癪を起こしてるだけだお前達はッ! 祖国を憂いて? だったらッ! だったら……ッ」

 

 戦場が生まれない為に磨き鍛えた技術であろうに、目的が大きく間違っている。冷淡だった顔を歪めて拗ねたように煙草を咥える少年の姿に、呻きながらも男は笑いを零す。

 

「くはっ、人間みたいな、顔をするなよ時の鐘(ツィットグロッゲ)……。それだけの、暴力積み上げて、できれば戦いたくないなんて、言う気なのか?」

「当たり前だろう。でも結局戦いになるのなら、不思議な何かに頼るんじゃなくて自分で寝かし付けてやる為にこそ磨くんだろう自分を。超能力者は能力を、魔術師は魔術を、俺達は技術を。それを好き勝手に振るい出したら、それは本当にただの粗暴な暴力だ」

 

 大事なのは力の向かう先、必要のない力であっても、間違えた使い方さえしなければ使い道はある。力のない者の力となる為に磨いた力を、力ない者に向けた時に人でいられる境界線を越えてしまう。傭兵は戦力を『売る』仕事だ。自分の命以外を好き勝手に売り買いする為に技術を研いだ訳ではない。

 

「傭兵の国だと誇るなら、傭兵をやめたお前達はただの蛮族だ。故郷を踏み荒すくそったれなら、蹴り出されたって文句言うなよ」

「故郷の為か……だから仕事でなくても来たのかお前は」

「仕事を除けば暴力を突き付けられた時こそ暴力を返す。これまで何を見て来たんだ? だから来たんだ俺()は」

 

 ギャリィッ‼︎ と時の鐘の深い緑色をした軍服の奥、車両同士を繋ぐ扉から刃が突き出て振るわれる。切断面から滑るように崩れた扉のその先で、紫と黄色のストライプが闇を裂いた。甲冑に身を包んだ古めかしい傭兵の立ち姿に、男は呼吸を止めて目を見開く。スイスが誇る最高の傭兵部隊の片割れ、剣を手に戦場を駆ける古の傭兵部隊。

 

 空降星(エーデルワイス)時の鐘(ツィットグロッゲ)。その二つの組織の仲が悪いなんて事は、スイスの傭兵でなくたって知っている。その二つが並び立つ姿が夢のように目に映り男の視界をぼやかした。

 

 瑞西(スイス)傭兵は死んではいない。世界に誇る鋭い瑞西(スイス)の二本の牙は、その鋭さを鈍らせる事はなく狙うべき獲物に狙った通り突き立てる。武装中立。力でもって平和を謳う瑞西(スイス)の象徴。その姿こそがあるべき姿だと分かるからこそ。振るう力に淀みはなく、進む道に迷いはない。

 

「止められるって言うのか? この暴力の渦をたかが数人で……」

「さてな? ただ全力を賭すのみ。戦場を生む為ではなく戦場を殺すため」

瑞西(スイス)の民であればこそ、否定する事は許されない。神の敵がここにはいる。瑞西(スイス)の為であればこそ、進む道は違えない」

「……くそッ」

 

 普段どれだけ好き勝手振舞っていようとも、必要な時こそ現れる。なんでもない時に舐められようが馬鹿にされようが知ったことではない。瑞西(スイス)の民なら知っている。鐘の音を鳴らす狙撃手達を。剣を担ぐ修道騎士を。普段瑞西(スイス)でその姿を見なかろうとも、窮地の時は互いのいざこざもぶん投げて必ず瑞西(スイス)に帰って来る。ただそれを信じ切れなかっただけ。

 

 情けなさを握り締め、それでも男は己が足で立ち上がる。間違っていようと引き金を引いたのは自分だから。傭兵の国の軍人であると誇るからこそ、蹲って終わりになどしない。瑞西(スイス)の暴力の象徴が目の前に立っているからこそ。

 

「俺達は後悔はしないッ、時の鐘(ツィットグロッゲ)ッ! 空降星(エーデルワイス)ッ! お前達に敗れるなら本望ッ! 俺達の全力を潰してみせろッ! 瑞西(スイス)の力を見せてくれ!」

「見せるさ、ただ見せるのは俺達の力だけじゃないがな」

『孫っちぃ、こっちも終わったでぇ』

 

 場違いな気の抜けた声が車内に響く。眉を顰める男はその声が床に折り畳まれている男の通信機から聞こえて来たのを耳にして、間抜けに口を開け動きを止める。仲間の男は普通に通信機で会話していた。そのはずだ。こんな聞き慣れない声なら気付いたはず。一体いつから? 

 

 ────メギリッ。

 

 男の背後の扉が中心に向けて凹むように捻じ曲がる。潰れ軋む鉄の扉を毟り取り、その奥から角を生やした悪魔が口を開けた車両の壁に頭を打ち付けながら足を伸ばす。車内の人々を見回して、口から血を垂らし呆然と立つスイス軍人の男を目に怪物は動きを止めると、「お疲れさん」と聞き慣れた仲間の一人の声を悪魔の口から返され、顔から一気に血の気を引かせた。冷たい汗も奥へと引っ込み、時の鐘へと男は弱々しく振り返る。

 

「お前達……一体何を連れて来た?」

「見せはするがな、本望だと? 勝手に暴れて勝手に満足しようとしてるんじゃない。そんな物語(人生)描かせるかよ。スイスで暴れて一番怒ってるのは傭兵の国の傭兵じゃない。一般人の怒りを畏れろ」

 

 頭に落とされた悪魔の拳骨に男は意識をあっさり手放す。最後に視界に移った時の鐘と空降星に混じり立つ少年少女の顔を目にして。少なくとも、やって来たのは時の鐘の言うような可愛らしい一般人ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思った……マジで死ぬかと思ったって。何で躊躇せずに猛スピードで走ってる列車に跳び乗ってんだよ。しかも上からじゃなくて並走してッ! 揺れる列車の上で狙撃するわ、天井剣で切り開くわさぁ! 第六位が紛れ込んでくれてたんだからもっと安全に入る方法あったろ絶対ッ!」

「諸各国が手を出さないからと油断しましたね。人のいない片田舎には誰もいないと思っていたのかもしれませんが、彼らの動向など火事場泥棒の為に町に残っていた悪い子達(ストリートチルドレン)には筒抜けです。子供だからと目にしても特に気に留めていなかったからかもしれませんが。全て終わった時には是非うちの孤児院で引き取ってあげませんと」

「それって拷問か何かですか? それよりクーデターの理由のしょうもなさに俺は吐きそうだよ。英国とは真逆だな。磨いた技術だからこそ振るいたいって? 強さを示す? 何の為に技術を磨いたのか初心を忘れたのかボンクラ供が。一般人に力を誇っても意味ないだろうが」

「オーバード=シェリーみたいになっているぞ孫市。怒りよりも悲しみが先に来て嘆くのも馬鹿らしい。あるべき姿を忘れた外道など斬るのももったいなく感じるな」

「チームバランスが悪くなくて何よりだにゃー。強固な前衛に最高クラスの後衛。魔術も能力も戦闘向きときた。気の知れてる相手ってのもあるし、ないもの探す方が難しいぜい。いつもこれくらい戦力揃ってると苦労しないんだがな」

「なあ、スイスに着いてスイス美女にモテたらどないしたらええと思う? 孫っち何かこうアドバイスとかないんか? スイスの口説き文句的なやつ」

「貴方達この車内の惨状の中でよくそんな話ができますわね……。わたくしはまだ慣れそうもないですの。慣れる気もありませんけれど。それより換気しません? 火薬と血の匂いが服に着きそうですの」

「俺の話誰も聞いてくれねえのなッ! お前ら全員大概だからなッ!」

 

 騒ぐ浜面は放っておき、青髮ピアスに拳骨を落とされ伸びている男を揺すってみるが起きる気配がない。窓を開けて外に向け紫煙を吐き出し、景色の変わらないトンネル内部に目を向ける。スイスには魔術師よりも軍人が多い。魔術師の国である英国と比べて、単純な暴力を備えているだけにタチが悪い。列車を守っていた者達も、英国の騎士派と違い普通の軍人。『魔術』という単語を口にしても、学園都市が世界に訴えたとはいえそこまで浸透していないのか軍人の男はピンと来ていないようであった。

 

「できれば誰かしらに『将軍(ジェネラル)』について聞きたかったんだがな。どうだ青ピ? 収穫あったか?」

「さてなぁ、『将軍(ジェネラル)』が誰かなんて誰も名前も出さんかったし、『将軍(ジェネラル)』の意見には賛成みたいな事言ってたりはしたけどなぁ」

「スイスの力を示したいって? 不良と変わらないじゃないかそれじゃあな。くそッ」

 

 そんな事で分裂したのかと思うと遣る瀬無い。英国のクーデターも似たようなものではあっても、国としての在り方が違うだけに、スイスの子供っぽい理由に腹が立つ。力を磨いたから者にこそ効く甘美な誘い文句を打ち出したようで、余計に『将軍(ジェネラル)』の存在が気に入らない。

 

「でもよかったのかよ法水、普通に音立てて狙撃してたけど。バレてんじゃねえのか俺達が来たって」

「かもな。だがそれでいいんだ」

「何がだよ……」

 

 鐘の音が鳴らされた。敵が気付こうが気付くまいが、他でもないあの音で気付く。時の鐘がやって来た事に時の鐘が気付く。裏切り者は恐れればいい。仲間ならば、その音を聞いて独自に動き出すはずだ。山に遮られて届いていない可能性の方が高いものの、それならそれでまた引き金を引けばいい。敵がこちらに意識を集中させたなら、他の時の鐘が動く隙もできる。その動きに意識を割いたなら此方が動き易くなる。

 

「一旦ブリークで外に出る。レッチェベルクベーストンネルにさえ入れればシュピーツまで行ける。その先、トゥーンを通り抜けれさえすればベルンだ。問題はブリークだな、そこを通り抜けるために速度を増して突き抜けるか。止まってはいられない」

「なら要らない部分は切り離した方がいいだろうにゃー。問題はブリークに着く前に起こるかも知れないんだろ?」

 

 土御門の言葉に肩を竦める。その通りだから。だから窓からトンネルを見つめる。訝しむ視線が集まる中でカレンが代わりに話してくれる。スイスのトンネルや橋は攻め込まれた時のために取り壊すことさえ建造する当初から計画に組み込まねばならない。たかが列車の為にトンネルを一つ潰すのか。顔を青くする黒子達を眺めながら、不安を吐き切るように紫煙を吐き出した。

 

「車両の連結を切るのはブリークに入ってからにしよう。それで線路を塞ぐ。元々ベルン行きなんだ、線路も無事だろう。もうベルンまで二時間も掛らない。そうすれば着くぞ」

 

 連邦院にも時の鐘の本部にも。薄暗いトンネルを抜ければ故郷の景色が待っている。崩れているだろう故郷の景色が。景色と同じようにトンネルまで崩れてくれるなと願いながら。


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