時の鐘   作:生崎

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幕間 Merci pour tout.

「よし分かった、話し合おうじゃないか」

 

 大量の包帯に包まれた木乃伊のような手を振り上げて、チューリヒにあるとある病院の病室、そのベッドの上で不機嫌に座りながら煙草を咥える。胸に穴空いてんのに何してますの? と言いたげな青筋を額に浮かべた黒子に煙草は明後日へと空間移動(テレポート)させられた。それはいい分かった。俺も悪かった。いつもの癖で煙草を咥えてしまっただけだ。

 

「スイスの騒動も一先ず落ち着いた。クーデター軍の心の柱が折れたからな。よかったよかった。第三次世界大戦とか知ったことじゃないと後はもう復興に全力を注げばいいと思う」

「いやぁ、本当に良かったにゃー!」

「いやいや本当にね! じゃねえわ、よくねぇんだよッ! なに? 数日経って? 青ピも復活? 俺が一番重傷ってなんだそれッ! いやまあいいんだよスイス救いに飛び込んだんだしッ! ただ見ちゃってくれよ、俺のお胸に穴が空いてるよッ! 心臓すれすれだよッ‼︎ 覗いてみるか俺の心臓ッ、今なら覗き放題だぞッ!」

「貴方はまったく! 傷が開くでしょうがッ! 大人しく横になってて下さいましッ! 言うこと聞かないのでしたら集中治療室にお送りして差し上げましてよッ!」

 

 バシリッ! と黒子に頭を叩かれゆっくりとベッドの上に横に倒れる。俺怪我人なのに遠慮がないんですけど。痛覚がほぼ麻痺ってるお陰で、体がバキバキでも多少動けるのをいい事に集中治療室からはおさらばできたが、未だ体は傷だらけ。カエル顔の先生が居てくれればもっと怪我の治りが早いのに、一度それを知り外に出たからこそ、学園都市の医療技術の凄まじさと先生の素晴らしい腕前が骨身に染みる。下手にチューリヒで療養するぐらいなら学園都市に帰って治療を受けた方が絶対に怪我の治りは早い。

 

「……それで? カレンの奴は『将軍(ジェネラル)』として忙しく働いている訳か?」

 

 学園都市の友人達の中に見知った紫陽花色の髪がないのを見回し寝返りを打つ。あれから一度もお見舞いにさえ来やがらない。別に来て欲しい訳ではないが、久々に誕生した『将軍(ジェネラル)』としてカレンは今迷惑を掛けた国々へと謝罪旅行の真っ最中だ。

 

 空降星(エーデルワイス)の総隊長の所為という事でララさんも一緒だそうだが、歳若い女性二人で上手くいくのかどうなのか。『将軍の赤十字(レッドクロス)』があるからこそ大丈夫なのかもしれないが、あらゆる武具に形を変えられるらしい『将軍の赤十字(レッドクロス)』は、今は腕時計となってカレンの手首に巻かれているとか。どんな高性能腕時計だそれは。

 

「孫市さんなら殺しても死なないからとお見舞いには来ないそうですの。怪我が治ったら『将軍(ジェネラル)』としてこき使ってやると言ってましたわよ?」

「俺の怪我一生治らない気がしてきた。カレンにそう言っておいてくれ、それで他の時の鐘の容態はどうだ?」

「重傷の方は取り敢えずチューリヒかジュネーヴに纏められてるそうですわよ? ベルさんとグレゴリーさんはジュネーヴの病院にいるそうですの」

「おう! 電話で話したぜ! グレゴリーさんが病院抜け出そうとするんで見張りに付いてるってベルさんが」

 

 グレゴリーさんはロシア出身。恋人もロシアだからな。スイスが取り敢えず落ち着いたとはいえ、世界情勢とはあまり関係もない。レーサーグローブに包まれた手を摩り窓の外を眺める浜面の顔を見つめて煙草を咥えれば、煙草の缶ごとゴミ箱に空間移動(テレポート)した。おいおい……、いや、今はそれはいい。

 

「浜面、ロシアに行く気か?」

「……折角できた師匠の力になってやりてえ。法水、俺も自分を磨きてえんだ。スイスでちょっとだけ自信ついたからさ。別にヒーローになりたい訳じゃねえ。ただ、借りは返す。悔いは残したくねえ。それが俺の法則(ルール)だ」

「はッ! 気に入った! なら俺もッ!」

「死にたいんですの貴方?」

 

 ボスみたいな事を言う黒子に肩に手を置かれ、立ち上がろうとしている体をベッドに戻す。拙くも輝かしい英雄が一人目の前にいるのに追うなと捕らえられる始末。浜面にさえ関心されるどころか引かれ、ふて寝するようにベッドの上に転がった。

 

「孫っちも懲りんなぁ。大丈夫やって、ボクゥとつっちーも付いて行くからなぁ。孫っちはチューリヒでゆっくりしとけばええやん。カミやんにも会えるかもしれんしね!」

「いやぁ、ならやっぱり俺も……」

「ま! そう言う事だにゃー、これを貸してやるから風紀委員(ジャッジメント)の子と楽しむといいぜい?」

 

 これってなに? なにこれは? なんか紙袋を土御門に渡された。嫌な予感がする。覗いてみれば予想通り過ぎて口の端から笑いが漏れ出た。なんでかな? なんでメイド服とか今持ってんの? 楽しめってこれで何させる気? 言っておくが俺は二度とメイド服は着ないぞ。黒子に笑顔で手渡せば、少し固まった後にそっぽを向いて受け取ってくれたッ! チューリヒの病院で土御門と握手ッ! 

 

「流石だぜ参謀! 一瞬、もし俺に着ろとか言ったらブチのめしてやろうかと思ったけども! 持つべきものは友人だな! メイド狂いの悪友め! 今日から友達!」

「これまでは違かったのかにゃー? 薄情な悪友だぜい! はっはっは!」

「はっはっは!」

「……手が滑りましたの」

 

 あ……メイド服が窓の外を泳いでいる。どこに飛んで行くのであろうか。虚しい。スイスを救ったご褒美くらいあってもいいのではないか。黒子とのメイドさんごっこなら少ししてみたかった。人の夢と書いて儚いか。諸行無常の意味を今まさに知った気分。俺と土御門の笑い声が乾いていき、一度咳払いをした土御門が幾枚かの紙を懐から取り出す。

 

「まああれだ孫っち。オレのお見舞いの品はフライング=ヒューマノイドになっちまったみてえだけども、こんな情勢下でも英国から電報がいくつか届いてるぜい? これも英国で頑張ったからだにゃー。えぇっとまずは、またチョコラータ=コン=パンナを作ってくださいと」

 

 アンジェレネさんからか。それってマジでお見舞いの電報? 出前みたいな気軽さで労うどころか注文が届いてるんですけど。電報の綴られた紙を受け取れば、アンジェレネさん以外にもアニェーゼ部隊の幾人からか言葉が添えられている。

 

『スイス料理を奢ってくれるまで死なねーでください』

 これはアニェーゼさんか。

 

『シスターアンジェレネにもう少し野菜を食べるように言ってください』

 これはルチアさんだな。

 

 ……これだけ? 何この注文の多い料理店みたいな電報。食べ物の事しか書かれてないんだけど? どこら辺がお見舞いの電報なの? あ、追伸で小さくお大事にって書かれてた。俺の扱いの雑さ。フランスと正面衝突しそうなんじゃないの今? 余裕だなおい。

 

「それと英国の第二王女からも来てるにゃー」

「マジで? 電報の価値が無駄に重いんだけど。キャーリサさん暇なの? 見たくないんだけど」

「おいおい、一国の王女の電報をスルーするなんて孫っちは勇気があるにゃー」

 

 分かった分かった。あぁ、ちゃんと今度は労ってくれてる。一言じゃなくてちゃんと文章がずらずら書かれていた。『英国でもお世話になったし』とか書かれてる。あぁ見えてちゃんとマメだよね流石王女様。ん? なんか急に給金の話になってるよ? スイスは崩れたから? 失業したなら? いつでも雇う? 何これは? 求人広告かな? 生憎俺はまだ失業していないので電報の書かれた紙を丸めてゴミ箱に放る。書かれていた文章の七割が勧誘だった。

 

「それと天草式とオルソラ=アクィナスからも」

「なあまともな電報ないの? どうせそれもお見舞いに関係ない話だろ? もういいから、分かったから」

「そんな事ないにゃー。天草式からはねーちんと五和の恋路の応援を頼むってーのと」

「その依頼は受けねえって決めてんだよ! 天草式は色々大丈夫なのか⁉︎ もういい読むな! 読まなくていい!」

「オルソラからはカレンを守ってくれてありがとうございます。信じていましたと」

「オルソラさん……」

 

 カレンの奴はどうだっていいが、ふわふわした空気を纏っているが布教が得意なだけにちゃんとしている。どこぞのドS部隊のように料理の注文はしてこないし、どこぞの王女様みたいにヘッドハンティングもしてこない。昼ドラみたいな恋愛ドラマに巻き込もうともしてこないなんて。内容は普通なんだけどそれが嬉しい。

 

『P.S.孫市七号さんが食べ頃になったら共に食卓を彩りましょう』

「ほらもうやだイギリス清教ッ‼︎ なんなの? 緊張感ないの? そんな電報俺に送ってる場合じゃねえだろうが!」

「煮詰まってるストレスの捌け口が欲しいんじゃないかにゃー」

「俺をそれに使ってんじゃねえ! 傭兵は玩具じゃないんだよ!」

 

 もし次仕事を受けても英国にはあまり行きたくない。アニェーゼ部隊は俺を料理人か何かと勘違いしているし、天草式は悪巧みに俺を利用しようとしているし、第二王女は立場をひけらかして勧誘してくるし、オルソラさんはどうにも苦手だ。何気にシェリー=クロムウェルやステイル=マグヌス、ジャン=デュポンと傾国の女からの手紙もあるが、もういい、見ない。なんかよく分からない絵葉書とルーン文字の刻まれた手紙だし。手紙をベッドの上に置くのと同時に、青髮ピアスの手が俺の肩に伸びた。

 

「孫っちぃ……第二王女様ってなんなん? アニェーゼ部隊ってなんやろうな? よく見れば第一王女様と第三王女様からの手紙もあるように見えるんやけど? 孫っちとカミやんは英国になにしに行っとったんや? ナンパ旅行? ナンパ旅行なんか? いったい何をどうすればそうなるん? ちょっとお話ししようやないか」

「お前に話す事などないッ! 寧ろ俺が聞きてえよッ! だから黒子さん? ちょっとその冷たい目をどうにかして欲しいと言いますか……」

「へー」

「あの……ちょっと? へーじゃなくてですね? 別にやましい事なんてないと言いましょうか。クーデターに巻き込まれた訳ですよ英国で。その時に協力した人達からの電報や手紙というだけでしてねはい。俺が好きなのは黒子だけ!」

「……法水って将来尻に敷かれそうだな」

「無類の強さを誇るスイス傭兵の名が泣いてるぜい」

 

 うるせえなッ! 元はと言えば急にお見舞いの電報だの手紙を出してきた土御門が戦犯なんだよ! どぉすんだよ! 黒子の目が真っ黒子になってるよッ! なんで胸を抉られるだけでなく、入院中に精神的に抉られなきゃなんないんだよ! 俺のハートはもう穴開きチーズも真っ青だよ! 功労者の扱いがひでぇよ! 誰か俺に優しさを分けてくれる奴はいないんですか? バファリンを出すな土御門ッ‼︎

 

(マゴ)ぉぉぉぉッ‼︎」

「今度はなん────ぶッ⁉︎」

「姉貴分が来てやったぞぉッ! 事後処理が面倒だったがほとんど終わったからもう安心だ! ワタシがしっかり看病をしてやろう! 体内の気を循環すれば治りも早いさ!」

孫市(ごいちー)! やったなこいつぅ! 姐さんが褒めてやるってなあ! 絶対帰ってくると思ってたぜあたしはさッ! 流石あたしの弟分だ!」

「あの……今まさにその弟分死にそうじゃね?」

 

 馬鹿野郎浜面! もっと必死に助けろ! 折れた肋とかがミシミシ言ってる⁉︎ これほど抱き付かれて嬉しくない二人もいないぞッ⁉︎ 痛たたたたッ⁉︎ ゴリラが二匹くっ付いて離れない! 黒子と土御門まで後退ってるんじゃない! 誰がこれを引き剥がせると言うんだ! 青髮ピアスッ! 

 

「うわー、孫っちー、羨ましいなー」

 

 超棒読みじゃねえかッ! そっぽ向いてんじゃねえ! こういう時こそ寧ろお前は突っ込んでくるべきだろッ! 嘘だろ……これが俺の最後の瞬間とでも言うのか? 視界がぼやける。骨が軋む。っていうかこれ傷開いてね? 二つの万力に挟まれて急速に血の気が失せていく中、全く気が付いてくれないゴリラ二匹の脳天に落とされる拳。

 

「ロイ……ここで葬式でも始める気かい? 僕としてはこれ以上友人の血を見たくないんだけどね。孫市、よくやってくれた。会いに来るのが遅くなってすまないね」

「スゥ、そんなに誰かに抱き着きたいならそこの柱にでも抱きついてなさい。孫市、馬鹿な子ね貴方は。褒めてあげる。たまにわね。よくやったわ」

「クリス兄さん……姉さん……」

 

 伊達眼鏡を指で押し上げ微笑むクリスさんと、左目に包帯を巻いたボスに肩を小突かれ思わず涙腺が緩んでしまう。慌てて天井を見上げて鼻をすすり、頭を振って前を向く。涙ならもう十分流した。黒子が抱えて掬い取ってくれたから、悲しみに暮れるのも、戻らぬ過去に(すが)るのもおしまいだ。前だけを見据えて左目に包帯を巻いたボスを……左目に包帯を……。

 

「姉さ、ん……その左眼……」

「あら、目敏いわね孫市。別に惜しむものでもないから気にしなくていいわ。学園都市に義眼でも送らせるから」

「いや気にするわ、超気にするッ! ナルシスの野郎ふざけんなよッ! 姉さんの、姉さんの左眼ッ、はぁぁぁぁッ⁉︎」

「ナルシス=ギーガーは貴方が木っ端微塵に上半身を吹き飛ばしたでしょうに。スイス中にあんなスプラッタな映像振り撒いて。まあお陰でクーデターの残党の心がほとんど折れてくれたからいいのだけれど」

「……おい、孫市(ごいちー)。姐さんならここにもいんだけど? お前の足の下にも姐さんがいるの気付いてるか?」

 

 あ、やっべ、つい立ち上がってロイ姐さんとスゥが足の下に。ボスは気にしなくてもいいと言うのに、俺だけキレていても滑稽なだけ。ただどうしようもなく気にはなる。包帯に包まれていても目の奥の空白が掴めてしまう。口を引き結び腕を組んでいると、微笑むボスに左眼の瞼を撫でられた。

 

「強くなったわね孫市。男子三日会わざればなんて言うけれど、よくぞ上ったわ私の弟。私の隣に並んだわね。今の景色はどうかしら?」

「……悪くはないよ、でもまだ姉さんには追いつける気がしないなぁ。いつまで経っても狙撃では勝てる気しないもの」

「あら、当たり前でしょう? 例え同じ世界を見れるようになったとしても、貴方に追い抜かせる気はないわ。もし私の前に一歩でも出たなら、背中に気を付けなさい孫市」

 

 少女のように笑うボスの顔に見惚れてしまう。力どうこうの話ではなく、俺とボスの見る色の違う波の世界。俺はその振れ幅を掴み。ボスはその色を掴む。同じ波でも掴めるものは別々だけれど、ようやく同じ世界が見れた。名前も、血も繋がっておらず、顔も似ていない姉弟。その繋がりをようやく持てたような気がして、どうしようもなく顔が緩む。ボスまでいつもと違い顔を緩めるものだから。どうしようもない歯痒い想いで疼いてしまう手で、黒子に手を伸ばし抱き寄せる。

 

「やばい……顔が勝手に笑顔に……恥ずかしいから黒子隠してくれ」

「子供のような事言わないでくださいません? もう……そんな事にわたくしをお使いになって」

「あら妬けるわね。拗ねるものではないわよ黒子。私が特別なだけで、黒子もその子にとっての特別なのだから」

「シェリーさんはちょこちょこ自分を外側に置かれますけれど、何なんですの? 余裕のおつもりで? 孫市さんの事ならなんでも知っているとでも?」

「当然じゃない。誰が孫市をそう育てたと思っているのかしら? だから貴女も早く上って来なさい。そうでなければつまらないわ」

「し、師父ぅ……上る前に下りて……こら(マゴ)ッ! いつまでワタシ達の上に上ってるつもりなのだ! ワタシも褒めろ! 学園都市に行きスイスに行き一番頑張ったのはワタシだぞ!」

「でもあんまり活躍してないよね? スゥは何してたの? 旅行?」

「こらぁッ! あんまり虐めると泣くぞワタシはッ! いいだろう! 何がワタシにできるか見せてやるッ!」

 

 腕を振り上げ起きるスゥから慌てて離れる。ハムにぶっ飛ばされて首痛めてるんじゃないの? なんでそんなに元気なの? 気がどうたらこうたら言っているだけあって、スゥから滲む波紋は独特だ。緩やかに力強い波がスゥの細部を支配している。スゥに合わせて腕捲りを始めるロイ姐さんの姿に大きく肩を落とし、緊急離脱しようと黒子の肩を叩くのに合わせて。クリスさんが強く手を叩き合せた。

 

「ここで暴れ始めるのはやめてくれるかな? 未だスイスは完全に戻ったとも言えない。クーデターに賛同していたほとんどの者が折れたとはいえ残党がいるし。何よりも孫市の体調がようやく安定したからこそ、これからの事を話さなければならないのだからね。使える時間は限られている。今も動いてくれているガラさんやキャロルさん、ガスパルに申し訳ない」

「固えなクリス。ちょっとぐらいいいじゃんかさあ」

「君は柔らか過ぎだロイ、……隊長」

 

 場を締めてボスへとクリスさんは場を渡す。それは、ここから先はボスに言うべき事があるという事。置いた黒子の肩に少し力が入ってしまい、見上げてくる黒子に弱い笑みを返して言葉を待つ。

 

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』は解散よ」

 

 言葉を溜めることもなくはっきりと。迷う事なく淡々とボスは時の鐘の終わりを告げた。それもそうだろう。分かってはいた。どれだけスイスを鎮める事に貢献したところで、時の鐘も半数が裏切る始末。中には学園都市に喧嘩を売りに行った者までいる。スイスを再建する為に、これまであったものを変えねばならない。それは『空降星(エーデルワイス)』とて同じ事。スイスは守れても守りたかった家は守れなかった。その無力さを噛み締めながら、「取り敢えず今は」と続いたボスの言葉に顔を上げる。

 

「ボ、ボス?」

「何を不思議がっているのかしら? 時の鐘の仕事は元々スイスとそこまで関係あるものでもないもの。本部がスイスにあったのと、スイス軍預かりだったからこそスイスから離れられなかっただけよ。外部の軍事組織から人員の派遣を受けるのも、スイスに人材を呼ぶという点では有用だったけれど、部隊の結束を強められない一因にもなっていたわけだしね。だから中途半端だった繋がりを今回を機にすっぱり切るわ。いざという時にスイスと協力して動くのを止めるつもりはないけれど。時の鐘の動きをスイスの外側に置く。取り敢えず仮の本部をスイス国外に置くから、その場所は今、ガラが確保に動いているわ。それまで時の鐘は少しお休みかしらね」

 

 解散と言っても再び集う為の解散。これまでの体制を大きく変えて、時の鐘をより強固とする為の。ロイ姐さん、クリスさん、スゥとここに居る者達に目を流せば、元々話を聞いていたのか暗い顔など一切せずに怪しい笑みを浮かべて俺を見てくる。なにその顔は。呆ける俺に「孫市にお休みはないけれど」とボスの言葉が続けられ、慌ててボスに目を戻す。

 

「貴方は学園都市から依頼を受けたままでしょう? 『シグナル』だったかしら? 解散の予定はあるのかしらね陰陽師?」

「他の暗部はいざ知らず、うちにそれはないだろうにゃー。そもそも周りが暗部でいざという時の特効薬ってな具合の組織だし、暗部っていうのもあんまり正しくないんだぜい。だから国連と時の鐘の仕事が終わったんなら、孫っちには学園都市に戻って貰わないとオレが困る。契約違反だぜい」

「契約違反なんて時の鐘はしないわよ。ねえ孫市?」

「あっ……はい」

「なんですのその気の抜けた返事は。そもそも『シグナル』の仕事がなかろうと貴方には色々余罪があるのですから、調書を取るためにも学園都市に戻っていただかないと困りますの。逃げようとしても引きずって行きますので」

「逃げやしないさ、そうか……」

 

 どうにも、スイスに帰る場所がなかろうとも、日本に帰る場所があるらしい。日本から厄介払いされた身の上だというのにまったく……。手近に居る黒子や土御門、青髮ピアスを抱き寄せれば、笑顔で殴られた。……痛い。俺の喜びを分かち合ってくれないようでなによりだ。ただそうなると気になるのはボス達の今後。俺には仕事があるとして他の者はどうするのか? 疑問の目をボスに向ければ、ボスは煙草を咥えて火を点け一拍間を置き、口から紫煙を燻らせ答える。

 

「グレゴリーもベルも、ラペルも引退する事を選んだわ。グレゴリーはスーパーカー専門の整備工場でも始めると言ってたかしら? ベルは警備会社を作るそうよ。ラペルは結婚するんですって」

「結婚ッ⁉︎ 誰とッ⁉︎ 全然聞いてないんだけどッ⁉︎ 寿退社とかラペルさんマジかッ⁉︎ 誰とだッ⁉︎」

「それは自分で聞きなさい」

 

 なんとも意地悪な笑顔をボスに送られ、誰も答えを教えてくれない。誰なんだマジで……。

 

「アラン&アルドも実質引退でしょうね。第四位に手足を捥がれたそうだから。ドライヴィーとハムは、取り敢えず一度お話をしないといけないわね」

「それは……あの……」

「一度裏切った子達だもの。とはいえそれはこれまでの時の鐘の話。超能力者(レベル5)達が狩った獲物を此方で勝手に扱うような事はしないわ。それは貴方も同意見でしょう? この先どうするかはあの子達次第ね」

 

 ハムとドライヴィー。どんな理由があったとしても裏切った事は、というか一言の相談もなく裏切った事が許せないが、黒子達が止めてくれた事が嬉しくもある。その話に深く触れることもなく小さく目を伏せ、ボス、ガラさん、ロイ姐さん、クリスさん、スゥ、キャロ婆ちゃん、ガスパルさん、ゴッソと指を折りボスの呼んだ名が今の時の鐘の全て。随分と少なくなってしまったものだ。

 

「取り敢えず時の鐘が再興するまではそれぞれ自由に動いてくれていいわ」

「ボスはどうするんですか?」

「私?」

 

 俺の視線を受け止めて首を傾げ、ボスはちらりと黒子を見つめ天井へと顔を上げると長いアッシュブロンドの髪を指で流す。

 

「私もどうやら上に立つ者について学び直さなければならないようだわ。誰かに何かを教えるなんて苦手なのだけれど、そうも言っていられないようだし。学園都市で春生とも話してね、とある中学校に売り込みを掛けてみようと思ってるのよ」

「あたしも一緒にな! 部隊長としてレベルアップだってなあ!」

「それって……教師って事ッ⁉︎ なにそれ、なにそれはッ⁉︎ うちに来て下さいよ! ボスの先生姿とか死ぬ程見てえッ!」

「おい孫市(ごいちー)、あたしは?」

「どうせ体育教師でしょ? はいはいジャージジャージ」

「忘れたのか孫市(ごいちー)、あたしはバーで生まれ育ったんだぜ?」

 

 だから? ロイ姐さんはなんの教師になる気なの?

 

「中学校と言っているでしょう孫市。貴方は高校生じゃない。高校の教師ならクリスとガスパルがやってみたいそうだから期待してなさい」

 

 期待してろってなに? ガラ爺ちゃんに仮の本部任せるとか言ってるし、これあれじゃね? 来る気じゃね? わざわざ何かやるのに教師を選ぶとか正気か? どうしよう……日本に帰りたくなくなって来た。そもそも考えれば時の鐘の装備の整備これからどうすんだよとか思ってたけど、想像通りの場所が仮本部の場所だとすると全てクリアだ。

 

「……孫市さん、なにやら凄い寒気を感じるのですけれど……」

「ワタシは学園都市で中華まんを売るぞ(マゴ)! へっへーん、姉貴分が来てくれて嬉しいだろうッ!」

「馬鹿止めろッ! 今学園都市の名前を出すんじゃねえッ! あー聞こえない聞こえないッ!」

「ゴッソは学園都市で探偵をするそうだよ? ガラとキャロルは学園都市で」

「聞こえないって言ってんでしょうがクリスさんッ!」

 

 学園都市、学園都市。どんだけ学園都市連呼すれば気が済むんだ! これ絶対仮の本部学園都市だ! 聞かなくても分かる! ガラ爺ちゃんが動いてるって事は絶対……いや、まだアレイスターさんがガラ爺ちゃんの話を全スルーすればワンチャン望みが……。俺の楽しくなってきた学校生活が学校生活じゃなくなるぞこのままじゃ。時の鐘わんさか抱え込むなんて学園都市だって嫌だろ!

 

「そういう訳だから孫市、しばらく時の鐘として動くのは貴方だけよ。だから必要な人員の補充も貴方に一任するわ。スイスを救済した貴方だもの。時の鐘も救ってくれるでしょう?」

 

 期待が重い……。なぜ時の鐘の他の者達が学園都市で教師だのなんだのやろうとしてる中で、俺だけこれまでと同じく働かなければならないのだ。しかし、時の鐘として任されたのなら、それを投げ出す事は許されない。時の鐘の新たな形。それを描いていいと言われて嬉しくない訳がない。黒子、青髮ピアス、土御門、浜面を見回し、ボスから一本煙草を受け取り火を点ける。

 

「了解ですボス。これまで以上に時の鐘(ツィットグロッゲ)として頑張らせていただきましょう。そんな訳だから土御門」

「『シグナル』の中で更に別の部隊を組みたいって事だろう? 別に構わねえぜい。それは時の鐘の問題だろうしな。俺も幾つも草鞋履いてるからにゃー」

「了承を取れたようで何よりだ。頑張ろうな浜面」

「おう……おう? なんで俺? ちょ、ちょっと?」

「浜面はグレゴリーさんとベルの弟子なんだろう? ボス、新たな時の鐘、狙撃手集団で終わらせる気はないのでしょう? それを根本に置いたとしても」

「人が成長すれば組織も成長しなければならない。各分野のスペシャリストを置いた狙撃傭兵部隊ではなく傭兵機関に。いずれスイスのではなく世界一の傭兵機関にしてみせるわ」

「答えを聞けて良かったです。だから浜面、その始まりをどうだ一緒に。能力の事は能力者に、魔術の事は魔術師に任せるさ。だが技術を磨き繋ぐ者も必要だ。能力や魔術と違って夢はないけどな。時の鐘の技術は俺が磨く。学園都市の技術を磨くお前が一番に欲しい。生憎他の目星い奴らはもう道を決めている奴ばかりでな」

 

 黒子に目を向ければ肩を竦められ、土御門に顔を向ければ笑みを返される。青髮ピアスを見れば肩を小突かれた。同じ道を歩まずとも力を合わせる事はできる。手は繋がず同じ場所へ向かう。ただ中には同じ道を歩む者もいる。時の鐘は狙った相手を外さない。浜面を射抜くように笑みを向ければ、浜面は天井を見上げて頭を掻いた。

 

「……俺は余り物かよ、その目は節穴だったっていつか笑い話にしてやるぜ。『アイテム』の雑用。『スキルアウト』のハリボテリーダー。いつか全部ひっくり返してやる。だから……寧ろ俺から頼むぜ。俺に、俺を磨く場所をくれ」

「『時の鐘(ツィットグロッゲ)』へようこそ浜面仕上。傭兵は仲間を裏切らず、血を流す時は一緒にだ。今この瞬間から、俺達は兄弟で背を預け合う者。『時の鐘(ツィットグロッゲ)』学園都市支部。頑張ってみようじゃないか」

 

 チューリヒで最も古い聖ペーター教会の時計塔。ヨーロッパで最大の時計盤が時を刻む音を聞きながら、差し伸ばした手を握り返してくれる浜面に微笑み窓の外の時計塔を見る。今を繰り返し未来は生まれる。

 

 ただ、今目に見えるものにこそ必死を向ける愚者であれかし。

 

 例え終わりがあったとしても、時の流れは止まらない。時計の針が動き続けるように、新たな時が刻まれる。


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