時の鐘   作:生崎

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瑞西革命 ⑪

 ミシリッ。鐘の音を握り潰すように、ナルシス=ギーガーの大剣の柄を握り締める音が崩れた空間に()み渡る。会話をする暇がない程に思考が割かれる。振動を拒むように透けるナルシスの内側を思い描く事は止め、大剣の動きだけを追う。

 

 ナルシスの魔術が作用するのは体だけであるのなら、大剣には触れられる。その証拠に、連邦院でナルシスは軍楽器(リコーダー)の一撃に合わせて大剣から手を離している。大剣から伝わる振動は拒めない。ならば剣を手に取らなければより無敵なのかと問われれば、否である。土御門はそう結論付けた。

 

 『百鬼夜行』の伝承と『ワイルドハント』に『百人のスイス傭兵(サン=スイス)』の伝承を混ぜたようなナルシスの魔術。百鬼夜行の伝承は深夜に魑魅魍魎が練り歩くというもので、ワイルドハントとの大きな違いは率いる者がいない事。それを自分一人に向ける為にワイルドハントの伝承が必要になるという訳だ。率いる者、それに今回は瑞西(スイス)軍部の象徴である『将軍(ジェネラル)』が当て嵌められているが、それでも意味合い的には幾分か弱い。故に剣が必要なのだ。

 

 剣は王の象徴だ。英国の『カーテナ』、日本にも三種の神器『天叢雲剣』があり、円卓の王アーサー王も聖剣を握っている。剣は古来からの武力の象徴。剣士の集団である空降星を束ねる長が持つ剣が普通であるはずもない。例え霊装でなかろうと、有名人のサイン入りバットのように、握る者によって価値も変わる。どんな糞野郎であろうとも腐っても空降星の総隊長。その技巧は低いどころか最高位だ。

 

 『鍵』の所在を確かめる為に手加減していた時とは違う氷山のような冷たく鋭い剣気に肌が粟立つ。瞬き一つすれば真っ二つになりそうな気配に呼吸も薄く鎮まり、額から落ちる汗が垂れて瞳に触れても瞼を動かす余裕もない。

 

 ナルシスの手に握られたツヴァイヘンダーがその身の重さを表現するかのように身を平に、ゆっくりと切っ先が地に軽く触れる音さえも掬い取る。

 

 こつりっ。耳に残らない小さな音を目に、『白い山(モンブラン)』の最後尾を捻り引き金とボルトハンドルを折り畳む。飛び出していた部位がカチリと音を立てて嵌めるのに合わせ、『白い山(モンブラン)』を握っていた左手を支点に、最後尾を握る手から力を抜き、軽く乗せるようにして身を引きながら押し下げる。下がる最後尾と上がる切っ先。長さが先端を軽くしならせ、その振動の振れ幅を大きくし利用するように。

 

 すとん。鹿威しのように不意に落ちた先端が大地を叩く反動を勢いに、足を踏み込み体を前に、手の中で『白い山(モンブラン)』を滑らせ身を反転させて足を踏み込み身を落とす。

 

 ────ヂリッ。

 

 『白い山(モンブラン)』を擦る鉄の音。踏み込み一足で距離を潰すナルシスと交差するように狙撃銃と大剣の肌が擦り合う。ナルシスも前に俺も前に。一足早く身を反転させていた為に、剣を振るうナルシスの背が捻られ俺の方に向いていく姿が酷くゆっくり瞳に映る。動と静。大地に踏み込んだ衝撃で不在金属(シャドウメタル)製の白銀の肌を削るツヴァイヘンダーを軽く弾き、浮いた先端が俺の頬を舐めるように過ぎ去った。

 

 空に巻い足を踏み込んだナルシスに合わせて天に向けられる切っ先を追って、俺の頬から噴き出す血液が糸を引いて軌跡を示す。

 

 予想通り。学園都市とは勝手が異なる。俺と青髮ピアス。どちらがより面倒かと言われれば、俺は青髮ピアスだと言い切るだろう。超能力者(レベル5)の第六位。学園都市で俺と青髮ピアスが隣り合っていれば、誰でも俺より青髮ピアスを気にする。能力者として最強の一人。そちらに必ず意識を割く。

 

 ただし瑞西(スイス)では逆だ。初めの一撃、連邦院で多少なりとも青髮ピアスを見ているだろうに、ナルシスの目も刃も変わらず俺を追っている。自分に来ると分からない方が捌くのは難しくなる。分かっていれば合わせやすくなる。そんな事はナルシスも分かっているだろうが、それでも尚『時の鐘(ツィットグロッゲ)』へと刃を振るう。

 

 瑞西(スイス)が誇る二つの傭兵部隊。時の鐘(ツィットグロッゲ)空降星(エーデルワイス)。どちらもまず比べられるのはお互いだ。時の鐘(ツィットグロッゲ)なら、空降星(エーデルワイス)なら。遠距離と近距離の専門。住処が例え分かれていても、得意分野が違くても、比べられるのはまずお互い。自分を絶対と言い切るナルシス=ギーガーが嫌でも比べられる相手。

 

 ナルシス=ギーガーとオーバード=シェリー。若き総大将。戦闘の天才。大変な美人と美丈夫。何か一つでも決定的に違っていればよかっただろうに、似ているが故に余計に目に付いてしまう。お互いが率いる部隊と共に。

 

 時の鐘が一番邪魔だとナルシス=ギーガーは言い切った。

 

 ローマ正教、イギリス清教、ロシア成教、神の右席、必要悪の教会(ネセサリウス)、殲滅白書と名だたる相手がいる中で時の鐘を一番と。魔術を使おうとも、ナルシスも技術を扱う者。ただそういう事さえ関係なく、一番自らの世界に割り込んでいるだろう故に邪魔なのだ。そのこだわりこそが勝機。

 

 振り落とされる大剣を『白い山(モンブラン)』で受け滑らせ流す。ズガンッ! と大地を砕く刃はその過程で僅かに俺の肩端を裂き、砕けた大地に体勢を崩される。踏ん張る事なく地を転がり、足を踏み出し地を這うように下からナルシスに向け伸び上がりながら『白い山(モンブラン)』を顔の横へと引き上げる。大剣の刃に沿わせるように。

 

 力任せに大剣を振られ、体が建物の壁に突き刺さっている『棺桶(コフィン)』へと押し付けられる。『白い山(モンブラン)』を挟み斬り伏せられる事はなく、右肩に少しばかりめり込む大剣の刃を血が濡らし、痺れる手から力を抜かず、絡めるように大剣に挟まれた白銀の槍を捻り、奥歯を噛み締め固定する。

 

「それはなんだい孫市?」

 

 大剣にしがみ付くように肩に沈む刃を『白い山(モンブラン)』で抑え込む俺の姿に、呆れたようにナルシスは眉尻を下げる。ナルシスの膂力で強引にでもツヴァイヘンダーを引き抜かれれば右腕が千切れ落ちる。止められても一瞬。瞬きほどの短い時。今はそれが必要だった。

 

「……奪ったぞ。少なくともお前から一秒」

 

 ミシッと骨の軋む音。鉄の鎧に拳のめり込む音。

 

「づ────ッ⁉︎」

 

 口から大きな吐息を吐き出し、真横にナルシスの体が吹き飛んだ。壁を突き破り外へと転げ出るナルシスを目で追い、削がれた左肩と切れ込みの入った右肩の調子を確かめるように回して青髮ピアスの肩を小突く。ナルシス=ギーガーと瓜二つになっている青髮ピアスの肩を。

 

「青ピの予想通りだったな、『将軍(ジェネラル)』と認識されているナルシスの姿を模せば攻撃が通ると。肋の敵を討ってくれてどうも」

「ただ長時間は保たへんよ? 孫っちもさっさと仕込み終わらせてな」

「分かってる。ただナルシスの声であんまり喋るな。後こっち向くな。殴りたくなる」

「それボクの所為やあらへんやろ! ────ッ⁉︎」

 

 目を見開いた青髮ピアスが外のナルシスへと勢いよく振り向く。ぞっと背筋を冷たい汗が走り抜け、俺と青ピの顔から血の気が引いた。

 

「……なんだいそれは?」

 

 青髮ピアスに蹴り抜かれ砕けた鎧を大地に脱ぎ捨てたナルシスが首の骨を鳴らしながら土煙の中ゆらりと大剣を手に立ち上がる。身に叩きつけられる気迫がこれまでの比ではない。銃撃や砲撃、時の鐘の狙撃音が一瞬静まったのかと見間違う程の静寂に襲われた。虎の尾を踏み砕く程に踏みつけた。自分を絶対と言い切る自己愛者の逆鱗にぶち当たる。

 

 違うのは着ている服だけで、顔も骨格も自分と同じ姿をした青髮ピアスを睨み付け、重い息をナルシスは吐き出す。微笑は消え、初めて顔に描かれた表情は怒りではなく虚無。塵を見つめるよりも冷たい冷酷な眼光が突き刺さり、斬られたと勘違いする程に。

 

「俺はこの世で一人でいい……。誰が俺の姿を取る事を許した。俺の顔を、俺の声を俺に向けるな。それは俺だけのもの、君が手を伸ばしていいものではないのだよ。学園都市の学生風情が、くだらぬ実験動物が土足で俺を踏み荒らしやがって……」

「……大事なのは別に顔やないやろ、自分を決めるのは外面やあらへんよ」

「ならば……剥ぎ取られても文句を言うなよ簒奪者。盗人の悪い手は斬り落とさねば。どうせまた繰り返すのだろうしね」

 

 こてり、と首を小さく傾げ、そのまま倒れるようにナルシスは身を倒し地を滑るように大剣を振るう。体全体を使い移動しながら、足を刈り取るように振るわれる一撃に俺と青髮ピアスは軽く飛ぶが、縦に軌道を変えて振り回される大剣に身を任せ、宙に飛んだナルシスの手が青髮ピアスの顔の皮膚を()ぎ取る。

 

 壁に貼られた張り紙を破くように、ぐちゅりと血を握り締めて振り抜かれるナルシスの手に掴まれた面の皮。血で顔を染めながらも落とされる青髮ピアスの踵はナルシスを透けて虚空を薙ぐ。完全にナルシスの姿を取れなければ青髮ピアスの拳は当たらない。重要ではないと青髮ピアスも言いはするが、顔は個人の認識票のようなものでもあるのは確か。舌を打ち、『白い山(モンブラン)』から軍楽器(リコーダー)を取り出すその先で、着地と同時に振り抜かれたナルシスの蹴りが青髮ピアスの体をくの字に折り曲げ壁を砕き弾き飛ばす。

 

「極東の猿真似がッ、くだらない余興を披露している暇があるなら地獄の穴にでも飛び込めよ。それ以外の価値など君達にあるわけもないだろう。カモならネギを背負って来い。そうでないなら餌でしかない分際で」

「……よっぽど自分が好きなんだなナルシス=ギーガー。その為にここまでやったのか?」

 

 青髮ピアスも死んではいないだろうが、再び動くまでに時間が掛かる。軍楽器(リコーダー)を捻り地面を小突き、響く音と共に言葉を投げれば、「ここまでとは?」と無感情な吐息を返された。

 

「ここまでとはどこまでだ? 何か酷い事でも俺がしたと言う気かい? そうなのかもしれないね? ただ、だからなんだと言う話だ。自分を自分だと理解しているのは自分だけだ。他人の想いや感情など理解して何になる? 例えばマッチ売りの少女という話があるだろう? 悲劇だな可哀想に。だが、マッチ売りの少女がどれだけ不幸であったとしても俺は不幸ではない。貧困に喘ぐ者がどれだけ腹を空かしていても俺の腹が空くわけでもない。例えどんな場所に赴こうが、いいか孫市、世界とは自分を中心に回っているんだ」

 

 軍楽器(リコーダー)の音色が紡がれる中で、歌うようにナルシスは吐き出す。理解できない。意味不明。瑞西(スイス)の中でこれまで敵対者に向けられて来た問いの答えを吐き出すように。自分と同じ顔を剥ぎ何かが剥がれ落ちたのか。手に付いた皮膚を腕を振って振り落とし、ナルシスは指を回しながら大剣を肩に担ぐ。

 

「自分とは世界だ。揺らがぬ絶対の法則だ。この世に俺が生まれた瞬間から世界は始まった。だと言うのにおかしいとは思わないか? 誰もが会った事もない神達を奉る。西暦紀元? なぜたかが過去の人間が時に切れ目を入れている? そいつから世界は始まったとでも言う気なのか? 馬鹿らしい。この世で実際にそいつに会い、今も生きている奴がいるわけでもなしに、いつまで過去に縋るのだ。そんな勝手な言い分が俺の世界にまで切れ目を入れる。それはその時俺がいなかったからだけの話。人類の罪を背負う? 違うな、罪を奪ったのだ。良いも悪いも全ては己のモノであるのによ。奪われ尚祈るなど、家畜と一体何が違う? 俺に並べる者などいない。これまでも、これからも。己だけが永遠に手放せぬ呪いなんだよ孫市」

「……他人に熱も輝きもあると知っているのなら分かるだろう? 自分の必死があるように、誰にだってそれはある。それがお前の必死であるように。そこまで分かっている癖に、見て見ぬ振りして斬り捨てるのか?」

 

 自分になりたい。自分が全て。その想いも分かるからこそ、誰にだってそれはある。追い付きたい、並びたい。俺が時の鐘を追ったように、学園都市では能力者が超能力者(レベル5)を追い、魔術師も己が求める奇跡を追っている。自分が追っているその後ろを追って来てくれている者もいる。それを知っているからこそ、蹴り落とす事などできるはずもない。必死を向けられたなら必死を返す。例え結果がどちらかの死であろうとも、天秤に乗せられた重さに釣り合うように想いを乗せる。この世はプラマイゼロでできている。自分だけが天秤に乗っても、反対に乗せられるものがなければ沈むだけだ。

 

「誰かが居るから自分なんだ。この世に自分だけならば、誰が己を己だと言ってくれる?」

「違うな、他人など装飾品や街灯と変わらない。自分だけが絶対だ。絶対だからこそ自分なのだ。だからこそ誰よりも抜きん出る。誰かがいなければ自分だと言えないような者など人として足り得ない」

「それは違うさナルシス=ギーガー。自分一人じゃこの世に生まれる事もない癖に」

 

 親がいなければ存在しない。トルコでボスと会わなければ路地裏で餓死していただろう。小萌先生や上条、土御門、青髮ピアスがいなければ学生にはなれなかった。御坂さんがいなければ、大覇星祭の期間中に俺は人間から道を踏み外していた。黒子や佐天さんがいなければ、愛には気付かなかったかもしれない。

 

 自分の狭い世界。自分を形作る狭い世界をこの世の誰もが持っている。大きかろうと小さかろうと関係なく、それぞれ違った色と熱を秘めた自分だけの狭い世界を。

 

「……あぁ、そうか」

 

 自分を形作る狭い世界が隣り合い広がって大きな世界は形を成している。無論生きている内に一度も出会わない世界もあるのだろうが、隣り合い隣り合い、全ては一つに繋がっている。世界から滲む波紋同士が共鳴し合い、世界は音を奏でている。どんな立ち振る舞いをしようとも、その世界の中にいるのなら、誰もが自分で他人なのだ。特別ではない、世界の歯車の一つ。特別でないからこそそれが分かる。大きな歯車もあるだろう、手も届かぬような高い位置にあるものも。

 

 そんな歯車の中で歪みを生む物がある。エラーと言ってもいいかもしれない。周りを巻き込み不良を生むそれを、叩き直すのは難しいが、それができる男が一人。

 

 『幻想殺し(イマジンブレイカー)

 

 間違った方向に動こうとする、他人に不幸を撒き散らす歯車を、上条当麻は右手で叩き直せる。想いを乗せた拳を振って。

 

 ただそんな上条にも叩き直せない歯車がある。魔術や能力。歪を呼び込む歯車ではなく、暴走したように火花を散らし動く暴力に上条の右手はとても弱い。周りの世界を砕き一つ浮き上がったような世界を止める術があるのなら、その狭い世界に合わせるしかない。その熱と必死に噛み合うように。幻想や夢に上条が触れられるように、俺も暴力になら触れられる。狭い世界の連鎖から浮き出て暴れる一つの世界に穴を穿てるのだとしたら、それが。

 

「どうしようもなく変わらないのか? 素晴らしい物語達を破り捨て、自分だけがあればいいと聖書の如く自分だけをひけらかすのか? それがお前の全てなのか? これだけ壊してまだ足りないのか? 誰も隣にはいらないのか? 追って来てくれる者さえも……」

「愚問だ。自分こそが神であり世界。その法則は揺るがない」

 

 他人は全て道具で調度品。大きな屋敷を飾る装飾。ひとりぼっちで覇を描く人生に素晴らしさなど欠片もない。あるのはただ静寂。殺人鬼も怪物も、悪と呼ばれる者達でさえ、それは他人が居てこそ成立する。それさえ投げ捨てるのならそれはもう人間ではない。ガシャリ! とボルトハンドルを引く音が頭の中で静かに響いた。

 

「壊し壊して壊し続け、次に壊れるのはお前の番だ。ナルシス=ギーガー。俺がお前の終わりを告げてやる。それを俺の必死にしよう。だからお前も必死になれよ」

「俺の横に並び立つ気かい? 浅ましく傲慢な男だね君は。他人に並ぶのがそんなに好きかい?」

「誰がお前と並び立つかよ。ただ俺は突き進むだけ。気に入らない物語は穿つだけ。音を乱す歪みは掻き消すだけ。自分の世界だけに閉じ籠るその殻を引き剥がし砕いてやる。それに誰かがいればこそ────」

「できる事も増えるってもんやね。キミィの姿を借りるようにや。こう見えてボクってなかなか不死身なんやよ?」

「チッ⁉︎ 害虫(ゴキブリ)がッ‼︎」

 

 影から伸びるナルシスと同じ顔をした青髮ピアスの腕をツヴァイヘンダーが斬り落とす。ずるりと落ちる腕を気にせずに、振りかぶり突き出された青髮ピアスの腕の断面から伸びる新たな腕が、ナルシスの頬を掠めて朱線を引いた。

 

 ふぅっ、と息を吐き出して、蹴りを放とうとする青髮ピアスの足の甲を踏み付けに貼り付け、力を抜いてゆるりと揺れ伸びたナルシスの指が青髮ピアスの目を抉る。引き抜かれる指から顔を逸らす青髮ピアスを袈裟斬りに、斜めに崩れ俺の名を呼ぼうとする青髮ピアスを前に、口元へと人差し指を伸ばす。

 

 ピィィィン───ッ。

 

 糸を張ったように響く音が途絶えぬように、軍楽器(リコーダー)を捻り音を変えて音楽を刻む。いくら攻撃が通らなかろうが、ナルシスも音は聞いている。『白い山(モンブラン)』を床に放り、軍楽器(リコーダー)を取り回し音を奏で、離れそうになる体を腕で抑えくっ付けようとするナルシスの二撃目に割り込ませるように軍楽器(リコーダー)を突き出した。一瞥をくれ視線を切るナルシスの腹に軍楽器(リコーダー)の先端が沈み込む。ゴギンッ! とへし折れる骨の音と感触に、目を見開くナルシスの顔を裏拳で弾く。

 

「ま、ごいちッ⁉︎」

「見事だろう? うちの参謀殿は」

 

 百鬼夜行。世界のどこか、深夜にナルシスが『将軍(ジェネラル)』であると信じている者がいればナルシスの魔術は形となる。では今の深夜はどこか。

 

 夕方に近いスイスから時差にして八時間。今まさに深夜であるのは極東の国。

 

 その国の漠然とした魑魅魍魎の特性を得るのだとしても、極東には多くの妖を退散させる伝承がある。言葉で邪を祓う真言(マントラ)。神道の祓詞(はらえことば)。魔術師の中でも陰陽師である土御門が相手であった事が災難だ。禁書目録(インデックス)のお嬢さんが言葉で敵の魔術を乱すように、音を繰る技術でそれを乱す事はできる。禁書目録のお嬢さんが使う技術である強制詠唱(スペルインターセプト)の超簡易版みたいなもの。敵の術式を完全に操り打ち崩す事はできずとも、俺を割り込ませる事はできた。

 

「ここから先は暴力の勝負だッ‼︎」

「俺に技で勝つつもりかッ‼︎」

 

 突き出される大剣を軍楽器(リコーダー)の側面で転がし逸らす。それでも逸らし切れずに首の皮が削がれて血が垂れるが、足を踏み出し前進を止めない。攻撃が当たるか当たらないかでは雲泥の差だ。剣の達人の剣だけを追い動いても勝負は目に見えている。手に足に体に頭。打てる部位が増える程に、引くより進んだ方が幾分か楽だ。

 

 ただそれは相手も同じ事。ようやく俺は同じ土俵に立っただけ。当たらないと分かっていて動くのと、当たると分かっていて動くのでは当然ナルシスの動きも変わる。攻撃の通らぬ絶対者の姿は消え、剣を握る空降星(エーデルワイス)の総隊長の姿が現れる。

 

 突き出す軍楽器(リコーダー)を振るう大剣の重みを利用し揺れるように紙一重で躱し、滑るように振るわれる刃が軍楽器(リコーダー)の上から俺の肌を削ぐ。甲高い金属音をぶつけ合いながら舞い散るのは俺の血液のみ。一歩が遠い、剣の檻に轢き潰されるように細やかに俺の体だけが削れていく。防刃耐性のある時の鐘の軍服も意に介さず、身を捻り弓のように放たれた刃が俺の左耳を斬り裂いた。

 

「一人で無理でも、二人ならどうや?」

 

 首を捻ったその先で、伸びる大剣の腹を掴む青髮ピアス。待っていた笑みに笑みを返し、顔をナルシスへと戻しながら肘でナルシスの顔を刎ね上げる。

 

 技量でナルシスが上回っていようとも、静止状態での単純な膂力差だけで言えば肉体操作能力の頂点に立つ青髮ピアスの方が上。万力に挟まれたように動かない大剣の柄を握るナルシスの体だけが背後に流れ、反った空降星(エーデルワイス)の腹を踏み砕くように足を落とす。

 

「……いい夢見れたかい? 調度品共」

 

 鼻血に塗れた顔を起こし、ナルシスの歪んだ眼光が突き刺さる。腹に沈むナルシスの足が、水面に落ちたかのように感触が薄い。大剣の柄から惜し気もなく手放し。俺の蹴りの勢いを乗せて身を捩り突き出された蹴りが俺ごと青髮ピアスを壁へと弾いた。

 

「孫っ……ちッ⁉︎」

 

 大剣を手放し宙を踊る刃を手に掴み、横合いに薙がれた刃から逃すように青髮ピアスに上へと放り投げられる。その先で横に走った銀線が青髮ピアスの胴体を真っ二つに両断し、噴き出す血を払うように、振り上げられた大剣が青髮ピアスを縦に割った。

 

「青────ッ!!!!」

 

 絞り出そうとした声が遮られる。振り上げた大剣の動きを追ってナルシスは身を翻し、床に置かれていた『白い山(モンブラン)』を掬い取り、捻られ突き出された白銀の槍が俺の胸を貫き破る。そのまま壁に貼り付けに、胸から伸びる『白い山(モンブラン)』を手で掴むが上手く力が入らない。

 

「ゴッ⁉︎ ぶッ──くふッ、おま────ッ⁉︎」

「上手く心臓を避けたね孫市? でも『白い山(これ)』は振動を伝える武器ではなかったかな?」

 

 白い山を掴んでいたナルシスは手を離すと、強く一度『白い山(モンブラン)』を拳で叩いた。伝わる振動が鼓動を乱す。口から血液が溢れて血を汚し、白銀の槍を握る手が滑り落ちる。ぼやけていく視界の中で大剣を肩に離れて行くナルシスの背に手を伸ばそうとするが腕は上がらず、上から落ちて来る瞼を止める術は残されていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こつりッ。

 

 

 暗闇で響く音はいつもそれだ。乾いた足音。日本にいた頃、北条家の屋敷で、トルコの暗い路地裏で、闇の中蹲りその音をいつも聞いていた。

 

 

 こつりッ。

 

 

 その音が止まる事はない。いつも俺の前を通り過ぎる。明るい場所に踏み出そうと足を出せば、拳が俺を押し返す。

 

 

 こつりッ。

 

 

 止まらぬ足音は暗闇の歌。死が近付いて来る死神の足音。それから逃げるようにより暗い闇の奥深くに。死神に見つかってしまわぬように。止まらぬ足音が聞こえぬように。自分が誰でもないならば、死神にさえ見つかるはずもない。だから一人奥深く、影の中で膝を丸める。

 

 

 こつりッ。

 

 

 その足音が不意に止まる。死んだのか。死神に見つかってしまったのか。足音さえ消えた静寂の中で、目の前に伸びた光は日の光ではなくアッシュブロンドの髪だった。手を引いたのは死神は死神でも狩の乙女。俺を待っていたのは死ではなく死神の群れ。鎌の代わりに白銀の槍を担ぐ深緑の衣に身を包んだ死神である。

 

 

 こつりッ、こつりッ。

 

 

 死を握り俺は足音に紛れた。多くの足音の中で俺も足音を打ち鳴らす。紛れていれば見つからない。誰も俺に気付かない。過ぎ去る足音の中で流れに乗る俺は何者か。暗闇の中に潜もうと、明るい世界に足を落とそうと結局昔から変わらない。足音は止まない。もう止まらない。今は俺が死神なのだ。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの」

 

 

 その足音が止められた。背後からドロップキックをかまされて。多くの足音が過ぎ去る中で俺だけを蹴り転がした少女は右腕に巻かれた緑色の腕章を引っ張り馬鹿を見るような目で鼻を鳴らす。

 

 

「そんなところまで、わたくしは追いませんわよ?」

 

 

 身を翻し去って行く少女の足音が離れて行く。静寂が辺りを包み、その中を多くの乾いた足音が過ぎ去った。少女の向かう方向とは反対に。

 

 

 こつりッ。

 

 

 一歩。少女の背を追い足を出す。足音を掻き分け流れに逆らい、自分が進みたい方向へ。一歩。一歩。過ぎ去る足音は消え、残るのは自分の足音だけ。静寂を踏み潰し、いつまで歩けばいいのだろうか。少女の背も見えなくなった。それでも一度足を出したなら。せめて行けるところまで。自分の足音まで消えてしまえば、何処にいるのかも分からなくなる。

 

 

 

 

 こつりッ。

 

 

 

 

 

 

 こつりッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こつりッ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「孫っちッ!!!!」

「が────ッ⁉︎ ひゅッ⁉︎ ぷッ‼︎」

 

 ごぼり。喉の奥から溜まっていた血液が口の外へ零れ落ち、暗幕が薄っすらと上がる。縦に切れ目を残し上半身だけの青髮ピアスの伸ばされた手が『白い山(モンブラン)』を掴んでいた。青髮ピアスの心の音が、止まっていた俺の鼓動を僅かに揺さぶる。霞む視界の中で拳を握り、なんとか腕を引き上げて白銀の槍をぶっ叩く。

 

 こつりッ。

 

 一度できたらもう一度。口から泡立つ血の塊を吐き出しながら、鼓動を調律するように。止まっていた血液が体を巡る。『白い山(モンブラン)』を叩く腕に力が戻る。背後の壁を踏み砕き、胸から伸びる白い山を引き抜いた。ぼたぼたと落ちる血液が床を汚し、冷たい風が胸の穴を吹き抜けた。息を吸って息を吐く。ふらつく足で青髮ピアスの横に膝を着いた。

 

 傷も治りきらず縦に走る線から血を流し、薄く笑う青髮ピアスの姿が波紋となって眼に映る。滲んだような朧げな世界で、それでも消えない青髮ピアスの輝きに目を細めた。

 

「…………今度はお前に見つけられたな」

 

 誰かの背を押すために名前を貸し出す第六位。その為だけに自分を隠す。そんな男の伸ばされた手に掴まれた。誰でもないなんて事はない。俺の知る悪友が、確かに今ここに居る。

 

「……孫っち大丈夫なんか? ボクゥはまだ……ちょっと治るのに時間が掛かりそうや。頭を割られてもくっつくとは……ボクゥも驚きやね」

「……不死身ちゃんめ、細切れにされても大丈夫なんじゃないかお前なら」

「それは試したくないわ、ははっ……掴めたんか?」

「あぁ、掴んだ。ナルシス=ギーガーの世界の波紋(リズム)を」

 

 『白い山(モンブラン)』を掴んだナルシスから心臓に直接。口に残った血を地に吐き、鼓動に合わせて『白い山(モンブラン)』で大地を小突き、鼓動の振れ幅を増して立ち上がる。体全体で鼓動を刻むように生まれる波紋が空に舞っている塵を揺らす。

 

「助かったよ青ピ、学園都市に戻ったら、メイド喫茶だろうがどこでも付き合ってやる」

「孫っちの奢りなん? そりゃぁ楽しみやな! ごほッ、あー……ただ今はちょっと……ボクゥも疲れたわ。だから……」

「後は任せろ。俺の英雄(ヒーロー)

 

 青髮ピアスに手を振って、『白い山(モンブラン)』に軍楽器(リコーダー)を納める。

 

 ────ガシャリ。狙撃銃は手の中にある。銃弾も火薬も。狙うべき相手がまだここにはいる。燃えるような瑞西の空を一度見上げ、空に向けて引き金を引いた。時の鐘の音が鳴る。弾丸はもう飛んでいる。


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