時の鐘   作:生崎

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瑞西革命 ⑦

 ベルン旧市街には地下道が存在する。いざ外が戦火に包まれた時の脱出路であり、又は敵の背後に周り奇襲するための地下通路。これはスイスだけでなく、フランス、イタリア、日本などあらゆる国に言える事だが、都市に地下道は必ずと言っていいほどある。現代となり地下鉄として偽装されている物とは別の、下水道に偽装された石造りの古めかしい地下道は、苔と湿気に包まれ凍てついた空気が流れていた。その空気を妹達(シスターズ)の抑揚の薄い声が揺らす。

 

空降星(エーデルワイス)の総隊長、ナルシス=ギーガーは『将軍(ジェネラル)』ではありません。とミサカは簡潔に答えを述べます」

「……なに?」

 

 声も荒げずただ静かに。事実だけを言っていると、時の鐘本部から地下道に入り、自己紹介以外「早く来て下さい、とミサカは急かします」しか言わなかった中での言葉。肩が落ち少しずり下がった黒子を背負い直し、隣を歩くカレンに目配せするが顔を横に振られた。背後に続く三人へと目を向けても首を傾げられるだけで誰にも妹達(シスターズ)の言っている事が分からないらしい。

 

「おい、少し待て、あー……」

検体番号(シリアルナンバー)で呼んでいただいて大丈夫ですよ? とミサカは少し寂しく思いながらも我慢します」

「気にしてるんじゃないか……ライトちゃんと電波塔(タワー)には固有の呼び名があるから失念してたな……」

 

 御坂さんの妹と言っても、俺と関わりが強いのは電波塔(タワー)とライトちゃんぐらいのもので、上条と仲がいいらしい御坂さんの妹さんとすら俺はほとんど関わりがない。一番隊の軍服と事務服だが、同じ時の鐘の軍服を着ていると言う事もあり、番号で呼ぶと言うのもどうなのだろうかと苦い顔を浮かべていると、小さく首を捻り妹達(シスターズ)は目だけを俺に向ける。

 

「……それでは『美鐘(cloche)』とお呼びください。時の鐘の幾らかの方はミサカをそう呼んでいました、とミサカは教えます」

「……クロシュさんね、それロイ姐さんが付けたんだろどうせ、それか変なあだ名付けようとしたのを見かねてクリスさんかな?」

「当たりです。流石は時の鐘の事をよくご存知ですね孫市軍曹、軍曹の事は他の方々からよく聞いていますよ。一応ミサカも同じ日本出身ですから、とミサカは胸を張ります」

「あまり軍曹と呼ばないでくれ、それはスイス軍として動く時の一応の階級ってだけだ」

 

 ほとんど使う事のない緊急用の階級。カレンとハム、ドライヴィーも同様だ。スイスが窮地に陥り一丸となって動く場合などに使われるはずのものだが、スイスの現状ではほとんど意味をなさない。あまり呼ばれない呼ばれ方にバツ悪く目を逸らすも、「いけませんか軍曹? では先輩とお呼びしましょう、とミサカは決めます」と頷かれ、そこを深く気にしても仕方ないのでため息を返し受け入れる。

 

「しかし、時の鐘に御坂さんの妹の一人が居るとはね、全然聞かされてなかったぞ」

「ミサカが時の鐘に来たのは大覇星祭が終わった後です。元々はジュネーヴの研究機関に居たのですが、オーバード=シェリー総隊長の計らいで時の鐘に移りました。一応極秘です。狙撃の腕はまだまだ先輩方に遠く及びませんが、ミサカが時の鐘に来たのは戦力としてではありませんから、とミサカは答えます」

 

 ふーんと相槌を打ちながら納得する。時の鐘と学園都市がどうやって共同研究していたのか。正確には時の鐘と電波塔(タワー)と木山先生が。妹達(シスターズ)が時の鐘に一人でもいれば、学園都市の外だし勝手が多少異なるかもしれないが、ミサカネットワークを介してアレは来れる。

 

  妹達(シスターズ)をジャックして意識を表に出せる電波女ならば。

 

 つまりクロシュさんは学園都市との生体通信機みたいなものか。俺に知らされなかったのは、学園都市と下手に繋がりがある事が漏れないように。意志ある人を物のように使うのが少し気に入らず鼻を鳴らせば、クロシュさんに鼻で笑われる。

 

「先輩は噂通りの人のようで。小さなお姉様のお気に入りのようですし、とミサカは安心します」

「小さなお姉様って電波塔(タワー)か? 俺はアレが苦手だ」

「奇遇ですねミサカもです。先輩とは気が合いそうですね、とミサカは頷きます」

「そりゃよかった。でだ、そんな事より間違いはないのか?」

 

 ナルシス=ギーガーが『将軍(ジェネラル)』ではないという情報は本当なのか。いまいち聞いてもピンと来ない。

 

「だが、あの男は孫市の問い掛けに肯定したぞ」

 

 横からカレンが俺の疑問を口にしてくれる。気取らず焦らず当たり前のように「そうだけど?」と。微笑を貼り付けたナルシスの顔を思い出し舌を打てば、その音を振り払うようにクロシュさんは手を振り否定する。

 

「正確には違います。あれは先輩の煽動したのかという問いに頷いただけであり、『将軍(ジェネラル)』である事を肯定した訳ではありません、とミサカは否定します」

「お前……」

 

 耳を小突いて見せるクロシュさんの背を見つめて耳に付けるライトちゃんに触れれば、「Yes」とライトちゃんは短く答えた。ナルシスだけではない。これまでの俺達の動きを見ていたのは。おそらく時の鐘の一部に俺達の動きは漏れていた。俺にさえ存在を隠していたという事は、時の鐘でもクロシュさんの存在を知るのは極一部のはず。ボスに後は部隊長達くらいだろう。変な保険を掛けてくれる。

 

「だがナルシス=ギーガーが首謀者なのは事実だろう? 列車を強奪した時、『将軍(ジェネラル)』の話をしている奴らがいたぞ」

「信頼を得ていたナルシス=ギーガーが警戒もされずに連邦院に踏み入るのは容易でした。後は簡単です。世界の情勢の危機に会議で集まっていた上層部を一掃し──」

 

 自分が『将軍(ジェネラル)』であると告げるだけ。元々ナルシス=ギーガーは『将軍(ジェネラル)』の候補だったろう。誰が『将軍(ジェネラル)』になるのかは分からないが、候補は絞れる。スイス軍と傭兵団全軍を指揮するだけの統率力にカリスマ、実力を備えている人材など少ない。スイスを代表傭兵部隊の総隊長、ナルシス=ギーガー、時の鐘の総隊長であるボスも含まれているはずだ。だがなぜそれでも『将軍(ジェネラル)』ではないと分かるのか。その答えは。

 

「『鍵』をナルシス=ギーガーは手にしていないからです先輩、とミサカは核心を突きます」

「『鍵』か……確かに言っていたな俺に『鍵』を寄越せとか。それはなんだ? 俺は知らないぞ」

「ミサカも総隊長が出て行く直前に聞きました。『将軍(ジェネラル)』がどう選ばれるのか先輩はご存知ですね? とミサカは確認します」

 

 クロシュさんの問いに頷いて返す。スイスの『将軍(ジェネラル)』が誰になるのか。それは上層部だけが知る秘密の金庫の中に納められていると聞く。誰がどう決めているのかは知らないが、開けた時だけ誰が『将軍(ジェネラル)』なのか分かるスイスの極秘中の極秘(トップシークレット)

 

「その金庫を開けるための鍵を総隊長が持っていると」

「そうかそうか、くははっ、それは──ッ!」

 

 『将軍(ジェネラル)』の名が記されているだろう秘密の扉は開けられていない。誰が『将軍(ジェネラル)』なのか本当はまだ決まっていない。

 

「ふざけるなよくそッ‼︎」

 

 叫び声が古めかしい洋燈に照らされた薄暗い地下道の中を跳ね回る。気分悪そうに背で身動ぐ黒子の感触に奥歯を噛んだ。

 

 『将軍(ジェネラル)』はスイスでは特別だ。平時に軍部の最高司令官を置かないという姿勢こそ武装中立国家であるスイスの象徴のようなもの。それを騙り、あまつさえ内紛を煽動するなどと。スイスの歴史に泥を塗るどころの話じゃない。選ばれたのなら、まだスイスの意志が多少なりとも垣間見える。だがそうでないのならッ。

 

「嘘で自分と他人の人生(物語)さえ覆うかよナルシス=ギーガーッ、何が必要ならそんな振る舞いができるのかね? それが必死? くくくっ、いかんなムカつき過ぎて笑えてきたぞ」

「……殺気を抑えろ孫市、この狭い通路では息が詰まる」

「お前もなカレン、肌がひりつくから剣気を抑えろ」

「自分を信じてくれる者を裏切る最悪の行為を突き付けられて剣気を抑えろ? ふふふっ、よしてくれ孫市、貴様を斬ってしまいたくなるッ」

「剣へし折れて今ないだろうが、何で斬るんだいったい?」

「おいマジで抑えてくんね? 殺気だの剣気だのそこまで詳しくねえ俺でも吐きそうなんだけど」

 

 呻く浜面にカレンと共に目を送れば、浜面は肩を大きく跳ねさせ口元を抑える。狭い地下通路内に身から血の匂いが充満するような気配を受けて、背の黒子が俺の背中を握り力を抜いた。だが俺が力を抜いてもカレンは違う。カレンが『神』と断じる者を弄ぶ所業に怒りを鎮められる訳もない。(うね)る紫陽花色の髪を目に、どう鎮めようかと頭を回すが、俺より先に土御門が口を開く。待ちに待っていた魔術師である参謀の一声がカレンの怒りを四方に散らす。

 

「……分かったぜい、多分だがにゃー」

「……何がだ必要悪の教会(ネセサリウス)

「ナルシス=ギーガーの使う魔術の答えがだ」

 

 サングラスの奥に輝く瞳をひた隠し、空気を変えるように軽い口調で土御門は告げる。洋燈の明かりを吸い込むサングラスが黒く輝き、集まる視線を一身に受けて、土御門は肩を竦めるとにへらと笑う。

 

「孫っち達が率先して突っ込んでくれたおかげで考える時間は貰えたからにゃー、ここで普段使わねー頭を使ってやらないんならいつ使うんだって話だぜい?」

「マジか土御門、マジで分かったのか?」

「多分な。カレン、ナルシス=ギーガーは丑三つ刻の魔術を使うと言ってたな? 奴は日本の伝承に詳しいのか?」

「それは知らないが、ただララさんに聞いた事がある。極東には興味を示しているとな。学園都市があるという事もあるし、ナルシスは『三』と『東の方角』の祝福を持つからだ」

 

 カレンの話を聞きながら、土御門は頭を掻いて考えるように顎を摩る。どこを見ているのか分からないが、前に向けていた顔を隣を歩く青髮ピアスに向けると指を弾いた。

 

「青ピはフランスで孫っち達とジャン=デュポンの相手をしたんだろ? その時使われた『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』と本当に同じか? ナルシス=ギーガーの反応は?」

「間違いないやろ、ボクは完璧に死角を突いて動いたはずや。人体に関しては信用してくれてええよ? 魔術の全部をボクも知ってる訳やあらへんけど、経験を信じるなら同じやね」

「なるほどな」

 

 一人納得したように頷いて、土御門はサングラスを指で押し上げる。何も分からず首を傾げる俺達に目を流し、俺を見て止まると口を開く。

 

「『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』の元になっている欧州の伝承『ワイルドハント』、それと似たような伝承が日本にあるのを知っているか?」

「……俺は日本の伝承にそこまで詳しくもないんだが……カレンは?」

「貴様が知らないのに私が知っているはずもないだろうが! 答えを言え土御門! もったいぶるな時間が惜しいッ!」

 

 地下道に響くカレンの声と剣幕に落ち着けと土御門は手のひらを向けて制し、困ったように頭を掻く。多分と言う通り確証がある訳ではないのだろう。ただそれでも俺は知っている。御使堕し(エンゼルフォール)の時も、フランスでの時も、数多くの問題で相手の魔術を紐解いたのは土御門だ。他人に頼るなど最も愚かだと言ったナルシスを俺は否定したい。俺が信じるものは塵のように価値のないものだとは思わない。俺は俺の信じる土御門を信じたい。その信頼に応えるように土御門のサングラスの奥で瞳が瞬き、俺の口端は上がってしまう。

 

「『百鬼夜行』だ。おそらくナルシス=ギーガーの魔術の元はそれだにゃー。丑三つ刻なんて極東の伝承を元々使ってるんだ。『三』の数字の祝福を受けた東の魔術にも合致する。これなら『ワイルドハント』を元にした『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』と似たような効果を持たせる事も可能なはずだぜい」

 

 百鬼夜行。深夜に徘徊をする鬼や妖怪の群れを成して行進する伝承であると説明を土御門はしてくれるが、そう言われても理解が追い付かない。それを察してか土御門は尚も言葉を続ける。

 

「いいか? 『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』、『ワイルドハント』には象徴となる者が必要となる」

 

 群れを率いる事ができるのは、歴史上、又は伝説上の名のある人物。それに相当する何者か。フランスの瑞西傭兵、ジャン=デュポンは、その魔術の象徴として使えるべき仏国の首脳、『傾国の女』を核として使用している。スイスの『将軍(ジェネラル)』ならそれに釣り合うかもしれない。スイス軍、スイス傭兵達の頂点だ。

 

「おそらくこれは存在するのに存在しない、『将軍(ジェネラル)』じゃねえのに『将軍(ジェネラル)』だと認識されてる事が恐らく肝だ。ナルシス=ギーガーの魔術は幽霊を信じないというスイス人の習性と、誰も知らない『将軍(ジェネラル)』という二つの要因によって成り立っている」

「待て、待てよ土御門。例えそうだとしてもだぞ? 百鬼夜行というのは深夜に妖怪が練り歩く伝承なんだろう? 今スイスは深夜じゃない。それでもナルシス=ギーガーは透けたぞ」

「前に言っただろう孫っち、偶像崇拝だ」

 

 形を模せば少なからず力が宿る。それを集め適切に配置するだけで、世界を揺るがす大きな魔術を使う事もできてしまう。

 

「ナルシスが『将軍(ジェネラル)』であるとほとんどの者は信じている。本当にそうなのか、スイス以外の者達が知る事は出来ないだろにゃー。オレ達だって今知ったぐらいだ。スイス内でさえ何人が知っているのかも分からない。その噂はフランスにイタリア、それだけじゃない、おそらく全世界の諜報機関、裏の世界の者達は気付いているはずだぜい。その場所が深夜なら」

「深夜であろう場所で『将軍(ジェネラル)』だと信じられているナルシスは魔術の力を使えるって? おい待てそれじゃあ」

 

 二十四時間ほぼ無敵だ。だからわざわざ宣戦布告なんて目立つ真似をしてからスイスを陸の孤島にしたのか。永世中立国であるスイスが宣戦布告などすれば、誰が首謀者であるのか探ろうとする。そうなれば、例えばジュネーブから解放された人質などから少なくとも漏れる。ただそれだけ。本当にそうなのか核心に至るまでには時間が掛かる。

 

「ならナルシス=ギーガーが『将軍(ジェネラル)』やないって言いふらせばその魔術無効化できるんとちゃう? なんや簡単やね!」

「そう簡単にいくとは思えないにゃー。既に世界の上層部ではナルシスが『将軍(ジェネラル)』だと広まってるはずだし、今も広がり続けてるだろうからな。オレ達がそう言ったところで、下手すれば噂を加速させるだけだ。なぜなら証拠がないからだ。本当かどうか分からない、謎だからこそ噂は強い影響力を持つってもんだぜい。まして反乱軍側のオレ達が言ったなんて分かっちまえば、尚更信憑性が薄くなる」

「だが、それなら話は青ピの言う通り簡単だ! 証拠があるなら済むんだろう? 証拠なら……証拠なら…………」

 

 そこまで言い言葉が喉の奥に引っ掛かった。ナルシスの魔術。証拠がナルシスの魔術の弱点となる。それをわざわざナルシスが残しておくか? それを消すためにナルシスが『鍵』を欲しているのかもしれない事は理解できる。

 

 ただナルシスが異常な執着を見せているモノが別にある。

 

 『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』を糞だと言ったように、自分の中に何かが混じる事を嫌う性格。スイスを内乱に導きまるで気にしない振る舞い。世界から注目される為にそれが必要だったとし、役目を終えたのなら最早スイスの内乱も関係ないはず。そもそも、それが本当に必要なだけなのなら、『将軍(ジェネラル)』であると多少なりとも広まったあたりで戦闘行為など止めればいい。

 

 それを止めない理由はなんなのか? 

 

 最悪の想像が頭を過ぎり、土御門の顔を見つめれば俺と同じ考えなのに、ニヤケていた口を強く引き結ぶ。危うく黒子を落としそうになり、慌てて背に背負い直す。

 

 ナルシスが『将軍(ジェネラル)』ではないという証拠の隠滅。実際にそれを破壊するのが速いのだろうが。スイスの最高峰の機密を守る金庫が普通な訳がない。御使墜し(エンゼルフォール)の時でさえ効果を打ち消した時の鐘本部と同等かそれ以上の防護術式が使われている可能性が高い。だから鍵が欲しいとして、それでも絶対ではない。なら全てを壊せば手っ取り早い。世界の注目を集める為に火を付けたなら、そのまま勢いに任せて燃やし尽くす。

 

「あ、の、糞野郎……ッ、スイスそのものをッ……消す気なのかッ?」

 

 地図の上から、世界から。スイスと真実を知る者が抹消されてしまえば、ナルシスが『将軍(ジェネラル)』であると思われているままスイス自体が消えてしまえば、永遠にそれを知る術はない。真実を知り、今金庫に手が届くだろう者は全員スイスの中にいる。強固な要塞でありもするが、容易に外に出れない監獄も同じ。その間に内にある物を全て灰にする気だ。

 

 この第三次世界大戦の最中、今でこそ学園都市、イギリス、ロシア、フランスなどの大国に目が向いているが、スイスはその中でどれとも違う事で争っている。もし情勢が沈静化してもスイスがそのままならば、いくら対空魔術があったとしても、必ずそれに対抗しうる魔術に壁を抜かれてスイスに魔術と爆弾が降り注ぐ。その中でもナルシスは無傷だ。唯一幽霊のようなナルシスに一方的に対抗できそうなのはロシアのゴーストバスターズだろう殲滅白書だが、ロシアは今フィアンマが掻き乱している真っ最中。

 

「そこまで見越したからこそ今動いたのか? ロシアがフィアンマに潰されるからこそかッ?」

「あの男……ッ、どこまで……ッ。ッツ‼︎ スイスだけの話ではないッ! そんな事のためにローマ正教も空降星(エーデルワイス)もッ‼︎ 自分以外は必要ないかッ、神にでもなった気なのかッ?」

「だからこそだ。ナルシスが『将軍(ジェネラル)』ではない絶対の証拠を必ず抑える必要がある。ナルシスの目的が何であれな。おそらくそれこそがナルシスに通じる武器にもなる」

 

 『鍵』はまだナルシスに奪われておらず、金庫もおそらくは無事。土御門からクロシュさんへと視線が移り、クロシュさんは小さく頷いた。

 

「『鍵』の所在は勿論把握しています。ですが問題は金庫ですね、とミサカは口にします」

「なんだ? まさか金庫は既に奪われてるとか?」

「いいえ、ミサカにはよく分かりませんが金庫は魔術によって動かす事は不可能だと。それに、金庫はベルンにはないそうです。とミサカは答えます」

 

 連邦院にある首都に金庫はない。ならば金庫はどこにあるのか。言い澱み口を小さく開けて、クロシュさんは息を吸って息を吐く。狙撃手が引き金を引く前のように。少ししてぽつりとクロシュさんは吐いた。

 

「チューリヒ。そこに金庫はあります」

「チューリヒッ⁉︎ ベルンから百キロ近く離れてるじゃねえかッ⁉︎ いや、だが……そうか、チューリヒか……」

「なんだよ、チューリヒとか言うとこだと何か問題なのか?」

 

 純粋な疑問を投げてくる浜面に首を振る。今は距離が問題であるが、そういうことではない。なぜ『将軍(ジェネラル)』の名が納められた金庫がチューリヒにあるのか。チューリヒはスイス最大の都市であるが、大きさが問題という事ではない。いや、ある意味問題か。それも政治的な問題だろう。

 

「ベルンがスイスの首都になったのは今から百七十年くらい前になるんだがな、その時は誰もが疑問に思ったそうだ。地理条件とかいろいろな要因で首都をベルンに置く事が決まったそうなんだが、その当時でさえジュネーブは国際都市、チューリヒは経済都市として発展していた。あまり一点に比重を置きたくないって事でベルンになったそうだが、実はスイスの法律ではベルンを首都とするとは明記されてないんだよ」

 

 これはスイスが独立し自治権を持った州が結束した連合であって国家ではなかったためだ。実際に一七八九年まで連邦評議会が執り行われる場所がスイスの首都とされ、評議会が開催される場所は都度変わった。それが一八四八年にベルンを首都にすると決まるまで続いたのである。

 

「ジュネーブにもチューリヒにも力がある。ベルンに首都を置く理由があったとしてもいい顔しないだろうさ。だから何かしら手を打つ必要があったんだろう。ジュネーブは国際機関が集中しているから『将軍(ジェネラル)』が誰か秘められた金庫なんて置いておけない。逆にチューリヒには多くの金融機関や大手銀行、研究開発センターがある。厳重な金庫が置かれていても不思議じゃない。権力の争いが面倒な方に転がったな」

 

 なんにせよ金庫に行くには百キロ以上を移動しなくてはならない。ベルンまで来られたのは、ナルシスの罠であった事が大きいだろう。俺が『鍵』とやらを持っているかもしれない可能性があったからこそ。だがそうではないと分かった今、俺にはもう価値がないはず。あとは見敵必殺の精神で殺した方が早い。ともすればベルンに来るより大変な道のりになる可能性がある。

 

 だがそんな不安にクロシュさんが待ったをかける。

 

「ご安心を先輩。鍵も足も用意してあります。全てがナルシス=ギーガーの思惑通りという訳ではありません。先輩が必ず帰って来るだろうと他の先輩方も信じていたからこそ、此方から連絡を取りませんでした。今の状況は此方の思惑通りでもあります、とミサカは先輩方の信頼を口にします」

「思惑通り? これが? これがか? ボスを置いてっちまったのに……」

「置いていったのではありません。送り出されたのですよ。金庫の場所はチューリヒです。鍵は此方の手に。証拠を掴むまでナルシス=ギーガーに追われては困ります。誰かが足止めをしなければなりません。ナルシス=ギーガーの所在もつい先程まで不明でしたが先輩のおかげで今は分かる。そして、今のナルシス=ギーガーの足を長い間止められる者がスイスにいるとするなら……」

 

 時の鐘総隊長、オーバード=シェリーだけ。どう時間を稼ぐのかは分からない。ただそれでもボスなら必ずそれをやり遂げる。事務仕事は得意でなかろうとも、戦場の中に身を置くならばボスより優れた狙撃手はいない。掴むのか見逃すのか。

 

 

 その答えを俺はもうボスに示している。

 ボスももう聞いたと言った。

 伸ばされた手を俺は掴んだ。

 過去は変えられない。

 ボスは既に戦場にいる。

 ならばこそッ。

 

 

「……ボスは引き金を引いたのか。なら飛んで行かなきゃ、ボンクラと言われて叱られるな……クロシュさん、『鍵』はどこだ?」

「クロシュで構いません先輩、先輩は上官ですから。……『鍵』はこの先に。そろそろ地上に出ます先輩、とミサカは報告します」

「了解した……カレン」

 

 背負っている黒子をカレンの背に渡し、浜面に手を向けて投げ渡されるアサルトライフルを受け取る。あまり使い慣れた物でもないがないよりはマシだ。脇腹の折れた肋の気持ち悪い感触を吐き出すように息を吐いてクロシュに並ぶ。軍人のように振る舞うクロシュは空気を合わせやすくて助かる。

 

「……ミサカが先に顔を出し周囲を確認します。敵がいた場合は最悪ミサカを囮に敵を殲滅して下さい、とミサカは頼みます」

「馬鹿、俺が先に行くからいいよ、この辺りはベルン郊外の時の鐘の武器庫の近くだろう? 俺の方が多分勝手知ってる。時の鐘の後輩を囮にするほど落ちぶれちゃいない」

「…………時の鐘には優しいとは本当なんですね、とミサカは目を瞬きます」

()()ってなんだ()()って……それロイ姐さんが言ってたのか? あんまり真に受けるなよロイ姐さんの話は」

「いえ、ロイ部隊長だけでなくクリス部隊長にガラ部隊長、それに総隊長も──」

「分かった、もういい、喋らんでいい」

 

 クロシュの口を手のひらで塞ぐが、もごもご口を動かし続け敬礼を返される。御坂さんの妹達(シスターズ)ってこんな感じだったっけ? ロイ姐さん達の所為で毒されてるんじゃないだろうか。そう言えば第七学区の病院でもダイエットだなんだ騒いでいた子がいたような気がしないでもないが、妹達(シスターズ)にも個性が出てきたなどとカエル顔の医者が言っていたような……。

 

「孫っちぃ? 早よ行かなあかんのやないの? 可愛い後輩ができて嬉しいのか知らんけども……ッ、可愛い後輩ができて嬉しいのか知らんけどもッ‼︎」

「二回も言うな二回も、それに脇腹を突くんじゃないッ! ……まあほら、時の鐘って新人入っても俺より普通に歳上ばっかだし、歳下の新人初めてみたいな?」

「可愛い後輩ができて嬉しいのか知らんけどもッ!!!!」

「嬉しくて悪かったなッ! はいはい行くよ!行けばいいんだろうがッ! 言っとくがこれもう返さねえぞ! ようやっとッ、ようやっと時の鐘に俺より歳下の新人がッ!」

「なんか分かんねえけど法水も苦労してるんだな」

「孫市貴様な……」

 

時の鐘(ツィットグロッゲ)』古参第三位なんて微妙な称号を持っていても、三番隊から始まり時の鐘最年少というのは色々と顎で使われる。同い年のハムは才能に富み、近寄り難い空気もあったが故に俺が小間使いのように働かされる事数え切れない。天上を塞いでる扉を蹴り開けて勢いに任せて外に飛び出るが、意気込んだ割に周りに人影はなく木々に囲まれ、遠くで薄っすらと砲撃の音が聞こえるだけ。場所はベルンの外れ、ベレムガデンの森の中か。旧ベルン市街のある方へと目を向けて目を細めれば、クロシュに肩を叩かれた。

 

「総隊長が気を引いてくれているおかげですね。行きましょう先輩、残された時間は少ないです、とミサカは少し急かします」

「……あぁ、それで? 『鍵』は? 足もあるって言っていたな」

「はい、ただその……どちらにも少し問題が、とミサカは口ごもります」

 

 眉の端を落としながら歩くクロシュの背を追えば、木々の間、大岩の影に隠れるようにひっそりと佇む一軒の小屋。木で組まれた小屋に一見して見えるが、その木製の外壁の裏には分厚い鉄板が隠されている。偽装されている小さな要塞の扉をクロシュはノックし──。

 

「出えへんね」

 

 コンッ、コンッ、コンッ。

 

「……おかしいですね、いるはずなのですが、とミサカは焦ります」

「おいここまで来てふざけるなよ、ちょっと退いてくれッ」

 

 アサルトライフルを背負い蹴りを放つ。べゴンッ! と扉を覆う偽装用の木壁が吹き飛ぶが、鉄の扉は凹みもせずに鉄の肌を見せつけてくるだけ。カレンに一度目を向けるが、黒子をおぶってくれているので電気錠でないことを確認するように鍵穴を覗き、指を鳴らして浜面を呼ぶ。

 

「浜面さん俺が許す。もう超許すからこの扉開けてくれ、ピッキングで」

「いぃ⁉︎ ここでかッ⁉︎ まぁやっては見るけどよ……」

 

 渋々扉の前に立ち、一度俺の方に振り向いてくるのでどうぞと手で浜面を促す。首の骨を鳴らして針金と六角レンチをポケットから取り出すと鍵穴の中に差し込んでいく。

 

「いけそうか?」

「いやぁ……俺の専門は車のドアのロックだしよ、これはちょっとな……いや、これちょっと無理っぽいつうか……そうそう上手く────」

 

 ────カチャリ。

 

「へッ! まあ俺に掛かればこのくらい余裕過ぎるぜ! 扉一枚だけでいいのか? もっとあっても俺は構わねえ!」

「よし、行くぞ」

「もう少し褒めてくれてもよくね?」

 

 頭を掻きいい笑顔を浮かべる浜面の脇を抜けて扉を押せば、普段使っていないだけに耳痛い音を立てて扉は開く。最初に鼻を擽るのはコーヒーの匂い。幾分か掃除されているのか埃っぽくはなく、洋燈に照らされた小屋の中では、テーブルの上には幾つかのコーヒーカップが湯気を上げて置かれているが人の影はない。

 

 踏み入った小屋の床が軋み、小屋の中を見回す中で、その音に反応するように壁の隅で影が肩を跳ねる。手には白銀の槍を持ち俺に向けて。

 

「ま、まごまご、孫市ッ⁉︎ ほ、本当に帰って来たのかよ〜ッ⁉︎ 待て! 待って、待ったッ! タンマタンマッ‼︎ お、俺っちは裏切ってないってッ⁉︎ 本当だぜ? ほら、降参! こうさ〜んッ! だから撃たないでくれよ〜ッ」

「彼が『鍵』の持ち主です、とミサカは目を逸らします」

「…………ベルぅ」

 

 ゲルニカM-003をほっぽり出し両手を上げる、時の鐘の軍服に身を包んだ小太りの男。世界一の金庫破りを自称する元犯罪者。

 

 スイス特殊山岳射撃部隊『時の鐘(ツィットグロッゲ)』、一番隊所属、ベル=リッツ。

 

 久し振りに会った情けない声を上げる時の鐘の姿に頭が痛む。


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